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『医療の政策過程と受益者――難病対策にみる患者組織の政策参加』

衛藤 幹子 19931120 信山社,245p.

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■衛藤 幹子 19931120 『医療の政策過程と受益者――難病対策にみる患者組織の政策参加』,信山社,245p. ISBN-10: 4882619938 ISBN-13: 978-4882619932 3573+ [amazon][kinokuniya] ※ n02h

■引用


◇小泉 義之 2007/02/10 「<難病と倫理>研究会配布資料・補足資料」,難病と倫理研究会第1回京都セミナー
◇小泉 義之 2007/02/10 「<難病と倫理>研究会発表」,難病と倫理研究会第1回京都セミナー

 「序

 昭和四七年一〇月、厚生省は新たな疾病対策として『難病対策要綱』を発表した。さらに、同年八月には、公衆衛生局に難病対策課が設置された☆01。難病とは特定の疾患を指す医学用語ではなく、以下の二つの条件を満たす疾病を総称した呼び名である。すなわち、原因不明で治療法も確立されておらず、しかも後遺症を残すおそれが少なくない疾病であること。そして、慢性的な経過をたどるため、経済的、精神的負担が大きく、また介護等に人手を要し家族の負担が大きい、の二点である。これに該当する疾患のうち、老人対策、成人病対策、精神衛生対策等ですでに取り上げられている疾患を除いたものが、所謂難病として難病対策の施策の対象になっている。
 難病対策要綱は、対策の進め方として、調査研究の推進、医療施設の整備、医療費自己負担の解消、及び地域保健医療の推進の四つの柱を掲げている☆02。これらのうち、患者に直接的なサービスとして提供されるのが、医療費の自己負担の解消、すなわち公費負担である。この医療費の自己負担の解消には、特定疾患治療研究、小児慢性特定疾患治療研究、育成医療、更生医療、重症心身障害児(者)措置、進行性筋萎縮症児(者)措置の六つの事業が含まれている。
 これらの事業のうち、小児を対象とした小児慢性特定疾患治療研究、育成医療、重症心身障害児(者)措置、進行性筋萎縮症児(者)措置、また身体障害者福祉法に基づく更生医療の五つについては、従来より児童家庭局、社△001 会局で所掌されていた事業を、難病対策の中に組み入れたものである。したがって、難病対策の新規事業は、成人を対象にした特定疾患治療研究ということができる。また、一般に難病というときは、この特定疾患治療研究の対象になっている「特定疾患」を指している。
 特定疾患治療研究は、上記の難病の第一の条件に該当するため調査研究を進めている疾患のうち、診断技術が一応確立し、かつ難治度、重症度が高く、しかも患者数が少ないため、公費負担の方法をとらないと原因の究明、治療方法の開発等に困難をきたすおそれのある疾患を対象に、健康保険の自己負担分について公費で補助する制度である。特定疾患は、厚生大臣の私的諮問機関である特定疾患対策懇談会の意見に基づいて決定され、平成五年一月現在、三四疾患☆03が指定されている。」(衛藤[1993:1-2])

「☆01 難病対策課は、その後昭和五七年九月に結核難病課、六〇年一〇月に結核難病感染症課となり、六三年七月から保健医療局疾病対策課に吸収されている。(厚生統計協会『国民衛生の動向』第三九巻九号(一九九二年)一六五頁)。」(衛藤[1993:7])
「☆03 特定疾患治療研究(医療費公費負担)対象疾患は以下のとおりである。
 @1ベーチェット病(登録患者数一二、九八七人)、A多発性硬化症(三、九〇八人)、B重症筋無力症(七、八六八人)、C全身性エリテマトーデス(三三、五二一人)、Dスモン(二、〇九六人)、E再生不良性貧血(七、二三四△007 人)、Fサルコイドーシス(八、七二二人)、G筋萎縮性側索硬化症、H強皮症、皮膚筋炎症及び多発性筋炎、I特発性血小板減少性紫斑病、J結節性動脈周囲炎、K潰瘍性大腸炎、L大動脈炎症候群、Mビュルガー病、N天疱瘡、O脊髄小脳変性症、Pクローン病、Q難治性の肝炎のうち劇症肝炎、R悪性間接リウマチ、Sパーキンソン病、21ミロイドーシス、22後縦靭帯骨化症、23ハンチントン舞踏病、24ウィリス動脈輪閉塞症、25ウェゲナー肉芽腫症、26特発性拡張型(鬱血型)心筋症、27シャイ・ドレーガー症候群、28表皮水疱症(接合部型及び栄養障害型)、29膿疱性乾癬、30広範脊柱管狭窄症、31原発性胆汁性肝硬変、32重症急性膵炎、33特発性大腿骨骨頭壊死症、34混合性結合組織病(厚生統計協会『国民衛生の動向』第四〇巻第九号(一九九三年)一七〇頁)。」(衛藤[1993:7]、人数途中から略)

 「歴史的に厚生省の疾病対策の目的は、結核、伝染病、あるいは精神衛生に見られるように社会防衛△002 という観点が強調されてきた。それはまた、隔離、収容等の私人の権利・利益の侵害をともなう行政行為として実施されてきた。難病は、その患者数からしても、老人対策や成人病対策のような国民的課題とはほど遠い。しかも、その病態は非伝染性かつ自傷他害のおそれもなく、社会防衛という目的にも該当しない。
 では、難病対策の政策目的はどこにあるのか。ある疾病の猛威から国民・社会を防衛する、つまり患者にではなく健康人の保護、換言すれば社会的利益に対策の重点を置く社会防衛に対し、患者個人の利益の保護を目的にした政策をここでは「患者福祉」と呼ぶことにするならば、難病対策はまさにこの観点から取り組まれたということができる。また、施策の性質としては、既得の権利。利益の直接的侵害をともなうことなく、私人に何らかの利益給付を行う「サービス給付」である。難病対策が登場する以前、少なくとも疾病対策においてはサービス給付といった施策の立て方は行われてこなかった。
 こうした疾病対策における政策の目的や内容の変更は何故起こったのか。それにはいくつかの要因が考えられるが、それらの中で最も重要な要因は、組織化された患者、あるいはその家族が医療・福祉の専門職の協力を得て、政策形成に積極的に関与し、施策の構築を促進したことである。」(衛藤[1993:2-3])

 「難病対策は、ある意味では従来にはない新しいタイプの医療政策プログラムとして出現した。したがって、これによって新たに権益を創出しようという動きはあっても、既得権者は存在していない。現に、日本医師会のプレゼンスは、難病対策の実施段階がある程度進行してからであった。また、当初から重要な役割を演じた二つのアクター、すなわち受益者の集合にすぎない患者組織とボランタリーな専門職集団に、既得権益など存在するはずもなかった。とりわけ、患者組織は病に苦しむ弱者の組織であり、圧力団体とは対極に位置している。
 つまり、ある程度のリソースと既得権益を持つ圧力団体の存在を前提にしたネットワークの考え方では、患者組織を捉えることはできないのである。ただし、このように政策ネットワークから外れる場合でも、その仕方には二つのタイプがある。一つは、政策ネットワークから完全に離れ、別行動をとるタイプ、これは先に「難病検診事業」の重要なアクターであると述べた患者組織、すなわち東京進行性筋萎縮症協会(東筋協)に当てはまる。もう一つのほうは、政策ネット・ワークに直接組み込まれているわけではないが、ネット・ワークのいずれかに結び付くことによって、間接的に繋がるというものである。医学研究者と厚生省医学系技官との専門職ネットワークや社会労働委員会所属の国会議員間の政策コミュニティといった既存のネットワークと関係を持った、全国スモンの会と全国難病団体連絡協議会(全難連)がこのタイプである。」(衛藤[1993:55-56])
 「では、こうした受益者の集団はどのようにして政策過程にコミットしたのか。そのメカニズムはいかなる視点から解き明かすことができるのか。」(衛藤[1993:56])
 「組織化と巧妙な戦略に頼るしかない。」(衛藤[1993:57])

 「患者運動における専門職の支援は、比較的よく見られることである。……専門職の支援は当該政策の批判やその代案の作成にまで及ぶものになってはいない。」(衛藤[1993:68])
 「こうした中で、唯一<advocate planning>の概念で捉えられるのが、東筋協を支援した専門職集団である。……『地域ケア』という「難病対策」の対案を提起することになったのである。」(衛藤[1993:69])

 「したがって、患者福祉を目的にした疾病対策は、昭和三八年度から取り組まれた病児や障害児に対する一連の施策に始まるということができる。これは、重度の病気や障害を持つ児童の施設収容、あるいは治療等に要する費用を負担する公費負担制度等を内容としている。対象になっているのは、重症心身障害児、進行性筋萎縮症児、先天性代謝異常児、自閉症児、さらに小児ガンや腎臓透析の児童である。施設収容の目的は、患者の療育、あるいは家族による在宅介護の負担軽減にある。また、それまで社会防衛や国家補償的なものに限られていた医療費等の公費負担が、ここで初めてそれらとは異なった文脈、すなわち個人の利益を図るものに拡大されたのである。
 そして、難病対策も、社会防衛や国家補償ではなく、患者福祉を志向する政策ということができる。」(衛藤[1993:84])
 『厚生省五〇年史』参照
 「ところで、このような疾病対策における新しい展開は、どのような要因によってもたらされたのであろうか。戦後の民主化という点も遠因として無視できないが、直接的な契機としては何が考えられるだろう。厚生省・難病対策課の初代課長仲村英一は、それを「新たな時代の要請」という観点から説明している。すなわち、結核を始めとする伝染性疾患が衰退する一方、人口構成、社会構造の変化のなかで成人病や老人性疾患の増加、また公害、食品汚染等の新たな健康障害の出現など、疾病内容も時代とともに変容している。こうした変化に対応するためには、従来とは異なった対策が必要とされ、難病対策もそうしたものの一つである。つまり、疾病構造の変化が、それまで埋もれていた難病に政策の目を向けさせ、それを急性伝染病や結核に代わる新しい政策課題として浮上させたというのである。
 さらに、仲村は、難病という言葉は時代とともに変化する社会通念的な用語であり、先に挙げたような小児の病気も"難病"という範疇で捉えることができるとしている。すなわち、昭和三八年度に始まる小児の慢性疾患等に対する施策は、従来は宿命的なものとして患者や家族もあきらめていたり、またそれまで家族、あるいは地域社会に吸収されていたような疾病や障害が、医学の進歩や核家族化、都市化などにより問題化したのを新たな難病として捉え、施策の対象にしたと述べている。したがって、スモン対策に始まる難病対策に先立って、難病という言葉こそ用いていないが、小児の慢性疾患の一部において既に"難病"対策が実施されていたということになる。」(衛藤[1993:85])
仲村英一「特定疾患対策」『日本公衆衛生雑誌』第二一巻四号(一九七四年)
芦沢正見「難病対策の現状と一、二の問題点」『ジュリスト臨時増刊・医療と人権』第五四八号(一九七三年)

 「だが、難病対策が小児の慢性疾患の一部で展開した患者福祉を基礎に取り組まれたという点については、果たしてそのように言い切ることができるであろうか。確かに、対策が進行する中で、次第にそのような方向をめざし、結果として患者福祉の対策になった。しかし、以下で検討するように、スモン対策に始まるその端緒で指向されたのは、従来の社会防衛であった点を確認しておく必要がある。」(衛藤[1993:86])

スモン(SMON) Subacute Mylo-Optico-Neuropaty(亜急性脊髄視神経障害)

 「こうして比較してみると、当時の厚生省の研究にとって、スモン調査研究協議会の三、五〇〇万円がいかに大規模で、画期的なものであったかが理解できる。と同時に、厚生省がこれによって権益の拡大を志向したとしても不思議ではない。潤沢な研究予算は、支給対象範囲の拡大や支給額の増額によって、支給対象者と厚生省の結びつきをより強固にする。言い換えれば、それは厚生省の支持基盤が拡大することを意味した。……厚生省研究補助金の中でも、医学や公衆衛生に関連した研究助成の支給対象者は、主に大学病院や国立病院の医学研究者や臨床医である。こうした勤務医の場合、日本医師会への加入率は低く、開業医に比べ医師会に対する帰属意識は希薄である。そして、開業医が医師会によって利益の保護・拡大を図ろうとするのに対し、彼らはそれを出身大学や所属する病院、あるいは先輩・後輩の繋がりに委ねる傾向にある。しかも、彼らの関心の多くは、医師会が中心課題に据えている医療費や医療体制といった政策・制度の問題よりも研究に向けられている。つまり、国立病院や大学病院の医師と医師会との間には意識のズレがあるということができ、その点で日本医師会は医師の利益集団として一枚岩ではないのである。/このことは、健保問題が浮上する度に繰り返される日本医師会の強硬路線を危惧する厚生省にとって、一つの対抗措置になる。なぜなら、研究費を支給して大学病院や国公立系病院の医師の支持を取り付け、彼らと医師会との距離をさらに拡大すれば、医師会の凝集力を弱め、それは組織の弱体化にさえ結びつく。また、医師会とは別に医師集団との強力なパイプを確保することにもなる。しかも、彼らは研究・教育の点で一定の権威をもっている。折しも、メディアや世論が盛り上がり、これに乗じて、研究費の拡大を図ることが可能であった。/そして、四五年度には、スモンと新たに加わったベーチェット病の研究費が別途予算化された。四七年度になると、スモン対策が類似の疾患に波及して難病対策に発展したのにともない、スモンを含む難病研究は「特定疾患調査研究」として一本化され、四八年度の研究補助金として五億三千万円の予算が認められた。この金額は、調査研究の対象疾患が拡大するに従って、順次拡大されている。これにより、厚生省は先に挙げた三つの研究補助金とは別立ての大型の研究予算を確保したのである。」(衛藤[1993:91-92])

川村佐和子『難病に取り組む女性たち――在宅ケアの創造』(勁草書房、1979年)

 「しかしながら、厚生省が責任省庁として総理や厚相の発言に出来る限り即した対策を打ち出そうとするのに対し、大蔵省はそのプライドにかけても筋書きにない予算支出を認めないだろう。結局、この問題は、一ヵ月の間に二〇日以上入院したスモン患者に対し、治療法法解明の研究協力の謝金という名目により、月額一万円の支給(都道府県もほぼ同額を支給)を四六年七月から実施するということで決着をみる。これは、「実質的には患者の医療費の自己負担の軽減をはかるもの」ではあろう。だが、公費負担という新たな予算枠を設けないために、「治療研究への協力謝金という名目」によって従来の研究費の枠内で処理されるという妥協の策となった。」(衛藤[1993:111])

白木博次白木博次(東京大学医学部脳研究所病理部教授、東京都参与)
 「白木は、患者組織が取り組むべき課題を次のように示唆している。まず、現在の医学には限界があるので、重症のスモン患者の社会復帰は極めて困難か、不可能に近い。医師も患者も、この限界を認識した上で社会生活の支えや生活保障の積極的な展開を考えるべきであり、そのためには患者の社会的側面の援助、即ち福祉援助を大きくクローズアップしなければならない。しかも、日本では、こうした施策がまだ整備されていないので、訴訟に勝って多少の賠償金を得たとしても希望ある生活は全く期待出来ない。
 むしろ、スモンが「つくられたもの」である以上、その社会的責任を明確にし、その責任において再び患者が出ないよう、また患者には社会的に福祉と医療の暖かい手がさしのべられるよう「医療と福祉が連続する救済措置」の具体化を訴えることである。つまり、こうした訴えこそ、スモン訴訟の原点なのだと言う。さらに、白木は、この考え方はスモンのみならず難病全般に通ずる問題と一致しており、従ってスモン患者の運動を全体的な難病解決のきっかけをつくる「トップバッター」として捉えるべきだとしている。」(115)

白木博次「スモン患者の社会復帰によせて」『スモンの広場』第四巻(一九七三年)
同「水俣病を追う――その医学的・社会的背景」『世界』第二二二号(一九六四年六月)
同「水銀汚染の実態――健康破壊への危機の一例として」『公害研究』第二巻第三号(一九七三年)
同「市民の健康――環境汚染による健康破壊への危機」『現代都市政策第一〇巻』(岩波書店、一九七三年)
同「環境破壊から健康破壊へ――水俣病はいまや一地域病ではない」『世界』第三二二号(一九七二年九月)
同「自治体(東京都を中心に)の医療行政の基本的背景」『ジュリスト臨時増刊』第五四八号(一九七三年)
同「医学と医療――重症心身障害の考え方との関連において――」『思想』第五四九巻(一九七三年三月)
同「美濃部都政下における医療の現状と将来像――わが国における医学と医療の荒廃への危機との関連で」『都政』第一六巻五号(一九七一年五月)

全国スモンの会
「訴訟」「自立のための施設建設」「難病患者運動」

 「この難病というネーミングを概念化し、社会が問題を共有する上で馴染み易い言葉として世に送り出したのが、ベーチェット病患者を救う医師の会(以下、医師の会)である。難病という言葉が、広く知られることになったのは、四六年二月、同会が難病救済基本法試案なるものを作成し、その全文が新聞紙上に掲載されたことによる。これを機に、メディアが『難病』を慣用語として使い始めた。」(117)
川村佐和子・星旦二「難病への取組み」『ジュリスト総合特集』第四四号(一九八六年)
『朝日新聞』一九七一年二月二〇日朝刊

治療研究への協力謝金
『厚生白書』(昭和四七年度)一一九-一二〇頁

 「衆議院社会労働委員会では、治療研究費の協力謝金が次の二つの点で問題になった。一つは、これに付帯する「一ヵ月二〇日以上入院の重症者に限る」という支給条件についてである。まず、三月一六日の委員会では、公明党の古寺委員がこの制約のために支給者がごく一部の人に限られていることに言及した。
 また、難病についての集中審議が行われた四月一四日の委員会において、参考人の甲野も、スモン患者のうち外来の治療の者は約六〇%で、治療費の補助を入院に限定すると、六割の患者がそれから外れると実際に数字を挙げながら、今後改善すべき点として、それを指摘した。そして、この点については、政府側より四八年度からは新たに二疾病を追加するとともに、「入院、通院を問わず、社会保険各法の規定に基づくこれら受療者の自己負担を解消する」との答弁が行われ、入院枠の撤廃が図られることになった。
 もう一つは、これを治療研究への協力謝金という名目により、研究費枠から拠出するという実施の仕方についてである。これは、既に見たように厚生省にとっては苦肉の策であり、また実際の運用においても、その目的から対象患者を一定限度に絞ることのできる実に便利な方法である。治療研究に協力した患者に謝金として医療費の自己負担分を支給する目的は、一つの地域では情報収集のできにくい患者のデータを全国規模で集積することにあるとされている。したがって、対象者は患者数の少ない稀少疾患の患者に限られ、予算的に一定の歯止めが掛けられる仕組みになっている。」(124)
『難病対策提要』(平成二年度版)二四頁
日本医師会による批判『日本医師会雑誌』第六九巻八号(一九七三年)一〇九二頁
 「しかし、患者の立場からすれば、法的根拠のない予算補助では、財政逼迫による打ち切りなどその継続が危ぶまれる。……四月一四日の委員会に参考人として出席した研究者は、一様に「患者さんの援護は援護、研究は研究」と分けるべきだという意見であった。……しかし、政府側としては、この医療費の一部負担を研究費から切り離し、別途に法令を設けて法律補助にすべきだとする主張には乗り気ではない。……かくして、法律補助による公費負担は実現せず、結局治療研究への協力謝金という名目による予算補助が今日まで継続されている。」(125)
 「もっとも、法的根拠こそないものの、『難病対策要綱』は、推進すべき三つの対策の内の一つに、「医療保険の自己負担分について、公費で負担する対象疾病および対象範囲の拡大と内容の改善を行う」ことを挙げ、それにともない四八年度からは治療研究対象疾病の入院枠の撤廃と医療費自己負担分の解消が図られることになった。そして、対象疾病も年々増加し、平成四年度現在で三四疾患に上っている。これが、「実質的な医療費補助」になっていることは、疑いない。昭和五四年度に行われた行政監察は、「他の普及奨励的ないし福祉的公費負担制度に近いものになっている」ことを指摘している。しかも、治療研究という特殊な性格から、費用徴収等の受給制限がないといったメリットもある。」(125-126)
『厚生白書』(昭和四八年度版)一三二-一三三頁
『行政監察年報』(昭和五四年度版)二七二頁

地主重美「公費負担の考え方と限界」『ジュリスト』第四七八号(一九七一年)

 「社会防衛や国家補償とは異なる意味を持つ難病のような疾病を公費負担の対象にする考え方は、昭和四四年六月に自民党医療基本問題調査会が策定した「国民医療対策要綱」に遡ることができる。その中では、「公共的社会的に対処すべきことが望ましい疾病について、思いきって公費負担を実施」すべきことが言及されている。その後、関係審議会においても、その範囲の拡大を答申している。まず、昭和四五年一〇月に提出された社会保険審議会の意見書は、全額公費負担すべきものの一つに、原因不明でかつ社会的に対策が必要とされるスモン、ベーチェット病などの特定疾患を挙げている。また、四六年九月の社会保障制度審議会は、原因不明あるいは治療手段が確立しておらず、長期の療養を要する難病については、公費負担を優先すべきものとしている。
 このように、難病の医療費を公費負担の適用とすることについては、一応のコンセンサスが得られていたものと考えることができる。そして、医療費のうち患者の自己負担分を国が助成することによって、実質的には公費負担が実現した。しかし、これは、形式的にはあくまで治療研究の一部として、研究費の補助金の中から拠出され、その点で明確な法的根拠を持つ医療扶助や結核、精神保健対策等の公費負担とは異なっている。
 では、何故、こうした変則的なあり方が継続されることになってしまったのか。その理由は、すでに述べたように、稀少疾患のデータ集積という目的によって受給対象をできる限り患者数の少ない疾患に限定し、予算規模の拡大を極力抑えることにあったと考えられる。」(126)

 「医療費補助における治療研究費という方式は水俣病ですでに行われており」(133)
 「高度成長の犠牲者というイメージ」
 「難病対策という医療政策の新しい展開は、高度経済成長の余剰によって自動的に生み出された"パイの一切れ"にすぎなかったのかもしれない。しかし、いずれにしろ、難病対策が厚生省の医療政策に与えた影響は小さくなかった。」(134)
橋本正己・大谷藤郎『対談・公衆衛生の軌跡とベクトル』(医学書院、1990年)

東京都
都立神経病院、昭和五五年設立
東京都神経科学総合研究所、昭和四七年設立

 四 東京都の対応
 (1)東京都の難病対策
 (2)白木構想

 「では、白木はどのような構想を描いていたのであろう。その具体的な構想を見る前に、彼の医療のあり方に対する考え方を整理しておこう。まず、公的医療は基本的に不採算性が志向されるべきだと考えている。医学や医療への財政的な投資を、会計上の収入と支出のバランスで捉えることは基本的に誤りであり、たとえば教育投資と同じように、国民の健康が保持・増進され、病気が予防され、あるいは社会復帰できる人が数多く生まれ、また社会復帰の不可能な人については、それらの人々が手厚く保護されるということを以て黒字採算と考えるべきであるという。
 そして、このような意味での医療の不採算性を支える倫理が確立されなければならないとしている。それは、重症心身障害児や植物状態の人のような社会復帰が困難、あるいは不可能な人の医療と福祉をどのように実現するかという問題でもある。それらの人々に要する医療費は、経済効率からみれば、まったく見返りの期待できないものである。したがって、その費用が単にヒューマニズムを基盤にしたものだとするならば、政治情勢の変化などで予算は簡単に切られてしまうであろう。逆に、彼らに対する医療・福祉の充実こそが本当の医療であり、福祉であり、GNPを伸ばしていく目的の一つはまさにそこにあるのだという発想に立つならば、多額の予算も定着し、さら前進することさえも可能になる。」(141)
「これらが具体的な形となって現れた一つが、病院と研究所からなる神経病総合センターの建設計画であった。」(142)
白木博次「美濃部都政下における医療の現状と将来像――わが国における医学と医療の荒廃への危機との関連で」『都政』第一六巻五号(一九七一年五月)

都村敦子「医療の動向」『季刊社会保障研究』第九巻第一号(一九七三年)
河中二講「福祉政策の決定過程」『ジュリスト臨時増刊』第五三七巻(一九七三年)

「難病患者を支える活動のあり方を自ら創造する運動」(169)
東筋協、社団法人設立申請、四四年に法人化「東京筋萎縮症協会」。
四六年度から巡回検診が東京都委託事業に指定、財政基盤に。(170)

全難連「願い書」昭和四九年五月に社会保障制度審議会提出
川村佐和子『難病患者とともに』(亜紀書房、1975年)参照

 第五章 地域を基盤とした対策 157

 一 行政による難病対策の問題と限界 158

石川左門「これからの医療・福祉――患者の立場から――」『ジュリスト総合特集』第二四号(一九八一年)
 「医療・福祉の需要のすべてを、行政責任による社会資源の量的拡大に期待することは、単なる幻想を追うことにしかすぎない」

在宅ケアの実現
 石川正一(昭和五一年五月から五四年六月、二三歳七ヵ月で死去、筋ジストロフィー症・デュシャンヌ型)
「正一を囲むチーム」
専門医、地元主治医、保健婦、メディカル・ソーシャル・ワーカー、理学及び作業療法士など、月に延べ一〇数人の専門職が訪問。(200)
「ところが……検診事業の一環としての在宅ケアはやがて立ち消えになった。」(204)

「在宅ケアに関与した専門職種の多くは、こうした職業的自律の問題を抱えていた。そして、在宅ケアはそれに極めて有効な解答を与えてくれる試みだったのである。」(206)
「在宅ケアには、専門職を引き付ける吸引力が備わっていたのである。」(207)

「昭和四九年に開始された府中病院神経内科の在宅診療を皮きりに、東京都下では、公的サービスからボランタリーな活動まで様々な難病患者の在宅ケアが試行され、実施され、かつ一定の成果を生み出した。そして、こうした試行からほぼ一〇年後、国において難病対策に在宅患者を支える事業が付加され、さらに訪問看護や在宅診療が健康保険制度の中に組み込まれた。それは、あたかも東京都下での試行を観察し、その成果を見届けるようなタイミングであった。」(213)

精神科訪問看護指導料(昭和六一年)、在宅患者訪問看護指導料(六三年)、退院前訪問指導料(平成四年)、在宅診療措置として在宅酸素療法、在宅中心静脈栄養法など一〇項目の在宅指導管理料が診療報酬に点数化。

宇尾野公義「いわゆる難病の概念とその対策の問題点」『公衆衛生』第三七巻第三号(一九七三年) ※
川村佐和子「難病と福祉」『ジュリスト臨時増刊』第五七二号(一九七四年) ※
石川左門「難病患者運動の展開と理論――東京進行性筋萎縮症協会一七年の歩み――」『社会医学研究』第二号(一九八一年)※
川村佐和子『在宅ケア――その基盤づくりと発展への方法』(文光堂、1986年)
地主重美「社会保障への経済的アプローチ」『季刊社会保障研究』第二〇巻第三号(一九八一年)

健康保険の自己負担分は公費負担
ただし「保険適用外の医療費、有料の訪問看護や家事援助サービス」「訪問看護婦や家政婦の雇い上げ料」など。(236)

◆白木博次『冒される日本人の脳――ある神経病理学者の遺言』(藤原書店、1998年)

「一九七二年六月に約八百床の老人専門病院」「開設準備委員長」
「この時、「よい専門病院や研究所をつくるとなると、八割は赤字になりますが、いいですか」と、都知事に念を押すと、「それで結構だ」と知事は言われた。知事としては、東京都がまず立派な老人専門病院をつくっておけば、これが手本となって、国は都より低いレベルのものはつくれないだろう、というような心構えを持っていた。……本当の医療をやるからには、不採算医療になるに決まっている。そのことが東京都の一千億円の財源赤字の何割を占めようとも、私は悪い事をしたとは決して思っていなかった。……そういう考え方に立たない限り、社会問題は片付かない。」(270-271)

「私は水俣病に限らず、特に精神・神経疾患の臨床像を解析していく時、他覚的にとらえようとしてもおのずから限界があることを絶えず意識し続けてきた。例えば、水俣病の四肢や口周のしびれ感ひとつを取ってみても、誘発電位や筋電図などを使ってそれらを明瞭に数値化し、客観化することは、まず不可能に近いか極めて困難である。またスモン患者の異常感覚等は、絶対に数値化し、模図化し、統計処理するのになじむ性格のものではないのである。
 水俣病の自覚症でも、「物忘れがひどい」「根気が続かない」「疲れやすい」等々、数限りなくある。しかも、自覚症の多彩性、豊富さ、頻度の高さなどは、他覚症に比すべくもなく数多い。
 しかし、医学を自然科学としてのみ認識していく限り、これらの自覚症は医学の対象としては低次元の存在として位置付けられてきた。したがって、医学はもとより、自然科学的医学、もっと拡大すれば生命科学、神経科学の対象として、その価値が初めから、不当に低く評価されてきた。その意味では、医学もまた自然科学のひとつであるとすると、自然科学とは一体何を意味するのか、その限界はどこまでかという考え方が、当然、浮上して来ざるを得ない。」(274-275)
「人間のあり方の実態からみれば、自覚症と他覚症の両者を同じレベル、同じ性格としてとらえていくのは当然のことなのに、わが国だけでなく欧米の医学でも、この点は決して十分ではなく、それが医学の欠陥のひとつであると考え続けてきた。
 言葉を換えれば、本来、医学の最も中心に位置しなければならないのに、無視され続けてきた患者の「自覚症」の問題を、哲学と倫理の領域との関連において明確にさせない限り、水俣病の本質に近付くことはできないと考える。四十年以上を要したにもかかわらず、水俣病がいまだに真の解決に到達していないのは、このためだと思えてならない。」(277)

■言及

◆立岩 真也 2018/07/01 「七〇年体制へ・上――連載・147」,『現代思想』46-(2018-07):-

 「そしてその人たちは、とくに筋ジストロフィーの親の会の人たちは、原因究明と治療法の開発を求めた。当然のことだったと思う。その要求を受け止め、いっしょになってその必要を訴えたのが、医療者・医学者たちだった。その人たちにとって、家族会の主張・運動はまったく心強いものであり、それを歓迎し、讃えている文章を既にいくつも見てきたし、すぐ後でも一つ見る。患者(の家族)団体が基本的に専門職者(の団体)と対立関係にあるという理解が、全体として水準が高いと言えない研究のなかで優れた成果である衛藤幹子の著書☆にもあるが、そうとは限らない。前にみた日患同盟他は経営者や政府とぶつかることがあったが、施設を護ろうとする限りでは労働者と連帯することがあり、さらに場合によっては経営者とも利害が一致することもなくはない。ただここでの家族会と研究者である医学者で施設の医師・そして経営者とのつながりは強く、恒常的なものであり、たいへん良好である。」

◆立岩 真也 2018 『(題名未定 2018b3)』,青土社 文献表


UP:20151024 REV:20180614
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