『メディア時代の文化社会学』
吉見 俊哉 19941209
メディア時代の文化社会学, 新曜社, 330p. \2800
■吉見俊哉 19941209 メディア時代の文化社会学, 新曜社, 330p. \2800 ISBN-10: 4788505061 ISBN-13: 978-4788505063
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■紹介
内容紹介
電話、テレビ、パソコン、メディア・イベントなど、メディアは日常的な親近性をもってわれわれの感覚のレベルの浸透してきている。生活意識や感覚を無意識に変容させるメディアの多元的な様相と、その諸相へ個々人がインターフェースする情報空間のドラマ。
内容(「BOOK」データベースより)
メディアの多元的なディスクールと、その諸層へ個々人がインターフェイスする情報空間のドラマ。
内容(「MARC」データベースより)
新しい電子的ないしは映像的な諸メディアに媒介された現代の様々な文化変容の輪郭を、広い意味で社会学的と呼べる様な日常意識と歴史過程、生活世界とシステムが交差する地点において浮かび上がらせる。
■目次
序章 メディア時代の文化社会学
1 メディア時代とアメリカ社会学
2 メディア時代と芸術・文化理論
3 ソシオロジー・カルチャーズ
4 本書の意図と構成
T メディア変容と電子の文化
1 マクルーハンと電気の文化
メディアはメッセージ?
電気メディアと感覚秩序の再編
2 場所の空間/電子の空間
ノー・センス・オブ・プレイス
電子メディアと対面的状況
3 電子的ディスクールの位相
二次的な声の文化の形成
情報様式としての電子文化
4 電話の浸透と生活空間の変容
家庭に侵入する電話
街頭に拡散する電話
5 電話回線のなかのリアリティ
伝言ダイヤルのリアリティ
回線のなかを生きる身体
6 メディア変容と電子の文化
II 歴史のなかのメディア変容
1 活字テクノロジーと文化変容
グーテンベルグの銀河系を超えて
印刷術と<近代>の誕生
出版資本主義と<国民>の起源
<読む>ことの文化的実践
2 音響メディアの歴史的形成
メディア変容と文化的実践
<劇場>としての電話
<速記>としての蓄音機
<無線>としてのラジオ
3 電気メディアとしての電話
テレフォン・ヒルモンドの実験
有線放送電話と農村コミュニティ
4 電気メディアとしてのラジオ
アマチュアの無線ネットワーク
大正のアマチュア無線研究家たち
5 電子テクノロジーの社会的構成
電気の<劇場>/電気の<手紙>
テクノロジーと社会の弁証法
複製技術と<聴く>ことの実践
III 情報化とメディア・イベント
1 儀礼研究の対象としての近代
2 儀礼としてのメディア・イベント
3 メディア・イベントとしてのオリンピック
4 人類学的パースペクティヴを超えて
VI 広告化するリアリティ
1 言説戦略としての広告
2 製品から自己イメージへ
3 <現在>の言説としての広告
4 広告環境の拡大と芸術の変容
V 現代都市の意味空間
1 一九一〇‐三〇年代の浅草と銀座
2 一九六〇‐八〇年代の新宿と渋谷
3 <求心化/遠心化>の力学の解体
4 <差別化/同質化>の再編論理
5 都市化を構成する二つの局面
VI コミュニケーションとしての大衆文化
1 権田保之助と民衆娯楽研究の視点
民衆芸術論から民衆娯楽研究へ
権田保之助と娯楽地「浅草」
2 思想の科学研究会と大衆芸術研究の視点
限界芸術論の視点と大衆芸術
大衆芸術研究の展開と成果
3 社会戦略的な場としての大衆文化
現代日本と大衆文化の多層的構成
大衆文化における基層の無意識
コミュニケーションとしての大衆文化
終章 上演論的パースペクティヴの射程
1 演技的人間像の諸潮流
演じる人間/演じる社会
演技のなかの自己
社会のなかの演技
2 社会学上演モデルの展開
ゲーム、ドラマ、テクスト
ゴッフマンと演技する自己
ゴッフマン社会学を超えて
3 人類学的上演モデルの展開
ターナーとリミナリティ/リミノイド
ギアーツと劇場型権力
4 社会のドラマトゥルギーに向けて
人類学的上演モデルと現代社会
ドラマトゥルギー論の射程
注
あとがき
■まとめ・引用等
太字見出しは作成者による
「……<00xx<……」のような表記は、複数ページにわたる引用のページの切れ目を表わす。「……<0022<……」ならば、先の……部分は22ページ、後の……部分は23ページ。
アウラの複製
現代の文化産業が、各種の複製技術によって芸術作品のアウラまでをも大量に生産していることは明らかである。本書もまた後章で、メディアによる文化の機械的な複製と文化の儀式性が必ずしも背反しないことを強調していくことになろう。もちろんベンヤミンも、映画界が「アウラの消滅に対抗するために、スタジオのそとで人為的に<パーソナリティ>をつくりあげ、映画資本を動員してスター崇拝をおしすすめる」ことを認めてはいた。しかしながら、そもそも芸術や文化のアウラは、複製技術に媒介された文化の構成から離れた地点に成立していたのであろうか。たしかに、「いま」「ここに」しかないという作品の一回性や、それを取り巻く身体や場所の固有性と、「いつでも」「どこにでも」あるという複製技術があまねく行き渡った世界のなかでのありようとは、区別して考える必要があるかもしれない。だが、後者の場合においてもなお、われわれはある種の「いま」「ここに」という感覚の存在を認めることができるのである。(p.19)
現代の儀礼性とメディア
二〇世紀半ばまでに全地球を覆ってしまったかのように見える現代の情報環境は、けっして文化の儀礼性を排除したり、消失させたりはしなかった。むしろさまざまな情報メディアが、そうした社会の儀礼性を再組織し、そこに地球規模の膨大な観衆を巻き込んでいったのである。だが、このような現代のメディアに媒介されたアウラの創出を、伝統的な社会におけるアウラや儀礼の分析と同じような仕方で捉えていくことはできな。現代においては、儀礼の論理と資本の論理、あるいは仮構された一回性とメディアの複製性は、たがいに切り離せないような仕方で融合しており、こうした融合のされ方のなかにこそ、おそらくは現代という時代のリアリティの秘密があるのである。(p.37)
マクルーハンとメディア
もちろん、マクルーハンのいう「メディア」とは、テレビや電話や書物といった装置のレベルだけを指すのではない。マクルーハン的メディア概念からするならば、それら装置に含まれる電気音や電気光や活字もまたメディアである。実際、彼は「メディアはメッセージである」という主張を説明するなかで、電気光のメディアとしての重要性に言及している。電気光は通常「内容」をもたないために、コミュニケーション・メディアであることに気づかれない。電光掲示板のように何らかの商品名を照らし出してはじめて、人びとは電気光をメディアとして扱うのだ。だがその場合でも、注目されるのは電気光そのものではなく、照らし出されたメッセージのほうである。ところが電気光は、電光掲示板がメディアであるのと同様、それ自体メディアなのである。このように考えるなら、メディアとは、いくつかのレベルを重層的に含んだ概念ということになろう。まず、われわれは絵具や活字、電気音、電気光といった記号表現の質料をメディアと呼ぶことが<0043<ある。また、テレビや電話、ラジオ、書物といった、質料としてのメディアを受容・再生させる装置としてのメディアが存在する。さらに、そうした諸装置が社会的に編成されたシステムとしてのメディアのレベルを考えることも可能である。しかしながら、このいずれのレベルにおいても、メディアは、メッセージそのものではさしあたりはありえない。メッセージには、メッセージの形式が不可欠であり、この形式は、記号の論理、とりわけ言語の論理に基づいている。そして、この記号的な形式性とメディアの物質性は、原基的な言語活動の場において交差することはあっても、さしあたりは異なる次元に属しているのである。(pp.43-44)
マクルーハンによれば、活版印刷の普及により、「経験を連続体として線形に把握していく習慣」の常習化が進み、視覚による経験の均質化が、五感が織りなす複雑な感覚複合を背後へ押しやっていく。「視覚的に構成された世界は、統一され、均質化された空間の世界である。そしてこのような世界は話し言葉がもつ複数の要素が共鳴しあう世界とは無縁のもの」なのだ。ところが十九世紀以降、電気メディアは、こうした線形性と視覚の優位を再び逆転させてしまう。いまや口承的な形式が再び優位を占め、活字時代に獲得された固定的な視点を保ち続けることが難しくなる、とマクルーハンは主張するのである。(p.47)
オングと言語表現のメディア
オングは、マクルーハンよりはるかに厳密なやり方で、言語表現のテクノロジーとわれわれの集団的思考がどれほど深く結びついているかを説得的に示した。彼は、メディアの発展史を、(1)口承的(oral)、(2)筆記的(chirographic)、(3)活字的<0054<(typographic)、(4)電子的(electronic)という四つのモードが積み重なってきた過程として把握する。彼の議論の要点は、メディア変容を、表現手段の変化というにとどまらず、われわれの思考や記憶の様式、世界観を根底から変えてしまう構造的な契機として捉えている点である。(pp.54-55)
ポスターの電子メディア論
ポスターが新しいのは、彼が、電子的な言説秩序を、文字的なそれとはもちろん、口承的なそれとも決定的に異なるものとして捉えている点にある。たとえば彼は、電子的なコミュニケーションの特徴として、次の三点を指摘する。第一に、電子的な会話には、通常の意味での文脈が欠落し、そのことによって新しい発話状況が発生する。言語が常に文脈に依存し、語の意味が発話の場から生じる以上、電子メディアは日常生活の物質的限界とは無関係に生じる新しい発話状況を導き入れるのだ。第二に、電子の会話は、主として独白的であり対話的ではない。だがこのことは、必ずしも視聴者の受動性を意味するものではない。第三に、こうしたモノローグ的で脱文脈的な電子の会話は自己指示的である。「言語/実践が、対話によって社会関係が再生産される安定した文化における日常生活の対面状況的文脈から離れれば離れるほど、言語はそうした特徴を言語自身の中から生成し複製しなければならなくなる」。(p.59)
印刷術と文化変容
こうして印刷術が開いていった新しい知識の蓄積と流通、編集のシステムは、一言でいえば<近代>と総称できるような十六世紀以降の不可逆的な文化変容を可能ならしめていった。アイゼンスタインも、ルネサンスと宗教改革、科学革命が、印刷術の普及を不可欠の前提条件としていたことを強調している。たとえば宗教改革の場合、ドイツの貧しい修道士の言説が、辺境の異<0084<端運動で終わらずに、キリスト教会を根底から揺るがす分裂を導いていったのは、何よりも宗教論争の形式が、印刷術がもたらした新しい広報技術によって決定的に変化してしまったことに基づいていた。実際、この修道士マルティン・ルターは、印刷メディアのもつ決定的な力を熟知していた。彼は、印刷業者のためにラテン語とドイツ語で本を編集した経験があったし、ドイツの書籍市場についての鋭い勘を持ち、各国語の著作がもつ市場的可能性にも気づいていた。こうしてこのテレビ説教師ならぬ印刷説教師の手になる大量のパンフレットや小冊子、ドイツ語聖書が、キリスト教のコミュニケーションの基盤を変容させていったのである。(pp.84-85)
印刷術と出版資本主義
アンダーソンによれば、出版資本主義は、ラテン語の下位、口語俗語の上位に、活字コミュニケーションの統合的な場を創造していった。印刷術の発明以来、出版業者たちは、初期の資本主義的企業としてあくなき市場追求の衝動に突き動かされていた。この資本主義的論理からするならば、エリートたちのラテン語市場が飽和してしまったなら、俗語しか話さない民衆の巨大な市場が手招きすることになる。とはいえ、民衆の日々の生活を織りなしていた口語の多様性はあまりに大きく、それらのひとつひとつを出版語の単位としていたなら、市場としてはきわめて小規模なものしか望めなかった。こうしたなかで出版資本主義は、文法と統治法の許す範囲内で親縁関係にある俗語を統合し、新たな書籍市場として魅力のある少数の固定された出版語=国語の市場を創出していったのである。想像の共同体としての国民を出現させていったのは、「生産システムと生産関係(資本主義)、コミュニケーション関係(印刷・出版)、そして人間の言語的多様性という宿命性のあいだの、なかば偶然の、しかし爆発的な相互作用であった」。(p.88)
実際、印刷術は、十五世紀の西欧に突然、天才グーテンベルクの閃きによって誕生させられたわけではない。印刷術の登場が、まず何よりもヨーロッパへの紙の伝播と普及、絵画用の油のインクへの応用、活字として使用可能な合金や活字母型を彫る技術の開発、調整のきく活字鋳型の発明など、さまざまな技術的発展を前提に、これらの新技術を組み合わせることのなかから誕生したものであることは、リュシアン・フェーブルとアンリ=ジャン・マルタンの古典的研究をはじめ、これまでも繰り返し強調されてきた。印刷術は、それを可能にし、また必要ともした西洋中世の社会文化的な磁場のなかで発見されていったのである。(p.89)
技術的変化と文化変容
印刷術に対するシャルチエの視座は、マクルーハンとは対極に位置している。マクルーハンが徹底して技術的変化を説明変数に、文化変容を従属変数に置いているのに対し、シャルチエはあくまで文化的実践に依存する関数として技術的変化を見ようとするのだ。このような対立の根底にあるのは、技術と文化の関係についての異なる捉え方である。シャルチエが目指しているのは、<0090<印刷術という新技術の出現とその結果として起きた書物の変容を、読書行為を決定する要因として捉えるのではなく、むしろ読書という文化的実践の歴史性のなかで技術の影響も位置づけていこうとする視点である。「テクストの意味は、それがそのような種類のものであろうと、そのテクストに対してなされる読み方の相違によってさまざまな相貌を呈しうる」以上、新技術の社会的意味もまた、受容者の実践のなかで捉え返されなければならないのである。(pp.90-91)
新しい情報テクノロジーは、それ自体、社会の諸力のなかで形づけられてきた歴史的構成物なのだ。これまでの議論は、このような新技術の社会的構成を考える場合、少なくとも二つの社会過程のなかで問題を捉え返していく必要であることを示している。すなわち第一は、新技術の誕生と発展を可能にしていった社会的文脈の問<0092<題である。(pp.92-93)
第二の点は、新しいテクノロジーによって創出された諸メディアに対する受け手の文化的実践という問題である。シャルチエも指摘するように、印刷術がもたらしたもろもろの文化変容という観点は、もう一度、さまざまな階層によるさまざまなタイプの読書という実践の系列のなかで捉え返されなければならない。新しい印刷メディアは、書き手や作り手の組織と深く結びついて誕生しただけでなく、受け手の日常的実践のなかで、その社会的存在様式を形づくってきたのである。こうした人びとの実践は、昔からの慣習化された生活のなかで織りなされてきた身体性として、ピエール・ブルデューの言葉を借りるならばまさしくハビトゥスとして構造化されてきたものであり、情報テクノロジーの変化にすぐさま対応して変化していくとはかぎらない。(p.93)
世紀末の欧米における電話放送局や第二次大戦後の日本における有線放送電話の試みは、電気メディアが国家主導ではないような形で形成されてくる場合には、東西の文化の違いを超えて、「通信」とも「放送」とも区分してしまうことのできない、<手紙>的なイメージと<劇場>的なイメージを混在させた様態が出現しうることを示している。しかしながら、以上で概観した諸例のなかには、たんに<手紙>と<劇場>のイメージが混在しているというだけでなく、むしろこの音響メディアに媒介されながら都市や村落の共同性が新しい形でネットワーク化されていく契機も内包されてきた。つまり、前節の事例は、メディアがたんに用件を伝達したり、音楽を消費したりする手段としてあるのではなく、むしろコミュニティや都市での関係性を形成し、強化し<0109<ていく広場のようなものとしてもあるのだということを示している。(pp.109-110)
さて、以上で素描してきた形成期の音響メディアの展開が示しているのは、さしあたり次の三点である。第一に、これらのメディアは、その成立起源においてきわめて深く社会のなかに埋め込まれていた。電話にしろ、蓄音機にしろ、ラジオにしろ、けっして最初から今日のようなメディアとして発明され、普及していったのではない。これらのメディアを特定の形態の装置として存立させてきたのは、あくまで変容の契機としての社会である。実際、草創期にあって、電話は劇場的なメディアとして利用され、蓄音機はむしろ手紙的なメディアとして考案され、ラジオもさまざまな可能性を混在させていた。これらの多様な可能性を内包しながら社会に浸透していった音響メディアが、われわれが今日知るような「電話」なり「レコード」なり「ラジオ」なりの<0115<メディアになっていったのは、メディアの技術的な発展の必然的な結果というよりも、それらを位置づけ、組織していった社会と技術との間の相互作用の歴史的所産なのである。(pp.115-116)
第二に、新たに登場した電気的な音響メディアをめぐり、同時代の社会は少なくとも二つの異なる次元のイメージを付与していた。一方は、これらのメディアを、手紙の文書や電信の延長として、つまり特定の人間の間で情報を瞬時に伝え、あるいはその情報を記録していく装置として確立していこうとする志向である。これは、主としてベルやエジソンのような発明家や技術者の根底にあった発想である。しかし他方で、これらのメディアを劇場の複製として、つまり音楽や演劇、語りを幅広い社会層が享受できるようにする娯楽装置として発達させていこうとする志向も存在した。これは、どちらかというと当時の大衆が、新しい音声メディアのなかに感じとっていた潜在的な欲望であった。やがれこれらの一方は通信へ、他方は放送へと分化していくのだが、そうした制度的形態の基層には、それほど明確には分離できない、音声の複製メディアをめぐる<手紙>的なイメージと<劇場>的なイメージが絡まりあっていたのである。(p.116)
そして第三に、有線放送電話やアマチュア無線家たちによる草創期のラジオ無線が示していたのは、<手紙>や<劇場>との対比でいうならば、むしろ<広場>としての電気メディアの可能性である。(p.117)
「メディア・イベント」
ここでの観念からするならば、この概念は、たがいに連動しながらも内包を異にする三つの意味の層をもっている。まずメディア・イベントとは、メディア資本によって主催されるイベントのことである。<中略<第二に、メディア・イベントとは、メディアによって大規模に中継・報道されるイベントである。<中略<第三に、メディア・イベントとは、メディアによってイベント化された社会的事件を指すことがある。前二者では、イベントは最初からあるシナリオのもとに儀礼として枠づけられているのに対し、第三の場合には、もともとは偶発的ともみえる事件が、メディアの演出術によってドラマ化されるのである。(p.128)
第三のメディア・イベント概念は、ダニエル・ブーアスティン以来、擬似イベントなり、スペクタクルなり、シミュラークルなりの用語で問題化されてきた現代の情報社会=消費社会におけるリアリティの構成という問題に連接している。(p.129)
近代社会の儀礼と伝統社会の宗教的・呪術的儀礼
すでに指摘したように、メディア・イベントを含む近代社会の儀礼的場面が、伝統社会の宗教<0152<的ないし呪術的儀礼ともっとも大きく異なっているのは、前者が後者が特徴づけていたような仕方で日常生活から超越しているわけではないということである。メディア・イベントのさまざまな儀礼は、日常生活の行為に対して連続的である。たしかにオリンピックや皇太子成婚式のような場合、メディア・イベントはテレビのブラウン管を通じて一種の祝祭日を現出させ、それ以前の、あるいはそれ以後の日常の時間の流れとは異なる非日常的な時間を人びとに経験させているようにも見える。そして、このようなメディアを通じて現出される非日常性は、伝統社会の宗教儀礼がもっていた非日常性を擬制することもあろう。近代オリンピックは古代オリンピックの衣裳を纏い、現代の皇太子成婚式は古代以来の皇室儀礼の衣裳を纏う。しかしながら、このようにして現代のメディア・イベントが纏っていく<非日常性>ないし<聖性>の衣裳は、あくまで出来事の表面、マカルーンが述べたような意味でのパフォーマンスを成り立たせるフレイムのひとつにすぎない。現代のオリンピックや君主制の諸儀礼は、これらの衣裳、すなわち擬制された<伝統>を絶えずブラウン管のなかで消費することによってこそ成り立っているのだ。(pp.152-153)
スペクタクル社会
ドゥボールはかつて、このように祝祭性のイメージが日常的に消費されていく社会のことを「スペクタクル社会」と呼んだ。(p.153)
ドゥボールによれば、今日の世界を覆っているスペクタクルは、物象化された商品世界の日常生活に対する完全な支配によってもたらされた。曰く、「スペクタクルが見えるようにする世界は存在すると同時に不在であるが、その世界は、生きられたものすべてを支配する商品の世界である」。スペクタクルは、この商品の世界が社会生活を完全に占領した瞬間に現れる。それは、「情報やプロパガンダ、広告や娯楽の直接消費といった個々の形式の下で、この社会に支配的な生の明示的モデルとなる。それは、生産と、その必然的帰結としての消費において、すでになされてしまっている選択を、あらゆる場所で肯定する」。つまり、スペクタクルとは、たんなる視覚的世界の濫用や巨大なマス・メディアの産物なのではなく、完全に商品化されてしまった世界に対する、イメージによって媒介された諸個人の社会関係=ヴィジョンなのである。(p.154)
スペクタクルの二つの現象形態
1 集中したスペクタクル
2 拡散したスペクタクル
メディア・イベント研究の照準
メディア・イベント研究の照準は、たんに現代社会のなかに存在している儀礼の一類型を描写することだけに向けられているわけではない。むしろ、そうした儀礼の創出を可能にし、また必要とする社会の機制こそが問題なのである。現代の高度化した資本主義は、国家的および地球的規模で広がるメディアのシステムに媒介されながら、さまざまな擬似共同体を電子的なリアリティとして構成していく。こうして資本主義的に擬制された共同体の祭りがメディア・イベントにほかならない。資本主義が生産しつづける「消費可能な時間は、社会が一定の生産性を上げると、擬似円環的な時間として社会の日常生活の下に還って来る」のである。それは本質的に資本主義の増殖過程の一環を構成し、日常的に消費されていくのだが、同時にメディアに媒介されて共在する広範囲の人びとの共同性を保障する非日常的な祭りとして経験される。(p.158)
コマーシャリズムとアヴァンギャルド、1920年代
一九二〇年代は同時に、アメリカを中心に大衆消費社会が花開き、その提供するコマーシャルな世界像のなかに、大衆の意識が、すなわち一九一〇年代にはむしろ資本家との闘争に向けられていた労働者たちの意識が急速に回収されていく時代でもあった。口紅や香水、洗濯機や冷蔵庫、ラジオ、自動車、摩天楼、デパート、タブロイド新聞と大衆誌、そして何よりも映画。これらの記号によって縁どられる消費生活のスタイルが、広告技術とローンの普及に促されながら大衆の心理を捉え、新しい時代の欲望を形づくっていったのだ。それはたんに風俗の変化という域を越えて、人生への展望や表現の形式、さらには政治と芸術との関わりそのものまでをも決定的に変えてしまう過程の第一歩であった。そしてここに登場したコマーシャリズムの戦略は、第二次大戦後にはあらゆる生活領域と表現領域に浸透していき、かつては有効だったアヴァンギャルドたちの戦略を次つぎに時代のファッションとして脱意味化していくことになる。一九五〇年代末以降のアメリカにおける抽象表現主義からポップ・アートへの転回は、ある意味で、こうした二〇年代がすでにはらんでいた屈折の、最終的な局面であったようにも思われる。(p.160)
広告
広告は一九二〇年代以降、商品世界を演劇化し、欲望を喚起し、更新する消費社会の自己意識として、時代の想像力に決定的な作用を及ぼすようになっていたのだ。新しい時代の商品たちをナショナリズムや帝国主義と結びつけながら呈示した博覧会が、十九世紀を代表する資本の文化装置であったとするならば、コマーシャリズムの枠組みのなかで消費者たちの自己のドラマを綴っていく広告は、まさに二〇世紀的な資本の文化装置の典型なのである。(p.162)
依存効果
第一に、一九二〇年代以降、広告が決定的な社会的作用を及ぼすようになるのは、ガルブレイスが「依存効果」と呼んだ「欲望を満足させる過程が同時に欲望をつくり出していく」自己準拠的なメカニズムが、独占段階に移行した資本主義のなか<0162<に内挿されるようになったことの結果であり、原因である。こうした効果が「相対的」な欲望についてのみ有効であるという考えに同意することはできないにせよ、高度化した資本主義にあっては、産業システムは消費過程において欲望を創出・管理するようになり、そのようにして価値増殖のメカニズムを有効に作動させつづけるのだとした彼の展望の有効性は失われていない。(pp.162-163)
広告と消費者の自己像
広告<0167<はしだいに、商品そのものよりもそれを使う消費者の自己像を主役に据えはじめ、参加型の逸話とでもいうべきものを多く含むようになっていくのだ。つまり広告は、その言説戦略としての準拠点を、しだいに<もの>としての商品から消費者の社会的自己へと移行させていくのである。この移行はたんなる量的な変化以上のものである。戦間期における広告の変容を詳細に分析したローランド・マーチャントは、二〇年代のアメリカの広告表現に起きたこの変化の重要性を強調し、いまや広告が、大衆小説やラジオ・ドラマとも通底しながら、アメリカの夢に具体的な像を与え、日常の些細な出来事を人生の重大事でもあるかのように演劇化し、さらには人びとの好みや楽しみについて特定の意味づけを行なっていくようになったと述べている。(pp.167-168)
前述のマーチャントは、こうして二〇年代の広告に利用されていったアヴァンギャルド的な表現の特徴として、対角線の使用、非対称的な構図、要素間の非決定的な緊張、表現力に富んだ変形、単純化された形態の五点を指摘している。とはいえ、これらの広告表現と、アヴァンギャルドたちの運動の間には決定的な違いがあった。二〇年代以降、広告がしばしば要素の衝突や変形といった手法を用いていったのは、日常の自明性を異化し、背後の意味の厚みに達するためではなく、その異化効果によって人目をひき、都市的な多様性や速度といった近代性のコノテーションを商品に纏わせていくためにほかならなかったのだ。(p.179)
ジャック・アンリオによる遊びの「距離化作用」
アンリオによれば、遊びの根底にあるのは距離化の作用である。「存在のなかに間隔が描かれ、うがたれ、それによって遊びがそれ自体として存在しうるようになる瞬間、遊びは存在しはじめ」る。したがって、あらゆる<遊び>に共通する根本的な感覚は、ある二重性の感覚である。遊び人間は、「自分の現にしていることをおこないつつある自分を、自分で眺めているとでもいう具合に」遊ぶ。しかし、このとき彼に真剣さが欠けているのではまったくなく、遊びのなかでは、「自身が現に演じている演劇に対する統覚と、自分自身をしばり自己自身を荷担させる(本気の)情熱とが、まさしく同時的でありうる」のだ。遊びのなかで、ひとは役の人物でありながら役の人物ではない。したがって、たとえ形式的には<遊び>に分類されれている活動でも、参加者が完全に役に没入してしまい、外側の視点を失ってしまったなら、それはもはや遊びとはいえない。他方、その遊びに対して参加者が完全に操作的になってしまっても、やはり遊ぶことはできない。<遊び>とは、<遊ぶもの>と<遊ばれるもの>の再帰的な揺れ動きに身をまかせながら、そうした自分に同時に意識的でもあるような二重化した自己のありようなのである。(p.264)
見田が浮かびあがらせるのは、<顔のキズ>のような具象的な表相性であれ、<履歴書>のような抽象的な表相性であれ、いずれにせよある表相性において、ひとりの人間の総体を規定し、予科する都市のまなざしと、そうしたまなざしによって呪縛された自己から逃れようとしながら、まさにそのことによって、さらに何重にもめぐらされた社会のまなざしの機構のなかに囲い込まれていく実存的な生との、入り組んだ対抗と陥穽の構造である。(p.268)
このように、ジュネの場合も、N・Nの場合も、問題の核心は他者たちのまなざしとその前で<0268<演じられる自己の存在との弁証法的な関係にある。サルトルも見田も、この関係をある抑圧的な状況のもとで問題化し、<演じる>ことが社会に自己を疎外させたり、それを超えて独自の上演の場を創造していく契機となることを示した。(pp.268-269)
状況の定義と情報ゲーム
「通常の作業状況内にある人が自己自身と他者に対する自己の挙動をどのように呈示するか、つまり他人が自己について抱く印象を彼がどのように方向づけ、統制するか」という点に目を向ける。自己が他者の前に姿を現すと、その場の状況に影響を与えていく<0272<ことになるわけだが、この影響についてわれわれは何らかの演出を行なっている。また他者も、こうした演出を、自己が無意図的に表出する仕種によって照合しようとする。ここには、状況の定義をめぐる一種の情報ゲームが展開されるわけで、ゴッフマンが浮かび上がらせるのは、こうした情報ゲームの効果として、状況の定義が産出され、維持されていくプロセスである。(pp.272-273)
パフォーマンスのリアリティとは、「調整をはずした音が一つあっても全演奏の調子を乱すことがある」繊細なこわれものなのだ。したがってパフォーマーにとっては、もしもそれに注意が向けられればリアリティに亀裂を生じさせるかもしれない「破壊情報」をどのように統制するかが課題となる。このため、パフォーマンスを通<0273<じて予防的措置が講じられ、場合によっては矯正的措置も講じられるのである。(pp.273-274)
ゴッフマンの分析のポイントは、このような情報ゲームのなかで維持される状況の定義が、本当のものなのか、それとも巧妙な偽りなのかということは、まったくの戦略上の問題にすぎないと見抜いていた点である。社会学的観点からするならば、パフォーマーがオーディエンスに抱かせようとする印象と、彼が抱かせまいとする印象の、どちらが真であるかを決定することはまったく必要ではない。問題は、「どんな仕方で特定の印象が不信を招くのか」ということであって、「どうして特定の印象が偽であるのか」ということではないのである。<真実>も、<虚偽>も、ともに情報ゲームの効果として産出されてくる社会的事実である点においては同じなのだ。<虚偽>の背後に<真実>が隠されているわけではないのである。(p.274)
文化的パフォーマンス
ジョン・J・マカルーンらは、「文化的パフォーマンス(cultural performance)」という概念によってターナーのモデルを発展させている。これはターナーの社会劇を発展させた概念で、「一個の文化あるいは一個の社会としてわれわれが自らを鏡に映しだし、自らを定義し、その集合的神話と歴史を劇化し、さまざまな代替案を自らに提示し、結局、ある面では同じ姿のまま留まりながら、ある面で変身を遂げる場となるもの」のことである。ここには遊びや儀礼、物語、カーニヴァル、シャリヴァリ、祭典、スペクタクルなどのパフォーマティヴなジャンルが包括されている。これらは日常的現実に対する<鏡>として、何がリアルであるかを映し出し、人びとのリアリティ感覚を秩序づけている。文化的パフォーマンスと現実とのこうした関係は「再帰的(reflexive)」なものである。再帰性とは、おのれ自身に対して観客となり、距離をとることを意味する。日常的現実が社会の直接法に属するなら、文化的パフォーマンスは社会の仮定法に属するのだ。われわれの日常的現実は、その鏡である文化的パフォーマンスとの再帰的な関係を通じて了解されていく契機を内包している。したがって、このような社会の仮定法を分析していくことで、社会的現実そのものの生成的な構造を捉えることが可能となる。(p.287)
*作成者:篠木 涼