「精神障害者の主張」編集委員会編 『精神障害者の主張――世界会議の場から』
■「精神障害者の主張」編集委員会編 199407 『精神障害者の主張――世界会議の場から』,解放出版社,302p. ISBN:4-7592-6101-X 2100
*以下、松枝亜希子(立命館大学大学院先端総合学術研究科)作成。
◆「精神障害者がグループを形成する時の困難な点」に該当する箇所の引用
第一章 私の体験
p16
このままでよいのだろうか。自分の精神病を隠して、お互いの傷をなめあっているだけでいいのだろうか。
p57
私は当初のようなことは考えていませんでしたが、会報も何回か経るうちに内容的に見て、たんに大会のための報告やレクの感想だけに止まっているのに不満を抱き始めました。
私はこのままでは少なくとも私たちの会報は当事者会の回覧板になってしまうことは避けられないと思いました。それはある意味において自助活動として成功かもしれませんが、障害者同士がより広くより深く結びついていくうえで、このままでよいわけはありません。また、当事者会としてもこのままでは前進がありません。
しかし当事者会運動というものは、このようにマンネリ化を抜け出せないところがあると思います。私は、もっと当事者会自体が障害者の集いということから社会的な運動へと、障害という枠を越えて外へ出て行かなくてはいけないように思っています。それだけではなく私は閉鎖病棟の患者が当事者会に参加できなかった事について、私なりにこだわりをもっていました。
第二章 権利を守る
p194
当然ながら、他のあらゆるところと同様、セルフヘルプ・オルタナティヴでも対立は生じます。v
ルールを破った場合は、その人に話をするのが第一の解決法です。その次の手段としては、ルールを破った人をしばらくプロジェクトからはずすかどうかをグループで決定します。
p200
そのためかセルフヘルプグループは、同じ問題をもった人が集まれば、それでいいのだという誤解があるように思われます。ただ同じ問題をもった人が集まっても「わかちあい」が行われていなければ、セルフヘルプグループではないということを忘れてはならないと思います。
p206v
二、メンバー全員によるグループの運営
日本のセルフヘルプグループは、現在の日本の近代社会と同様なピラミッド型の官僚的な組織を形成しがちである。会長や副会長の役職のもとに会計や書記などの係がおかれた組織である。それも、時には、十数年も同じ人が会長に止まることも多々みられる。これらによって、メンバー間に上下関係が生じ、特定のメンバーがグループに強い影響力をもってしまうのである。
p207
それにもかかわらず、日本のセルフヘルプグループは、ピラミッド型の上下の組織構造を持つことが多く、残念なことに、欧米のグループの有している<反―官僚化>の哲学が弱いようにみえる。
第四章 世界のユーザー運動
p291
世界からユーザーたちが一堂に会する機会は本当に限られているし、やらなくてはならないことは膨大にあります。それを行うには資金の面でも実行するうえでも大変な労力が必要で、多くの障害があります。たとえば、どのようにして統一した立場を作ってゆけるのでしょうか。なぜなら多くの組織は個別の課題において幾分か異なる立場をとっています。
私も、もし私たちが世界規模の組織を作ったらどうなるのだろうと考えています。何が
p292
効果的なのか、やがて逆効果になるのではないかと危惧しています。
◆「薬の使用」に該当する箇所の抜き書き
p12
第一章 私の体験
薬の副作用で、口が渇いて言葉も出ないし、排尿も苦痛になり、手がふるえるなどしている
p22
具体的には、再入院や再々入院を防ぐことができると思います。
みなさんご承知のように、一番多いのが薬をやめてしまうことです。医者の指示にしたがって薬を減量していって、二年も三年もかかって、一日一回にしていったならいいが、通院しながら、医者に内緒で、薬をやめてしまい、一年から二、三年後に再発、再入院のケースが枚挙にいとまないことを我々は知っている
p69
第三番目としては、精神安定剤の性質や量によっては副作用が出て、やむをえずセックスが困難に
p70
なる患者さんの場合があるということです。
そして、精神科医もセックス専門医も逆に性能力を強める漢方薬やその他の薬を出してくれています。
p81
もしずっと医者の言うことに従ってきていたら、おそらく私はまだ薬物治療を受けていたでしょう。もし私が精神科医や私の家族に対して、「薬を飲むのをやめる。そうしなければ私の一生は苦しみに満ちた不幸なものになる」と言わなければね。
p82
私にとっては、論点は「薬物治療を受けるべきか、それとも受けるべきでないか」ということではありません。それは個人が決めることであり、受けるか受けないかで評価すべきではないと思います。
私が知っている精神医療システムでは、たいてい、自ら信じることに忠実になることはできません。もし薬物治療が役に立っていないと感じても、それをむりやり受けさせられます。そこが重要な点です。
第四章 世界のユーザー運動
p245
通常、精神医療システムでは、苦悩を訴えるのをやめさせるために、薬剤や電気ショックや感覚剥奪(隔離としても知られている)の療法を施します。これらの方法の多くは、私たちの脳に障害を与えると同時に、心理的・情緒的な被害を与えます。
p263
元患者たちは、大量の薬の投与が起こす不愉快な効果を明らかにしました。常にまどろみ、震えが止まらず、よだれが垂れ、普通に歩くことができなくなることを話しました。
p283
治療行為は人格を傷つけるだけではなく、身体の機能にも影響を及ぼすことを発見することにより、多くのサバイバーは精神医療の診断や薬や不本意な入院に対して疑いを持つようになりました。
同じことは、精神治療薬をみても言えます。薬によって苦悩から解放される人もありますが、私たちはこれを精神医療従事者の奇跡が功を奏したとは見ていません。苦悩除去には大きな代償を払わねばなりません。すなわち、身体運動の障害、無感情、自発性や想像力の喪失、その他数多くの副作用が伴います。さらに悪い場合は、何の益もないままマイナス効果しか表れず、それを医者に訴えてもまったく信じてもらえないこともあります。
p289
私は一八年間薬物治療を受けました。再発したのは、医者が私の薬物治療をやめた時でした。薬物治療なしでは今日まで生きてこれなかったし、どんな仕事もできなかったと思います。これが私の経緯です。しかし、それが「全能」の治療方法と考えているわけではありません。
さて、医者のトレーニングに関してですが、ドイツのある医療トレーニングでは医者や看護婦に、数週間、ハロペリドール(向精神薬名)やリチウム(薬名)を与え、隔離していると聞きました。別に殺すためではありません。中には麻痺状態になる人もいるでしょう。私はハロペリドールを飲んだため、数日間車椅子で生活したことがあります。私たちにそれを投与するならば、彼らもそれを試すべきだと思います。そうすればどんな副作用があるのか、少しは理解できるでしょう。
サバイバーの中には、薬物治療はけっしてよくないと考えている人たちがいます。運動の一つの見解です。しかし同時に、こう考えるサバイバーたちも、薬物治療に関して質の高い情報を提供されるなら、どの治療を受けるかは本人が決めることだと考えています。専門家たちに薬物を与え隔離するという案に私も賛成です。そうすれば、私たちに対する彼らの理解がとても高まることでしょう。
p293
答えは人によって異なるでしょうが、私の場合は薬物治療をやめようと決めました。実際には八種類の薬を飲んでいましたが、その中には最も強いといわれているものもありました。飲まなかったら耐えられない苦悩と悲しみに襲われると精神科医が警告した薬をやめましたが、それは徐々に薄れてゆきました。