『天上天下「病」者反撃!――地を這う「精神」者運動』<
「病」者の本出版委員会 編 19950430 社会評論社,230p.
■「病」者の本出版委員会 編 19950430 『天上天下「病」者反撃!――地を這う「精神」者運動』,社会評論社,230p. ISBN-10: 4784501398 ISBN-13: 978-4784501397 2100 [amazon]/[kinokuniya] ※ m
◆「精神障害者がグループを形成する時の困難な点」に該当する箇所の引用
第一部 わしらの社会じゃあ!
キケンな<なかま>たち――地を這う20年を振り返って
p16
ただ、その一方で、活動がいつのまにかスケジュール的になったり、『病者』同志の≪なかま≫としての話よりも、政治主義的、闘争的な話が中心になったり、
と批判も目立つようになってきました。
そして、≪みんなの部屋≫を当番制にして、いつも誰かがいるようにしていこうという中で、ただ集まっていても時間を持てあますという意見が出てきまし
た。そして何よりも悲しいのは、どうしても日の丘荘でうまくやっていけず、他のアパートに越した二人の≪なかま≫が、相次いで不慮の死を遂げてしまったこ
とです。
p17
当初、作業所の運営には『病者』の『健常者』も、ともに≪なかま≫として一緒に活動していました。それゆえ多くの『病者』が消耗していったことも事実で
す。
しかし、この議論の中で、非常に激しい論議があり、その結果、古くからの前進友の会の≪なかま≫が何人か離れていったことも事実です。
その一方で、本来作業所の母体であった≪前進友の会≫の活動が相対的に低迷してしまいました。
「ここには、もはや友の会はなくなってしまった」「これでは作業所が九九で友の会が一や」と、離れていってしまった≪なかま≫もいます。そして『自殺』と
いう悲しい、本当に悲しい≪なかま≫との別れがたびかさなりました。『病者』と『健常者』との共同運営であったものが、いつのまにか『健常者』中心に作業
所を運営している現実に批判が飛び出しました。また、作業所に来るようになった新しい≪なかま≫の、「ここには金もうけのために来ているのだ」「重い人は
夏レクにつれてくるな」「運動というよけいなことはせんでいい」という発言に、古くからの友の会の≪なかま≫が傷ついたり、黙ってしまったりする現実も生
まれてきました。≪支えあって生きる≫のではなく、≪なかま≫の間で、「あなた支える人、わたし支えてもらう人」というように別れてきてしまったのも現実
です。
p61
差別といえば、患者会において、「内なる差別」の上に「女性差別」がある。男は、日本の社会では、家庭において役割をなさないようにつくられているもの
のようである。どうしても、会をやる場合、働くのは女の人といった風潮がある。「ごかい」では、よくこのことが問題にされ、私も、よくヤリダマにあがった
ものである。今は女の人、女の人に言われて動くのが男、という姿となった。女の人は、本来強い者であると思う。今の姿が、よりベターではないかと思う。
もう一つ、患者会にやっかいなものが、宗教やセクト
p62
である。いわゆる今の宗教では、「病気」とはいやなもの、業によるものとか、自分自身を差別する思想が含まれている。「病」者としてのホコリを持とうとす
る場合、それが災いして混乱することが、宗教をやっている「病」者にはある。社会変革の思想を持てなくする宗教は、私はキライだ。
セクトに関しては、昔「ごかい」は、苦い経験をした。ことばを言える「病」者、運動のできる「病」者を選別し、一本吊りする傾向が、セクト、政党には
あった。キチガイの言葉で語り、ハチャメチャな、タテマエとホンネのない運動をしていると、セクトや政党からは見放されるが、私たちはかえってそのほう
が、私たち重い「病」者のやりやすい運動となり、解放されやすいと思う。だから、セクトや政党が私はキライだ。
p67
ごかいは、いつの頃からか、健常者的なものをすごく拒否するようになった。いやなものは、いや。しんどいものは、しんどいのだ。だから、健常者の舞台に
も、最近は、あがらない。
p69
その他に、「病」者同士の憎しみあいの解決や、病状の重い人の介護もたいへんな闘いだ。ごかいでの生活も、並大抵ではない。多くの人が去っていった。
第二部 ここにも≪なかま≫がいる
p103
そして、組織のなりたちは、その症状の違い、性格の違い、癖の違いを、どう、一つの問題や意見にまとめるかということです。
おれらの患者会も、人がふえたりして、どう、とりまとめていくかが、問題になってくる。組織とはしょせん人の集まりだと、ひらきなおってみてもいいのであ
るが、もうひとつ、わりきれないものがある。それは、自分の意見や考えが反映されないということである。
「病」者一人一人の意見や、考えや、思いを、どう対処するかが問題である。一人一人を大事にしていては、組織としては成り立たないものであろうか、とい
う問題もある。
第三部 全国患者会歴伝
p118
さまざまな仲間が集まってくる。乱すものもくる。自分のまわりをガードした喋りにくい人もくる。たいがい喋ってくれたが、乱す仲間には困った。
ある泊って喋る会の時、仲間の女性が「私には分かっている。いやらしい目で私を見つめている」と朝食を取りながら、ミーティングしているときに、訴えが出された。みな、自分のことかと一瞬ドキリとした。突然ひとりの男が、女性に飛びかかろうとした。私は羽交い絞めにしてとどめた。女性は出ていき、その後の記憶はない。そのこと自体を討論したか、お茶を濁したか、一切記憶にない。おそらく解決を避けたであろう。性の問題は一泊すると出てくる。ある男の仲間が女性に飛びかかろうとしたのを、大声でどなりつけ、押さえつけ
p119
たこともある。外面は明るくつきあうことができた。内面はどろどろしたものがあったといえよう。私の心の中にも。
p122
しかし、組織化が何もなされていなかった。患者側の不満が、行き所がなくなっていた
週に一回の事務局会議の参加者が少なく、実質、目的を果たせなかった。
p123
そういう事に気付きながら、事務局で、希望の会での事実上医師の先導というか、山口氏の先導がハッキリ見えていた。患者が刃物を持って、山口氏を追いかけるという、とんでもない状況に入った。
私と、今は亡き高田君とで希望の会事務所にいき、「患者会は山口さんをケースワーカーと認められない」と、小さい声で言った。要旨はそれであったが、遠回しに言った。高田君が大きい声で叫んだ。山口氏が机をひっくり返した。
「そんなことしたら、話ができないじゃないか」と、高田君に向かって言った。そのあとの記憶がない。根底に“やられたらやりかえせ”という考えがあった。
p124
私と主治医は飲むように、鈴木は飲まないようにと来たのである。医者と薬を敵のように一貫して見ていた。鈴木が急に医者を殴ろうとした。私は興奮して(これが私の悪いくせである)叫んだ。「医者は薬を飲むようにきてくれたのだ」と三分ほど大きい声をだした。
鈴木は一言も答えないでニタニタしていた。そして「外へ出よう」と言った。私に殴りかかってきた。言葉で言えない正当性。薬を飲むことがやはり正しかったのだ。鈴木は何も言えず殴ってくるだけ。“やられたらやりかえせ”女友達は「殴ってきているのよ」と言った。私はただ、「鈴木は病気なんだよ」と答えた。
実際、暴力を振るうときは病気である。しかも仲間に。状況判断はできていない。腹が立ったらやりかえすしかない。殴られながら歩いていた。
p125
朝目をさますと、鈴木国男が、バットを持って私に向かっていた。一発フトンの上からワキ腹を殴った。私は大げさにうなった。それがいけなかった。さらに強
く打った。私はフトンの上に座った。ちょうど頭を打ってくださいといわんばかりであった。二回ほど打って、血がボトボトと落ちた。新聞紙で受けた。さらに
ぶたれた。
このあとも先も、鈴木は何も一言も喋っていない。無言で私をリンチした。部屋が二つあって、あとの二人の同居者には見えなかった。しかし鈴木は文化包丁
を持った。私はとっさに「いけない」と、ふところへ飛び込んだ。包丁は私の額に刺さり、折れた。
私が敵となっていたのだ。あんなに医者と患者の間の対立を取りのぞこうとした私にちって、医者は患者と一緒になれないと思った。
p133
しかし、トラブルもあり、相談員の山内さんと、「病」者の米田さんが、保安処分のことで言い争いになりました。「病」者の米田さんが、「病」者で犯罪を
犯した人は「病」者でない、そんな悪い人は、警察へ行くべきだと言ったのです。それにたいして山内さんは、そんな人達は、病気で犯罪を犯したのだから、精
神病院へという主張だったのですが、米田さんは、そんな人達を私達と同じように思ってもらっては困る、という主張でした。
米田さんが注意すると、米田さんが殴られ、それから会のムードがおかしくなり、一人二人と来なくなり、最後には二、三人しか来なくなりました。
それは、一つには、カトレア会の中で知り合った「病」者が、気の合うグループに分かれたということもあります。その中には、創価学会の会員の人達もい
て、しきりに折伏をする人達もいた。数が少なくなっても、それぞれグループ化したようです。
p134
それから、しばらくして辰井さんが、しばらく休会にすると皆に言ってきた。おさまらないのは皆である。運動の私物化だといって、猛反発だった。
p143
大々的に報道されて、「全精連」に加入する「患者会」もありますが、地域でコツコツと、地道に運動を展開している、「患者会」の個性について、重要視していません。「全国組織」ができたからいいという問題ではありません。
p144
「全精連」は、「病」者の「内にある差別性」について、自己変革について考えているのでしょうか。確かに、「健常」者社会によって、「病」者はいたるところで差別を受けていますが、「病」者の中にも、「軽度」とか「重度」というランクづけをしたり、「症状」の悪い「病」者を、キチガイとか狂っているという差別意識を持っています。
また、「病」者至上主義におちいるところなく、「病」者の相互批判と相互変革は大切で、「病」者を絶対化する必要はありません。
p145
ぼくはヒモつきの「患者会」には疑問を感じます。「全精連」とは、いつも壁を感じて、どこかの政党のような感じがしたことは事実です。
p160
でも最近はマンネリ化してしまって……。宗教のことが前面にでるようになってから、どうもむかしみたいな新鮮さに欠けるような気がします。
やっぱり宗教的な会報になっていくのかなあと心配です。
p161
私が行ったときはすごかったですよ。みんな沈んでいて、いやー、話ができないなっていう感じ。じわじわと寄ってきて、じわじわと散っていくといった感じで
す。
p164
そんな中で傷害事件が起きた。それ故に……とは、いまでも私は分らないが、解散となったのである。
p178
まず、NKについてですが、何故、彼女が更迭されたかというと、@地域活動を全くやる気が無い、A実名ではなく、ペンネームに固執している、B『病』者
組織に対する認識が決定的に希薄である、という三点につきます。KY、KMは、『NK排除は本田がやったことだ』と、あたかも自分たちには関係ないことの
ように言いふらし
p179
ていますが、これは全くのウソで役員会の正式な決定事項です。
次にKMについてですが、彼は『公文書偽造』の責任をとって、自ら辞任したと言うのが、正確な事実です。
最後に、KYについてですが、彼は、連合会準備会の段階から『家族会か患者会か、どちらかの立場を明確にして欲しい』と、ほぼ一年間打診し続けてきたに
もかかわらず、『家族会、患者会、双方の役員を兼務する』との姿勢を崩さなかったために、役員を更迭されたというのが、事実です。
p191
特に、あらたまったスローガンのようなものはありませんが、自分たちの思いを知ってほしい、しんどさを知ってほしいということです。通信も、そういう意
味あいをこめて出しているのですが、最近少し、色あいが変わ
p192
ってきました。なかなかうまくいきません。
会をやっていくのは、大変で、人が思うように集まりません。勉強会をやろうとしても、むつかしい、暗い、と言われて続かず、やはり薬の話にいちばん関心
があり、たくさん集まります。『レナードの朝』の鑑賞会さえ、暗いといって、途中で出て行く人もおり、まったくいやになってしまいました。
すばるとしては、少人数なので、もう撤退せざるをえないところまで来ているようです。結局患者会の理想を語りあうどころではなくなっているのです。よくて
も現状維持というところでしょうか。
◆「薬の使用」に該当する箇所の抜き書き
第二部 ここにも≪なかま≫がいる
p88
薬を飲んでいるので、体が重く、だるくてしょうがないです。
p92
「毎日薬を飲んでいると、妄想病だったとわかるようになります」と、医者は言います。はたしてそうでしょうか。最初から全くの事実であるのに、十万年薬を
毎日飲んでも、三文の得にもなりません。薬の副作用で、体が弱ってしまうだけです。
p94
その薬は飲むと眠くなるので、自分にあわないと思って、飲むのを止めてしまいました。
p95
その本に、「精神病の薬は薬効がはっきりしていない」と書いてあったし、アカシジアという、夜寝ようとすると、足がもぞもぞしてきて不愉快で眠れない、と
いう副作用が出だしたりで、薬を飲むのを止めてしまいました。
繰り返しますが、医者は、行くと、ただこちらの訴えを黙って聞いて薬を出すばかりで、病名も教えてくれず、その時、私が陥っていた状態に関する何の説明
もしてくれませんでした。もちろん、薬に関する説明や、副作用に関する説明も、いっさいなし。
p96
薬は、処方されたものを、強制的に飲まされました。食後、看護婦詰め所にみんな呼ばれ、順番に看護婦が薬の封を切り、中身を患者に手渡し、もう一方の手に水の入ったコップを持たされ、看護婦の目の前で飲むのでした。そういうシステムだったので、拒薬はまったくできませんでした。
幻聴の量は順調に減っていったのですが、またしても、アカシジアが出始めました。夜、寝ようと床に入ると、たちまち足がもぞもぞし始める……経験したこ
とのない人には、「くすぐったい」という表現で伝えるのが、感覚的に一番近いと思います。
そのたびに、「足がもぞもぞして眠れません」と訴えるのですが、院長は、「うん」とうなずくだけで、いっこうに薬は変えてくれず、とてもつらい思いをしま
した。退院してからは、たしか、夜の分だったと思いますが、薬を抜きました。それでも、幻覚はまったく現れなかったし、妄想も起きませんでした。この院長
が、いかに強すぎる薬を処方していたか、です。今でも、精神科医といわれる人々が、どれほど、病状とか、薬の効果、副作用(のつらさ)について、キチンと
把握しているか、そもそもそこのところに疑問を覚える私です。
p97
薬が強すぎて、歩くのがだるくてしかたがないのに、「寝てはいけない」「なにかさせなければならない」としてデイケアを強制してくるのは、誤りです。
p100
私は、昼は、ハロマンス100ミリグラムを、四週間に一度うってもらい、朝・夕の薬の中に、セレネース三ミリグラムが一錠と、フルメジン、コントミン五十
ミリグラム一錠、ピレチア二十五ミリグラムを飲んでいるのですが、なかなかよくなりません。
p107
なるほど、向精神薬によって、「症状」が抑えられるのは事実である。しかし、これは、たとえていえば傷口に包帯を巻くようなもので、だからといって、包帯
の下の傷がちつされるわけではない。
「精神病」の場合も同様である。薬物は、包帯の役割しか果たさず、むしろ、いつまでも包帯を巻いているのは、精神の自己治癒力を妨げ、傷つきやすさや脆さや依存心をそのまま放置してしまうことになりかねない。
その上、薬物の作用は、思考力や感受性を弱め、自分の「症状」に対する反省や自己洞察、自己問題解決力を低下させてしまう。つまり、回復力を宙吊りにさせてしまうのが、薬物の作用とみなしていいだろう。
確かに、薬物を用いるのは便利であり、「症状」を抑える上で効果的である。
p109
いずれにしろ、医師が「治療」において、安易に薬物に頼っている限りは、患者の回復は難しいだろう。
p124
私と主治医は飲むように、鈴木は飲まないようにと来たのである。医者と薬を敵のように一貫して見ていた。鈴木が急に医者を殴ろうとした。私は興奮して
(これが私の悪いくせである)叫んだ。「医者は薬を飲むようにきてくれたのだ」と三分ほど大きい声をだした。
p200
現代の精神医療は、外来が主体です。一般に薬物療法が行われています。しかし、薬を飲み続けることは、簡単なことではありません。薬の激しい副作用から
逃れようとして、あるいは、病気が治ったと錯覚する思いから薬を飲まなくなります。また病気であることを拒否する思いもあります。しかし、薬の服用を止め
た多くの場合は、再発、入院となります。
ですから、「西風の会」の唯一の約束は、「薬を飲もうよ」というものです。これは、医療機関との正常な治療関係にあるということ、自らを精神障害者と認
めていることを意味しています。
私は、彼らに、私の飲んでいる薬を見せます。彼らは「まっこと、こりゃ大変だ」と思うようです。そして、私が、それを飲みながら社会の中で生きているの
を見て、薬を飲み続ける人も多いようです。
p203
薬を飲む理由は、@病気の知識を持つ、A治療側と良い関係を持つ、B病状悪化を防ぐ、と説明されています。