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『にせニッポン人探訪記――帰ってきた南米日系人たち』

高橋 秀実 19950501 草思社,p214.


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■高橋 秀実 19950501 『にせニッポン人探訪記――帰ってきた南米日系人たち』,草思社,p214. ISBN-10:4794206070  ISBN-13:978-4794206077 1631 [amazon]  w0111

■内容(「BOOK」データベースより)
多摩川に近いある自動車工場。その組立ラインで、南米から帰ってきた日系人たちと一緒に働いた著者は、奇妙な噂を耳にした。どこかに「ニセの日系人」がいるというのである。彼らは戸籍を偽造して日系人になりすまし、日本にやって来て働いているらしい。そのニセ者とやらはどこにいるのか。関心をもった著者は、噂をたよりに彼らを探しはじめた。ところが、話は思いがけない方向へと向かっていったのである…。平成二年の入国管理法改正によって日本に帰ってきた南米日系人たち。はるか遠くの異国の地で生まれ育った彼らと母国との再会は、「日本人」であることの意識をめぐる微妙な問題をもたらしている。独特のアプローチで日系人の本音に迫った異色ノンフィクション。

■内容(「MARC」データベースより)
日本で働く南米日系人の中にニセ者がいるという噂。彼らを訪ね歩くうち、著者はいつしか本物とニセ者が錯綜する奇妙な迷路に迷いこんで行った。入管法改正で帰ってきた南米日系人たちの本音に独特のアプローチで迫る。

■著者紹介
高橋 秀実(たかはし ひでみね)
1961年、横浜市生まれ。東京外国語大学モンゴル語学科卒。テレビ番組制作会社を経てフリージャーナリストに。川崎の新聞ボクシングジムでトレーナーをつとめたことがある。著書に『TOKYO外国人裁判』(平凡社、1992年)、『ゴングまであと30秒』(草思社、1994年)がある。

■目次

序章 帰ってきたニッポン人
第1章 祖父、石井ひちさぶぅ
第2章 日系度100%の顔
第3章 ヒロヒトのおくりもの
第4章 ウチとソト
第5章 選ばれた民
第6章 たのしい日本語
第7章 うそつきは泥棒のはじまり
第8章 郷に入りては……
第9章 勲六等瑞宝章
第10章 百年のかげろう
あとがき


■引用

「“日系度”という指数がある。これは日本の海外日系人協会などで用いられているもので、国籍、世代にかかわらず、血の中にどれくらいの純度で「ニッポン人」が入っているか、を示す指数である。たとえばニッポン人の孫の場合、四人の祖父母の1人を25%とし、四人ともニッポン人であれば日系度100%、1人だけニッポン人であれば25%ということになる。つまり、>15>

 100%=祖父母すべてがニッポン人
 75%=祖父母のうち3人がニッポン人
 50%=うち2人がニッポン人
 25%=うち1人がニッポン人

 というわけである。」(pp.15-16)


「日本行きを勧めたのは石井の母親だった。石井の母は、入管法改正のニュースが村に伝わると、すぐ自分の父、つまり「ひちさぶぅ」の戸籍を熊本の区役所から取り寄せ、半年がかりで石井がその孫であることを証明する書類を集めた。
 日本入国のための書類は、孫の場合、次のものである。>16>

 @ 祖父母の戸籍(または除籍)謄本
 A 祖父母の婚姻証明書(@に記載がないとき)
 B 父又は母の出生証明書
 C 両親の婚姻証明書
 D 申請者の出生証明書
 E 家族の系図

 要するに、ニッポン人の祖先からの血のつながりを証明するものである。石井は集まった書類をながめて、はじめて「ああ、おれはニッポン人なのだ」と実感したという。」(pp.16-17)


「このサンタマ寮はニセニッポン人専用の寮なのだと言う。工場には、もうひとつ第二玉川寮という>31>のがある。そちらは立派な高級マンションのような造りで、清潔な食堂まで完備している。ホンモノの南米ニッポン人の間では、契約の際に「ニタマ、お願いします」と申請するのが暗黙の約束事項らしい。(中略)
「ニセイ、ニタマ。サンタマ、ニセモノ」
工場の安全標語でも唱えるように池田は私に説明した。
「二世はニタマ?」
「そう」
「じゃあ三世は?」
「サンセイもニタマ。でも日本に来てるのはほとんどニセイだよ」
それはちがう。統計などによると、日本に来ている南米ニッポン人の大半がニッポン人の孫、つまり三世である。しかし池田は「ニセイ」と言い張る。しばらく話しているうちにやっと気づいた。池田の言うニセイとは二世つまり二代目という意味ではない。池田はニセイの「ニ」が数の「二」であることを知らなかった。ニセイとは日系度100%を意味しているのである。純ニッポン人のことを「ニセイ」と呼ぶのである。例えばニセイとニセイの間の子供は世代でいうと三世だが、ニッポン人の純度は変わらないのでやはりニセイなのである。ニセイはペルー人と結婚してしまってできた子は、日系度が50%に落ちてしまい、それを称してサンセイと呼ぶ。すると、サンセイとペルー人の間の子はどうなるか。>32>
「……やっぱりサンセイ」
 しばらく考えてから池田は言った。察するに25%以下はどうでもいいのである。整理すると、池田の中では南米ニッポン人は、血の純度に応じて、
 ニセイ(100%)
 サンセイ(75%〜25%)
 ニセ者(0%)
 に分類されているのだ。」(pp.31-33)


「 日系という呼び名は、日系○○人などと使われる場合は、外国籍だが日本人の子孫だということを主張するために用いられる。しかし新城の言う「日系」とは、「自分たちは今の日本の日本人とはちがうニッポン人の子孫なのだ」という実にややこしいことを明示するための名前だった。ペルー人でもなく、日本人でもない……。「日系」は差別化の末に生み出された「私たちの面目」の別称のような気がした。」(p.70)


「セサルの言う人口調査とは、1989年にペルー移民90周年を記念してペルーで行われた「ニッポン人実態調査」のことである。100人近い大学生らを動員し3ヶ月間を要したこの調査結果によると、ペルーのニッポン人の数は4万5644人だった。そのうち、労働人口と考えられる20歳から54歳までの人口は2万1527人である(中略)。確かに人数だけみると、日本に来ているペルー国籍の人の数は3万人なので、同伴家族な>96>どを含めたとしてもやや多く、ニセ者が紛れていそうな気もする。
 だが、この調査にはかなり問題点がある。彼らの調査方法はリマにある県人会やニッポン人学校などのリストを集め、そこに登録されていた各家を訪ね歩き、「家族は何人ですか、親戚はどこにいますか」と人づてに芋づる式に数えていく。一方、新聞、ラジオなどで「ニッポン人のみなさん、連絡してください」と呼びかけ、連絡を待つ。最後には電話帳などでニッポン姓をしらみつぶしに電話をかけて集計していったのである。
 この手法では、県人会などに属さず、現地でペルー人と結婚した人びとの多くがもれてしまう。それにおばあさんのみがニッポン人の日系度25%の場合、ニッポン姓は完全に消えてしまうので電話もかかってこない。つまり現地で同化してしまった人の多くは除外されてしまうのである。現地でもニッポン人がこんなに少ないはずがない、と調査結果への疑問視の声は多い。
「入管法が改正される前でしたからね、私、ニッポン人ですってわざわざ言っても別にいいことなんかなかったからねえ、みんなが答えたかどうかねえ」
アルバイトで調査に参加したひとり、遠藤もそんなことを言った。
確認のためペルー大使館に問い合わせると、「そんな調査知りません」とのことだった。
「ニッポン人とかそういう数字はいっさいありません。だいたい、そんな数字、意味ないですから」
「なぜ」
「ニッポン人も何もないです。みんなペルー人ですから」
「でも、だいたい、一般的にどれくらいとされているんですか」>97>
 執拗にねばる私に、人種偏見に敏感な大使館員もやっと答えた。
「8万人です。一般的にはそう言われています」
 ニッポン人の人口は聞く人によって全然ちがうのである。このふたつの数字の間をとって6万人という説もある。いずれにせよ、人口調査はニセ者のいる証拠にはならない。
 しかし、ニセ者がいないとも言いきれない。ペルーの大新聞『El Comercio』の求人欄にも「日本の工場。戸籍も扱います」という怪しげな広告が出ているし、ペルーの日本語新聞『ペルー新報』にも「チーチャ(「ニセ者」を表すペルーでの隠語――引用者)もうやめて」というでかい記事があった。入管によれば南米ニッポン人中、ビザ更新時に書類偽造の疑いで拒否されるのは申請者全体の5.4%にものぼる。ということは、ニセ者はやっぱりどこかにいそうである。」(pp.96-98)


「言い知れぬ虚しさを繰り返し覚えたあと、ふと気づいた。
 ニセ者の物的証拠などどこにもないのである。
 日本の入管法によると、ニッポン人とは、

 日本人の子として出生した者の実子に係るもの
 日本人の子として出生した者でかつて日本国民として本邦に本籍を有したことがあるものの実子の実子に係るもの」
 (『出入国管理及び難民認定法別表第二の定住者の項の下欄に掲げる地位』より)

 早い話、「日本の戸籍に入っていた人の子か孫」ということである。入管の実務上は「それを証明する書類を持っている人」ということである。日本にいる南米ニッポン人たちはすでにチェックの厳しい日本大使館、入管の書類審査をパスしている。つまりちゃんと書類を持っているのである。ということはみんなホンモノなのである。唯一のちがいは、その書類を区役所から合法的に手に入れたか、それとも買ったか、ということでしかない。他には何もなかった。戸籍を買った時の領収書でもないかぎり、ニセの物的証拠はないのである。」(p.99)

「入管の女事務官がしきりに「書類」を連呼していたのも彼女が冷淡だからではなく、それしかないからである。
 ニッポン人とは紙の上の民族なのである。」(p.100)


「「(略)貧しいやつってのはチーチャにもなれないから。日本に来るのは中流の>151>ちゃんと小銭ためこんでるやつらなんだよ。ペルーじゃみんな外国に出たくてウズウズしてんだよね。とくにアメリカに行きたいんだよ。でもアメリカの入管はきびしいだろ、で仕方なくて、この前までは、ニセイタリア人になってイタリア行ったり、ニセドイツ人になってドイツへ行ったりしてたけどね。今は、日本の戸籍だけあれば日本に入れるんで、ニセニッポン人ブームなんだよね。」」(pp.151-152)


「(略)排日ムードが高まった昭和11年、ペルー政府が「移民制限法」「ペルー人雇用8割法」という事実上のニッポン人追い出し法を制定した時、それまで領事館を通じて日本の戸籍に入り日本国籍を守っていたペルー生まれのニッポン人二世たちが、どっと役所に殺到した。>199>出生届、つまり「ペルー戸籍」を買うためだった。ニッポン人もまた生きるために国籍を買っていたのだった。」(pp.199-200)


■書評・紹介

■言及



*作成:石田 智恵
UP:20080705 REV:
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