『私は「うつ依存症」の女――プロザック・コンプレックス』
Wurtzel,Elizabeth 1994 Prozac Nation , Houghton Mifflin
=20010425 滝沢千陽訳,同朋舎,284p.
■Wurtzel,Elizabeth 1994 Prozac Nation Houghton Mifflin
=20010425 滝沢千陽訳,『私は「うつ依存症」の女――プロザック・コンプレックス』,同朋舎,284p. ISBN-10: 4062107023 ISBN-13: 978-4062107020 [amazon] ※
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■内容(「MARC」データベースより)
深刻なうつ病に陥った日々の心の地獄を綴った自伝。うつの気持ちのありのままを書き、うつ病患者がどう感じるか、経験の事実のみを綴り、うつ病が生活を、更に命を奪ってしまう深刻な病気であることを伝える。映画化決定。
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Elizabeth Wurtzel writes with her finger in the faint pulse of a generation whose ruling icons are Kurt Cobain, Xanax, and pierced tongues. A memoir of her bouts with depression and skirmishes with drugs, Prozac Nation still manages to be a witty and sharp account of the psychopharmacology of an era.--このテキストは、 ハードカバー 版に関連付けられています。
■引用
「 抗うつ剤の副作用もあるのだろう。薬を飲むと気分は落ち着くのだが、全身からエネルギーも奪ってしまうのだ。薬漬けの生活を早くやめたい。」(p. 14)
「生活するために、一生薬を飲みつづけるのだろうか。薬をやめてたった一ヵ月で、すでにこんなに頭が変になっているのだから。」(p. 19)
「翌日、ステアリング先生はメラリルが効いたことを喜んで、この薬を処方することに決めた。一日三回の服用。ただ、先生が望んでいる薬の効用とは何なのか、私にはよく分からなかったことも確かだ。マクリーン診療所では、抗うつ剤としてメラリルの少量服用を試みていた医師もいる。でも、私の場合、メラリルの服用を始めると、何事にも無関心になってしまったのだ。鬱々とした少女から、頭がからっぽの少女になってしまったような。あまりに完璧に感情がなくなってしまったので、ステアリング先生も他の医師も、これを回復と間違ったように思う。」(p. 193)
「当然フライト中も、不安のあまり一睡もできず、メラリルを次から次へと飲む始末で、ギャトウィック空港に着くと、にわかに薬が効きはじめ、歩いていると、まるでエーテルが充満した穴蔵の中をずっしりとした重りを抱えて運んでいる気分になってしまった。そこら中の空気に浮力があるような、歩くだけでもすごいエネルギーを要した。」(p. 217)
「通常の三倍のメラリルを飲んでいた私は、なんとか起きていようとカウチに座っても、さらにメラリルを飲みたくなってしまう。(中略)そんなことを考えては、またメラリルを飲んだ。どれほど飲んだだろう。旅行に際して、瓶を二、三本買ったから、かなりの量があったはずだ。
ステアリング先生もまさか、数分置きに薬を飲んでいるとは思わなかっただろう。しかし精神安定剤の常用者は、安心するために次から次への薬を飲むものだ。」(p. 225)
「プロザックの服用を決めてはじめて、私は診断を受けたのだった。薬の開発が病気の診断をもたらすとは、たしかに非論理的な経路とも思えるが、後から分かったことだが、精神病の分野では決して稀なことではないという。物質医薬品が、症状の経過を決定するという、まさしくマルクス主義的精神薬理学と言えるかもしれない。」(p. 233)
「でもその事実を受け入れないうちは、うつ病を捨てることがとても怖かった。自分の最悪な部分が自分のすべてかもしれない、と思うと、新しい自分に生まれ変わることに怖じ気づいていたのだった。
長いことうつ病は、私の欠点を説明するための都合のいい手段でもあり、正しいことをはっきりさせるには不利な条件でもあった。
そしていま、薬の力で、病気はよくなっている。織の中で育った野生動物が、ジャングルの弱肉強食のルールを知らないまま自然生活に戻されたら、たとえそこが本来の帰属場所であっても、生きながらえないかもしれない。正常な自分で生きていけるだろうか。いったいこれまでの自分は誰だったのだろう。」(pp.258‐259)
「 でも、「満足すること」に完全に慣れるまでには、それからしばらくかかった。うつ病を出発点としない生活をし、考える方法を自らつくりだしていくのはなかなかたいへんだった。なぜならうつ病は一種の嗜癖であり、多くの嗜癖がそうであるように、それがどんなに惨めでも、やめるにはエネルギーがいるからだ。
プロザックを服用していると、気分が楽になっていることがはっきりと意識できた。でもこの新しい均衡をまたいつ失うかもしれないと思うと、すくんで立ちつくしてしまうこともあった。振りだしに戻るかもしれないと思うと、幸せであることもしばらく不安だった。」(p. 261)
「 医師たちがこんなに簡単に処方するなんて、怒りを覚える。私の場合、プロザックを飲むまでに、他の可能性をすべて試し、私の脳は多くの薬でフライになったようだったし、一〇年以上も絶望がひきのばされていた。ところがいまでは、頼めばすぐ手に入る万能薬プロザックがあるというわけだ。」(p. 269)
「不幸な気分の解決策を考えるとき、決まってプロザックやゾロフト、パクシルといった抗うつ剤に行きつくところが問題なのだ。うつ病という精神病は薬で治療すべきだろう。しかし没価値状況(アノミー)疎外感、不快感、手の施しようのない社会を忌み嫌う気持などは、抗うつ剤が解決するものではない。」(p. 271)
「私は、自分がプロザックだけでなくリチウムも飲んでいてとにかく本物のサイコ野郎なんだってことを、ハッピーにありたいと安易に薬を飲んでいる人たちとは悲しみの深さが違うんだ、ということを分かってもらいたい。プロザックだって、食品医薬品局が最初に認可したときから服用しているんだ! 地球上の誰よりも先にプロザックを飲んでいるんだ! と、宣言してまわりたい衝動に駆られるのだ。」(p. 272)
「プロザックが、クレーマー医師が「外見をとりつくろうための薬理学」と呼ぶ、大人になれない人たちのためのばかげた薬だとみなされてしまったら、本当に薬を必要としている人たちすらも、「プロザックは効かないのでは?」と思いはじめるだろう。多くのプロザックに関する記事の論調は、人人にうつ病の深刻さを忘れさせてしまうのではないか。
私が知っている秘密は、プロザックがそれほど素晴らしい薬ではないということだ。もちろん常時うつ状態の生活から救ってくれた奇蹟的な薬だったことは、いまでも信じている。この事実だけで多くの人は、プロザックが天の恵みだと思うだろう。が、六年間プロザックを飲みつづけたいま、これが終焉ではなく、始まりだという気がする。
精神の病はどんな新薬よりも複雑なのだ。私の場合は、病気の原因は遺伝的なものよりも、むしろ人生のさまざまな出来事の積み重なりによって、脳の化学物質が正常な活動を止めさせられたと確信している。もちろんこれが確かなのか、知る由もない。エイズ検査のように、血液検査では精神的異常は発見できないのだから。」(pp. 272-273)
「プロザックと他の薬との併用がうまく効果をあらわした事実は、私の悲惨な道程がいつどう始まったかを悩むよりも、脳の化学物質がまず問題なのだとも確信させた。」(p. 273)
「最初に存在していた脳の異常だけが、うつ病を引き起こすのではないのだ。何年にもわたる外因によってもたらされたうつ気質が、さらに脳の化学物質を異常にしたのだから、正常に戻す薬もまた必要なのだ。」(p. 273)
作成:松枝亜希子