『フィクションとしての社会――社会学の再構成』
磯辺 卓三・片桐 雅隆 編 19961020 世界思想社,260p.
■磯辺 卓三・片桐 雅隆 編 19961020 『フィクションとしての社会――社会学の再構成』 世界思想社,260p. 1950 ISBN-10: 4790706257 ISBN-13: 9784790706250 2940 [amazon]/[kinokuniya] ※
■目次
はじめに
第1章 フィクションとしての制度 磯部 卓三
1 フィクションの概念
フィクションという言葉の経歴
フィクション概念の拡大
2 視座としてのフィクション
現代社会学における構築主義的視点
フィクションとしての社会制度
リアリティと作動するフィクション
3 制度の再生産のメカニズム
制度の再生産と多数派
「多数の無知」について
多数派の成立根拠
第2章 フィクション論から見た自己と相互行為 片桐 雅隆
1 フィクション論とシンボリック相互行為論
「幻想」論と「言分け」論
2 シンボリック相互行為論の世界観
シンボルによる現実の構成
サピア‐ウォーフの仮説とシンボリック相互行為論の立場
3 フィクションとしての自己
シンボルによって構成される自己
シンボルを越えるものとしての自己
4 相互行為における社会の構成
相互行為における社会の構成とは
相互行為と自己
5 シンボルと相互行為――まとめとして
第3章 フィクションと生命――社会的現実の構成と生成の世界 桐田 克利
1 生命と社会
2 制度的事実と生成的事実
社会的な感情の支配
制度に先立つ感情
生成としての経験
3 共同主観としてのフィクション
リアリティの重層性と段階性
社会的フィクションと社会的現実
情報の現実化
4 日常離脱としてのフィクション
生成の世界へ
遊びと芸術
神秘体験
5 社会的囚われと生命の躍動
第4章 フィクションとしての都市 山田 春通
1 「フィクション」の用法をめぐって
2 「フィクション」、「としての」、「都市」
「フィクション」
「都市」
「としての」
3 「都市空間」を読む視角
メディアとしての都市空間
クルマ体験の意味作用
4 都市をフィクション化させる<装置>
クルマ、ウォークマン、サングラス
もう一つのアイデンティティ
5 <フィクションの現実化>と<現実のフィクション化>
フィクション化された「都市空間」
隠蔽する「都市空間」
第5章 時間の制度の自明性――サンマータイム制の導入と廃止を手がかりに 谷口 重徳
1 制度としての時間
社会と時間
産業化社会と時間の制度
2 サンマータイム制の導入とその影響
サンマータイム制の導入
サンマータイム制の影響
3 サンマータイム制と時間の制度の自明性
時間の制度の自明性について
サンマータイム制への違和感
サンマータイム制の廃止へ
日常のリズムと時間の制度の自明性
第6章 恋愛二元論というレトリック 草柳 千草
1 「恋愛とは何か」という問い
2 恋愛という制度
制度としての恋愛
恋愛の起源
恋愛と社会
3 現代社会における恋愛のディスコース――恋愛二元論のレトリック
戦後日本における恋愛の大衆化と恋愛論
現代の恋愛論における二元論
4 恋愛という経験
さまざまな形と曖昧さ
恋愛感情という根拠――純粋であること
恋愛という可能性
5 日常の中へ
第7章 病いの共同性――ガーナ・アサンテ地域の災因論 田原 範子
1 フィクションとしての病気
2 近代医療とアスラム
近代医学的病気観の形成
アスラムへのアプローチ
3 アサンテ・コスモロジーとアスラム
アサンテ地方における病気観
邪術とアスラム
病気を生きること
第8章 フィクションとしての逸脱行動――「被害者」の社会的構築を中心として 鮎川 潤
1 犯罪の社会的構成
法律の形成
規則執行のコンティンジェンシー
2 逸脱カテゴリーの社会的構築
「家庭内暴力」とうカテゴリー
「心中」と「殺人」
3 「被害者」の社会的構築(1)――西尾いじめ自殺事件の報道経過
朝日新聞による報道経過
4 「被害者」の社会的構築(2)――どのようにして家族は「被害者」の一員としてとどまりえたのか
遺書におけるクレイム申し立て
学校による対抗クレイム
「対抗クレイム」の成否
被害者としての家族の構築
第9章 民族におけるファクトとフィクション 松田 素二
1 民族の時代
民族への回帰現象
アイデンティティの政治学
2 民族という虚構と現実
発明論と反本質主義
発明されたエスニシティ
ファクトとフィクション
リアリズムの逆襲
3 近代民族と文化的多元主義の罠
共生の思想
文化的多元主義と文化相対主義
同化と異化の罠
規格化された民族
近代的ホモ民族の発明
開放系としての民族
4 土着の民族像の可能性
第10章 <フィクション>という境界づけ 石田 佐恵子
1 <フィクション>というジャンル
日常語としてのフィクション
<フィクション>のスタイル
<フィクション>と<フィクションではないもの>
2 社会のなかの<フィクション>
社会的表象としてのフィクション
公的領域における<事実>と私的領域における<フィクション>
3 <フィクション>という境界づけ
<フィクション>のスタイルの変容
<フィクション>のリアリズム
<フィクション>のスタイルの転移
第11章 ヴァーチャル・ソサエティ 今枝 法之
1 近代的カテゴリーの溶解とヴァーチャル・リアリティ
ボーダーレス化の時代
メディア・テクノロジーの高度化
2 「国民」という名のメディア・コミュニティ
直接的な対人的コミュニケーションの縮減
「国民」と印刷メディア
「国民」と電気メディア
3 徴候としての「おたく」
「おたく」と「国民」
「国民」の溶解
4 テレ・メディアと自己協議能力の衰微
テレ・メディア・コミュニケーションと社会的自我
自己協議能力の衰微
5 解離性同一性障害<多重人格>とナルシシズム
多メディアと自我の多元的構成
ナルシシズム
6 ヴァーチャル・ソサエティそしてサイボーグへの道
人名索引
執筆者紹介
■引用・まとめ
太字見出しは、作成者による。
構築主義
構築主義とは、リアリティを所与のものではなく、構築されたものと見る立場である。セティナ[Cetina 1994:2-3]によれば、それには三つの流れがある。第一は、バーガーとルックマンの『日常世界の構成』に代表される社会的構築主義(social constructivism)、第二は、科学的知識の社会学におけるような、経験的、知識指向的構築主義(epirical, knowledge-oriented constructivism)、そして、第三は、自己組織論などに見られる認知的構築主義(cognitive constructivism)、である。セティナは、また、構築主義と「脱構築主義(deconstructionism)」との連続性を指摘している。(p.9)「第1章 フィクションとしての制度 磯部 卓三
多数の無知pluralistic ignorance
それは一人一人が個人的には集団規範に否定的な態度をもっていながら、他の皆がそれを支持していると思い込んでいる事態を指す言葉として導入された。(p.16)
しかしここでの議論にとって「多数の無知」が興味深いのはつぎの点である。すなわち、一人一人がお互いに他者を参照し、「他の皆」に同調するとき、一人一人がお互いに「他の皆」を代表するあるいは代弁するようになるということである。「他の皆」は、もともと単なる「思い込み」であったかもしれない。しかし、一人一人によって代表あるいは代弁されることによって、それはリアルなものになる。(p.17)
「幻想」論と「言分け」論の共通点から
ここでもう一度確認すべきことは、丸山と岸田との見方に共通性を指摘したように、一方にモノとしてあるいは客体としての現実があり、言語や幻想はそれを映し出したり指示したりする道具ではなく、むしろ言語や幻想によってこそ現実がつくりだされているという視点である。(p.26)「第2章 フィクション論から見た自己と相互行為 片桐 雅隆」
シンボリック相互行為論
社会現象がシンボルによる命名によってフィクションとして構成されていることに着目した点に、シンボリック相互行為論の見方の意義がある。(p.29)
名前=シンボルによる命名が単に対象の分節化、識別を可能にするだけではなく、命名が同時に行為の方向づけを可能とすることに注目するという点である。(p.29)
ミルズの動機論
ミルズは動機を、行為を説明するために特定状況内で用いられる語彙によって構成されるものと考えた。その見方の基本は、動機の実体化の拒否である。動機とは、それぞれの「個人の中の先験的で、より純粋で『深層』にあるものを外的に表現したもの」と考えられてきた。それに対して、動機は「個人の『内部に』固着した要素ではなく、社会的行為者によるその行為の解釈をおしすすめる条件である」[Mills 1970: 476, 472. 訳三五〇、三四五]。(pp.32-33)
シンボリック相互行為論の役割理論
シンボリック相互行為論の役割理論は、役割への同調モデルに対して、行為者の主体性を強調し、役割を文字どおりに演ずるのではなく、ある場合にはそれを拒否し、つくりかえるという側面(=役割形成)に注目するものとされてきた[片桐 一九九三a参照]。この同調モデルとは、役割を、行為者に外在し、役割のセットとしてあらかじめ客体化されている、とする先に見た役割観に立つものであり、それに対して、シンボリック相互行為論の役割理論における主体性の強調は、その役割体系を相対化するものと考えられている。確かに、現実の場面においては役割は文字どおりに演じられるのではなく、それが行為に依拠するとした点は貴重である。しかし、シンボリック相互行為論の役割理論は、そのようなア・プリオリな主体を設定し、役割への「自由な解釈」による相互行為の構成を示そうとしたものではない。(pp.37-38)
恋愛の社会作用
恋愛は、その社会的作用に注目すれば、まず端的に、一対の人間を排他的に結合させる制度である。(p.115)「第6章 恋愛二元論というレトリック 草柳千草」
犯罪
犯罪とは「構成要件に該当し、違法で有責な行為」とされている。例えば「正当防衛」であれば違法ではない。また「有責」とは、例えば精神に障害をもつ人が善悪の判断がつかない状態にあって犯罪に当たる行動をとったとしても、それは犯罪とは見なされないということである。また、日本では十四歳未満の少年が犯罪に当たる行為をしたとしても、刑事責任がない(有責ではない)とされ、刑罰の対象となることはない。(p.156)「第8章 フィクションとしての逸脱行動――「被害者」の社会的構築を中心として 鮎川潤」
*作成者 篠木 涼