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『昨日のごとく――災厄の年の記録』

中井 久夫・麻生 克郎・小川 恵・郭 慶華・川本 隆史・J ブレスラウ・村田 浩・六反田 千恵 19960408 みすず書房,324p.

last update: 20130708

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中井 久夫・麻生 克郎・小川 恵・郭 慶華・川本 隆史・J ブレスラウ・村田 浩・六反田 千恵 19960408  『昨日のごとく――災厄の年の記録』,みすず書房,324p. ISBN-10: 4622037998 ISBN-13: 978-4622037996 \2100 [amazon] ※+[広田氏蔵書] m d10

■内容

・「MARC」データベースより
阪神大震災から一年余。被災者は、神戸の街は、「こころのケア」のその後は…。著者の眼に映った推移を描いた文章と日々の現場報告を中心に、現在と今後をみつめるレポート。「1995年1月・神戸」の続編

■目次

(執筆者名を記していいない場合は、中井 久夫による文章)
まえがき
精神科医の見た二都市――二月〜三月
神戸を歩いて東京を考える 六反田 千恵
被災地内部から――五月
被災者と弱者――ボランティア活動に参加して 村田 浩
震災後150日――六月
隔離生活の中から、災後症候群を見つけた 郭 慶華
災害下の精神科救急は以下に行われたか――六月
震災と倫理学に関するノート 川本 隆史
半年が過ぎて――七月
人類学者から見た阪神大震災への精神医学的応答 ジョシュア・ブレスラウ(中井 久夫訳)
阪神・淡路大震災後8ヶ月に入る
兵庫県南部地震時の高齢者ケア――医療・保健・福祉への視線 小川 恵
1995年10月・神戸
災害メンタルヘルス――ロサンゼルス見聞記 麻生 克郎
さいはての仮設住宅にて――12月
都市、明日の姿  磯崎 新+中井 久夫
1996年1月・神戸
日程表より
[資料]兵庫県精神医療保健協会こころのケアセンター・調査研究に関するガイドライン
阪神大震災1年の動き
あとがき

■引用

「ボランティア活動が長期化するにつれ、活動当初には見られなかった問題が次々と生じていた。「困っている人を助けたい」という情熱だけではどうしようもない、むしろ弊害になってしまう事態もありうることもあることを、今回のボランティア活動は明瞭に示していた。長期休暇が取れないため短期間で人がクルクル入れ替わる、資金が足りない、被災者がボランティアに依存して自立できない、被災者から罵声を浴びせられ帰れと拒絶されるなど、さまざまな問題が噴出していた。このような事態を引き起こした原因の一つに「援助するものとされるものという関係の長期固定化」という事実に対する配慮不足があったと現地に実際いってみて実感した」(「被災者と病者――ボランティア活動に参加して」村田浩 p81)

「「援助する―される」関係そのものは、決して異常ではない。むしろ日常生活では、周囲の援助を全く受けないで生活していくことの方が困難である。しかし、この関係は固定されておらず、相互依存的であるのが一般的である。…このような状況は、日常生活では稀な事態であり、援助される側にずっと置かれることの危険性がよくわかると思う。
 ボランティアの側に目を向けると、援助する側は「援助する―される」関係を当たり前と思いこみ、関係の特殊性に配慮せずに活動を行なっていた団体が多かったという印象がある。…公的機関の援助は義務という側面があるので、被災者にあたえる圧迫感は減るが、無償の行為にはかなりの圧迫感がある。」(「被災者と病者――ボランティア活動に参加して」村田浩 p81)

「交代のない現地職員には潤沢な食糧補給が士気の維持にあたって不可欠であり、インスタント食品で士気を維持できる期間はせいぜい2週間である。我々の場合、主に九州方面からの来援精神科医団はモツ鍋、おでん、などの鍋の材料を用意して来援され、士気を高める上で非常に効果があった。それまで、数キログラムに及ぶ体重減少を来していた職員は、これで体重増加に転じたのである。」(「災害下の精神科救急はいかに行なわれたか」 中井久夫 p101)

「多くの避難所は学校でした。……学校の廊下などの夜間照明は暗いものでした。音がこもり証明もカクテルライトの体育館は最大で最悪の環境でした。黄色系の証明は、高齢者には視認が悪く、こもる音は補聴器では判別できにくいため、絶えず緊張を強いました。会談は勾配がきつく、トイレ使用後は自分で水を汲んできて流さねばなりません。夜間トイレでの転倒が怖く、他の高齢者と一緒に行ったり飲水量を減らして我慢するという話がままありました。」(「兵庫県南部地震時の高齢者のケア――医療・保健・福祉への視線」小川恵 p158)

「二月を過ぎた頃から、避難所内の対人環境は変化し始めました。まず、混乱の中でのリーダー役を担った被災者ボランティアが仕事の再開や退去で抜けていきました。どちらかというと余裕のある者から退去が進み、次第に高齢者や自力では退去できない弱者の密度が高まりました。余裕のある避難民の退去は、被災者同士で相互に気配りをしあって、問題のありそうな人をチェックして面倒をみる個々のつながりが消えていくことでした。この喪失は行政にもボランティアにも埋めがたく、また、避難所から避難所へ移り歩く新米の不適応者の割合も増しました。やっと覚えた顔なじみが消え次々に新しい人がやってくること、次々と変化する状況がもたらす疲労は高齢者にはつらいものでした。多くの高齢者は疲弊と緊張の極におかれました。
 避難者の自助的な活動力の低下を埋め合わせるように、行政を主体とした避難所の運営は日々整理されて円滑化されてゆきました。しかし、改善ではあっても、避難所運営システムの変化の速度に追いつきつづけることは、高齢者には負担を強い孤立感を(ママ)深めました。…周囲が気づかないうちにゆっくりと確実に悪化していく高齢者の身体疾患に対して、自力受診を前提とした救護所の待ち構えるスタイルはまったく無力でした。危険度の高い高齢者の多くはむしろ自力受診ができない沈黙した従順な難民であり、そこで必要かつ有効なのは、予防的な視点を持った訪問看護のような積極的な服薬指導と全身状態の把握です。……もし縦割りの行政の枠を外して避難所を受け持つ医師・看護・保健婦・心理士・ワーカーのチームが組めたら、肺炎の蔓延や慢性疾患の悪化によって死亡した高齢者をもっと減らせたのではないか、もっと緊急避難的な措置が取られたのではないか、さらには避難所でメンタル・ヘルス活動が異和なく受容されたのではないかとおもいます。」(「兵庫県南部地震時の高齢者のケア――医療・保健・福祉への視線」小川恵 p161)


「地震直後の神戸の惨憺たる状況を聞いていた私としては、この時期がまるでお祭りのように感じられたという人々のことばを聞いて驚いた。損害の規模の大きさが、おぼろげながらわかりはじめ、水もガスも来ず、火が市の各所で燃えるままにされていたこの時期に、お祭りみたいだという発想があり得るなどとても信じられないのだが、実際何人もの人々が私にそう語ったのである。この感情の根拠として私がもっとも重視するのは、全員が同一の体験を潜り抜けてきたという感じである」(「人類学者から見た阪神大震災への精神医学的応答」p129)

「地震直後の事態について聞き出したところ、かねて人類学者が取り上げてきた儀礼行為の一般的特徴との若干の類似性を概観したが、この時期をお祭りのように感じるという一見逆説的な記述に意味をこめたつもりである。もっとも、長期的結果の理解、とくにPTSD概念の流布を分布する上では、地震への応答とお祭りとの相違を考えるほうが更に重要かもしれない。私の考えでは、それは一つの時間構造、もう一つは、accountabilityである。祭りとは、その時間構造が、その最中に起こる問題の結果がどうであろうと、終わって連続性が再建されることが予め保証されている事態である。これと強烈な対象をなすものが地震で、その社会秩序への挑戦、生活の圧倒的損壊、相互依存性の離断、心理的外傷への広凡な暴露は、終末がいつどういう形となるか限らず、その克服に成功するという保証が予めあるわけではない。事態の時間的限界の不確定性は、それ自体が応答において解消させるべき問題の一部である。アカウンタビリティという問題は、人類学者は、これこそ、あらゆる儀礼、いやすべての社会的行為の中核的問題であると考えている。これは、事態をコスモロジカルな原理、特に因果律と誰が責任かという責任>132>性とに和解させるという問題である。ここでもお祭りにおいてはアカウンダビリティの問題は理論的には事前に解決されている。それはm人間の儀礼の大半を解き明かす鍵であろう。これに反して、地震後においては、巨大な喪失体験にたいして事前に用意された出来合いの説明があるわけではない。時間とアカウンタビリティという二つの問題は密接に連動しているが、事態の終結がアカウンタビリティの問題の解消とともに到来するからである。」(「人類学者から見た阪神大震災への精神医学的応答」p131−132)

「人類学者アラン・ヤングが、・・・PTSDについて・・・・既に指摘ているとおり、・・・次の二つの点でユニークである。第一にPTSDは定義の中に因果関係が含まれる唯一の障害である。・・・第二に、ヤングは、PTSDとは時間の障害であって、それは、事件は過去のものであるのに終結しておらず、それどころか、その痕跡がしかるべき限界を超えて患者の生の中に存続し続けていることが監督されるということを意味しているからであるという。この二面のいずれを見ても、PTSDという診断は、疾病概念が規定する特殊な概念的というか「語り」的構造にしたがって、想起を行わせるひとつの方式であるとみなすことができる。さらに重要なのは、これが、地震の余波に起こる時間とアカウンタビリティの不確定性に公然と対決するような行動を行わせるひとつの方法であるということがわかる。」(「人類学者から見た阪神大震災への精神医学的応答」p132)

■書評・紹介


■言及



*作成:近藤 宏
UP: 20081005 REV: 20110316, 0820, 20130708
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