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江口聡「安楽死問題」

江口聡(1994)『実践哲学研究』17:56-66.
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/59183/1/jk17_056.pdf

last update:20100615

■内容

1.「ひとはいかなる手段を用いても生かされるべき」か?
ピーター・シンガーは、@古典的功利主義、A選好功利主義、B権利論、C自律の尊重、の4つの理論のいずれにおいても安楽死が倫理的に擁護されると主張している。

1)古典功利主義:快の総量を増やし、苦痛の総量を減らす立場から、苦しむ患者の安楽死が正当化される。
2)選好功利主義:人々の選好の最大限の充足を目指す立場から、他の事情が等しければ安楽死の希望を叶えることが正当化される。
3)権利論:人には生きる権利があるので、その権利を放棄する安楽死の行為も正当化される。
4)自律の尊重:自律的な意思決定が尊重される立場から理性的行為者の安楽死の選択は正当化される。

→ これらの議論は大筋認められるものと主張。その上で、@積極的安楽死、Aすべり坂論法、B障害新生児の安楽死、の三点について議論を展開する。

2.積極的に死なせることも許容されるか?
意図と結果が同じであれば不作為と作為の間に道徳的な違いは存在せず、完全な情報の下では「死ぬにまかせること」と「殺すこと」の間の道徳的な違いは存在しないものと主張。ビーチャムの誤診の可能性に基づく積極的安楽死批判(生命維持を停止しても生存可能な場合には積極的安楽死を行なえば死ぬが、消極的安楽死では助かる。)はある程度的を得ているが、誤診の可能性は医療の現場に常にあるもので、誤診があるから治療をやめるべきだという結論が導けないのと同様に、誤診の可能性だけから積極的安楽死を全面的に禁じることはできないと主張。問題は「誤診による積極的安楽死のマイナス」と「消極的安楽死による不必要な苦痛のマイナス」のバランスを取ることで、そのための判定基準と手続きをうまく定めることにあると主張。

3.我々はすべり坂をすべり落ちるだろうか?
「安楽死の合法化は危険なすべり坂を下ることになる」という「すべり坂論法」には二つのタイプ(@線引きすべり坂問題、A心理的すべり坂問題)があるものと主張。

@ 線引きすべり坂問題:
「いったんある特定の条件を備えた人を殺すことが正当だということになってしまえば、死なせることとそうでない人の間の一線は恣意的にしか引くことができないのだから、範囲は次第に広がっていき、最後にはナチスの大量殺人へと通じてしまうだろう」という考え方。

→ 安楽死の基準は、恣意的にではなく一定の根拠に基づいて決められるはずであるから、恣意的に動かすことはできず、この問題は重要ではないと主張。

A 心理的すべり坂問題:
「われわれの持っている殺人を厳格に禁じる道徳原則に変更を加えてしまうと、心理的に、次第に生命に対する尊敬の気持ちが失われる結果になる。最終的には、我々は人間の生命に対する尊敬の念を失った世界に住むことになるであろう」という考え方。

→ 生命尊重の原則が軽視され、道徳そのものへの関心が失われてしまうような深刻な事態が起きる場合には、安楽死を一般的な原則として採用することは控えるべきかもしれないが、心理的すべり坂の話は「人間の心理の事実」に関わる問題であるから、実証的な研究によって裏付けられる必要があるものと指摘。また、道徳意識は時代とともに変遷するが、道徳という営みは失われていないことを指摘し、安楽死問題について誰にでも分かりやすい基準を定めることで心理的すべり坂に対する歯止めになるものと主張。

4.障害を負った新生児を死なせることも許されるだろうか?
シンガーは自己意識がないと考えられる新生児について権利論や自律の尊重原則は適用できないと考え、功利主義的立場から重度障害新生児の安楽死を擁護している。シンガーの安楽死擁護論には以下の二つのものがあると指摘。

@ 重度障害児の生命の質に基づく安楽死擁護論:
重度障害新生児自身がこれから生きていく上で感じるであろう「生きることに伴う苦痛」が「生きることに伴う幸福」よりも大きいほどに生命の質が低い場合、その新生児の安楽死が正当化される。

→ 誰もがそれ以上生きることを望めなくなるような恐るべき肉体的苦痛があり、快や喜びを一切感じることができないような状態にある人を無理に生き続けさせることの意義は捉えがたく、その意味において、極端に悲惨な場合においては新生児を死なせることが容認されるかもしれないと主張。しかし、一般的に健常者は障害者の生活を実際よりも悲惨なものにみなす傾向があり、障害新生児の大部分の生は健常新生児の生とそれほど大きな差はないので、この議論はあまり多くの事例に当てはまらないものと主張。

A 障害新生児と健常新生児の効用比較に基づく安楽死擁護論:
軽い障害をもった新生児を殺すことで、次の健康な子どもを育てることが可能であれば、軽い障害であっても新生児を安楽死させることが正当化される。

→ この議論は障害新生児と健常新生児の「置き換え可能性(効用の個人間比較可能性)」を前提としており、功利主義における「存在先行主義」と「総量主義」のどちらの立場を取るべきかで解釈が異なる。存在先行主義は既に存在する者の効用の増加を目指す立場で、この下では既に生まれている軽い障害の新生児を殺すことは許されない。一方、総量主義は効用の総量の増加を目指す立場で、全体の幸福の総量が増加するのであれば、軽い障害をもつ新生児を殺して健常新生児を生み育てることが正当化される。シンガーは総量主義も存在先行主義もどちらも明確に支持してできずにいるが、多くの国で選択的妊娠中絶が認められていることから「新生児が置き換え可能であること」が不可能ではないと主張。総量主義の問題点は「幸福を感じる生物を可能な限り増やす義務を負う」という奇妙な結論にあり、シンガーもこの欠点ゆえに総量主義を支持できないでいる。この点については、ヘアの「道徳的思考のレベルの区別」の議論と同様に、批判的レベルの思考法としては総量主義を採用し、大まかな方針としては存在先行主義を採用するのが妥当ではないかと主張。この立場を採用すれば、@障害者は健常者と同じかそれ以上に幸福な生活を送れるということ、A健常者は障害者の生活を知らず悲観的になりやすい、という二つの事柄から「最悪のケースを除いて障害新生児を死なせない方がよい」という結論が得られるだろうと主張している。


■引用




■言及




*作成:坂本 徳仁 
UP:20100615 REV:
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