「性的指向性とアイデンティティ――アメリカ合衆国におけるゲイ運動の展開への考察」
酒井 隆史 1996 『社会学年誌』37:105-118
■酒井 隆史 1996 「性的指向性とアイデンティティ――アメリカ合衆国におけるゲイ運動の展開への考察」『社会学年誌』37:105-118
■引用
1 「同性愛カテゴリー」とアイデンティティ
キリスト教文化圏の「ソドマイト sodomite」=性的放埓なふるまい、肛門性交。このカテゴリーによって問題視されるのは、「その人物が、実際に、どのような対象と、どのような関係を取り結んでいるか」である。(106)
→ 18世紀中頃から医学的言説の中で「自体愛」が特権的な位置を与えられる。対象選択に先立つ、当人の身体に帰属する欲望の存在が示される。
→ 「欲望のありようが、当の欲望を所有している身体にまず帰属させられるとき、そこに欲望のあり方によって規定される「アイデンティティ」が生まれる(あなたの欲望は○○である。だからあなたは△△であり異常な[あるいは正常な]人間だ)」。(106)
⇒ 「こうした考え方の基礎に立って、19世紀には精神医学、性科学、精神分析学などの知の編成体formationが生まれる」。(106)
= 「まず性的志向性sexual orientation・欲望が存在して、その表出として(ホモセクシャル、ヘテロセクシャルなど)が自然と存在するのではないはずだ。むしろ、性的志向性を知の主題として問題化し、それに対してアイデンティティを付与するという営み自体、セクシュアリティという場所を機軸とした主体形成を迫り、そこから人間を分類・規制・管理しようとする権力の様式の帰結なのである」。(106)
2 ゲイ運動の展開(107-110)
1950年代以降アメリカ合衆国で、エスニックマイノリティたちの運動と連動して、同性愛者の権利獲得運動は本格化した。
エスニックマイノリティ運動を評価する指標として、立法の達成や大衆動員の規模ではなく、主体性を形成する過程に着目する。
→ 「社会のなかで否定や排除、差別されている「アイデンティティ」――もともと医学的な病理という含意を持ち、欲望そのものを規制・管理しようとする権力と相俟って発明された「同性愛」というアイデンティティの価値を、逆転し積極的に肯定する活動affirmative action=アイデンティティの正治identity politicsの中で、彼らが、いかにそのアイデンティティの意味を自己定義する力を持ち、さらに、与えられたアイデンティティの意味を変容させたかを考えてみたい」。(107)
大戦後/同性愛サブカルチャーが大都市を中心に拡大
1951年/ロサンゼルスで合衆国で最初の同性愛者団体「マタシン協会 Mattaachine Society」が設立。共産党と左翼活動家によって創設され、アメリカ共産党の秘密組織的で階層的な組織方法をモデルにしていた。活動方針は、マルクス主義理論を背景に、被抑圧的マイノリティとして自らを規定するものであった。
1950年代中盤/「ホモファイル運動 homopile movement」が起こる。マッカーシズムを背景にした「同化主義的」傾向をもつ組織。
→ 「ホモファイル運動」は、同性愛者と異性愛者は本質的に異ならない存在で、同性愛者差別は偏見にすぎないと考えた。このような認識で、この運動は、ソドミー法廃棄の行動、不当逮捕への抗議といった活動家の戦略を否定的に捉え、運動の焦点を教育に置いた。
1955年/「ビリティスの娘たち The Daughters of Bilitis」が設立。社会クラブとして始まり、マタシン協会との交流から運動団体に発展。
1969年/「ストーンウォール暴動」と「ゲイ・リベレーション」。1969年6月17日に、ニューヨークのグリニッジヴィレッジ、クリストファーストリートの「ストーンウォール・イン」というゲイバーに警察の手入れが入り、それに常連のゲイたちをはじめとして激しい抵抗が数日間に及び続いた出来事である。その数日後、「ゲイ解放戦線Gay Liberation Front(GLF)」が結成される。
→ ホモファイル運動のような同化主義的傾向から離れて、「文化的マイノリティ」として自らを規定する運動が生まれる。マイノリティを抑圧する社会構造を変革するために、他のマイノリティ集団と連帯し、ベトナム反戦行動や公民権運動に積極的に参加していくことになる。運動の手法としては「ザップzap」という、立法、議会関係者、学会などに予告なしに訪問して、パフォーマンスを行う方法を用いたことが特徴的である。組織系統は、混沌としていた。
1970年代/ラディカリズムの潮流が後景化。GLFの活動方針への不満から「ゲイ活動家同盟 Gay Activists Alliance (GAA)」が結成。同様の動きが全国規模で起こり、ゲイ・リベレーションと区別される「ゲイ・ライツ」運動が生まれる。規約をもち、役員選挙を行い、委員会を形成し、参加の条件を定めるなど組織に明確な構造を与えた。
1977年以降/保守派とキリスト教原理主義の揺り戻しが始まり、レーガン・ブッシュ共和党政権の支配する政治状況が始まる。
3 アイデンティティとその変遷
(1)ホモファイル運動 → (2)ラディカル・ゲイ・リベレーション → (3)ゲイ・ライツ運動という変遷
(1)(3)と(2)の間には断絶がある。(2)では、自らの姿を公共へ向けて際立たせる、カミングアウトという戦略がとられる。「アイデンティティの正治は、そこにおいて当のアイデンティティ自身が形成、再編成、変容される場所なのである」。(111)
カミングアウト(111)/ゲイの間で使用された隠語であり、「「クローゼットcloset [私室、物置]から出てくることcoming out of the closet」というフレーズから省略されたもの」。ホモファイル運動においては、自らの集団への加入儀式の意味があったが、ゲイ・リベレーションでは外部への示威行動の意味となる。
ゲイ・アイデンティティのフィクション性(112)/「強制を選択に置き換える」。「ゲイであるとカミングアウトすることは、異性愛的欲望をノーマルな基礎とし、その上に設立された制度、共同体の絆とは別の絆を構成するということの宣言である。ゲイのコミュニティはこうして、アイデンティティの形成の場所を、当のアイデンティティを支えに構成するというような逆説的なものである」(112)
「整合性原理 the principle of consistence」/性、ジェンダー、セクシュアリティの各々を重層決定するコードが存在する。性には、(1)遺伝学的レベル、(2)解剖学的レベル、(3)ジェンダーアイデンティティ、(4)ジェンダー役割、(5)性対象選択、の各水準がある。(1)から(5)を男女という二項対立から整合させ、そのシステムを「自然」で「正常」と解釈するのが「整合性原理」である(Ponse 1978)。
セクシャリティのジェンダー化(114-115)/「性的な快楽や欲望というものを個人にとってその主体性を構成するものとしてとらえ、それを主体に対して絶えず配慮させることで、欲望や快楽の規制と接合しようとするのがセクシュアリティの装置である。この装置と婚姻の装置が交わることで、相対的に別の空間を描いていた婚姻関係を規制する法やそれを取り囲む様々な慣習(ほぼジェンダー・システムと重なる)と、人々の快楽や欲望の実践の空間が変動した。財産相続や政治戦略ではなく、人々の性的や欲望や快楽が婚姻を支える基盤となったのである。そうなると、婚姻の装置とほぼ重なるジェンダーのシステムがセクシュアリティを構造化しているということになる。」
4 関係の発明・アイデンティティの多様性
70年代のマッチョスタイルや、80年代のSMレズビアンは、同性愛者のイメージを変えるのに十分だった。
→ 「例えば、マッチョスタイルのゲイの指向性を取り上げてみよう。整合性原則という解読格子を通じて見るならば、同性愛者は、ジェンダー・アイデンティティが通常とは反転しているからこそ、同性へと欲望が向かうはずである。(中略)ところが、マッチョのゲイは、女性へと同一化しているから男性を欲望しているわけではないのである。(中略)もはや、そこではセクシュアリティは、従来のジェンダーによる構造化というくびきから解き放たれているともいえよう」(116)。
⇒ 「強制から選択へのアイデンティティの変容の背景にあるのが、こうした構造的再編成である」。(117)
*作成:高橋 慎一