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『いのちの時間』

山田 富也・寛仁親王・沢地 久枝・斎藤 武 19951220 新潮社,284p.

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last update:20160116

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山田 富也・寛仁親王・沢地 久枝・斎藤 武 19951220 『いのちの時間』,新潮社,284p. ISBN-10:410409501X ISBN-13:978-4104095018 欠品 [amazon][kinokuniya] ※ → 19980901 新潮文庫,284p. ISBN-10:4101476217 ISBN-13:978-4101476216 [amazon][kinokuniya] md.,(増補)

■内容

筋ジス、がん、心臓疾患。それぞれに切実な問題を抱える三人が、ユーモア溢れる笑いのうちに語り合う、「生」の現実、福祉の現実。

■目次

1章 それぞれの転機
2章 「ありのままに生きる」とは
3章 死を間近に見てから
4章 みんな人間が好きなのだ

■引用

 「山田 本当のところ、一番最初にこういう運動を始めたのは僕なんです。僕は中学校を卒業して病院に入ったけれど、兄貴たちは病院育ちだからお医者さんの言うことが絶対、看護婦さんの言うことが絶対の生活で、上の兄貴は僕がボランティアたちと勝手な行動をする時に一言言いました。「病院というのは静かに暮らすところなんだ」と。だけど僕は学生の下宿に遊びに行った▽071 り、若い看護婦と遊びにいくとか、好き放題のことをした。酒なんかも十七ぐらいの頃に味をしをしめてワンカップ大関を毎晩病室で呑むとか、タパコも十七で覚えて、毎日一箱空けるというような生活をしていた。だから僕の心の中にあるのは、一般の社会であれば普通のことがここでは普通ではないな、ということでした。僕はたまたま十七だからタバコを吸う資格はなかったけれども、二十歳を過ぎた人でもみんな吸えない。他の病棟の成人患者は吸っているわけです。筋ジストロフイー病棟だけは暗黙のうちにだめだとなっている。そういうことをどんどん改善しようということになった。
 その頃、僕なんかのところに集まってきた学生がいて、それが運動の最初のきっかけだった。その頃は六〇年安保以後の学生運動の残党みたいな連中が、弱者というのは何なんだということを考えた時に、結局障害者問題じゃないかというようなことになって、障害者問題に走った連中が来ていたわけです。殿下がさっき言われた過激派の問題も出てくるのですが、殿下とはこんな詰をしたことはないんだけれども、そのとき僕のところに来ていたのは革マルだった。学生運動の遺恨みたいなものがずっと尾を引いていて、「ありのまま舎の山田というのはもともと革マルだったんだ。それが何で殿下なんかと一緒になってるんだ。おまえは何なんだ」ということがあったんですよ。「おまえは結局、風見鴇じやないか」というようなレッテルを貼られたわけです。僕は風見鶏じゃない。個人的な意味で尊敬したり、これはいいと思う人と触れ合ったりするのであって、僕には僕の思想がちゃんとありますよ」ということを、その人たちとも何遍か話し合ったことがある。
 だから、この運動の流れの一番最初は僕がまず飛び出て、そして兄貴が出てきた。兄貴は理論▽072 家だからその辺を理論化してきたわけです。たとえば雑誌「ありのまま」の一号を見れば分かるように、「なんで自分たちはこういう状況に置かれているのか、これをどうしようとしているのか」と、僕が行動でしかできなかったことを兄貴は全部理論化していった。兄貴がそこにいたので、ありのまま運動がきちっと成立していったという感じなんです。」(山田他[1995]、山田の発言)

■書評・紹介

■言及



*更新:安田 智博
UP:20080311 REV:20160116
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