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『標識としての記録』

市村 弘正 19920402 日本エディタースクール出版部,132p.

last update:20110320

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市村 弘正 19920402 『標識としての記録』,日本エディタースクール出版部,132p. ISBN-10: 4888881855 ISBN-13: 978-4888881852 \1456+税  [amazon][kinokuniya]

■内容

現代社会を生きていくうえで必要な「精神の見取り図」。その地図に書きこまれるべき「標識」がどのようなものなのかを、 同時代のドキュメンタリー作家の営為を手掛りに考え、見出していく気魄に満ちた書下し論考。

■目次

序 標識なき文化
1 社会的失明の時代
2 失敗の意味
3 人間の場所
4 選択と選別の間
5 日常のなかの戦争
6 虚構の同時代史
フィルムの上の社会

あとがき

■引用

  
序 標識なき文化
 「文化地図」ということを考える。考えなければならなくなっている、と言ったほうがよい。[…]しかし、この文化という概念がすでに、 簡単には使いにくいものになりつつある。考えるための梯子として用いることが難しくなっている。このこと自体が、 実は文化をとりあげる根幹に横たわる問題なのである。(p1)

 地図を作成するためには、地形を表わし地点を示す記号、そして場所を特定しうる記号がなければならない。私たちに必要な「地図」にとってその記号すなわち標識は、 どのような性質をもつだろうか。少なくとも二つの特性をもたねばなら>006>ないだろう。それは第一に、勢力圏の分布を表示する記号とは対立する。 その記号がそのまま文化地図のものとなってはならないのだ。勢力地図がすべてを併呑し肩代わりしている事態こそが問題なのである。 政治経済の地図がいわば大国の興亡の影のもとに作られるとすれば、文化のそれは価値の序列と次元とを異にし、政治的な力関係に拮抗するものでなければならない。 もう一つの価値の所在を具体的に示すことが必要なのだ。
 それは第二に、生活ないし生存の感覚を表示するものでなければなるまい。私たちが生きる社会と文化が標識を見失っているとすれば、 それは何よりも私たちの生存感覚の稀薄さそのものに現われている。そして社会的行為が帯びる手ごたえなき破壊性にそれが露出している。この事態はおそらく、 知的枠組の更新や理論的な見取り図の提示のみによって打破することは難しいだろう。必要なのは、私たちの内で生きつづける具体的な記号なのである。(pp5-6)

「不知火海通信11号 8/20
[…]この文明文化の時代に、もっとも知らなければならない人びとに対して、水俣病の情報が全然ゼロである。 未踏の地としてある――その分だけ増幅されて差別と偏見が充満しているのもまた恐るべきことである。>011>
 人びとのなかにしみ通る情報の回路はどのようなパターンと方式をもっているのか明確には感触しえない。「知は力なり」という定式の根底には 「もし人びとがそれを大衆的に獲得するなら……」という仮定法を含み込まざるを得ない。[…]」(pp10-11)

 小池征人にとって水俣は、このような認識経験を積み重ねてゆく場であった。「もっとも大衆的でかつ、もっとも少数派の人びと」に向けられる彼の映画作りは、 この場所から始められる。そしてその認識を、妻子あての葉書による日報という形で>012>手渡すところに、 おそらくこのドキュメンタリー作家の思想の身ぶりとも言うべきものが表われている。私たちにとって大切な知は、 もっとも身近な暮らしの「なかにしみ通る」ものであり、日常的な場においてそれを「感触」しなければならない。そういう思想態度がここにある。(pp11-12)

  
1 社会的失明の時代
 画面に一個の錠剤が映し出される。どこから見ても薬物に見える。それが恐るべき毒物に変質することを映画『薬に病む――クロロキン網膜症』 (一九八〇年)は明らかにしてゆく。私たちが生きるこの社会は、薬物から毒物へとたやすく逆転し変貌するような危うい社会なのだということ、いや、 そのような危うさをこそ基礎とすることを、画面は静かに真正面から提示する。この錠剤はクロロキン製剤の丸薬である。この「薬品」が一体どのようにして、 日本社会に生活する人たちの身体のなかへと浸透することになったのか。映画は、その歴史的な出自と社会的な経路とを明らかにする。
 クロロキンという薬物は、一九三四年にドイツで合成開発され、一九四五年にアメリカで抗マラリア剤として再発見されたという経歴をもつ。その日付に注目すれば、 この薬物の身元は明瞭だろう。世界大戦が種々様々の化学薬品を生みだしたこ>016>とを、私たちはしっかりと記憶にとどめておかなければならない。したがって、 この薬物が戦後の日本社会で大量に製造され販売されたとき、それは腎炎の特効薬として、いわば市民社会に向けて変身した姿形で現われたのだった。言いかえれば、 私たちが生きる「市民社会」とは、このような戦時体制の遺産をひそかに或いは公然と引きつぎながら、変態をとげたものなのであった。そのことを、 この薬物が辿る「戦後史」は冷酷に教える。
 クロロキンは市民社会に合わせて変貌しただけではない。それが一九六〇年代、とりわけその後半の日本社会に集中して現われた、というもう一つの日付がある。 映画に登場するクロロキン網膜症者のほとんどが、一九六五年頃から七〇年にいたる時期に大量に投薬された人たちなのである。 その人たちの視力を剥奪し視界を破壊するほどの大量投与がなされたということ、それは急成長し膨張する医薬産業の存在なしにはありえないだろう。 それを保護し支援する社会体制なしには不可能だ>017>ろう。このようにして一九六〇年代の社会に暮らす人々の身体のなかへ、この薬の装いをもつ毒物は浸透していった。 すなわち、この人たちの極限まで狭められた視界が映しだすのは、日本経済の高度成長過程そのものなのである。
 この映画が丹念に追跡調査する一人一人の急激な視力の低下と視野の狭窄は、その急激さそれ自体において、 高度成長社会とはそこに生きる人々をどのように変形するものであるかを否応なく示している。それが制度ぐるみである以上、 その残酷さはほとんど逃れがたく思われてくる。たとえば映画に登場した一人の男性は、七年半の間に八千錠近いクロロキンを投薬されている。 彼が服用を止めたのは、クロロキンが製造中止になる二年前であり、イギリスの医学雑誌がクロロキン服用に伴う網膜症の報告をしてから十三年後のことであった。 彼の眼はわずかに光を感じることができるだけである。この投薬の期間といい、錠剤の数量といい、まさしく常軌を逸している。それが、この社会の姿形なのだ。>018>
 クロロキン網膜症に冒された人たちの投薬期間や障害の状態に関する字幕とともに、各人の「視野図」が映し出される。 輪状暗点や島状視野といった視野の極度の狭窄化を示す文字が、それぞれの人の苦痛を表わしている。しかも、それはなお進行中である。この病気の恐ろしさは、 薬物の使用をやめても症状が停止せずに進行しつづけることだ。過酷に「成長」しつづけるのである。その視野図の表示のなかに、 「測定不能」という衝撃的な文字が現われてくる。映画に登場した人たちの半数がそうである。測定不能。これが物理的な計量と計算を基準とする社会、 つまりこの測定社会が産みおとした事態なのである。この社会が自己の欲望を貫くことによって生みだした生活破壊は、その社会形態に相応して 「測定不能」という冷徹な表記によって示される。私たちが陥っているのは、測定の果ての状態なのだ。
 結果責任を問う通常の損害賠償とは違う取り組みが必要である、と映画のなかで弁護士が語る。それは交通事故の補償などとは根本的に異なっている。 どういう>019>からくりでどういう無茶苦茶をやったのか、という「行為の悪性」が問題なのだ、と。その通りである。私たちは、 誰がどのように何をしたのかを問いつづける必要がある。厚生省、製薬会社、医学界、病院はそれぞれ何をしたのか。それは同時に、それぞれは何をしなかったのか、 何故しなかったのかを考えることでもなければならないだろう。つまり、この社会における「行為」のあり方を問わねばならないのである。 薬の危険性を察知して自分だけ服用を止めた厚生省の役人や、実験もせずに有効性を説いた大学教師は、けっして特別のエピソードではない。
 ここには、中身を問わず何事かを行うこと、何かをつくりだすことそれ自体に対して肯定的な社会が前提されているのである。 高度成長社会とはそれが極度に加速された社会にほかならない。企業は膨大な量の薬品を製造販売し、役所はそれを後押しし、学界はそれに関する論文を生みだし、 病院はその薬物を大量に使用する。正負を問わず間断なく物を生みだしつづけること、その物件の増大が経済成長の中>020>身となる。つくらないこと、 生みださないこと、差し控えることは、この社会では文字通り否定的な「無為」以外のものではない。このような行為基準のもとに社会を押し進めるとき、 そこに何が生まれるかを、この映画は痛切に教える。数千人といわれるクロロキン被害者は、「行為」の集積によってつくりだされたのである。
 たえず何事かを行うことを肯定する社会は、厚生省や製薬会社や病院の加害行為をくいとめられないだけでなく、 現在の私たち自身におけるように健康イデオロギーの強迫、すなわち自己への加害から逃れられないだろう。それは、薬物服用を主とする健康のための 「行為」へと私たちを駆りたててやまない。しかも、そのための手立ては専門家集団によって独占されているのだ。この映画をみながら、 網膜症に冒されたのが私自身ではなく彼らであったのは、紙一重の事情にすぎないと思わざるをえないのは、この社会体質の遍在性のゆえである。
 一個の錠剤があぶりだしてゆく情景はどのようなものであるか。それは何よりも>021>現代という時代において経済社会が帯びる、 身体的振るまいとでもいうべきものである。そこには、関係の基礎をなすべき信頼によって仲立ちされない「社会」の有り様が、残酷なかたちで露わになっている。 それは、被害者の一人が言うように、「もう人ば信用するちゅうことができんごとなった」社会である。私たちが生きている社会は、 いかに凄まじく恐るべき場と成り果てていることか。それはまさしく荒地といっていい。しかもそれは、 荒地であることの自己意識なき「荒地」というほかないようなものである。そうでなければ平然と他人に苦痛を与えつづけ、 自分自身を含む社会関係の破壊を押し進める行為に、集団的に加担するなどという振るまいは考えられないだろう。「信用」の暴力的な毀損は、 社会関係を寸断し破片化するだけではない。それは社会の核を腐蝕しつづけることによって、その破片を無力化し全体へと組みこんでいくのである。
 大量の化学薬品は、個々人のあいだの信頼関係の喪失ないし欠如を前提として、>022>そこに介在し流通する。そしてそれが流通すればするほど、 その不信感を増幅しつづける。この前提と帰結とはおそらく二十世紀という時代を貫く固有の運動過程をなしている。 クロロキンが世界大戦――すなわち従来の社会関係のあり方を根こそぎする総動員の戦争――に出自をもつことの社会的含意を改めて想い起こさなければならない。 薬害を生みだしつづける社会とは、二十世紀という時代の刻印を色濃くおされて産み落とされ、戦後の成長過程のなかで自己増殖をなしとげた社会なのである。
 この経済社会の振るまいは、物事を徹底的に対象として扱う思考の帰結でもある。人間が自分たちをとりまく世界を対象化し、切り分け、 支配統制することの上にのみ存立してきた社会は、ここでその運動のほとんど極限的な事態を生みだすことになる。ここでは「人間」自身が、 どこまでも対象化されつづける。「人体」という実験対象として、また薬物投与の数値対象として、一方的に対象化されつづける。そ>023>れが相互性をもちえないことを、 クロロキン網膜症者におけるほど残酷に示す場所もないだろう。暴力的に視力を剥奪されることによって、 この人たちは文字どおり見られるだけの対象に貶しめられているからである。
 人間を対象とみなし、それに向けて薬品を大量に投下するというこの行動様式は、まぎれもなくこの世紀のものだ。それは社会のなかに、あるいは人間のあいだに、 隙間や余白を残すことを許容しない思考様式によって促されている。総動員の思考である。そのような空隙は患部とみなされ、根絶されなければならない。 この社会的患部の発想はそのまま身体の患部に向けられるだろう。それは治癒する肉体でも病気とつきあう体でもなく、根治されるべき対象となる。 根絶といい根治といい、その余すところなき「根こそぎ」の発想は、皆殺しの思想といっていい。全体主義的思考そのものである。このような思考が個々人を襲い、 その身体に投下される。身体は放置されることはないのだ。(pp15-23)

[…]この高度産業社会は、自分の基礎を食い破りながら膨張してゆく。体を動かして働きたいという欲求すら破壊していく社会は、 自らの未来を食い潰すほかないだろう。そしてその負債を、もっとも脆弱な者たちの苦難において一時的に決済しながら進行するのである。(p24)

 それは人々の日常の暮らしに眼差しを据えつづけることによって、それを蝕み破壊する社会的諸力を捉えようとするのである。収奪される個人の身体は、 その破壊力が集中する場なのだ。それこそが目を凝らすべき「現場」である。それは、私た>028>ちの生存の様態と基礎そのものを問おうとする姿勢といってよい。 おそらくこれが、小池征人が「水俣」から学んだ認識であり視座であった。このような視線のもとに、 この失明した社会を生きていくことの耐えがたい苦しさと難しさを、この映画は静かにしかし痛切に提示する。(pp27-28)

  
5 日常のなかの戦争
 映画の冒頭に、メイン・タイトルをはさむように二つの「証言」が置かれる。ヒロシマとチェルノブイリである。それは、 この二十世紀という時代が引きずりだしてしまった事態を明示する。端的に言えば、それは「戦争」という概念の決定的な変質であり、したがって、 私たちの生存条件の根本的な変質である。この世紀は核戦争を「経験」した時代である。つまり戦争の最終形態とよばれるべき戦争をひきおこした時代だ。 私たちが生きているのは、その核戦争後の状況なのである。映画『脱原発元年』(一九八九年)はここから始められる。
 どんな理屈を持ち出そうと、一度引きずりだしてしまったこの状態から私たちは逃れることはできない。言いかえれば、その戦争は一回的に生じて終結したのではない。 それはいわば恒常的に見えない戦争として、私たちの生存条件そのものとともにある。核戦争後を生きるとはそういうことだ。したがってまた、 その戦争は軍>088>事というカテゴリーに収容しきれないものとしてありつづける。この見えない戦争状態を誰の目にも明らかにするもの、 それが原子力発電所の事故にほかならない。
 軍事技術を転用したこの巨大装置「事故」は、それが形を変えた核戦争であることを示している。冒頭に挿入された、ロラン・セルギエンコが記録した 『チェルノブイリ・シンドローム』の映像は、この事態を反論の余地なく映しだす。フィルムに重ねるように付けられたセルギエンコの言葉、 「チェルノブイリの惨事は、平和の中の戦争である。チェルノブイリは単なる原発の事故ではなく、高度に発達した巨大技術の恐怖である。」 まさしく平和のなかの戦争であり、私たちの日常生活の根底に持続する戦争状態の突出である。
 私たちはまた、そのフィルムの字幕スーパーに、「ここにあるのは、惨劇の渦中にいる人間の生きた証言だ」という一節を読みとる。 なんという「証言」の在りかただろう。この時代についての真の証言は、このような「惨劇の渦中」から発せ>089>ざるをえないのだ。 ヒロシマの建物や道路に瞬時にして焼きつけられた「影」たちの物言わぬ「声」から、チェルノブイリの死の灰の「渦中の人間」たちの叫び声まで、 これが、二十世紀という時代の証言者なのである。
 映画のナレーションが、世界の原発総数の約一割を日本が抱えこんでいることを語る。「運転中の原発三十八基。建設中十三基。建設準備中四基。 数年後には五十五基の原発を所有することになる。」この数字自体が驚くべきものであるが、映画は、その数字が示す事態がどのようなものであるかを一挙に露わにする。 私たちが頭の中で数字を反芻して、その尋常ならざる状態の了解に辿りつくには、おそらく相当の労力を必要とするだろう。それを映像は一挙に明示してみせる。
 北海道の泊原発から四国の伊方原発まで、全国のいくつかの原発に接近しそして俯瞰する映像は、施設自体の異様な景観とともに、 この小さな島国をその装置が埋めつくしているような異常な空間像を提示する。この国がまさしく原発列島として>090>立ちあらわれてくるのだ。 「運転中の原発三十八基」とはそういう事態を意味するのである。この空間の変貌を捉え、指し示すことにおいて、映画の力というものを改めて感じさせる。
 原発をめぐる問題が、平和のなかに持続する戦争であり恐怖であるとすれば、それを考える切り口をどこに求めればよいだろうか。 「日常性」のレベルで粘りづよく捉えなければなるまい。それが私たちの日常性そのものを変質させ解体しうるものであるからこそ、そこを離れてはならないのだ。 原発にかかわる産業構造や社会的差別の問題や技術論議もむろん大切に違いないが、何よりも原発がこの時代の人間の生活にどのようなかたちで侵入し、 どのように占拠しているのかを見据えなければならないのである。
 私たちが聴きとるべきは、物言わぬ「影」の声や「渦中」の叫び声に、遠くとも呼応しうる生活のなかの声である。そこで、この映画が採った態度は、 徹底して現>092>地に即くということであった。そこに腰を据えるということだった。こうして、自分の暮らしの眼前に原発を抱えさせられた人々の、 生の声を聴くということが映画の一本の柱となる。
 現地の人々にとって、原発はイデオロギーの対象でもなければ、たんなる「先端」技術でもない。それは日々、自分たちの生業、 たとえば農業や漁業を目に見えないかたちで破壊していく装置にほかならない。放射能に汚染された農作物や魚貝類をつくりつづけるわけにはいかないからである。 彼らは日常のなかに埋めこまれた身近な戦争状態を生きなければならないのだ。そこで、暮らしと生存をめぐる切実な危機感によって、 人々は小さくとも抗議の声を挙げざるをえない。「一般の人に支持されない技術というのは無理だと思います。」若狭原発に近い農村における或る人物の言葉は、 彼らの祈りにも似た思いを表現しているだろう。それぞれの声を染めあげる切迫感と無力感との交錯は、一人一人が眼前にしている 「装置」が孕む事態>093>の巨大さをまざまざと映しだしている。同時にその声は、この巨大さが先端技術どころか、 文明というものの野蛮さにほかならないことを指し示すのである。
 人々の苦痛の眼差しは、生存におけるこの日常的脅威を強いるものへと向けられざるをえない。「東京の人間」という言葉が何人かの口から語られるとき、 それはこの根元に向かう批判となる。「東京の人間」すなわち中央政府や巨大企業の利益主導に対する批判であり、 膨大な電力を平然と消費する都会の生活に対する不信であり、現地から遠く離れた場所で勝手な議論をする者たちへの苛立ちである。
 ここで、「東京の人間」とは、原発をめぐる事態を自分の日常性と接続しようとしない者、より正確には、 引きずりだしてしまった恐怖に目覆いをして遠ざけることによって、自らの日常生活の表皮を取り繕っている者のことである。そのことによって 「一般に支持されない技術」に支えられてしまうような生活を、その言葉は言いあてようとしている。私たちはそれぞれに何程か「東京の人間」なのである。>094>
 日常性に即するというこの映画の姿勢は、現地の人々の声に耳を傾けることから、さらにすすんで原発の内部で働く人たちを追跡することによって貫かれる。 原発内部の日常とはどのようなものであるのか。三人の人物がとりあげられる。
 一人は、敦賀原発の作業員として原子炉の定期検査に従事した下請け労働者である。彼は、この映画での発言が「遺言」になるかもしれないと考えて、 背広姿に着替えてカメラの前に出る。彼は作業中の被曝によって放射線皮膚炎に冒されているのだ。しかし大学病院の診断証明にもかかわらず、 政府による調査委員会はこれを認めようとしない。したがって、その言葉は、放射線防護のための用意もない原発へ向かうとともに、 被曝者の存在を認めようとしない政府と企業に向けられる。「現実には被曝者を出さなければ稼働できない原発である以上、認めて当然だと、私は思っています。」 背広姿の彼がそう言うのだ。原発という現場で作業する労働者とって、日々の労働はまさしく「核戦争」なのである。>095>
 もう一人は、同じ原発で働く下請け労働者で、電力会社の懐柔によって示談書に判を押したという人物である。炉心の事故で被曝したこの労働者にとって、 最大の不安は被曝後に生まれた我が子の将来であった。子供を待ちかまえる新たなかたちの苦難がここにある。「子供に異常があったら黙って放ってはおかん」 という電力会社の口約束を信じて、金を受け取ってしまった自分自身に対して、彼は不信の眼で見つめなおさざるをえなくなっている。原発に「何も無いもんなら、 ましてやそんな事をするわけもありませんし、こう六百万という大金を払わんと思う」からである。原発という技術は、人的犠牲を含めて、 いったいどれほどのコストを要求しようというのだろうか。巨大なコストを支払って、私たちは何を手に入れようとしているのだろうか。
 三人目は、下請け作業員ではなく、東海村と敦賀の原発で管理作業に携わっていた青年である。かつて「第三の火」と言われた原子力に憧れて入社した彼は、 被曝>096>による舌癌で三十一歳で亡くなった。父に書き送った手紙に彼は、内部被曝に関する疑念をしるし、下請け労働者の放射能汚染への心配を綴っていた。 この青年は、自分が期待した「第三の火」がいかなるものであるかを、「被曝死」という残酷なかたちで示してしまったのである。それはほとんど戦死であった。
 この三人の姿はそれぞれに、原発という装置が、零細な現場作業員の犠牲を前提とする差別的労働の上に存立すること、 その欠陥を金と力で封じこもうとするものであること、さらに科学的情熱にまともに応えることができない「技術」にもとづくことを示している。 三人の被曝者は身をもって、原発内部のグロテスクな日常の姿を浮き彫りにするのである。
 チェルノブイリを記録したセルギエンコは、その事態を「平和のなかの戦争」として捉えた。小池征人の映画は、 原発が「時間」をめぐる戦争でもあることを示唆している。原発が孕む時間に関する統計学的数字は、私たちの想像力を超えてしま>097>うことが多い。 そのことが、生活感覚の尺度をへし折って、私たちに思考停止を生みだすことにもなる。いまここでの耐えがたい経験が、 考えてもどうにもならないような時間のなかに放散されて、緊密な物事として成り立ちにくいのである。
 この映画にも、途方もない時間を示す数字が現われる。岡山県と鳥取県の県境にある人形峠。このウラン採掘現場の放置されたままの残土を前にして、 一人の民間研究者は言う。
 「この核の毒の厄介さというのは、例えばその放射能の半減期を考えれば分かるんです。……ラジュームというのがあります。これは半減期千六百年。 これも毒性が非常に強い、骨の癌の原因になる。そしてウラン二三八にいたっては半減期四十五億年です。四十五億年といったら地球の年齢ですね。 やっとそれで半分になる、放射能の強さが。更に四十五億年たってその半分になる。地球の寿命を超えるんですね。」>098>
 この数値がどれほど正確であるかは、おそらく問題ではない。誤差など問題外としてしまうような「時間」が引きずりだされていることが肝腎なのだ。 日常性のなかに存続する「核の毒」は、このような時間形態として表われるのである。それは、私たちの生活時間というものを壊してしまう時間であり、 もっと厳密にいえば、それを一挙に無意味化してしまいかねない時間である。この異様な数字に付き合っていたら、私たちの日々の暮らしを支える時間など、 瞬時に無化されてしまうだろう。
 したがって、この途方もない時間ならざる時間に対して、私たちに出来ることは、そしてしなければならないことは、「地球の寿命」を案じることではない。 時間に変換された毒性の数値をめぐって議論することでもない。いまここでの経験的時間をどのようなものとしうるのか、という無力にもみえる小さな戦いであろう。 時間をめぐる戦争である。この映画は、末尾に一人の若者を登場させることによって、それを示そうとしている。>099>
 この青年は十二年間、毎日の仕事を終えてから海に出かけて、海水の温度を測定しつづけている。泊原発が放出する温排水の影響を、 自分の手で確認したいという思いからである。放射能の半減期の想像を絶する時間に対して、十二年間というのはいかにも短い無力な時間のようにもみえる。しかし、 この十二年は、けっして抽象的な統計的数字でもなければ、虚しい机上の数値でもない。それは、 日々の生活態度すなわち耐えがたさと抗議の意思を含んだ態度によって支えられ、それを刻みこまれた経験的な時間なのである。
 この若者は、「海に一日一回来れば、何でここに来なければいけないのか、一日一回最低考えるんでね」と語る。 途方もない数値が支配し無化しようとする事態に対して、暮らしのなかで「考える」ことをもって対抗しようとするのだ。それ以外に方法はないだろう。 映画は、暗夜の中でたった一人の運動をつづける、この若者が手にする小さな灯りを映しだすことによって終える。それはまさに持続的な警告信>100>号の発信である。 ここに映画の作り手の意思が、静かに集約され表明されている。日常性そのものを腐蝕するような現実のなかで、 それは生存感覚を刻む生活時間という目盛りを差し出すのである。(pp87-100)

*91ページは写真のため本文なし。

■書評・紹介

■言及



*作成:北村 健太郎
UP: 20110320 REV:
薬/薬害  ◇水俣・水俣病  ◇差別  ◇労働  ◇環境/環境倫理学/環境思想  ◇犯罪/刑罰  ◇身体×世界:関連書籍  ◇BOOK
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