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『不平等の再検討──潜在能力と自由』

Sen, Amartya K. 1992 Inequality Reexamined, Clarendon Press.
= 19990715 池本 幸生・野上 裕・佐藤 仁訳, 岩波書店, 263+63p.


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Sen, Amartya K. 1992 Inequality Reexamined, Clarendon Press, ISBN: 0674452569 [amazon] = 19990715 池本 幸生・野上 裕・佐藤 仁訳, 『不平等の再検討──潜在能力と自由』, 岩波書店, 263+63p.  ISBN: 4000028782 \3150 [amazon]

■出版社/著者からの内容紹介
著者が自らが編み出した,人間がいきていく際の質そのものを考慮して人間の福祉を評価する「潜在能力アプローチ」は,厚生・開発・環境等の経済学にとどまらず,法律・倫理・哲学にも多大な影響を与えた.本書はこの手法を使い,「人間が多様な存在である」という前提にたって,様々な「不平等」について評価・分析する.

■内容(「MARC」データベースより)
人間が生きる際の質を考慮し、「人間は多様な存在である」という前提で人間の福祉と自由を評価する「潜在能力アプローチ」の手法を開発。様々な「不平等」について「何についての平等か」を明確にしながら分析する。

■目次
序章 問題とテーマ
第一章 何の平等か
  なぜ平等か、何の平等か
  公平さと平等
  人間の多様性と基礎的平等
  平等 対 自由 ?
  複数性と平等の「空虚さ」
  手段と自由
  所得分配、福祉、自由
第二章 自由、成果、資源
  自由と選択
  実質所得、機会、選択
  資源とは区別された自由
第三章 機能と潜在能力
  潜在能力の集合
  価値対象と評価空間
  選択とウェイト付け
  完全性‐原理的なものと実際的なもの
  潜在能力か機能か?
  効用 対 潜在能力
第四章 自由、エージェンシーおよび福祉
  福祉とエージェンシー
  エージェンシー、手段および実現
  自由は福祉と対立するか
  自由と不利な選択
  コントロールと有効な自由
  飢え、マラリアその他の病気からの自由
  福祉の妥当性
第五章 正義と潜在能力
  正義の情報的基礎
  ロールズの正義と政治的構想
  基本財と潜在能力
  多様性‐目的と個人的特性
第六章 厚生経済学と不平等
  空間の選択と評価目的
  不足分、到達度、潜在性
  不平等、厚生、そして正義
  厚生に基づく不平等評価
第七章 貧しさと豊かさ
  不平等と貧困
  貧困の性質
  所得の「低さ」と「不十分」さ
  概念はどれほど重要なのか
  豊かな国々における貧困
第八章 階級、ジェンダー、その他のグループ
  階級と分類
  ジェンダーと不平等
  地域間の対照性
第九章 平等の要件
  平等に関する問い
  平等、領域、そして多様性
  複数性、不完全性、評価
  データ、観察、そして有効な自由
  総体的観点、平等主義、そして効率性
  その他の不平等擁護論
  インセンティブ、多様性、そして平等主義
  社会的関心としての平等について
  責任と公正
  潜在能力、自由、そして動機

■紹介・引用
◆ “社会制度に関する主要な倫理理論はそれぞれ異なった「焦点変数」を選択しているが、いずれの理論もその理論が「焦点変数」と見なすものについての「平等」を支持するという共通点を持っている。反平等的な理論であると広く認められ、またその理論を唱える人たち自身によってもしばしば反平等的であるとみなされている理論でさえも、別の焦点から眺めてみると平等主義的であることを示すことができる。ある理論について、ひとつの「焦点変数」について見れば反平等主義的であったとしても、他の焦点変数から眺めれば平等を指向していると捉えることができる。
 例えばロバート・ノージックが『アナーキー・国家・ユートピア』で力強く展開したエンタイトルメント理論のようなリバータリアン的アプローチは広範な自由を各人に等しく保証するこどう優先し、所得分配や幸福など結果の平等(あるいは「パターン化」)を否定することを求めている。”(Sen[1992=1999:4])
◆ “個人の福祉は、その人の生活の質、いわば「生活の良さ」として見ることができる。生活とは、相互に関連した「機能」(ある状態になったり、何かをすること)の集合からなっていると見なすことができる。このような観点からすると、個人が達成していることは、その人の機能のベクトルとして表現することができる。……ここで主張したいことは、人の存在はこのような機能によって構成されており、人の福祉の評価はこれらの構成要素を評価する形をとるべきだということである。
 機能の概念と密接に関連しているのが、「潜在能力」である。これは、人が行うことのできる様々(p.59)な機能の組合せを表している。従って、潜在能力は「様々なタイプの生活を送る」という個人の自由を反映した機能のベクトルの集合として表すことができる。……「潜在能力集合」は、どのような生活を選択できるかという個人の「自由」を表している。”(Sen[1992=1999:59-60])
◆ “選択するということは、それ自体、生きる上で重要な一部分である。そして、重要な選択肢から真の選択を行うという人生はより豊かなものであると見なされるだろう。”(Sen[1992=1999:61])
◆ “この問題は、固定化してしまった不平等や貧困を考える場合に、特に深刻なものとなる。すっかり困窮し切りつめた生活を強いられている人でも、そのように厳しい状態を受け入れてしまっている場合には、願望や成果の心理的尺度ではそれほどひどい生活を送っているようには見えないかもしれない。長年に亘って困窮した状態に置かれていると、その犠牲者はいつも嘆き続けることはしなくなり、小さな慈悲に大きな喜びを見出す努力をし、自分の願望を控えめな(現実的な)レベルにまで切り下げようとする。実際に、個人の力では変えることのできない逆境に置かれると、その犠牲者は、達成できないことを虚しく切望するよりは、達成可能な限られたものごとに願望を限定してしまうであろう。このように、たとえ十分に栄養が得られず、きちんとした服を着ることもできず、最小限の教育も受けられず、適度に雨風が防げる家にさえ住むことができないとしても、個人の困窮の度合いは個人の願望達成の尺度には現われないかもしれない。
 固定化してしまった困窮の問題は、不平等を伴う多くのケースで、特に深刻である。このことは特に階級や共同体、カースト、ジェンダーなどの差別の問題に当てはまる。このような困窮の性質は、(p.77)重要な潜在能力に関して社会的に生じた差異に注目することによって明らかにすることができるが、もし潜在能力アプローチを効用の尺度で評価してしまうと、それらの点は明らかにできないだろう。潜在能力アプローチを補完するものとして古い順応主義に舞戻ってしまうことは、慢性的に剥奪されている者が望むことすら許されていない潜在能力を過小評価することになり、新しいアプローチから得たものを(少なくとも部分的には)奪い去ってしまうことになるだろう。潜在能力の評価は、これらの潜在能力から得られる効用を単純に合計することによっては行なうことができない。根の深い慢性的な不平等を扱う場合、二つのアプローチから生ずる差は、極めて大きなものになる。”(Sen[1992=1999:77-78])
◆ “基本財や資源を、「機能やその他の成果の様々な組合せ」から選択する自由へと変換する能力には、個人間で差が生じるので、たとえ基本財や資源の保有が平等であっても、人々が享受している実際の自由は深刻な不平等を伴っているかもしれない。”(Sen[1992=1999:125])
◆ “…腎臓障害で透析を必要とする人は、所得こそ高いかもしれないが、それを機能に変換する際の困難を考慮すれば、この人の経済手段(つまり、所得)は依然として不足していると言える。貧困を所得だけで定義するのであれば、所得からどのような機能を実現できるかという潜在能力を抜きにして、所得だけを見るのでは不十分である。貧困に陥らないために十分な所得とは、個人の身体的な特徴や社会環境によって異なるのである。”(Sen[1992=1999:173])
◆ “人々が「欲することのできるもの」に過剰に依存してきたこと、特に、あまりに抑圧されていたり、多くを欲する勇気がもてないほど打ち砕かれている人々の要求を無視してきたことは、功利主義倫理学の短所の一つである。”(Sen[1992=1999:235])
◆ “もしある人の行為から得られる福祉が、どのように(「どのように」に傍点)それを行うことになったか(特に、自分でその機能を選んだかどうか)に依存しているとしたら、その人の福祉はxのみに依存するのではなく、「集合Sからxを選ぶこと」にも依存していることになる。
 ……福祉を議論する際の決定的に重要な問いかけは、「選ぶ自由」には手段としてのみ価値が在るのか、それともそれ自体も内在的な価値を持つかということである。……  個人の福祉を決める上で、仮に選択の自由が手段としてのみ評価されたとしても、各人によって享受される自由の広がりは、善い社会にとっては直接的に重要になる。……  ……自由の平等……平等の自由……”(Sen[1992=1999:236-237])
◆ “本書で議論しているのは、パレート最適を支持する側の十分性に関する主張の明白な限界についてではなく、その基準が必要条件としてすら不十分であるという点である。”(Sen[1992=1999:240])



*作成:立岩 真也 改訂:坂本 徳仁
UP:199?  REV:20080710, 20100704
BOOK  ◇自由・自由主義・リバタニアン  ◇不平等
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