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『PCRの誕生――バイオテクノロジーのエスノグラフィー』

ポール・ラビノウ〔Rabinow,Paul〕1996 Making of PCR:A story of Biotechnology,The University of Chicago Press,
=1998 渡辺 政隆 訳 みすず書房,260p


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■ポール・ラビノウ〔Rabinow,Paul〕1996 Making of PCR:A story of Biotechnology,The University of Chicago Press,
=1998 渡辺 政隆 訳 みすず書房,260p,ISBN-10:4622039621 \3000 [amazon][kinokuniya] ※

■目次

はじめに
1 バイオテクノロジーのほうへ
2 シータス社――信頼に足る勢力
3 PCR――実験環境と概念の産物
4 概念から道具へ
5 実用性のチェック
結論――ちょっとした道具

■引用
◇ジョン・デューイは1917年に出版した評論集『実験論理学論集』の序章で、よりプラグマティックな立場から、実験と経験、人文科学と自然科学、実践と職務とを結びつける確かな信条を提示>24>している。デューイは次のように書いている

経験の中で生じて機能している場に知識をすえることは、知識は人間をめぐる問題が生まれるものであり、そうした問題を引き起こした条件を再構築する中で知識は確証されるということを知ることである。真に知的なるものは、実験を通じた知識に見つかる。この教訓を完全に学ぶことなく、知識を実験から切り離したり、実験を経験から切り離したりすることは危険である。

もちろん、その教訓を「完全に学ぶ」ことは決してない。局面ごとに必ず「問題」が再び顔を出すからだ。私に言わせれば、人文科学の職務は賛美することでも暴露することでもなく、見せかけの中立性を装うことでもない。人類学が取り組むべきは、実践活動の特殊な流儀である。いまやすっかり定番化した実験室を対象とした研究にかけていた重大な点は、実践活動そして職業として科学を叙述すること、それも当事者の手によって叙述することだった。そのような叙述は聞き出すしかない。そうでもしなければ、正しいやり方すなわちある程度熟考されたかたちでの叙述が得られることはまずないからだ。聞き出された材料がそろったなら、もっと大きな影響力(それを分析してみろと求めらることはめったにないにしても、多くの科学者は日常生活においてその大きさのほどを実感している)に照らしてまとめねばならない。  23-24

◇今ならばヴェーバーに向かって、妙味は「個人」でも「民主主義」でも「科学」でも「実験」でもなく、むしろ何かを作り出す力、目前の例で言えばバイオテクノロジーの力なのではないかといえるかもしれない。さておそこで、われわれはいかなる疑問を発すべきか問ういうことに関心を抱かざるをえない。そして、この場合の「われわれ」とは果たして誰なのかと、考え込まずにはいられない。遺伝物質のつぎはぎ作業や、前例のない事態の世紀などから、結局のところどのような生命が作られるのだろう。それには、いかなる「生命の調整」が伴いうるのだろう。「経験」も「実験」も、古い意味での「選択」、つまり古風な意味での「危険(リスク)」と安全に依存しすぎているのだろうか。247

◇ごく短時間で、面白いほど見事な逆転、直角運動が開始された。概念でしかなかったものが、実験系となり、実験系が技術となり、技術が再び概念となったのだ。急速に発展したそのような変異と相互に関連しあうレベルの変化は、研究環境の中に組み込まれた。…PCRは、新たな事態をどんどん生み出し続けるという類まれな特性を野なえているのだ。最初に脱構築を果たしたのはマリスだが、それが多数の再構築へと変換され、そしてそれがさらなる脱構築、さらなる発明の可能性を秘めていることが発見されるというしだいである。251




*作成:近藤 宏 
UP:20090122,REV:20101211
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