『日本的生産システムと企業社会』
鈴木 良始 19940325 北海道大学図書館刊行会,312p.
■鈴木 良始 19940325 『日本的生産システムと企業社会』,北海道大学図書館刊行会,312p.
ISBN-10: 4832956310 ISBN-13: 978-4832956315
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■出版社/著者からの内容紹介
従来の研究史の緻密な批判的検討に基づき、この20年間の爛熟を見せた日本的経営の構造を、生産、技術、労働に対する管理様式の側面から分析、日本企業の
競争力や働きぶりによってきたるところを解明しようとする力作。
■著者について(奥付より)
鈴木良始(すずき よしじ)
1950年 愛知県に生れる
1975年 北海道大学農学部農学科卒業
1978年 北海道大学経済学経済学科卒業
1983年 北海道大学大学院経済学研究科博士後期課程修了
1983年 札幌大学経営学部講師。助教授,教授を経て
現在 北海道大学経済学部教授
博士(経済学,北海道大学)
主要論文
「アメリカにおける工業研究(研究開発)の成立(1)(2)(3)」(北海道大学『経済学研究』32巻1,2,4号,1982年6,8月,1983年3
月)
「多工場型生産構造の企業競争力とその歴史的性格」(札幌大学『経済と経営』16巻1号,1985年6月)
「競争主義的労働者像への反省」(『経済と経営』23巻3号,1992年12月)
■もくじ
はしがき
序章 日本の国際競争力の特質
はじめに
1 生産コストと労働生産性
2 品質
3 製造技術水準と日本の競争力
4 製品多様性
5 日本型国際競争力の成立と特質
第1章 日本的生産システムの構造
はじめに
1 ジャスト・イン・タイム生産システム――その普及・方式・技術
(1) JIT生産システムの普及
(2) JIT生産システムの基本構造
(3) JIT生産システムと技術
2 生産における労働の日本的編成
(1) いわゆる「自動化」と日本的労働編成
(2) 日本的労働編成の背景と成立時期
(3) 労働編成の日本的特質
3 JIT生産システムと日本的労働編成の結合
第2章 日本的生産システムと国際競争力
はじめに
1 JIT生産システムと労働生産性・コスト・品質
2 日本的労働編成と労働生産性・コスト・品質
3 日本的生産システムと労働生産性――自動車組立工場の場合
4 日本的生産システムと製品多様性
(1) 製品多様性と生産性・コスト
(2) 製品多様性と品質
(3) 製品多様性と在庫リスク
むすび
第3章 勤労意識・勤労態度と「コーポラティズム」論
はじめに
1 「コーポラティスト的組織」
(1) 組織・管理要因からの接近
(2) ドーアの「上からのコーポラティズム」と日本企業
2 日本の工場労働者の勤労意識――国際比較
(1) 仕事と組織へのコミットメント,および仕事に対する満足度
(2) バイアス?
(3) 解釈
3 仕事属性とコミットメント
(1) 職場の人間関係
(2) 職務報酬意識
(3) 仕事の性格
(4) 職務上の位置(特にQCサークル)
(5) 小括
4 組織・経営施策とコミットメント
(1) 細分化的組織構造
(2) 規則化された組織
(3) 組織内「ウェルフェア・サービス」
(4) 参加型組織構造
(5) 小括
第4章 「能力主義管理」と日本の労働者
はじめに
1 「能力主義管理」への示唆――職務給挫折の意味
2 「能力主義管理」受容の契機
(1) 「絶対考課」の展開
(2) 「絶対区分」の展開
3 「能力主義管理」も矛盾
(1) 「絶対考課」・「絶対区分」の推進と抑制
(2) 「能力」概念の拡張と労働の無制限性
(3) 人事考課と矛盾の展開
4 「能力主義管理」と労働意志――むすび
補論 「能力主義管理」における管理者と労働者
第5章 日本型企業社会の「強制」・「自発」の管理構造と労使関係
はじめに
1 「日本的経営」をめぐる国際論争
2 管理と労働過程に見られる二面性とその結合
(1) 集団的職場編成と職場社会性を通じた管理
(2) 「参加」型管理
3 選択可能性の排除
(1) 企業外遮断の管理政策
(2) 寄る辺なき企業内状況――日本的労使関係と法的関係
終章 日本的生産システムと労使関係――総括と展望
(1) 日本的生産システムとフォードシステム
(2) 日本的生産システムと有効性の問題
(3) 日本的労使関係
事項索引
人名索引
■引用
「以上によって,日本的経営の働かせ方についての従来の対立する接近法,すなわち一方的強制ないし専制的な労使関係という把握と,人間尊重ないし合理的管
理という全く相対立した把握,この伝統的紛糾に決着がつけられている。それぞれの接近法は,日本的経営における働かせ方の構造の一面はとらえている。いず
れも日本的経営のなかに現実的根拠を見出すことができるからこそ,互いに対立した見解のまま存続してきた。しかし大切なのは,日本的経営においてこの二面
性がどう結合し,機能しているかを示し,二面がそれぞれ不可欠の役割を果たしている日本的特質を理解することである。」(D)
「本書は,1970,80年代に日本企業が実現し,国際的にも注目を集めることになった競争力の諸特徴を確認することから研究を始める。ただし,本書の研
究テーマそのものは,日本企業がこの20年間に示した国際競争力上の位置や特徴を確認することではなく,そうした競争力を生み出したその生産と労働および
管理における日本的特質を解明することである。ではなぜ,遠回りのように見える日本企業の国際競争力の分析から始めるのか,その意義を多少なりとも最初に
述べておく必要があろう。」(p.1)
「(…)日本企業の場合は,労働や文化の論理も,独自に経営的諸特質を形成してきたというよりも,競争力のなかにほとんど吸収されてきたというのが基本線
のように思われる。それゆえ日本的経営の諸特質を解明するには,労働や文化の論理から直接接近するよりも,まずその努力の結果である日本企業が達成した競
争上の到達点の特質を確認し,「何がそれをもたらしているか」,「何によってそれが支えられているか」というふうに問題を立てること,いわば競争上の結果
から始めて,その背後にある生産・労働・管理等の諸特質へと進むのが最も効果的であるように思われるのである。」(p.2)
「以上の検討から,@自動車産業を代表とする日本の加工組立型諸産業が,A第一次石油ショックから1980年頃の時期に労働生産性水準でアメリカ企業に追
いつき,逆転したこと,Bその後の急激な為替調整によって日本の労働コストは対米優位を失い,むしろ逆転傾向に入ったこと,を確認しておこう。そしてこれ
にさらに次の点を加えておきたい。日本の製造業の労働生産性伸び率の相対的な高さである。このことはよく指摘されるところであり,それは図3によっても確
認できる。しかし,高度経済成長までのようにアメリカを中心とする技術先進国から主要な製造技術を次々に輸入して,後追い型で実現してきた高い伸び率と,
労働生産性において日本が同等ないし優位に立った80年代にも依然として続いた伸び率の相対的な高さはおのずと性格が異なるであろう。そこで,C日本の製
造業が労働生産性伸び率の相対的な高さを維持していること自体,特徴的なこととしてとらえておかなければならない。日本企業の競争力との関連で,生産シス
テム,労働,管理等の諸特質を考察する場合には,以上の@ACとの関連が説明される必要があろう。」(p.12)
「生産性,品質,多様性の三面を,これまでに見たように,いずれも国際比較上格段の高さで同時に実現したという点において,その競争力の質は前例のないも
のであったといってよい。それを「日本型」国際競争力として真に固有性を主張するには,それらを支える日本企業の生産と労働,管理,企業間関係などの諸特
質にまで立ち入り,そこからそれらをとらえかえすことが必要であろう。しかし,このような三面の同時達成という市場における競争上の事実それ自体でも,こ
れまでには見られない独特のものであった。」(p.32-33)
「こうした"柔軟な自動化技術"そのものが日本の国際競争力の特徴を説明できるものではないとすれば,何が日本の加工組立型業種の国際競争力を生み出した
というべきだろうか。それを日本的生産システムと呼ぶとすれば,それは以上に明らかにした国際競争力の三つの側面のトレードオフ関係を抑制しているかを明
らかにするものでなければならないであろう。また,なぜ加工組立型産業なのか,なぜ1970年代半ば以降なのかという問いにも答えうるものでなければなら
ないだろう。日本型国際競争力との対比において日本的生産システムを究明すること,これが次章以降の課題である。」(p.38)
「序章では,1970,80年代に日本企業が確立した国際競争力の特質を明らかにした。本章は,これら日本型国際競争力の背後にあってそれを支えるもの,
その内部構造の考察に入る。とはいえ,日本型国際競争力を支える諸要因は,生産現場の技術と生産方式,労働編成から,企業による働き方の管理,そして労働
市場や法律とその執行の特質など企業を越える社会的枠組みや文化にまで大きな広がりをもつ。問題の広がりの大きさからいって,そのすべてを一度に考察し,
関連づけることはできない。そこでまず本章と次章では,考察対象を基本的に生産現場に限定し,日本的生産システムを国際競争力の観点から考察する訳であ
る。」(p.45)
「こうしてJIT生産システムは,序章で見た日本製造業の加工組立型産業を中心にした国際競争力の確立とほぼ同じ時期に,トヨタ自動車という個別企業の特
質から日本産業の特質へと展開し,その過程は現在も静かに進行しつつある。」(p.48)
「伝統的なアメリカ的大量生産方式と対比した場合,JIT生産システムの考え方の最大の特徴は,在庫縮減の追求,すなわち製品・仕掛り品・購入品を問わず
在庫の徹底的圧縮を志向するところにある。このように理解することが,そのシステムとしての特性を把握するうえで最も適切である。」(p.48)
「すなわち,まず第一に,個々の作業者に対応する仕事の内容は,水平的にも垂直的にも,包括的であり,狭く細分化されて配分されてはいない。いわゆる「多
能工」といわれる日本の労働編成の特質は,水平的にみた相対的な包括性に基づく旧型熟練のそれではない。熟練が機械化によって解体され単純化されたのち
に,個々の作業が分析されて標準化されていることは,アメリカ的方式と変りない。しかし,アメリカ的方式ではそれらが細分化されたまま一人一人の職務にな
るのに対して,日本の場合はそれらが包括的に作業者に担われる。ここに違いがある。」(p.75)
「第1,2章では,日本型国際競争力を支える生産システムの分析を行い,労働生産性・製品品質・製品多様性という競争力要因と結びつける作業を行った。そ
の結果として残されたのは,日本の労働者の勤労態度・働きぶりの問題であった。もちろん,前章においてはむしろ,日本の労働者の働き方の激しさばかりが日
本企業の国際競争力を説明するわけではないこと,生産システムそれ自体の特性から,日本企業が1980年代に示した競争力の諸特質がかなりの程度まで説明
されうることを明らかにした。しかし同時に,日本企業の現場作業の労働密度の高さ,多工程持ちの現実の作業密度の凄まじさ,品質検査への注意深さ,日常の
保全活動への取り組み姿勢,保全知識修得など能力形成への姿勢,QCサークルへの100%近い参加率と改善内容(「省人化」のための「改善」にも取り組む
こと),改善提案件数の異常ともいえる多さ等々の事実を国際比較の視角から虚心に見る限り,勤労態度の問題を抜きにしては日本企業の競争力の総体を説明し
きれないことをも併せて指摘した。生産システムを超えた「より広い枠組み」の検討に移らなければならない。」(p.133)
「こうして,総合的に見て,日本人労働者の仕事コミットメントにおける特段の優越を確認することは難しい,といえる。仮にある程度日本側の優位を認めうる
調査結果の場合でも,いずれにしろその優位の程度は,日本人労働者の国際比較から見た極端な働きぶり,高い勤労行為を内面から説明できるほどのものではな
い,ということである。(…)」(p.148)
「以上要するに,表3-1の「組織コミットメント」に関する六つの質問結果を全体として見れば,明らかに日本側の相対的低さが目立つ結果となっているとい
える。これは日本の労働者,サラリーマンについての通俗的イメージとは対立する。」(p.150)
「調査結果が実態意識から乖離しているのではなく,実態意識をほぼ正確に表していること,それゆえにまた働きぶりと内面意識は同一視せず区別すべきである
こと,そう考えた場合の現実の働きぶりから受ける印象とのズレは,作業組織の編成・労務管理・雇用慣行・その他の諸条件に求めるべきこと,労働意識の国際
比較調査の検討はこのような立場に導くのである。」(p.155)
「「仕事属性」についての以上の分析結果は,コミットメント・職務満足に最も強く影響を与える要素は,仕事そのもののもつ面白さ・やり甲斐・挑戦性,すな
わち「仕事そのものの報酬」であり,これをもたらす主要な要素は「仕事の複雑性」,「仕事の自律性」,「チームワーク」であることを,日米いずれにも通ず
る基本的傾向として示した。ただし,日本人労働者のコミットメントと最も強い相関関係を示したのは「上司との関係の良好度」であり,そこに一定の日本的特
性が認められた(ただし職務満足についてはこのような特性は現れなかった。すなわち,満足度と最も強い相関を示したのは日本の場合も「仕事そのものの報
酬」であった)。
一般的傾向として「仕事そのものの報酬」の次に重要性を示したのは「職場の人間関係の良好度」である。QCサークルや作業編成の協働的性格(チーム編
成)がこれに影響を与えることが確認され,逆に仕事外の付き合いのような仕事を離れた人間関係の影響は認められなかった。仕事遂行上の人間関係が重要であ
るということは,「職場の人間関係」の影響は半ば「仕事そのものの報酬」と重複することを示すものである。したがって以上を作業組織・職務設計の問題とし
て見れば,仕事の複雑性と自律性,および仕事上の人間関係を考慮した職務設計,作業組織,QCサークルなどが,職務満足・コミットメント育成的成果をも
つ,ということになる。
また,日本側回答データが,仕事の複雑性と自律性について示した相対的に低い自己評価は,OJT,ジョブ・ローテーション,多能工・職務の多面性などに
よって特徴づけられる日本的な労働形態が,単純にコミットメント・仕事の満足度を通して働きぶりを作り出す要素でないことを示すものであった。」
(p.165)
「しかし,その意志は必ずしも全面的に労働者の内面から発する自発的な意欲であるとは限らない。これまでの分析もそれを示唆する。それゆえその意志は,一
方では何らかの緻密な管理的あるいは社会的な諸条件の下で労働者がその働き方を「仕方がない,これでいく」と覚悟させられるものでありながら,しかし他方
では単なる強制された覚悟に終わらず,そのような覚悟を労働者自身の内面からも自発的に肯定させられるような側面が用意されている,そのようなある独特の
結合を作り出す管理的メカニズムのうえに形成されるものであるはずである。以下ではこの接近視角から,日本の労働者の働きぶりに影響を与えている「能力主
義管理」について分析を行う。「能力主義管理」以外の諸側面の分析は,次章の課題である。」(p.180-181)
「解明されるべき基本的論点は,「能力主義管理」のいかなる機能が,どのように労働者の労働意志の形成に作用し,日本的な高密度労働の現実を生み出してい
るのか,である。しかし,この問題の解明のためには,「能力主義管理」について次の二つの点が明らかにされなければならない。すなわち,第一に「能力主義
管理」制度はいかなる点で労働者に受容され制度として安定しているのか,また第二に「能力主義管理」の内包する矛盾は何なのか,である。これらは,労働意
志形成に対する「能力主義管理」の影響を理解するためには明らかにされなければならない不可欠の論点である。「能力主義管理」制度は日本の企業労働者の欲
求と企業の論理の交錯として発展してきたものであり,そのようなものとして労働意志の形成に作用しているからである。」(p.181)
「かくて,「能力主義管理」という管理制度は,企業の論理と労働者の論理の二つの要請を条件とし動因としながら,その導入から現在の姿へと展開してくるこ
とになる。「能力主義管理」制度の性格を理解する場合の要点であり,以下の分析は,全体をこの視角で一貫している。(…)」(p.182)
「日本企業はこの年功制の再編に,当初,職務等級制=職務給の導入で対処しようとした。職務給の追求は1950年代から60年代半ばまで続いた。それは,
当然のことながら,賃率より高い上位職務への移動(職務昇進)が「先任権」というマギレのない年功基準(勤続年数順)に基づいて運用されるという,アメリ
カ的労使関係に発達した制度の日本への導入を意味するものではなかった。それでは職務級導入の管理的意味がなかった。職務昇進を人事考課によって管理的に
律することを通じて年功制の如上の管理的弱点を克服するものとしてこそ,職務給が追求されたのである。
それゆえ,職務給の追求とその後の「能力主義管理」は,管理意図は全く同質であった。職務給の導入史は「能力主義管理」に至る日本企業の能率刺激的管理
制度追求の前史であったといえる。違いは,職務給は労働者の強い反対を受けたが,「能力主義管理」(職能給)はそうではなかったということ,職務給制度の
難渋を経て「能力主義管理」が導入され展開してくるということであった。」(p.183)
「(…)年功賃金を広く支持した同じ労働者の意識のなかにも,仕事の苦労や努力や能力が違う以上は,年齢・勤続が同じなら処遇が全く同じというのでは逆に
悪平等だという感情が同時にあった。職務給の推進にあたって企業側がその説得の論理として示した「同一労働,同一賃金」という呼びかけは,労働者のこの意
識に働きかけようとしたものであり、その限りでは労働者は職務給のなかに一定の肯定すべきものを見たはずであった。しかし,職務給は,勤続(年功)ばかり
でなく個々の努力をも評価してほしいという労働者の欲求に応えるはずでありながら,実はそれさえも裏切るものであったのである。職務給に対する労働者の如
上の第二の不満の重要な示唆は,まさにこの点にある。」(p.186)
「石田氏は,「能力主義管理」が日本の組織労働者の強い反対を受けなかったという事実を,日本の労働者が競争主義を志向しており,それが「能力主義管理」
と重なり合ったことを示すものと解釈した。しかし職務給が労働者の激しい抵抗を受けた最も大きな要因は,まさにその露骨な競争的相対主義であった。職務給
は,役職昇進の相対主義を既存の年功的賃金上昇全般へはばかりなく拡張することを本質とするものであった。日本の労働者は,職務給を通して,この露骨な競
争主義,はなはだしき「相対区分」を拒絶したのである。
まとめよう。年功的賃金制度と調和し,かつ各人の努力がむなしくならないような「絶対区分」評価,これが日本の労働者の求めたものであった。職務給は,
この二つの欲求と激しく衝突したがゆえに定着することができなかった。翻って,「能力主義管理」が職務給とは対照的にともかくも制度として定着したという
事実は,このような日本の労働者の二つの志向に少なくともある程度はそれが適合するものであったこと,適合するような発展してきたことを示唆する。
(…)」(p.189)
「「能力主義管理」制度を理念的に描き出せば次のようになろう。――職務給から「能力主義管理」への展開は,属職基準から属人基準への賃金評価基準の展開
を意味する。すなわち,「能力主義管理」が制度理念上その評価基準とするのは「職務遂行能力」である。職務遂行に必要な「知識」と「技能」は勤続に伴う努
力と多様な経験によって習得され,向上していく。こうして日本的な雇用慣行の下で職務遂行能力は勤続とともに次第に高まっていく。「能力主義管理」はこの
属人的な職務遂行能力の発展程度に応じて処遇するというのであるから,その理念通りである限りは職務給のような職務ポストの制約という問題はない。一人一
人の能力向上と努力の積み重ねに賃金処遇を対応させうる形式を備えた制度だということになる。年功的志向とも調和する。そしてもちろん,企業の期待に応え
て能力形成に努力する者がより高く評価されるのであるから,企業側から見た年功制の「微温」性の克服という要請にも応えうる。以上が「能力主義管理」制度
の基本的な理念である。」(p.189-190)
「以上のように,石油危機以降の経済状況下で「能力主義管理」化が実質的に動き出した以降に能力基準の明確化が進んできたことは,「能力主義管理」の強化
には納得性と目標明示性の点から「絶対考課」化が必要とされたことを示すものである。その展開はゆっくりとしてはいるが,しかし確実に進展してもいる。
ゆっくりであるのは,制度の発展とはだいたいそういうものだという言い方もできるし,また後述するように基準の明確化は日本的経営が本能的に躊躇する要素
であるという側面も効いていよう。しかし,日本企業の先進部分はその辺りを巧妙に解決しながら必要な明確化を進めつつある。ゆっくりとした展開の内実はこ
のようなものであろう。(…)」(p.200)
「(…)職務給は,役職昇進の相対主義をこの年功賃金全般に拡大する能率刺激策であったがゆえに,日本の労働者は,そのような競争主義的相対主義の非情性
には強く反対したのであった。これに対して「能力主義管理」は,処遇を担当職務に対してではなく各人の能力段階とリンクするという制度の形態によって,職
務給が激しい反発を招いた相対主義をその形態上は回避するものであった。」(p.200)
「「能力主義管理」は,そのごく一般的な受けとめ方では,労働者間競争を刺激し利用する管理制度,企業論理のみが一方的に貫徹した労働者管理手段といった
側面ばかりで把握される傾向がある。それ自体は誤りではなくとも,そればかりで「能力主義管理」をとらえようとすると,「能力主義管理」がなぜ日本の労働
者に受容されるのかを誤って理解しかねない。以上の分析はこのことを示している。」(p.205)
「「能力」は行動を通してしか測定できないというのは,その限りでは否定すべくもない。しかし例えば,「各種溶接法を駆使して溶接する能力」の有無を労働
行為を通して判定するのと,かかる「溶接する能力」を用いて大量の溶接作業を会社の要請どおりに一日の作業量としてこなしうることとは明らかに異なる。
「能力主義管理」は,「能力は働きぶりを通じてのみ判定しうる」というそれ自体自明の論理によって,「能力」概念を,その「能力」を会社の要請どおりに流
動化する「能力」へと拡張しようとする。」(p.211)
「ここに「情意考課」の意義がある。なぜならそれは,能力形成や目標達成率という「結果」に取り立てて問題とするような見劣りはなくても,その「態度・意
欲」自体を問題とすることができる。さらに,基準が曖昧であるだけに,問題とされる態度(それを改めようとしない者)に対して差別的に峻烈な考課を行うこ
とができる。「能力主義管理」における「情意考課」の本質的な役割は,労働過程に示される努力や意欲一般を評価することではなく,その外観をとりながら企
業論理にとって異質な問題行為(矛盾の表出)を峻拒し,封じ込めることである。それは「能力主義管理」の論理の必然的要請である。」(p.227)
「まとめよう。人事考課と昇格管理における「曖昧さ」と「明瞭さ」の分離配分は,「能力主義管理」におけるこの矛盾した二側面の衝突回避のための必然的処
理形態だといえる。明瞭さは企業論理として,また労働者論理の圧力に応えるものとして必要であるが,多面で曖昧さも必要である。両者を一つの部面で同時追
求することはできない。多面化と分離配分によって,これに一応の解決が与えられている。」(p.229)
「*かくて中高年齢層以前では,それほど処遇格差はなく,外見上は「年功的」であり,「能力主義管理」が導入されていないのと区別がつかない。しかし,同
じなのではない。中高年齢層以前の「能力主義管理」は,何よりも「社員」としての姿勢(高い管理的要請を受け入れ実行する姿勢)を取るか否かという点で働
いている。この立場を取りえない者が,仕事の差別的配分などを通じて「無能」な役回りを与えられ,またそれによって仕事への「意欲」がそがれ,現に「無
能」に見えるようにされ,かくて他の「社員」には見られない明瞭な処遇格差が「能力主義」の名によって行われること,ここにこの年齢層における「『能力』
主義管理」の中心がある。(…)労働者は,競争を意識する以前に,高い管理的要請水準を受け入れ,実行する決意を迫られている。」(p.229-230)
「「能力主義管理」のこの強制は,労働者の間に競争を強いることによってではなく,すでにその前段において,「社員」たる基準として高い労働水準を確保す
るのである。ここでは労働者は互いを相手に競い合うのではなく,高い要請水準・企業価値を受容し実践するポジションに立つのか否かという,企業が突きつけ
た絶対的な基準を相手に苦闘するのである。したがって,日本の企業労働の高い労働水準,「能力」の際限なき拡張は,労働者間の競争以外のところですでに基
本的に確保されている。「能力主義管理」の労働強制の根幹はこの点にある。「能力主義管理」はまず,この基準をクリアできない者,クリアしたくない者に対
して,「能力」の名の下に峻烈な評価・処遇を行うのである。かくて確保された高い水準を前提にして,「能力主義管理」の第二の強制が作用する。「能力主義
管理」の競争的な競争である。」(p.232)
「「能力主義管理」が「自発」への意識転換を誘う契機は,その「絶対考課」・「絶対区分」の側面(労働者の論理を企業管理として取り入れた側面)にある。
「能力主義管理」の発展の一面は,伝統的な労働者間相対比較の人事考課から,労働者への要請の内容を考課基準として明確化し,それに従って評価する「絶対
考課」形式への発展であった。そこでは,一人一人への会社の期待内容(能力形成と達成目標)が会社全体の経営目標や部や課の仕事との関係で明瞭である。そ
れは職場における自分の役割を労働者に意識させる。その明瞭な期待を果すことが,自分の存在意義を確認することである。やるべき要請の意義と内容が明瞭で
あり,それに対して努力すれば評価がなされる形式であるだけに,如上の心理環境では,その明瞭なる要請が随伴する様々な矛盾と苦痛など否定的契機を振り払
い(「強制」をそれと意識し続けることを拒んで),どうせやるなら前向きに期待に応え,組織のなかでの自分の貢献を実感するという「やり甲斐」にかけよう
とする労働態度,そのような態度への心理的転換を普通の労働者がやがて選び取るのはほとんど必然である。」(p.235)
「「自発」の諸契機がこのように際限なき労働の基盤をなす労働意識の形成に管理的に利用されているからといって,「能力主義管理」の「自発」の諸契機それ
自体が最大の問題なのではない。「自発」要因は,管理的に利用されているからといって否定されるべきではなく,むしろその「限定」こそが批判され,日本的
経営におけるその拡張が探求されるべきであろう。最大の問題は,明示的要請水準の無際限さ・価値一元的要請と,それを支える曖昧な管理的裁量のもつ「強
制」である。そしてその背後には,それらに対する労働者自身の否定と肯定の二面性という既述の問題が横たわっている。」(p.236)
「(…)われわれは,少なくとも1970年代から現在まで,日本の労働組合が働き方に基準を設けてそれを集団的に確保するという機能を失っているという事
実を確認すれば,それで一人一人の労働者にとっての内部的な選択可能性の喪失は理解される。
しかし,次の点は強調したい。企業別組合が日本の戦後史において企業協調的に変化してきた根底的根拠は,普通の組合員一人一人の意識(「会社あっての労働
者」,「会社をつぶしては元も子もない」,「会社の発展が従業員の生活を築く」,等々)を規定した日本的雇用慣行の確立であることは間違いない。上述した
企業個別的な特殊日本的「年功賃金」と「学卒一括採用」慣行が1950年代から60年代初めに定着し,他方で同時期に雇用条件の企業別格差が明確になった
ことを基本的背景として,これに企業側からの対抗的労働組合運動を放棄せよとの執拗な呼びかけ・攻撃が加えられて変化へのイニシアティブとなったことが,
「会社の繁栄によって生活向上を」という協調主義理念が組合員に浸透しえた根拠であったであろう。」(p.273-274)