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『自閉症だったわたしへ』

Williams, Donna 1992 Nobody Nowhere
=19931025 河野 万里子 訳,新潮社,297p.

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last update: 20171027

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Williams, Donna 1992 Nobody Nowhere, Doubleday=19931025 河野 万里子 訳,『自閉症だったわたしへ』,新潮社,297p.ISBN:4-10-526801-5 1942 [amazon][kinokuniya]→20000701 新潮文庫,489p. ISBN-10: 4102156119 ISBN-13: 978-4102156117 [amazon][kinokuniya] ※ a07.

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内容(「BOOK」データベースより)
ある自閉症の女性が、幼児の頃から何をどう感じて生きてきたかを自らのきらめくような言葉で綴り、欧米でベストセラーとなった驚くべき自伝。

内容(「MARC」データベースより)
変な子といじめられ続けてきたドナは20歳を過ぎて自分が自閉症と知った…。ひとりの自閉症の女性が、幼児の頃から何をどう感じて生きてきたかを自らのきらめくような言葉で表現、欧米でベストセラーとなった感動の書。

■目次

魔法の世界と「世の中」と
キャロル
学校
友達
あべこべの世界
十二歳
迷子
ウィリーの葬式
ダッフルコート、ピアノ、レポート
独立
引っ越しばかりの人生
メアリー
復学
過去の亡霊
触れ合い
闘争と逃走
海へ

再び、海へ
最後の闘い
本当の居場所

■引用

 「父は言った。「小さい頃、おまえはほんの少し変わってたんだ。でもそれ<0314<はお母さんのせいで、おまえ自身は何も悪くはない」
 「じゃあわたしはどんなふうだったの?」わたしはなおも聞いた。「お願い、誰も責めたりしないから。どうしても知りたい。わたしはどんなふうだったの?」
 「おまえは自閉症だと思われていたんだ」父はぽつりと答えた。
 どうして? とわたしはたずねた。
 「うん、誰も寄せつけようとはしなかったし、しゃべり方もちょっと変わっていた。[…]
 「自閉症」というそのことばが、実際は何を意味するのか、わたしは知らなかった。[…]<0315<
 わたしは[…]自分を悩ませているものの本当の正体をなんとか見つけ出そうと、心理学の本の山に埋もれて暮らすようになった。しかし、どの本にも「自閉症」のことは出ていてなかった。結局わたしは、以前と同じように、闇の中に一人残されて、立ち尽くしていた。」(Williams[1992=1993→2000:314-316])

 「わたしは[…]自分の内に、ことばを求めた。書き終えたページの山が高く積み重なるにつれて、わたしの図書館通いもますます頻繁になった。わたしは、精神分裂症についての本を読みあさった。そうして、何もかもつなげてくれることばが見つからないものか、これこそ自分だと思えることがどこかに書かれていないかと、必死にページをめくりつづけた。
 それは、突然わたしの目に飛び込んできた。そのことばにめぐり合ったのは、父が四年前にふと口にして以来のことだった。「自閉症」。そこには、そう書かれていたのである。「精神分裂症とは区別される」。心臓が、飛び出しそうなほどに高鳴った。わたしは震えた。これこそ、捜し続けてきた答えなのではないか。あるいは、その答えにたどりつく最初の一歩なのではないか。わたしは自閉症についての本を捜した。
 読み進むにつれて、わたしの中には、やっと見つけたという気持ちと、怒りのような気持ちとが、ない交ぜになってこみ上げてきた。」(Williams[1992=1993→2000:416])

 「ただ一度でいい。なぜわたしがこんなふうなのか、客観的な意見を聞いてみたい。わたしは書き上げた自分の原稿を、児童精神科医に読んでもらおうと決意した。」(Williams[1992=1993→2000:417])

■言及

◆Grandin, Temple & Scariano, Margaret M. 1986 Emergence: Labeled Autistic, Arena Press=19940329 カニングハム 久子 訳,『我、自閉症に生まれて』,学研,268p. ISBN-10: 4054001823 ISBN-13: 978-4054001824 [amazon] ※ a07.

◇巻頭の辞 バーナード・リムランド*  *医学博士、自閉症の息子のことがきっかけでInstitute for Child Behavior Research を創始

 「私の知っている限りにおいて、これが自閉症者によって書かれた唯一の著書であり、胸躍るような本である。読者は、施設に永久措置となっていたかもしれない重度の障害児が、生き生きとした、生産的な、尊重される大人となって、自閉症の分野で世界的権威者になるまでの、珍しい経験に満ちた成長過程を味わえるであろう。」(Grandin & Scariano[1986=1994:11])
 「唯一の著書」に訳注
 「その後、一九九二年、自閉症者、ダーナ・ウィリアムズの『NOBODY NOWHERE』(邦訳タイトル『自閉症だったわたしへ』新潮社)が出版された 訳者注」(Grandin & Scariano[1986=1994:11])

◇訳者あとがき カニングハム 久子 256-268
 「テンプル・グランディンの著者は、一九八六年に出版された。自閉症克服者の手になる世界で最初の本である(他に日本で『自閉症克服の記録』一九八八年、オーストラリアに『NOBODY NOWHERE』一九九二年がある)。
 この本を私は二晩で読み終えた。カバーを閉じた時、私の胸は職業的関心が充足された満足感と、ひとりの人間のサバイバルに対する敬意と感動にみたされていた。と同時に、長年しこっていた自閉症に対する不燃焼感が氷解した。」(Grandin & Scariano[1986=1994:263])

◆森口 奈緒美 19960218 『変光星――ある自閉症者の少女期の回想』,飛鳥新社,318p. ISBN-10: 4870312603 ISBN-13: 978-4870312609 1700 [amazon][kinokuniya] ※ a07.

 「以前、ある新聞で『自閉症だったわたしへ』(ドナ・ウィリアムズ著、新潮社)に関する書評を読んだことがあるが、そこでも彼女の自閉症は、あたかも母親の虐待の結果であるかのように書かれていた。[…]
 本来ならば、ハンディのある子供を持ってしまった母親を思いやり、手を差し延べるというのが、愛のある社会のはずなのに、現実には世間では、「社会」でも「学校」でもなければ、「母親」に責任を負わせる、つまりは「母原病」として片付けられてしまう。これが、自閉症を取り囲む、最初にして最大の関門なのである。
 特に一九七〇年代は、自閉症は一般にはほとんど知られていなかっただけに、特に活動過多の<0291<子供の場合、周囲との軋轢は相当なものだったように思う。以前、ダウン症などの他の障害児を持つ母親の自殺率に比べて、自閉症の子を持つ母親の自殺率が非常に高い、というある統計を見たことがあるが、さもあらん、と肯定できる。
 そんな世間に向かって私は声を大にして言いたい。「悪い」のは母親ではなく、自分の「頭」なのだ、と。」(森口[1996:191-192])

◆森口 奈緒美 20020220 『平行線――ある自閉症者の青年期の回想』,ブレーン出版,297p. ISBN-10: 4892426806 ISBN-13: 978-4892426803 2940 [amazon][kinokuniya] ※ a07.

 「ある年の十一月、たまたま居間で付け放しにされていたテレビを見て、私は「それ」を知った。発言の場を探し求めて呻吟しているあいだに、「それ」は、いつのまにか、別の人に先を越されてしまっていた。それだけではなかった。その手記は、日本語版が出る、なんと一年もまえから、英語圏で発売されていて、すでにベストセラーになっていた。くわえて、それは自閉の人自身による手記であったばかりでなく、なんと私と同じ生まれ年の、同じ女性の人によるものだった。
 いままで、さまざまな関係者や機関などに問い合わせたけれども、どこにも、また誰も、そうした情報があるということすら、知らせようとはしなかった。いみじくも、"Nobaody Nowhere"というのが、その本のタイトルだった。<0275<
 夢の自閉症者自身による発言。私は常に自分の夢を求めていたはずだった。ずっと見えない壁を、先頭を切って切り拓いてきたつもりだった。しかし、それもすでに、自分と似たような、別の誰かに、先んじられてしまっていたことが、当初はある意味では、とても悔しかった。
 しかも調べてみると、海の向こうでは、ほかにも類書がすでにいくつかあるらしい。だからまず、すくなくとも今回は、ドナ・ウィリアムズの本の権利取得の件で、まずはきちんと編集者に御礼をするのが、筋だ、と思った。
 それはいわば、生まれて初めての、心からの感謝の気持ちだった。

 さらに調べてみると、国内でもすでに一九八八年に、自閉症者みずからによる手記が出されていることもわかった。」(森口[2002:275-276])

◆内山 登紀夫 「変光星の衝撃」,森口[2004:325-328]*
*森口 奈緒美 20040110  『変光星――自閉の少女に見えていた世界』,花風社,334p. ISBN-10: 4907725590 ISBN-13: 978-4907725594 1890 [amazon][kinokuniya] ※ a07.

 「一九九五年には自閉症の療育プログラムで有名なノースカロライナ大TEACCH部に留学中だった。そのとき小さな書店で偶然みつけたドナ・ウィリアムズの[…]『自閉症だったわたしへ』[…]を読んだ。読みにくい文章だったが、読んだときの第一印象は「この作者は本当に自閉症なのだろうか」という疑問だった。TEACCH部の専門家の何かにその疑問をぶつけてみたが、当然ながら「診察してないのでわからない」と慎重な答えが返ってくるなか、言葉の端々に「自閉症ではない」とニュアンスが伝わってくることが多かった。それは私の印象とも同じだったし、ノースカロライナの自閉症の親の人たちはもっと明確に否定的な人が多かったように思う。自分自身もドナは自閉症ではないのではないかと思いながら帰国した。」(内山[2004:325])
 帰国して『変光星』を読む。
 「一読したあと、文章を振り返れば『変光星』の作者が自閉症であることは疑いようがなかった。森口さんが記す過去のエピソードも、その記述のスタイル(文体)も、自閉症の特性に満ちていた。変光星に触発されてドナの手記も読み返すと、今度はドナも自閉症ではないかと思い始めた。その後、ドナが出演したテレビ番組をみたり、ドナ自身に直接会うことで、ドナは自閉症であると考えを変えることになった。
 […]最近一〇年ほどで、自閉症の臨床には大きな変化が生じている。一九九〇年代の前半は自閉症といえば、知的障害を伴い、言葉によるコミュニケーションが成立しづらい、カナータイ<0326<プの自閉症のことであった。知的障害のない自閉症の人が受診すると医局で話題になるくらい珍しい存在だった。時に知能指数の高い自閉症の人に出会うことはあったが、大抵は映画「レインマン」のタイプの人で、知能指数は高くても文章表現は苦手な人が大半だった。つまりドナや森口さんのように文章で表現するタイプの人は例外的であった。しかし二一世紀の現在では高機能自閉症、あるいはアスペルガー症候群と呼ばれるタイプの一見「正常」にみえる自閉症の人に出会うことは決して珍しいことではない。
 […]最近の一〇年間で自閉症の概念は広がりつつあり、従来ならクリニックを受診ししない人たち、たとえ受診しても「学習障害」「注意欠陥多動性障害」「正常」などとされいた子どもたちや成人の人々が自閉症やアスペルガー症候群と診断されることが増えており、自閉症としての援助が必要があることもわかってきた。「高機能ブーム」と呼ぶ人もいるぐらいである。現在の高機能ブームのきっかけになったのは一九八一年に出版されたイギリスの児童精神科医ローナ・ウィングのアスペルガー症候群の[ママ]関する論文であり、その後高機能自閉症やアスペルガー症候群の論文が急速に増加することになった。このような専門家の関心の高まりにはドナや森口さんの手記も影響を与えているように思う。その後、外国では多くの当事者による自伝や手記が出版され、日本においても自己表現する当事者が増えつつある。このように当事者による発言は、多くの示唆を家族や専門家に与えている。」(森口[2004:325-327])

http://apiarance.web5.jp/torahiko/book2/kawano.htm

http://tscollection.blogspot.com/2007/03/blog-post_5389.html

http://members.jcom.home.ne.jp/tana-masa/kansou/nobodynowhere.html

http://www.mojimoji.org/adiary/note/058

◆立岩 真也 2008- 「身体の現代」,『みすず』2008-7(562)より連載 資料,

◆立岩 真也 20140825 『自閉症連続体の時代』,みすず書房,352p. ISBN-10: 4622078457 ISBN-13: 978-4622078456 3700+ [amazon][kinokuniya] ※


UP:20090502 REV:20090504, 0508, 20140825, 20171027
Williams, Donna  ◇自閉症  ◇身体×世界:関連書籍  ◇BOOK
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