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『へんてこな贈り物――誤解されやすいあなたに 注意欠陥・多動性障害とのつきあい方』

Hallowell, M. Edward & Ratey, John J. 1994Driven to Distraction: Recognizing and Coping With Attention Deficit Disorder from Childhood Through Adulthood,Pantheon Books
=19981210 司馬 理英子 訳,インターメディカル,308p.


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■Hallowell, Edward M. & Ratey, John J. 1994 Driven to Distraction: Recognizing and Coping With Attention Deficit Disorder from Childhood Through Adulthood, Pantheon Books=19981210 司馬 理英子 訳 『へんてこな贈り物――誤解されやすいあなたに 注意欠陥・多動性障害とのつきあい方』,インターメディカル,308p. ISBN-10:4900828084 2100 [amazon][kinokuniya][kinokuniya][BK1]  ※ adhd. a07.
 *エドワ−ド・M.ハロウェル ジョン・J.レイティー

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内容
(「MARC」データベースより)
エジソンとモーツァルトと坂本竜馬の共通点、それは注意欠陥障害だった! 気が散りやすくて、だらしなくて、怒りっぽくて、いつも誰かを困らせているあなたに、症状とのつきあいかたを紹介する。〈ソフトカバー〉

■目次

序文 個人的な背景
第一章 ADDとは何か
第二章 子どものADD
第三章 大人のADD
第四章 夫婦のADD
第五章 ADDと家族
第六章 様々なADD
第七章 診断へのステップ
第八章 ADDの治療
第九章 ADDの生物学

訳者あとがき

■引用

 「それまで生まれつきの気性か神経症だと思っていた自分の特徴に、なんと名前があったのだ。これまでいらいらしたり、怯えたりしていた自分のこんな部分に、納得がいくようになった。それも「自分を許す」という形で。」p.6
 「「障害」という言葉が、この症候群をまったく病的なもののようにしてしまうのもよくない。ADDは、たくさんの問題を引き起こしうるが、エネルギーや直観力、創造性、情熱という強みだってあるのだ。「障害」と名づければ、そういう特性を全く見すごされてしまう。この本ではとくにそこを強調したい。」p.7

*ADDの総合的な治療法
1.診断…治療の第一歩は診断にあり
2.教育…ADDを知れば知るほど治療効果が上がる
3.枠組み作り…枠組みとは、外部からの制約のことで、ADDの人には不可欠のもの
4.コーチングと心理療法…ADDの人は、コーチングがいると、とてもうまくいく
5.薬物療法…ADDの多くの症状を改善する薬剤がいくつかある

 「マックスの話はまた、ADDの一次的症状と二次的症状の重大なちがいを教えてくれる。一次的症状とは、注意散漫、衝動性、落ち着きのなさなど、ADDそのものの症状である。二次的症状とは、ADDが認識されないために派生してくるもので、扱いが難しい。自尊心の低さ。うつ病。学校が退屈でうまくやれない。新しいことを学ぶのが不安。友人との関係がうまくいかない。麻薬中毒。アルコール中毒。盗み。過度の欲求不満からくる暴力などさえある。ADDの診断が遅れれば遅れるほど、二次的症状は大きくなる。、世間には「隠れADD」の大人がおり、自己をいろんな面でむやみに否定的にとらえている。彼らは極端に動き回ったり、辛抱ができなかったり、落ち着きがなく、衝動的である。時には直感にすぐれ、創造的であるのに、仕事をやりおおせない。安定した人間関係を築くために、充分な時間をかけられない。こうした人はたいてい、子どもの頃に自尊心に傷を負っている。早く診断がつけば、このような二次的症状は、うまく処理できる。良識を疑われたり、あざけりのレッテルを貼られることなく、自分の頭脳とうまく折り合えるという、創造的な段階へ早く移行することができる。」p.71

 「ADDについて知るにつれ、ウィルは複雑な反応を示した。若い男性患者にはありがちだ。安堵感も覚えていた。「怠け者」以外に自分の弱点を表現する言葉に興奮した。「性格の悪さ」以外に、トラブルを起こす原因がある。そして治療法があるのを喜んだ。しかし懐疑的でもあった。彼はある部分ではその診断を信じていなかった。真実にしては、ちょっとできすぎだ。心の一部では、ADDという概念を受け入れるより、自分を「怠け者」と呼んでいたほうがずっと楽だった。彼には、人生は戦いであると考えるほうが受け入れやすかった。戦いでは負けることもある。本気でやり抜くべきだ。自分がADDという症候群の犠牲者で、自分を完全に制御できないとは思いたくなかった。
 診断に抵抗を感じるとともに、投薬を含めた治療にもウィルは抵抗した。彼曰く、「きちんと考えるために」薬に頼りたくなかった。薬――彼の場合はリタリン――は、集中するのにとても役立ったが、ウィルは、たまにしか飲まなかった。薬を飲むと成績は上がり、やめると下がった。成績と薬の副作用の間に、はっきりした相関があり、自分でもそれに驚いた。成績がよくなったのは自分のせいではなく、薬のためだと思って、自力でもやれることを証明するために、薬を飲まなくなる。薬を飲むと成績は上がり、飲むのをやめると成績が落ちるというサイクルが、何度となく繰り返された。
彼は、「薬は眼鏡のような正当な治療」と思える境地には至らなかった。むしろ、松葉杖とかずるいやり方だと考えた。ウィルは人生を、頑ななまでに名誉を重んじて生きようとしていた。薬を飲むことは、彼の誇りを傷つけた。」p.83-84

 「疑似ADDと本当のADDのちがいは、症状の持続期間と強度の問題である。これは多くの精神科的診断と共通する。本当のADDの人は、ほとんどいつもその症状に悩まされ、平均的な人よりはるかに強く苦しんでいる。何よりもその症状によって、普通の人には考えられないほど、日常生活に支障をきたす。本当のADDを、疑似ADDとしっかり区別してかからねばならない。気が散ったり気ぜわしかったりすぐ退屈する人が、みなADDであると診断されたら、ADDはただ一時的な流行にすぎなくなってしまう。本当のADDは真に生物学的な状態であり、慎重な診断と治療が必要である。」p.208

 「診断がつくと希望が生まれる。ADDの場合、ほかの病気や障害以上に、診断そのものに大きな治療効果がある。長年の誤解でできあがった壁が、がらがらと崩れ去り、これまでの苦労の原因が明らかに説明されるからだ。普通の病気や障害では、診断がつき、そこから治療方針を決める。だがADDの場合は、診断自体がすでに治療だといえる。診断がついただけで、大きな救いになる。
 例えば、あなたが近視で、近視などというものがあると聞いたこともなかったとしよう。何年もの間、黒板が見づらくて授業についていけないのを、努力が足らず、やる気がないせいだと思い込んでいたとき、そんな時、この世に近視というものがあるのだと聞かされたらどうだろう?努力や態度の問題でなく、からだの問題だったのだとわかったとしたら、どれほど安心することか、想像していただきたい。ADDもそれと同じだ。診断がつくと、心が解き放たれるのだ。そのほかの治療はすべて、ADDをきちんと理解することから始まっていく。」p.227

*ADDの治療で見られる問題p.281〜
1.その人を取り巻く人々(教師、親、配偶者、雇い主、友人など)が、ADDの診断を受け入れない
2.はじめは目覚しくよくなるが、やがてそれはゆっくりしたものになる
3.ADDと診断された人が薬物療法を試そうとしない
4.どの薬も効かないようだ
5.薬物療法のさい、患者が不法に薬を得ようとしているような印象を与える薬剤師がいる
6.ADDだということがどんな気持ちかをわかってくれる人を見つけられない
7.ADDについて、誰にどう話をするかがむずかしい
8.近くにADDを診断、治療できる医師が見つからない。ADDの情報が手に入らない
9.枠組みを作ろうとするのに、うまくいかない
10.ADDであることに、恥ずかしさや当惑がつきまとう


*作成:山口 真紀
UP:20080710 REV:20090502
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