『死生学のすすめ』
山本 俊一 19920615 医学書院,211p.
■山本 俊一 19920615 『死生学のすすめ』,医学書院,211p. ISBN-10: 4260108107 ISBN-13: 978-4260108102 3150 [amazon]/[kinokuniya] ※ b d01
■内容(「MARC」データベースより)
医学・看護学の分野を中心に始まった新しい学問分野である死生学について、その歴史、死生観、死の意味、老いと死、死の準備教育など、広く死生学全体を考察する。
■目次
I 序
II 生と死の医学
日本人の死生観
死生観とは/日本人の死生観
生を衛る衛生学
衛生学とは/何から生を衛るか/時間とは/時間の本態/時間への対応/老いの衛星/死の衛生/量から質へ
免疫モデルと死生モデル
III 老いを生きる
老年期の教育
老いと死
文明のつくる老いと病い
老いと文明/病いと文明/現代の病い/癒し
IV 死の受容
老年学と死生学
老年学の概要/死生学の概要/主体的死生学の必要性/主体的な死の虚像的観点
死の意味
はじめに/非存在としての死/存在としての死/おわりに
死の準備教育と看護学
■引用
II 生と死の医学
1日本人の死生観
初出:山本 俊一 19880515 「日本人の死生観」,日野原・山本編[1988:15-50]*
*日野原 重明・山本 俊一 編 19880515 『死生学・Thanatology 第1集』,技術出版,224p. 1950
II 生と死の医学
2生を衛る衛生学
初出:山本 俊一 19880515 「生を衛る衛生学」,日野原・山本編[1988:135-161]
7死の衛生
一 死を無視する
「しかし、人がいかに徹底的に死を無視しようとしても、死は決してその人を無視してはくれない。このようなやり方では、衛生の目的を達成することはできない。」(山本[1992:82])
二 死を瞥見する
三 死を凝視する
「死の衛生学とまともに取り組もうとするならば、必ず死と対決することが必要であろう。対決なしに解決はあり得ない。しかし、この二人とも、死に立ち向かってどうせよと言うのか? 何の解決方法も示してはいない。」(山本[1992:83])
四 解決方法としての愛
「そもそも、死に関連して時間から生を護る方法、それもやはり愛であると私は考える。神への愛である。神を愛するとは、自発的に神を信ずることであり、積極的に神に従うことである。」(山本[1992:84])
文明のつくる老いと病い
老いと文明/病いと文明/現代の病い/癒し
初出:山本俊一 19861105 「文明がつくる老いと病い」,伊東・副田・日野原・河合・鶴見編[1986]*→山本[1992:143-162](題:「文明のつくる老いと病い」)
*伊東 光晴・副田 義也・日野原 重明・河合 隼雄・鶴見 俊輔 編 19861105 『老いの人類史』,岩波書店,講座老いの発見1,306p. ISBN-10: 4000040316 ISBN-13: 978-4000040310 [amazon] ※ b a06
3現代の病い
「延命技術
最近の日本では病気をもつ老人がふえてきており、ある統計によれば、理想的に健やかに老いることのできる老人は、全老人層の二五パーセントに過ぎないという。このような傾向は、医学の発達の方向が病人に対する生物学的延命技術の向上のみに走り過ぎた結果として現れてきた、と言えよう。この傾向は、既に今世紀の初期に始まっており、その当時ヒルティは次のように述べている(3)。<157<
「今日の療養地のどこか一箇所を観察しただけでも、死に近づきつつある肉体のためにどんなに多くのことがなされ、また、どんなに多くの人たちが決して真の永続的な成果を生じるはずがない事柄に熱中しているか、分かるであろう。死をすこし延ばすことだけが、彼らがなしうるすべてである。しかも、すでに彼らの大部分が廃人――しばしば、ぞっとするような廃人――なのである。彼らは、肉体のことにくらべて、永続的な内的人間のことや、またその健康と生命について、心を用いることがどんなに少ないことだろう。実は、この方が真にやり甲斐のあることなのだろうに。」
これらのヒルティの言う廃人こそ、新しく文明によってつくられた病人の一つのタイプであると言うことができよう。」(山本[1986→1992:157-158] 引用部分は山本[1992]では1行空け、1字下げ。(3)の文献は『眠られぬ夜のために』、ヒルティ著、草間平作、大和邦太郎訳 岩波文庫)