『わたしの生命(いのち)はだれのもの――尊厳死と安楽死と慈悲殺と』
星野 一正 19961125 大蔵省印刷局,348p. ASIN: 4175502009 1835
■星野 一正 19961125 『わたしの生命(いのち)はだれのもの――尊厳死と安楽死と慈悲殺と』,大蔵省印刷局,348p. ASIN: 4175502009 1835 [amazon]/[kinokuniya]/[boople] ※,
■内容(「BOOK」データベースより)
本書は、安楽死に関するさまざまな問題を国内外の事例などから考察したものである。
内容(「MARC」データベースより)
「いつ死ぬか」を操作できるようになった今、だれが生命の終焉の時を決めるのか。あらためて、「死」というもののあり方について考える。
■目次
第1部 自己決定権
第2部 用語の定義
第3部 尊厳死という概念
第4部 慈悲殺という概念
第5部 安楽死
第6部 わたしの生命はだれのもの
第7部 うねり
■引用
第6部 わたしの生命はだれのもの
・許されない医師による自殺幇助
「自殺したくとももはや自殺する体力がない終末期の患者が、医師に自殺を幇助して欲しいと頼む自殺幇助要請を認めて欲しいと訴えたが、カナダ最高裁判所では否決した有名な事件があった。
この患者は、四三歳のスウ・ロドリゲス夫人といい、筋萎縮性側索硬化症という不治の難病にかかって苦しんでいた。全身の筋が徐々に侵され、筋の萎縮と攣縮(れんしゅく)のために、手先のことが難しく、洗顔、化粧から、字を書いたり、飲んだり食べたり、話したりすることが困難となり、飲食、排尿、排便、入浴から歩行、外出まで、すべての日常<0171<生活でだれかの世話にならなければならないばかりか、意識ははっきりしていて知識精神的判断能力もあるのに、周りの人との言葉による意志の疎通もできなくなり、とても人間らしい尊厳ある生活でできず自尊心がずたずたになって、ただ死んでいく運命を見据えている毎日で、自殺したくてもすでに自殺する体力すら残されていない自分が、尊厳ある死を迎えうる唯一かつ最後の選択として「医師による自殺幇助」を医師に要請することを認めて欲しいと、裁判所に願ったのであった。」(星野[1996:171-172])
→スー・ロドリゲス(Sue Rodriguez)事件
■言及
◆立岩 真也 2008 『唯の生』,筑摩書房 文献表