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『心はどこにあるのか』

Dennett, Daniel C. 1996 Kinds of Minds: Toward an Undderstandind of Conciousness, Basic Books=1997 土屋俊訳,草思社→2016 ちくま学芸文庫

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last update: 20220802


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■Dennett, Daniel C. 1996 Kinds of Minds: Toward an Undderstandind of Conciousness, Basic Books=1997 土屋俊訳,『心はどこにあるのか』,草思社→20161010 ちくま学芸文庫,284p. ISBN-10:4480097538 ISBN-13:978-4480097538 [amazon][kinokuniya]

内容(「BOOK」データベースより)
動物に心はあるか、機械は心をもちうるか、人間の心はどのように発達してきたか―古代から人々を魅了してきた、「心」をめぐるさまざまな謎。はたして、今日の哲学や科学はどこまでそれを解明できたのか。デネットは、認知科学や生物学など多種多様な学問の成果を精力的に取り込みつつ、研究の新局面を切り拓いてきた、現代を代表する哲学者である。一般向けの講義をもとにした本書で、彼は進化論的な着想にもとづき、心はどのように誕生し、発達を遂げたのかを明らかにしていく。いまだに解決困難な心の謎を、世界的権威がこのうえなく平明に解きほぐす、最良の入門書。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
デネット,ダニエル・C.

1942年生まれ。アメリカの哲学者。ハーヴァード大学を卒業後、オックスフォード大学にて博士号を取得。タフツ大学教授、同大学認知研究センター共同ディレクター。心の哲学の第一人者であり、認知科学者としても知られる

土屋/俊
1952年生まれ。大学改革支援・学位授与機構研究開発部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

■書評・紹介・言及

◆立岩 真也 2022/12/20 『人命の特別を言わず/言う』,筑摩書房
◆立岩 真也 2022/12/25- 『人命の特別を言わず/言う 補註』Kyoto Books

第1章★07 関連する論文に「倫理学と安楽死」(Fletcher[1973=1988])。
 「明らかに消極的な安楽死が現代医学では既成事実となっている。毎日国内各地の多数の病院で、真に人間的な生命を延長している状態から、人間以下のものが死んでいくのを延長しているにすぎない状態にまで立ち至ったという判定が臨床的に下されており、そのような判定が下された時には、人工呼吸器をはずし、生命を永続させるための点滴を中止し、予定されていた手術を取り消し、薬の注文も取り消すということになる。」(Fletcher[1973=1988:135])
 本文にあげた人たちと同じく、もうなされていることを言う。そしてそれを是認すればより積極的な処置も是認され、さらに積極的な致死のための処置の方がむしろよいことがあることを述べる。そして、これらの行ないがみな正当化される。そして基本にあるのは同じ価値だ。
 「重要なのは《人格的な》機能であって、生物学的な機能ではない。人間性は第一次的には理性的なものとして理解されるのであって、生物学的なものとして理解されるのではない。この「人間についての教義」は、人間homoや理性ratioを生命vitaに優先させる。この教義は、人間であることを生きていることよりも、もっと「価値がある」と考えるのである。」(Fletcher[1973=1988:138])
 「《人間であること》の限界を越えて生かされ続けることは望まない、したがって、適切と思われる安楽死の方法のどれかを使って、生物学的な過程を終わらせることを認める、こうしたことを説明したカードを、公正証書にして、法的に有効なものに作成して、人々が持ち歩けるような日がやってくるだろう。」(Fletcher[1973=1988:148])
 ジョゼフ・フレッチャー(一九〇五〜一九九一)は聖公会の牧師で、キリスト教者・プロテスタント△067 として生命倫理学の登場時期に影響を与えた。また後に無神論者であるとされた人でもあるという。その思想について大谷いづみ[2010]、ネットから読める科研費研究の報告として大谷[2013]
 『私的所有論』第2章では、「人間は製作者であり、企画者であり、選択者であるから、より合理的、より意図的な行為を行うほど、より人間的である。」(Fletcher[1971:181])以下を引用、言及している文献を紹介し、検討した([1997→2013a:82-83,116])。
 第4章で、「人間たるということは、我々がすべてのことをコントロールの手中に置かなければならないということを意味する。このことが、倫理用語のアルファでありオメガである。」(Fletcher[1971:781])を引用、この箇所を訳し紹介している文献をあげた検討した([1997→2013a:185])
 第5章で、「「もし望むなら他の検査で詳しく調べてもよいが、ホモ・サピエンスの成員で、標準的なスタンフォード・ビネー検査でIQが四〇以下の者は人格(person)かどうか疑わしい。IQが20以下なら、人格ではない」(Fletcher[1972:1])以下ともう一つの論文から引用し、この文献に言及している文献を列挙した(立岩[1997→2013a:356-357])。
 むろん、知能検査といった方法によらず、生物・動物に「心」があるかとか「魂」があるかとか、考えたり論じたりすることはできる。『心はどこにあるのか』(Dennett, Daniel C.[1996=1997→2016])、『動物に魂はあるのか――生命を見つめる哲学』(金森修[2012])、等。


*作成:立岩 真也 
UP: 20230105 REV:
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