HOME > BOOK >

『臓器交換社会――アメリカの現実・日本の近未来』

Fox, Renee C. and Swazey, Judith P. 1992 Spare Parts : Organ Replacement in American Society,Oxford University Press, Inc.
=19990422 森下直貴・倉持武・窪田倭・大木俊夫 訳,青木書店,436p.


このHP経由で購入すると寄付されます

■Fox Renee C. and Swazey Judith P. 1992 Spare Parts : Organ Replacement in American Society, Oxford University Press, Inc =19990422 森下直貴倉持武・窪田倭・大木俊夫 訳 『臓器交換社会――アメリカの現実・日本の近未来』,青木書店,436p. ISBN-10: 4250990087 ISBN-13: 978-4250990083 \2730  〔amazon〕 ※ b

■商品の説明
ブックレビュー社
臓器移植は人類に幸福をもたらすのか。先端医療の光と影の両面を,2 人の女性研究者が渾身のレポート
80年代から90年代の初めにかけて,医療先進国のアメリカでは,臓器置換 ( 臓器移植と人工物の埋め込み ) のフィールドが急速に拡大した。革新的医療に対する手放しの熱狂のあとの,大きな落胆。人体そして人間の生に対する商業化と生物学化の蔓延。先端医療の光と影,その功罪が,本書では医療の現場から克明に描かれている。
著者の一人,フォックスは1928年生まれの著名な医療社会学者。もう一人のスゥェイジーは医療をめぐる科学・技術・社会問題の専門家。2人の共同研究は20年以上に及んでいるが,結果として本書は,両者の先端医療分野への決別の書となってしまった。第1部では,80年代の臓器移植によって起きた生物医学上の諸問題,第2 部では焦点が臓器移植から人工心臓に移り,最後の第3 部では,人工臓器の開発と埋め込みを探究し続ける熱意の高まりに対して,2人の社会的,道徳的な憂慮の念が語られている。
臓器移植法がスタートして以来,わが国もアメリカと同じ道を進み始めた。アメリカの現実は,日本の移植医療の近未来──移植医療の諸問題を考える上で,本書は非常に参考になる。 (ブックレビュー社)
(Copyrightゥ2000 ブックレビュー社.All rights reserved.)
内容(「BOOK」データベースより)
臓器置換大国アメリカを、30年以上にわたり見つめ続けた研究者が、医師・病院関係者、患者・家族の実態をその内部から描き、問題点をえぐりだす。
内容(「MARC」データベースより)
「医学の進歩」へのあくなき追究が、人間の生、社会にもたらしたものは何だったのか。臓器置換大国アメリカを30年以上にわたり見つめてきた研究者が、病院関係者、患者・家族の実態をその内部から描き、問題点をえぐりだす。


■目次

献呈 3

謝辞 5

序論 人間を改造する 13

第1部 臓器移植―一九八○年代の傾向と論点
第1章 驚異の薬と移植「ブーム」、そして中断 24
シクロスポリンの「出現」 24
臓器移植の拡大 30
移植は実験か治療か 33
臨床での多様な中断 41
FK506の到来 59

第2章 贈与交換としての臓器移植 72
マルセル・モースの贈与交換パラダイム 73
臓器を贈る義務 75
臓器をもらう義務と受けとりへの患者のためらい 78
臓器をもらう義務と生体臓器提供への外科医のためらい 85
「命の贈り物」への返礼義務と「贈り物の独裁」 87

第3章 贈り物という主題の変質 94
誰が近親者?誰が他人?生体腎臓移植 99
生体肝臓・肺移植の登場 104
生体提供者をつくる―骨髄移植 114
命の贈り物を増やす努力 116
命の贈り物から市場の商品へ? 131

第4章 移植と医療と社会共有地 146
移植共有地 147
移植と医療共有地 164
移植と医療と社会共有地 175

第2部 ジャービック型人工心臓実験
第5章 危険な賭の装置―ジャービック型人工心臓小史
登場人物の配役と場面 183
プロローグ 187
第1幕 ジャービック型人工心臓の開発 191
第2幕 バーニー・クラークの心臓脳 206
第3幕 ヒューメイナ社への移籍 219
第4幕 実験は続く 225
幕間 移植への「一時つなぎ」としての人工心臓 237
第4幕続き 241
第5幕 終了 253
エピローグ 272

第6章 「アメリカ製」―ジャービック7型人工心臓の盛衰のなかのアメリカ的特徴 280
アメリカ的な土地柄と人物像と筋書 281
アメリカ的な宇宙飛行士像 286
オズ物語のなかのアメリカ的な国 287
人工心臓実験のもつアメリカ的な特徴の形成要因 289
心臓が意味するもの 291
モルモン教の役割 294
法人複合体 300
常温核融合の盛衰 305

第7章 誰が監視者を監視するのか 307
人体実験の開始 310
臨床研究としてのジャービック7型心臓 314
番人 320
中断、そして終了 339

第3部 参与観察者―最後の旅
第8章 フィールドを去る 348

解題 〈アメリカの現実〉から〈日本の近未来〉を考える 423
参考文献 391
索引@


■引用

   序論 人間を改造する
(p13)
 一九八○年代から九〇年代の初めにかけて、アメリカ合衆国では臓器置換(※)(replacement)の分野で大きな進展が見られた。本書で論じるのはそのおもな進展ぶりである。話の中心の一つは、臓器移植(transplantation)にともなって、医学と社会関係にどのように重要な変化が生じたのかということである。もう一つは、ちょうど同じ時期に進行していた、ジャービック7型人工心臓の開発と臨床試験についてである。そのなかでもとりわけ重きを置いたのは、これらの生物医学上の出来事が、アメリカ社会の政治や経済、価値観といった背景といかに関連しているかという点の解明である。
(pp17-22)
 本書は、一九八○年代から九〇年代の初めに見られたあらゆる形態の臓器置換や、このフィールドで起こったすべての進展を包括したり、それらについて均衡のとれた叙述を試みるような研究ではない。例をあげれば、組織の移植よりは臓器移植の方をいっそう幅広く扱っているし、肝臓移植の展開をそれ以外の臓器の展開よりも詳しく検討している。さらに、人工心臓には数章を当てているが、人工腎臓についてはほんのわずかしか考察していない。資料の選択や重点の置き方は、経験的で分析的な考察にもとついて判断した。たとえば、『失敗を恐れない勇気』で公表した透析の詳細な説明に代えて、最新の改訂版を書いて本書に収めるといった気持ちに駆り立てられることはなかった。なぜなら、私たちの判断では、末期腎不全の治療をとりまく問題は、この一〇年間では実質的に変化していないからである(Levinsky and Retting 1991a)。これとは対照的に、一九八○年代に実施されたジャービック7型人工心臓埋め込み実験に関しては、私たちがフィールド研究で得た豊富な資料や、人間の条件に結びつく心臓の強力なシンボリズム、アメリカの主要な価値や信念、制度に対するその演劇的な関係に紙面を割くことで、この「危険な賭の装置」を本書の中心の一つに据えている。
 『臓器交換社会』の文体は、概して物語的にして民族誌的であり、臓器置換の社会慣習と文化の解釈には不可欠なことだが、きわめて記述的で逐語的で雰囲気が伝わるような詳細さをもっている。本書が依拠する一次データは質を重視した資料である。これらは、多様な医療現場での参与観察やインタビューをとおして収集されたし、関係の深い学術雑誌や新聞と雑誌の記事、テレビのかなりの数の台本からなる膨大な資料の内容を分析することによって得られた。本書にはまた量的なデータも含まれていて、それらは多様な型の臓器移植の実施とその結果や費用の問題のほかに、臓器提供と提供された移植可能な臓器や組織の「供給」の問題、臓器をもらうために待機する人々の問題にかかわっている。
 第1部(1〜4章)では、一九八○年代の臓器移植で起きた生物医学上の重要な前進や出来事、それらに付随した社会と文化への影響を検討する。移植のフィールドで起こったほとんどすべての出来事の引き金となったのは、新しい強力な免疫抑制剤シクロスポリン〔サイクロスポリンという呼称もある〕の発見である。この薬の「出現」は「移植ブーム」に拍車をかけた。この薬は移植された組織や臓器を「異物」として防御的に拒絶する免疫系の働きを抑制する面で(先薬と比較して)優れた能力をもっていたため、医師や医療センターがこのフィールドに参入し、単一の臓器やさまざまな臓器の組み合わせや臓器一括のようないっそう多彩な移植なり、より多くの再移植なりを実施するのを鼓舞したのである。「移植の黄金時代」を歓迎する陶酔した雰囲気をわずかに鎮めたものがあったとすれば、問題ある実験に対してときおり出された臨床試験の数少ない中断(モラトリアム moratorium)命令と、シクロスポリンの副作用と限界について不本意ながら徐々に広まった認識だけだった。
 臓器移植の広がりとこれを培った医療界や社会の熱狂ぶりによって、移植希望登録者の増大に応えるために十分な臓器を獲得するという問題が生じた。今では深刻な「臓器不足」として、すなわち稀少な臓器を最も公平に分配するやり方をめぐって生じた危機として受けとられているこの事態は、「命の贈り物」をより多く獲得し、誰がそれを受けとるべきかを決定するための種々の方略を生み出した。この方略は医学から哲学と倫理、経済と政治、社会にまでまたがるものだった。こうした事情が働いて、臓器移植の基盤である贈与交換に重要な変化がもたらされた。以前なら生きている臓器提供者からの移植を制限していた非公式なタブーの幾つかが消され、たいていの移植チームは慎重さを欠いても気にせずに生体移植をおこなうようになった。移植にかかわる「需要と供給」の問題は、「報酬を受ける贈り物」について、すなわち、器提供を奨励するさらに大きな「誘因」を与えるために、提供者およびその家族に報奨金を支払う方式についても真剣な配慮を促した。一九八○年代と九〇年代初めの自由企業・市場指向の経済と政治を背景にして、移植可能な人体部位を商品と見る考え方はかなりの勢いを得た。こうした動向を弁護士や経済学者、政策専門家の何人かは「命の贈り物」の「市場化」ないし「商品化」と名づけたが、これをまじめに支持する議論が出されて、人体部位の先物市場といった手段によって臓器「不足」を解決しようとする提案が鼓吹された。
 「医療共有地」(Hiatt 1975)の章は、一部は、移植の需要と供給と配分をめぐる論点にかかわり、他の一部は、移植によって引き起こされる費用の高騰とこの抑制の是非に焦点をしぼっている。一九八○年代と九〇年代の「費用抑制」の雰囲気のなかで、また、医療の供給に対する追加財政の責任を負うことに連邦政府が見せた強い抵抗に直面して、移植の数と範囲の増大に対してどのように支払うかという問題がますます切迫し、政争の的になった。経済と政治の圧力は、医療の指標やその結果を左右する以外に、小児や成人の肝臓移植は実験的か治療的かということに関して、「医療コンセンサス」を形成することをも左右する要因になっていった。
 一九八○年代が終わり九〇年代が始まると、シクロスポリン導入時から移植を特徴づけてきた出来事や論点がたんに存続するだけでなく、同時に、「歴史は繰り返す」ということを示唆する前兆も現れ始めた。八九年一〇月、またしても、新しい免疫抑制剤FK506の「すばらしい成功」と「奇跡的な」性質や約束された未来についての報道があり、その一月後にはトーマス・スターツルらが『ランセット』(Altman 1989a,c;Starzl et al.1989;Transplants and miracles 1989)でこの免疫抑制剤について解説した。スターツルはシクロスポリンの主要な臨床研究者にして擁護者だったが、一四人の肝臓や腎臓、膵臓の移植患者にFK506を初めて試してみた結果に興奮して、この新薬を「すばらしい薬、奇跡の薬、生涯に一度しか出会えないような薬」と記した(Altman 1986a)。
 第2部(5〜7章)では、焦点が臓器移植からアメリカでのジャービック7型人工心臓に移る。この人工心臓をめぐっての盛衰の物語や、アメリカの社会組織と文化類型との複合体に対する関係、治療法の革新やこれにともなう患者の臨床研究に結びついた社会的コントロール上のあらゆる問題点への関連に、焦点が合わされる。この医療社会学的な事例研究は、一九八二年から八五年にかけてウィリアム・デブリーズ医師によって実施された、四つのジャービック7型人工心臓の永久埋め込みを対象にしている。この物語の詳述と分析の基になったフィールド研究がおこなわれたのは、同装置が開発されて最初に埋め込まれたソルトレークシティーのユタ大学と、デブリーズが最後の三つの埋め込みをおこなったケンタッキー州ルイビルのヒューメイナ・オードゥバン病院である。また、メディアによる取り扱いにももちろん大いに依拠したが、そのさいこの物語に与えられた尋常ならざる報道のもつ意味合いや、印刷と電子メディアによってふくらまされた数々の話、それにこの操作のために用いられた言葉やイメージ、シンボリズムにもしかるべき注意を払った。私たちがとりわけ興味を抱いたのは、人工心臓実験のもつ際立ってアメリカ的な特徴を認知し解明することである。実験を方向づけたこれらの特徴には、心臓のもつ文化的な意味のほかに、モルモン教の影響、産学協同が果たした医学的にも倫理的にも功罪相ともなった役割が含まれる。
 第3部をなす第8章は本書の最終章である。最終章という言葉は、たんに編集と時間上の最後を意味するだけではなく、もっと個人的な結論ということも意味している。ここには、臓器置換のフィールドを長年にわたって密着研究してきた後に、私たちが到達した転機に関する反省が含まれている。このフィールドを離れようと決意したのは、そこで説明するように、私たちが参与観察者として経験する過程でためこんできた「燃え尽き」だけによるのではない。人間の臓器の確保と移植や、人工臓器の開発と埋め込みを探求し続ける熱意の高まりに関して、私たちが社会的かつ道徳的な憂慮の念をますます深めていったからでもある。アメリカの医療とこれをとりまく社会は、臓器置換を用いた人間の修理と改造にあまりに夢中になっているが、その一方で、ヘルスケアはアメリカ社会の公益というよりも個人消費として定義されたままであり、数千万もの人々が適切もしくは最低限のまともな診療すら受けられないでいる。この現実を変えることなくただ傍観するだけならば、私たち自身医学的にも道徳的にもとても支持できない価値の枠組みや医学の進歩観を弁護したことになってしまう。
 私たちの最後のメッセージは、通常とられるような政策提言のかたちになってはいない。しかし、これが聞き入れられて、臓器置換に関してずっと深く考えられ、文化面をも考慮したようなアプローチがアメリカ社会のなかで醸成される}助となることを望んでいる。


   第1部 臓器移植―一九八○年代の傾向と論点
  第1章 驚異の薬と移植「ブーム」、そして中断
(p24)
 一九七〇年代末から八○年代初めにかけて、移植医たちはシクロスポリンという新免疫抑制剤の「出現」を熱烈に歓迎した。何百という医学雑誌論文が、拒絶反応との闘いのなかでこれまでに発見された薬の内で、この薬が最も「重要で」、「類がなく」、「興味深く」、「注目に値し」、「刺激的で」、「強力で」、「効果的で」、「卓越した」ものと解説した。実際、この一〇年間におこなわれた臓器移植の数を劇的に増大させる上で、シクロスポリンは決定的な役割を演じたし、その様子はマスメディアや専門文献で絶え間なく報告された(注1)。
(pp33-34)
 人間の腎臓、肝臓、心臓、肺臓の移植が初めて実施されたのは、それぞれ一九五一年、一九六三年、一九六七年、一九八一年である。それぞれの臨床の歴史が示すように、臨床上の技術革新について、(それぞれ単独にあるいは相互比較的に)どの程度まで研究的でどこまで治療的かと規定したり、実験から治療へと前進する速度を測ったりするためには、多種多様な要因を考慮しなければならない。前著『失敗を恐れない勇気』で指摘したように、治療法の革新を「実験」対「治療」という二分法の静的な言葉を使って概念化したり、議論したりすることは正しいとは言えない。むしろ、動物実験に始まり、通常の治療法をもってしては助けることのできない重病あるいは末期の患者への臨床試験に進み、効果や安全性の点で問題がなければより軽症の患者への適用にいたるという、動的プロセスもしくは連続運動と見なければならない(Fox and Swazey 1978a)。患者の合併症発生率と死亡率、新しい薬や器具、処置法が試みられた回数と期間といった画一的な指標によって、ある治療法に関する動的プロセス上の位置が決定されるわけではない。医師たちが、新しい治療法の発展段階を示す標準化された明確な用語を持ち合わせず、臨床上の位置を説明するのに漠然とした多義的で感情的な言葉を多用する理由の一つは、その動的プロセスにある。他方、臓器移植の歴史がはっきりと示しているように、やっかいで複雑な事態を実験か治療かに分類する問題には、語義的な精妙さや純学問的な精緻さといったものをはるかに超える意味もある。すなわち、特定の技術の実験や治療上の地位を評価することが、誰に対してどのような状況下でそれをおこなったら正しいとされるのかという問題や、費用が健康保険給付の対象になるか否かという患者や医師にとってますます突出してきた問題を決定する上で、第一の基準となるからである。
(pp36-37)
 移植をおこなったチームや病院の数は一九七〇年代よりも八○年代の方がはるかに多いという事実は、必ずしも移植医療が実験段階を離れて通常治療に近づいたことを示すわけではない。その事実には「バスに乗り遅れるな」風の要因も含まれており、それまでに達成された成功率が堀り崩される恐れさえ生まれたのだった。たとえば、一九人々年末発表のアメリカ議会会計検査院報告書によれば、当時アメリカ全体で心臓移植施設が一三一あり、そのうち当年移植実施数が一二例未満の施設は九一であった。一二例という数は、臓器移植対策専門委員会が独自の調査結果をふまえて、「心臓移植実施数と患者の予後との間には密接な関連がある」(ACT Newsline 1989)との認識から勧告した最低数であった。外科学と臓器移植の長老であるフランシス・D・ムーア言うところの「小数精鋭の戦力」がなくなったことが、心臓移植患者の三〇日死亡率が一九八六年の七・五%から一九八七年の一〇・五%へと、「ここ五年間で初めて増加した」(King 1988,p.2)ことの説明となるかもしれない。
(p39)
 実は、第4章でもっと詳しく論じることになるが、移植手術および術後管理にかかる患者が負担する高額費用の支払い問題こそが、さまざまな治療技術を研究的ないしは実験的ではなく、治療として定義しようとする努力の原動力の一つとなっていた。たとえば、一九九〇年五月の『ニューイングランド医学雑誌』に掲載された「肺移植、成人に達す」と題する論説において、スタンフォードのジェイムズ・セオドアとノーマン・ルイストンは、「心肺同時移植の費用の中央値は、当初の治療のために二四万ドル、その後の術後管理のために毎年およそ四七〇〇ドルである」と注記し、「多くの保険会社はいぜんとして肺移植を研究段階の処置法と考えており、費用を給付金として支払おうとはしていない」とつけ加えた(Theodore and Lewiston 1990,p.773)。
(pp58-59)
 以上のように、全体として見れば移植医療は適応分野を絶えず拡大し、実験的段階を離れて治療へと近づき続けているにしても、その進展の歩みは均質でも直線的でもなかった。移植医療は臓器の種類や、その組み合わせ、組織によって発展段階を異にしている。さらに、一九五〇年代中期の腎臓移植の臨床試験第一例以来、周期的な中断と新たな前進にともなわれた中断後の再開という傾向は、あいかわらず移植医療という分野を特徴づけている。
 一九八○年代に起こった移植の中断と再開の揺れ動きは、社会学的に見るならば、私たちが以前に調査、研究してきた七〇年代までのそれよりも複雑な様相を示すようである。まず第一に、中断は「単一契機」型でなくむしろ「多重契機」型だったが(注7)、これには移植の数と種類の増加が一部要因となっている。さらに、中断にいたる歩みは単純なワンマン型のものとは著しい対照をなしている。ここでワンマン型とは、たとえば、一九二九年の僧帽弁手術の臨床試験のさい、手術一〇例中八○%の死亡率を経験した後で、エリオット・カトラーが自らそれ以上の手術の中止を決めたようなケースを指している(Swazey and Fox 1970)。八○年代のさまざまな中断の模様は六九年に始まり、八〇年代の初めにシクロスポリンの到来とともに終わった心臓移植の集積的かつ累積的な模様より一段と込み入ってもいた。前の時代と比較すると、八○年代の中断には、医療専門家集団の内部からの心情論や反対論だけでなく、マスメディアの影響のほかに、人間を対象とする研究を審査する委員会に参加した非専門家の意見や、六〇年代末に表舞台に現れた生命倫理学者たちの発言力の強まりも、はるかに強力な刺激となったのである(Fox 1989;Fox and Swazey 1984)。


第2章 贈与交換としての臓器移植
(pp75-76)
 モースの贈与交換のパラダイムを移植医療に適用するならば、提供者(贈り主、ドナー)や、移植患者(もらい主、レシピエント)、彼らの家族、移植チームが直面し合う独特の心理的および社会的な現象の多くを説明できる。まず、アメリカの臓器提供システムは、ボランティア精神と選択の自由という社会の基本原理を軸に組み立てられてはいるが、移植手術を必要とする状況では、提供者になりそうな人やその家族は、そうした贈与をするよう内外から強い圧力にさらされる。生体臓器移植の場合では、末期の腎疾患で重体に陥っている親か兄弟姉妹、子に対して、通常は血縁の誰かから腎臓が提供される。このとき、たとえ移植チームが良心的であって、移植候補患者の生物学上の最近親者に提供者となるよう勧めることがないとしても、それでも彼らは、「組織適合性の良い」近親者からの生体腎移植は、非近親の提供者からの死体腎移植よりも、予後の良い可能性が高いという生物医学上の事実の伝達者なのである。(略)このような免疫学上の事実が存在するのだから、他者による強制や自己強制感情から移植予定患者の家族を守ろうと医療チームがどれほど努力したとしても、命の贈り物をせよという彼らに対する圧力は強大である。
 さらに、生体腎移植の優位性を示す生物医学的な理由づけをはるかに超えて、生体臓器提供のもつ象徴的な意味合いが、家族全員にその種の贈り物を少なくとも考慮するよう強いる。家族の生命を助けるという至高の目的のために、家族が一人残らず末期症状の肉親に惜しみなく身体の一部を捧げたいという気持ちをもつのは、そこに、家族の全体と、家族}人ひとりの一体感や親密感、気配りが込められているからである。(略)それは「一瞬」の決断であって、移植チームがインフォームド・コンセントにとりかかろうとするいとまもないことが多い(Fellmer and Marshall 1968;1970;Simmons et al.1977,pp.154-158,241-250)。
(pp78-79)
 生体もしくは死体の臓器提供の申し出を受けた移植候補者は、まさにマルセル・モースの贈与の分析に示された理由によって、臓器をもらうべきだという、提供者のものとは相補的関係にある強い圧力にさらされる。移植予定者のためらいがどのようなものであろうとも、申し出られた命の贈り物の受けとりに強く抵抗したり、あからさまな拒否を示したりするならば、それは提供者を拒絶することであり、提供者と自分との人間関係の拒絶を象徴的に示すことである。
 提供臓器に代表される命の贈り物を移植患者が受けたがらない理由には幾つかのものがあり、それらは繰り返し現れる。第一に、生体臓器移植の場合、移植を受ける患者は、移植では避けることができない不快感や危険、犠牲を近親の提供者が耐え忍ぶことを望まないかもしれない。あるいは、両者の間がすでに非常にこじれていたり、険悪になっていたりするさいには、この人から臓器をもらうと心情的にいっそう関係が錯綜し、難しくなると感じることもある。第二に、生きている近親者のものであるか、死んだ他人のものであるかにはかかわりなく、提供申し出のあった臓器があまりにも尋常ならざる贈り物であるから、どんなにお返しをしたいと思ってもけっして適切にはできないのは明瞭なので、移植される患者がそれを負いきれない重荷だと思うことがある。第三に、知り合いであろうとなかろうと、提供されたからといって、他人の身体の一部を自分の身体や人格、人生のなかへ合体することに大きな懸念や危惧を抱くこともある。
(pp83-84)
 人間の臓器移植が始まったばかりの数年間、医療チームは、死体臓器の提供者や移植患者、家族の身元をそれぞれに明かし、お互いの生活や背景の詳細を教える傾向にあった。臓器移植には与え・もらうという親密な行為が含まれるのだから、関係者にはこれらのことを知る権利があると医師たちは信じていた。さらに、こうした知識は、もらい主とその家族がもつ移植体験の意味を強化し、提供者の家族には慰めと充足感を与えるはずだと彼らは考えた。だが、時が経ち、臨床経験が積み重なるにつれて、移植チームはしだいに伝える情報に用心深くなっていった。死体移植をめぐって、匿名の方針がたいした議論もないままに徐々に広がっていった。移植を受けた人やその近親者、提供者の家族が、死体臓器を死んだ当人のごとくに人格化して、会う手立てを整えるだけでなく、恩を負い合って他人ではないかのようにお互いの生活に入り込んでいこうとする場合が多いことに、移植医たちは困惑させられた。こうした相互の働きかけが大きく作用して、多くの移植チームは、移植患者には提供者のことを教えるべきではないし、提供者の家族には移植患者のことを教えてはいけないという慣例をつくりあげたのである。
(pp85-87)
 生きている提供者からの臓器贈与を奨励することはもとより、提供の申し出を受け入れることや、移植を待つ患者のために生きている提供者から臓器を摘出する役目について、移植外科医はこれまでずっと動揺し続けてきた。(略)その理由は、彼らが、組織適合性にかかわる遺伝的関係の役割を認めつつ、移植臓器を受け入れて、これと付き合って生きていく患者の身体に対し、最良の免疫学的条件をつくりだしたいと願っているからだけではない。生体臓器の提供者となろうとする動機が、実際にどれだけ健全で「純粋」であるかという点に関しても、移植医たちが疑いをもっているからなのである。多くの移植外科医が抱いている生物学中心の考え方では、もしも臓器を贈与する人が受けとる人と緊密な「血の絆」をもつならば、その提供は「純粋に道徳的関心から生まれた健全な愛他主義」(Bevan 1971)にちがいない。だが、こうした条件をしっかり整えた上で生体臓器移植をおこなってみても、移植チームが提供臓器を使うにあたって何ら問題なしとするに足るほど、提供者の動機が十分に健全かつ気高いものであるか否かについて、不安や疑念が完全に払拭されることはなかった。こうした心配は、ある意味では、「健康な人間に回復不能の損傷を与える」のではないかという、外科医自身の心の底にある懸念の反映である(Fellner and Schwarz 1971)。生きている提供者からの臓器移植は、たとえ死に瀕して助けを必要とする人のためであるにせよ、病気でも普通の意味での患者でもない人を深く傷つけることになる。「害するな」という専門職としての基本的な道徳信条を積極的に侵犯することを要求する事態に直面して、口にされることはほとんどないが、移植外科医たちは常に心の安定を得ることができずにいた。
(p88)
 マルセル・モースなら予想できただろうが、もらい主が贈り主に負っていると信じているもの、つまり、与えてくれたものに対して「自分の」贈り主にお返しをしなければという義務感は、もらい主に重くのしかかってくる。この心理的および道徳的な重荷がとくにやっかいなのは、もらい主の受けとった贈り物が尋常ではなく、これにふさわしいお返しは絶対に見出せない類のものだからである。物としても、シンボルとしても、それには等価なものがない。その結果、贈り主ともらい主と双方の家族は、貸し借りの万力(まんりき)にがっちりと締めつけられ、お互いに足枷をかけ合って、身動きできなくなっている自分たちに気づくこともある。移植医療における贈与交換という次元のこの側面を、私たちは「贈り物の独裁」と呼んだのである(Fox 1978,pp.1168-1169;Fox and Swazey 1974,pp.20-32 and133;1978b,pp.812-813;Fox et al.1984,pp.56-57)。


第3章 贈り物という主題の変質
(pp95-96)
 一九八○年代になると、医学界やアメリカの一般社会のなかに、移植可能臓器を贈り物と見る考え方や、この考え方に応じた振る舞い方に関して、多くの点で重大な変化が生じた。まず、アメリカの臓器移植システムは、当時、「鼓舞された利他主義」と呼ばれるようになっていたものに相変わらずもとついていて、臓器提供行為には「命の贈り物」という言葉が気前よく使われていた。しかし、臓器移植の贈与交換にかかわる人間模様については、かつてほど注意が払われなくなってしまった。この変化の原因の一部は、支持者を増やしていた次のような潜在的な想定にある(私たちはこの想定を誤りだと考えている)。すなわち、臓器移植は以前に比べて特別なものではなくなってきたので、贈り主やもらい主、家族のなかに、肯定的であれ否定的であれ、贈与にともなう深刻な反応をかつてほどには引き起こさなくなったというものである。臓器の交換に結びつく「内的圧力」に話が及ぶことはあっても、それは避けがたいし、正常ですらあって、だからくよくよ悩むものではないと考えられることが多くなった。これは、私たちが当初から予想していた事態である。医師たちが臓器移植の「社会心理的」側面と呼んでいたものが以前ほど問題視されなくなったことも一部あって、精神科医や精神科のソーシャルワーカーが移植チームのなくてはならないメンバーとは見られなくなった。彼らが必要とは見られなくなったからこそ、移植にともなう贈与交換の側面がますます気づかれにくくなってしまった。同時に、矛盾するようだが、臓器移植の平凡だと見られていた特性の内の幾つかが、注目に値するものとして選り分けられただけでなく、「命の贈り物」によって起こされた「奇跡」を肯定する感動的で気持ちを奮い立たせる出来事と見なされて、広く紹介された。
(p97-99)
 一九八○年代をつうじて、贈り主の家族ともらい主とが結びつきをもったときに、恐ろしいほどの干渉や激しい苦しみが生じることを軽視し、反対に救済の側面ばかりを重視する傾向が続いた。この傾向を促したおもな理由の一つは、移植可能な臓器の不足とこれを解消する方策とに、ますます関心が集まったことにある。この一〇年間の特筆すべき点は、これまで見てきたように移植や再移植の数と種類をはじめとして、移植手術をおこなうようになった病院の数や、待機者リストに載る患者数の大幅な増加であった。(略)臓器不足の「危機」が高まるなかで、臓器移植を貫く命の贈り物という王題は、主として需要供給の社会政策問題として枠づけられ、取り組まれるようになった。(略)臓器供給を増大させる努力には、第一に、生きている提供者を使うことに改めて関心が高まったことが含まれていた。この結果、移植医が進んでおこなう生体臓器移植の種類が拡大し、臓器の授受という目的にとって贈り主ともらい主がどのように「関係」するかについて、移植界で重要な定義変更がなされた。第二に、命の贈り物によって「奇跡を起こそう」、統一死体提供法の規定に従って死後に自分の身体部位を移植に使ってもらいたいという気持ちを法的に表示するよう人々に勧めることによって、将来の贈り主を募るためのキャンペーンがしだいに活発になり、大規模になっていった。一般の人々へのアピールに加えて、臓器不足や不足の理由、臓器をより多く獲得するための手段に関心をもつ人たちは、調達過程にかかわる医師や看護婦に注目し、彼らの態度や振る舞いが提供の妨げとなっているように見えるので、これをどうしたら改めることができるかという問題に焦点を合わせた。臓器不足の改善のためのこれらの方略のどれをとってみても、そこでは贈り物という主題が変質している。だが、章の後半で見るように、何といっても最大の変質は、移植のために身体部分の「商品化」と「市場化」が真剣に考慮され始めたことである。
(pp101-103)
 一九八○年代に、多くの医療センターがあえて生きている非血縁の提供者からの腎臓移植を企てるようになったのは、需要がますます増大して、死体臓器の供給がまったく追いつかなくなったという情勢に迫られてのことである。(略)一九八○年代の初めには、生物学的に非血縁の提供者からの腎臓の実際的な使用が考慮され始めた。「情緒的血縁の提供者」という新しい術語が医学文献に登場し、もらい主との生物的な血縁関係に類似した関係を意味した。アメリカ移植外科医協会やアメリカ移植学会のような幾つかの専門団体が、この種の生きている提供者からの腎臓の使用を提案して、「かなりの成功の自信があって言うのだが、非血縁者からの臓器提供、とくに配偶者や、緊密な関係にあってもらい主の幸福に強い関心をもつ人からの臓器提供は、特例として認められるべきであると言ったとしても、不適切とは思えない」と主張した(Council of The Transplantation Society 1985,pp.715)。八五年に、アメリカ移植学会評議会は、「生きている非血縁の提供者による腎臓提供のためのガイドライン」を発表し、「満足すべき死体もしくは生きている血縁の提供者が見つからなかった場合、例外的に」生きている非血縁の提供者から腎臓を使用することを正当とした。これらの規範的な性格をもつ勧告のなかで、そうした提供者の動機のほかに、「尋常ならざる贈り物」を与えた者の当然の権利として受けるべき感謝と保護や、「現今の商業化の風潮のなかで」、とりわけ「生きる見知らぬ提供者」の場合には隠されている臓器売買関与の危険性について、配慮し続ける必要が表明された。
(pp116-118)
 臓器移植のさまざまな分野に深いかかわりをもった者にはよくわかっていたことだが、一九八○年代の「限界ある臓器供給」問題のおもな原因は、臓器提供に対する一般の人々の消極的な態度にあったわけではない。臓器の提供と移植に対して、異常なほどの高率の支持がアメリカの一般の人々の間で二〇年以上も続いていることは、さまざまな調査に示されている(Prottas 1983,1988)。(略)
 統一死体提供法が国内で採択され、臓器提供に対する一般の人々の賛意表明があるにもかかわらず、アメリカで実際にドナーカードや運転免許証のしかるべき欄に必要事項を記入している成人は、全体の二〇%にも満たないと見積もられた(Task Force on Organ Transplantation 1986) (注3)。さらに言えば、法が認めていても、移植医は臓器摘出を正当化する「贈与の証拠書類」に頼ってはこなかった。臓器の「収穫」という外観を与えたくないという理由も一部あって、医療スタッフは、ほぼ例外なく死体提供書式に記入済みであっても、最近親者の書面による同意のないような死者からは臓器を摘出していない(Peters 1986)。
 移植可能な臓器の提供源がほとんど死体であって、摘出される状況のかなりが悲劇的であるということも、提供を制限するもう一つの基本的で強力な理由となっている。「臓器提供者は・・・・・・突然、中枢神経系に致命的な外傷を受けた健康な人でなければならない。このことは、実際ほとんどの提供者が若くて、たいてい交通事故で死んだ者であることを意味する」(Prottas 1989,p.43) (注4)。
 統計的に手がたい方法で集められた意識調査のデータが繰り返し示唆しているように、提供臓器が増加しない重大な要因は、医療の専門家たちとアメリカの一般の人々との間に見られた相互不信と相互危惧の念であった。一方で、八○年代に強まった敵対的な雰囲気のなかで、統一死体提供法の定める条項の下では何ら法的責任を問われないとしても、臓器調達に関与するならば医療過誤訴訟が起こされる可能性が増すだろうと、かなりの数の医師が考えているとの研究があった。他方で、臓器の提供と移植に対する一般の人の態度に関する意識調査では、もしドナーカードに署名するならば、医師は何らかの方策をとって早めに死を宣告して、臓器を切り取ったり死そのものを早めたりさえするのではないかという可能性について、不安を口にする者が多かった(Gallup Organization 1985)。
(p120)
 一九八○年代中期までに、臓器調達にかかわる医師と看護婦の知識や力量、心情、役割行動がどれほど臓器提供の妨げとなっているか、そしてこの問題を解決するために何ができるのかということにも、力点が置かれるようになった。
(p122)
 依頼要請の立法が臓器の調達と供給の問題の「法的即効薬」とはなれず、医師の間にこの法律への不服従を生み出したことと結びついて、ほとんどの人が予想もしていなかったような非常に重要な結果がもたらされた。すなわち、法律の制定によって、医師や看護婦の間に存在していた「脳死」の定義と宣告をめぐる概念上の大きな混乱ぶりや、臓器提供者の医学的管理や臓器回収に対して法律が及ぼす影響に関する不安が表面化し、強調されるようになったことである。たとえば、一九八九年四月の『アメリカ医師会雑誌』に載った二つの論文と一つの論説では、医師と看護婦が脳死に関してもつ客観的知識・個人的な考え・態度・感情や、ICUで脳死状態の提供者のケアからスタッフが受ける影響について論じられた。臓器提供者たりうるかどうかを確かめ、脳死を宣告し、提供者となる可能性をもつ人の家族に話をもっていこうとするときに、彼らが経験する役割上の葛藤や、心情的な困難の幾つかが検討された(Darby et al.1989;Weisbard 1989;Youngner et al.1989)。
(pp131-132)
 移植可能な臓器の需給の不均衡が増大したこと億、アメリカやその他の国々で、身体部位をめぐる不法な闇市への懸念とともに、臓器提供への支払いを規制するさまざまな方略に対して、賛否両論を湧き上がらせていった。臓器組織の売買と斡旋に関する問題は、多くの医療団体や倫理学者、法律家、経済学者、代議士、政策の専門家から、あるいは、地方・国・国際レベルの政治団体と政府団体や、マスメディアから強い反応を引き起こした。臓器への支払いの合法化という考えや、臓器の不法斡旋に対する反応は、活発な議論と論争という枠内にとどまらなかった。一方で、数々の医学会や保険機構によって特別ガイドラインや決議文が起草され、臓器売買を禁止する法律が次々と成立した。他方で、いささか逆説的ではあるが、移植の公共政策にたずさわってきた多くの人たちが、臓器提供者に対する補償の合法化や身体部位の商品としての取り扱いを提案し、これを支持する議論を展開し始めた。
(p145)
 人間の臓器が「命の贈り物」ではなく、実際に、社会的に認められた商品となるか否かは、九〇年代が始まった時点では決着がついていなかった。この答えは、臓器不足の大きさだけでなく、アメリカの圏内で働いている社会的・政策的・イデオロギー的な力にもかかっている。というのは、臓器提供市場方式が勢いを得たのが八○年代だったということは、たんなる偶然ではないからである。八○年代という一〇年間に、特定の市場観がアメリカの経済分野だけでなく、「道徳と社会の領域においても」際立ってきて、「人を引きつける」ようになってきた(A.Wolfe 1989,p.76)。供給本位の経済思想や新保守主義の政治思想によって広められたこの市場観は、二つの確信にもとついている。一つは、合理的で自己利益指向の自由な選択の最大化によって、経済的・社会的な関係が完全に組織化され導かれるのが理想だという確信。もう一つは、「他者に対する道徳的責務は・・・・・・最初に自己に対する責務を果たすことによって・・・・・・最善のかたちで果たしうる」という確信である(A.Wolfe 1989,p.33)。最も極端な自由放任の形態をとった市場観が、経済原則に導かれるその他の「商品」に関する決定と同様に、移植用の人間臓器の調達と支払いにも適用可能だと考えられている。
(pp153-156)
 かりに移植候補者が提供臓器待機者リストに登録されたとする。それはしばしば長期間に及ぶ「眠りなき多くの夜」(Gutkind 1988)の始まりである。その間、同じく命の贈り物を希望する他の候補者と「競争」し、適合する臓器を求める待機ゲームが待っている。移植予定者たちは必ずこの「ゲーム」に参加しなければならないが、彼らの多くは臓器を入手する前に死ぬから、ゲームで負ける。この敗北は「臓器不足」によるものだけではない。稀少資源を配分するための医学・倫理・運用上の基準が、いぜんとして不明瞭で紛糾しているからでもみる。これを道徳原則と社会政策の問題だとして、チルドレスは次のように書いた。
 「連邦臓器移植対策専門委員会(一九八六年)は、提供された臓器は社会のものであると考えた。この基本的な信念に、当委員会の「臓器移植の公平な機会確保と、移植センター間・臓器移植適応患者間の提供臓器の公平な配分確保のための勧告」のいっさいがもとついている。この観点からすれば、臓器の調達・移植のチームは、社会全体の受託者または管財人として提供臓器を受けとり、医学の規範のみならず正義の原則をも反映するよう、社会の代表者からなる責任ある組織によって練り上げられた公的基準に従って、誰が臓器をもらうかを決めるべきである(Childress 1989,p.102)。」
 実際にはしかし、これらの理想が全国・地区・州・施設で実現されるまでには、日暮れて道遠しというところである。まず第一に、医学的基準という基礎的なレベルでなお論争が続いている。(略)医学的基準が問題をはらんでいることに加えて、チルドレスが指摘したような提供臓器が「社会のもの」という考え方にもとつく配分は、いかに好意的に見ても不明瞭だということがある。提供臓器の「社会的所有権」とか「管財権」ということが、理論的にも実践的にも、臓器は調達された地域社会または地方の「もの」であって、そこで移植に使われるべきだということを意味しているのか、それとも、臓器は国家資源であって、連邦規模の配分システムによって割り当てられるべきだということを意味しているのか、明確ではない(Childress 1989,p.102)。
 臓器の公平な配分のための明確で意見の一致した医学的基準がないので、配分以前の待機者リスト登録の段階と同様に、臓器の割り当ての段階に関しても論争が引き起こされた。メディアや合衆国大統領といった有力な仲介者の注目を得たような親や配偶者による劇的だが個人的な臓器を求める訴えは、臓器やその他の稀少資源の割り当ての原則であるべきだと多くの人々が信じている公平性の規範と衝突する。(略)こうした状況が何度も繰り返されて、臓器調達者や死体提供者の家族が、提供された贈り物を受けとる人を明記する「配分権」をもつべきか否かという問題が生じた。
 稀少な臓器を「社会の財産」あるいは「国家資源」とする考え方はまた、一九八○年代中期に「アメリカの死体臓器の外国人による利用機会」をめぐって、政治的にも感情的にも激しい配分論争を引き起こした(U.S.DHHS 1986)。


第4章 移植と医療共有地
(pp146-147)
 この章では、有限量の資源しかない共有の大地として医療をとらえるハイアットのイメージを下敷にしながら、機能不全を起こした臓器の置換によって死を妨げたり、望むらくは健康を回復したりする努力の拡大から生じた三つの問題を検討する。これらの問題のいずれもが、現実的に幾つかの「共有地」(Commons)を含んでいる。第一に、臓器移植の分野で稀少な重要臓器が移植予定者に配分される方法や、それらの方法によって引き起こされた政策と人間の価値にかかわる問題の範囲を見る。第二に、私たちの限りある物質的.非物質的な医療資源をますます臓器置換に注ぎ込むべきか。それとも、ヘルスケア需給の専門家の何人かが示唆したように、臓器置換を追求していけば、医療共有地を守るために無償配分方式を採用せざるをえないということになるのか。このような問題を考察する。第三に、社会全体の他の分野の需要と資源との関連において医療を考える。移植医療は、特別に劇的かつ明確なかたちで、医療の本質と目的との関連で直面せざるをえない、最も難しい社会的な価値と社会政策の問題を引き起こしている。その問題とは、哲学者のダニエル・キャラバンの言葉を引けば、「どのような種類の医療が善い社会にとって最良であり、どのような種類の社会が善い医療にとって最良なのか」である(Callahan 1990a,p.29)。
(p148)
 生者と死者の両方から臓器をより多く獲得するさまざまな方略が提案され、試されたにもかかわらず、移植の範囲が拡大してその歩調が速まったために、需要が供給をはるかに引き離すという事態にいたった。こうしたなかで移植チームや臓器調達機関は、理論的にも実践的にも、これらの稀少資源をどう配分すべきかという問題に取り組まざるをえなくなった。アメリカでは、多くの人々がヘルスケア資源の利用機会や使用は公平の原則に従うのを理想と考えている(President’s Commission 1983)。この原則から見るならば、社会医療政策と価値の問題は、臓器配分を決める次の二つの主要な意思決定の段階においても貫いている。その一つは、いかなる基準がシステムの利用機会を決定しており、また決定すべきであるかという、患者が移植センターに紹介され、移植候補として受け入れられ、移植待機者リストに登録される方法に関するものである。もう一つは、患者がリストに登録された後、提供臓器を受けとるのは誰かを現実に決定し、あるいは決定すべき基準は何かということである。
(p149)
 現在のところ、移植政策立案者はたいてい、待機者リスト登録までを処理する方法の問題を迂回し、移植候補者として受け入れられた後で、誰が臓器を受けとるべきかという問題に焦点を合わせている(Childress 1987;McDonald 1988;Task Force 1986)。
(pp151-152)
 腎臓以外の臓器の移植候補者が気づくのは、移植手術費用や免疫抑制剤と術後管理にかかる毎年の費用が高額なので、待機者リストへの登録を決定する上で、「財布の生検」がいっそう重要となってきていることである。次節で論じるように、連邦と各州の政策立案者や保険会社にとって、移植の財源は容易に決着のつかない政治と政策の争点になった。給付の決定は、一つひとつの臓器・疾患・患者ごとにおこなわれてきたので、移植の機会を手に入れるのは誰かという点に関して、社会経済的に多大な格差を生み出し、患者や家族に大きなストレスと不安を与えることになった。
(pp153-156)
 かりに移植候補者が提供臓器待機者リストに登録されたとする。それはしばしば長期間に及ぶ「眠りなき多くの夜」(Gutkind 1988)の始まりである。その間、同じく命の贈り物を希望する他の候補者と「競争」し、適合する臓器を求める待機ゲームが待っている。移植予定者たちは必ずこの「ゲーム」に参加しなければならないが、彼らの多くは臓器を入手する前に死ぬから、ゲームで負ける。この敗北は「臓器不足」によるものだけではない。稀少資源を配分するための医学・倫理・運用上の基準が、いぜんとして不明瞭で紛糾しているからでもみる。これを道徳原則と社会政策の問題だとして、チルドレスは次のように書いた。
 「連邦臓器移植対策専門委員会(一九八六年)は、提供された臓器は社会のものであると考えた。この基本的な信念に、当委員会の「臓器移植の公平な機会確保と、移植センター間・臓器移植適応患者間の提供臓器の公平な配分確保のための勧告」のいっさいがもとついている。この観点からすれば、臓器の調達・移植のチームは、社会全体の受託者または管財人として提供臓器を受けとり、医学の規範のみならず正義の原則をも反映するよう、社会の代表者からなる責任ある組織によって練り上げられた公的基準に従って、誰が臓器をもらうかを決めるべきである(Childress 1989,p.102)。」
 実際にはしかし、これらの理想が全国・地区・州・施設で実現されるまでには、日暮れて道遠しというところである。まず第一に、医学的基準という基礎的なレベルでなお論争が続いている。(略)医学的基準が問題をはらんでいることに加えて、チルドレスが指摘したような提供臓器が「社会のもの」という考え方にもとつく配分は、いかに好意的に見ても不明瞭だということがある。提供臓器の「社会的所有権」とか「管財権」ということが、理論的にも実践的にも、臓器は調達された地域社会または地方の「もの」であって、そこで移植に使われるべきだということを意味しているのか、それとも、臓器は国家資源であって、連邦規模の配分システムによって割り当てられるべきだということを意味しているのか、明確ではない(Childress 1989,p.102)。
 臓器の公平な配分のための明確で意見の一致した医学的基準がないので、配分以前の待機者リスト登録の段階と同様に、臓器の割り当ての段階に関しても論争が引き起こされた。メディアや合衆国大統領といった有力な仲介者の注目を得たような親や配偶者による劇的だが個人的な臓器を求める訴えは、臓器やその他の稀少資源の割り当ての原則であるべきだと多くの人々が信じている公平性の規範と衝突する。(略)こうした状況が何度も繰り返されて、臓器調達者や死体提供者の家族が、提供された贈り物を受けとる人を明記する「配分権」をもつべきか否かという問題が生じた。
 稀少な臓器を「社会の財産」あるいは「国家資源」とする考え方はまた、一九八○年代中期に「アメリカの死体臓器の外国人による利用機会」をめぐって、政治的にも感情的にも激しい配分論争を引き起こした(U.S.DHHS 1986)。
(pp159-163)
 提供臓器の不足が高じるにつれて、臓器配分の他の多くの面でも不明確な点が目につくようになり、これに関する論争も激しくなっていった。以下の四例が示唆するように、問題の幾つかは、一方に個人の自由、他方に稀少資源の公平な利用機会を保証する基準としての平等、この両者に対して私たちが置いてきた相対的な重要性をめぐって、社会全体のなかにいっそう広い緊張状態が生じていることを反映している。第一に、一人もしくは二人以上の提供者から、二ないし五個の臓器を用いる多臓器移植の数が増えることによって、「他の何千という患者が一個の臓器も手に入らなくて死んでいくのに、たった一人で二個以上の臓器を受けとることは許されるべきか」という問題が提起された(Altman 1989d)。第二に、移植臓器が拒絶反応や感染症、他の合併症によって失われたために、一回もしくはそれ以上、ときには六回以上の再移植を受けた患者が、全移植患者のおよそ三分の一に達したことから、「一対多」に関する類似の問題が引き起こされた。(略)
 第三に、一人に対する「複数」移植の公平性に関する論争は、待機者リストに関しても存在する。つまり、一人の候補者が知りかつ登録手段をもっているすべてのリストに登録されることは、公正だろうかという問題である。(略)それはまた、「選択の自由と利用機会を最大限にすることが重要と考えて(多重登録を)認める有力な議論と、多重登録に反対してそこから得られる不公正な有利さを批判の中心とする強い議論」との間の対立の反映でもあった(Childress 1989,p.107)。
 第四に、適格性基準がしだいに緩和されることにともなって、移植に対する適用禁忌が減少したことから生まれた問題がある。(略)
 末期肝疾患の原因としてはアルコール性肝硬変が圧倒的に多い。肝疾患で死に瀕している人たちに肝臓移植をおこなうべきか否かということが、目下、臓器置換をめぐる医療倫理問題の焦点になっている。(略)ここには、多くの難しい倫理的・社会的な問題が絡んでいる。たとえば、アルコール中毒は疾患なのか、自己破壊的な行動へと人々を追いやる行動上の欠陥なのか、それとも、道徳的な欠点なのか。さらに、この問いに対する解答の違いは、稀少資源である肝臓の移植に対するアルコール中毒患者の適格性に関して、どのような違いを生み出し、また、生み出すべきなのか。アルコール中毒患者を移植候補者として受け入れる前に、酒を断ち、移植後も酒を飲まないと誓約するよう移植側が患者に要求することは、医学的にも倫理学的にも正当であるか。これに対する答えは、心臓移植を必要とする喫煙者のような、他の疾患のために移植を求める人に対しても、同じ基準が適用されるべきだということを意味するのか(Altman 1990a)。稀少臓器をアルコール性肝不全患者に割り当てるとき、移植する側は自分たちの仕事が「価値中立」であることを明示もしくは暗示しているのか。以前に腎臓の透析や移植の決定にさいして起こったように、移植医たちは自分たちが与える「命の贈り物」によって、患者の日常生活に大きくて持続的な変化が引き起こされ、この場合には患者をアルコールなしの生活へ「転換」させることになるだろう、と想定しているのか(Fox and Swazey 1978a,ch.9)。
 「提供肝臓の極度の絶対的な不足」という状況の下、アルコール性肝疾患患者への移植に関して、他の末期肝不全患者との「完全な平等」を認めるべきかどうか。
(pp164-165)
 移植界のメンバーをはじめとして、それより広い医学界や保健政策立案者たちは、移植医療を審議してさまざまな政策立案活動をおこないながらも、少数の例外は別として、配分的正義の問題への取り組みを慎重に避けてきた。言い換えれば、臓器置換に投入された経済的・人的資源が、医療共有地のなかのその他の分野の需要に応えようとする私たちの社会の力量や熱意に、どのように関係するのかを問うことはなかった。むしろ私たちが指摘してきたように、社会医療政策の目標は、最初は、いっそう多くの臓器調達を可能にするもっと狭い方法、次いで、移植費用を工面できる者に対する臓器配分の正しい方法を取り扱うことにあった。第三の大きな配分問題、つまり、臓器移植の費用や、これを支払うべき者あるいは支払うだろう者は誰かという問題については、連邦や州の保健政策立案者は可能なかぎり避けてきた。
(p168)
 移植に対して財政面やその他の面から制限を加えようとするさいに、私たちが直面してきた困難な問題は、ダニエルズが考察対象としたアメリカのヘルスケアのもっている、相互に連関する主要な特徴の内の二つを集約的に示している。その一つは、ヘルスケア「システム」と私たちが呼んでいるものが、断片的で混沌の度合いを増していることである。(略)もう一つは、公正な配分方法の基礎となる価値観に関して、私たちには広範な社会政治的な合意が欠けているということである。このことは、ますます歴然としてきていて、アメリカ人は自分たちの社会が支払い能力にもとついてヘルスケアを分配している事実に目を向けることを嫌がるが、無償配給の可能性を考え始めることはもっと嫌がるということに示されている。
(pp179-180>
 無償配給という観念は、ほとんどのアメリカ人にとって異端である。その理由は、キャラバンが書いているように、社会とヘルスケア・システムに「非常に深く根をおろしている幾つかの価値」を、その観念が踏みにじるように思えるからである。この価値複合体に含まれているのは、自律と選択の自由であり、「いかなる疾患も癒され、いかなる障害も修復され、いかなる健康もみたされ、いかなる死の徴候も・・・・・・精力的に挑戦されるべきだ・・・・・・という限界のない医学の進歩」観である。併せて、われわれアメリカ人は、「高度な快適さと・・・・・・常に改善され、革新を歓迎し続ける技術レベルをもたらす」ような医療を希求するのである(Callahan 1990b,p.1811)。
 しかし、いかに気に入らないものであっても、「無償配分方式」は、次の二つの理由から真剣に議論され始めている。第一の、そして最もおなじみの理由は経済的なものである。これは、「便益をもたらすサービスの利用を削減することなしには、要するに、無償配給方式を強制することなしには、医療費の膨張を一時的にさえ防いだり、遅らせたりすることはできない」と主張するアーロンとシュヴァルツに代表される(Aaron and Schwartz 1990,p.419)。無償配給を支える第二の、いっそう挑戦的で心揺さぶる議論は道徳的なもので、キャラバンによって最も明確かつ力強く言い表された。「単純にヘルスケアを制限しようという合意では十分でない」と彼は主張する。「どんな種類の医療を、どれだけの量まかなうことができるか」という経済の問いではなくて、社会が問いかけて合意形成の過程をとおして答える必要があるのは、「どれだけのものをわれわれは用意すべきであるか」という基本的に道徳的な問いである。この問いの背後には、「医学の際限なき進歩への熱望という究極的な問題がある。この熱望こそは、われわれが入手したり買ったりできる以上のものを求めさせるのだ。ひょっとして、混乱に陥っているヘルスケア・システムを現在よりうまく運営できることがあるかもしれないが、はるかに根深い問題は残る。視点を変えること、事態を見抜く透徹した視点へと切り替えることがわれわれには必要である」(Callahan 1990a,p.32)。


   第2部 ジャービック型人工心臓実験
  第6章 「アメリカ製」―ジャービック7型人工心臓の盛衰のなかのアメリカ的特徴
(p281)
 アメリカにおけるジャービック7型人工心臓の盛衰の物語には、アメリカ的な教訓話や寓話をつくる素材が多く含まれている。この物語を、アメリカの夢と悲劇の枢要な面が全国規模で、寓話的にも現実にも公然と演じられたような実生活のシナリオとして眺めるのに、社会学的および文学的な想像力はほとんど必要ない。まるで卓越した作者によって書かれたかのように、ジャービック7型心臓のドラマが演じられた舞台装置や登場した個人、施設の配役たちが、アメリカ文化の深層の一部であり、その独特の世界観をなしている価値と美徳、それに悪徳までも演じたのである。
(pp289-291)
 幾つかの永久型人工心臓の実験的な埋め込みは、アメリカ的であるような寓話と主題や、イメージ、価値と人物を思い起こさせる。しかし、どうしてこういう連想が生じるのだろうか。それは、第一に、活字や電子メディアが、一九八二年から八五年にいたるジャービック型心臓企業化の物語の一部始終について、膨大で継続的で高度に組織化され、詳細な描写と芝居かかったやり方で耳目をひくような報道をすることで、それらのアメリカ的な文化の要素を形づくり伝えるのに、重要な役割を演じたからである。メディアは自らが流した報道の量や型をたんに一方的にこしらえたのではない。人工心臓企業化の物語がまさしくアメリカ的な素材をかなりの程度まで反響させていたからこそ、記者や論説委員の専門的に訓練されたセンスにとっても、人間的な関心を相当かきたてるような重要な物語となったのである。しかし、人工心臓実験を終始一貫して楽観的に解説した一部の著名なジャーナリストは、実験の努力に関する個人的な興奮や、成功は間違いないという熱狂的な信念によっても染められているように見えた。
 加えて、ジャービック7型人工心臓埋め込みの主役の多くは、メディアが織りあげた伝説的な雰囲気とは別に、彼ら自身が実在の、ある点では実在以上にアメリカ的な人物だった。この結びつきがあったからこそ、最初の永久型人工心臓が埋め込まれる「パイオニア」的な対象者を選別するために、ユタ大学医療センターとオードゥバン病院の両方で用いられた心理的・社会的な基準がかなりの影響をもったのである。対象者の四名は最終的に、アメリカの伝統的な家族と地域社会や、宗教と愛国心をもった「庶民」の価値と生活スタイルで暮らす北ヨーロッパ系の白人になった。こうした結果になったのも、術中・術後に耐えねばならないすべてのことを処理するのに「ふさわしい能力」の対象者を選ぼうと、医療チームが努力したからである(注4)。
 ジャービック7型人工心臓実験をとりまいているアメリカ的な霊気は、一九八○年代の政治的・イデオロギー的な雰囲気によってさらに強められた。この一〇年聞は、ほとんど実体のないアメリカ的な楽観主義と自我の高揚をはじめとして、個人の勤勉さが人間のすべての問題を解決できるという強い信念、国家の自信、ロナルド・レーガンという人物によって具体化され推進された愛国的な誇りの時代だった。宣伝スタッフとビデオ撮影監督からかなりの助けを受けたレーガンは、崇められ「積極面を強調した」アメリカ的な価値と美徳の化身となった。周りを元気づける陽気さとユーモアあふれる派手さをもって、「国旗に・・・・・・包まれた・・・・・・国民の生きたこのシンボル」は、ジャーナリストのヘドリック・スミスが言う「大統領物語」の内で主役を演じた(Smith 1989,p.414)。この価値風土のなかで、レーガン政権によって脚光夕浴びたアメリカ気質と、医療界やメディア、一般社会から多くの注目を浴びたジャービック7型心臓埋め込みにかかわった人々、とくにその主要な人たちとの間には、偶然の一致以上に目を引く重なりがある。私たちがインタビューしたNIH高官の「人の胸中に、これら二つを結ぶアメリカ的な「市民宗教」があった(Bellah 1970)。彼は鮮やかにこう語った。「人工心臓には一つの神秘がある。人工心臓はどこかアメリカの国旗の一つの星のようであり、人工心臓計画を中止することはそこから星をもぎ取るようなものだろう」。
(pp291-292)
 人工心臓をめぐっては、既述のように神聖にして世俗的なアメリカ的な観念が連想されるが、この連想のさらに根底には、置換される人間の心臓がもつ強力な象徴的意味が横たわっていた。生物学的な自然の心臓に関する医学の一般的な概念は、比較的に単純で効率的で長期間維持する筋肉性のポンプであって、しかもすべてのポンプと同様に、修復や複製ができ、必要なら取り換えることすらできる。しかし、(略)小さな範囲の集団だったとはいえ、完全型人工心臓の永久埋め込みが明らかにしたのは、現代アメリカ人が心臓について明確に支持している科学的で技術的な見方のすぐ下には、心臓とその「奥深い爪弾き音」(Siebert 1990,p.60)をめぐる、ずっと古く生気論的な感情と信仰があったことである。心臓は、今なお内面の自我の場とか、魂の住まい、情緒の居座る場、知恵と理解の中心、愛と欲望と勇気の源にして貯蔵庫、つまりは、身体と心と精神とが共存し、互いに浸透しあっている宇宙と見なされ、そう経験されている(注5)。
(pp294-295)
 心臓のもつ象徴的な意味のほかに、八○年代の政治性を帯びた愛国心や、メディアによる物語の筋立て、ジャービック7型心臓の対象者を選択するために用いられた「ふさわしい能力」の選別基準と一緒になって、人工心臓埋め込みに含まれたアメリカ的な文化の特徴を形づくり、これを強化する上で重要な役割を演じたのが、モルモン教である(注6)。ジャービック7型心臓の開発と一例目の埋め込みが実施されたユタ州ソルトレークシティーは、モルモン教の地理上および精神上の本拠地であり、通常は「モルモン教会」と呼ばれている末日聖徒イエス・キリスト教会の本部にしてセンターである。社会学者のトーマス・オディーによって「最もアメリカ的な宗教」と称された価値や信念、世界観が浸透している、「誓約」と「集会」の飛び地なのである(O’Dea 1957,p.117)。ジャービック型心臓の開発とバーニー・クラークへの埋め込みにかかわった多くの人々はモルモン教徒だった。(略)モルモン教はソルトレークシティーのどこにでも、宗教的にだけでなく、政治的にも経済的にも文化的にも遍在しているから、ここに住むすべての人の人生に枠を与え、影響を及ぼしている(personal communications)。とりわけ、ユタでおこなわれた人工心臓実験では、ほとんど暗黙の内に、あるいは意図しないまま、実験チームの価値や言葉づかい、心象をはじめとして、チームの自己認識と目標、組織、あるいは、チームの仲間や「特別患者」バーニー・クラークとその家族、IRB、メディアの間で、さらにはアメリカ社会との間でチームがつくりあげた関係にまで影響を与えた。
(p300)
 私たちが示してきたように、ユタ大学医療センターでは広範に、ヒューメイナ・オードゥバン病院ではより限定されてではあるが、モルモン教の道徳と実存上のものの見方に誇張されて含まれているアメリカ的な特徴こそは、ジャービック7型永久人工心臓を埋め込んだ実験を貫き、取り囲んでいたすべての価値体系や雰囲気を形づくっていたのである。
(pp300-301)
 最後に、ジャービック7型心臓の開発と製造や、動物と人間への埋め込み、販売と配分は一定の組織的な枠組みのなかでおこなわれた。この枠組みに含まれているのは、アメリカの医療文化や、この文化が今世紀の終わりの数十年間に経験してきた主要な社会関係の転換に深く結びつく構造のもつれや、一連の傾向と緊張である。ジャービック7型心臓が実験室から臨床と市場へ、ソルトレークシティーからルイビルへと移動していった軌跡には、社会学者のポール・スターが言う「法人医療の成長」(Starr 1982,pp.420-449)の実例が示されている。この成長は、アメリカの医療界における法人事業の数や影響力の増大のみならず、共同ベンチャー企業や持ち株会社が複合した巨大なシステムへの組織化をともなっていた。この「法人化の出現」(Starr 1982 )とこれにともなう組織の変化が同時に生じてきたことは、アメリカの病院システムとこれを一部分として含むヘルスケア事業計画全体のなかに、歴史家のローズメアリー・スティーブンスの名づけた「あからさまな利潤追求のエートス」(Stevens 1989,p.321)がはっきりと姿を現したことを意味する。
(pp303-304)
 ユタ大学はジャービック型心臓の発明と開発の「本拠地」であり、先駆的な臨床応用に抜きん出てかかわることで、地元と国内の「地図の上に」自己の位置を示すという、戦略的で文化的貢献に適した機会を提供した。人工心臓計画は、大学高官の幾人かの眼には、モルモン教会により設立され支援されているブリガム・ヤング大学との対抗関係において、高等教育としては州で一番古くかつ最大の公的機関であるユタ大学にふさわしい「旗艦」的な地位を高める可能性を秘めていた(注10)。同時に、大学の名声と評判をソルトレークシティーの盆地とモルモン教徒の世界をはるかに超えて広げるような、「アメリカ・ユタ州製」と銘打たれた強力な手段に映った。要するに、モルモン教の核心的な価値と信仰を具体的に示すために、健康関連の科学技術(注11)の企てに挑戦に燃えて従事したのだった。眼を転じると、こうした企てはモルモンの教会と社会で起こっているいっそう一般的な動向にも呼応していた。すなわち、モルモン教の一夫多妻制に根ざしている「特異な(カルト)集団」という固定したイメージを打破し、モルモンの宗教と文化がもつ「典型的で独特のアメリカ的な」特徴を強調し、アメリカのより広い地域にまでモルモン教徒の経済.政治・知性・道徳面の影響を強める意図をもって、モルモン教義をアメリカ人の生活の主流にまで広げようという一致団結した試みのことである。こうした背景から、地方主義と国際主義や洗練さと素朴さを独特なかたちで混合させながら、ユタ大学医療センターは、バーニー・クラークの人工心臓埋め込みに関して、ニュース報道をNASAばりの手法で準備した。『ニューヨーク・タイムズ』の記者ローレンス・アルトマンが書いたように、医療センターは手術を事前に発表し、ほとんどすべてのアメリカ大手の報道機関からその報道内容を前もって入手し、メディアをソルトレークシティーに招待し、バーニー・クラークの術後合併症をそのつど誠実に発表した。だが、アルトマンは、「バーニー・クラーク物語の取材中、私がユタ大学医療センターで話し合ったほとんどの人々は、物語が引きつけた注目の量とともに、メディアの産出量には面食らったと語っていた」と注釈した(Altman 1984a,pp.14-125)。この同じ驚きをユタ大学チームのメンバーが表明したとき、私たちはそこに無邪気さと巧妙さの両方を見てとった。結局、ジャービック7型人工心臓実験を活性化し、形を与え、そこに意義を吹き込んだのはアメリカの組織や文化のもつ多くの傾向であるが、そのまさに同じ多くの傾向が、同時に、人々を最も悩ませた実験の道徳的な欠点や、実験の没落と終了の仕方の要因ともなった。第7章で示すように、この点は、その種の人体実験を律するために設定されたはずのアメリカ的な多重システム型の社会的コントロールが崩壊した仕方や、それを引き起こした原因のなかに如実に現れている。
(p305)
 ソルトレークシティーのジャービック7型心臓物語には、モルモン教的な特徴とアメリカ的な特徴とが混合していた。


第7章 誰が監視者を監視するのか
(p308)
 ユタIRBのメンバーたちは、個人的にも集団としても我がことのようにこれらの心痛む回想を反芻(はんすう)するなかで、人工心臓実験のもつ最も複雑で困惑させられた側面の一つに行きあたった。それは、この冒険的な企てに加わる研究者の仕事を律するものと考えられていた「社会的コントロール(Social Control)」のシステムが、幾つかの決定的な点で働かなかったということである。永久装置としてのジャービック7型人工心臓の臨床試験では、医学専門家や一般の人々にはっきりと見え、IRBやFDAのような機関による審査と規制の下に置かれていたにもかかわらず、これらの社会的コントロールが作動しなかったのである。
 ジャービック7型人工心臓の開発と臨床試験に関して「社会的コントロール」という言葉で意味されるのは、臨床研究をおこなう研究者に対して、科学的・臨床的・道徳的な有能さの規範となる標準を確立し維持しようとして発動されるすべての公式または非公式の対応である。
(p310)
 革新的な治療法の人体実験を開始すべき「時期がきている」とする決定には、そもそも固有の曖昧さがともなう。それゆえ、自然心臓の永久置換としてジャービック7型心臓を試そうという決定がなされつつあったときにも、また、バーニー・クラークへの最初の埋め込みの後でも、ユタ大学人工心臓チームの内外で意見のくい違いが見られたことは驚くにあたらない。
(p313)
 ジャービック7型心臓の臨床試験が準備されているという少なくとも「十分な疑い」があったにもかかわらず、なぜ始められたのか。その答えは、この出来事にだけ限られたものではない。多くの要因や正当づけ、価値観が一緒になって、おもだった意思決定者たちを臨床へと駆り立て、動物実験データの「コップ」は半分が空というよりも、半分も水が入っていると見なすことに確信をもつよう仕向けたのである。
(pp316-317)
 実際には、新しい薬・治療法・装置の実験的性格や研究目的の優先性について、どんなに明瞭かつ繰り返し断言されようとも、そもそも実験と治療との境界線はぼやけているかち、医師である実験者たちの側にも、患者である被験者とその家族の側にも、治療への期待と治療であるという判断がほとんど必然的に生じる。多くの機会にデブリーズが私たちに語ったように、彼はあるときは、永久埋め込みを実験と見なしてそのように扱ったり、またあるときは、「危険な賭の治療」の処置という扱いをしたりというふうに、両者の間を行きつ戻りつすることも例外的ではなかった(Moore 1989)。バーニー・クラークや、ウィリアム・シュローダー、マレー・ヘイドンが順調であるように見えたとき、デブリーズは実験の範囲のなかで研究と被験者へのケアをしていることを忘れて、治療法としての希望と目標を抱きがちになったことを認めた(personal interviews)。事実、患者の合併症とそれによる死亡にさいしても、人工心臓は治療法としては成功だったと主張した。クラークが埋め込み後に最悪の身心状態に陥ったさい、報道と論評に応えて、「人工心臓は治療法であると確信しています。人工心臓はバーニー・クラークさんを補助し、満足できる生活の質を与えたと信じています。彼は人工心臓とともに歩んだ自分の人生に感謝しているはずです」(King 1984h)と語った。
 しかし、臨床研究の視点に立てば、「実験をする価値があったか」という疑問に対して、実験者は実験を治療と再定義することをもって答えるようなことはしない。臨床実験の価値や成果の決定は、もっぱら適切に企画され達成されているかという臨床研究の専門的な標準に従って、実験者や専門家が下した便益とリスクについての評価にもとついている。ユタ大学とヒューメイナ社の人工心臓チームの何人かのメンバーをはじめ、ユタIRBのメンバー、外部の幾人かの専門家たちにとって、永久埋め込みに含まれている臨床研究の適切さに関する疑問と、したがって倫理と医学の両面での正当性の問題こそが、ジャービック7型心臓使用のもつ最大の障害だった。
(pp320-322)
 ジャービック7型心臓の永久埋め込みの開始と継続には、社会的コントロールの多様な範囲の執行者たち、ときに「番人」と称されることのある人々が関与していた。しかし、彼らの地位と役割の間には大きな違いがあって、この違いによって、実験の経過に対して効力を行使できたはずの、あるいは実際に行使したコントロールの種類が決まっていた。大別するならば、実験をめぐる社会システムの枠組みのなかで、社会的コントロールの執行者は三つのグループに分類できる。
 第一の番人とは、臨床実験が開始され継続されるかどうかを、即座にかつ直接に決定できる人々である。第二の番人とは、直接に意思決定する役割はもたないが、地位と立場によって第一の番人の見解と行動に強い影響を及ぼすことができる人々である。最後に、第三の番人として私たちが位置づける行為者のグループは、実験の本質に関して専門家集団の見解や世論を形成するのに一役買うとはいえ、第一および第二の番人から離れていることや権限の性格から言って、実験の経過に大きくかつ即座に影響を及ぼす立場にはない。これら三つのカテゴリーに属する主要な人々は以下のとおりである。

●第一の番人
・ジャービック7型心臓の実験室での開発や、動物実験、人体使用の決定に直接かかわった科学者、生体工学者、医師
・ユタ大学医療センターとヒューメイナ・オードゥバン病院のIRB
・FDAの心血管装置部門と諮問委員会・人工心臓埋め込みに同意した患者と家族、主治医
・臨床での埋め込みの主任外科医兼実験責任者、人工心臓チームのメンバー(医師、看護婦、技師)
●第二の番人
・ユタ大学とその医療センターや、ヒューメイナ・オードゥバン病院とその親会社の上級管理職の人々や管理職の医師
・NIH、NHLBI、人工心臓プログラム委員会の高官.心臓血管外科医、心臓専門医、とくに心臓置換にかかわる医師などのさらに広い専門家集団
●第三の番人
・専門誌とその編集委員や査読者
・保健衛生法や医療倫理、健康政策などの分野の専門家と評論家
・活字メディア、電子メディア
・実験を調査研究している社会科学者

(pp345-346)
 自然心臓に代えてジャービック7型心臓を永久に置換しようという人体実験は比較的に短いものだった。それは急激にドーンという音をともなってではなく、小犬が哀さを競って小さく泣くように終わった。しかし、中止にいたったことは、実験に最も密接にかかわった人々や、さらに広い範囲の専門家集団による職業的統制の行使とも無関係だったし、FDAによる撤回命令は出たものの、公式の規制のコントロールの適用ともほとんど関係がなかった。人工心臓実験に重大な疑問をもち、しかもその方向を変更できたかもしれない人々が憂慮しながらも、沈黙し何の行動もとらなかったという事実は、他の専門分野と同様に、医学会では周知のことであり、何度も繰り返されてきて、社会学的に予想される傾向である。この傾向を構成するのは、集団自己防衛を培うための集団への忠誠心という規範であり、これとともに、一人ひとりが専門家の職能と行為の標準に従って自己規制するだろうという信念の共有である。その結果として、医師や他の専門家は、無能であったり有害であったり種々の違法行為に従事したりしている同僚を見ても、批判し、敵対視し、「警告の笛を吹くこと」を躊躇する。また、科学的にも倫理的にも疑念のもたれる研究に対して、彼らの属する医療機関や専門家集団の内部で行動を起こすか、広く社会に訴える手段で行動を起こすかして公然と挑戦したり、いわんや中止させようとはしたがらない(Bosk 1979;Freid-son 1975;Swazey 1980;Swazey and Scher 1982,1985)。
 社会的コントロールの仕組みがジャービック7型心臓の場合にはまったく働かなかったと主張しているのではない。しかし、私たちの判断では、個人のまたは機関の自己防衛と自己利益が働いたことにもよるが、何よりも生命を維持できる人工心臓の研究を追求することに示された熱意によって、その仕組みは弱められ危うくされた。(第6章で描いたように)、アメリカの社会と文化のなかで最も価値ある特徴の幾つかが、ジャービック7型心臓実験に結びついた危険なまでに過剰で多様な過ちを生み出したのである。それはあたかもアメリカの文化が自分自身を懲らしめてでもいるかのようである。


■書評

細田満和子, 2001, 「実験的医療のフィールドからの手紙(レネイ・フォックス、ジュディス・スウェイジー著/森下直貴・倉持武・窪田倭・大木俊夫訳『臓器交換社会――アメリカの現実・日本の近未来』)」『現代社会理論研究』11:324-327.
◆黒須三惠, 200712, 「書評 臨床研究のあり方を考える――移植研究・人工心臓開発研究から レネイ・ファックス、ジュディス・スウェイジー著 森下直貴、倉持武、窪田倭、大木俊夫訳『臓器交換社会』」『医療と倫理』7:61-63.


*作成:植村要