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『レヴィ=ストロース――構造』

渡辺 公三 19960500 講談社,342p.


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渡辺 公三19960500 『レヴィ=ストロース』,講談社,342. SBN-10: 4062743523 ISBN-13: 978-4062743525 1575 [amazon] ※ w/lc01

■内容
出版社/著者からの内容紹介(Amazon.co.jpより)
思想の地下水脈、構造主義の軌跡
野生の思考、神話論の誕生
レヴィ=ストロース自身の定義によれば、「≪構造≫とは、要素と要素間の関係とからなる全体であって、この関係は一連の変形過程を通じて不変の特性を保持する」。具体例で言いかえれば、たとえば人間の顔は、現存する人の数と同じだけ多様な変化をみせながら、目・鼻・耳・口などの要素間の関係としては常に「顔」でありつづける。その事実こそ、≪構造≫の端的な例と言えるだろう。(本文序章・第二章などを参照)

■目次

まえがき

序章 構造主義のエシックス
第1章 歴史の影の中で
第2章 声とインセスト
第3章 旅の終わり
第4章 神話と詩のあいだに
第5章 幻想から思考へ
第6章 新石器のビルドゥグスロマン1――南米の森から
第7章 新石器のビルドゥグスロマン2――北半球への旅
終章 「構造」の軌跡

レヴィ=ストロース略年譜
主要著作ダイジェスト
キーワード解説
読書案内
あとがき
索引

■引用
「今では、わたしたちはひとつのキーワードに時代の思想が凝縮されるというナイーヴな考えを受け入れないほどには成長したといえるのかもしれない。」(p11)

「短い詩句の中には内的/外的、硬質/流体、貫かれるもの/貫くものといったいくつもの対立が隠されているという。物体としてもイメージの要素においても、ばらばらに解体しうるミシンと傘が、本来、解体作業のためのものである解剖台の上でであることで、暗黙の対立をつうじて互いに多を変形した比喩に変貌する。そこにこの一節の人の心を騒がせる詩的な秘密がある、とレヴィ=ストロースは言う。
こうした構造分析の小手調べにも、意表をついた発見があることを認め、共感できるかどうかという点が、構造主義の感受性への評価の分かれ目の一つとなるだろう。」(p15-16)

「構造という概念をその作者に即して理解するために、試みにひとつの補助線を引いてみたい。構造は変形過程をつうじて不変の特性を保つとされる。こうした定義は、わたしにただちに西欧思考のもうひとつのキーワードともいえる「同一性」という言葉を思い出させずにはいられない。ふへんせいとは、様々な変化を通じて保たれる同一性であり、差異を通じて保持される同一性にほかならない。」(p16)

「60年代から70年代にかけて、「ブラジルの奇跡」とまで呼ばれた開発の熱気のなかでインディアンの人々は、狩猟や焼畑耕作などで生きる彼らの生活の基盤としてのもりと土地を奪われ、その収奪が思うままにならないときは、これまでと同様、直接身体的な破壊と抹殺の対象とさえなった。すでに1950年代の終わりに、人類学者のリベイロは1900年から半世紀のあいだにブラジルのインディアン人口は「ブラジル国家社会との接触による病気と汚染」のために、ほぼ100万人から20万人以下に減少したと指摘している。同じ著者を引きながら1960年のコレージュ・ド・フランスの最初の年の講義で、レヴィ=ストロースは、ほど90の部族が消滅し、ほぼ15の言語が失われたと指摘している。
開発の本格化した60年代以後、民族の破壊と消滅のペースは一層加速されたと考えるべきであろう。」(p28)

「レヴィ=ストロースにとって人類学の研究が単に鋭敏な知覚ばかりでなく、裸体が画家に及ぼす効果にたとえられる、官能を刺激するある色合いをもった作業であることが示されている。」(p40)

「成熟した後に企てられた神話研究は、一面では著者自身の青年期の衝撃を再現し、増幅し、徹底的に精査し体験しなおすものだったといえるのかもしれない。」(p54)

「「人間の優しさの、最も感動的で最も真実な表現」さえも、個々人の成功を目指す「力の探求」の場である過酷な歴史の光の中では、色褪せた「人類の残り滓」でしかないというのだろうか。いやむしろレヴィ=ストロースの真意を理解するには思考の順序を逆転すべきなのだろう。西欧から自分を引き離すことで「人類の残り滓」とされるもののうちに身を置いて、その「真実」をつきとめること。この「真実」を照らし出す新たな歴史の光学をつくりだすこと。「無風帯」での呼びかけの意味はそのようなものだったと思われる。」(p60)

「交換論を軸とする親族関係の解説は、こうして近代人類学における親族関係論の核心を暗黙のうちに形成してきた氏族あるいは家族を枠組みとする「同一性への問い」とは異なる地平に自らを位置づけて、コミュニケーションすなわち交換という他者との関係がどのように親族関係を形成するかを問うたのである。これまで見てきたように、こうした視点からは「氏族」や「家族」は親族関係研究上の意義を失う。これらの観念は、強い言い方をすれば、同一性に取り付かれた近代人の幻想に過ぎないのである。
レヴィ=ストロースにとって、新たな親族関係を作り上げることがそのまま、切実な他者としての存在であったブラジルの人々を理解する方法でもあり、また「方言を異にする」ほどにことなった集団同士でありながら「交叉イトコ」と呼び合うことで互いに他を自分に引き寄せ、関係を設立しようとしていたナンビクワラの人々の対多関係の現実の意味を内面に再構成しうる人類学理論を構築する試みでもあったのだ。」(p124-125)

「近代人にとっての「人格的同一性という貧しい宝物」は、歴史の「主体」という譲り渡すことのできない地位と等価なのである。」(p306)

「一軒不条理な物語にしか見えない神話が、不条理なものの間の「関係」のレベルに、ある論理を隠しているように、非合理の極みとも見える思考にも既に、この世界あるいはこの宇宙に内包された、思考にとって「外部」に存在する合理性が浸透しているのだという。思考は合理性を主観的あるいは主体的なものとするに先立って、まずそれをがいぶからうけとらなければならない。レヴィ=ストロースの視点を敷衍すれば、この世界あるいは宇宙に内包された合理性、人間の「貧しい宝もの」の見せ掛けの下にある真の宝、を再発見するための導きの糸が「構造」の概念なのだ。」(p308)


*作成:近藤 宏
UP:20080609

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