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『増補「名づけ」の精神史』

市村 弘正 19960615 平凡社ライブラリー,185p.

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last update: 20180928

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市村 弘正 198704 『「名づけ」の精神史』,みすず書房,127p.  → 19960615 『増補「名づけ」の精神史』,平凡社ライブラリー,185p. ISBN-10: 4582761526 ISBN-13: 978-4582761528 \854+税  [amazon][kinokuniya] ah02

■内容

分裂病者の世界に、「名づけ」の経験の変容に、路地の文化史に、「乏しき時代」現代の精神のありかを見とる。多領域の論者に深く静かな衝撃を与えつづける思索。世界への哀悼のかたちでの思考の試み11篇。

■目次

物への弔辞
   *
都市の周縁
都市の崩壊――江戸における経験
断片の運動――一九二〇年代断章
精神の現在形
   *
「失敗」の意味――映画『水俣の甘夏』が指し示すもの
そぎ落とす精神――ブレッソン『抵抗』をめぐって
或る思想家の死
「死の影」の行方
   *
「名づけ」の精神史
   *
逆向きに読まれる時代

あとがき
平凡社ライブラリー版あとがき
初出一覧
解説――古楽器が遠くから――市村弘正氏の思考について   吉増 剛造

■引用


「名づけ」の精神史

私たちの眼前に、「新しい」名前が次々に現われては消えていく。名前の連続的かつ加速度的な貼りかえとして「現在」が立ち現われ、立ちはだかる。この名前の洪水の中で、自分をとりまく世界との関係についての、根本的な疑念が私たちの内に膨れあがる。

かつてホッブスは、人間が世界を構成するすべてのものに名前をつけさえすれば、あとはそれを一旦ばらばらにしてまた組み合わせればよい、つまり名前の足し算と引き算によって世界は認識できる、と考えた。「方法の規則」にもとづいて、このように「名前の帰結に関する計算」を信頼することができた彼は、その限りで幸せであったといってよい。世界が名前に対してひらかれ、名前は世界を背負うものと想定しえてこそ、その「計算」は成り立つことができたからである。そのとき、名前の普遍性についての確信は、世<0132<界認識のための徹底的な方法的態度をもたらすものであった。しかし、その確信もその態度もいまの私たちにはあまりにも遠い。

十七世紀の哲学者の世界ばかりではない。あのヘレン・ケラーの発見、すなわちwaterという名前を突破口とする、「すべての物は名前をもっている」こと、あるいは世界とは名前であることの発見も、感動的ではあっても疎遠なエピソードにすぎなくなりつつある。すなわち、いまや私たちの「名づけ」に対して、世界あるいは物事の秩序は応答しなくなっているのではないか。ここでは、ばらばらの名前をどのように寄せ集め組み合わせみても、「物に行く道」にはならないのではないか。名前の次元への私たちのこだわりや、貼りかえられる名前に対する敏感さは、おそらくこのような疑念を裏書きしている。

そうであるとすれば、この「危機の瞬間」に際して、名前をもって物事に相対してきた人間の基本的な経験の有様と、ほかならぬその「名づける」という行為の基底がいわば胎盤剥離しつつあることを見定めなければならないだろう。(pp.132-133)

この大物主を祭ることによって疫病は終息した、とされたわけだが、疫病の大流行という理解を絶する恐怖に投げ込まれた人々にとって、このような「名づけ」の信頼感をもたらす効果は絶大であっただろう。見えないもの、それゆえに神秘化されるとともに恐怖や不安をよびおこすものを、「見える」ものとすることによって恐怖心を鎮静し消去すること、それが名前の重要なはたらきの一つであった。「隠されたもの」に対する共同体的な対処は、このようにして行われた。そのとき「名づけ」は、事態との応答関係を存分に担うものであった。したがって、医療が専門機関のもとに独占され、学術的<0145<と称する病名の体系が制圧するとき、それが何を喪失せしめたのか、に思いを致すべきであろう。(pp.145-146)


■書評・紹介


■言及

『ALS』:書評・紹介

◇市村 弘正 2005/02/01 「二〇〇四年読書アンケート」
◇森田 真弓 2002/03 「名づけ――ことばの不可能性を越えて」 大阪女子大学文学研究科社会人間学・修士論文


*作成:北村 健太郎
UP: 20090111 REV: 20131016, 20180928
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