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『分裂病の治療覚書』

臺 弘 19911201 創造出版,260p.


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臺 弘 19911201 『分裂病の治療覚書』,創造出版,260p. ISBN-10: 4881582283 ISBN-13: 978-4881582282 [amazon][kinokuniya] ※ m.

■引用

◆臺 弘 1984 「生活療法の復権」,『精神医学』26(8):803-841→臺[1991:135-159]
 ※以下全文引用

3章 生活療法と障害

A.主活療法の復権

はじめに

 生活療法は,その一部をなす作業療法を含めて,わが国の精神科医療に古い伝統をもっ治療活動である。にもかかわらず,近年不当におとしめられた時期があった。生活療法を真にあるべき姿に戻して,その理念と活動を復権する必要がある。生活経験の学習により,主体的な生活の獲得を図ろうとする生活療法は,精神療法。身体療法と並んでその意義を確立しなければならない。生活障害の観点は,生活療法の目標をリハビリテーションに一致させる。課題の段階的拡大,場面転換による役割稽古,社会的学習の3つの操作が生活療法の主軸であり,この間に障害の受容も果たされる。生活療法には,病院の内外を問わず。治療者集団による社会的支持シ<0135<ステムが不可欠であるが,ここには組織対個人という矛盾的契機が外在し,また訓練対啓発という外見上背反的契機が内在している。これらを実践により克服することが,生活療法の課題である。

1.生活療法の復権

 昭和59年の現在,生活療法を取り上げて考察することの意昧はどこにあるだろうか。生活療法は,わが国の精神科医療に深く根づいている言葉で,身体(薬物)療法,精神療法と並んで3本柱の1つといわれることもあり,また実際に病院の内外,地域で広く行なわれていることである。それにもかかわらず,この療法の理念と実践について,当事者の問に十分な認識と同意が存在しないというのは,残念なことである。それどころか,生活療法というとかつての病棟内の暗い印象しか持てないという人があり,病院で患者に胸をはって働きなさいと言えないという作業療法士の声を聞いたことがある。作業療法概念のあいまいなままに診療報酬がひとり歩きし37),かえって生活療法の発展を妨げている。
 昭和40年代の精神科医療の激動期に,生活療法批判は最も烈しい問題の1つであった。しかしその後10余年,生活療法指導者たちは批判の中から少なからぬことを学びとったし(例えば菱山13),湯浅72),中沢42)),批判者たちも現実路線に立ち戻れば,生活療法の実践に取り組まざるをえなくなった(例えば小沢46))。そして改めて地についた生活療法論議をするための基盤が生まれてきたようである。ここに生活療法をかえりみる理由がある。本稿では展望的に問題を論じながら,問題の性質上,筆者の個人的見解が色濃くにじむことをお許しねがいたい。
 生活療法という言葉は周知のように,小林24)が昭和31年に,生活指導,レク療法,作業療法をまとめた包括概念として提案したところから始まる。この言葉ができた頃には,病院精神医学懇話会(今の病院精神医学<0136<会の前身)を中心に,関東,関西をはじめ各地でこのような活動が活発に行なわれていて,それまでの閉鎖的で沈澱していた病院の空気を一新させたのであった。それは開放看護,患者の自治活動と一体になって,新しい時代を開き始めていた。関東の菅修,関根真一,前田忠重の諸氏(3先生は去年までにすべてなくなられた),関西の長山泰政(先生はなお御健在で。筆者は昨夏,開放看護 Offene F&ursorgeに傾倒された頃の昔話を伺うことができた)などの諸先輩のあとを受けて,筆者たちの世代がそれを支えていた。当時の状況は蜂矢の著書9)にその具体的な歩みが生き生きと述べられている。
 生活療法の意味するところは,一応小林の包括概念に含まれるものではあっても,人により状況により,それぞれが個人的経験に制約されて,かなり相違がある。これは実践面でも理論面でもそうである。それを十分な吟昧なしに恣意的に論議するものだから,余計に混乱するのである。この包括概念の奥底に流れている共通の理念は何か。それを明らかにすることこそ重要であろう。ことにわが国では,精神科医療体系の貧困から,生活療法や作業療法の名のもとに,多くの非医療的行為が行なわれたから,治療以前の問題までからんできた。そしてこの弊害を批判の出発点とした若い人たちの中には,生活療法概念の否定こそ正しいと思い込んでしまった々がある。だが歴史を誤りなく見ることが,ここにおいても求められている。
 言葉の詮議から言えば,生活が何で療法と結びつくのかという疑問を述くた人は当初から少なくなかった。筆者も,小林からこの言葉を聞かされた時には,無内容だといって反対したことを覚えている。秋元1)も,生活療法は作業療法,レク療法に還元し,生活指導は看護に還元すべきだと主張している。私ども,松沢病院育ちの連中は,呉秀三,森田正馬,加藤普佐次郎,菅修以来の伝統ある作業療法という言葉に愛着をもっていたし,それには実感も備わっていた。しかし治療活動が,作業から遊びへ,院内から院外へと次第に拡がり,それはまた院内の生活指導がもとになってい<0137<ることを認識するにつれて,作業に執着するのは意昧のないことであるばかりか,理念を矮小化するものであることがわかってきた。作業療法は,生活療法の一部としてその中で生かされる時にはじめて意昧あるものとなる。ことに筆者は。群馬大学で再発予防,予後改善計画が始められ,江熊を中心とする生活臨床がつくられてからは,生活臨床を社会の中での生活療法とみなすようになった。竹村ら54)は,精神医学事典の中で,生活療法はホスピタリズムの解消と,より社会的な生活様式,慣習,常識などを再形成するのを目的とするという。この意昧で,リハビリテーションの概念は,その後,社会の中での生活療法と融合した。山崎は,生活療法はリビリテーションによって置き換えられるほうが良いと言ったことがある。竹村55)による「精神医学」誌での展望,「最近の病院精神医療リハビリテーションの可能性」は,本稿と重なる点を多くもっている。しかし筆者は,生活療法は治療方法論の観点から別に論ずべき課題でもあると考えている。
 生活療法は,病院精神医学会ではいつも重点課題の1つであったが,精神神経学会では取り上げられることが少なかった。ただしシンポジウムとして論じられたことが2回ある。昭和44年の金沢学会では「精神療法と生活療法」の主題が予定されていたが,学会批判が爆発したため討論は流されてしまった。しかしその時提出された論文は,筆者60)の司会の言葉とともに学会誌に載せられているので読むことができる。演者は,笠原嘉22)「個人精神療法の1症例をめぐって」,中久喜雅文40)「治療共同社会の理念を応用した生活療法」,増野肇27)「精神療法と生活療法――心理劇の立場から」,山崎達二67)「慢性長期在院者の生活療法の経験から」,湯浅修一69)「生活臨床の立場から」であった。今日それを読み返してみると, 10余年が空しく過ぎたという痛みが強い。しかし実践面でも理念の上でも,遅いながらに確実な歩みが行なわれたことも否定できない。特にそれは,批判に耐えて続けられたリハビリテーションセンター,精神衛生センター,保健所,診触所を基盤とする地域活動の実績に支えられている。<0138<
 生活療法が学会で次に取り上げられたのは,昭和48年の大阪学会においてである。司会の森山公夫はこの時の主旨を次のように述べた。「生活療法の実体は,烏山病院闘争などを通じて暴露されてきている。一方,一連の不祥病院事件を通じて,悪徳病院における悲惨な状況は,生活療法の実体と基本的には同じ体質をもち,それの拡大歪曲としてあるのではないかという問題を提起している。生活療法は,現在,根底的に問いなおされる必要がある」。そこでこのシンポジウムは,当時生活療法の名のもとに行なわれていた諸活動の功罪,特にそのネガティブの側面を強調する結果となった。
 藤沢敏雄8)は,武蔵療養所の生活療法が精神外科患者の後保護と関係が深かったという特殊な経緯を一般化して,それを生活療法の本質と結びつけ,この概念は廃止さるべきものであると述べた。この意見は,関根による生活指導が時代に先がけて開拓されたことを忘れている。小沢勲45)は,批判の矢を主として生活臨床に向けつつ,間題は生活療法の悪用にあるという江熊の反論に対して,弊害はむしろ生活療法そのものに内在する本質的な欠陥に基づくものであると言った。それは保守的で体制に奉仕する活動であり,典型的な適応論であると決めつけた。井上正吾16)のような老練の士までが,反精神医学の考え方に同調して,精神医学の医学モデルの是正を主張した。同じ頃に開かれた第6回の地域精神医学会では,生活臨床批判が集中的に取り上げられ,ここでも会議は混乱して,学会活動は停止した。
 このような批判はその後も長く尾をひいた。批判者の多くは,生活療法を自分から作り出すというより,厚生省あるいは病院経営者から与えられたものとして受け取ったので,治療者を権威者,患者を被害者とする受動的な固着観念から離れられなかった。このような例として稲地14,15)の論文をあげることができる。
 生活療法批判の対象となった烏山病院と生活臨床は,私見によれば,わが国の土壌に生まれて地道に積み上げられた典型例のように思われる。そ<0139<れだからこそ批判がとりわけてこの2つに向けられたともいえるが,このことをどのように理解し消化したらよかろうか。10年の歳月による風化はことのほかに早く,烏山裁判とはどういうものだったかを知らない若い人たちも増えてきている。生活療法批判には,価値の転換論と反体制運動が混同され。技術主義がおとしめられて精神主義が叫ばれ,漸進と急進という路線上の相違,手直し論と世直し論がからんでいた。そこでは原則論 principle と優先性 priority と実行可能性 feasibility の区別も明らかでないままに,政治的,感情的,利害関係の対立の渦が建設的な論議を阻んでいた。
 この貴重な経験を無駄に流してしまってはならない。そこで独断のそしりをおそれずに,私見を述べることにしたい。今になって考えてみると,たしかに烏山問題には「組織対個人」という根本的な問題が含まれていた。生活療法が治療者と患者という1対1の関係だけでは成立せず,治療チー厶による集団的活動を病院という組織の中で実践するものとなってくる以上,当事者相互の善意とは無関係に,組織を破壊する行動に対して反発が起きることは避け難い。もともと組織は患者のすべてに対して十分なサービスを及ぼすことはできないものであり,落ちこぼれの個人が生ずる可能性を同時に認めなければならない。この矛盾はすべての組織に内在する。これを承認したうえで,それをどのように克服するかは,組織をソフトにして融通のきく対応をするほかはないが,これを生活療法の本質に由来するものとして全面的に否定するよりも,技術的課題として具体的に処理することが必要なのではあるまいか。
 また生活臨床にも「訓練対啓発(自己発見)」という基本的な問題が含まれていた。これについては,湯浅72),宮内32)などの所説に関連して後述するが,初期の生活臨床に,表現のうえで訓練面が強く現われていたことも否みがたい。それは生活臨床でいう能動型の患者,彼らは皮肉にも最も訓練しにくい人たちであったにもかかわらず,いやそれだからこそ当面,訓練の対象となったのであった。また治療の場が病院内ではなく,自由な社<0140<会生活の中におかれていたことも考慮されなければならない。だから生活の制限,管理的働きかけも患者本人の自主的規正を促す手段であった。それが,院内での生活療法を頭において批判した人々には,治療者の管理的姿勢として目に映ったのである。いずれにせよ「訓練対啓発」という背反的契機は,生活療法全体の基本的課題である。生活臨床はその後の発展の過程で,江熊中沢による社会精神医学的側面と,湯浅により深化された精神療法的側面をもっ。生活臨床というと,湯浅の造語「色,金,名誉」69)によって表面的に理解されていることが多いが,これは理解を助けたよりも誤解を招いたことのほうが大きい。まことに生活臨床は,成立の時期からいえば薬物療法の「落とし子」であり。生活療法の「申し子」であり,精神療法の「隠し子」である。湯浅72)のこの命名は言いえて妙である。なお「申し子」とは神仏に願って神から授かった子のことを言う、念のため。
 生活療法はわが国で生まれた言葉で,外国語への定訳がない。生活療法に豊かな内容をもろうとしている筆者には,定訳がないことは欠点であるどころか誇らしくさえ思われるのに,外国から再輸入されないと評価されにくいというわが国の通弊の1つとして,多くの教科書の中には十分に取り上げられていない。また2つの精神医学辞典にも記述は不十分である。それでいて,外国種の社会療法,環境療法などが教科書に載せられているのだから片腹痛い話である。これらは生活療法の一部をなすものではあっても生活療法を包含しきれる言葉ではない。
 筆者はかつて生活臨床を英訳する時に,psychiatric guidance to social adjustmentという言葉を用いたが,生活療法は living learning 63) がふさわしいと考えた。都合の思いことには。この言葉は M. Jones 18) が冶療共同社会の理念を説明する時に使った言葉で,グループ・セッションの状況下で,「いま,ここに」の体験に学ぶこととして用いたものである。筆者はそれならライブ学習というべきで,living は本来の生活そのものをさすのに用いるほうが妥当だと考える。learning way-of-life,や learning of self in social life は長すぎて面白くない。宮内33)は,生活臨床を training accord<0141  さて,生活療法の本質は何かを正面から論じた論文は少ない。これは本稿の結論を先どりすることになるが,石田17)が分裂病に関連して述べた本質論は貴重である。それは,日常生活と仕事の不能の状態に働きかけて,日常生活と仕事の正常さをもたらそうとする療法であって,それを通じて正常な精神構造を得ようとする。ここには精神療法と同じ論理と,精神療法に似た奏効機序があり,集団内における治療者から患者各自へという個別的力動を重要と考える。そして生活ことに作業療法は,物と身体運動とを重要な契機としており,この独特な構成に,生活療法の本質的な点を求むべきである,と言う。石田は,生活療法の理論的モデルを,教育理論との類比に求めている。労作教育に教育の基本的なものをおく考え方は,作業療法の治療的意義を「労働の原初的形態の再体験」として,そこに精神構造の再建を企てようとする考え方に対比されている。
 筆者は,生活療法の本質を「生活経験の学習」または社会生活の中で自己のあり方を学習することにあるとする見解をこれまで何度62.63,65) か述べてきた。生活療法を単に包括概念とすることなく,生活と学習に力点をおいた積極的な理念的規定として提出したいと願うのである。後述の文章はその具体的内容にかかわる。

2.生活障害
 生活という言葉は広くて暖昧である。それは生物的,心理的,社会的レべルにまたがっていて,心の働きが世の中で体によって現実化してゆく過程程である。それは,笠原23) が精神の構造を生物的,心理・社会的,実存的の3層をもつ現象とするのに対応している。生活療法を生活経験の学習という時,生活は手段であると同時に目標でもある。医療者が生活に関心を持つのは,精神障害者および回復者にとって,社会で生活するうえでの<0142<困難が大きいからである。これは社会の中で患者を支えようとする者が等しく痛感するところである(佐藤48),谷中68),臺65),見浦29))。生活のしづらさ,暮らしにくさは,一方には,病歴や生活歴に基づく当人の生活能力の乏しさ,偏りにかかり,他方では,当人をかこむ社会的状況にかかっている。
 生活のしづらさは,まず,1)生活技術の不得手による。身体障害でADL (activity of daily living)が1つの目安として測られるのに対して,もう一段高次の日常生活の生活の仕方, WDL (way of daily living) (筆者の造語)65) が問題である。食事の仕方,金銭の扱い,服装の整え方,服薬の管理,社会資源の利用の仕方などに欠陥のある人がある。見浦30) が大まかに尺度化しているのはこの面である。上田58) は生右の買QOL (Quality of fife)に注目する必要を説いているが, WDLはそれよりも低次の技術的な側面である。次に, 2)対人関係では,人付き合い,挨拶,他人に対する配慮,気配りに間題があり,しはしは尊大と卑下がからんだ孤立がある。3)仕事場では,生まじめと要領の悪さが共存し,のみ込みが悪く,習得が遅く,手順への無関心,能率,技術の低さが,協力を必要とする仕事に困難をもたらす。それらの上に,4)安定性に欠け,持続性に乏しいこと,5)分裂病者では。すべてにわたって,現実離れした空想にふけることが多く,生き甲斐の喪失,動機づけの乏しさが大きな問題となる。こう並べてゆくと良い所なしと思えてくるが,これらが現実の生活で福祉関係者や職場の上司,仲間から医療者に向けられる苦情であり,何とかしてほしいという依頼であることは認めなければならない。
 患者たちは,自分のこのような欠点を知っているくせに,恥をかくことが大嫌いときているから,生活の枠を縮め殻に閉じこもろうとする。この渋皮をむくことがまず必要だと佐々木47)は言い,一方,「自閉のすすめ」,「拒絶能力の養成」のほうがまず必要であると言う神田橋20,21) がいる。生活臨床が当面したのもこのような間題であった。
 上述の1〜3)の諸項目は,英米の心理学者たちが social skills とよん<0143<だものである2,3)。それらは不適切な学習経験,廃用,不安,認知障害,動因不足によるものであると考えられており,social skills は手段−成果 (instrumental) の側面と情動−社会的な関連 (social-emotional relationships) に区別されて,多数の評価尺度もつくられている。評価は治療活動の判定には不可欠なものであるが,わが国では,この方面の検討は消極的な障害年金の査定を除けば,これまで非常に乏しかった。精神障害者,回復者の社会への受け入れ,就労の機会の拡大につれて,このことはわが国でも積極的課題になり,研究が始められている19,28)。
 わが国の精神科医は,生活のしづらさを主として疾患に由来するものと考えがちであった。分裂病者についていえば,急性後の寛解状態,残遺症状,後遺状態,回復者のそれぞれに特色はあっても,いわゆる陰性症状が問題になる。さらにその上に,再発傾向,履歴現象もからんできて。陽性症状との関連も無視できない。生活のしづらさは,症状面で陰陽両方にまたがっている。これと並んで,近頃,精神科医の間から病気と障害の区別に積極的な意義を認めようとする提言がなされるようになった。これは注目に値することであって,その口火を切ったのはリハビリセンターで長く実践を続けてきた蜂矢10)である。彼は身体障害の例にならって,精神にも障害の観点を取り入れることが,目標を見定め方策を立てる上で,現実的な重要性をもつことを主張した。なおここで障害という言葉を,精神衛生法などで包括概念として使われている精神障害や,疾病論で個別概念として使われる disorder と混同しないでいただきたい。
 リハビリテーションでいう障害一般についての詳しい考察は,砂原51,52) 上田58) らの著書になされているが,上田は, WHOの障害分類の impairment, disability, handicapに,それぞれ機能・形態障害,能力障害,社会的不利の訳語をあてている。筆者は訳語というより問題のレべルの差から,impairment を疾患そのものによる機能障害,disabilityを機能障害に基づく生活能力の低下,およびそれに失敗や経験不足などによる二次的影響の加わった生活障害,handicap を生活障害に伴って起こった社会的不利,<0144<つまり社会障害に3分した。そして生活療法の対象となるべき課題は,生活障害に他ならないと考えるのである。
 精神科医が病気または疾患と障害の区別を表だって認めたがらないのは。それを敗北主義,差別主義とされることを恐れたためではなかろうか。欠陥を認めるよりもインスティテューショナリズムを難じ,長期収容の責任を追求するほうが格好がいいし,先が明るいようにみえるからである。そして開放看護,リハビリテーション,薬物療法で,社会で暮らせる患者が増えたことも事実であり,筆者自身この方針は間違っていないと信じて,実践を続けている。しかしそれにも限度があることを認めるべきである。分裂病の長期転帰調査31) の成績は,洋の東西を間わずこのことを実証し,長期在院者,new chronics の存在も具体的の課題となってきた。病院内での院内寛解を膝縄7) が言ったのは昭和37年のことであったが,今,湯浅72) は外来寛解を語り,山田も職能訓練工場で66),工場内寛解などと言っている。それでも昔から言われた社会寛解が増え生活の質が向上するなら,以て良しとすべきである。そして障害を生浩レベルの現象としてとらえて,症状論とは一応切り離した対応策を立てるのが建設的であるのではないか。
 ここで身体障害者の社会復帰過程と対比することは,精神障害者,回復者の特色を一層明らかにするように思われる。彼らの職業指導,雇用促進に経験の深い西村43)によると,精神障害者と身体障害者の違いは,1)病気と障害の差が明瞭でないこと,――身体障害者にも慢性疾患の場合,同じことが起こっているが――,2)受容の有無。つまり自分の障害のありのままの姿を認めることに欠ける。それでいて,それだからともいえるが,自信がない, 3)疲労曲線が違う。緊張,リズムの問題,それには薬の影響もあるようだ,4)転退職が非常に多い,5)1つ1つの経験が糧にならず,ステップを追って先に上がることができない,6)そして面接,相談の回数が圧倒的に多くて,期間が長い,などである。これらはすべて胃神科臨床医が常識として承知していることであるが,それを他の職種の専門家に指摘されると,今更ながら自分たちの非力を嘆かざるをえない。<0145<
 西村の指摘のうち, 1)には先にちょっとふれたし, 2)は重要だだから次節で述べるとして,3)の疲労についていえば,生活のリズム,休養のとり方の拙劣さ,神経を使わなくて良い所に使うことなどは患者自身も言うことである。当たり前のことがわからない(自明性喪失)ために,消耗するエネルギーの大きさも痛ましいほどである。4)転退職の多いのも,外的内的の多くの要因による。雇用の機会に恵まれないために,間があきすぎて練習効果が上がらないこともあるが,興昧と能力の不釣合(高望みとおじけ),興昧が固まらぬ未熟さ,そして易疲労性がこれに重なる。聴力障害者にも転退職率が高いという西村の経験は,コミュニケーション障害の就労への重要性を示唆するが,この場合はある経過の後に安定することが多いといわれている。5)精神障害者の場合は,個別の経験が生かされにくく,次のステップの足がかりにならないというのは,分裂病について重要な特色である。これも早くから院内作業療法の経験からわかっていたことである。作業や遊びの現場での活動性は,いったん病室に戻ると消失してしまう。このことは行動療法では,条件づけられた反応形式が汎化しないこと,汎化障害として知られている。一方,いったんついた反応が固着してしまうことも,浜田11) によって見事に示された。筆者64)は,分裂病者は病的体験を克服しても,その経験が学習されにくく,むしろかえって過敏反応性が残ることを履歴現象における学習障害として記述している。新海50)は,分裂病者は天国に行っても地獄に行っても,お土産を持って帰らない人々であると言う。これらの障害をどのようにして乗り越えるか,それこそ生活療法の技術論となる。

3.障害の受容
 作業療法,生活療法は,働け働け,世渡りをうまくこなせと気合いをかけすぎたきらいがある。そこに画一王義,生産第一主義,冶療者の価値観<0147<の押しつけなどという批判の生まれてきた理由の1つがある。だが生活療法にたずさわる者は,患者は押しつけられても動くものでなく,それには「きっかけ」が必要で,患者も治療者も自分で実際にたずさわってみて,「こつ」をっかむものであることを早くから知っていた。
 筆者61)は生活療法水泳論ということを唱えたことがある。水泳は水の中に入って体で覚えるものだという説である。新海50)は,精神療法について同じことを,自転車乗りの喩え話を用いて説明した。自転車に乗って倒れないための「こつ」は当人自身で会得するほかはない。治療者にとっては,その際,自転車を後ろから支えてやる仕方が治療の「こつ」となる。だが患者の中には,自分から水に入ろうとせず,自転車に乗ってみようとしない人が何と多いことか。
 村田34,35)によると,リハビリテーションの過程は障害の受容の過程でもあり,それは動機づけを熟成し,タイムリーに働きかけ(つまり筆者のきっかけ),それを具体化するための場で自己価値の再編成(こつはその一部である)を得させることである。その場には患者・冶療者の相互信頼関係(相互受容とよんでもよい)が必要となるという。湯浅70)は,生活臨床では,信頼より軽い信用ぐらいが通当だろうと述べ、筆者はもつ一段降りて安心があれば生活療法は始められると思っている。「自分にしゃべるだけしゃべらせておいて,結局は自分のことは自分で決めさせる」と患者に言われこともあるし,時には「働け働けと言うばかりで何もしてくれない」と去って行った人もいる。そしてまた帰って来た人もある。
患者,回復者にとって,障害の受容は悲痛なかげりをもつ。筆者は訓練工場の訓練生の集会で,この話題が何度か取り上げられる場面に遭遇した。家族からは見放され,自分では独立するための技術はなく,昔,若い時に抱いていた希望はくじかれて,今また新しい道を選ばなければならないとは,という嘆きが誰かから語られると,一座は静まり返る。そして「あきらめ」,「居直り」,「ふんぎり」,「不敵な考え」をロにする人が出てくる。「世を忍ぶ仮の姿」,「生まれてすみません」とひそかに漏らす男。「身体障<0147<害者はいいわね,自分の具合の悪い所がわかるんだもの」と言う女,「精神病者にも偉い人がいるよ」という取りなしに,「ぶらぶら暮らす中年者のいやらしさ」と言って皆を笑わせた40男もいた。少なくともこのような場面では,何を言っても大丈夫,気狂い扱いも入院のおそれもないという安心感があった。治療者はここに現実認識と立ち直りのきっかけが生まれることを期待するのである。
 障害の受容は,身体障害の場合には早くから間題とされていた。精神障害でも,リハビリテーションの実践がこのことを切実な課題とした。精神病理,精神療法の側からの発言は,一見,生活療法とは反するような形でそれとは言わずに,障害の受容を取り上げるようになった。
 中井は,世に棲む患者38),働く患者39)という論文の中で,この点を指摘している。分裂病者に常識的な多数者の道を歩ませようとするのが間違いのもとであって,少数者には少数者なりの道があり,その人に多数者の道を強いるのは酷であるばかりか,不可能であるという。彼らには,働く患者,生産者としての道を歩くより,世に棲む患者,消費者としての生き方を教えるほうがよいというのである。また神田橋20,21)も早くから「自閉のすすめ」,「拒絶能力の養成」というような反語的な治療法を提唱してきた。他人との付き合いを断わり,自分に篭って心の平安を得たほうが回復が早いという。このような所説は,従来の生活療法の虚を突いた形で間題の所在を明らかにした。と同時に,少数者としての自覚がその人にとって必要であること,これは生活障害の現状認識,障害の受容に通ずることを示している。人によっては,パーソンズ,中井38)の言うような病者の役割を認めることから出発することが必要であり,また他の場合には障害者の役割への微妙な転換が求められている。障害者の役割には,障害を受容し,できるだけ自立して,社会的役割を果たし,医療からは遠ざかることが望まれている。このような転換は,人により,境遇,状況により,また病状経過の時期――急性後の回復期(再発発を含めて)、慢性安定期,不安定期など――により,適応を異にすることも当然である。対象はひと色<0148<でなく,対応も変えなければならない。
 患者,回復者の多くは,少数者よりは多数者の道をあえて選ぽうとする。生活臨床でいう分裂病能動型はそのような人々であって,受動型より多く(群大の1グループでは7対3),彼ら,彼女らに少数者の道を選ばせることは,多数者の道を追うことと同様に難しい。それには,自分でいろいろの生活経験,多くの挫折とささやかな成功を経験した後に,はじめて少しずつ得られてくることが通例である。
 本人による障害の受容は,治療者を含めて周囲の人々の受容の中ではぐくまれることが多いようである。相互受容といわれる所為である。本人の現実認識は,障害の許容される環境の中で,仕会的不利に結びつかない状況の中で,客観視されるところで意識化される。上述の障害者ミーティングの例のように,障害が淡々と語られる経験をもつこと,それが社会復帰施設の存在意義の1つである。
 上田58)の言うように,障害の受容の中心的な課題は価値の転換であるが,これは価値の多様性の認識,範囲の拡大,外見から内容へ,比較から実質への視点の移動,および障害による負担の軽減など多面的な仕方によってはじめて果たされる。そしてその程度もさまざまである。生活療法は生活経験の中にこそ,価値の転換をはかる鍵があるとするのである。障害の受容と病識とは異なったレベルにある間題であって,前者は生活障害の認識であり,後者は機能障害の認識である。受容は必すしも,病識を必要としない。生活障害の改善は社会障害を軽減する。そしてある程度まで機能障害をも改善するであろうが,その実証は少数の幸連な――運と言うのを許されるならば――人にしか見られない。

4.経験の学習
 障害をもちながら生きる道をさぐるのは難しいことである。分裂病者の<0149<障害の特徴については,学習の困難なこと,失敗の経験が身につかずかえって過敏に反応するようになることを上に述べた。しかもなお生活経験に学ぶことが生活療法であるというのは撞着もはなはだしいように思われる。もっともそれだからこそ学習の仕方を工夫することが必要になる。総論的には困難であっても,各論で手の届くものにしようとするのである。
 わが国の精神科医の間に,力動精神医学の影響が強まってから,生活療法,あるいはその一部としての作業療法を精神療法の適用の一形態とする考え方が広まってきた。欠陥よりも反応を重視し,個体性を尊重する精神療法的視点は,生活療法の偏向を食い止めるのに貢献した。しかし障害を認める意見からすると,精神療法的視座だけからでは限界に突き当たることも承認せざるをえない。ここで。発達障害児療育に歴史の古い治療教育 Heilpaedagogik を思い起こすことは重要であろう。筆者は,昭和の初め,松沢病院には教育治療部があって,それが作業冶療部と一体になっていたことを思い出す。治療教育57)の定義はいろいろであるが,H.Asperger によれば,「生物学的知識に基づいて,教育的手法で,青少年の精神・神経学的障害の治療をする科学である」という。
 生活療法が科学的手段であるならば,その本筋は何に求められ,精神療法と区別される特質は何かと間われるであろう。筆者の個人的意見を述べさせていただくとすれば,それは現代心理学の領域で開拓された学習概念12)に求めるのが適切だと考える。学習困難の諸側面,諸段階を分別して対応し, 1段ずつ積み上げてゆく操作が治療となろう。
 まず第1に,学習効果の広がりの困難,汎化学習障害を克服するための最も基本的単純な方法は,反転学習,交代学習,つまり押したり引いたり,受けたり与えたり,困難と成果の体験の反復である。斬進的な課題の拡大は,系統的脱感作,継時的接近法 shaping として,行動療法では,実験室的手順に沿って進められているものである。生活療法の舞台である非組織的,非実験室的な状況でも,実生活にいくらでもある教材を用いて,試行錯誤,模索行動の間に,適時に系統的な指導が加えられて,課題の拡大,<0150<遂行がはかられてくる。この方法は,発達障害児の療育の場で最も典型的の第1段階はこのようにして行なわれ,関根の生活指導はまずここから始まった。これを看護の一部とよんでもかまわない。
 第2に,学習は状況の異なる場面で行なうことにより新しい展開をみせる。くだいて言えば違った土俵で角力をとる方法である。筆者6)が作業療法を始めた頃。机の運び方,スクエアダンスへの誘導に,場のカということを言ったのは,場面転換の最も単純な例であったわけである。作業療法の場面を変化し拡大し,実生活のそれに近づけてゆくこと,院内作業室からデイケア,ナイトケアの仕事場へ,就労訓練へと段階を高めてゆくことにも,場面転換の要因が含まれている。現実から離れて演じられる心理劇では,場面の転換がー層自由に行なわれる。心理劇はその名のごとく精神療法とされるが、その内容は生活療法27,59)に近いものを多く持っている。役割操作 role rehearsal という生活に重要な契機が,場面転換を通じ"学習されるのである。
 第3には,社会的学習 social learning とよはれるものである。自分目身では体験しないでも,仲間のやっていることを見ると,なるほどと合点する。観察学習,modeling とも言われる。長期在院者で退院を諦めているように見えた人が,仲間が院外作業を経て退院し,外の社会に生活の場をみつけた実例を見てから,自分もああいうふうになりたいと申し出てきた経験を持つ治療者も多いであろう。OTやCWが,退院者のアパートに在院者を連れて訪間することは,意昧の深いことである。生活療法は,それにたずさわっている当事者だけでなく,周囲にも治療的効果を及ぽしている。
 上述の3要因,課題の段階的拡大,場面の転換と役割操作,社会的学習は,互いにからみ合いながら進行する。そんなことは当然のことではないかと言われそうだが。これが現実の生活療法の治療機転の中軸であることをわきまえておくことは,マンネリズムの防止になる。生活療法は,一方の極に,狭い意味の行動療法,神経症的性癖,行動異常などの変容に用い<0151<られる技法を持ち,他方の極に,障害克服のための啓発,目己発見などの精神療法と重なり合う幅広いスぺクトルを持っている。目らを生活療法と言わず精神療法とする治療者の中にも,生活療法的方法を多く取り入れている者があることも,当然のことである。森田療法の技法などにその技法を見る。最も洞察を重んじ,言語的解釈を通じてそれを得ようとする精神分析6)ですら,徹底操作25) Durcharbetten, working throughということか言われるのは,解釈を会得するまでに学習が必要なことを示している。
 わが国の精神科医の中には,病院で生活療法と称することをやりながら,自らそれを療法とよぶことにためらいを感じておられる方がある。また逆に,精神科医のやることはすべて精神療法であると拡大主張される方がいる。筆者には,そのどちらをも生沽療法の理念について認識を欠いておられるのではないかと思われる。

5.生活療法の構成
 生活療法の幅広いスペクトル,病院の内外,個人と集団,仕事と遊び,衣食住など,複雑多岐にわたる条件を考えると,生活療法を個人の治療者が行なうことは,原則的には,不可能に近い。医師,看護者,保健婦,心理技術者,家族近隣の支援者までを含めて,息の合った大小さまざまの協力態勢を,対象者,状況に応じて作っていかなければならない。それはソフトなシステムである。ソフトでなけれは,個人的に臨機応変の対応ができない。しかし柔らかい組織だけではもろくて長続きしない。硬く強い組織として,病院,診療所,精神衛生センター,リハビリセンター,作業所,共同住宅などを基盤とする生活療法の組織がどうしても必要となる。それはあながち官公立とは限らず,私的な組織でも,その存立や維持をサービスに優<0152<先させるような時に必ず始まる。組織を守るためには,より困難な障害者は切りすてられる。こうして障害の中に差別が生まれる。
 組織の持つこのような欠点を過度におそれて,新しい施設や組織づくりをするならば、それは、結局、古い組織、病院中心の体制にしがみつくという奇妙な結果に陥る。柔らかい組織を自分たちで作り動かしてゆくカこそが,硬い組織を生かし,生み出すもとにもなる。わが国で,硬軟両組繊のバランスをとることの重要性は,いくら強調しても過ぎることはない。
 近年,薬物療法と社会支持組織の拡大に生活療法が組み込まれることによって,社会復帰の間題が精神医療の前面に出てきた。英米の生活療法を social skills training(2,3,26)とよぶようである。ここでは職業過程への再編入が1つの重要な課題となる。それはもともと一般雇用者の就労の際の必要から生まれたものであるが,精神障害者,回復者にとっては,一般職業適性のサンプルテストに用いられているような個別的仕事能カよりも,総合的行動特性(ブランケンプルグ心は仕事構造をいう)が大きな意味を持ち,病前性格と後遺症状のからんだ行動特性を個々の環境条手のもとで判定して,仕事能力を評価することが要求される。実際それは難しいことで,現場に則した訓練 learning on the job によって評価されているのが実情であるが,社会心理学的,神経心理学的評価法の開発の待望される領域である。
 仕事(職業)は経済的報酬,社会的身分,仲間との共同を作り出すことによって,自立への最も大きな要件である。また仕事自体の価値は,労苦,搾取を強調する論者によって,時に忘れられる側面である,生活経験に学ぶという意昧でも,結果の成否を越えて,仕事は生活療法に不可欠な治療手段となる。その多様多彩の意昧はターケル56)の仕事のルポルタージュにも見られる。しかし筆者は30年前に,松沢病院で,ある患者に,「あなた方は仕事さえできれば患者がよくなったと思っているけど,そんなもんじゃないよ」と言われたことを覚えている。social skills 49)の評価は,必<0153<ずしも心理的評価とは並行しない。中井の言う「心のうぶ毛」を失って黙々と働く人を見ると,新海が「善男善女になってしまった」と嘆く気持も了解されないわけではない。だが一方,「先生が私の可能性をできるだけ伸ばそうとしておられることはわかりますよ。しかし安全率を見込んで下さらなければ困りますよ」と言った回復者もいる。治療者は,所詮,幸福の黄色い旗を患者に渡すことはできない。旗を掲げる機会を増やすように援助するだけである。
 仕事といえば,執着気質的職業倫理をもった職人かたぎはよく知られている。しかしこの型の人々の他にもう1つ別の誇り高き孤独の職人かたぎがある。私は彼らを自由職人とよぶ。彼らは対人関係に頓看せす,仕事のみに生き甲斐をかける人々である。当然,集団の中では少数派で,仕事の価値によってのみ組織に受け入れられている。障害者,回復者に対して,この型の親方,指導者はこわさと頼もしさを交えた親近感を与えるようである。自由とカのモデルであると同時に孤独な生き方のモデルとして魅力を持つのではなかろうか。生活療法にこのような人の存在は,数少ないだけに,貴重である。
 仕事を生活療法に取り入れる時には,個人的,集団的な作業療法がある。それも病院,デイケアなどでなされる単純なものから,共同作業所,職能訓練工場でなされる就労訓練まで広いスぺクトルがある。前章で述べた学習中心のやり方から,精神療法に近いものまでさまざまである。このように多機多段階のレパートリーを備えておくことが,作業能力に差があり,自立への程度に違いのある障害者にとって必要である。
 生活臨床にも,精神療法ともいえる湯浅流の個人面接室でのやり方から,地域での社会療法に近い菱山,中沢流のチーム的接近まである。この中間に入院デイケアに足場をもつ治療共同社会 therapeutic community 3,18,36,40)のやり方があった。湯浅と鈴木71)は異なる社会的基盤から生まれたこれら2つの方式を比較検討し,宮内33),安西・太田44)らは,デイケアの過程でこの2つを統合する方式を実践している。治療共同体の理念は,組織<0154<対個人の矛盾を治療的に活用しようとする野心的なものであるが,治療者の裁量と障害者の自己決定をきわどく便いわけるので,二重に偽瞞的であるという批判も生まれてくる。太田らは,時期と場面を別に設定することで,生活臨床と治療共同体方式を並立させようとした。
 生活臨床の技法も,対象とする患者によって,変更を求められている。生活療法に内在する「訓練対啓発」の矛盾的契機がここに表われてくる。当初,江熊らの原則とした「具体的に,断定的に,繰り返し,時期を逃さず指示し,余計なことを言わない」という方針41)は,宮内が「他者依存型」とよぶ分裂病患者群には有効であるが,「自己啓発型」とよぶ患者群にはかえって禁忌であることがわかってきた。後者には,自分で考え,巣団生活場面で試行錯誤し,適当な判断を発見するまで,治療者は待機し,判断の選択を系統的に支持する立場をとるという方針で臨むのが良いようである。

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精神医学, 26(8) ; 803-841. 1984.


D.生活臨床その後 224-229

 ※精神科治療学,5(10);1307-1311, 1990.
 ※以下の単行本に再録されたものには図表・文献はあげられていない

はじめに
 生活臨床という言葉は広く知られているが,その治療的な意昧についてはあまり理解されていないようである。これは昭和35年頃,群馬大学精神科で江熊を中心に生まれた言葉であるから,30年の歴史をもつ。発展の経過と現状を語ることによって大方の理解を得たいと考える。生活臨床同人のこれまでの主な論文は『分裂病の生活臨床』1978,『続編』1987(創造出)としてまとめられているので,参照に便利である。
 私見によれば。生活臨床は1つの治療法ではない。それは治療の総合の仕方の提唱であって,湯浅は,三つ輪のVenn図形の重なり合う領域によって説明している。彼は生活臨床を,生活療法の申し子,精神療法の隠し子,薬物療法の落とし子と呼んでいる。その際,治療の行なわれる場によっても,入院,外来,社会の三つ輪が重なり合っくている。それは生活の技能訓練に基礎を置くから生活療法の申し子であり,生活パターンの認知,理解を求めるから精神療法の隠し子であり,薬物療法の導入とともに生まれ,それによる症状改善にたよっているから落とし子なのである。生活臨床は群馬大学精神科の入院病棟から始まり,外来に広がって,地域活動と結合した。そしてこれら3つの治療と場面はいつも切り離すことはできないものと考えられている。この総合の仕方が生活臨床の第1の特色である。それは発展のなかで次第に固まってきたものである。

1.経過と現状
 昭和33年,1958年に始まった「分裂病再発予防5力年計画」から「予後改善計画」と改称して続けられた活動は,初めの10年間には,医療体制の<0224<整備とともに進行した。それは病棟の開放看護から外来強化,次いで地域での保健活動に広がっていった。またその後20年にわたる経緯は,時期と治療の場と治療者によって,目標,方針,治療関係についての重点の置き方が分化していった。生活臨床は治療の総合の仕方の1つであると述べたが,何を主にし何を従とするかは,対象となる患者や病気の時期,治療の行なわれる場によって違いが出て来るのは当然である。病気の治療か,障害の改善かと言えば,その両方を目指している。そこで生活臨床の主軸は何かという問題も治療者の適性,好みによって分かれてくるであろう。ただし患者の生活を主体的に社会的に支えていくという姿勢は,その名のごとく生活臨床の第2の特色として初めから維持されてきた。(表1. P.76参照)生活臨床は自分たちの足取りを自己点検しながら進んでいる。最初の再発予防5ヶ年計画の患者140人の2,5,10年後の転帰が,さらに近年,平均25年後の転帰が130人(93%)について明らかにされている。この対象となった患者たちは,入院の適応をもつ分裂病者を,できるだけ無選択に入院させて治療した,5年間の継続全退院者である。すべての症例は,臺が分裂病と診断したもので,その際の診断基準は狭く。現在のlCD-9の要件を満たしている。患者の8割は30歳以下の青年男女であり,発病後1年以内の新鮮例で,初回入院,入院期間6力月以内,そして退院時の転帰は治癒または軽快であった。
 長期転帰を調べるには3つのスケールが用いられた。社会生活尺度と症状尺度と経過変動尺度である。1984年の時点で,130人のうち,死亡者は25人(そのうち14人が自殺)である。社会生活尺度では,江熊のスケールによると,生存者105人のうち,47%が自立, 31%が入院である。症状尺度では, 31%が治癒,46%が軽快,23%が未治である。変動尺度では変動性は10年の間に減少して,低いレベルに安定する。宮ら(精神経誌. 86 ;736, 1984)およびOgawaら(Brit.J. Psychiat. 151 ; 758, 1987)の論文には98人の社会生活経過が, 1ヶ月ごとの評価で,図示されている。縦断的にみると初期に変動を繰り返していた症例はだんだんに減って,自立か入院<0225<の2方向に分かれていく。これを鋏状現象と呼ぶ。症状尺度にはこのような分離は見られない。(図11. p.99参照)
 正直に言って,再発予防はできなかった。10年経ったら自然に再発しにくくなったというのは皮肉である。しかしこれは統計上のことで,個人では20年経っても再発する人はいる。自立の率が半分というのは厳しい数である。しかし我々はここから再出発しなければならない。発病に続くその後の10年間は,再発予防と危機処理に重点があったが,つまり症状の治療に向けられていたが,10〜20年以後には,生活支持と再建に重点が置かれ障害の改善に携わるようになったと言える。もちろん前半にも,鋏状現象を自立に傾けるためには,生活の立て直し,リハビリテーションンが続けられるべきである。この成績を外国の文献に照らし合わせてみると,よく似ていることに驚かされる。
 上記の患者集団とは別に,湯浅が個人的に診た114人の患者の10年後の社会生活転帰を見ても同じような成績である(『精神分裂病の臨床』医学書院, 1978)。ここでは受動型と能動型の区別がしてある。臨床的にカを入れ,苦労も多かった能動型の成績が悪いことは意昧が深い。生活類型については後に述べるつもりであある。
 生活臨床にはそもそもの初めから再発予防派とリハビリ派の2つがあった。これはおおまかに精神療法派と生活療法派に対応していた。精神療法派は面接室での1対1の対応にカをそそぎ,生活療法派は社会内での適応行動の形成に関心が強かった。生活臨床には,生活類型と生活特徴という大事な観点があるが,この言葉が選ばれる前には,生活か行動かという激しい議論があった。結局生活という言葉が選ばれ,自分たちの仕事は生活概念に基づいているのだという自覚がこの議論の間から生まれた。
 生活類型とは,能動型か受動型かという区別であるが,これは広く言えば,脆弱性−ストレス−モデルのうち脆弱性の側の特性である。生活特徴は,のちに湯浅によって「色,金,名誉,身体」と名付けられたように,ストレスのありかたに個人的な価値意識の特徴があることを示している。<0226<脆弱性とストレスの絡み合いから,再発の契機が生じ,危機的状況がつくりだされるという理解は,再発予防にとって大切なポイントであった。生活臨床の初期に,生活特性と特徴の判別が強調されたのも当然なことであった。
 生活臨床は江熊や中沢らによって地域の保健婦の間に広がり,常識的で具体的なわかりふすさのために精神衛生活動の指針として広く迎えられた。ここでは『精神衛生をはじめる人のための100ヶ条』という中沢の本が教科書になった。保健所や精神衛生センターでのリハビリテーション活動にも取り入れられた。この本は今では改訂を要するところもあるが,なお貴重な意昧をもっている。この基盤のうえに, 1968年に,地域精神衛生学会も組織された。しかしその後,反精神医学,学内紛争に連動して,反技術主義,適応主義的−体制内イデオロギーに対する攻撃が起こったのは昭和4O年代後半である。生活療法批判の波は,一時生活臨床を閉塞させるほどであったが,その努力は各地で営々と続けられていた。江熊はそのなかで死んだ。前橋の拠点はカが減ったが,東大紛争のなかで,東京に新しい拠点ができた。昭和56年には,蜂矢が「精神障害論試論」によって障害概念を提唱し,昭和59年には,臺が「生活療法の復権」を発表して生活療法の再興を力付け,目標を生沽障害に向けた。生浩臨床のもとになった再発準備性については,「履歴現象と機能的分離」の理論的仮説ができている。

2.治療者列伝

 歴年体の歴史に続いて,これからは個性のある同人治療者の特色を列伝風に並べることにしたい。
 湯浅は生活臨床の精神療法的側面を代表する人である。彼は生活臨床から出て,土居の門をたたいた唯一の人であるが,精神療法にのめりこむことなく,生活療法の姿勢を保っている。彼には精神病理関係の論文が多い<0227<が,昭和58年に書かれた「私の分裂病者治療論と治癒の概念」という文章が一番理解を助けると思われる。精神療法的だというのは,彼が外来での1対1の治療に終始し,「お馴染み」関係という患者−治療者関係に立って生活相談を進めているからである。ここには彼の柔らかい姿勢,人柄が現われている。彼は長期予後について造詣が深いが,それは生活に,生涯に,ひいては生物学に関心をもっていることの現われであろう。近年,彼は長期在院者の障害との対応について治療を展開しようとしている。
 江熊と中沢は生活臨床を地域に根付かせたオルグ的活動家で,この2人の個性的な活動によって,初期の生活臨床のイメージが作られたといってよい。しかし江熊はもともと天性の精神療法家で言葉の技術家であり,それは「分裂病者に対する私の接しかた」という論文によく語られている。陽性症状への対応や危機の処理に当たっても,怒鳴る,茶化す,「敵」のべースに乗らない,といったどぎつい調子で書いてあるが,この機微は人を泣かせる。生活臨床の5原則と言われるもの,「具体的に,断定的に,燥り返し,時期を逃さず,余計なことを言わない」もこの論文に載ったスローガンである。彼にはカリスマ性があり,彼の面接の技術は教え子たちを魅了した。直弟子の中沢が新海の「賦活再燃と正気づけ療法」に関心をもち,新海の精神病理研究会が近頃,代々木病院で開かれていることは意昧の深いことである。江熊も「正気づけ」をやっていたのである。臺はそれを「賦活寛解」と呼んだ。中沢は,近頃,これまで軽んじられた院内での生活臨床を精神療法や集団療法に学ぶことによって高めようとしている。
 東大の宮内は,デイホスピタルでの集団療法に個人面接を並行させて,対人関係に起こる問題を個人面接の場で検討するというダブル療法を意図的に生活臨床に取り入れた。生活臨床と治療共同体の理念の統合がこのような場面で試みられた。「実行委員会方式」と呼ばれるものである。一般の精神病院の集団療法とは違って,東大病院の患者には,入院経験のない未熟青年や分裂性人格障害と診断されるような人が少なくない。宮内は,生活活臨床のいわゆる5原則はこのような人には適応でなく,むしろ自己決<0226<定を待って,自分の行動パターンの認識,自覚を促す方が効果的であると説いた。指導は訓練よりも内発的な動機づけを重視するのである。異常の治療よりも,人格の成熟を目指すと言っても良いかもしれない。彼はこれを「役割啓発的接近法」と呼んだ。
 臺と菱山は,診療所とリハビリ・センターの違いはあるものの,ともにリハビリテーションの世界で暮らしているので,障害の改善,生活技術の訓練的な努力に対する関心が大きい。症状面なら陰性症状に,障害面なら生活障害を重視するのは生活臨床のリハビリ的な受け取り方である。自分の行動パターンの認知を目指しながら,課題の段階的拡大,場面転換による役割稽古,社会的学習によって適応行動の一般化をはかるというのが治療の方式で,こうなると生活臨床は認知・行動療法として理解されていることになる。
 安西は,東大デイホスピタルで,ロールプレイによる生活技能訓練を,リバーマンによる social skills training ; SST に倣って取り入れて,実生活における自己主張と生活技能改善を図ろうとしている。「生活療法の復権」という論文で,臺も生活臨床を広い意昧の生活療法を社会のなかで実践するものであると述べている。
 伊勢田らは,生活特徴のなかで間題となる価値意識の認識を深めた。家族のなかには価値意識が世代を越えて持ち越され,あるいは転換される。手詰まりになっていた患者の生活課題の解決が,家族価値の理解のうえで,家族の関与によって成功することが示されたが。これは家族療法への1つの寄与である。彼らはこれを「家族史的家族療法」と呼んでいる。家族間題は,生活臨床のうえで,重要な課題であったが,高EE家族流の解析ができなかったのは,生活概念の吟味が不十分であったことに関係している。姿勢としての生活主題と個別の状況課題(指向課題)の弁別が必要なこともわかってきた。<0229<

3.自己批判の立場から

 生活臨床はこれまであまり他を顧みず己が道を歩んで来た。自ら実学と称して,理論よりも実践を尊んでいた。表に出て勝負しろというのは,独自性を主張する時期には必要であったかもしれないが,今となっては唯我独尊で蛸壷に入って出て来られないことになりかねない。輸入品の多い他の治療法に対して,国産品であるという誇りを示すためには,他の治療法の比較検討を怠るわけにはいかない。これまでは,湯浅と鈴木の「生活臨床と治療共同体」との比較,東大DHでの「実行委員会方式」,神田橋の「自閉療法」との比較が数賓少ない例外であった。ここ数年,新海の「添え木療法」同人との交流が始まったが,これは賦活再燃が両者に馴染みある現象だったからである。さちにそれに鈴木純一の集団療法のグループが合流して,「分裂病の精神療法を語る集い」ができ上がったのは心強いことである。
 生活臨床の依って立つ足場の1つはその生活概念である。これが生物的レベルから,社会的レべルを経て,心理的レベルまでを含む包括的な,あるいは曖昧な概念であることは,生活臨床の弱点であるとともに強みでもある。生活に基づくからこそ,薬物療法,生活療法,精神療法の統合を可能にするのである。しかし生活臨床の弱みは,集団生活,対人関係のダイナミックスを治療体系に取り込めなかったことにあり,また院内生活臨床が外来や地域のそれに比べて弱体であったことも,生活概念の曖昧さが関係している。
 生活臨床には,開放看護,短期入院をもって十分とする見切りの速さがあって,長期入院にはあまり関心を示さなかった。なるほど,長期入院生活は型にはまり単調で,これを「治療的に構造化」(中沢の言葉)するのは難しい。病院では,生活療法の名前にひきずられて,惰性的な集団作業療法にたよる傾向がなかったとは言えない。実際これまでに,院内生活臨床については,田島の論文しかない。それは院内再発には,負担荷重型と主題反応型があるというもので,対人関係を治療に組み込んだものではなか<0230<った。
 生活臨床は,治療者が勝手に作った型に,患者をはめようとする引き回しの技術だという批判が行なわれたことがあったが。これはいくつかの誤解に基づくもののようである。それは「患者を手のうちに入れる」というような群馬人特有の言葉使いの粗さ,第三者がマスとしての集団作業療法を生活臨床と取り違えたこと,保健婦諸姉の教条主義的な言動が一部の医者に対して引き起こした反作用などである。実際のところ,生活臨床は最も「手に入れにくい」能動型の患者に対する治療方針を主として述べたものであったし,マスでなくて個人指導に重点があったのであり,「色,金」のわかりやすさが保健婦をひきつけた理由は医師の高踏性の反動であったことを理解すべきであった。このために不毛の,そして有害な議論があったことは残念なことであった。
 能動型と受動型という生活類型は,治療の実際にだけでなく,長期予後にも重要な意昧を持っている。そしてこの類型は対人関係に深くかかわっている概念であった。しかし生活臨床同人はあまりそのことを意識せず,牧歌的な記述に満足していて,それを厳密に分析することも,操作的に規定しようともしなかった。見ていればわかるよというのでは,あまりにお粗末であった。今からでも遅くないから,生活類型のしっかりした概念規定をしなけれぱならない。湯浅も生活臨床の将来の間題の1つとして,受動型・能動型の早期診断を挙げている。それには病前性格との関連,刺激に対する反応型,ことに反応の転換性(易動性)が重要であろう。
 「色,金,名誉,身体」といわれる生活特徴についても吟味がなされていない。それぞれの特徴についての特異性が本当にあるのかといえば,私見ではあまりなさそうである。価値意識の重要性がわかっていればよい。生活臨床同人も,初期にはこの特徴の弁別に注意を払うが,やがてそれにこだわらなくなり,今でもそれを強調する保健婦などに会うと,懐かしさと励ましを覚えるようになる。そしてフロイトやアドラーの先見に敬意をったりする。生活特徴と生活史との関係はどうかも重要な問題である。<0231<一部に家族史的な背景のあることは伊勢田らが注意した。
 患者のもつ生活の弱み,繰り返される同じような生活行動パターンを自覚し,認知する過程には,訓練と啓発という矛盾した契機が含まれている。再発予防対策には,結局この矛盾を克服する手しかなさそうである。何度も自分でぶつかって経験しなければわからないし実行できないとトいう意昧では,訓練的な契機は常に必要である。一方,訓練づけられた行動モジュール(リバーマンの言葉)を現実社会で一般化するには,自発的認識という啓発的な契機が必要である。ライブ学習の必要な所以である。宮内が指摘するように,相手の患者に摘するように,相手の患者によって治療の使い分けは必要なようであるが,これは治療初期だけでなく,長い治療経過のなかでも時には切り替えが必要なようである。生活臨床の本質は,精神療法か生活療法か,認知・行動療法かというような議論は,治慶法かというような議論は,治療者の反省には必要であるが,治療の現場ではあまりこだわらないでよさそうである。
 生活臨床は治療の総合の仕方であるといえば,その理論的背景は何かが間われることになる。ことに一見異質的な薬物療法がどのようにして治療に組み込まれるかを間題にしなければならない。前に脆弱性とスストレスがそれぞれ生活類型と特徴に対応すると述べたが,これはあとからつけた理屈で,初めにはそんなことを考えて作り出した概念ではなかった。再発準備性を抑制しようという目標から何でもやれることをしようという自然体から生まれたのが生活臨床で,だからこそ「薬」も「生活の在り方」も「価値意識」も,3つの妥件として入ってきたのである。これをまとめたのが脆弱性−ストレス−モデルであり,「履歴現象と機能的分離」の理論であった。履歴現象の指摘では生活臨床の方針は無理だということになる。総論での矛盾を各論で克服しようというのが治療の精神である。だが3つの要件がもつ共通の目標とは何か。この問題については,筆者の覚書シリーズの終編で「三つの治療法」と題して取り上げることにしたい。

精神科治療学,5(10);1307-1311, 1990.

■言及

◆浅野 弘毅 20001010 『精神医療論争史――わが国における「社会復帰」論争批判』,批評社,メンタルヘルス・ライブラリー3,211p. ISBN:4-8265-0316-4 2100 批評社,メンタルヘルス・ライブラリー3,211p. ISBN:4-8265-0316-4 2100 [amazon][kinokuniya] ※ m. m01h1956. m01h1958.

「第10章 生活臨床その後

1 方向転換

 1984(昭和59)年に臺は「生活療法の復権」1)と題する論文を発表した。この論文が与えた衝撃は小さくなかった。
 第1は、1969(昭和44)年から東京大学精神科で展開されていた医局講座制解体−自主管理闘争 2)のいっぽうの当事者として、また日本精神神経学会では「人体実験」3.4)の実施者として、批判の矢面に立たされた当の人が、退官後雌伏10年目にふたたび筆をとったことへの衝撃であった。その不撓の精神によって、臺は復権を強く印象づけたのである。
 衝撃の第2は、論文の内容に関することがらである。臺は、論文の中で、生活臨床と生活療法の区別をあいまいにし、すべてを生活療法に溶融させてしまった。また、生活臨床に対する批判者の言説をつぎつぎ取り込み、違いを不鮮明にして、臺がいうところの生活療法に包摂しようとしたのである。あきらかな方向の転換であった。

2 「生活療法の復権」

 「生活療法は、その一部をなす作業療法を含めて、わが国の精神科医療 <0109<に古い伝統をもつ治療活動である。にもかかわらず、近年不当におとしめられた時期があった」との書き出しで臺の論文ははじまっている。

  「精神科医療体系の貧困から、生活療法や作業療法の名のもとに、多くの非医療的行為が行われたから、治療以前の問題までからんできた。そしてこの弊害を批判の出発点とした若い人達の中には、生活療法概念の否定こそ正しいと思い込んでしまった人びとがある」「生活療法批判には、価値の転換論と反体制運動が混同され、技術主義がおとしめられて精神主義が叫ばれ、漸進と急進という路線上の相違、手直し論と世直し論がからんでいた。そこでは原則論principleと優先性priorityと実行可能性feasibilityの区別も明らかでないままに、政治的、感情的、利害関係の対立の渦が建設的な論議を阻んでいた」

 と述べて、当時の生活療法批判をあらためて非難した。
 そして「10余年が空しく過ぎたという痛みが強い」という歴史認識を示して、ルサンチマンを吐露している。
 臺は、生活療法が批判を受けた烏山病院問題は、生活療法の本質に由来したものではなく、組織と個人の矛盾にすぎなかったので、技術的に処理可能だったとしている。しかし、この問題については、本書でさきにふれたように、決して技術的な問題に還元できない本質的な思想の相違が含まれていたのである。
 また「初期の生活臨床に、表現のうえで訓練面が強く表れていたことも否みがたい」「作業療法、生活療法は、働け働け、世渡りをうまくこなせと気合をかけすぎたきらいがある。そこに画一主義、生産第一主義、治療者の価値観の押しつけなどという批判の生まれてきた理由の一つがある」と批判の背景を分析しながら、続けて「だが生活療法にたずさわる者は、患者は押しつけられて動くものでなく、それには『きっかけ』が必要で、患者も治療者も自分で実際にたずさわってみて、『こつ』をつかむものであることを早くから知っていた」と言う。そのことと訓練を強く勧めて気<0110<合をかけることとの撞着については認識されていないかのようである。
 つぎに臺は、批判者たちの主張をとりあげている。たとえば小澤の論文 5)を引き合いに出して「批判者たちも現実路線に立ち戻れば、生活療法の実践にとりくまざるをえなくなった」証左であると述べている。これは小澤論文の誤読でなければ、意図的な歪曲である。
 小澤は論文のなかで「〈療法〉として〈生活〉が与えられるという構造を逆倒せしめよ、患者が自らの〈生活〉を奪還する闘いとわれわれがいかに共闘し得るのかという視点こそ、われわれの立場でなければならない」と記したうえで、「現実の精神科医療の構造、さらにはそれを生み出した社会構造・生活構造が根底的に変革されない限り、生活療法の普遍的のりこえは不可能である」と述べ、それに続けて「これは要するに、いかに生活療法を批判しつづけてきた私とて現実の場面では〈生活療法家〉として機能せざるを得ない状況にいるということである」と言っているのである。
 おそらく最後の文言を逆手にとって、臺は上のように引用したものと思われるが、小澤の論文には病院における彼の反生活療法的実践の具体例が提示されているのであって、趣旨がまったく違っている。
 臺は、中井 6.7)や神田橋 8)の論文についても「精神病理、精神療法の側かの発言は、一見、生活療法とは反するような形でそれとは言わずに、障害の受容をとりあげるようになった」と似たように牽強付会を行っている。
 結論として、臺は、作業療法は生活療法の一部であり、生活臨床は社会のなかでの生活療法であると述べるに至り、作業療法と生活臨床の独自性をあいまいにしてしまった。
 そして「生活療法は一方の極に、狭い意味での行動療法、神経症的性癖、行動異常などの変容に用いられる技法を持ち、他方の極に、障害克服のための啓発、自己発見などの精神療法と重なり合う幅広いスペクトルを持っている」とした。
 このようにありとあらゆるものを包含しているのが、生活療法であり、<0111<わが国の精神科医達は自分たちが実践していることが生活療法であることに気づいていないだけのことであると主張するのである。
 臺が主張する生活療法がそのようなものであれば、やはり「生活療法概念の否定こそ正しいと思い込んで」しまわないわけにはいかない。若者たちが治療以前の問題と生活療法とを混同していると批判した当の人が、作業療法も生活臨床も生活療法と混同しているのである。
 この論文で、臺は復権したが、生活療法は復権しなかった。

◆立岩 真也 2013 『造反有理――身体の現代・1:精神医療改革/批判』(仮),青土社 ※


UP:20130521 REV:20130525, 26
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