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『ホモ・サケル――主権権力と剥き出しの生』

Agamben, Giorgio 1998 1996 Mezzi senza fine, Torino, Bollati Boringhieri
=20000520 高桑 和巳訳,以文社,161+7p.

last update: 20150222

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Agamben, Giorgio 1995 Homo Sacer: Il potere sovrano e la nuda vita, Einaudi=20031001 高桑 和巳 訳,上村 忠男 解題,『ホモ・サケル――主権権力と剥き出しの生』,以文社,283p. ISBN:4-7531-0227-0 3500 [amazon] ※

■内容説明[bk1] 近代主権論の嚆矢カール・シュミットの「例外状態」の概念を、アーレントの「全体主義」とフーコーの「生政治」の成果をふまえて批判的に検討、近代的主権の位相をとらえた画期的な政治哲学。現代政治の隠れた母型を明かす。

■著者紹介[bk1] 〈アガンベン〉1942年ローマ生まれ。現在ヴェローナ大学教授。著書に「中味のない人間」「人権の彼方に」「アウシュヴィッツの残りのもの」ほか。

■著者・出版社コメント[bk1] 内容紹介 以文社 2003/09/17
[訳] 高桑和巳
[解題]上村忠男「閾からの思考――ジョルジョ・アガンベンと政治哲学の現在」
  アガンベンの仕事は、以文社既刊の『人権の彼方に』によって、9・11以後の世界政治が大きく変転しはじめたことと相俟って、静かな、しかし熱いまなざしで受容されつつあアガンベンの仕事は、以文社既刊の『人権の彼方に』によって、9・11以後の世界政治が大きく変転しはじめたことと相俟って、静かな、しかし熱いまなざしで受容されつつあります。本書はアガンベンの主著『ホモ・サケル』の翻訳です。前著によって示された「例外状態と剥き出しの生」について、ホモ・サケル(聖なる人間=剥き出しの生)の形象を追跡しつつ、主権的決定の現場に迫る魅力的な議論を展開しているばかりではなく、カール・シュミットの「例外状態」の概念を、ハンナ・アーレントの全体主義とミシェル・フーコーの生政治に立って鍛え直した刮目すべき書です。「剥き出しの生」の形象は、もはやアウシュビッツのみならず、今日のわれわれの日常にすでに馴染みになっています。
 著者:ジョルジョ・アガンベン
  1942年ローマに生まれる。現在ヴェローナ大学教授。主としてヴァルター・ベンヤミンの思考に寄り添いながら哲学・美学・詩学などを横断的に問い直す仕事を展開してきたが、1990年代に入り、そうした仕事を出発点として、現代政治を直接的に問いの対象としはじめる。本書は《ホモ・サケル》と総題されたプロジェクト三部作の第一部をなす。第二部は未完であるが、第三部が『アウシュビッツの残りもの――アルシーヴと証人』(月曜社)と題して訳出されている。

■目次


第一部 主権の論理
 一 主権の逆接
 二 ノモス・バシレウス
 三 潜姿勢と法権利
 四 法の形式
   境界線

第二部 ホモ・サケル
 一 ホモ・サケル
 二 聖なるものの両義生
 三 聖なる生
 四 ウィタエ・ネキスクエ・ポテスタス
 五 主権的身体と聖なる身体
 六 締め出しと狼
   境界線

第三部 近代的なものの生政治的範例としての収容所
 一 生の政治化
 二 人権と生政治
 三 生きるに値しない生
 四 「政治、すなわち人民の生に形を与えること」
 五 VP
 六 死を政治化する
 七 近代的なもののノモスとしての収容所
   境界線

翻訳者あとがき
人名索引

■言及

加藤 秀一 20070930 『〈個〉からはじめる生命論』,日本放送出版協会,NHKブックス1094,245p. ISBN-10: 4140910941 ISBN-13: 978-4140910948 1019 [amazon] ※ b
 「剥き出しの生を政治の圏域に含みこむということが主権権力の――隠されているとはいえ――そもそもの中核をなしているということである。さらに言えば、生政治的な身体を生産することは主権権力の本来の権能なのである。この意味で、生政治は少なくとも、主権による例外化と同じほど古くから存在している。([200]に引用されているAgamben[1995=2003:14])
 「その分析は、われわれが追い求めてきた倫理の問いにとって重要な示唆を与えてくれるものだ。なぜならアガンベンは、それがあくまで生命をめぐる「政治」の要素であって、決して「倫理」の問いではないことを指摘しているからだ。」([201])
 「現時点ではひとまず「生きられるに値する」とされたものも、比較対象との関係が変わればたやすく「値しない」グループへとすべり落ちるにちがいない[…]そして、そうしたことすべてを根底で支えているのは、「生命」という平板な観念が人間のすべてを覆ってしまったという事実にほからない。」([204])
 「何より<0205<重要なのは、彼が「政治」と「倫理」を敢然と峻別していることである。
 ナチズム前夜に出版されビンディングとホッヘの共著『生きられるに値しない生の抹消の認可』がヒトラーの障害者に対する安楽死政策に与えた影響を論じる文脈で、アガンベンは次のようにいっている。
 ▽「生きられるに値しない生」は明らかに、個人の期待や正当な欲望に関わる倫理的概念ではない。むしろそれは政治的概念なのであり、そこで問題になっているのは、主権権力によって基礎とされるホモ・サケルの殺害可能で犠牲化不可能な生が極端に変容したものである。(Agamben[1995=2003:206])△
 これを受けて、さらにアガンベンは続ける。「近代の生政治においては、主権者とはありのままの生の価値や無価値に関して決定する者である。」(Agamben[1995=2003:196])――この一節を目にするわれわれは、かつて創成期の生命倫理が「誰が生き、誰が死ぬかを決定する」とされ、その任務を担う「倫理委員会」が「神さま委員会」という憮然たる揶揄を向けられたことを想起せずにはいられない(香川[2000])」([205-206])  *Binding, Karl.;Hoche, Alfred 1920 Die Freigabe der Vernichtung lebensunwerten Lebens: Ihr maB und ihre form, Felix Meiner, Leipzig=20011126 森下 直貴・佐野 誠 訳『「生きるに値しない命」とは誰のことか――ナチス安楽死思想の原典を読む』,窓社, 183p.ISBN:4-89625-036-2 1890 [amazon][BK1]
*香川 知晶 20000905 『生命倫理の成立――人体実験・臓器移植・治療停止』,勁草書房,15+242+20p. ISBN:4-326-15348-2 2800 [boople][amazon][bk1] ※


UP:UP:20031117 REV:20071106 20150222  
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