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『隠喩としての病い エイズとその隠喩』

Sontag, Susan 1978, 1989 Illness as Metaphor ; Aids and Its Metaphor,Farrar, Straus and Giroux
=19921028 富山 太佳夫 訳,みすず書房,304p.


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Sontag, Susan 1978, 1989 Illness as Metaphor ; Aids and Its Metaphor,Farrar, Straus and Giroux =19921028 富山 太佳夫 訳 『隠喩としての病い エイズとその隠喩』,みすず書房,304p. ISBN-10: 4622045559 ISBN-13: 978-4622045557 [amazon] ※

内容(「BOOK」データベースより)
西欧の文化=権力が病い=病者におしつけてきた不健康な表象を批判し、自らの癌体験をもとに病いそのものを直視した本書は、卓抜な〈病いの記号論〉であると同時に、1980年代にひそかに進行していた一つの知的活動を代表する成果。
内容(「MARC」データベースより)
癌とエイズ、その隠喩群もまた〈ひと〉を殺す! 現代の脅威にまつわる神話とイデオロギーを批判=解体し、核心を明示した、ブリリアントな〈病いの記号論〉。


■要約(ほぼ抜き書き)
「本書は『隠喩としての病い』(一九八二年訳)と『エイズとその隠喩』(一九九〇年訳)を合本としたものである。この二つのエッセイは現在アメリカでも一冊の本にまとめられており、邦訳のほうもその体裁に従うことにした。底本はSusan Sontag, Illness as Metaphor(New York ; Farrar,Straus and Giroux, 1978),Aids and Its Metaphors (New York ; Farrar,Straus and Giroux,1989)である。」(p304 「訳者あとがき」より)

隠喩としての病い
 「私の書いてみたいのは、病者の王国に移住するとはどういうことかという体験談ではなく、人間がそれに耐えようとして織りなす空想についてである。実際の地誌ではなくて、そこに住む人々の性格類型についてである。肉体の病気そのものではなくて、言葉のあやとか隠喩(メタファ)として使われた病気の方が話の中心である。私の言いたいのは、病気とは隠喩などではなく、従って病気に対処するには――最も健康に病気になるには――隠喩がらみの病気観を1掃すること、なるたけそれに抵抗することが最も正しい方法であるということだが、それにしても、病者の王国の住民となりながら、そこの風景と化しているけばけばしい隠喩に毒されずにすますのは殆ど不可能に近い。そうした隠喩の正体を明らかにし、それから解放されるために、私は以下の探究を捧げたいと考えている。」(pp5-6)

1 (p7)
 すべての病気が治療できるということが医学の大前提になっている時代にも、正体不明の病気は神秘化されやすい。
 メニンジャー博士は、医者が「病名」貼りを、「ラベル」貼りをやめるように勧める。だが、病名をつけること自体が侮蔑的だとか、おぞましいとかいうのではない。病気が病気としてではなく、悪として、無敵の略奪者として扱われる限り、大抵の人々は癌にかかったと知れば、元気をなくすだろう。癌患者にその病名を話すのをやめても、解決にはならないわけで、病気の捉え方を正し、非神話化するしかない。
 さほど昔のことではないが、結核にかかったと知るのが死刑判決を聞くにも等しかった頃には――今日、1般には癌すなわち死とされるのと同じである――結核患者にも、患者の死後はその子供にも、病名を隠しておくのが普通であった。患者が病気のことを承知している場合でさえ、医者も家族もおおっぴらにその話をするのは渋ったものであった。
 癌患者につく嘘と、癌患者がつく嘘のうちに、高度産業社会では死をうけとめることがいかに献えがたくなっているかが反映されている。死はおぞましい無意味な事件とされるようになり、1般に死と同義とざれる病気も隠すべきものとされるに到っている。癌患者に病気のことを隠したり、ぼかしたりするのは、死の間近い人々にはそのことを知らせないのが1番いい、瞬間的な死、無意識状態での死、睡眠中の死が何よりであるとする固定観念を反映したものである。だが、死の否定を云々してみても、嘘の範囲とか嘘をつかれたい気持ちとかの説明はつかないし、奥底にある恐れもそのまま残る。
 癌患者がほどなく癌の再発で死ぬこともあるというなら、冠状動脈血栓の患者だって、数年のうちに同じ病気の再発で死ぬこともある。しかし、心臓病の患者に病気のことを隠そうと思う者はいない。心臓病は機械としての身体の弱さ、故障、挫折を意味するのみで、恥ずべきところはないのである。癌患者に嘘をつくのは、この病気が死刑宣告である(あるいはそうみなされる)からではなく、そこにおぞましいもの、不吉なものが感じられるからだ。結核と癌にとりついた隠喩は、それが波及力の特に強い恐るべき生き物であることを暗示している。

2 (p13)
 結核と癌の隠喩的使用の歴史はおおむね重なっており、古代後期からごく最近に到るまで、結核とは――類型学的には――癌であったわけである。癌の方も結核と同じく、体が蝕まれてゆくプロセスのこととされていた。今日のような癌と結核の捉え方は、細胞病理学の登場をまって初めて固まったものである。医学思想の進歩によって、この2つの病気の隠喩は別れて、おおむね対比的――殆ど正反対――になったのである。
 結核は体の上部の霊化された部分にある肺が持つとされる性質をひきうける。隠喩的な意味では、肺の病気とは魂の病気である。あたり構わず攻撃をしかけてくる癌は、肉体の病気であり、徹頭徹尾肉体であることを立証してみせるのみだ。大体、腫瘍があるということ自体が何がしかの恥しさを掻立てるものだが、体の器官のヒエラルキーにおいては、肺癌は直腸癌ほど恥しくないと感じられたりする。

3 (p29)
 結核の神話と癌の神話の類似のうちで最も眼につくのは、この2つとも情熱に縁のある病気と理解されている(されていた)点である。かつて結核とは情熱過多から来るもので、官能に惑溺する人々を悩ますものと考えられたが、それと似て今日では、癌とは情熱不足の病気であり、性的には抑圧・抑制され、自然に振舞えず、怒りを表出することのできない人々を悩ますものと信じられている。

4 (p38)
 18世紀中葉までに、結核はすでにロマンティックな連想を獲得していたようである。
 18世紀に到って(社会的、地理的な)移動が新たに可能になると、価値とか地位とかは所与のものではなくなり、各人が主張すべきものとなる。それは新しい服装観(「ファッション」)を通じで、病気への新しい態度を通じて、主張された。服装(身体を外から飾る衣裳)と病気(身体の内側を飾るもののひとつ)とは、自我に対する新しい態度の比喩となった。事実、結核をロマンティックなものにした動きこそ、自我をイメージとして売り込むといういかにも現代的なやり方の最初の大がかりな例である。実の話、21世紀の女性ファッション(スマートさ崇拝もそのひとつ)とは、18世紀末から19世紀初頭にかけての結核のロマン化と縁の深い隠喩の最後の砦に他ならない。
 19世紀始め、結核が故郷を去って旅生活を送る理由になった。(それ以前には旅やサナトリウムへの隔離が結核の療法とされたことはなかった)。おまけに、結核患者によいとされる特定の場所までできあがった。19世紀初期ならイタリア、ついで地中海か南太平洋の島、20世紀になると山とか砂漠とか――すべて、それぞれの時代にロマン化の対象となった景勝地である。ロマン派の芸術家たちは余暇を作る口実として、ひたすら芸術に生きるためにブルジョワ社会の義務を放擲する口実として、主義としての病気を発明した。それは意志決定をする義務を回避したまま、世界から身を引く方策であった――『魔の山』の物語がこれである。
 19世紀の後半に到って、世紀初頭のロマンティックな病気崇拝に対する反動が起こったのは事実であるが、それでも結核はロマンティックな属性のほとんどを――たとえば、すぐれた性質の目印だとか、その性質に似つかわしい脆弱さの目印だとかいう性格を――世紀末を越えて今世紀に到るまで保持してきている。
 ところが、1944年のストレプトマイシンの発明及び1952年のイソニコチン酸ヒドラジッドの使用によって、正しい治療法が確立されると、神話はぷっつりと終熄してしまうのである。
 20世紀になると、従来結核に付着していた数多の隠喩や態度が分裂して、2つの病気に分配され、結核の特徴の幾つかは狂気に、また別の幾つかは癌にひきつがれた。

5 (p55)
 貧困と不健全な環境とが結核の元凶にされようと、この病気にかかるには結核型の性格類型が存在すると信じられた。癌には、遺伝的要因が絡んでいるかもしれないという証拠があっても、個々の人間を懲罰として襲う病気だという信念と両立し得る。コレラやチフスにかかった者は、「なぜ、自分が?」と問うことはない。しかし、癌にかかった人々の多くは、「なぜ、自分が?」と問う筈である(この問いには、「不公平だ」との含みがある)。
 19世紀の病気のなかで今ひとつ悪名高い天罰とされた梅毒は、神秘的ではなかった。梅毒をもらうかもしれないことは、性関係によって予見できる。天罰としての役割をもつ以上、(禁断のセックスとか売春とかに対しての)道徳的審判という意味合いはあるけれども、心理的なそれはなかった。それに対して、かつてあれほど神秘的であった結核には――今日の癌と同じで――病者に対する、道徳的にも心理的にもより深い意味を有する審判というニュアンスがこめられていた。
 致命的な病気は、古来人間の徳性を試験するものとされてきたが、19世紀になると、この試験にしくじる者を出すまいとする風潮が強くなってくる。そこで、有徳の士は死を控えでますます徳高き者となる。結核は常習的に霊化され、その恐怖は感傷性の度をますのである。
 病気は積善の最後のチャンスとされた。少なくとも病気という災禍が道を開き、今までの自己欺騙と失敗とを洞察する力を与えてくれるのである。

6 (p65)
 19世紀になると、病気は道徳的性格に適合する罰であると考えるのをやめて、内的自我の表出であるとするようになる。しかし、この考え方は、拡大されて、性格が――他に自己表現の場を持たなかった場合には――病気をひき起こすという主張に通じてしまい、道徳絡みで懲罰的色彩をおびるのである。
 これでは病気の責任はすべて患者にありとされてしまい、患者としてはどこまで治療が可能か知る力をそがれてしまうのみならず、患者が治療を避けてしまうことにもなりかねない。患者の自己愛の力はすでにこっぴどく痛めつけられ、弱体化しているというのに、快癒はその力によるところ大であるとされるのである。
 結核の神話にしても、今日の癌の神話にしても、病気の責任は当の本人に押しつける。ところが、癌にまつわるイメージの方が懲罰的な色彩がはるかに濃い。性格と病気とを結びつけるロマン派的な価値観が生きているならば、情熱過多から生ずるとされる病気にかかることにも何がしかの魅力はあるが、情念の抑圧に由来するとされる病気には、まず屈辱しかついて回らない。


*作成:植村要 追加者:
UP: 20080518 REV:20081115,20090729
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