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『博覧会の政治学――まなざしの近代』

吉見 俊哉 19920925 中央公論新社,300p.


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吉見 俊哉 19920925 『博覧会の政治学――まなざしの近代』, 中公公論新社, 300p. ISBN-10: 4121010906 ISBN-13: 978-4121010902 \840 [amazon]
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■内容(「BOOK」データベースより)
1851年、ロンドンで開催された万国博覧会は、近代産業が生み出す商品の圧倒的量を示すことによって大衆を熱狂させた。
博覧会は消費文化の広告装置、大衆娯楽の見世物の役割をはたすと同時に、帝国主義のプロパガンダ装置としての役割を
も自己演出していく。このような場で新興国日本は、両義的存在たらざるを得なかった。
本書は、博覧会を鏡として、近現代を織りなす「まなざし」に迫り、そこに作動する「力」を剔抉する試みである。

■目次

序章 博覧会という近代
第1章 水晶宮の誕生
第2章 博覧会都市の形成
第3章 文明開化と博覧会
第4章 演出される消費文化
第5章 帝国主義の祭典
第6章 変容する博覧会空間
終章 博覧会と文化の政治学

■引用

 大航海の時代から博物学の時代へ、そして博物館や動植物園の体系化と公開化の進展――。
博覧会の時代は、このような積層する歴史のプロセスを前提に、ヨーロッパの諸国家が、
この博物学的まなざしの場を、新しい資本主義のイデオロギー装置としてみずから演出していこうと
するようになったときに出現した。博覧会は、博物館や植物園、動物園などにおいて発展してきた
視覚の制度を、産業テクノロジーを機軸とした壮大なスペクタクル形式のうちに総合したのである。

自称で詳論するようにこうした方向に先鞭をつけたのはフランスである。
一七九八年、革命祭典の興奮をひきついで、パリで初の産業博覧会が開催されて以来、
パリでは繰り返し産業博がひらかれていき、その動きはフランス国内はむろん、
ヨーロッパの諸地方へと拡がって行った。そして、こうした動きの集大成として、
一八五一年、ロンドンで史上初の万国博覧会が開催されるのだ。
ロンドン万博の開催は本格的な博覧会時代の開幕を告げる出来事であった。
これ以降、五<018<五年のパリ万博、六二年のロンドン万博、六七年のパリ万博、
七三年のウィーン万博、七六年のフィラデルフィア万博、八九年のパリ万博、九三年のシカゴ万博、
一九〇〇年のパリ万博、〇四年のセントルイス万博、一五年のサンフランシスコ万博、
三三年のシカゴ万博、三七年のパリ万博、三九年のニューヨーク万博など、
一九世紀から二〇世紀にかけての欧米では、まさしく万国博覧会が、国家的な祭典の最も重要な形式
として全盛期を迎えていく。そして、この動きがやがて日本にも波及し、十九世紀末以降、
実に多くの博覧会が開催されていった
ことは、やがて明らかになる通りである。
(吉見 1992:18-19)


 すでにふれたように、日本発の本格的な産業博覧会が開催されるのは、一八七七(明治一〇)の
ことである、この第一回内国勧業博覧会は、一〇二日間にわたり、1万六〇〇〇人余の出品人、
四五万人余の入場者を集めて東京。上野で開催された。たしかに、これ以前にも「博覧会」と
名のつく催しが国内になかったわけではない。石井研堂も、明治五年から一〇年頃にかけて
博覧会が大流行し、説教、斬髪、学校、馬車、人力車などとともに文明開化のシンボルであったと
述べているように、「博覧会」は、明治初年代にも伝来の新風俗としてさかんに開催されていたのである。
たとえば、明治五年には京都、和歌山、岡崎、土浦、高知で、六年には京都、茨城、福岡、松本、島根で、
七年には京都、名古屋、新潟、金沢でというように、現在記録に残っているだけでも毎年、様々の地方で
地方博覧会が開催されている。なかでも京都で、明治四年以来毎<122<年のように開催されていた
博覧会は、京都としての地位を失って衰退気味の京都経済を建て直そうと地元の資本化を中心に推進された
もので、審査制度の導入や輸入機械の展示などはっきりとヨーロッパの博覧会を意識したものであった。

しかしながら、この京都博をおそらく唯一の例外として、これら地方博の多くは、実際には江戸時代の
開帳や物産会、薬品会に近く、いまだ見世物的な性格を色濃く残していた、これに対し、一八七七年以降、
繰り返されていく内国勧業博覧会は、こうした地方レベルの博覧会の流行を受けつつも、江戸の見世物とは
本質的に異なる、新しい透明なまなざしの空間を成立させていくのである。
(吉見 1992:122-123)


明治以来、日本の海外万国博覧会への出展を貫いてきたのは、ジャポニズムによる誘惑、
すなわち欧米人のエキゾティシズムに訴えるかたちで日本のイメージを演出していくやり方であった。

その最初のきっかけとなった一八六七年のパリ万博や七三年のウィーン万博での日本の出展について
はすでにふれた。この方式は、<207<その後も踏襲され、たとえば七六年のフィラデルフィア万博では、
瓦葺二階建ての旅館風の日本館と日本庭園のついた数奇屋風の建築が建てられていく。
また、七八年のパリ万博では、トロカデロに立てられた純日本風の住宅が人気を呼び、
九三年のシカゴ万博では、平等院鳳凰堂を模した日本館が建てられていった。
さらに、一九〇〇年のパリ万博では法隆寺金堂が、〇四年のセントルイス万博では金閣寺
と日光陽明門がモデルとされ、ひきつづき日本趣味的なパビリオンが建設されつづけるのである。
 このような欧米人のジャポニズムに訴える展示は、第三章でも論じたように、
欧米社会の世界を俯瞰するまなざしの前で、日本がみずから、みずからをまなざされる客体として
呈示していく行為であった。つまりここには、ある種の媚態が、確実に存在していたように思われる。

ところが、このような媚態のなかで、日本は、欧米の「近代」が発する帝国主義的なまなざしを見返し、
これを相対化していくのではなく、みずからもまた、もうひとつの「近代」として、
おのれをまなざしていた欧米と同じように周囲の世界をまなざしはじめるのだ。

このまなざしの屈折した転回を、最も明瞭なかたちで示していったのは、
日本の国内博覧会や海外博覧会への日本の出展のなかに現れはじめる植民地主義的傾向である。
(吉見 1992:207-208)


■言及

◆松田京子 20031101 『帝国の視線』,吉川弘文館, 225p. 6300 ISBN-10: 4642037578 ISBN-13:978-4642037570 [amazon][kinokuniya]

 日本における博覧会の研究は、そのアプローチの方法によって大きく四つの研究動向に分けられよう。
一つめは、吉田光邦の論考に代表されるような、技術史の観点から博覧会を捉えようとする動向である。
一九八〇年代以降、精力的に展開された吉田を代表とするこのグループの研究によって、博覧会研究は
本格的に始まったといってよいだろう。二つめは、清川雪彦の研究に代表されるように、おもに経済史の観点
から展開された研究動向で、日本の産業発展に果たした博覧会の役割を問うというものである。
三つめの動向は、日本への博覧会の導入、および博覧会の性格の変化を、博覧会行政に携わった政策決定者
層の意図から解明しようとする、政治史からのアプローチである。四つめは、吉見俊哉の刺激的な著書
『博覧会のとして捉え返す」という視<009<覚を提示し、博覧会を「その本質において政治的でもあれば、
イデオロギー的でもある文化の戦略的な場」であるとする。そのうえで、「同時代のどのような
大衆意識を、いかなる言説と空間のシステムにおいて動員し、帝国の幻想のなかに、構造的に組み込んで
いったのか」を問おうとしている。
 
 先に述べた本書の方法論的な立場からも明らかなように、本書は、吉見が口火を切った四つめの研究動向の
かに共通の枠組みを持ったかに論述の大半は費やされている。教示的に存在した知的枠組みを抽出するという
点では、吉見の論考は傑出しておりその点で学ぶことも多かったが、その共通性に目を向けるあまり、
それぞれの博覧会での展示が、それを支える知的枠組とどのような緊張関係を持ったかについては、
ほとんど論考の対象とされていない。博覧会を「文化の戦略的な場」として捉えるかぎり、どのような戦略が
具体的にどのように発揮されるのかを問うことが、博覧会の歴史をそこに来場した人々の「社会的経験の
歴史として捉え返す」うえで、やはり必要な作業なのではないだろうか。

 さらにいえば、「最終的に問われなければならないのは、国家や企業が博覧会において、
いかに帝国主義や消費のイデオロギーを大衆に押しつけていったのかということではなく、博覧会という
場が、その言説――空間的な構成において、そこに蝟集した人々のせかいにかかわる仕方をどう構造化してい
ったのかということである」という吉見の問題的は重要であると考える。
その意味で、本書も基本敵意は吉見の
問題提起を引き受けて、議論を展開したい。だが「言説――空間的な構成」そのものが、モジュールとして
であるという立場に本書は立ち、「言説――空間的な構成」の生成場面と、博覧会における展示実践の
相互関連性を問うといった課題のもと、以下に述べるような章構成を取る点に、本書の独自性は存在す
と考える。それが巻き込んでいく人々という両側面から捉えるという課題に、本書では次のような二つの
観点から迫っていく。

(1)「展示」という形で表された「他者」の意味と、それに対する解釈という実践の関連性を問題とする点。
(2)「展示」という形で行われた「他者」表象のあり方と、それを支えた「知」の往復のあり方、つまり互換性を問題とする観点。
 (松田 2003:09-11)

*太字はすべて作成者による。


*作成:松田 有紀子
 
UP:20081030 REV:
『帝国の視線』  ◇『ボードレール 新編増補 ヴァルター・ベンヤミン著作集6』   ◇BOOK
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