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A New Species of Trouble:
Explorations in Disaster, Trauma, and Community

Erikson, Kai T. 1994 W W Norton & Co.

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last update:20180711

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Erikson, Kai T. 1994 A New Species of Trouble: Explorations in Disaster, Trauma, and Community, W W Norton & Co., 264p. ISBN-10: 0393035948 ISBN-13: 978-0393035940 US$22.00 [amazon][kinokuniya] ※ w/ek02, t06

■内容

From Publishers Weekly

For the past 20 years Erikson, a sociology professor at Yale University, has studied comunities stunned by recent disasters. His first subject, Buffalo Creek, W. Va., which suffered from the break of an earthen dam in 1972, led him to write Everything in Its Path. Among the seven communities examined here are an Indian reserve in Canada whose water supply was contaminated by mercury, a Colorado neighborhood threatened by gasoline seeping from storage tanks, the towns near the Three Mile Island nuclear plant that faced the possibility of radiation contamination. Erikson found a consistent pattern: loss of self-esteem and faith in institutions, and heightened senses of dread and vulnerability. He finds similar responses among the homeless. Describing this kind of trouble as the product of human error, he reviews the decision to deploy the atomic bomb in WW II and addresses the plan to store nuclear waste at Yucca Mountain in Nevada. In the epilogue to these gripping case studies, Erikson advances the illuminating suggestion that communities can experience trauma just as individauls can. Photos.
Copyright 1994 Reed Business Information, Inc.


■紹介

紹介:日高 友郎 2008/05/24
Being Homeless / ホームレスであること pp. 158-181

"home"の定義とhomelessの概要
"home"の定義
定義1:出身地、母国
定義2:住居、居住施設、窓

・ 母国を離れている人を "homeless" とは呼ばない → 定義2に準じた話

homeの意味:「自己の地理学」geography of self
・ 寄宿舎、相部屋etc…などに住むことは出来ても、住所を持たないと(公共スペースのなかに居場所を見つけないと)メンバーにはなれない。
・ 遊牧民の紐帯(ちゅうたい)のように流動的な集団のなかに地位を確立することで位置づけられる場合もあるが、多くの文化では「場所を持つこと」=「固定された習慣を占有すること」であり、居住空間と場所(homestead)の統合感覚が失われると人格が剥奪される。

ホームレスになることの重要な側面
・ ホームレスであることは人間関係の輪の外縁に生息すること―他の種類kindになることであり、他の種speciesにさえなるかもしれない
・ 6人家族のホームレスの母の語り:
(いったんホームレスになると)「人々はあなたをもはや人間として登録されていないかのように見る」
・ ホームレスは社会秩序を構成するコミュニティと親族関係の膨大な網の目の外で生きている
→社会という概念の否定物 「平和の邪魔者」disturbers of the peace
 ホームレスを惨めな存在とし、かつ危険なものとする。

・ アメリカでは、ホームレス状態homelessness社会的紐帯から抜け出してしまった、かつ安定した海岸から漂流していった独身男性に特有の状態であるとみなされてきた
・ 社会学者たちはホームレスに注目してきた(アルコール依存症・精神病の高い割合、共同体の形態などから)
新しいホームレスの特徴
・ 新しいホームレスは異なる状況および環境から路上へと至っているので、従来のものと異なる
・ 独身女性と女性主体の家庭で構成されている層が増加中であること
・ 新しいホームレス男性は従来より若くて貧しい
ドヤ街の消滅→路上へ
社会保障の改善→年配者は保護される
手作業や詰め作業などの仕事が自動化された→臨時雇いで技術の要らない仕事減
・ 精神病の罹患率が高いかもしれない
They may have a higher incidence of mental illness, too, since many of the people who would have been absorbed into mental hospitals and similar institutions a generations ago have now found their way to the streets.
*一昔前には精神病および類似施設へ収容されていた人々は(今はこうした施設に収容されることなく)路上に来ているため(結果として)精神病の罹患率が高い?

ホームレスの実態
・ 測定方法とイデオロギー上の雰囲気ideological moodsによって、ホームレスの総数は十万〜数百万に変化
・ ほとんどを屋根なしで過ごす人、緊急シェルターで過ごす人、ホームレス状態になったりならなかったりする人・・・
・ Peter Rossiによれば30万人、James D. Wrightによれば50万人との見積もり
・ 暦年のある時点をピックアップすれば100万人を越える(Wrightは150万人と予想)、ホームレスになるリスクをコンスタントに負うに十分なほど困窮している人の数は数百万人に上る

ホームレスをどう捉えるか
ホームレスを取り巻く諸問題
・ 女性と子どもの増加;ホームレス構成比から
・ 独身男性が中心であり続けているが、かつては独身男性が100%だったのに対し、近年は60%くらいになってきている。
約15%は独身女性、5%が身寄りのない子ども、22%が家族集団(シングルマザーと子ども)。
・ 女性と子どもがホームレスに占める割合は統計的に右上がりで今後も増える模様

・ アルコールおよびドラッグの問題(全体の40%)
・ うつ病や精神疾患(3分の1)
・ 一生に一回は刑務所へ(40%)

問題の説明の難しさ
・ ホームレス独身男性はアルコール依存症や病気などにかかる率が通常よりも大きいので、こうした数字の多くは独身男性によって説明される。
しかしこうした数字をどう判断するか分からないときでさえも、・・・複雑になる。
But even then it is hard to know what to make of those numbers, for the correlation between homelessness, on the one hand, and all the above frailties, on the other, is a complicated one at best.
・ 過度のアルコール摂取はホームレスへ至る理由となるが、ホームレス状態に伴う屈辱感と喪失感は飲酒に向かわせるには十分な理由になる(因果を問うのは難しい)
・ ホームレスに見られる心身の問題は、病院ではもっぱら、荒廃した生活における無配慮neglect、汚染exposure、その他の破壊的な振る舞いに起因するものとして扱われるのみだった

・ ホームレスのうち障害者および虚弱者は路上で彼らの存在を説明していると考える専門家たちは、彼らがデータの中に見つけたいと願っていた経験的な安堵solaceの全てをいまや簡単に手に入れることが出来る。その専門家たちは―いくぶん孤独で勇敢な事であるが―ホームレスのうちの障害者および虚弱者は、路上に居ることに対して対価を払っている厳罰の人々の間に居る、と考えもする。
So the correlations point in two directions at once. 〜 the disabilities and fragilities of the homeless are among the grim penalties people pay for landing on the streets.

・ 因果関係の言語the language of causationを語ることは、論点がズレることになるかもしれない
・ 飲酒がホームレスの原因、あるいは逆が正しいとする考え方は表面的には正しい。
しかし、人間精神はもっと微妙な部分が大いにある

【御伽噺tale】
彼らがビンを開けたとき彼らは絶望の渦中にあった、それが助けになるだろうと願っていたのだから。しかしアルコールの最初の一滴が血流に届く前に、彼らの一人の偶然のコメントが数時間に渡って小さな傷のように苦しんでいた言葉の初期の交換の他のものを思い出させた。口論が勃発した、その口論は空気を悪くし関係を危険にするだけでなくビンが空になるスピードも加速させた。
この事態は彼らのエネルギーをすっかり奪って彼らはその日の仕事や午後のシェルターを生み出したであろう約束を忘れた、そして思い出したときに感じた悲しみは彼らの一人が他の人へ不器用に振り回した理由と共通していた。おそらくここに危害は来ない、なぜならいま2つ目のビンに突入しても真っ当に動ける者はないので。しかし警官はそばに生じる他の事柄の追求に従事する。言葉は話された、ナイフが衣服のシワから出てきた、引き金が引かれた、そして・・・

・ この偶発的なtaleに因果関係を見出しうるか?
・ 個々の出来事は互いに強化しあい、互いに定義し、物語が最終的に持つに至る結果の全てに向かって螺旋を描く連続的なループを形成する
・ 長い目で見れば言えるのは、ホームレスのいるところで精神疾患やアルコール依存症、身体障害者、家族の機能不全によって特徴付けられるライフストーリー、警察沙汰などを見つけることが出来るということ

なぜ人々はホームレスになるのか
・ 低コスト住宅の縮小し行く供給への競走に敗れたから
→微妙な運命subtle fateで決まるのではなく、市場marketで決まる可能性
 →さらに2つの問いが立てられる

[問い1:なぜ低コスト住宅がこの豊かな土地において不足するのか?]
・ 70年代〜80年代にかけて、新しい家資源housing stockを建設する費用(古いものを維持する費用も)は上がったので民間資本が前途有望なベンチャーへと移行した
・ 賃借料、税金、利子支払い、燃料費の増加による家の維持の困難さ
・ 政府の住宅補助金は政策的にかなり縮んだ → 高級化・中産階級化で家を失う

[問い2:経済的・気質的に家を失うに妥当な数百万人のうちどのような人々が実際にホームレスなるに至ったのか?]
・ 公的扶助に多くを依存している片親家庭の者であり、不安定にぶら下がっているようなもので市場からの振動が木を揺らしたら落っこちてしまう
・ 一時解雇や工場閉鎖によって切り離され、さらに復帰が難しくなった勤労者世帯の者
・ 虐待的な家族から逃れている単身の女性
・ 精神的疾患を持った者で、世代的に若く、入院していて、合法世界には市場の場所を持たない前科者と同様の者(非合法の世界においてさえ、成功に必要な技術や接点や考え方を持たない者)。
・ 社会保障の対象でない、あるいは適切な年金を持たない老人
・ 家族から抜けた、あるいは見捨てられた若い人で、路上での生活へと没入している人
・ 居留地から抜けたネイティブアメリカン同様に、ラテンアメリカ、カリブ、アジアからの合法・非合法の移民である―彼らは技術なしでやれる仕事の数がさらに下がったときに最も苦しむ

ホームレスの脆弱性
・ 親類などのセーフティネットを持たない、または元々いたところの生活環境や両親および仲間からの虐待から逃れる望みを持って路上へとやってくるから
→緊急時にアテにできるものがない
 a missing check、病気、盗難、誤解、立ち退き、逮捕、自動車事故、妊娠などによって彼らの生活の全構造は危機にさらされる。

政策の問題としてのホームレス
・ 土地のリソースは限定されているapportionedので約100万人は家と呼べるようなものなしに社会のしわcreaseの視野から失われている
・ ホームレス個人の脆弱性と運命の事故を指摘する言説が一般的だが、動機incentiveや課税方法や経済調整などによって我々がホームレスを生成していると言われるかもしれないということを抑えておくことは重要

観察・インタビューによる実態の把握
・ これまでの議論は統計的な情報をもとにしたもの
→こうした現状の傾向に対してどのように感じなければならないかということを考えたいなら、観察者の仕事に回る必要がある。

以下3つのフィールドワーク研究が代表的。
・ Jonathan Kozol:ニューヨークの一次宿泊所welfare hotelsでもがく母親たちに注目
・ David A. Snow と Leon Anderson:テキサスにおける独身の成人(主に男性)に注目
・ Barry Jay Seltser と Donald E. Miller:ロサンゼルスの緊急シェルターを経験している家族に注目

SeltserとMillerの研究
・ ロサンゼルスの緊急シェルターを利用している100人(主にシングルマザー)へのインタビュー

・ 緊急シェルターの集団は新入りのホームレスが主(神経質、警戒)
・ ホームレスになるかならないかの瀬戸際にいる人たちという特徴
  現在の危機が解決されたらもっと安全なところに移る
  (しかし)多くは見捨てられ、生活の方法としてのホームレスへ
・ 永続的なホームレスとなる人々は定住が難しいだけでなく、沈黙しがち
→慢性的なトラウマを抱えた人の間に見出した鈍い接近不可能性dulled inaccessbilityを同様に持つ

・ 調査対象者自身も、自分が瀬戸際にあると位置づけている
・ 毎日の生活が大きなエネルギーの要るもの

【州の生活保護を受けている、子どもを持つ女性の語り】
支援は助けになっているが、支援によって今いる場所に固定される。
生活費が高いので他の場所には移れず、かといってとどまり続けるにも十分でない。
かろうじて生存できるだけの額であるから、何も達成できない。
一日を切り抜けることで人生が消費されることに気づく。

【2人の子を持つ女性による語り(極貧者の会計について)】
人々は私に対し、何かしら追加のお金が出来たらビールでも飲むのだろうと決めてかかっており、最低限の水準で生活していくことを望んでいる。

ホームレスの脆弱性(環境変化に弱い)
・ こうした脆弱な生活においてもし何かしらの不都合が生じたら、一気に転落する

【1人の子を持つ43歳の黒人男性】
不動産会社の仕事を失ったあと、妻も妊娠したために仕事を失った。
蓄えも底をつき、アパートからの移動を余儀なくされた。
他の人と同居を試みたが、彼らはいずれも働いていなかった。

劇的ではない変化
【数度の結婚を経て、7人の子どものうちの3人と暮らす53歳の白人女性】
離婚後テキサスから来た。
Kelly Services に登録した。
足を骨折したら仕事を紹介してくれなくなった。家で骨折したので労災もおりず。
車が壊れ、息子が仕事場に行けなくなりクビに。
2番目の息子が薬物に手を出した。彼はいま刑務所の中。
福祉事務所に行ったら210ドルの小切手をくれた。
これを使い切ってからは私物を売り、何とかしてきた。

・ 栄光からの転落は不慮の出来事(偶有性)contingenciesのように感じられる
・ 劇的な語りが展開されるような重要な瞬間があったわけではなく、語りに悲劇的な質を与えるような決定的な運命の曲がり角もない。これを聞いたままに表現すると、自由落下、「連続的な下り坂」a continuous downhill run、「一連の出来事」a chain of circumstancesである。


拠り所のなさ
・ 新入りのホームレスがいま入ったこの世界で信頼できる支えsound bearingsを見つけ出すことは困難である。一例を挙げると、思いも拠らないことがいつも起こるのだから・・・

【語り@】
Tent Cityという行き場所があったが、テントのなかで睡眠をとった翌朝、息子の顔の蚊にかまれた部分がひどいことになっていたall swole up。
息子を建物の中に入れたい、路上から離れさせたいと考えた。

【語りA】
ある朝、我々はシェルターに座り、5時か6時ごろに聖書を読んでいた。
そのとき赤ん坊のおしめから這い上がっている蛆を見た。
他のシェルター住民はいつものことのように振る舞っていたが、私は興奮しおかしくなった。それから、男性の一人が懐中電灯を片手にやってきて、床いっぱいに蛆がいることがわかった。

【語りB】
一時宿泊所での光景はあなたを憂鬱にするでしょう。
不十分な世話しかされてない子どもたち。ドラッグ中毒の母親。暴力や児童虐待、殺人。毎日、子どもたちが叩かれているのを見ることになる
・ 自分がどこに居るか悟るとき、その結果は不見当disorientationと不信に接するパニックになりうる
・ こうした人々は以前から貧困の瀬戸際にあったので喪失と欲求の何たるかを知っている。しかし、この新しい世界では日常生活のルールも転倒している

【語りC】
これは私にとっては大混乱だった。
私は何でも出来るタイプの人間だが、しかしここに来て以来、いつもおびえている。
私は驚きつつ路上を歩く:「私は何をしようとするのか?」
私には2人の娘が居る。路上で娘たちを寝かせるなんてことはできません!

【語りD】
私は今夜は子どもとともに寒い思いをせずに居る。
しかしいったいどこで私は明日寝るのでしょう?
我々が一晩滞在できるように友人と取り決めをした日、外はとても寒く、私は公園のベンチに座りながら涙に暮れました・・・私は自分が狂乱状態か何かのように思われました。なぜならばそれは本当に私に死を恐怖させたからです。

【語りE】
 それは半端なものじゃなかった。寒かった。繁華街に行けばダンボール箱の中で寝ている人がいるのがわかるでしょう。あなたはどこかに場所を見つけないといけない。こんなことになろうとは考えたことも無かった。一度たりとも。

【語りF】
食べ物を買うのに十分なお金が無いというのはとても奇妙な感じだ。
恐怖fearとは折り合いをつけてきた―ほとんど恐怖terrorのレベルだったが―頭上に屋根の無い生活を考えて・・・私にとって、生活の基本・基礎のひとつは、なにがなんでも屋根を持つことだ。とても出来そうにない。悪夢だ!

自責の念
・ ホームレスの多くは置かれている状況を自らの責とすることから始める
・ 逼迫しているときでさえも、他にどんな風にやっていけたかについて考えるのは困難

【語りG】
私が思うに、彼は私よりも多少この状況を受け入れていると思う。
彼は以下のように感じているから。「ああ、私はしなければならないことをしていないのだ、決めたことを果たしていないのだI'm not holding up [my end of the bargain] 。私は家族のために全てを与えてきたし、いつも彼らにとって良かれと思うことをやってきた。」
そして私は彼にこう言った:「私がそれを理解することができる唯一の方法は、神様が我々に経験して欲しいと願っている試練なのであり、いかにこの事態を乗り越えるかという方法を我々に示す神のやり方なのだ、ということだった。人生経験learning experienceなのよ。」 彼は返事し、しかし一方では再び「これをしていない、あれをしてない」といった。

【語りH】
私が妊娠しても、事態は良くならなかった。私は自分の居場所があるということがわかっているときは大丈夫だったが、路上が近づくほどに、私の気分の動揺は激しくなっていった。私は私自身について考え続けた。「私は娘を持っている。私は彼女の頭に屋根さえつけてあげられない。誰か、娘を面倒を見れる人の下へ預けるべきなのでは」。なぜならば、事態は私を無力に感じさせたから。母として十分な仕事をしていないように感じる。

・ しかし、これら自分について知る不幸な人々が 彼らが他者によって扱われていると思っているような軽蔑に対抗することが出来うることについては間違いない。自信を欠く人々は、そうした評価が、彼らが関係する人々の言葉や様子を映し出すようにしばしば取りはからう。だから我々は審判の時にはこうした人間の習性というものへの斟酌を得たいと思うかもしれない。
But none of the doubts these unfortunate people have about themselves can match the contempt with which they think are being treated by others. People who lack confidence in themselves often have a way of seeing that assessment mirrored in the words and looks of those with whom they deal, so we may want to make some allowance for that very human habit what the time comes to make judgments.
*ホームレスになる→自分が役割を果たしていないという自己評価→自信喪失
→周囲の人もそういう風に思っているのだろうと思ってしまう みたいな???
就職困難と不全感
・ 「汚染されたもの」の感覚がホームレス世界の明白な部分
・ この感覚はagency personnel(職業安定所の職員?)から始まる
・ 他の役所の人よりも偏屈でなく不親切でもないが、より大きなロジックa larger logicがホームレスとの関係を管理している
・ ホームレスは混乱・不公平感を抱えて行動、
職員は担当しないといけない人の多さに圧倒される
→個々人の気分や偏見と言うよりも社会状況の反映であり、社会的勢力の出会い、
 文化的構成物。

【語りI】
 彼らはあなたが助けを求めて行ったときにあなたが地球のカスのように感じさせるのです・・・こういう場所に来なければならないということが相当なことです。なぜならば彼らはあなたがドン底にいることをしっているのにあなたをゴミのように扱うのですから。

【語りJ】
職安の人の多くの一般的な態度は「なぜ仕事が見つからないの?」。
彼らは外面を扱うけれど、内面を扱わない。
そしてその内面には、仕事を得ること以上のモノがあり、特に子持ちの場合はケアと移動の問題がある。そしてお金。絵本picture bookの中には多くのものがあるけど、彼らは外を見てその外側から判断をする。

・ 一般的な人々の態度も同様

【語りK】
今やみんながホームレスに意識的ですから、もしあなたがあなたの与り知らぬところで分不相応に多くのものを運んでいるように見られたならば、人々はあなたに注目する。特に子連れの時には。ゆえに、あなたは何か歩き回っているようには見られないということを分かっておかないといけない。くだらないことです、でもこの恐怖を経験したのは私ひとりではないと確信しています。

・ 語りK以上に辛辣に感じた経験を持つ者もいる
「ホームレスならばアルコール依存症と麻薬中毒の両方」
「子ども時代に「困っても盗みはいけない。駐車場の掃除を申し出ること」と教わって実行したら警察を呼ばれた」
人間コミュニティから外れること
「社会の主流に属していない感覚がある。世界が自分を通り過ぎていくという感覚です」
「教会に行くのが恥ずかしいみたいなものです。どこに行くのも恥ずかしいみたいなものです。私は45番目のクラスの人間のように感じます(feel like a forty-fifth class person)。」

・ 人は厳しい災難の力で打ちのめされてしまっている状況ならどこでもこうした感情を見つける。しかし人はまた、見捨てられたり、切り離されたり、人間生活の大きな流れから逸脱してしまっていたり、拒否の形態のように扱われたりするときにも同じように感じるのだ。だからこれもまた打ちのめしの形態なのである

・ ホームレスは毎日の生活環境が他の人々の経験から遠く離れてしまっているので、理解されることを期待できないと感じることが多い
例:Aleksandr SolzhenitsynのOne Day in the Life of Ivan Denisovich
→以下、「清潔」の問題について述べていく

シェルター生活者に不足する路上知
【語りL】
清潔な服がなく、家族の安全を確認しなければならないようでは職を探すのも難しい。
妻子の食べ物を確保し、自分の食べ物を見つけたらようやく日課が達成される。
空き缶拾いなど、いつしか毎日、一日中行うようになった。

・ 路上での生活方法を学んでいない人にとってはこうした出来事は問題となる
比較的経験を重ねた者relatively seasoned campaignerは「路上に関する限り、私はnobody's universityでは得られないような修士学位を持っています。私はそれを世界と交換したりしません。」
→ただし、シェルターのほとんどの人は知識(特に情報)がない

【語りM】
人々が苦闘することとなる最大の問題は情報の欠如であり、リソースの知識の欠如だ。
フード・バンクについてさえ知らなかった人々と話したことがある。
彼らはcold weather program について知らず、ホームレスシェルタについても知らなかった・・・多くはクチコミであり、自分と似た状況の人々の間でなされるのだ。
【語りN】
朝4時ごろに追い出された。
これは最大の恐怖だったと思っている。
数年間を過ごしているストリートの人々のようだった。
彼らは路上知streetwiseを持っている。
我々はいつも家があったので経験を持たなかった。

・ 上記のエピソードには皮肉がある
・ 「運命は家無しであなたを置き去りにするが、あなたはホームレスとなることを学ばなければならないのだ!」
Fate can leave you without a home, but you have to learn to be homeless!
・ 長期的にはホームレスになるプロセスはErving Goffmanによって説明された被収容者inmateになるプロセスと少しも違っていない―施設化された患者institutionalized patientからGoffmanが40年前に学んだプロセスが、現在ではホームレスに見られるということの皮肉である。

おわりに: 段階的経験もトラウマ的瞬間になりうる
・ ホームレスの語りが普遍的に聞こえるときでさえ、当事者にとっては深刻でトラウマ的瞬間になりうる
・ 段階的で不意であれ、衝突事故やその他の運命の大きな転機に匹敵するような衝撃と即時性の足跡を魂に刻み付けうる

・ 著者がかつてBuffalo Creek の被害にさらされた直後の住民を描くために用いた言葉が、より慢性的な要素にまたがってホームレスへ転落する人々へそれでもなお適用されうるのかということへの回答である。
ホームレスシェルタあるいは一時宿泊所もまた、「あたかも灰色の影で塗られてしまっているように」見られうるし、こうした場所にいる人々は「あたかも重たい空気のサヤに包まれていて、そこを介して彼らは周到な努力を犠牲にするだけで動くことが出来るかのように」行動することがよくある。これが、冒頭に私が指摘したように、トラウマの面影なのである。

■翻訳引用

訳:日高 友郎 pp.226-241
>> pp.158-181 [MSワード]

p226
前チャプターで、述べられた場面はいくらか違う。しかしトラブルを経験した中で生活する彼らの反応はとても似ていて、それはシンドロームといえる。"ひとつのグループの兆候"。


East Swallow訴訟で、判決にたどりついた例は、私は私の書いた有毒な汚染についてのレポートを読んだ何人かの調査者に、彼らが知っているコミュニティと比べてもらった。私は訴訟で効果的に人を動かす方法で、私にとっての真実を捜した。
East Swallowの反応は、まさにまさにそのような状況で期待されるようなもので、ある一方は違っていた。
誰もが同意する点は、ショック、共鳴することなどである。 

p227
Michel Edelsteinはベテランのオブザーバーで、East Swallowの人々の表現パターンと反応として、「汚染されたコミュニティ」で「まさに私が見たとおりだ」と述べた。Love Canalで数年間調べているAdeline Levineは、「私のだいたいの印象は、East Swallowの住人の感情表現がLove Canal で観察し、インタビューしたのととても似ている。」
私にくれたいくらかの疑問はLove Canalの人々の声でもあると何度も感じた。この新しい種類のトラブルにより、広範囲の場所を訪れ聞いた声は、痛みは反映し、トラウマを形作るということだ。

T
私がこれらのページで、使うトラウマという用語はそれらの場面で出会う人々の精神的なものだけではない。社会的なものである。どのようにトラウマが広範囲で社会的なコンセプトとして、そして、狭い臨床的な点からもあてはまり、普通に使用できるかを考えることは私の出発点である。

p228
トラウマは、通常、体の組織を強打する意味である。今はさらに、怪我や、ほかのいくらかの被害の結果としての 心の構造へと向かう。何か部外者があなたに侵入したり、心の防御ラインのバリヤを破ったりする。それはあなたに進入し、縛り、支配する。あなたの構造の特色となり、その恐怖があなたをおぼれさせ、空虚にさせる。
クラシカルなトラウマの症状は、疲労、動揺、感情的なスケールから、しびれやマヒを起こす。トラウマにかかった人は度々、周囲から不快感をうけとり、危険信号として過度に怒り、日常の音や景色にも反応する。しかし同時にすべての神経質な行動は、重苦しい抑うつ、どうしようもない感情、意欲の無さ、それらの害から隔離するために心を閉ざすことに対して起こる。上記のように、トラウマは、日常、悪夢、フラッシュバック、幻覚、似たような数々の痛々しい経験のリリーフを含む。
Paul Valelyは記した。"私たちの記憶は私たちが理解していないことを繰り返す。"かわりに言うと、私たちの記憶は私たちにまだおきていないことをくりかえさせ、付きまとう。

しかし、トラウマは多くの違った意味で使用され、多くの異なった意味を持つ。私たちは先に進む前に2つの用語上の問題を解決しなければいけない。

p229
最初に、クラシカルな医学用語で、トラウマは怪我や苦痛を意味しない。しかし、その爆発が苦痛を与える。精神状態が確実とする。出来事が引き起こす。PTSD障害は、医学会議で使われる。
臨床と共通使用で、区別は徐々になくなってきている。私の机の上の辞書は、両方のトラウマを定義する。"ストレスや、爆発、障害感情や態度を作り出す"。ある意味で、環境において、その重心は、最初の意味から、次に移る。私だけがこの移動を使用しているのではなく、通常での使用を進めている。
そうするのによい方法がある。歴史家は、話がどこから始まるのか知りたいし、セラピストは被害を受けた原因を知りたい。そのように自然に最初が知りたい。しかしそれらは、他の詳細でしかない。(そして、とても重要なものではない。)それは、どのように人は反応するかで、彼らが何をトラウマイベントとして与えるかである。もっとも凶暴な世界の苦しみは、それらが、心や体に危害を与えないかぎり、医学的な見方はない(精神状態と定義され、最初の出来事を形作り、そう名づける)。それは、他に意味しない。

第二に、普通使用されるコンセプトを与えるために、思慮のある出来事や、激しいイベントから形作られる、トラウマは人生経験の座である。今、このすでによく観察され、コンセプトとして知られる背景を広く観察し、ストレスからトラウマへの違いに広く観察している。

p230
このよく知られた区別のトラウマは凶悪な一刺しをさす。一方ストレスは慢性的な状態が徐々に精神を犯す。

難しい結婚はストレスである。仕事に沈む事、アウシュヴイッツ、長期間の恐れ、虐待?否である。トラウマは持続的な戦い。ショックでマヒし、虐待のパターンが続く、ふいの激しい一撃、強い消耗から作られる。効果は同じで、私たちは注目するべきだ。

U 
これらの説明で"トラウマ"は、社会学者や、臨床医が働く事の出来るコンセプトになっている。私は私の言葉を広めたい。実際外傷を与えられた集まりは別のほかの外傷を与えられた集団についても話す事が出来る事を指し示す。

p231
時々、コミュニティ組織は、心や身体がダメージを受けたと同じようにダメージを受ける。個人のトラウマ的な痛みはムードを作り、移る。トラウマは社会的な局面である。トラウマはコミュニティを作る。ある意味それは説明するのにとても妙である。トラウマの人々を説明するには、彼らは、防御の封をし、無言の場所、孤独に痛む場所に沈み、トラウマ経験を否定や抵抗により孤独の重荷を消し去る必要がある。社会から外れる事で何がおこるか?
しかしトラウマ状態は他のトラブルとは違う。それらは、人の中心に動き、被害者意識を与え、引き離し特別なものを作る。Buffalo Creekの生存者の一人は言う。"黒い水が私たちの生活の底にある。私はもう我慢できない。それは私を変えて流してしまう。"その女性は他者と気持ちを共有するという。彼女は自然の過程で、他に関係を変えられたと言う。彼女はマークされ、ののしられ、死んでいるとさえ感じている。"今私は死んでいる"一人の隣人は言う。"私はエネルギーがない。私は何年も前に死んでいるようだ。"

いくらかの生存者は、他にこの形跡を見つけ、この違いがあることが、ある種のステータスになっている。トラウマの人達の慎重さと麻痺、緩慢な感情の共有は、他と関係する事は難しく、高い代償を払う事を意味する。トラウマの共有は、共通語、文化背景 共有性と同じようなものを保つ。そこにはスピリチュアルな関係があり、アイデンティティの感覚は死んでいて、ケア能力は麻痺している。

p232
結婚したカップルが良い例を示す。Shoshana Felmanは述べる。大虐殺を生き残り、その後一緒になることにしたが、それは、気があったのではなく、彼は私が誰だか知っていたからで、私は彼が誰だか知っていたからだ。最近アメリカ軍で、イランで捕虜になったものが説明した。「一緒になることは簡単だった。私たちは説明しないでよいからだ。私たちは同じ痛みを持っている。」

トラウマは求心的で遠心的な傾向を持つ。

実際トラウマの人々はまとまりのない他のトラウマの人達を探し出し、関係を結び、仲間意識を強くする。ベトナム帰還者は、その記憶をよくあげられる。例えば、幼児虐待経験を持つ成人達は何かしら集まる。先に引用した大虐殺カップルのように、彼らはこれまでにない近い友情関係になることを知っていて、人間性、ある種の感情の解決策を与え始める。

V 
p233
大体、トラウマは、コミュニティにダメージを与える。私は最低2つのコミュニティがあると示唆する。人々の構成を区別していくとトラウマになる。私が最初Buffalo Creekについて書いたとき、"個人のトラウマ"と"集りのトラウマ"の区別を作った。

個人のトラウマ
一人に突然精神的な打撃を与え、そのものは効果的に反応出来ない。Buffalo Creekの生存者はまさに経験した。彼らは死に近いショックを深く受け、荒廃し、苦しみ、この度々起こる災害に、彼らは麻痺し、恐れ、弱り、孤独に引きこもる。

集団のトラウマ
一方、基本的な社会生活にダメージを与え、人々が集まり、地域は悪化する。まさに知らぬ間に苦しみに近づく。したがって突然のトラウマの性質を持たない。しかしショックの形は同じで、徐々にわかることは、効果的なコミュニティのサポートとして存在せず、重要な部分の自己が消えていく。「私」は引き続き生存し、ダメージを受け、永遠に変化していく。しかし、私たちは対として、大きなコミュニティとの繋がりとしては、存在しない。

社会組織がトラウマになったBuffalo Creekは、一つが問題に影響しているといえば、リスクを持つのは明白だ。Buggalo Creekは一種の文化セッティングで、それは傷ついている組織だという事が明らかだ。

p234
今このように話している間、比喩に気づかなければいけない。コミュニティは心や、腱や、神経を持っていない。それらは苦しんだり、合理化したり、楽しみを経験する事はない。しかし、似ている点は、人々の群れがコンサートで演奏したり、同じリズムを刻むことは、全て組織の部分より、もっと人間的な個人のものに割り当てはまる。結果的に人々は個人をグループに委ねる。そして、日々の需要と供給を確保する。彼らは殆ど空虚で、感情のない自分自身の無いことに気づく。

Buffalo Creekのように普通コミュニティは、個人の財産を作る場所だと考える。痛みの緩衝を求めるのがコミュニティで、信仰の形を求め、伝統のを守る。そして、コミュニティが深く影響されると、身体にダメージを受けたように社会がダメージを受けたと人は言う。Buffalo Creekの出来事はその考えのテストケースを供給する。数多くの住民は明らかに 災害によって今まで経験したことないような、水害、死、破壊により、トラウマになっている。彼らは、継続するコミュニティの消失により、傷ついた。これは、Buffalo Creekが砂漠になり、何もない場所から洪水になったということではない。残った人々は、思い出、親戚関係、共通の知り合いを持ち、立て直す材料は持っている。しかし、彼らは、なくした文化信仰から、電気平原に浮かぶ電子のようにさまよっている。

しかしトラウマは他の方法で、コミュニティに働きかける事が出来る。

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自然災害の間で、共通に見られるのは、Buffalo Creekで私たちが報告したように、突然の不可解なほどの感情の波が災害直後に、生存者に押し寄せる。世界が終わりになるという一瞬、「裸で荒野に一人で取り残されたような孤独」とAnthoney F.C.Wallaceは述べる。しかし、次に「幸福感のステージ」が殆どの自然災害で付いてくる。なぜなら、コミュニティが完全に死んでいない事に気づく。被害者は、破壊された中にまだ生存者がいるということに気づき、レスキューワークの力が湧き、温まる。そしてかれらは抑えきれないほどの仲間意識を持ち、古い友人と再会するように手を結び、コンタクトする。彼らはコミュニティの再生を祝い、死を思った瞬間彼らの再生を祝う。ある有名な研究"都市の労働組合""不幸の市民運動""苦しみのコミュニティ"とMartha Wolfenstainが、小説に書いている。"ポスト災害ユートピア"Allen H.Bartonは、小説に書いていて、"利他的なコミュニティ
Charls E.Flitzが、"治療のコミュニティ"と書いている。それはまるで、生存者が、破壊の中から、掘り出され、身体には手をつけないが、残された資源に傷のドレスを着せるようだ。

Buffalo Creekではこのページで書かれたようなことは、何も起こっていない。新しい種類のトラブルのような事は起こっていない。
これらの災害はたびたび大きなコミュニティの組織に境界線が引かれると、それは分離される。いくつかの場所はコミュニティ自体が派閥を作り、"腐食したコミュニティ"と"治療のコミュニティ"と小説で書かれた。
間違った線は人々のイベントでの影響から分けられ、"都市の労働組合"まさに反対の何かが起こる。彼らのまだ触れられていないほうは、触れているものから距離をとろうとし、何かがスポイル、公害から逃れようとするかのようだ。"腐食"は適した言葉で、なぜなら、災害はこの反応の傾向をもち、ある種の毒を含むからだ。これが、Three Miles Island、East Swallow, Love Canal の特徴だ。

そのような中で、トラウマ経験は社会に徐々に影響を与える。それらは、優勢なムードと熱を与え、想像と感覚を支配する。お互いの関係を支配する。惨劇は人々の結び付きを強くし、親しい関係の元になる。そのようなことがそれぞれの場所で起こり、私がここで説明した事はトラウマだと説明できる。(私は今ここでそのことに触れることはできないが、地域、国で起こることを付け足しておく)
トラウマは2つの形がある。個人か、組み合わせで、神経ダメージが人間にダメージを与え、社会情勢となり、コミュニティムードを作り、グループスピリッツを作る。

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私はプロローグの2つのテーマ、表面と浮上について、生地と糸のように説明した。
始めに災害は他の人間によりもたらされると考えると、特別な方法で傷つくのではなく、傷から立ち直る気持ちと、傷付きやすい気持ちを治すことは難しい。私はこれは、East Swallowに共通すると発見した。

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数年間、オイル漏れは続き、会社の誰も"貴方の道にオイルをこぼした。ごめんなさい。きれいにするよ"と言わなかった。それはどれくらいとりのぞけるか、カバーできるかが問題である。私はそれが正しいとは思わない。人々が何を問うているかは社会的にとても初歩的なことで、それは人間性の欠如である。それは、ご近所や、街の仲間、同胞ではない。それは、敵対的な部外者が、一方を違う種の人間とみなし、それがさらに残酷になる。

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人間社会をつなげるものは最低信用、尊敬、慈悲と人間関係である。これらの期待を裏切られると人は不快に思う。それらはどのように隠そうとしても皮肉を毛皮で覆うようなものだ。彼らは鋭いトリックで、傷つき、感情隔離のこれらのレイヤーなしで、信用できる共同体だけを信じ、将来を見つめなければいけない。つらいことだ。しかし本当の長期的な問題は人間的でない人々が経験する人生は自然な特徴だという事だ。むしろ、マナーのない会社よりも。彼らは自分たちが視野が広く、深く真実を求めると考える。:人間帰還は頼りにならないと。

第二に、災害はChap4で述べたように、いろいろな面で特別なケースだと言える。私は今ここには戻れないが、科学的な意味に戻る必要がある。この新しいトラブルについて更に深い領域に着くように、強い有害性についてさらに見てみる必要がある。
Buffalo Creekは、災害のいい例で、毒性災害の特徴が際立って含まれている。しかし、暗く抑えられた感情は、科学自身をこえ、社会生活の性質に及ぶ。油の筋は窓枠や床を何年も汚し、Buffalo Creekは有害な残がいから身体を引っ張り出すようになる事を決して忘れない。

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くぼ地は黒い泥で覆われる。私たちはまるで、ホームレスが毒性があるというような事実にちじみあがる。ホームレスJonathan KozolはRichard Lazarus をよび、プラスティックシェルターグローブガードをつけながら、"これは、私に原子力のワーカーを思わせる。彼らは、汚染に触れないように、保護服を着る
災害はこの特徴を含み、現代の社会的、精神的特徴を表し、災害は人類が作り出したもので、そしてさらにそれは毒をまし、私たちが選ぶ生活方法の結果とする。時代は、大虐殺、広島、長崎を例える。しかし歴史家がこれらの出来事は本来の先祖の災害ではなく、シンボルとして君臨すると述べた。 

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災害を生き残った人について、私は始めに記した。何時も人の群れから離れたい気分になり、似たようなグループで集まり、そのような離れていている気持ちから起こる見かた、リズム、ムードを分かち合う。それらの見方はいつも自然法則で、寛大さによって、支配されているように見えるが、彼らは、世界を違ったレンズで見る。そのセンスで彼らは言うかもしれない。a)自身の感覚を変える、b)他との関係を変える、c)変わった世界を共有する。新しい民族精神、個人と複雑なテクノロジーの担当機関が頼る事は出来ない。テクノロジーは、メリットのない計算とセオリーに基づいており、環境はこれに変わる。社会的、自然的にである。それはもろく不正確である。宇宙の法則継続性によって支配されているだけではなく、チャンス、そこらに潜む自然な悪にもよる。それは新しい特別な真実だ。1人のキャンプ生存者は、50年後にインターネットで、寒々しい見解を述べた。"それは、世界を超える景色で、全世界の景色・・・ひどく悲観的な、人々について、知っている真実、人間の性質、死について、人が知らない真実を知っている。。。"

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人のよい、強いBuffalo Creekの女性は知っている。
「この災害が私たちにもたらされて、多くの人の目を開いたと私は信じている。戦争があり爆弾がこの場所を粉々に破壊する。ばかな誰かが、それを粉々にふきとばす。
だから、洪水は私の想像を少なからず掻き立てる。それは私たちが生きている人生や、子供たちがどう生きるか。洪水の前は考えなかった。それは新しい考えを起こした。それは何か、前は何かを目覚めさせるように思う。時々私は、ベッドに行き考え、戦争で何が起きているかを考える。それはたぶん成長だ。以前私は何も考えていなかった。しかし、家は綺麗か、夫は夕食で足りているか、子何たちは正しい服を着てきれいでいるか、私は正しい時間に出かけ、正しい時間についているか確認しよう。」

人類は真実の波紋に囲まれている。池の波紋のように、サークルを放射線のように描いて。トラウマは最悪で、個人の自信の喪失だけを意味しない。しかし、家族や、社会、人間が生活する方法によって、人間の政治構造の自信の喪失といえる。


*作成:日高 友郎
UP:20080525 REV:20080530, 0831, 1209,20090816, 20100504, 20150203, 0330, 0801, 20180630, 0711
Erikson, Kai T.  ◇トラウマ  ◇身体×世界:関連書籍  ◇BOOK
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