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Real Freedom for All

What (If Anything) Can Justify Capitalism ?

Oxford Univ Pr, 330p. ASIN: 0198293577


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訳書についての頁(こちらをご覧ください)

■Van Parijs, Philippe 1995 Real Freedom for All-What (if Anything) Can Justify Capitalism? Oxford University Press=後藤 玲子齊藤 拓 訳 20090610 『ベーシック・インカムの哲学――すべての人にリアルな自由を』,勁草書房,494p. ISBN-10: 4326101830 ISBN-13: 978-4326101832 \6000 [amazon][kinokuniya] ※

■原著

Van Parijs, Philippe 1995 Real Freedom for All: What (If Anything) Can Justify Capitalism?, Oxford Univ Pr, 330p. ASIN: 0198293577 [amazon] ※,

Book Description
Capitalist societies are full of unacceptable inequalities. Freedom is of paramount importance. These two convictions are widely shared across the world, yet they seem to be completely contradictory with each other. Fighting inequality jeopardizes freedom, and taking freedom seriously boosts inequality. Can this conflict be resolved? In this ground-breaking book, Philippe Van Parijs sets out a new and compelling case for a just society. Assessing and rejecting the claims of both socialism and conventional capitalism, he presents a clear and compelling alternative vision of the just society: a capitalist society offering a substantial and unconditional basic income to all its members. Not just an exercise in political theory, this book goes on to show what his ideal of a free society means in the real world by drawing out its policy implications. It will be essential reading for anyone concerned about the just society and the welfare state as we move into the twenty-first century.

■目次

1. Capitalism, Socialism, and Freedom
2. The Highest Sustainable Basic Income
3. Undominated Diversity
4. Jobs as Assets
5. Exploitation versus Real Freedom
6. Capitalism Justified

■cf.

◆2006/07/07 Workshop with Professor Philippe Van Parijs
◆ベーシックインカム
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/d/b03.htm
この本についてのメモ(立岩)



 
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 *以下は、齊藤の訳稿に対する立岩のコメント。不要になったので近日中に削除します。
 Parijs, Philippe Van かと思ったのですが、ご本人の文献表がVan Parijs, Philippe となっていますので→Van Parijs, Philippe



◆第1章 資本主義、社会主義、そして自由 Capitalism, Socialism, and Freedom

◆第2章 持続可能瀬な最高水準のベーシック・インカム The Highest Sustainable Basic Income

2.1 ひとつのラディカルな提案

 「ベーシック・インカムとは、(1)その人が進んで働く気がなくとも、(2)その人が裕福であるか貧しいかにかかわりなく、(3)その人が誰と一緒に住んでいようとも、(4)その人がその国のどこに住んでいようとも、社会の完全な成員すべてに対して政府から支払われる所得である。」(p.35/5)
 「完全な成員すべて」each full member of society

2.2 無条件性と実質的自由

2.3 安定性

2.4 現物か、現金か?

2.5 一括分与か、定期給付か?

2.6 実質的自由の尺度は何か?

0615○「…次のようなストーリーでシンプルに…」(p.49/)→「最も単純なかたちでは、次のような筋の」等

2.7 競争的な価格設定、機会費用、無羨望

2.8 体制間での実質的自由の比較

◆第3章 優越なき多様性 Undominated Diversity

0624○「考慮」(p./1)△

3.1 拡張されたオークション

 「金銭を稼ぐ能力の高い人を奴隷化する」という論

 「人々の才能に反比例させるかちで格差付けされた所得移転のシステムこそが、明白ではるかに妥当なオルタナティブなのではないか?」(p./3)
 これ問いに著者は「そうでない」と答えることになる。これはBIを否定することになるというのだ。
 ……〔ちなみに、私は両方を支持しない。なぜ「そうでない」のかを考える必要がある。〕

 「いかなる厚生の尺度も志向することなく、同時に単なる外的賦与の尺度を越えるような、擁護可能な分配的正義の基準を導出することはできるのか?」(p./3)
 この問いに対して著者は「できる」と答えることになる。
 「例えば、一部の人がもつような高価な嗜好を許しはしないが、能力の劣る人の特別なニーズには配慮するような外的賦与の一貫した方法」
 「才能のオークション」の紹介→ その不具合の指摘 というふうに論は進む。

cf.Dworkin, Ronald 1981 "What is Equality? Part 1: Equality of Welfare"
 Philosophy & Public Affairs 10:185-246
 reprinted in: R. Dworkin, Sovereign Virtue. The Theory and Practice of Equality, Cambridge: Harvard University Press 2000, pp.11-64.
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/dw/dworkinr.htm

0615○「本章では」(p.61/3)→「本章は」(あるいは「本章で私は」等)
0615○「もっともarticulateな議論」articulate attempts(p.61/3)→「もっとも論理の明瞭な幾つかの試み」
0626○「知的デバイス」(/3)△
0626○「羨望を悪化させる」(/4)△
0626○「すなわち、衡平…」(/4) この文、不分明
0626○「しないと――(…)――と」(/5)→「しない――(…)――と」
0626○「同じに扱う手続きでは」(/5)→「同じに扱う手続きによっては」

3.2

 ラブリーとロンリーの話
 ロンリー:「彼女はその平均以下の才能のおかげで、彼女の稼得能力を平均まで押上げてくれる一括補助金を受け取るのである。」(/)

 第2のケース:容姿が稼得能力に結びつかない。ので、収入は同じ。しかし、ロンリーは不利。これはオークションでは解決されない。からよくない。[それはそうだとしよう。 しかし後に述べられることはこのことについての解決を与えているだろうか。]

3.3 無知のベールの…

 Dworkin, Ronaldの話。
 「ドウォーキンは、ラブリーがモノのように扱われているとか、彼女の自己所有が侵害されているとかいう理由で拡張されたオークションに反対しようとはしたがらない。というのも、そのような反対は、「平等とは別の何かに基礎を置く先・政治的な概念に」依拠しており、よく考えれば「資源の平等の制度的根拠とは合致しないからである。」(/6)
 [著者もこの立場に同意しているのだろう。このことは意外と大切であるように思われる。]

 「より多くの天賦の才能をもっていることの結果としてより少ない余暇を強制される人が存在してはならないことも要請されねばならない。」(/6)

 「各個人は、自らがどのような内的賦与を持っているかについては無知である」(/6)
 [問題はこの仮定の位置づけ]

 [問題は所得/余暇の選好…の問題なのか]

0615○「気にしているはずだということは自明ではない」(/6)△
0615○「コミットしない」(/6)△
0615○「余暇を使うためにもつ嗜好」(/6)△
0626○「羨望テストは拡張されたオークションでは満たせない」(/6)△
0626○「資源を理解する際に」(/6)△
0615○「われわれの例の…」→「けれども(Once)われわれの例の」(p.65/6)
0626○「バイアスを放逐」(/6)△
0615○「とどめておかねばならないことを要請される」→「とどめておくことを要請される」(p.66/6)
0626○「保険量」(/6)△
0626○「担保されるようなかたちで」(/6)△
0626○「真正のものであるかを見分ける」(/7)△→「真正のものかどうかを見分ける」
0615○「当てはまるいくつかの理由」(/7)△
0626○「稼得能力の高さを選択」(/7)△
0626○「ネットの」(/7)△
0626○「羨望テストは満たされている」(/7)△


3.4 ドウォーキンに対する四つの反論(p.68/)

 「人々は自分の選好に対する責任を保持すべきであり、ゆえに、その才能と嗜好とのあいだにギャップがあったからといって、同じ才能を持つ他人よりも多くを受け取れると正当に期待することなどできないのだ、という原理から明白に逸脱している」(/8)

0615○「嗜好からも……才能からも……無関係」(/8)→「嗜好とも……才能とも……無関係」
0615○「左手に麻痺を持っている」(/8)→「左手に麻痺がある」
0615○「欲求を発展させてしまっている」(/8)△
0626○「を否定できる見込みはほとんどない」(/9)△
0626○「厚生の平等は、非常に限定的であるが」(/9)△
0615○「研究目的」the task(/9)△
0626○「嗜好に対する敏感さ」の「敏感さ」△(/10)△
0626○「本質的に享受する」の「本質的に」△(/10)△
0626○「外的賦与における飽満」」△(/10)△


3.5 アッカーマン提案の一般化

 ここが筆者の積極的な提案の部分になっている。
 「各包括的賦与――すなわち、内的賦与プラス外的賦与――ペアを比較していずれかの賦与を他よりも選好する人間が少なくとも一人あらわれた時点で、この手続きは停止する。」(/12)

0626○「基準は…実行される」」△(/11)△
0615○「内的賦与を優越している」(/11)→「内的賦与に優越している」
0626○「見つけることが依然として可能であるとしても……見つけるのは容易であろう」の「であるとしても」△(/11)△
0626○「大部分によって優越されている幅広いカテゴリーの人々」△(/12)△
0615○「べきだろう?」(/12)→「べきだろうか?」
0626○「充当するということができる」の「ということができる」△(/12)△
0626○「ことはない。この手続」(/12) 間に「では」などいれる?△
0626○「レキシコグラフィックに悪い」△(/12)
0626○「不利というものは」△(/12)→「不利は」
0621○「しかしながら、満場一致で認められた諸要件を越えて[つまり、それらの要件を満たすことなく]、ある人がお金を稼ぐことにおいて劣っているという事実[だけ]によって、われわれの優越なき多様性の基準に基づいて、所得移転が正当化されること全くないのだ――むろん、(多様な社会においてはよくあるように)お金を稼ぐという点では彼女よりも勝る人々が、少なくとも一人の人間によって決定的に重要であると判断されるような他の一側面においては彼女よりも劣っているならばであるが」(/13)

「しかし、われわれの優越なき多様性の基準に基けば、満場一致で認められた諸要件を越えて[つまり、それらの要件を満たすことなく]、ある人がお金を稼ぐことにおいて劣っているという事実[だけ]によって所得移転が正当化されること全くない――むろん、(多様な社会においてはよくあるように)お金を稼ぐという点では彼女よりも勝る人々が、少なくとも一人の人間によって決定的に重要であると判断されるような他の一側面においては彼女よりも劣っているならばであるが」(/13)


 なにがどうにもおかしいのか。幾重にもおかしな気がする。


3.6 過小な再分配?

 「以上に照らして、まずわれわれの基準ではあまりにも小さな再分配しか正当化できないという反論を検討することにしよう。一人の風変わりな人が盲目とは神の恩寵であると考えるだけで、盲目の人に対して補償が要求されることを停止させるに十分なのである。この論難に対処するには、問題となっている選好表が真正のものでなければならないこと、さらに、当該社会の人々にとってともかく利用可能でなければならないこと、これらを強調することから始めるべきだろう。」(/13)(風変わりな=queer 選好表=preference schedules 当該社会の人々にとってともかく利用可能=somehow available to the people concerned)

0621○「選好表が…利用可能でなければならない」(/13)の「利用可能」△
0626○「ある人が思いつくであろう一部の風変わりな人々」(/13)△
0626○「第二の実例として、次のように想定されたい」(/13)△

3.7 オルタナティブな戦略

0615○「選好表」preference schedules→「選好の一覧」?(p.80/16)
0626○「追及」→「追求」(/17)

3.8 過大な再分配?

0626○「センの関心や(…)」(/18)→「センの関心(…)や」
0626○「遭遇する」(/18)△

付録1 ローマー対ドウォーキン

0615○「はじめに」(p./19)→(「まず」)
0615○「「ドウォーキンが…」→「「ドウォーキンは…」(p./19)△
0615○「最終的な保険構想」catastorophe insurance(p./19)→「大惨事にそなえた保険」?
0615○「モデルにおける」(p./19)→「モデルにおいて」
0615○「最小効用である、と」(p./19)→「最小効用だと」
0615○「一連の人生」(p./19)△
0615○「困惑的な」(p./19)△

◆第4章 ジョブ資産 Jobs as Assets

0615○表題「ジョブ資産」より「資産としてのジョブ」の方がよいのでは?
0615○「ジョブ」job→(ここで言われていることからしても)「職」でよいのでは?

◆第5章 Exploitation versus Real Freedom

◆第6章 Capitalism Justified


0615○「資源バンドル」は「資源の束」でよいのでは。

 ……

■メモの残余 とくに第3章

 「内的賦与」の差異の扱いの「軽さ」は奇妙な感じがする。内的賦与が違うからこそ――それが唯一の原因でないとしても――格差が生ずるのではないか。また政策的介入が求めらるのではないか。

 問題は2つ示される。

 1)多く働かせるというのである。
 →これはよくないと言えるだろう。それはなぜよくないのか。(働くことができ、貢献できるからといって)余計に働かせられるのは不当であるということ、別言すれば、働くのであれば同じぐらいがよいということである。だから、自分でよけいに働きたければ別だけれども、ここであげられている場合のように働かせられるといった場合は、不当でないように、働く時間をおむねそろえるようにすればだけのことではないか。
 →別文書へ

 2)稼得能力に反映されない内的賦与における不利が解消されないというのである。

 しかしなぜ皆が認めねばならないのか。(もちろん実際に聞いてまわるわけではないのたがら、これは事実問題ではない。)
 状況によるだろう。ベーシックインカム後だということ。だから、最低限の生活のために、失明を選ぶことはないということになっているわけだ。として…

 著者に限らないのだが、嗜好や厚生の扱い方が奇妙だ。…

・職が資産であるという把握(第4章)には同意。
・ただこれが、無条件の給付を正当化するかどうかは要検討(たぶん十分でない)。
・第3章は、「なんだかへん」だと思えるのだが、考えるのが面倒。しかし少し考えてみるか。

 なぜ「厚生の平等」ではいけないのか。「高価な嗜好」が問題だから、と書いてあるように読める(3.1)。しかし、「高価な嗜好」が問題であることは、「厚生の平等」がいけないことを直接には帰結しない。「高価な平等」が問題であるとして、それはそれとして対処できればそれでよいとも言えるはずだ。(『自由の平等』ではそのようなことを言ったはずだ。)
 不利な人が過大な要求をすることができる。
 「拡張されたオークション」(  )。それはよくないということになる。

 内的賦与の移転自体は それが内的なのであるから、そもそも不可能である。(むろんこのことは認められているのだが。)

 第3章での議論はよくわからない。
 (内的賦与以外の何によって格差が生ずると考えているのだろうか?)


 内的賦与(によって取得できるもの)が20の人がいる。30もらえる 合計50
 内的賦与(によって取得できるもの)が80の人がいる。30しはらう 合計50
 それに対して、一つにはそれで問題ないという。
 何がいけないのだろうか?
 いけないと言うのだ。どうしてか?。ロンリーは余暇を選好するという仮定。

 「厚生の平等」の退け方はそれでよいのか?→厚生の平等が大切であることと ある場合にそれで測定すべきでないこととは両立する。

 なぜ「厚生の平等」ではいけないのか。「高価な嗜好」が問題だから、と書いてあるように読める(3.1)。しかし、「高価な嗜好」が問題であることは、「厚生の平等」がいけないことを直接には帰結しない。「高価な平等」が問題であるとして、それはそれとして対処できればそれでよいとも言えるはずだ。(『自由の平等』ではそのようなことを言ったはずだ。)
 不利な人が過大な要求をすることができる。
 「拡張されたオークション」(  )。それはよくないということになる。

 内的賦与の移転自体は それが内的なのであるから、そもそも不可能である。(むろんこのことは認められているのだが。)

 第3章での議論はよくわからない。
 (内的賦与以外の何によって格差が生ずると考えているのだろうか?)


 内的賦与(によって取得できるもの)が20の人がいる。30もらえる 合計50
 内的賦与(によって取得できるもの)が80の人がいる。30しはらう 合計50
 それに対して、一つにはそれで問題ないという。
 何がいけないのだろうか?
 いけないと言うのだ。どうしてか?。ロンリーは余暇を選好するという仮定。

 「厚生の平等」の退け方はそれでよいのか?→厚生の平等が大切であることと ある場合にそれで測定すべきでないこととは両立する。


UP:20060614 REV:20060706, 20090623, 0725
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