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『旅立ち 障害を友として――精神障害者の生活の記録』

谷中 輝雄 19930301 やどかり出版,精神衛生実践シリーズ12,289p.

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■谷中 輝雄 19930301 『旅立ち 障害を友として――精神障害者の生活の記録』,やどかり出版,精神衛生実践シリーズ12,289p. ISBN-10: 4946498117 ISBN-13: 9784946498114 2039 [やどかり出版][本やタウン] *amazonには無し。

■出版社/著者からの内容紹介
精神障害を体験した人たちは、「地獄を見てきた」「精神のどん底を味わった」と言う。このどん底から這い上がってきた人たちが、自らの人生を語った。そして、当事者の声から学ぶとして専門職の意見を収録した。「失われたものを追い求めずに」の姉妹編である。
(……やどかり出版ホームページ http://www.yadokarinosato.org/book/book.htm

■紹介・引用
◆「薬の使用」に該当する箇所の抜き書き
p53
そして、私は待ちきれずに勝手に薬をやめ始めたのです。そのころは薬の大切さも知らなかったし、看護婦さんも今のように薬についてうるさくは言わなかった時代でした。

その年の暮れも押しせまった一二月末、また再発しました。薬を中断してから半年後でした。

現実の世界でない狂気の世界、薬を飲んでいないとああいう世界が訪れ

p54
るのか、恐い世界だ、現実にないことを真実だと思い込んでいるとは……それからです、薬をやめないのは。あの二〇間の世界には絶対に入りたくないという気持ちが、これまで二〇年近く薬を続けさせているのです。

p55
薬も相当多かったのでしょうが、毎日眠くて長期入院の弊害を思い知りました。

p73
 まず日常生活のコントロールをしていかねばならない慢性疾患ということを認め、健康維持の機能をはたしてもらうひとつに薬があると考えます。もちろん、最初は病気と思いたくなかったため薬をやめたこともありました。そして再発という苦い経験を何回もくり返していく中に病に対する構えが芽生え、私の口癖である病と二人三脚という心境に達したのです。いろいろなまずさを持っている自分だけれど今さらジタバタしたって始まらない、自分はこれしかないのだという開き直り。いや開き直りというより居直りを感じています。

p76
「良い字が書けない」とあなたは薬の間隔を自分でコントロールし、意識的に軽躁状態を自ら作っていった。もちろん、書き終えた後もとの状態にもどしていたが、そのころからあなたは自分の状態が以前よりさらにわかってきたように思う。同じところ主治医も自分がみて調子がどうだといって薬の加減をすることをしなくなった。あなたを信用してどこまでコントロールできるかをみきわめていた。

p99
でも、毎日強い薬を飲んでいるので頭がすっきりしなかった。何か植物人間みたいで、身体全体が堅かった状態である。

p109
「退院するの。良かったわね。薬は必ず飲むのよ」と言われた。本当に薬を飲まないと再発すると思った。これからは忘れずに飲もうと決心した。

p112
母は僕に薬を飲むように勧めるが、僕は口元に運んだ薬を吐いてしまった。その薬は五か月前のの残りの薬だった。

p113
母は僕に対して薬を飲むように執ように勧めるが、僕は病気ではないと思い服薬しなかった。

p134
一言言ってもらえれば、自分でも具合悪いんだなってすぐそこで薬を飲むとか何か考えますけど、それがわからない時が一番不安ですよね。

p143
それと、薬の力もある。薬で症状を抑えているから、あんまり調子が高かったり低かったりというのがなく過ごせるよね。

p146
 一人で困るのは症状が出た時ですね。ちょっと気がついて肩でもポンとたたいてくれるだけでも違います。自分でどの程度かということがわからなくなってしまう時があるので、回りの人がちょっと気がついて声をかけてくれたらと思います。そうしたら薬を一袋余計に飲むとか、早くそういう状態から脱出できます。

p148
症状が出た時は服薬の調整をしたりもします。

p150
それから一人暮らしの中で症状が出てしまった時に、立ち直るきっかけとしては、薬の変更も大事ですよね。

p155
 それから、薬も大事です。最近は、薬を飲んだ時と飲んでいない時の違いがわかるんです。飲まないとイライラするし。もうこのままじゃいいことないし、死んじゃおうかななんて思った時に、ふっと我に返ると、薬飲んでなかったりするんです。パッと薬を飲むと楽になったりしますよね。

p204
薬を全部飲んでいないのでは治療の意味がないということで、飲む分だけを作り、そのかわり全部飲むという約束を医者とした。

◆「精神障害者がグループを形成する時の困難な点」に該当する箇所の引用

p64
 この退院後は、薬を飲んでいても調子の波が激しく不安定な状態でしたが、グループ自体も変動の多い時期でした。折からマスコミにやどかりの里が紹介されたこともあって、いろいろな病院から退院者が入会し、チームワークも乱れてきました。中でも新入会者から「悪用されるから」と住所録作成を反対されたことは、私に激しいショックを与えました。

p199
大阪の患者のみの事務局も作られた。そこで重大なことで仲間同士の中に亀裂が生じ始めていた。男女問題も出始めた。

医者との共同作業の中で、思想上では医者は敵であるが協力しあってやるという人と、患者のみで府庁にものりこんで糾弾するべきだと言った人たちとが事務所で共存していた。それが症状を悪化した人に薬を飲むように勧めたことが発火点となって、悪化した人が反対して私に刃を向けた。一九七六年の二月のことであった。薬さえも否定していたのである。大阪希望の会はこのことでつぶれてしまった。


*作成:松枝亜希子(先端総合学術研究科)
UP:20070908
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