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『ミシェル・フーコー思考集成IX 1982-83 自己/統治性/快楽』

Foucault, Michel 1994 Dits et Ecrits 1954-1988, Edition etablie sous la direction de Daniel Defert et Francois Ewald, Ed. Gallimard, Bibliotheque des sciences humaines, 4 volumes
=20011120 蓮實重彦・渡辺守章 監修/小林康夫・石田英敬・松浦寿輝 編『ミシェル・フーコー思考集成IX 1982-83 自己/統治性/快楽』,筑摩書房,482p.

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Foucault, Michel 1994 Dits et Ecrits 1954-1988, Edition etablie sous la direction de Daniel Defert et Francois Ewald, Ed. Gallimard, Bibliotheque des sciences humaines, 4 volumes =20011120 蓮實重彦・渡辺守章 監修/小林康夫・石田英敬・松浦寿輝 編『ミシェル・フーコー思考集成IX 1982-83 自己/統治性/快楽』,筑摩書房,482p. ISBN-10:4480790292 ISBN-13:978-4480790293 \6825 [amazon][kinokuniya] ※

■目次

305 ピエール・ブーレーズ、突き抜けられた画面 笠羽映子訳
306 主体と権力 渥海和久訳
307 思考、エモーション 野崎歓訳
308 ヴェルナー・シュレーターとの対話 野崎歓訳
309 西欧の植民地化の第一歩 西永良成訳
310 空間・知そして権力 八束はじめ訳
311 フーコーとの対話 増田一夫訳
312 純潔の戦い 田村俶訳
313 性的快楽の社会的勝利―ミシェル・フーコーとの会話 林修訳
314 術(アート)としての男たちの愛撫 林修訳
315 権力の網の目
316 あちこちのテロリズム 西永良成訳
317 性の選択、性の行為 増田一夫訳
318 フーコー−妥協にノンを! 林修訳
319 ミシェル・フーコー「中立はありえず」 西永良成訳
320 ポーランド人たちを見捨てるとは、私たち自身の一部を断念することだ 西永良成訳
321 ミシェル・フーコー「ポーランドの倫理的・社会的経験が消されることはもうありえない」 西永良成訳
322 封印令状の黄金時代 佐藤嘉幸訳
323 主体の解釈学 神崎繁訳
1983
324 仕事のさまざま 神崎繁訳
325 無限の需要に直面する有限の制度 西永良成訳
326 倫理の系譜学について−進行中の仕事の概要 浜名優美訳
327 そんなものに興味はありません 西永良成訳
328 歴史の濫造者たちについて 西永良成訳
329 自己の書法 神崎繁訳
330 構造主義とポスト構造主義 黒田昭信訳
331 ミシェル・フーコーとの往復書簡 佐藤嘉幸訳
332 快楽の夢―アルテミドーロスの『夢判断』をめぐって 神崎繁訳
333 ミシェル・フーコー/ピエール・ブーレーズ−現代音楽と聴衆 松浦寿夫訳
334 ポーランド、そしてその後は? 西永良成訳
335 《あなたがたは危険だ》 西永良成訳
336 スティーヴン・リギンズによるミシェル・フーコーへのインタヴュー 佐藤嘉幸訳
337 ……彼らは平和主義について、その本性、その危険、その幻想について……宣言した 西永良成訳
338 快楽の用法と自己の技法 神崎繁訳
日本語版編者解説(西永良成)

■内容

305 ピエール・ブーレーズ、突き抜けられた画面 笠羽映子訳
 M・コラン、J-P・レオナルディーニ、J・マルコヴィッツ編『十年そしてその後―フェスティヴァル・ドトンヌ回想アルバム』パリ、メシドール社、「現代」叢書、一九八二年、232−236ページ。

「原文テクストは、初出の項に記されているように、一九七二年から毎年秋パリで、演劇・舞踏・音楽の領域で創造的な催しを展開している「フェスティヴァル・ドトンヌ」の十年間の歩みを記念・回顧して編まれた、写真の多数挿入された美しい書物に収められている。(…)題名後半部分を「突き抜けられた画面」という妙な日本語にしてしまったが、本文中にもあるブーレーズの表現「まるで画面ででもあるかのように、それを突き破る La crever comme un ecran」をもじったものであることは明らかであろう。なお、crever l'ecranとは、一般に、映画俳優が見事な演技で画面を食う、圧倒する、独り占めにするというような場合に用いられる表現。(…)」(本文の後ろに付いた訳者による解説より)

「ブーレーズは、芸術の実践において、あらゆる思考は、それがある技術の諸規則や、それらの適切な作用について省察するのでなければ、余計である、という考えをいまだかつて認めたことがない。同様に、彼はヴァレリーをあまり好んでいなかった。思考から彼が期待していたのは、まさに、それが彼に自分の行っている以外のことを行なうのを絶えず可能にしてくれるということだった。」(本文より)

306 主体と権力 渥海和久訳
 (F・デュラン=ボガール訳)、H・ドレイファス、P・ラビノウ『ミシェル・フーコー−構造主義と解釈学を超えて』シカゴ、シカゴ大学出版局、一九八二年、208−226ページ。

「なぜ権力を研究するか−主体の問題」「権力はいかに行使されるか」「「権力はいかに現れるか」という意味での「いかに」ではなく、「いかなる手段を通じて行使されるか」」「個々人が他者に対して権力をふるうとき、何が起きるのか」「権力の特質を構成するものは何か」「権力関係をいかに分析すべきか」「権力関係と戦略の関係」という章立て。

「私がここで論じたい問題は、理論でもなければ方法論でもない。/何よりもまず、この二十年間を通じての私の仕事の目標が何であったのかということを述べてみたい。それは権力現象を分析することでも、その分析の基礎を築くことでもなかった。私の目的は、そうではなくて、私たちの文化において人間が主体(サブジェクト)化され(=服従(サブジェクト)を強いられ)ているさまざまな様式について、一つの歴史を構想することであった。」(本文より)

307 思考、エモーション 野崎歓訳
 D・マイケルズ『一九五八年から一九八二年までの写真』、パリ、パリ市現代美術館、一九八二年、・−・ページ。

「写真を物語るべきでないことは私も承知している。間違いなくそれは、人が写真についてうまく話せないことのしるしである。というのも二つのうち一つであるからだ。写真は何も物語ってなどおらず、物語はそれを変質させてしまうのか。あるいは、もし何かを物語っているとしても、写真はわれわれの助力など必要としていないのか。しかしデュアン・マイケルズ〔一九三二年生まれのアメリカの写真家。コマーシャル・フォトを経て一九六六年以降、物語性を持ったシークエンス写真を制作〕の写真は、それについて物語りたいという不謹慎な願望を私に与えるのである。」(本文より)

308 ヴェルナー・シュレーターとの対話 野崎歓訳
 (一九八一年十二月三日、G・クーラン、W・シュレーターとの対話)、G・クーラン『ヴェルナー・シュレーター』、パリ、ゲーテ・インスティテュート、一九八二年、39−47ページ。
 一九七一年、ヴェルナー・シュレーター監督『マリア・マリブランの死』の公開に際しミシェル・フーコーは文章を寄せた(前出n°164のテクストを参照)。シュレーターはその文章が当時の自分の仕事に関するもっとも正確で的を射た分析であると認めている。しかしながらミシェル・フーコーとヴェルナー・シュレーターは長らく会う機会がなかった。一九八一年十二月、二人は初めて顔を合わせた。

「同性愛の方が異性愛よりも興味深いものであることには客観的証拠があるのです。異性愛者の中には同性愛者になりたいと願う者が大勢いるのに対し、本気で異性愛者になりと願う同性愛者はごく少数にすぎません。それはちょうど東ドイツから西ドイツに移るようなものです。」(本文より)

309 西欧の植民地化の第一歩 西永良成訳
 「歴史への回帰」(「西欧の植民地化の第一歩」)。T・ドゥ・ボッセ、C・ポラックとの対談。一九八二年一月十七日録音。「中央公論」一九八二年三月号、45−60ページ。

「ソ連における低開発経済というこの性格は原料の売却ということによってはっきり示されています。低開発経済とはみずからの原料の売却によって生き、テクノロジーを輸入する経済です。ロシアはテクノロジーを輸入してきて、そして今や原料を、しかも原則として大規模に売却しています。なにしろフランスでは、自国のガスの三十パーセントをソ連に依存することになるのですから。依存するという感情−発達していない経済に依存すると同時に脅迫される、他国よりはるかに発達した武力によって脅迫されるというこの感情は、世論の激しい苛立ちと不安の気持ちを惹き起こします。」(本文より)

310 空間・知そして権力 八束はじめ訳
 (P・ラビノーとの対話)、「スカイライン」誌、一九八二年三月、16−20ページ。

建築をめぐる対話。ル・コルビュジエ、ポスト・モダン、ハーバーマスについて述べている部分がある。

「P.R 建築はそれ自体では社会的問題を解決し得ないということですか?M.F 建築家の解放への意志が人々の自由の遂行の現実の実践と一致するときには、それがポジティブな効果を生み出すことは可能であり、またそうしているとは思います。
P.R しかし同じ建築家が他の目的にも奉仕し得る。
M.F 全く然りです。(…)」

311 フーコーとの対話 増田一夫訳
 (J-P・ジェケール、M・オヴェール、A・サンジオとの対話)、「マスク」誌、第十三号、一九八二年春、15−24ページ。

「私は、新たな関係を発見したり発明したりするためにおのれの性(セクシュアリテ)を用いるべきだ、と言いたいのです。ゲイであること、それは生成過程にあるということであり、さらに、質問にお答えするためにつけ加えるならば、同性愛者になるべきなのではなく、懸命にゲイになるべきなのです。」(本文より)

312 純潔の戦い 田村俶訳
 「コミュニカション」第三五号、特集《西欧の性》、一九八二年五月、に所収。15−25ページ。
 以下の本文は『性の歴史』第三巻からの抜粋である。この特集〔西欧の性〕の全般的な編集方針について〔編者〕フィリップ・アリエスに相談したあと、私はこの本文が他の研究論文と調和していると考えた。実際われわれは、キリスト教の性倫理に関して人々が通常いだく見解は根本的に再検討されるべしと思うし、他方、自慰(マスターベーション)の問題の中心的価値は十八世紀と十九世紀の医師たちによる宣伝活動(キャンペーン)とは全然別の起源をもっていると思うのである。

「純潔の闘いをカッシアヌスが分析しているのは、『修道院制度』の第六章《姦淫の悪霊について》のなか、および『教父との談話』の、たとえば《肉欲ならびに悪霊の色欲》にかんする第四の談話、《八つの大悪》にかんする第五のそれ、《純潔》にかんする第十二のそれ、《夜の幻覚》にかんする第二十二のそれのなかにおいてである。」(本文より)

313 性的快楽の社会的勝利―ミシェル・フーコーとの会話 林修訳
 (G・バルブデットによるインタビュー、一九八一年十月二十日)、「クリストファー・ストリート」誌、一九八二年五月第六巻第四号、36−41ページ。

「関係の権利とは、ある制度領域のなかで、認可を受けた集団を出現させることを通してではなくても個人間の関係がどのようにしたら社会に認められうるのか、そして婚姻関係や親族関係といった唯一認められうる関係―これはこれで完全に立派な関係です−と同じ利益を受けられるのかを考えることなのです。」(本文より)

314 術(アート)としての男たちの愛撫 林修訳
 「リベラシオン」紙、一九八二年六月一日第三百二十三号、27ページ。(Kenneth Dover, Homosexualite grecque, Grenoble, La Pensee sauvage,1982〔邦訳ケネス・ドーヴァー、『古代ギリシャの同性愛』、リブロポート、一九八四年の書評〕)。

「本の終わりの方で、ドーヴァーはそれまでの分析すべてを明確にするある重要ポイントを提出する。ギリシャでは、そしてそれは古代に限って言えることではないのだが、性行動を統御していたのは法という形式ではなかった。市民法も宗教法も「自然」法も、行うべきこと−または行うべきでないこと−を規定してはいなかった。しかしながら性の倫理は要求が多く、複雑で、多彩であった。だが、それも、「テクネ」として、術(アート)として、自己と自己の存在への配慮として理解される処世術として、そうだったのである。」(本文より)

315 権力の網の目
 (第二部.P.W・プラドJr.訳。バヒア大学哲学科における会議での発言、一九七六年)、「バルバリー」五号、一九八二年夏、34−42ページ。N°297を参照。

316 あちこちのテロリズム 西永良成訳
 D・エリボンとの対談。「リベラシオン」紙第四〇三号、一九八二年九月三日、12ページ。

 一九八二年八月二十八日、エリゼ宮〔フランス大統領府〕から直接指揮された反テロリズム介入グループGIGNが、ヴァンセンヌで三名のアイルランド民族主義者を逮捕し、彼らは重要なテロリストだと紹介された。この逮捕が華々しく伝えられたために、一九八二年八月九日にパリの有名なユダヤレストラン「ゴールドベルグ」にたいしてなされ、死者を出した襲撃事件への世論の注意の喚起が妨げられることになった。八月十七日、フランソワ・ミッテランは、「このテロ行為は私を敵に回すことになろう」と言明した。ずっとまえから別の警察組織(DST〔国土監視局〕)に尾行され、これ以後マスコミによって「ヴァンセンヌのアイルランド人」とされることになったこの者たちの逮捕状況が、不正にまみれたものであったことがたちまち明らかになった。そこで彼らの弁護士がM・フーコーに接触した。一九八三年五月には、その手続きの不正が十全に発覚することになり、ヴァンセンヌのアイルランド人事件は新しい社会主義政府の最初の政治=警察スキャンダルになった。(本文に付いた解説より)

317 性の選択、性の行為 増田一夫訳
 (「性の選択、性の行為」、J・オヒギンズとの対談。F・デュラン=ボゲール訳)、「サルマグンディ」誌、第五十八−五十九号、「同性愛−冒涜、視点、政治」特集、一九八二年秋−冬号、10ページ−24ページ。

「―私の間違いでないならば、最近のお仕事は古代ギリシャにおける性現象を研究する方向にあなたを導いたと思うのですが。
―その通りです。そして、まさにボズウェルの著作は、人びとが自分たちの性行動に結びつけている価値を構成しているのは何かという点、この点を知るためにはどこを捜せばよいのかを示してくれたかぎりにおいて、案内役をつとめてくれたのです。」
「私が思うに、問題として重要なのは、制限なしの文化は可能なのかとか、あるいは望ましいものでさえあるのかということよりも、ある社会がその内部で機能している諸拘束のシステムが、個人にそのシステムを変える自由を残しているのかどうかだ、ということなのです。」(本文より)

318 フーコー−妥協にノンを! 林修訳
 (R・シュルジュールによるインタビュー)、「ゲイ・ピエ」誌、一九八二年十月第四十三号、9ページ。

「寛容と非寛容とを妥協させることはできないのです。できることは寛容の側に立つことだけなのです。追及する者と追及される者のあいだに均衡をさがしても無駄です。一ミリずつ勝ち進むことを目標にすることなんて不可能なのです。警察と性的快楽との関係については、もっと徹底的に基本的立場を貫くことが必要です。」(本文より)

319 ミシェル・フーコー「中立はありえず」 西永良成訳
 (D・エリボンおよびA・レヴィ=ウィラールとの対談)、「リベラシオン」紙第四三四号、一九八二年十月九日−十日、3ページ。

「内戦はまさに、十二月十三日の〔クーデターを起こした〕連中が〈連帯〉の背後にいるポーランド国民全体にたいして布告したものです。彼らは、彼らだけが戦争の話をし、そして人を殺したり、投獄したりしながら、じっさいに戦争をしたのです。〈連帯〉が非暴力的だったというのに、人を殺している彼ら以外に、いったいだれが内戦の状況を作り出しているというのですか?」(本文より)

320 ポーランド人たちを見捨てるとは、私たち自身の一部を断念することだ 西永良成訳
 (P・ブランシェ、B・クシュネール、S・シニョレとの対談)「ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール」誌九三五号、一九八二年十月九日―十五日号、52ページ。

「ビッグブラザーの影、そしてたえず私たちを非難してやまない私たちにたいする、私たち自身の無力があったからです。ポーランド人たちは、あなたがたは私たちを見放すだけでなく、「あなたがた自身を見放しているのだとでも」と言っているのです。まるで、彼らを見放すことで私たち自身の一部を見放すのだとでもいうように。」(本文より)

321 ミシェル・フーコー「ポーランドの倫理的・社会的経験が消されることはもうありえない」 西永良成訳
 (G・アンケティルとの対談)「ヌーヴェル・リテレール」2857号、一九八二年十月十四日―二十日、8−9ページ。

「もし私が政治家だったなら、私には必要不可欠と思える次のような問題を自分に優先的に提起することでしょう。すなわち、この三十五年来、戦争それ自体によって提起された政治、外交、戦略的大問題のどれひとつとして解決できなかったあの大国家の元首たちに、はたして歴史はどのような評価を下すのだろうか?朝鮮の問題も、インドシナの問題も、中東の問題も、ヨーロッパの問題も解決されていません。このような途轍もない無能力には、最終的に否定的な評価が下されるはずです。世界政治の責任者たちは先の戦争によって提起された大問題の、ただのひとつも解決できなかった。これはやりきれないことです。」(本文より)

322 封印令状の黄金時代 佐藤嘉幸訳
 (「レクスプレス」誌Y・エルサン、A・ファルジュとの対談)「レクスプレス」誌、一六三八号、一九八二年十一月二十六日―十二月三日、83、85ページ。(『家族の無秩序―バスチーユ古文書の封印令状』A・ファルジュ、M・フーコー編、パリ、ガリマール、一九八二年。について)

「私たちが関心を持っているのは思想史です。一方に行動分析があって、他方に思考の歴史があるなどとは私たちは考えていません。私たちにとって、思想は至るところに存在するのです。夫が妻を殴り、子供たちは自分に可能な自由を追及するといった十八世紀の家族の中には、諸々の表象のシステムが存在し、文化や社会秩序とともにまさしく情念のゲームが存在します。社会史とは異なった要請、異なった方法―というのもそれとは対象が異なっているからですが−によって私は思想史を作り出したいのです。」(本文より)

323 主体の解釈学 神崎繁訳
 『一九八二年度コレージュ・ド・フランス年報―思考体系の歴史、一九八一−一九八二年』一九八二年刊、395−406ページ。

「今年の講義は自己の解釈学という主題の形成にあてられる。その際、この主題が理論的に形成される過程を考察するだけでなく、古典古代および古代末期において極めて重要な意味をもっていた営為(プラティック)の総体との関わりにおいて分析することに留意したい。それらの営為は、ギリシア語でepimeleia heautou(自己への配慮)、あるいはラテン語でcura sui(自己への関心)としばしば呼ばれる自称の領域に属している。」(本文より)

「〔訳者付記〕その後、この一九八一・八二年のコレージュ・ド・フランスにおけるフーコーの講義は、L'hermeneutique du sujet-Cours au College de France, 1981-1982(Gallimard/Seuli 2001)として公刊された。本巻で訳者が担当した他の論考、329「自己の書法」、322「快楽の夢―アルテミドーロスの『夢判断』をめぐって」、338「快楽の用法と自己の技法」とも関連するが、『快楽の用法』『自己への配慮』という著作へ組み込まれる諸論考が、講義においてはどのような文脈で語られたのかを知る貴重な資料である。」

1983
324 仕事のさまざま 神崎繁訳
 (P・ヴェーヌおよびF・ヴァールと共同で起草された叢書「仕事のさまざま」への推薦文。P・ヴェーヌ著『ギリシア人は自分たちの神話を信じているか?』(パリ、スイユ社、叢書「仕事のさまざま」)一九八三、9ページ所収。
 フーコーは、出版の諸問題について絶えず自問し続けた。彼は一般的な出版に加えて、(アメリカの大学出版のために存在するものを念頭に置いて)特別の流通経路の存在を望んだ。そこで《仕事のさまざま》を性格づけるような、長さも完成度もまちまちのテクストを出版できるよう望んだのである。これらのテクストは書籍の取り継ぎの便宜を全く与えられなかったのである。これが、ここにその紹介がなされている叢書《仕事のさまざま》の由来である。

「仕事―それは、知の領域に有意味な差異を導入しうる素地を備えたものであり著者と読者の側での幾分の労苦と引き換えに、言わば、もう一つ別の形の真理へと至るという幾分の楽しみによって、突如報いられるもののことである。」(本文より)

325 無限の需要に直面する有限の制度 西永良成訳
 (R・ボノとの対談)「社会保障―争点」誌、パリ、シロス社、一九八三年、39−63ページ。

「だから健康の分野でひとびとの安全を保証するために存在する装置の発展が、やがてどの病気が、どのタイプの苦痛がもうどんな社会保障の恩恵にも浴さなくなるのかを決めねばならなくなる地点―ある場合には、生命さえものがどんな保護の対象にもならなくなる地点に到達したわけです。このことは政治的かつ倫理的問題を提起しますが、この問題は細かい点は別として、ある国家がどんな権利によって個人に戦争で殺されに行くことを求めうるのかを知る問題とやや類似しています。この問題は何ら深刻さを失っていないとはいえ、長い歴史的な展開を経て、ひとびとの意識に完全に統合されてしまっていて、その結果兵士たちは殺されること−したがって、みずからの生命を保護の外におくことをじっさいに受け容れてきています。現在出現している問題は、福祉国家による保険適用の恩恵を保持せずに、ある種の危険にさらされることを、ひとびとがどのように受け容れることになるのかを知ることなのです。」
「もし私が宝くじで巨万の金を獲得したなら、死にたいひとびとが快楽のうちに、たぶん麻薬漬けで週末、一週間、もしくは一月を過ごしにやってきて、その後まるで消え去るように他界する施設を創立することでしょう。」(本文より)

326 倫理の系譜学について−進行中の仕事の概要 浜名優美訳
 ヒューバート・ドレイファスとポール・ラビノーによるインタビュー。フランス語訳はG・バルブデットとF・デュラン=ボガードによる。ドレイファス、ラビノー共著『ミシェル・フーコー、構造主義と解釈学を超えて』第二版、一九八三年、229−252ページ所収。本書n°306参照。
 一九八三年四月にバークレー大学で行われた英語による自由な会話。フーコーはこの会話のフランス語訳を読んで、インタビューに大幅に手を加えた(本書no.344参照)。

「計画の歴史」「倫理的問題としての欲望の系譜学」「古典的自己から近代的主体へ」という章立て。

「現代社会では、技芸(アート)はもっぱら物体(オブジェ)にしか関与しない何かになってしまい、個人にも人生にも関係しないという事実に私は驚いています。技芸が芸術家という専門家だけがつくる一つの専門領域になっているということにも驚きます。しかし個人の人生は一個の芸術作品になりえないのでしょうか。なぜ一つのランプとか一軒の家が芸術の対象であって、私たちの人生がそうではないのでしょうか。」(本文より)

327 そんなものに興味はありません 西永良成訳
 「ル・マタン」紙、一八二五号、一九八三年一月十日号、27ページ。ジャック・アタリ著『時間の歴史』(パリ、ファイヤール、一九八二年)をめぐる論争に関する質問への答え)。
 フランソワ・ミッテランの個人顧問であるジャック・アタリは、音楽、医学、経済学に関する多数の書物の著者である。彼の『時間の歴史』のいくつかの箇所がカッコなしに他の著者の引用であることが判明した。

「アタリ?いったい、そのお方は誰ですか?」

328 歴史の濫造者たちについて 西永良成訳
 (D・エリボンとの対談)「リベラシオン」紙、五二一号、一九八三年一月二十一日、22ページ。ジャック・アタリ著『時間の歴史』(パリ、ファイヤール、一九八二年)について。

「仕事の仕方をごちゃごちゃにする書物―もちろん私はあの種の知的著作のことを話しているのですが−は、あまり質のよいものではありません。私は他人たちが自由に用いることができるが、その出所をごちゃごちゃにしようとはしない程度には充分、みずからの仕事の仕方が明確であるような本を夢みています。使用の自由と技術的な透明性とは結びついているのです。」(本文より)

329 自己の書法 神崎繁訳
 『コール・ゼクリ』第五号(自画像)一九八三年二月、3−23ページ。
 ここで「一連の研究」とフーコーが述べているのは、当初『快楽の用法』にたいする序論として、「自己への配慮」という題の許に構想されていたものであった。この題の方は『快楽の用法』のなかの諸要素を新たに配分したもの用にとり置かれて、統治性に関する極めて概括的な一連の研究は、『自己および他者の統治』という題の許に、そのころスイユ社の叢書において企画された。

「いかなる技術も、いかなる職業的な技量も、修練なしには獲得されえない。「生の技法(techne tou biou)」もまた、自己自身による自己自身の鍛錬という意味に解すべき「修練(askesis)」なしには、身につけることはできない。そこに、ずっと以前からピュタゴラス派も、ソクラテス派も、キュニコス派も極めて重要な意義を与えてきた伝統的な原則の一つがある。このような訓練が取っているすべての諸形態(それには、禁欲や銘記、良心の吟味、省察、沈黙と他者の聴取が含まれる)のなかで、書法―自己自身や他者のために書き留めるということ−が、かなり後になって、無視できない役割を果たすようになったというのは、確かであるように思われる。」(本文より)

330 構造主義とポスト構造主義 黒田昭信訳
 (G・ロレとの対談)「テロス」第一六巻、五五号、一九八三年春、195−211ページ。

「用語が問題なのではありません。人はいつでも勝手なレッテルを利用することができるのですから。構造主義と呼ばれたものの背後に、ある一つの問題があり、大まかにいって、それは主体の問題、主体の改造の問題だったことはよくわかるのですが、ポスト・モダンあるいはポスト構造主義と呼ばれる人たちにおいて、彼らに共通する問題のタイプはどんなものなのか、皆目見当もつきません。」(本文より)

331 ミシェル・フーコーとの往復書簡 佐藤嘉幸訳
 「ニューヨーク書評」誌、三〇巻、五号、一九八三年三月三十一日、42−44ページ。(L・ストーンによる『狂気の歴史』についての報告、「狂気」、前掲書、一九八二年十二月十六日、28−36ページ、をめぐる、ストーンとの往復書簡。)
 アメリカの歴史家ロレンス・ストーンは、十六世紀から十九世紀の間の狂気の取扱いの歴史をめぐる、英語による四冊の新刊について説明しつつ(「狂気」、「ニューヨーク書評」誌、一九八二年十二月十日)、十五年前から、狂気、医療、逸脱が「『狂気の歴史』の重大かつ不安定な影響のもとで」再評価されていると嘆き混じりに認めている。M・フーコーの悲観的想像力は−彼によれば−資料の裏づけを欠いているというのである。以下に採録したM・フーコーの回答は、一九七二年にガリマール社から再刊された『狂気の歴史』の完全版を参照している。論文「狂気」において、L・ストーンは大幅な省略のある一九六五年の英語版の参照を注で指示している。もっとも、「ニューヨーク書評」誌の同号におけるM・フーコーの回答に応える際、L・ストーンは自分がフランス語のオリジナル版に精通していると指摘している。

「4 私は自著を二十年以上前に出版しました。当時、恐らく歴史家たちがあまり調査していなかった領域にあって、この著作はいささか「孤独な」ものでした。それは確実に改訂、洗練、修正、展開を必要としてます。幸いにも、以来、問題はあなたがおっしゃるように現在性(アクチュアリテ)の問いへと変化しました。しかし、二十年の後にこの著作が、冷静に留まるべきであった知性においてかくも多くの明白な歪曲を呼び起こすこと自体、それの扱おうとしていた問題がいまだあまりに多くの情念を引き受けつづけていることの徴しではないでしょうか。」(本文より)

332 快楽の夢―アルテミドーロスの『夢判断』をめぐって 神崎繁訳
 『自己への配慮』第一章の異文。一九八二年五月十八日、グルノーブル大学・哲学科での研究会で発表。
 アルテミドーロスの『夢の解読』は、古代に溢れていた文献、つまり夢判断の文献のうち、完全な形でわれわれに残されている唯一のテクストである。紀元後二世紀に著作活動を行ったアルテミドーロスは、彼自身その時代に用いられていた(当時既に幾分古びた)複数の著作を引用している。(…)

「忘れてならないことは、夢の分析が生存の技法の一部をなすものであったということである。眠っているときに現れる心像は、少なくともその特定のものに関しては、現実の出来事の予兆もしくは将来の出来事を告げるものと見なされていたので、それらを読解することには非常な価値が置かれた。分別に基づいた生も、ほとんどそのような務めなしですますわけにはいかなかったのである。」(本文より)

333 ミシェル・フーコー/ピエール・ブーレーズ−現代音楽と聴衆 松浦寿夫訳
 「CNACマガジン」一五号、一九八三年五月−六月、10−12ページ。

「これほどまでに遠く隔たった音楽をどのようにして再び捕らえたらよいのか、またどのようにしてそれをもとの場所に送り返したらよいのかと問う必要はないと思います。むしろ、音楽はかくも身近かにあり、われわれの文化の総体とかくも不可分なものであるにもかかわらず、どうして音楽が遠い彼方に投げ出され、ほとんど越えがたいかのような距離の彼方に位置しているとわれわれが感じてしまうのか、そう問うべきではないでしょうか。」(本文より)

334 ポーランド、そしてその後は? 西永良成訳
 (E・メールとの対談)「デバ」誌第二五号、一九八三年五月、3−34ページ。
 P・ブルデューとM・フーコーの提案に従った知識人たちとフランス民主主義労働同盟(CFDT)は同時に、ポーランドにおける一九八一年十二月十三日の戦争状態の導入はポーランドの「内政問題」だとする、フランスの対外関係省クロード・シェイソンの声明に抗議した。十二月二十二日、両者はふたたび共になって、〈連帯〉支援委員会を発足させ、M・フーコーは募金の管理責任者を引き受けることになった。(…)

主にフーコーが質問をし、E・メールが応えるという対談になっている。

「あなたはご自分が現に指導されているような組合活動をどのように規定されていますか?」
「労働組合と階級との関係はどんなものになるのですか?(…)」
「経済の進展が人口のふたつの層―一方は統合され、安定した仕事に就いている層、他方は流動的で、不安定な仕事に就いている層―に分離させる傾向のある社会においては、組合は保護されている者たちとそうではない者たちとの乖離をより深める結果をもたらすのではないでしょうか?」(本文より)

335 《あなたがたは危険だ》 西永良成訳
 (「リベラシオン」紙、一九八三年六月十日号、20ページ)
 否認していた八百フランの窃盗の廉で投獄されていたロジェ・クノベルスピースは条件付きの保釈の恩恵に浴していた。再度窃盗の廉で逮捕された彼は重警備獄舎に入れられ、その告発を企てた。その闘いは彼をジャーナリスト、知識人、芸術家たちのあいだで有名にした。M・フーコーは加わらなかったが、彼の裁判が再審理されることを求める委員会がつくられ、M・フーコーは彼の本『Q.H.S.―重警備獄舎』(パリ、ストック社、一九八〇年、上記No.275を参照)の序文を書くことを求められた。左翼が政権の座に就いたとき、R・クノベルスピースは再審理され、保釈された。ところが、間もなくある武装強盗事件の折りに逮捕され、司法の不公平の象徴であった彼は、このとき左翼の怠慢と知識人の無責任の表象となった。M・フーコーはここでそのキャンペーンに答える。

「(三)どこに錯乱があるのか?ソルジェーニツィンに辛辣で見事な文句があります。「自分たちの監獄を英雄化する習慣のあるあの政治指導者たちを警戒すべきだった」と言っているのです。」(本文より)

336 スティーヴン・リギンズによるミシェル・フーコーへのインタヴュー 佐藤嘉幸訳
 (トロントでの英語によるインタヴュー、一九八二年六月二十二日、F・デュラン=ボゲールによる仏訳)、「エートス」誌、一巻、二号、一九八三年秋、4−9ページ。

「こうした沈黙の尊重に関わるもう一つの要素が、語ることの強制と関係している、というのはありうることです。私は幼年時代を、地方フランスのプチ・ブルジョワ的環境で過ごしたのですが、訪問客と語り、会話を交わすよう強いられることは、私にとって何かとても奇妙であると同時とてもわずらわしい事柄でした。私は、なぜ人々が強いて語らねばならないと感じるのかとたびたび自問したものです。沈黙とは、それよりこんなにも興味深い関係の取り結び方(モード)でありうるのです。」
「実際、私は本当に快楽を経験することがほとんどありません。快楽とは、私にとって極めて難しい振る舞いだと感じられます。それは事物を享受するほど単純なことではありません。告白しなければなりませんが、それは私の夢なのです。私は、どのようなものであれ快楽を死ぬほど味わって死にたいし、またそう望みます。というのも、それは極めて困難なことだと私には思えるからであり、また、私が真の快楽、徹底して完全な快楽を感じることがないという印象をつねに持っているからです。そして、この快楽は、私にとって死に結びついています。」(本文より)

337 ……彼らは平和主義について、その本性、その危険、その幻想について……宣言した 西永良成訳
 (《地政学》、国際地政学研究所雑誌第四号。「IIG国際集会、戦争と平和―どんな戦争?どんな平和?」一九八三年秋号、76ページ)。
 国際地政学研究所(IIG)は一九六七−七四のあいだにジョルジュ・ポンピドゥーの顧問をつとめ、一九八一年大統領候補者だったマリー=フランス・ガローによって設立された。(…)

「単数形の平和という概念は私には疑わしい概念だと見えるので、平和主義という概念もそのような観点から再検討されるべきだと思われます。」(本文より)

338 快楽の用法と自己の技法 神崎繁訳
 『論争』第二七号、一九八三年十一月、46−72頁
 M・フーコーが『快楽の活用』、『自己への配慮』および『肉の告白』の全体のために、幾つかの異文があるものの、出版を準備していた序論。一九八四年五月に全二書が出版されるまでは、単独の論文として流布、引用された。

「変容」「問題構成の諸形態」「道徳と自己の営為」という章立て。

「これに反して、私を突き動かした動機は極めて単純なものであった。然るべき人たちの目には、それだけで充分だと映るのであって欲しいような動機、つまり、好奇心である。だが、あくまでもそれは、幾分ねばり強い修練を積む価値のある特別の好奇心である。つまり、知ると都合がいいことを手に入れようと探る好奇心ではなく、自分自身からの離脱を可能にするような好奇心である。仮に、知へのひたむきさが、知見の獲得しか保証せず、しかも特定の仕方で、できうる限り、知見を得る者に錯誤を許さないはずのものだとすれば、どこにひたむきにものを知ろうとする価値などあろうか?人生には、いつも考えるのとは違う仕方で考えることができるか、いつも見ているのとは違う仕方でものを捉えることができるか−ということを知ることが、ものを見据え、反省を加えることを継続するのに不可欠の問題となる、そういった転機があるものだ。」(本文より)

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*作成:橋口 昌治 
UP:20031114 REV:20100407
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