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『「アダルト・チルドレン」完全理解』

信田 さよ子 19960808 三五館,205p.


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信田 さよ子 19960808 『「アダルト・チルドレン」完全理解』,三五館,205p. ISBN-10:4883200876 1400 [amazon][kinokuniya]→20010410 『アドルト・チルドレンという物語』(改題),文春文庫,224p. ISBN-10: 4167157187 ISBN-13: 978-4167157180 552+ [amazon][kinokuniya] ※ m.

■内容(「MARC」データベースより)

普通の生活を送る会社員や主婦の心の奥に巣喰う「生きる事へのつらさ」「実感のなさ」をアダルト・チルドレンコンセプトで初めて解き明かす。心は子どものまま大人になってしまった中年世代に贈る生きるための書。

■目次

まえがき
プロローグ
第一章 現代人の表情
第二章 アダルト・チルドレンの誕生
第三章 ACとは、どんな人?
第四章 ACの主役は中年世代
第五章 ACと記憶の渦
第六章 インナーペアレンツ
第七章 回復の方法
第八章 ACプライド
あとがき

■紹介・引用

・機能不全家族
 「家族の一員が機能不全を感じれば機能不全なのです。
 これは自分がACと思えばACなんだという自己申告と重なるものがあります。このことで、飛躍的にACの範囲が広がりました。
 日本でいうところの機能不全家族は、ワーカホリックと良妻賢母ホリックの共依存であり、その家族のもとで育つ勉強依存の子どもたちによって構成されています」(信田[1996:56→2001:60])

・ナラティヴとの親和性
 「ACという自己認知は自分の人生をストーリーとして組み替える作業を含みます。このような内省と自己点検ははっきり言ってかなりの力を要します。現実の親との関係ではなく、自分の中に棲む親との関係というきわめてイマジネーションによるところが大きいからなのです」(信田[1996:77→2001:81])

 「人の評価を気にせず、自分で殺してきた感情を「私」を主語にして語ることで、自分のストーリーが少しずつできてくるのです。それは今、自分がここにいることを結果的に肯定するストーリーです。話すことによって、どうしてACが楽になっていくかというと、自分はこういうふうに生まれてこういうふうにきた、と自分が悪いと思っていた物語を話、自分はACなんだと、もう<0128<一度遡っていって、私はこの世の中に生まれてもよかったんだと、物語を書き換えていくわけです」(信田[1996:128-129])
 「自分で封印してきた記憶を「私」を主語にして語ること、そして語った内容が否定されないで聞いてもらえることで、自分のストーリーが少しずつできてくるのです。それは今、自分がここにいることを結果的に肯定するストーリーです。
 語ることによって、どうしてACの人たちが楽になっていくかというと、自分はこのように生まれてこのように生きてきたと繰り返し語ること、自分が悪いと思っていた物語がACと気づいた地点からもう一度遡っていって、私はこの世の中に生まれてもよかったのだと、物語が書き換えられるのです。」(信田[2001:133])

・原因を除くのではなく、関係を変えること
 「原因を除けばすべてが解決するのでしょうか。私は“親が原因”と言いたいのではありません。親を抹殺すれば解決するのではないのです。親との関係で苦しんできたのですから、親との関係を変えればいいのです。そして、今の自分をむりやりインナーチャイルドとして対象化せず、今、ここに棲みついている親との関係を整理してゆくことのほうが現実的でしょう。」(信田[1996:143→2001:147])

・回復
 「摂食障害とかアルコールのように何か困った行動があれば、それがなくなることが「回復」だと言えばわかりやすいでしょう。ところがACというのはそれがないわけです。回復は親の清算で七割達成されます。
 残りの二割は、自分が親からの拘束を受けるなかで身に付けた対人関係や感じ方を、どう自分に楽な行動に変えていけるかを考えることです。
 最後の一割は平安の祈りのようなもので、ACであるということを忘れてしまうくらいになるということでしょうか」(信田[1996:149→2001:153])
 「回復のための努力は、(世代連鎖の恐怖を断ち切るため…引用者)次の世代にとっても大きな意味を持つのです」(信田[1996:176→2001:181])

・サイコドラマの実践
「サイコドラマでは、意識的に演じることから、自分の対人関係の持ち方が客観的にわかります。ふだんとは違う行動をしてみる。言えないことを言ってみる。やさしく語りかけてみる。その仮の場面でできたことは、仮ではありますが、今ここで起きたことですから、現実でもできる可能性があるのです。」(信田[1996:160→2001:165])
「私たちの場合はそれ(感情の吐露の重要性:引用者)に加えて、自分で自分を見つめたり、演じながら考えるという意識的な面も大切にします。役割に没入したり、なりきる必要はないのです。」(信田[1996:161→2001:166])

・ACと他の診断名
 「基本的には、自分で気づいて自分がそう思えば、誰からも文句を言われることのない、立派なACです。このように、自己申告という面があります。
 医療の世界に関連した言葉の中で、こんな言葉はほかにありません。たいていは言われると嫌な気持ちになる言葉しかありません。たとえば、「ボーダーライン」とか、「人格障害」とか、「神経症」とか…。「神経症と言われて、救われた」とか、「人格障害ですよといわれて、もう天にも昇る<0188<心地だ」ということはまずないでしょう。たいていの診断名は、診断する側とされる側があって、さ<0184<れる側は傷つき、それを勲章どころか、夜陰に隠れて裏街道という感じになってしまいます。
 ところが、アダルト・チルドレンという言葉のもつ独特の響きには、そうしたニュアンスがないという面を強調しておきたいと思います。」(信田[1996184-185:→2001:188-189])p.185
 「だれだって「私はAC」といっていいのです。「ACかな?」と思ってカウンセリングの場にきたのなら、その人はACです。
 アルコール依存症の親がいるからといって、「ACです」と断定することはありません。[…]<0186<<0190<本人の知らないところで勝手にラベルを貼り付けるものではありません」(信田[1996:186-187→2001:190-191])
 「親の影響を受けつつも、それに支配しつくされることなく、それを怜悧に見つめきり、言語化する能力と、それを支える溢れるような環生を保ちつづけてきたこと。これこそが人間の尊厳です。ACは誇りなのです。」(信田[1996:199→2001:203])

・原因の堂々巡り
 「ACコンセプトがなければ「私は甘えているんじゃないか。私は親のせいにして、あんな年老いた親を責めて、冷たい子どもじゃないか」「でも苦しいし、親を許せない」と、堂々巡り<0189<を続けます。この堂々巡りを突き破る言葉がなかったわけです。」(信田[1996:189-190→2001:194])

 「ACという言葉は、私たちの生まれ育った家族における親の影響、親の支配、親の拘束というものを認める言葉なのです。つまり私たちはそういう支配を受けて今の私がいるという、まったく純白なところから私たちが色をつけられたのではなくて、親の支配のもとにあって、影響を受けながらいまこういうふうに生きているのであって、そこを認めるということです。自分がこんなに苦しいのは、「私がどうも性格がおかしいのでは<0195<ないか」とか、「私が意志が弱かったのではないか」ということではなくて、そこには親の影響があったのだと認めることで、「あなたには責任はない」と免責する言葉でもあるわけです」(信田[1996:191→2001:195-196])

■言及

◆立岩 真也 20140825 『自閉症連続体の時代』,みすず書房,352p. ISBN-10: 4622078457 ISBN-13: 978-4622078456 3700+ [amazon][kinokuniya] ※


*作成:山口 真紀
UP:20080704 REV:20081102, 20091028, 20140824
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