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『ミシェル・フーコー思考集成IV 1971-1973 規範/社会』

Foucault, Michel 1994 Dits et Ecrits 1954-1988, Edition etablie sous la direction de Daniel Defert et Francois Ewald, Ed. Gallimard, Bibliotheque des sciences humaines, 4 volumes
=19991125 蓮實重彦・渡辺守章 監修/小林康夫・石田英敬・松浦寿輝 編『ミシェル・フーコー思考集成IV 1971-1973 規範/社会』,筑摩書房,499p.

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Foucault, Michel 1994 Dits et Ecrits 1954-1988, Edition etablie sous la direction de Daniel Defert et Francois Ewald, Ed. Gallimard, Bibliotheque des sciences humaines, 4 volumes =19991125 蓮實重彦・渡辺守章 監修/小林康夫・石田英敬・松浦寿輝 編『ミシェル・フーコー思考集成IV 1971-1973 規範/社会』,筑摩書房,499p. ISBN-10:4480790241 ISBN-13:978-4480790248 \6090 [amazon][kinokuniya] ※

■目次

1971
84 ニーチェ、系譜学、歴史 伊藤晃訳
85 ミシェル・フーコーとの対談 慎改康之訳
86 GIP〔監獄情報グループ〕の宣言書 大西雅一郎訳
87 監獄について 大西雅一郎訳
88 監獄についての調査、沈黙の鉄格子を打ち破ろう 大西雅一郎訳
89 ミシェル・フーコーとの対話 大西雅一郎訳
90 監獄は到る所にある 大西雅一郎訳
91 序文 大西雅一郎訳
92 第十五条(集会での発言) 大西雅一郎訳
93 ジョベール事件についての情報委員会の報告(集会での発言) 大西雅
一郎訳
94 私は耐え難いものを感じる 大西雅一郎訳
95 ずっと以前から私はある問題に関心を持っている、それは懲罰システム
という問題だ 大西雅一郎訳
96 ミシェル・フーコー氏の書簡 大西雅一郎訳
97 批評の怪物性 大西雅一郎訳
98 善悪の彼岸 西宮かおり訳
99 トゥールの発言 大西雅一郎訳
100 フーコーは答える 西宮かおり訳
101 知への意志
−コレージュ・ド・フランス一九七〇−一九七一講義要旨 
石田英敬訳
1972
102 私の身体、この髪、この炉 増田一夫訳
103 歴史への回帰 岩崎力訳
104 デリダへの回答 増田一夫訳
105 大がかりな収監 菅野賢治訳
106 知識人と権力 蓮実重彦訳
107 円卓会議 菅野賢治訳
108 人民裁判について−マオイスト(毛沢東主義者)たちとの討論 菅野
賢治訳
109 文化に関する諸問題―フーコーとプレティの討議 安原伸一郎訳
110 我々の社会における医学の主要機能―ジャン・カルパンティエ博士の記者会見の席にて 高桑和己訳
111 自分の文化を罠にかける−ガストン・バシュラールについて 高桑和己訳
112 「真理―司法」集会。千五百人のグルノーブル人が弾劾する−ディス
コ火災に寄せて 高桑和己訳
113 流血あるいは火災―ディスコ火災に寄せて 高桑和己訳
114 ポンピドゥーの二人の死者―監獄と死について 高桑和己訳
115 刑罰の理論と制度―コレージュ・ド・フランス一九七一−一九七二度講義要
旨 高桑和己訳
1973
116 序文―セルジュ・リヴロゼ『監獄から反抗へ』に寄せて 高桑和己訳
117 労働者の記憶の年代記のために−フーコーがジョゼ、「リベラシオン」紙記者と語る 高桑和己訳
118 逃げる力―ポール・ルベロルの連作『犬たち』に寄せて 高桑和己訳
119 アルケオロジーからディナスティックへ 蓮実重彦訳
120 結論に代えて 石田久仁子訳
121 新しい雑誌? 石田久仁子訳
122 オイディプスをめぐって 石田久仁子訳
123 知識人は考えをまとめるには役立つが、知識人の知は労働者の知と比べれば部分的でしかない 石田久仁子訳
124 哲学者フーコーは、語っているところだ……。思考せよ 石田久仁子訳
125 刑務所と刑務所の中の反乱 石田久仁子訳
126 世界は巨大な精神病院である 石田久仁子訳
127 監獄的監禁について 石田久仁子訳
128 裁判所に出頭を命じられた 石田久仁子訳
129 最初の討論、最初のカタコト。都市は生産の力なのか、それとも反生産の力なのか? 石田英敬訳
130 精力的な介入により、歴史のなかへの心地よい滞留から引き剥がされて、私たちは「論理的カテゴリー」を建造すべく懸命に立ち働く 石田英敬訳
131 懲罰社会―コレージュ・ド・フランス一九七二−一九七三講義要旨 石田英敬・石田久仁子訳
日本語版編者解説(石田英敬)

■内容

1971
84 ニーチェ、系譜学、歴史 伊藤晃訳
 『ジャン・イポリット記念論文集』、パリ、PUF社、「エピメテ」叢書、一九七一年、145−172ページ。

「この極めて重要な方法論的論文の狙いは、まさに、ヘーゲル的な〈大きな歴史〉、〈真理の歴史〉を全面的に転倒することだと見てよく、70年代以降、ポスト構造主義やポストモダニズムが繰り広げてみせた歴史や真理の物語の批判はすでにここにすべて書き込まれているといっても過言ではない」(「編者解説」より)

「歴史の次の用い方。それはわれわれのアイデンティティーの組織的な解体である。というのは、われわれがある仮面のもとにまとめあげ確保しようとするこのアイデンティティーなるものは、じつはひどくあやふやなもので、それ自体一つのパロディーにすぎないからである。複数のものがそこには住んでおり、無数の魂がそこで争っているのである。」(本文より)

85 ミシェル・フーコーとの対談 慎改康之訳
 J.G・メルキオール、S.P・ルアネ、『人間と言説(ミシェル・フーコーの考古学に捧げて)』、リオ・デジャネイロ、テンポ・ブラジレイロ社、一九七一年刊行、17−24ページに所収(この対談のテクストはフーコーの手に委ねられたが、結局彼による修正を得ることはできなかった)。

J.G・メルキオールには「フーコー;全体像と批判河出書房財津理訳」というフーコーについての著作がある。

「つまり、マルクス主義のように重要なもの、精神分析のように興味深いものを、科学などという名で呼んではならないのと思うのです。結局、科学それ自体というものは存在しません。(中略)科学は、いくつかの図式、モデル、価値付け、コードといったものに従うことによってのみ、規範性を持ち、ある特定の時期に科学として実際に機能します。」(本文より)

86 GIP〔監獄情報グループ〕の宣言書 大西雅一郎訳
 一九七一年二月八日、拘留されたプロレタリア左派の活動家およびその支援委員会によるハンガーストライキを中止する際に、モンパルナスのサン=ベルナール礼拝堂で、取材陣に対して配布されたタイプ印刷の宣言書。これにはJ-M・ドムナック、M・フーコー、P・ヴィダル=ナケが署名し、フーコーが読み上げた。M・フーコーは印刷に関する記載のないパンフレットを印刷した廉で裁判所への出頭を命じられた。

本文の導入部にドフェールによる結成に至る経過などについての詳しい説明が書いてある。

「フーコーは、「〈不寛容=耐え難さ〉調査」と彼が名付けた運動を提唱。それは、耐え難い(=不寛容な)事例を調査収集し暴露すると同時にそれらの事例の社会にとっての耐え難さの感覚を惹起することをめざしたものとなる。」(思考集成第・巻所収の「年譜」・1971年2月8日より)

「我々のうちの誰もが監獄とは無縁である保証はない。今日においてはかつてないほどそうなのである。
日々の我々の生活に対して、警察の厳戒な監視体制が敷かれている。街頭や道路において、外国人や若者に関して。」(本文より)

87 監獄について 大西雅一郎訳
 「我弾劾す」誌、第三号、一九七一年三月十五日、26ページに所収。

「我々は、拘留者が閉じ込められている二重の孤立を打ち破りたいと考える。すなわち、我々の調査を通して、彼らが相互にコミュニケートすること、自分たちの知っていることを互いに伝達すること、監獄から監獄へと、独房から独房へと話を交わすことができるようにしたい。彼らが一般住民に言葉を差し向け、そして一般住民が彼らに話をしうるようにしたいのだ。これらの孤立した経験や反抗を、共通の知と連携の取れた実践に変換しなければならない。」(本文より)

88 監獄についての調査、沈黙の鉄格子を打ち破ろう 大西雅一郎訳
 (M・フーコー、P・ヴィダル=ナケにC・アンジュリが話を聞く)、「ポリティック−エブド」誌、第二十四号、一九七一年三月十八日、4−6ページ。

「ある拘留者は我々にこう書いてきました、「囚人は果てしない社会的攻撃傾向の対象なのだ」と。これは政治犯に関することではないので、この言葉遣いは人を驚かせることでしょう−でも残念なことですが、この指摘は恐ろしいまでに真実なのです。」(本文より)

89 ミシェル・フーコーとの対話 大西雅一郎訳
 J.K・サイモンとの対話、F・デュラン=ボゲールによる英語からの翻訳、「パーティザン・レヴュー」誌、第三十八巻、第二号、一九七一年、四−六月、192−201ページ。

フーコーに対して、主に教育や大学について尋ねているインタヴュー。

「こうした措置(排除の機能)によって、十八歳から二十五歳の若者はいわば社会によって、また社会に有利なように無力化され、政治的にも社会的にも、安全なもの、能力を欠いたもの、去勢されたものとされるのです。これこそが大学の第一の機能です。学生を社会の回路の外に置くことです。しかしながら、第二の機能は統合化の機能です。学生がひとたびこの人工的な社会で人生の六年か七年を過ごした後には、学生は同化可能となります。つまり社会は学生を消費することができるのです。(中略)この意味で大学は、疑いなく、いわゆる原始社会に見られるシステムとたいして変わらないのです。」(本文より)

90 監獄は到る所にある 大西雅一郎訳
 「コンバ[戦闘]」誌、第八三三五号、一九七一年五月五日、1ページ。

「我々の側としては、もちろん告訴を行う。なぜなら、街で見かけるごく些細な日常的な任意の事柄において、パンフレットの配布という見たところ単純な問題において、どんなに下級の警官でさえも自分の演じさせられている役割を完全に意識しているのだから。つまり、彼自身がシステムを任命=命名するのであり、彼の不器用な粗雑な行動を通してシステムは徐々に打ち立てられる。」(本文より)

91 序文 大西雅一郎訳
 『二十の監獄での調査』(パリ、シャン・リーブル社、アントレラブル[耐え難きもの]叢書、第一巻、一九七一年五月二十八日、3−5ページ)への序文。
 監獄情報グループが制作した最初の小冊子の紹介で署名は入っていない。この小冊子は、約二十の留置場と中央刑務所で極秘裏に回覧した質問票の項目の順番に従っている。改修された質問票に基づくこの小冊子の制作にM・フーコー本人が携わった。

「裁判所、監獄、病院、精神病院、労働医学、大学、マスコミ・情報機関、これらすべての制度を通して、また様々に違った外見を採って、抑圧が行使される、そしてその抑圧の起源には政治的抑圧がある。」(本文より)

92 第十五条(集会での発言) 大西雅一郎訳
 「人民の大儀―我弾劾す」誌、特別号、「警察、ジョベール事件」、一九七一年六月三日、4−5ページ。
 一九七一年五月二十九日土曜日の夕刻、ジャーナリストのアラン・ジョベールはクリニャンクール通りを通りがかり、アンティル諸島の人々のデモの終わりのところで、ソリエという頭部を負傷した男性が囚人護送車に乗せられようとしているのを見る。ジョベールはジャーナリストとして、そこから五分のところにあるラリボワシエール病院まで負傷者に付き添いたいと願い出る。三十分後、警察はソリエを病院に収容する、ついで四十五分後、ジョベールは血塗れになり衣服はボロボロに破けていた。(冒頭についている「ジョベール事件」についての説明の一部より)

「こうした理由から我々は憲法に記載された我々の権利を前面に押し出そうと決めたのだ。すなわち、一七八九年の人権宣言に定式化され、一九五八年の憲法〔第五共和政憲法〕の基準になっている権利だ。第十五条、「社会はあらゆる公務員にたいしてその行政についての説明を要求する権利を持つ」。」

93 ジョベール事件についての情報委員会の報告(集会での発言) 大西雅一郎訳
 「人民の大儀―我弾劾す」誌の付録、一九七一年六月二十八日、1−3ページ。前出No.92を参照。

「我々は数多くの目撃証人に会った。そのうちの幾人かは名前を明かす覚悟であった。その他の人々は反対に覚悟はできていなかった。というのも、彼らは警察を恐れていたのであり、警察が下町で住民や商店主に対して加えるかもしれない日々の圧力、警察が巧みに加えるそうした圧力を恐れていたからだ。彼らは司法が自分たちを警察から保護してくれる立場にはないと思っていた。」(本文より)

94 私は耐え難いものを感じる 大西雅一郎訳
 (G・アルムルデールとの対談)、「ジュネーヴ新聞―文学の土曜日」(「カイエ一三五」)、第一七〇号、一九七一年七月二十四―二十五日。

「いずれにしても、世界全体がたった一人の人間の罪にも関与しています。ところが、監獄という世界が現に存在するその時点から、外部にいる人々は正しいもの、あるいは正しいという評価を得ているものとされます。このことによって両者の間に一種の断絶が確かに生じます、そして外部にいる人間は内部にいる人間にもはや責任がないかのように思うのです。」(本文より)

95 ずっと以前から私はある問題に関心を持っている、それは懲罰システムという問題だ 大西雅一郎訳 (J・ハフシアとの対談)、「チュニジア通信」紙、一九七一年八月十二日、3ページ。

「実際、フランスの監獄はとてつもなく時代遅れの、いまだに中世的な制度であって、世界の中でも最も旧態依然としたものでまた同時に最も苛酷なものに入ります。」(本文より)

96 
ミシェル・フーコー氏の書簡 大西雅一郎訳
 「ラ・パンセ」誌、第一五九号、一九七一年九−十月、141−144ページ。(J-M・プロルソンの論文、「ミシェル・フーコーとスペイン」―「ラ・パンセ」誌、第一五二号、一九七〇年八月、88−89ページ−への回答) このテクストにおいてはマルセル・コニュの側より、M・フーコー氏に語調緩和の依頼があったものの、幾つかの用語の変更がなされただけである。注において元のテクストを示しておく。

「その論文において、プロルソン氏は私のテクストに幾つかの重大な歪曲を加えたので、実質的な議論はまったく無駄であるのだが、批評の名誉のためにその歪曲については応酬しておく必要がある。」(本文より)


97 批評の怪物性 大西雅一郎訳
 (F・デュラン=ボゲール訳)、「ディアクリティックス」誌、第一巻、第一号、一九七一年秋、57−60ページ。(J-M・プロルソンの論文、「ミシェル・フーコーとスペイン」、「ラ・パンセ」誌、第一五二号、一九七〇年八月、88−89ページ、およびG・スタイナーの論文、「現代の官僚的知識人、ミシェル・フーコー」、「ザ・ニューヨーク・タイムズ・ブックレヴュー」、第八号、一九七一年二月二十八日、23−31ページについて)

「これらのテクストの興味は以下の点にある。両者は四つの伝統的な変形作業の方法を利用している(テクストの歪曲、コンテクストを外れた切り取り(デクパージュ)あるいは引用、改竄そして省略)」こと、また、双方ともに同じ三つの法則(当該書物についての無知、自分たちが論じている事柄についての無知、自分たちが反駁している事実やテクストについての無知)に従っていること、それにもかかわらず両者がまったく正反対の結論に到達していることである。一方の場合には、当の書物のエントロピーを増大させつつ実行される変形作業が問題となり、他方ではエントロピーを減少させながらの変形作業が問題となる。」(本文より)

98 善悪の彼岸 西宮かおり訳
 (アラン、フレデリック、ジャン=フランソワ、ジャン=ピエール、フィリップ、セルジュらリセの生徒たちとの座談会。M-A・ブルニエおよびP・グレイヌ再録)、「アクチュエル」誌、十四号、一九七一年十一月、42−47ページ。

「われわれの文明の骨格ともいえるこのローマ法においてすでに、個体性は従属する主権と定義されています。私有財産制度が含意しているのは、所有者とは、彼の財産の唯一の主人であるが、それを活用するにせよ、悪用するにせよ、つねにみずからの所有の根拠となる法の総体に従うものだ、という考え方です。それは、権力を握る人々のみが行使し得る所有権という至高の権利を定着させることで、力への意志を従属させたのです。このやり取りにおいて、ヒューマニズムは制度化されました。」
「監獄制度にかんして、ヒューマニストはこう言うでしょう、「有罪の人は有罪、無罪の人は無罪。それでもやはり、受刑者は他の人々と同じ人間であって、社会は、彼のうちにある人間的なものを尊重すべきなのだ。それゆえ、水洗なのだ!」と。われわれの活動は、むしろその逆で、受刑者の背後に魂や人間を求めたりはせず、無罪と有罪のあいだのこの深い境界を消し去ろうとするものです。」(本文より)

99 トゥールの発言 大西雅一郎訳
 「ル・ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール」誌、第三七二号、一九七一年十二月二十七日―一九七二年一月二日、15ページ。
 トゥール〔ロレーヌ地方〕中央刑務所の精神科医、エディット・ローズ博士は、一九七一年十二月九日から十三日の間にこの中央刑務所に壊滅的な被害をもたらした暴動の後で、監獄行政の総監督官に対して証言を行った。(中略)ローズ博士の発言はM・フーコーにとってまさしく「特殊知識人」の発言であった。ローズ博士は監獄行政から解任された。

「トゥールで、先週の木曜日、監獄付きの女性精神科医が話をした。彼女が言ったことは何か。漠然とではあるが今では周知の知識として既に人々に知られていた沢山の事柄である。数日間にも渡って手足をベッドに縛り付けられた人間、毎晩のように起きる自殺の試み、規則的に交互に加えられる懲罰と鎮静剤、独房と注射、地下牢とヴァリウム(おお何と安堵を与える=精神安定剤のような道徳であろうか!)、二十歳で終身犯罪者に変えられる自動車泥棒。」(本文より)

100 フーコーは答える 西宮かおり訳
 〔仏訳者:F・デュラン=ボゲール〕、「ディアクリティックス」誌、第一巻、第二号、一九七一年冬、20ページ。(ジョージ・スタイナーの反論に対する反駁、本書No.97参照。)

「スタイナー氏には、同情の念を禁じ得ない。」(本文より)

101 知への意志−コレージュ・ド・フランス一九七〇−一九七一講義要旨 石田英敬訳
 『コレージュ・ド・フランス年鑑』、第七一年次、「思考システムの歴史」講座、一九七〇−一九七一年度、一九七一年、245−249ページ。

「本年度の講義は、それぞれの断片が集まって次第に少しずつ「知への意志の形態学」を構成することをめざした、ひとつの分析のシリーズを開始するものである。知への意志というこの主題は、ある時は、限定された歴史的研究のなかで考えられていくことになるだろうし、またある時には、それ自身として、その理論的内実において扱われることになるだろう。」(本文より)


972
102 私の身体、この髪、この炉 増田一夫訳
 ミシェル・フーコー『狂気の歴史』、ガリマール社刊、一九七二年、補遺二、583−603ページ。(フーコーのこのテクストの最初のバージョンは、日本の「パイディア」誌に掲載された。本巻所収、No.104を参照のこと)。

「デリダが一九六三年に行った講義「コギトと『狂気の歴史』」に端を発し、十年近くをへてフーコーが「デリダへの回答」及び「私の身体、この紙、この炉」(No.102)で応じた、この論争と二人のその後の絶縁(そして、一九八二年チェコでのデリダ逮捕事件に際しての和解、『思考集成・』「年譜」七〇ページ参照)についてはすでに多量のインクが流されてきたし、「哲学の脱構築」の戦略と、「言説の歴史的分析論」とのどちらに軍配があがったかなどという無邪気に興味本位的関心で読まれるべきエピソードではけっしてない。」(「編者解説」より)

103 歴史への回帰 岩崎力訳
 「パイディア」誌十一号、一九七二年二月一日、45−60ページ。(一九七〇年一〇月九日、慶応大学における講演。録音テープから起こされたタイプ原稿にもとづき、ミシェル・フーコーの見直しを経たテキスト)

「そういうわけで、生命の種という隠喩を歴史にあてはめることによって、人間社会には革命の可能性がないことを保証したのでした。構造主義と歴史は、歴史と持続をめぐるこの生物学的神話の廃棄を可能にするとわたしは思います。構造主義はさまざまな変化を定義することによって、歴史学はさまざまな事件のタイプ、さまざまに異なる持続のタイプを描き出すことによって、歴史のなかの不連続の出現を可能にすると同時に、規制され首尾一貫した変化の出現を可能にします。構造主義と現代の歴史学は、連続性という古い概念にさからって、出来事の不連続性と社会の変革とを現実に即して考えるための理論的道具なのです。」(本文より)

104 デリダへの回答 増田一夫訳
 「パイディア」誌、第十一号、「特集=〈思想史〉を超えて−ミシェル・フーコー」、一九七二年二月一日、131−147ページ。

「デリダの分析は、その哲学的な深みと読解の詳細さゆえに確かに注目すべきものである。私はそれへの回答を企てようなどとは思わない。私がしたいのは、せいぜいいくつかの指摘を添えるということである。それらの指摘は、おそらくかなり外的なものに映るであろうし、また実際に外的なものなのであるが、それは『狂気の歴史』とそれに続くテクストたちが哲学の外部にあるという、まさにそのかぎりにおいてのことである。フランスにおいて哲学が実践され教えられている仕方に外的であるというそのかぎりにおいてのことなのだ。」(本文より)

105 大がかりな収監 菅野賢治訳
 (N・マイエンベルクとの対談、J・シャヴィー訳)、「ターゲス・アンツァイガー・マガツィーン」誌、十二号、一九七二年三月二十五日、15、17、20、37ページ)

「ともかく、監獄がそれ自体で懲罰たり得るという発想は中世にはまったく無縁のものであって、その種の実践も中世社会には存在しなかったのです。のちに、黎明期の資本主義がさまざまな新しい問題、とくに労働力や失業者といった問題に直面し、一七世紀の社会が、フランスやドイツ、それからイギリスなどでも民衆の大暴動を経験するにいたって、その時はじめて、人は収監という手段に訴えた。それは一体なぜか?」(本文より)

106 知識人と権力 蓮実重彦訳
 (ジル・ドゥルーズとの対話、一九七二年三月四日)、「アルク」誌、四十九号、ジル・ドゥルーズ特集、一九七二年第二四半期、3−10ページ。

「仰言るとおり、欲望と権力と利害とのあいだの関係は、一般に考えられているよりはるかに複雑です。権力を行使するものが必然的にその行使に利益をもとめているわけではないし、その行使に利害をもとめる人びとが権力を行使しているわけではないし、権力への欲望は、権力と利害とのあいだにこれまた独特な遊戯を演じています。」(本文中のフーコーの発言より)

107 円卓会議 菅野賢治訳
 (J-M・ドムナック、J・ドンズロ、J・ジュリアール、P・メイエール、R・ピュシュー、P・ティボー、J-R・トレアントン、P・ヴィリリオを交えての会談)、「エスプリ」誌、第四一三号、「規範化と社会統制(いまなぜソーシャルワークか?)」、一九七二年四−五月、678−703ページ。

以下の3つの問いについて議論されている。
「非社会的あるいは反社会的な行動は、ごく最近まで法律用語によって思考され、取り扱われてきた(囚人、保安処分対象者、精神病者、禁治産者など)。いまでは、それがますます臨床用語によって思考され、取り扱われるようになっている(性格障害者、精神病質者、精神病患者など)。こうした変遷の裏に何があると考えるか?」
「ソーシャルワーク(travail social)は、常にその活動領域を広げつつある。結核や性病の根絶運動への無償の援助活動から出発したソーシャルワークは、下層プロレタリアもしくは二次プロレタリア環境における職業的な社会福祉活動を経由した。今日、それは企業や行政機関のなかにも広く根を下ろしている。もっとも新しい傾向としては、主に都市部において、いわゆる「普通の」住民の活性化をはかろうとするものがある。/こうしたソーシャルワークの拡大や変遷が、われわれの経済システムの性質や進展に関係をもつものであると考えるか?/現実に、異常者に対する、警察的、精神医学的、あるいは再教育的な対応から発生したソーシャルワークと、一般大衆に働きかける社会活動とのあいだに連続性はあるのか?これが本誌本号の指針を決定する際、もっとも頭を悩ませた点でもあります。今日、一体何を指してソーシャルワークというのか?」
「現在、社会的不適応者とされる人々を、いかなる存在として社会理論のなかに位置づけたらよいのか?問題としてなのか、主体としてなのか?資本主義の予備隊としてか、あるいは革命的予備役としてか?」

「つまり、プロレタリアートがあって、しかるのちにこれこれの周縁的存在がいる、と言ってはならないのであって、下層民全体の集合のなかに、プロレタリアートとプロレタリア化されていない下層民を分け隔てる断絶がある、と言うべきではないかということです。そして、警察、司法、刑法体系といった諸制度は、資本主義が必要としているこの断絶を絶えず深く刻んでいくために用いられる一連の手段のごく一部なのではないか、と思うのです。」(本文中のフーコーの発言より)

108 人民裁判について−マオイスト(毛沢東主義者)たちとの討論 菅野賢治訳
 (ジル、ヴィクトールとの対談、一九七二年二月五日)、「レ・タン・モデルヌ」誌、第三一〇号増刊号、特集「新しいファシズム、新しい民主主義」、一九七二年六月、355−366ページ。

「話の順序として、裁判所一般の形態から説き起こし、それから、いかにして、いかなる条件下で人民裁判所なるものが存在し得るかを探る、という道筋をたどってはいけないと僕は思う。そうではなくて、人民の正義から、人民の正義行為から説き起こして、それから、裁判所がそのなかにどのような位置を占め得るのかを検討すべきだ。人民の正義行為がなんらかの裁判所の形態に合致し得るものなのかどうか、それを論ずべきなんだ。」
「そこで、プロレタリア化されていない下層民からプロレタリア化済みの下層民を引き離す手段を考案したのだ。そして、今日、ブルジョワジーはその手段に事欠くようになっている−その手段が奪われた、あるいは奪われつつあるのだ。/かつては三つの手段があり、それが、軍、植民地政策、監獄であった(もちろん、下層/プロレタリアの分離と暴動防止の予防法は、こういった手段の数ある機能の一つにすぎなかったわけであるが)。」
「ヴィクトール−では君は、人民の正義をいかにして規範化しようというのか?M・フーコー−その問いには、ふざけていると思われるかもしれないが、「これから発明しなければならない」とだけ答えておこう。」(本文より)

109 文化に関する諸問題―
フーコーとプレティの討議 安原伸一郎訳
 (G・プレティとの対談、M・ジェデュズュスキ編、A・ギッザルディ訳)、「イル・ビメストレ」誌、二十二・二十三号、一九七二年九−十二月、1−4ページ。

「私にはあなたがカント哲学者ないしフッサール哲学者のように思われます。私は反対に、自分の研究を通じて、あらゆる認識にとっての可能性の条件であるようなこの超越論的なものへのあらゆる参照を回避しようと努めているのであって、この参照を回避しようと努めていると言っても、私は別に自分が確かにそれに成功していると主張しているのではありません。(中略)私は、超越論的なものに対して可能な限り場所を残さないように、最大限それを歴史化しようと試みているのです。とはいえ、超越論的なものであり無視できない残滓に自分がいつの日か直面する可能性を排除できるわけではありません。」(本文より)

110 我々の社会における医学の主要機能―ジャン・カルパンティエ博士の記者会見の席にて 高桑和己訳
 「今日の精神医学」誌、第十号「カルパンティエ博士の過失」、一九七二年九月、15−16ページ。(一九七二年六月二九日に行われたJ・カルパンティエ博士の記者会見の席での発言)
 学校での性的交遊に対して制裁を加えられたコルベイユ〔=エソンヌ〕の高校生たちからの要請で、カルパティエ博士は一九七一年五月に「セックスを学ぼう」というビラを作成、配布。父母からの苦情が寄せられた。一年後、医師会の評議会はカルパンティエ博士に対して十二ヶ月にわたる活動停止処分を下した。

「問いは単純です。こうです。この事件にあって我々にできることは何か?というのは、もちろん、この事件はまずはあなたにとっての事件ではありますが、ある意味では我々に関わる事件でもあるからです。」(本文より)

111 自分の文化を罠にかける−ガストン・バシュラールについて 高桑和己訳
 「フィガロ・リテレール」誌、第一三七六号「ガストン・バシュラール、哲学者とその影」、一九七二年九月三十日、16ページ。

「バシュラールにおいて私が非常に驚くのは、いわば彼が自分の文化を相手どって遊び、自分の文化をもてあそんでいるということである。」(本文より)

ガストン・バシュラール

112 「真理―司法」集会。千五百人のグルノーブル人が弾劾する−ディスコ火災に寄せて 高桑和己訳
 「ローヌ=アルプの真理 ローヌ=アルプ共産援助団機関誌」(「私は弾劾する」誌の付録)、第三号、一九七二年十二月、6ページ。
 一九七二年十一月二十四日に、「ローヌ=アルプ「真理―司法」委員会」の主催で「グルノーブル・スケート場」において行われた千五百人集会の際になされた発表の抜粋である。一九七〇年の一〇月三十一日から十一月一日にかけての夜、グルノーブル近郊のサン=ローラン=デュ=ポンのディスコ「5/7」が火災に襲われた。非常口は不正入場を妨害するために塞がれていた。一四六人の若者が、ある者は窒息死、ある者は焼死した。司法調査は技術上の原因を問題にした。ポリウレタン製の装飾に対して送風機が強すぎた、というのである。地元住民は行政を、施設に対する監視不行き届きで訴え、恐喝を行っている疑いのある連中に行政が便宜を図っていたのではないかと訴えていた。この出来事は、地元議員の責任をめぐる法律が立法されるもとになった。 「真理―司法」委員会は「プロレタリア左派」に由来する団体である。

「というわけで、至るところに盗みがある、だがその犠牲者は若者たちだ、と私は言うのです……。我々に向かって、若者の全般的な非行を話題にするよりも、若者に対して行われている全般化した非行を話題にし、これを問うべきだ、と思います。」(本文より)

113 流血あるいは火災―ディスコ火災に寄せて 高桑和己訳
 「人民の大儀 私は弾劾する」誌、第三十三号、一九七二年十二月一日、6ページ。

「この国の至るところで、慎ましやかにであれ不謹慎にであれ、音もなくにせよ騒々しくにせよ、一大碁盤状整備が敷かれています。党の記章をつけた代議士、UDRの幹部、SAC、調査と訴訟、秘密警察と表向きの警察、こういったものです。今ではやくざが住民を枠にはめ、足並みを揃えさせ、あるいはまた沈黙させる任を担っています。」(本文より)

114
 ポンピドゥーの二人の死者―監獄と死について 高桑和己訳
 「ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール」誌、第四二一号、一九七二年十二月四―十日、56―57ページ。
 一九七一年九月二十一日、クレールヴォー刑務所に殺人罪で収監されていたビュフェとボンテムスの二人が、脱獄の企ての際に人質にとった看護婦一人と看守一人を殺害した。看守たちの怒りを鎮めるため、ソーの警備隊は、囚人たちに一年を通じてクリスマスの時だけ許可されている小包を、全監獄で差し止めた。この事件は、一九七一年冬に、監獄をめぐる騒乱の火種となった。(中略)同じ一九七二年、自殺者の急増が監獄を震撼させた。三十七件が報告されている。

「監獄では、自殺を図ると罰せられる。監獄は罰するのに飽きると、殺す。このことについて深く考えてみよう。」(本文より)

115 刑罰の理論と制度―コレージュ・ド・フランス一九七一−一九七二度講義要旨 高桑和己訳
 『コレージュ・ド・フランス年鑑』第七二年度、「思考システムの歴史」講座、一九七一−一九七二年度、一九七二年刊、283−286ページ。

「コミュニケーション、記録、蓄積、転位、これらのシステムなしに自らを形成する知は一つとしてなく、そうしたシステムは知自体の内にあって一つの権力形式であり、それはそれが存在するということおよび機能するということにおいて、他の諸形式の権力と結びついている。反対に、しかじかの知の抽出、所有化、分配、貯蔵なしに行使される権力も一つとしてない。この水準では、一方に認識が他方に社会が、もしくは一方に学が他方に国家があるのではない。そこにあるのは「権力―知」をとる基礎的な諸形式である。」(本文より)

1973
116 序文―セルジュ・リヴロゼ『監獄から反抗へ』に寄せて 高桑和己訳 セルジュ・リヴロゼ『監獄から反抗へ』、パリ、メルキュール・ド・フランス、一九七三年、7−14ページ。

「セルジュ・リヴロゼは言う。私の生についてあなたはあ、以下のことを打ち建てるための必要最小限のことしかしることがないだろう。それはすなわち、かつて法を踏み越え、今日法と対立しない生を送りながらも、私は武装した言説で法を攻撃することを決して放棄したことがなかった、ということである。さらに言えば、それは私が犯した犯罪が私にその時与えた権利であり、私は、犯罪が私に残した回想よりそちらのほうにこだわっているのだ。」(本文より)

117 労働者の記憶の年代記のために−フーコーがジョゼ、「リベラシオン」紙記者と語る 高桑和己訳
 (ジョゼおよび「リベラシオン」紙記者との会見)、「リベラシオン」紙、第〇〇号〔創刊準備号〕、一九七三年二月二十二日、6ページ。
 フーコーは、当時発刊準備中だった「リベラシオン」紙に、労働者の記憶の年代記を連載してはどうかと提案していた。

「十九世紀以来、労働闘争には一大伝統があるのです。労働者たちが、自分自身の経験から出発して、まだ組合の枠にも正統の枠にもはめられずに、どのようにしてブルジョワジーに対して完璧に闘争することができたかが、そこには見て取れます。」(本文より)

118 逃げる力―ポール・ルベロルの連作『犬たち』に寄せて 高桑和己訳
 「鏡の後ろ」誌、第二〇二号「ルベロル」特集、一九七三年三月、1−8ページ。

「言語活動に信を置かないスピノザは、犬という語のもとでは「吠える動物」と「天井の星座」とが混同されるではないかと危惧していた。ルベロルの犬は、断固として、吠える動物であると同時に、地上の星座である。」(本文より)

119 アルケオロジーからディナスティックへ 蓮実重彦訳
 (蓮実重彦との対話、一九七二年二十七日、パリにて)、「海」、一九七三年三月号、182−206ページ。 

「わたしが優柔不断なと呼ぶマルクス主義者どもに浴びせる第一の批判は、いまみたごとく、彼らが真に対決すべき歴史的材料、歴史的現実に示す徹底した不信と、テキストと呼ばれるものへの限りない尊敬の念ということになります。彼らは、その事実によって、テキストの分析・解釈という悪しきアカデミスムの中に取り込まれたままでいるのです。」
「世界が、資本主義に特有のこの西欧的な「権力」形態を越えねばならぬと思います。わたしにとって真実と思われるのは、いまや、非−資本主義的な文化は、西欧文明の圏外にしか生まれまいということです。西欧は、西欧文明は、西欧の「知」は、資本主義の鉄の腕によって屈服させられてしまっています。われわれは、非−資本主義的な文明を創出するには、疲弊しつくしています。」(本文より)

120 結論に代えて 石田久仁子訳
 「ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール」誌、四三五号、一九七三年三月十三―十九日、92ページ(D.L・ローゼナム博士、「私は気違いで通した」、同上、72−92ページについて)。

「むしろ機械の調子を狂わせる砂粒のようなものを放り込んでみるとよい。こんな実験をしてみるとよい。機械の中に「正常」な人間を放り込んでみる。隠し事も変装も偽装もなしに。彼らがそこで通常通り、機械の外にいる時と同じ様に振る舞ったとしたら、機械はどうするであろうか。」

121 新しい雑誌? 石田久仁子訳
 「ゾーン・デ・タンペット(嵐の地帯)」誌、二号、一九七三年四―五月、3ページ。
 この論説は、M・フーコーが執筆したかあるいは単に署名を承諾したもので、第三世界との連帯を主張する雑誌Zone des Tempetes(嵐の地帯)の名目上の編集長にフーコーが就任したことを示す。当時は、ほとんどすべての極左の定期刊行物は、政治弾圧からのがれるために、サルトルやボーヴォワール、フーコーをトップに据えていた。ヴァンセンヌ大学センター教員で、その後ポリサリオ戦線のスポークスマンとなるアーメド・ババ・ミスケがフーコーに要請したのである。雑誌の実質的編集者はミスケであった。
「ノン、単に名称が新しいだけだ。」(本文より)

122 オイディプスをめぐって 石田久仁子訳
 (R.O・クルス、H・ペレグリノ、M.J・ピントとの討論)、「ジョルナル・ド・ブラジル」紙、カイエB、一九七三年五月二十六日、4ページ。
 一九七三年五月二十一−二十六日にかけて、リオデジャネイロ・カトリック司教大学においてM・フーコーが行った一連の講演に続いて行われた討論会の抜粋。全体は「真理と法的諸形態」と題され発表された(『思考集成・』所収、No.139参照)。

123 知識人は考えをまとめるには役立つが、知識人の知は労働者の知と比べれば部分的でしかない 石田久仁子訳
 (ルノー社ビヤンクール工場労働者、ジョゼ、J-P・バルーとの鼎談)、「リベラシオン」誌、十六号、一九七三年五月二十六日、2−3ページ。No.117参照。
「組合官僚主義は、労働者は人がよいが、好きなままにさせておくわけにはいかないという主張に基づいて機能する。言い換えれば、労働者はお人好しで、率直だが、自分自身で考えることはないというわけだね。ところが、労働者は考える、知っている、理性を働かせ、計算する。長い間、彼らは座る権利を要求し続け、獲得した。」(本文より)

124 哲学者フーコーは、語っているところだ……。思考せよ 石田久仁子訳
 (S・ド・スーザ仏訳)、「ミナス州」紙、一九七三年五月三十日、5ページ(ベロ・ホリゾンテで一九七三年五月二十九日に行われた講演の抜粋)。

「フーコーが提案する新しいタイプの思考について」「フーコーが、弁証法的ではあるが、マルクス主義分析とはまったく異なるとする自らの思想について」「この新しい思考形式の中での文学の位置について」の3点についてフーコーが答えている。

125 刑務所と刑務所の中の反乱 石田久仁子訳
 (B・モラヴェとの対談、仏訳J・シャヴィー)、「ドクメンテ−国家を超えた共同研究のための雑誌」、第二十九年次、二号、一九七三年六月、133−137ページ。

「子供が罰せられる、生徒が罰せられる、労働者が、兵士が罰せられる。結局、人は生涯を通じて罰せられます。人はいくつかの事柄のために罰せられます。今では十九世紀と同じ事柄のため罰せられるのではありませんが。人は懲罰制度の中で生きています。問題にしなければならないのはそのことです。」
「監獄が存在しないユートピア的社会を私に描写させようとお思いかもしれませんが、問題は規制が適用されているか否かをグループ自身が検査する社会を想像できるかどうかです。それこそ政治権力の問題、ヒエラルキー、権威、国家、そして国家機構の問題です。この膨大な問題を解明した時はじめて、このやり方で罰することができるのでなくてはならないとか、罰することはまったく無意味だとか、あるいはまたこの違反行為にはしかじかの対応をしなければならないと言うことができるのです。」(本文より)

126 世界は巨大な精神病院である 石田久仁子訳
 (R.G・レイテによる聞き取り記述、P.W・プラードJr仏訳)、「マンチェテ」誌、一九七三年六月十六日、146−147ページ。

「未来は私たちが作るものだと私は考える。未来は今起こっていることに私たちがどのように反応するのか、その反応の仕方である。それは私たちがある運動、ある疑惑を真理に変えるそのやり方である。私たちが私たちの未来の主人でいたいのなら、私たちは今日の問いを根源的に発しなければならない。それ故に私にとって、哲学は一種のラディカルなジャーナリズムなのである。」(本文より)

127 監獄的監禁について 石田久仁子訳
 (聞き手:A・クリヴィンとF・ランジェラム)「正義のために−法政治誌」第一巻、三−四号、「監獄」特集、一九七三年十月、5−14ページ。

「ベンサムの夢、パノプティコン(一望監視装置)では、たったひとりの人間がすべての人々を監視できるのですが、本当のところそれはブルジョワ階級の夢、というよりむしろの夢のひとつ(ブルジョワ階級は沢山夢を見ましたから)であるように思えます。(中略)ナポレオン帝政はまた十九世紀のあらゆる国家のモデルになりました。本当の変化は一望監視制度だったと言えます。私たちは一望監視的社会に生きています。」(本文より)

128 裁判所に出頭を命じられた 石田久仁子訳
 (M・フーコー、A・ランドー、J-Y・プティ署名のテクスト)、「ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール」誌、四六八号、一九七三年十月二十九日―十一月四日、53ページ。
 M・フーコーは保健衛生情報グループGISの多くの作業に参画した。このグループはGPIをモデルにして医師らが結成したものである。女性解放運動MLFが始めた妊娠中絶合法化のための闘争は医学界を深く分裂させていた。一九七二年十月十一日、マリー・クレール(十七歳)は刑法三一七条が処罰の対象とする堕胎罪で、ボビニー少年審判所に出頭した。(中略)妊娠中絶は、一九七五年、医師の管理下、医師の良心条項付きで合法化された。

「GISは中絶権にこだわる。医師だけが中絶の決定権を握ることを望まない。GISは中絶から利潤を引き出す力を持つ人々の利益になるような中絶は望まない。」(本文より)

129 最初の討論、最初のカタコト。都市は生産の力なのか、それとも反生産の力なのか? 石田英敬訳
 (一九七二年五月に行われた、F・フールケ、F・ガタリとの対話)、「ルシェルシュ」誌、第十三号「資本の系譜学、第一巻、権力の設備」特集、一九七三年十二月号、27−31ページ。

「〈器官なき身体〉」「〈原国家〉」「超コード化」といった用語を使って都市を分析するF・ガタリに対し、M・フーコーは「すべての集団的施設に関して提起されなければならない幾つかの問い」ということで5つの問いを挙げている。

130 精力的な介入により、歴史のなかへの心地よい滞留から引き剥がされて、私たちは「論理的カテゴリー」を建造すべく懸命に立ち働く 石田英敬訳
 (一九七二年九月に行われG・ドゥルーズ、F・ガタリとの対話)、「ルシェルシュ」誌、第十三号、『資本の系譜学』第・巻「権力の設備」特集、一九七三年十二月、183―186ページ。

「風(水)車小屋のような、生産の生産の道具の形成が、徴税権力でもある政治権力に委ねられていた時代もあった。そうした形成はそれらの権力の担当であって、私的所有には属していなかった。その後、人は転換にであうことになる。生産の生産の道具が私的所有の体制下に移行する。国家はそのとき需要の生産の役目を負う。」(本文より)

131 懲罰社会―コレージュ・ド・フランス一九七二−一九七三講義要旨 石田英敬・石田久仁子訳
 『コレージュ・ド・フランス年鑑』、第七三年次、「思考システムの歴史」講座、一九七二年―一九七三年度、一九七三年刊、255―267ページ。

「従って、冒頭で立てた「何故この監獄という奇妙な制度なのか、何故機能不全が即座に告発されたこの刑罰制度を選択したのか」という問いに立ち戻るとすれば、その答えはおそらく以下の方向で模索しなければならないのだ。違法慣習を管理し圧力をかけるための道具であり、身体に働きかける権力の行使における無視しえない駒であり、主体の心理学を生み出したあの権力の物理学=身体学の要素でもある監獄には、犯罪を生み出すという長所があるのである。」(本文より)

■引用

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■言及



*作成:橋口 昌治 
UP:20031114 REV:20100407
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