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『ありふれた老い――ある老人介護の家族風景』
松下 竜一 19941220 作品社,254p.
last update:20120418
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■松下 竜一 19941220 『ありふれた老い――ある老人介護の家族風景』,作品社,254p. ISBN-10: 4878932139 ISBN-13: 978-4878932137 \1262+税
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■内容
いずれ誰もが経験する、ありふれた老いをめぐる、ありふれた家族の風景――在宅介護の苦労のすえ、ストレスで倒れる妻。 「死んだほうが…」と呟き、老人ホームから帰れる日を待つ老父。おじいちゃんの下の世話をする潔癖症の孫娘。危篤騒ぎで久しぶりに集まり、 話をはずませる兄弟たち。哀切きわまる高齢者病棟の老人たち。そして、沈黙の老父の脳裏には、幼い日の子供たちの姿が駆けめぐっている…。 寝たきり老父との最後の日々を綴る感動の書。〈ソフトカバー〉
■目次
一 松下家の"老人問題"の幕開け――それはドタッ!で始まった
じいちゃんの小便バケツ
母が逝き、家ごもりの父
下半身裸で炬燵に
夫婦で散歩
わが身の非力を妻に嘆く
新しい命、孫娘・杏子
杏子とじいちゃんの憶い出
私たちの旧婚旅行
壊れたままの屋根
二 老人ホーム入所――悲惨という言葉は禁句に
老人ホームに短期入所(ショートステイ)
心を閉ざして帰れる日を待つ父
親からは逃げられない
元旦がじいちゃんの"大ぐそ記念日"に
カモメの面倒
二時間もせずにタバコの催促
「死んだ方が……」、父のつぶやき
突然の危篤に
無口のじいちゃんがしゃべった!
父の沈黙
三 父の危篤で兄弟が勢揃い――思いがけない新年会
末っ子の帰国に微笑浮かべる
私の年収に呆れる弟たち
笑いの的の私たち夫婦
一人だけ帰らなかった弟
父の見合い
義母を追い出す
その後の義母と父
四 入院――子供になってゆく父
まんご(孫)とだけバイバイ
まったくやる気のないリハビリ
退院して……の打診に慌てる
「歯はいとうねえ……」
子供を扱うつもりで
真夜中の二時でもチャイム
厳しい役と甘やかす役
夢に見るは"豆腐屋の四季"
父にはかなわない
読書に逃げこんだ青春の日々
豆腐屋をやめ作家となったが
五 在宅介護――一家が共倒れの危機に
寝たきり老人のための入浴サービス
花見を心待ちに
身障者手帳を手にしたが……
やがて自分も介護される身
私も身障者手帳を申請
妻がストレスで倒れる
一家が共倒れにならないために
病院からの連絡を待つ
六 父の人生――貪ることを知らないつましい一生
父の古い写真
「おまえを助けるために一財産つこうてしもうた」
栄養失調で死んだ弟
母の過労死
父のお人よしぶり
死んだ母のへそくり
母の記念アルバム
父の結婚写真の謎
七 再入院――つらさがつのる老人病棟
悪化する床ずれ
夕食介護のため病院通い
おじいちゃんがうたった!
父の愛唱歌
指折って外泊の日を待つ
長男・健一の帰郷
父との最後の旅
沈黙の父の脳裏には
「腕時計をもってきちょくれち」
妻と今を惜しむ
朝食介護も引受ける
「あんたも一緒に入院したら?」
老人病棟から聞こえる哀切な声
八 最後の元旦を迎える――この病棟だけは餅は出ません
父の年賀状を代筆
父の縁戚へ近況報告
夫婦のきずなとは
米寿祝いにケーキを配る
朝食介護にドクターストップ
突然の父の怒り声
九 危篤、そして奇跡的な蘇生――魂をつなぎとめる
病状が急変、個室に移される
奇跡的に蘇生する
娘よりも嫁に甘える父
音信不通の弟からの手紙
大部屋への生還
いたたまれなくなる老人病棟
久しぶりの微笑
生命の盛りのランとインディ
弟への援助をことわる
十 命の最後のたたかい――食べることをやめた父の口
過酷な治療より安らかな死を
父の頬に落ちた杏子の涙
「病気になってくれた」
父の預金
生きていく者の現実
急変……、延命措置をことわる
午後四時五十四分「ご臨終です」
通夜
父を送る言葉
あとがき
■引用
父の沈黙
いっしょに暮らしてきて、父の沈黙に圧倒されることがある。
とりわけ、文筆を生業とするようになっておのれのことを書き散らす機会が多くなれば>057>なるほどに、父の底知れぬ沈黙は私にこたえた。父の沈黙の前では、 私の文章の軽薄さがあぶり出されるようなのだ。
父はまったくおのれのことを語らない。そのことでは仰天させられたことがある。眼やにがひどくなって、姉が父を眼科に連れて行ったときのことだ。
眼の検査を終えた医師に「おじいちゃんの眼が失明したのは、ずいぶん若い頃からでしょうね」と問われた父がこっくりとうなずくのを見て姉は唖然としてしまった。 帰ってくるなり姉が、「竜一ちゃん、あんた、おじいちゃんの右眼が昔から見えなかったって、知ってた?」と、せっかちに問い掛けたのも無理はない。 もちろん私は知らなかったし、身近な誰一人父が隻眼であるとは知らなかった。
私が仰天したのは、父が思いもかけず隻眼であったという事実にではなく、そのことをついに一度も洩らすことがなかったという父の徹底した沈黙に対してだった。 おそらく、亡くなった母にすら語っていなかったと思われるのだ。もし母が知っていれば、母は必ず私には告げたはずだという確信を抱くだけの理由が私にはある。 (pp.56-57)
もし母が、父もまた隻眼であると知っていれば、そんな時きっと父のことを引き合いに出して幼い私を慰めたはずだと思うのに、 父の眼のことを聞かされたという記憶はないのだ。
片眼しか見えないことを妻にすら打ち明けなかった父の沈黙を、どう考えればいいのだろう。別に恥じて隠したのだとも思えない。ただ単に、 おのれのことを語らないという父の習性によっているとしか思えないのだ。
一度、父のことを何かの題材にしようとして話を聞き出そうとしたことがある。そのときも、「おれのことなんか、話すことが何もあるもんか」 といい捨てて口をつぐんでしまった。
それならということで、無理に書いてもらった父の鉛筆書きの略年譜に眼をとおして、唖然としてしまった。〈明治三十九年二月九日に生まれる〉 に始まる年譜はわずかに十項目しかなく、そのうちの六項目が〈長女陽子生まれる〉〈長男竜一生まれる〉といった六人の子供の出生記録で占められていたのだ。
医師に頼んで父におしゃべりの注射を何日間か続けてもらい、聴くべきことを聴き出してしまいたいという思いは、冗談ではなく私たちには切実である。(p58)
■書評・紹介
■言及
*作成:
北村 健太郎
UP: 20120418 REV:
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老い
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介助・介護
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「寝たきり老人」
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