HOME> BOOK

愛はいつまでも絶ゆることなし

―筋萎縮性側索硬化症と闘った妻の記録―

鈴木 康之 19931127 講談社出版サービスセンター,440p. 2913 ※



■鈴木 康之 19931127 『愛はいつまでも絶ゆることなし――筋萎縮性側索硬化症と闘った妻の記録』,講談社出版サービスセンター,440p. 2913 ※ b als

■引用

43-44 関東逓信病院
「平成元年三月九日
 明日、退院の許可がおりる。鞆、退院と聞いて嬉しそう。
 入院受持医の亀田先生に検査結果等について説明を受ける。
 入院してきたときから脊髄に何か支障があることを疑って、これらの検査をすべて行ってみたが、結果は何も得られなかった。
 MRI、筋生検の検査を行い、若干ではあるが、運動神経に萎縮が認められたので、おそらく進行性の筋萎縮症の疑いがあると思われるが、現段階では確定的な疾病名は付けにくい。しかし、現象面としては、左上肢、又は下肢に異常があることは認めざるを得ない状態だ。今後は通院してリハビリを行って経過をみたい、と告げ、それが「筋萎縮性側索硬化症」の前兆であることは差し控えていたし、筋萎縮の進行度合いも人によるが、六ヶ月くらいで進行の止まる人もいるので、気長にやってみて下さい、ただ、元どおりに戻ることはまずないであろうと付け加えられた。
 ▽まさに青天の霹靂だ。脳天を金槌で叩かれたようなショック、これから一体どうなるのだろう。今より悪化した時のことは想像もできない、又、したくもない。(p.43)
 これからどのように生活をしていくか、頭の中は真っ白けになる。
 鞆にはいつ、この症状のことを告知するのか、自然に解かるまで放っておくか、いや、今日、それを告知して、療養に専念させた方がよいのか、全く判断がつかない。
 夜は、全く寝ることが出来なかった。」△

92-93
「順天堂大学付属病院初受診
平成元年七月十三日
 先だって、兄より紹介していただいた広瀬教授を通じて水野美邦教授に診察を受けるため、鞆を連れて順天堂大学医学部脳神経内科の外来へ初めて行く。
 初期の症状から関東逓信病院での検査入院のことを訴える。鞆がゆっくりとした口調で喋った。まだ十分聞き取れる喋りである。
 水野教授の「当院でも再度検査してみますか」の問いに、鞆は「検査はしないでほしい」と答える。鞆は筋生検の検査をまたするのはたまらないと思ったのであろう。水野教授と(p.92)の会話の中で「元のように治るのは無理でしょう」という一言にすごいショックを受けたのか、鞆は涙が止めどもなく出て泣きじゃくってしまう。可哀想で、可哀想で……。私は、いたたまれなくなってしまう。
 順天堂の処方も関東逓信病院のそれと殆ど同じであり、症状の判断は、関東逓信病院と同じであることが読み取れた。」

100
▽「平成元年七月二十七日
 鞆、順天堂へ予約してある時間の午後二時三〇分に行く。鞆は夜ぐっすり寝れず、夜中に目が覚めて困ると訴える。先週の投薬のみの時、私が水野教授にお願いしたとおり、丁寧に鞆の「症状」について話をされた。この時も教授は鞆の病名である「筋萎縮性側索硬化症」の疑いがあるとか、外国名の略称の「ALS」という言葉の使用は避けてくれた。」△

 九〇年五月「鞆も「筋萎縮性側索硬化症」であることはうすうす知っていると思うが、医学書を読んでいるわけではないので、予後が芳しくないということは、多分知らないと思う。」(194)

196-197
▽「平成二年五月一七日
 ?さん、手伝いに来てくれる。
 鞆、午後から順天堂へ、今日は診察の他に水野教授に「身体障害者手帳」交付に必要な診断書の交付を受けるため、そのお願いをする。
 鞆の診断書は、関東逓信病院を退院(平成元年三月一〇日)時に、受けて以来である。その時点では「進行性の筋萎縮症の疑い」であったため、不治の難病であるとは信じがたかったが、現時点ではどのような診断を水野教授がするのか……。
 私自身、身体障害者の定義をはっきり知らないし、鞆にそれを告知するのも残酷だという気持ちを強く持っているため、それらの申請行為は行っていなかった。この手帳交付により決定的な病名となり、鞆の心理的な影響を考えると、本当に交付を受けてよいものか、私自身、判断に迷っていたところである。しかし、現時点で行政面の福祉政策を活用するには、この手帳の交付が必須の条件になっている。意を決して診断書の依頼をした。
 水野教授は「まだ、その手続をなさっていなかったのですか。私はすでに診断書を差し(p.196)上げたと思い込んでいました」と……。
私は難病の定義は知らないが、鞆の現象面は手、足は不自由で、言語障害も起こし私は難病の定義は知らないが、鞆の現象面は手、足は不自由で、言語障害も起こしている。しかし、世の中にはもっともっと大変な病気があって、「寝たきりの方」、意思疎通も全くできない方の話など聞いているので、そのような方が本当の意味での身体障害者であり、鞆のように自分では何も出来ないが、頭脳は明晰あり、トイレも連れていけばそれで足りるし、大変は大変だけど、もっともっと大変な人がいるのだと思って、鞆の症状が不治の難病に指定されていて、その手帳が交付してもらえるものとは思ってもいなかった。
 水野教授は診断書記入に時間がかかるので、来週取りに来て下さいとのこと。お願いして帰る。」△


立岩の文章における言及

 [127]鈴木康之は妻がALSであることを一九八九年三月、関東逓信病院で知らされる。「まさに青天の霹靂だ。脳天を金槌で叩かれたようなショック、これから一体どうなるのだろう。今より悪化した時のことは想像もできない、又、したくもない。/これからどのように生活をしていくか、頭の中は真っ白けになる。/鞆にはいつ、この症状のことを告知するのか、自然に解かるまで放っておくか、いや、今日、それを告知して、療養に専念させた方がよいのか、全く判断がつかない。/夜は、全く寝ることが出来なかった。」(鈴木康之[1993:43-44])その後、九一年十二月に呼吸が止まり亡くなるまで、病名を知らせることはなかった。八九年七月、順天堂大学病院の「水野教授との会話の中で「元のように治るのは無理でしょう」という一言にすごいショックを受けたのか、鞆は涙が止めどもなく出て泣きじゃくってしまう。可哀想で、可哀想で……。私は、いたたまれなくなってしまう。」(鈴木[1993:92-93])同月、「私が水野教授にお願いしたとおり、丁寧に鞆の「症状」について話をされた。この時も教授は鞆の病名である「筋萎縮性側索硬化症」の疑いがあるとか、外国名の略称の「ALS」という言葉の使用は避けてくれた。」(鈴木[1993:100])九〇年五月、「鞆も「筋萎縮性側索硬化症」であることはうすうす知っていると思うが、医学書を読んでいるわけではないので、予後が芳しくないということは、多分知らないと思う。」(鈴木[1993:194])

■言及

◆立岩 真也 20041115 『ALS――不動の身体と息する機械』,医学書院,449p. ISBN:4260333771 2940 [amazon][kinokuniya] ※ b als


※おことわり
・このページは、文部科学省科学研究費補助金を受けている研究(基盤(C)・課題番号12610172)のための資料の一部でもあり、本から引用されている部分等はその全体を紹介するものではありません。その記述、主張の全体については、当該の本・文章等に直接あたっていただきますよう、お願いいたします。
・作成:立岩 真也
・更新:20020612作成,2020614,0911

ALS  ◇BOOK
TOP HOME (http://www.arsvi.com)