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『ルポ 美容整形――身体加工のテクノロジー』

山下 柚実 19911131 三一書房,239p.

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山下 柚実 19911131 『ルポ 美容整形――身体加工のテクノロジー』,三一書房, 239p. ISBN-10: 4380912353 ISBN-13: 978-4380912351 \1470 [amazon][kinokuniya] ※ b02

■内容(「BOOK」データベースより)
高度消費社会の究極の「差別化商品」。美容整形の実態をリポートする。

■著者紹介(「奥付」より)
山下柚実(やました・ゆみ)
1962年、東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。雑誌編集の仕事などを経て、現在はフリーライター。

■目次

 プロローグ 7

 1章・現場―手術室 11
赤い液体にまみれたオブジェ 11
若返り手術 15
掃除機と同じです 20
一重まぶたを二重に 26
あらゆるパーツが取り替え可能?
宙に浮いた無名の空間 29
手術はクレジットで 35
どう拒否していいかわからない 39

 2章・患者―漂う身体 45
美容整形は投資なんです 45
木工用ボンドで作った二重 51
女の子はぜったいきれいな方がいい 55
前の顔は忘れちゃった 57
妖怪の牡蠣みたいなお腹 60
ダイエットしたってウソつける 63
自己イメージを変えるシミュレーションマシン 68
外見と中身のアンバランスは不幸だ 72
美容整形医殺人事件 81
四年間に一一回もの手術 85

 3章・歴史―美容整形進化論 93
戦傷外科の発展 93
日本独自の整形技術 96
失敗に終わったノエル女史の手術 100
ニューヨークの顔面縫合手術 102
進駐軍的美人 106
敗戦直後の十仁病院 109
文化の日に生まれた混血児 114
梅澤文雄という人物 119
原爆乙女と形成外科の発展 120
アーデン山中美容院 123
醒めた目でアメリカを見る 128
謎の肉質注射 131
美人のプロポーション・チャート 135
スパイ大作戦は終わりました 143
平均値と美人は関係がある 146
企業化する美容外科 149

 4章・テクノロジー―シリコーンというハイテク素材 155
一山萬霊供養祭 155
シリコーンというハイテク素材 157
パイオニア・秋山太一郎 159
私の仕事は開眼供養 164
死に近づくロボット 167
シリコーン製のミイラ 170
出羽三山へ 174
黄土色の袈裟を纏った人 176
白装束と「NASA」 180

 5章・医者―美人製造ドクター 185
高須クリニック 185
美容整形は最高の娯楽 186
人工巨乳のサクセス・ストーリー 191
僕は美容外科の杉田玄白 194
ニューウェーブたちは暴走する 198
情報をたくさん流せる顔に 200
パブ記事の氾濫 203
患者の争奪戦が始まった 206
カリスマ医の話 211
カウンセリングはお経を聞く安心感で 215

 エピローグ 223
韓国での美容整形ブーム 223
海のむこうのリクルート整形 229
経済力と情報化の生み落としたもの 232
マイケル・ジャクソンと柴玲と美容整形 234

 あとがき 237

■引用

プロローグ
(pp9-10)
 化粧やエステティックと整形手術との間は、易々とは越えられない深い距離がある―そんな思いこみは、あっけなく崩れていった。人々は身体を装飾する行為と、加工する行為の溝を越え始めている。「親にもらった身体に傷をつけてはいけない」というタブーは急速に崩壊しつつある。物を買うことに飽きた私たちの関心は、肉体へ肉体へとむかっている。
 都会のビルの密林の中、美容外科はあちこちに点在していた。これまで存在すら気がつかなかったが、意識し始めるとこんなにも多いのか、と驚く。東京という大都会には、美容外科の約半数が集まっていると言われる。診療所が大都市に集中しやすいのには理由がある。隣近所に知れわたっている固有の「私」のままでは、突然の変身には都合が悪いのだ。住み着いた遠い町からわざわざ都会までやってきて、「私」が無数の人波に紛れ込み、「どこかの誰か」になった時はじめて安心して手術を受けられる。ゆえに美容外科のアンダーグラウンド的な色彩はなくならない。
 患者はものすごい勢いで増加しているのに、美容外科について一般に知られていることは、想像以上に少なかった。この情報化社会において、未踏の無人島を見つけたような驚きが、取材を進めていけばいくほど深まっていった。
 なぜ、身体を加工してまで変身を願うのか―人々をつき動かす、奇妙な衝動の内側に何があるのか―


1章・現場―手術室
(p20)
 戦後四十数年間、新しい製品を開発し、生産し、高機能化し、差別化し、イメージを商品化してきて、とうとう肉体の改造も商品化するに至った今日。数時間の手術で手にはいる、若さという新商品。
 ふと想像した。
 もし身近な人がしわとり手術をすると言ったら?
 例えば私の母親が。叔母が。恩師が。私は軽蔑するだろうか。いや、それともあなたの気持ちもわかる、と言うだろうか。あなたがよく考えて決めたのだから、何もいわない、気をつけてやってらっしゃい、と笑って家を送り出せるだろうか?
(p29)
 手術室の光の下でシリコーンがあざ笑いながら語りかけてくる。
 「俺だって簡単に人間の一部になれるんだぜ」と。
 「手だって、足だって、まちがって壊したら本物そっくりのものにつけかえればいい。人工臓器も研究中だ。肉体のあらゆるパーツが取り替え可能な時代がくる」
 そしたら私が私である決め手は?
 「オツムの中の記憶だけさ」
 「私」の染み着いた身体なんて、ないのだろうか。昆虫が脱皮するように、美しく、軽やかに、次々に変身していけばいい?
 でも「顔」はこの社会において、その人をその人だと判別する場なのだ。
 私たちが「美容整形」にとまどいや拒絶感を感じるのは、社会の約束事が勝手に乱されることをひそかに恐れているからかもしれない。
(p41)
 患者の要求に従って健康体にメスを入れる美容外科という医療は、難しい。手術は患者の思いこみと医者の判断のぎりぎりの接点で行われる。誰もが見ただけで納得するような客観的な判断基準はない。
(p42)
 京都で開業している黒田整形外科院長の黒田正名(六三)は、
 「美容外科は主観が軸になる医療だからこそ、インフォームド・コンセントが絶対必要なんです」と言う。
 「インフォームド・コンセント=説明に基づく同意」は、患者の主体性を尊重し、知る権利にもとづいて医者は正確で具体的な説明をし、患者が同意した上で治療をすべきである、という考え方だ。欧米ではすでに医者による詳しい承諾書が作成され、具体的に手術の方法や執刀医などをきちんと患者に伝える方策が義務づけられている。しかし日本では医者は往々にして「先生さま」であり、対等の立場で話をするなんて、とても、とてもと思っている人がほとんどだ。医者の方もしばしば、上から下を見おろすような口をきく。
 しかし美容外科は主観の医療だ。患者は具体的にどんな顔を求めているのか、それに対して医者はどんな手術をし、どんな結果を導けるのか、危険度はどれくらいなのか、といった綿密な話し合いがどうしたって必要になってくる。


2章・患者―漂う身体
(p49)
 アメリカの場合は、高すぎる鼻を削る、出っぱった腹を脂肪吸引でへこます、しわの寄った顔をフェイス・リフティングで若返らせる、というように、比較的「過剰なものを取り除く」方向の手術が多い。一方、日本では一重を二重にする、低い鼻を高くする、ペチャパイを膨らますなど、「不足分を人工物で補う」手術が主流だ。この、不足分を補う手術の方に強烈なタブーを感じるのはなぜなんだろう? 身体という「自然」の聖域を侵す罪悪感が、人工物を入れる行為につきまとうから? (身体を加工する意味では、アメリカも日本も変わりないのに。)最近、"お化粧感覚"で美容整形が消費される傾向と、しわとり手術や脂肪吸引の人気とは無関係ではないような気もする。急速に一般化するのは、タブー感覚の薄いところから、とは言えないだろうか?
(p59)
 誰か知人の顔を思い出してみて、気が付くことがある。他人の顔の細部というのは、意外に思い出せないのだ。人の顔って、なんとなく漠然と、全体のイメージでとらえている。でも自分の顔についてだけは、一つ一つの部位のわずかな形や高さなどに深くこだわっていく。
 とすれば、複合手術というのは微妙なニーズに答えているのかもしれない。整形したことは悟られたくない、でもコンプレックスの部分は消えてほしい。他人にはなんとなくきれいになったと思われる。繊細なニーズに答える匙加減は見事……
(pp66-67)
 メスが恐いかどうか、が手術を受けるかどうかを大きく左右する。道徳的なハードルは、意外に低い。……若い女のコの場合、それが現実らしい。歯列矯正やピアスやパーマなど身体の一部を変形したり加工するような変身は世の中に溢れている。なのにどうして美容整形はタブーなんだろう? 考えれば考えるほど、私の信じている価値観にもたいした根拠がないことに気がつかざるをえない。
 多くの医者を訪ね歩きながら、私はいつも心のどこかで恐がっていた。「あんたの顔はここをこうした方がいい」と、医者にチェックされたらどうしよう。手術をした方がいい、と言われたら?その種のことばが私に向かって飛んでくることに、ヒリヒリとした恐怖を抱いていた。どんなに頑張って無視し続けても、外見に関するコンプレックスというのは心の奥深いところに消せずにあった。
 ある医者は話の最中に突然、私の額をぐっと掴んで、「あんたは眉毛の部分をもう少し上にひっぱりあげると(?)明るい感じになる」と言った。その瞬間、全身にぞわっと鳥肌がたった。傍観者から当事者になるというのは、こういうことなのか。
 現在は技術も進歩して、「クラニオフェイシャル・サージェリー」―顔の骨を全部ばらばらにほぐして組立て直す技術さえあるのだから、眉毛の位置を変えるのなんかわけないのかもしれない。
 そこで自問してみる。あんたはなぜ、手術をしないの? そして自分のどこかに、かすかだけれど手術で変身してみてもいいな、という気持ちがあることを発見した。でも、結論は「人から軽蔑されるのが恐いし、メスも恐いからやらない」。理性的になって考えればどうしたってリスクの方が大きい→やらない、となる。裏返せば、手術のリスクが減り、周囲の人々が許容するようになったら、もし中国の纏足やミャンマーに現存する首長族のように、身体加工行為そのものがプラスの意味をはっきりと持ち始めたら、やらないとも限らない。その程度に、私のこだわりなんていいかげんなものだった。
(pp70-71)
 ブラウン管の魔術。画面に映ったのは自己イメージから解き放たれた、「新しい」自分なのだ。生まれてから今まで、テレビの情報をまるでシャワーのように浴びてきた私たちの世代は、生活や考え方を決める手がかりが、「むこう側」からやってくる。情報が発信される「むこう」の世界がなかったら、大きな支えを失ったように不安になる。手鏡は「むこう」ではなく、「私」と地続きのところにあるから、そこに映る像は私を説得してはくれない……
 それにしてもなぜ、こうも「切り張り遊び」に熱中するのか。
 手術前と後の写真に囲まれた時、私は一つのことに気がついた。丸味を帯びた輪郭、団子鼻、眠そうな目から、はっきりした輪郭、とがった鼻、ぱっちりした目へ。多くの変身が、「ぼんやり」→「シャープ」という一様な方向性を持っていた。それはまさに、「今の生活」から「もう一つの新しい現実」への共通の方向性だった。
 今の生活はひらべったくて、背中がぞくっとする興奮が持続しない。何をやっても「自己を確認」したり「熱くなる」ような鋭い実感がない。私たちはいつも、「仮の場所」にいるようなもやもやした浮遊感覚に包まれ、燃えつきるような新しい現実を生きたい、というくすぶりを抱え込んでいる。
 「転職」や「結婚」や「変身」がもやもやを解決してくれる、というすごく似通った脱出願望がある。
 それに、物を買うことに飽きた人々にとって、美容外科の手術は、ハイになれる最高のイベントなのかもしれない。肉体を切り、縫い、吸い出し、加工すること自体が「私だけ」という究極の差別化を実現してくれるから。
 一見ネガティブなリスクもすべて、鋭い刺激となってイベントを盛り上げる小道具なのだ。ツンと鼻をつく消毒薬の匂い。麻酔注射の強烈な痛み。金属製の手術器具がぶつかりあうカチャ、カチャという音。使用済みの針をはずして銀の皿に投げ込むとき。ゾッとする冷たい響き。
 もう切開するんだろうか。麻酔がきいてきて、触覚がない。この先生、体調悪かったりして。まさか、失敗なんてありえないよね。でももし……うまくいかなかったら……? アレレ、なんだか皮膚がつっぱっている。何しているんだろう? お願いだから、早く終わって。じっとがまんするだけ。ムフフ、休みあけにはこっそりきれいになってるんだ。ドクッドクッって体中を血が走り回っているのがわかる。それにしても、どうして手術なんてしているのか、自分で自分が不思議。
 ちょっと後悔に似た苦い思いと、きれいになるんだ、というウキウキ気分の交錯……。
 そして手術後もイベントは続く。どこか美しくなった「私」は、みんなに注目される。静かに、あるいは大げさに。「新しい私」はこのぱっとしない今を、もっとクリアーでハイなものにしてくれる……。
(p77)
 ふと、思い当たることがあった。中学生のころ鏡をのぞきながら、親に似ている部分をどうにかしたい、と強く感じたことがあった。親子の血の紐というのは、目や鼻や輪郭の形にはっきりと刻印されているものだ。親に反発すればするほど、自分の顔の中にずうずうしく場所を占めている、親とそっくりな「パーツ」がいまわしい。そのうち子は口論や家出という手段で、親との血の絆を荒々しく切り、飛び出していく。生まれ落ちてから自分の回りに自然にあったものをけちらした時もう一度、「私ってなに?」と自問し、自分の存在の根拠を探し、ひとりぼっちになっても生き続けることの理由を見つける。でも今、手術で簡単に、親子の刻印を消しさることができるとするなら? どんなに楽にひとりぼっちになれるだろう。めんどうくさい血の関わりを、親の心も自分の心も傷つけることなく密かに捨て、家族という共同体からスタコラサッサと逃げられたら……。現代の美容外科手術は、血縁や係累をひょいと捨てたい、という若い世代の欲望にもマッチしているのかもしれない。
(p82)
 日本では美容外科のトラブルケースは表に出にくい。まだまだ手術を隠したいという心理が働いて、失敗しても泣き寝入りしてしまう人がほとんどだからだ。しかし水面下で尋常でない数の「怨念」が逆巻いている。
(p90)
 私は久子の話を聞き、美容外科という医療の特殊性を思い知らされた。健康体にメスを入れるということは、客観的には見えない「疾患」を自分かまたは医者が作り出すということだ。「この点が醜い」と判定したとき、「醜さ」は初めて顕在化し存在することになる。
 そしてメスを入れた時から、医者と患者の深い関係が始まる。手術が一度で成功すればいい。失敗した場合、修正手術は非常にむずかしく、かといって中途半端にあちこちの病院を渡り歩いても、いい結果は生まれない。めんどうな修正手術をいやがる医者も多い。
 人間の体に傷を作るのである。腫れがひいて傷口がきれいになるまでに、時間がかかるのは当たり前だ。しかし手術が失敗したと思ったとたん、患者は気が動転し、次々に新しい医者の元へ泣きついてはてはノイローゼになり、社会的な生活から完全にドロップアウトしてしまう。これは医者と患者の間にしっかりしたコミュニケーションと信頼関係が無い場合、多く見られるケースだ。


3章・歴史―美容整形進化論
(p94)
 「形成外科」とは、怪我の痕やミツクチの修正、アザの治療などマイナスの状態をプラス・マイナス・ゼロに近づける再建外科のことである。一方の「美容外科」は、形成外科の延長線上に位置づけられ、機能的には問題ないが、形が不満足なことによる患者の精神的苦痛を取り除くための外科だ。つまりプラス・マイナス・ゼロから(主観的には)プラスの方向へと向かう技術だと言える。
(p95)
 「近代的な自我」の確立とともに、自分と他人との関係も強く意識されるようになっていく。
 「見る―見られる」関係の緊張と快楽というものが、急速に成熟していく。自分の嗜好にあった他人を見る快感と他者に好まれる形に変身する快楽が花開く。セクシーな下着やハイヒールなどの装置が部分を隠して部分を強調し、インスピレーションをかきたて始める。「女らしさ」、「男らしさ」という外からの視線の呪縛が、強化されていく。
(pp111-112)
 三好春子は当時を「とまどいの時代」と言った。大きな目標を失って、どうしたらいいか、見当もつかない時代だったと。」
 「日本人は戦争が終わるまで、町中で外人なんか見たことはなかったんですよ。敗戦になったとたん、外へ出ればいきなり青くてくりっとした目、すらりとした鼻。白いのが、ポイポイ歩いでいるでしょ。日本人以外なら誰だろうとキレイに見えたのよ。全国各地から、外人みたいにまつげをくりっとさせてくれ、二重にしてくれ、鼻を高くしてくれって、たくさんやってくるようになって」
 私も古新聞をひっくり返している時、「アメリカ美容外科」という診療所の広告を見つけた。そのネーミングにアメリカの影響からはとても逃れられない、それならばいっそのこと開き直ってしまえ、といういさぎよさというか、居直りのようなものを感じた。
 敗戦後の最初の流行は、「パンパン・ルック」だ。(略)
 春子の場合、「美容整形」を主とする十仁病院に勤めたのは、「やむなく」の部分が多かった。「看護婦は当時、四〇人くらいいたかな。そのうち整形手術を受けていたのは一人だったかしら。面接の時に美人を選んで採るの。または美容的に何か取り柄のある人をね。私は美人ってわけじゃないけど、肌はきれいだったしね。看護婦たちはどこかで患者をさげすんでいたと思いますよ、『私はそんなことやらないわよ』って。といいながら、働く場所がない、家族を抱えている、なるたけお給料の高い所がいい、仕方なしに十仁へ、というケースが多かったように思います。私の場合も夫の体が弱くて私が働かなければどうしようもなかったし、人が次々死んでいくような光景は戦争でもうこりごりだったし。美容整形で人は死にませんからね。かと言って、悩みがなかったわけじゃありません。意識的に、整形手術は精神的なコンプレックスを取り除く意義がある、少しは良いことをしているんだ……そんな風に思い込まなければ続きませんでした」
(pp136-138)
 戦前は整容外科とか整鼻美貌術とか美眼術とかのさまざまな呼び名があった。今、一般に流布している「美容整形」は戦後マスコミによって作られた造語だ。この語にいかがわしさがつきまとうのも、このころ頻発し始めたトラブルが原因である。
 一連の問題が顕在化してくると、まじめな医者も金儲けだけが目的の医者もいっしょくたにして美容外科に対する不信感が広まった。そんな「いかがわしい医療」には、「良識のある人は近づかない」というコンセンサスができていく。長い暗黒時代、周囲からの風当たりの強さにもめげず、この道を進んできた医者たちのエネルギーはどこから生まれたのだろう?
 「患者さんですよ」と古川正重は言った。
 「とにかくわれわれを求めている患者さんがいる。形成外科である程度治療してもうこれ以上できない、と言われてしまったり、顔のコンプレックスでうまく社会に入って行けない人たちを、ほっとけない」
 古川は形成外科の延長線上にある美容外科を、「適応医学」と言った。怪我などを治療した後に、傷跡をさらにきれいにしたいというのは人間の適応本能であり、美容外科というのはコンプレックスを持って適応に支障をきたした人を救済する手段だ、と。
 「社会性というのも機能のひとつですから、手術でよくなるのなら、なおしてあげた方がいい。それが美容外科手術の意義なんです。ただその時に大切なのは、客観的な基準ですね。手当たり次第に手術するんじゃ、ただの金儲けになってしまう」
 美の基準。美容外科が医療として学問として、科学性、客観性を獲得するためには、どうしても必要になってくるものだ。
 古川は一〇年かけて作ったという独自のプロポーション・チャートを見せながら、作図の過程での不思議な発見について話してくれた。
 「まず解剖学の論文を徹底的にあたって、日本人女性の顔の形態を計測した数値を集めた。それをコンピューターに入力し、平均値に基づく顔の正面図を作ってみたんです。目の下から鼻の付け根までの距離が四センチ、鼻の付け根から唇までが二・五センチという数字が出てきました。この四対二・五という対比は黄金比率に近似しているじゃありませんか。驚きましたねえ。その上、鼻の角度の平均は三二度、目の下から鼻の付け根までが今いったように四センチですから、三二度の角を持つ長辺四センチの三角形というのが、これも黄金矩形なんですよ。つまり、日本人女性の顔の平均像を作ったところ、偶然なのか必然なのか、黄金比率にかなう美が出現したということなんです。日本人の中に、世界に通用する美の比率を見いだしたんです」
(pp143-144)
 派手な広告をし、マスコミに積極的に登場している数人の「メジャー」な医者の口からは一様に、「もう整形美人なんて作りませんよ」というセリフが飛び出した。
 「いまはナチュラル整形が主流なんです」、「スパイ大作戦は終わりました」、「一番大切なのはやりすぎないこと」、「微調整によって、顔全体を生かすわけです」、「土台が日本人なのに、欧米のパーツを持ってきてもしょうがないでしょう」……
 GHQ時代にアメリカから教わった数々の技術は、現代の日本の技術の基礎となった。アメリカ文化への憧れは、豊かな生活の希求となり、高度経済成長の原動力になった。一九六〇年代も半ばを過ぎるころ、日本の経常収支は黒字傾向に転ずる。それまでの日本はたくさんの資材や工業品を輸入しなければならなかった。その上、海外に売れるのは繊維製品や軽工業品にとどまっていたから、経常収支は赤字だった。ところが六〇年代、日本製品はその性能のよさを認められどんどん外へ出ていき、経常収支もそれを反映して黒字に逆転する。さらにエレクトロニクスをはじめとする日本の産業は、二度のオイルショックを省力化と高品質化によってのりきり、敗戦直後には誰も想像できなかった豊かさを実現した。いまやアメリカへの憧れから脱却したことを見せつけるかのように、海外の企業や不動産を次々に買収する日本人。その過程で、日本人の主体性も一見確立したかのように見える。高い鼻、ぱっちりした二重への憧れは、いつからか、「日本人らしい自然な美」の追求にとって代わられた。
(p147)
 趙によれば、一九五〇年代以前、美人の顔型は韓国人の平均型に近い割合だったという。なじみのあるものを自然に好んだ期間だ。しかし朝鮮戦争後のアメリカ軍の進駐で、一気に西洋の影響が強まった。一対一・五というビーナス型の比率の顔が好まれ、美人のタイプが韓国人の平均値から大きく離れた時期だ。そしてその後、再び韓国が自信を回復するに従って、縦横の比率は縮まり美人は平均型へ戻っていったと考えられる。
(p148)
 アメリカ人のイメージに自分を重ねたい、という心理は、日本人にも韓国人にも共通の思いだった。
(pp149-150)
 形成外科が正式な標榜科目となったのは一九七五年、美容外科は一九七八年。つい十数年前のことだ。
 美容外科は技術の進展と、人々の欲望の両輪に支えられてきた。どちらの要素が欠けても、現在の趨勢はないだろう。しかし、「日本美容外科学会」という同一名称を掲げてまっぷたつに割れている二つの学会を見ると、どちらかの車輪に肩入れしすぎていて、二つは混じり合えないままのような気がする。
 そもそも日本の医療制度というのは、医師の免許さえ持っていたら、自由に診療科目を選択できるようになっている。学会というのは学術交流の場、医者同士が情報を交換したり勉強しあう場で、学会に入らず専門医の資格も取らずに診療活動をしても、なんらさしさわりはない。むしろ、競争を排除するため、看板などに「専門医」と書いてはいけないという広告規制があるほどだ。
 各学会ごとに認定基準がばらばらで、しかも美容外科のように同じ名前で二つの学会が存在するとなれば、患者にとって「専門医」の価値もよくわからない。厚生省では現在、診療科目の見直し、専門医・認定医制度の検討を行っている最中だという。
 そして最近は、どちらの美容外科学会にも属さない一匹狼も増えている。
(pp150-151)
 美容外科が客観性を獲得しにくいのは、患者がネガティブな精神状態とは限らないからだ。ややきれいな人がさらにきれいになりたい、という欲望を持って手術を希望する場合がある。「心の悩みを取り除く」ことを自分の仕事だと考えている美容外科の医者でも、より美しくなりたい患者は拒絶します、と言えるだろうか。そういう手術を拒絶していたら、開業医として食べていけないという悩みを抱えているはずだ。
 医学である一方で、純粋客観的な立場に徹しきれない美容外科は、欲望の花開く舞台になりがちだ。形にならない欲望を医師が刺激して外側へひっぱり出し、必要でない手術を勧めるケースも多いという。ある医者はこう囁いた。
 「美容外科は人口一〇万人に一軒あればいい。全国で一二〇人いれば足りるわけ。まあ、ローテーションを考えても、三倍の三六〇人で十分。それ以上いても、余ってしまうはず」
 余ったら何をするか? ニーズを掘り起こす方向へ行かざるを得ない。


4章・テクノロジー―シリコーンというハイテク素材
(p157)
 美容外科の取材を始めて患者や医師に取材を重ねていくうち、私はだんだんと気持ちが沈んでいくのを感じていた。
 「すっきりした鼻筋」、「ぱっちりした瞳」、「女らしいふくよかな胸」……あいまいな美人像を追いかけ、大枚払って身体を加工する行為は、うつろう自分にうつろうイメージを刻印するような、どこにも拠り所のない二重の「虚」の行為……。
 もっとかちりとした、硬質な「モノ」に出会いたい。そんな反動に襲われた。はっきり手にとれ、調べるほどに存在の成り立ちが解明されていくような客観的な対象に……。そして私は「シリコーン」の取材を始める。
(p163)
 「シリコーンを医学に応用したのは世界でも私が最初です」
 と、秋山はここは敢えて明確な口調で言う。パイオニアの自負だ。「医用高分子」という言葉も秋山が作りだしたという。
 一九五四年〈昭和二九年〉、秋山はシリコーンにMMA(メチルメタアクリレート)という物質を二〇%まぜることで、一八倍の伸び率を持つ理想的なシリコーン素材を作りあげた。正式には「ジメチルポリシロキサン」という舌をかみそうな名称。それから再び動物実験など体内に埋め込んで安全性を確認するのに多くの時間をさき、昭和三〇年代半ばごろ、やっと実用化にこぎつける。
(p182)
 私はふと「恍惚工学」という言葉を思いだした。人間とテクノロジーの接点に何があるのか、という秋山の問い。
 ハイテクの物体に魂を吹き込み言葉を投げかける行為は、進みすぎたテクノロジーを人間の方へふり向かせようという、壮大な試みなのだ。


5章・医者―美人製造ドクター
(p189)
 開業した一九七五年〈昭和五〇年〉当時、高須クリニックを訪れる患者はホステス、ゲイバーの従業員などが多かった。しかし現在は主婦、OL、学生が中心という。また、親が子に手術を進めるパターンも増えてきているらしい。
 「いま親の世代というのは、二〇代の時に猛反対されながら手術を受けた第一世代なんですよ。その人たちの娘がちょうど二〇代にさしかかってきているわけね」
 自分の改造を楽しんだ第一世代が第二世代にその経験を伝授する。美容外科手術も再生産の時期、というのだ。
(p190)
 誰でもカネさえあれば優越感を手にいれられる社会の方が、出自ですべてを決定される封建社会よりずっといい、と高須はいいたかったのだろう。かつての身分差の溝に比べれば、今の日本はたしかに「平等」に近づいた。株で一発当てるなり、土地を転がすなりすれば、誰でも小金持ちになれる。似たり寄ったりの人間同士の僅差で成り立つ消費社会の中で、あの人より私はこの点で勝っている、あの人の持っていないものを持っている、という差異を追い求める。美容整形はその極限にある。
 「平等」と言えば、こんな話がある。中国の訪日視察団が日本の美容整形技術を見た時のこと。
 「彼らは感嘆の声をあげつつ、社会主義と美容整形について概略、次のような理論を展開した。
 『これはたいへんいいことである。女性が美しくなりたいのは天性であり、われわれも美しい女性と親しくしたいのである。革命の目的は人間の幸福であり、社会主義の理念は"平等"である。"平等"は権利の平等だけではいけない。美醜の不公平をなくし、みんなが美しくなるのは、革命中国の理念に合致する。これは医者の仕事だが、人間を平等にする点からいえば、われわれ政治家がやらねばならない仕事である』」(『週刊朝日』一九八〇・二・一)
 社会主義国家が美容整形を肯定し、封建主義国家は否定する。みんなが手術して美貌を手に入れた社会が幸福なのかどうかは謎だが。そもそも全員が美人になったら、美人になんの価値もなくなる?
(p191)
 昭和医大で整形外科を勉強していた高須は大学院生の時、ドイツのキール大学へ交換留学生として派遣された。もちろん整形外科の勉強が目的だったが、たまたまユダヤ人の鼻をゲルマン人の形に直す(削る)手術を見てすごく興味を抱いたという。
 「ワスプになりたい、ユダヤっぽいところを直せば差別されなくなる。そういう願望を満たす手術を見ておもしろい、と思ってね、むこうでトレーニングなんか受けて、帰ってきてから、芸能人が手術を希望してきたんでやってあげたら評判になって」
(pp199-200)
 なぜ美容外科がそんなに儲かるのか。現行の医療法では、健康保険の適応は「一般に医師又は歯科医師として診療の必要があると認められる疾病又は負傷に対して」とされ、「単なる美容上の目的をもって行う痕除去手術、単なる健康診断、発育不全で特別症状のない場合の治療手術等」は除外されている。そのため手術代金は各クリニックが自由に決める。
 大手美容外科御三家の手術料金(九〇年六月)。《高須クリニック》二重まぶた(埋没)一七万円、隆鼻術三五万円、脂肪吸引(腹)六〇万円、頬しわとり一〇〇万円、豊胸術一〇〇万円。《品川美容外科》二重まぶた(埋没)一五万円、隆鼻術二三万円、脂肪吸引(腹)四〇万円、豊胸術六〇万円。《十仁病院》二重まぶた(埋没)一七万円、隆鼻術二三万円、脂肪吸引(腹)五〇万円〜、頬しわとり六二万円、豊胸術六〇万円。複合手術をすれば、五〇万や一〇〇万は即飛ぶだろう。しかし価格を安くすると、技術が良くないのではと勘ぐる患者もいるという。
 高須クリニックでもし年間一〇万件の手術をするとしたら、ホウケイなど一〇万円前後の安い手術も含めて平均一件二〇万円として計算してみても、年間約二〇〇億円の売上となる。美容外科は儲かる、と言われるのも、なるほどうなずける。
(pp200-201)
 病気やけがを治療するための治療医学から、健康な人がより幸福になるための幸福医学が求められる時代、本当の意味で美容外科の時代が到来した、と言って梅澤はニヤリと笑った。しかし、幸福医学というのは客観的な基準がない。人は誘われるまま、どこまで何が必要なのかわからずに、「健康」「幸せ」「美」「若さ」に大枚はたいてしまう。「健康」や「美」のイメージは、一見して否定される要素がないからでもある。苦労して手にいれた後、その「健康体」で何をするつもりなのか目的もないまま、「健康」のイメージを買いあさる。
(p204)
 特に春休み、夏休みなどが近づく頃、美容外科が積極的に記事じたての広告を出しているのが目につく。この費用がばかにならない。女性むけ月刊誌の場合、広告料金の相場はカラー四色の見開き二ページで三〇〇万円〜四〇〇万円といったところ。複数の雑誌に毎号のように掲載するとすれば、莫大な金がかかることは容易に想像がつく。
 現行の医療法六九条では、医業の広告について厳しい制限を設けているが、厚生省では現在、医療法の見直し作業も進行中だ。患者にもっとたくさんの情報を流すべき、という方針のもとに規制はやや緩くなる方向だという。もちろん、医療に関して営利目的のPRは認められない、という基本ラインは変わらないはずだが。
 雑誌の記事風広告はこの網の目をくぐるようにして作られている。医者の経歴にしても、手術内容にしても、あくまで記者が取材して書いただけ、という形式をとることで、広告規制など軽々と飛び越えようというわけだ。
 実際には美容外科側が広告代理店に莫大な金を払い、広告代理店は出版社の編集と相談しつつ記事づくりを進めている。私は雑誌編集に携わる人たちからも、そのプロセスを具体的に聞いていた。
(pp205-206)
 タイアップ記事である以上、取材と言っても良いことしか載らない。読者はその構造を知るよしもなく、他の取材記事と同じ次元でそれを読み、雑誌に載っているなら安心だ、と思って手術を受ける。これは記事を載せる出版社側にも問題がある。客観的に見せかけた、恣意的な記事―ある意味で、共同詐欺行為ではないか。
 今、巷に氾濫している女性誌の変身写真付き美容外科記事の大半が、パブリシティ記事だと思われる。ためしにペラペラとめくってみれば、わかる。手術の安全性に疑問をさしはさんだり、対立する立場の意見がフォローされている部分がほとんどないことに気がつくだろう。きれいになりました、毎日が楽しくてしょうがありません、こんなことならもっと早く受ければよかった
……そして、記事の結論はいつもこうだ。
 「今、手術はこんなに簡単になりました。さあ、あなたも受けてみませんか?」
(p206)
 さらに十数人の開業医や大学病院の医者たちに話を聞いていくうち、現在の美容外科の患者動向が、完全な二重構造を形成していることを知った。まず、患者は派手な広告をしている所に集まっていく。広告の派手さと患者の数はほぼ比例する、と何人もの医者が口を揃える。手術を受け、結果に満足した患者は問題ないが、不満を持つ患者は修正手術を受けようとする。しかし一度手術をした患者はいっさい受け付けないクリニックもあるし、手術は失敗していない、とつっぱねる医者も多い。行き場を失った患者は一人悩む。そして今度は手当たり次第、目につく美容外科を次々に訪れる。あるいは、真剣に話を聞いてくれる医者を口コミで見つけ、相談に行く。最近の傾向として、広告を派手にせず地道にやっている医師の元へ、修正手術の患者が集まるケースが目立っているという。
(p208)
 最近ある新しい美容外科が、派手に脂肪吸引を宣伝している記事が目につく。以前から広告記事を熱心に出している、古参のある美容外科の事務局長は、危惧して言った。
 「困るんだよねえ、いかにも広告ですよと言わんばかりの下手くそなやり方は。昭和四〇年の後半に一回厳しい取締があってから、その後二〇年以上うまくやってきたのに。若い医者が独立して勝手に派手なことをやられるとチェックが入って、こっちまでとばっちりを食っちゃうんだ」
(pp210-211)
 また、広告にはキャッチフレーズ、話題作りが必要だ。例えば最近男性がおしゃれになってきて化粧品だけではあきたらず、美容外科手術を受ける者も増えているとか、就職活動の際、面接でいい印象を与えんがために美容外科手術を受ける男女が増えている―「リクルート整形」など。だが、私は古い新聞記事を調べているうちに興味深い切りぬきを目にした。
 一九六七年五月三一日朝日新聞。
 「男性のおしゃれは服装や髪の毛の形だけではあきたらず、美容整形にまで進んできたようだ。東京で美容整形を専門にしている医師たちに聞くと、手術希望者一〇人のうち平均三人は男性という。"こんな鼻にしてほしい"と持ち込んでくるスターの写真は一、渡哲也二、加山雄三三、石原裕次郎」
 スターの名前を吉田栄作とか織田裕二とか本木雅弘などに入れ換えれば、あとはそっくり今の記事にしてもいいような内容なのだ。これは二四年も前の記事である。需要はマスコミによって創出されるのだ。
 平賀は、しばらく前、突如マスコミに登場した「リクルート整形」ということばも、PRのためある医者がやった作為的な仕込みだったと言う。
 「客集めのキャッチフレーズですよ。トピックを周到に仕込んで流す。アイドルタレントを売り出すのと同じで効果的な媒体に何度も載せて、自然に人々の口に上るようにする。販売促進計画なんですよ。医療を一般の企業と同じに考えて営業している医者がいるということです。それを新聞なんかまで報道するから困るんだ。真相を言えば、あれは現象のこじつけだと思います。春休みというのは卒業したり、クラスがえがあったりして、もっとも手術を受けやすい時期。何年も悩んできた患者さんが、そういう機会にやっと実行に移すわけです。私のところに来る人は就職に有利なようにという人は少ない。マスコミの中で気軽に手術を受けるというイメージが先走っているのではないでしょうか」
 実体よりも先に、イメージがある。言葉がある。いかに変身の欲望を揺り起こし、正当化するキャッチフレーズを見つけるかが勝負なのだ。
(pp211-212)
 広告を駆使し、イメージ戦略で手術を売り込むのも一つのやり方だが、「美」という主観的なものをめぐる悩みに糸口をつけるこの分野には、「独自の美学・哲学」を強烈な武器にしている医者が絶対にいるはずだった。
 その医者の名前は森川昭彦。(略)「持論は内面美学と外面美学の両論が合致して真の美しさが得られるものとして、特に外科手術前の人間的内面の高揚につとめている」。『銀座整形外科』(銀座美容外科医院の旧名)を一九六一年に開業している。
(p221)
 森川は、美容整形で外側を美しく改造し、長時間の講義で内面を美しくしよう、と提唱していたのだ。
 片や徹底的にシステマティックな形でチェーン展開し、パーツ交換のように整形美人を大量生産しているのに対して、森川は職人気質というのか、自分の思想に沿った完ぺきな改造美人だけを頑なに造りだそうとしているかのようだ。たしかに患者側にも、廉価で均質なパーツを即時手にいれたいという人と、「美しくなる」物語にどっぷりと浸りたい、という両方のニーズがある。
(pp221-222)
 私の正面の壁には「女性の俗的美醜の概念」という図が貼ってある。これがまた、すごい。
 縦軸の上は進化、下は原始、横軸の左は男性的、右は女性的とあり、右上(座標軸からすると進化的で女性的という一番いい評価)から、左下(原始的で男性的という最低の評価)へむかって、斜めに単語が並んでいる。
 佳人、麗人、美人、シャン、並上、並並、並下、ブス、怪奇、醜悪、嘔吐、失神。
 なんとすさまじい。性の商品化反対、ミス・コン反対と叫んでいる人が見たら、頭のてっぺんから湯気をたてて図を引きちぎるかもしれない。ここまではっきり美醜をことばで区分けする森川は、やっぱりある種、カリスマだと思う。その力がなければ、こんな図を作って相手を説得できない。
 「美」というものが虚構ならば、「美」の基準を作るには、その人間のキャラクター、人格の魅力というものが強いインパクトを持たなければならない。患者は揺るぎない言葉で、「美の誕生物語」を信じ込ませてもらいたい。
 美容整形は「私」の上に「新しい物語」を塗り込める試みである。森川は自らの強烈な「物語」を、集まってきた人々の顔に移植する力を持っているらしい。


エピローグ
(p224)
 「韓国でも美容整形が流行っているらしいよ」という話を耳にした。
 「美容整形は国民一人あたりのGNPが五〇〇〇ドルを越えるあたりから急増するようです」と、ある医者は言った。そう、韓国のGNPが五〇〇〇ドルを突破したのはソウル・オリンピックの二年後、一九九〇年のことだ。
(p229)
 韓国では七〇年代の後半に医科大学が増え、一〇年間で医師数も約一・七倍になった。その中でも成形外科医の増加は著しい。七五年のたった一五人が、九〇年には三一〇人。一五年間に実に二〇倍になっている。さらに統計の外で非専門医も増えている。
(p233)
 ソウル・オリンピックを契機に、消費が過熱した。街が変わり、流行が変わり、数々のタブーが薄れていった。過剰な消費ブームを「シャンパンの栓を早く抜きすぎた」と言う人もいた。一〇年前は美容整形はおろか、女がタバコを吸うことさえタブーだった社会が。
 「日本で世代差と言えば親子の間だけど、韓国では兄弟の間」と、彼女は変化の速さを表現した。しかし、金で手に入る表層の変化は進んでも、根っこの古い考えはちっとも変わっていない。経済成長と高度情報化が一緒にやってきてしまった韓国は今、新たな「ねじれ」の痛みを引き受けているのかもしれない。
 今も女が三〇歳過ぎて結婚しないと周囲から白い目で見られ、結婚の時には処女性が重んじられたり、離婚したら再婚がとても難しかったり。
(p234)
 日本の美容整形が、高度消費社会の究極の「差別化商品」ならば、韓国の美容整形は、急激な経済成長と情報化が一緒になって産み落とした「女の処世術」だ。二つは似ているようでいて、微妙に違う。
 日本の場合、手術の多くが自らの心の中の問題(他人の視線よりも自分で自分の顔が嫌だと思いこんでいる)なのに対して、韓国では対他人(男の目を意識し、男から好かれる顔にしたい)の問題である。内側からの視線が常に自分をチェックするケースの方が、外側からチェックされるケースよりも、さらにもう一段階病んでいる、という気がする。
(pp235-236)
 六〇年代末「ジャクソン5」の頃のマイケルの鼻は、大きくてふっくらと横に広がっていた。今の鼻はつんと上をむいていて、鼻の稜線なんか角で紙が切れそうなくらい(?)シャープ。もはや肉体の一部でなく金属パーツのイメージだ。
 彼の整形は多民族国家アメリカの複雑な社会背景を抜きに語れない。ラジオ全盛時代から映像時代へ移りゆく中で、黒人ミュージシャンたちは居場所を失っていった。ビデオ全盛の八〇年代、MTVなどのケーブル局では白人のミュージシャンの映像ばかり流すようになった。スティーヴィー・ワンダーですら、ポール・マッカートニーと共演することでやっと登場できた、という。しかし、マイケルは「ビリー・ジーン」(八三年)でこの壁を突破した。
 白人とも黒人とも男とも女ともつかないものになってやろう。マイケルの変身に私はそんな意志を読み取る。その壮絶な執念に究極の美すら感じてしまう。
 「マイケルの甘いマスクが歪んできた!」と報じたイギリスの大衆誌『サン』の記事によれば、マイケルが何度も手術を重ねたために鼻に移植した腸骨が崩れ始めているという。彼の身体改造は行くところまで行ったのかもしれない。
 テレビをながめながらとまどう。無意識のうちにマイケルの姿に国籍や性別や年齢を読み取ろうとして空回りしている。超スピードで刻むステップ、不可思議なムーンウォーク、舞台の上のマイケルはもう神の創造物なんかじゃない。「黒人」とか「男」とか、あらゆる規範を超越したその姿を、ありのまま受け取ればいい……
(p236)
 たった一〇年前だった。来日した仏社会学者、ボードリヤールが、肉体、セックス、情報、文化、日用生活品、空間などは比較的この経済システムに組み込まれず、ある種の直接的な使用価値の自治を保ってきたが、今後は交換価値システムの支配をうけるであろう、と予言したのは。それからほんの一、二年の間に、肉体もセックスも情報も文化も新しい商品としての魅力をたたえながら、日本のメディアの中を跳び回っていた。
 絶えずうつろっていく表層を追いかけ、纏い、いらだち息切れて、もはやこの身体以外に「私」だと信じられるものはないと思い、それなら「私」を最高の形に加工して標本のようにピンで止め、流転のゲームに永遠の終止符を打ってしまいたい……私は美容整形の現場にそんな強烈な願いを見ていた。


あとがき
(pp237-238)
 パリの人類学博物館のガラスケースの中には、大昔から人間が自らの身体を加工してきた歴史が、「現物」によって示されていた。
 細かいくさび型の模様が彫り込まれた皮膚の断片が、標本となって並んでいた。透明の液体に浸かっているのは、足首からバッサリ切り取られた纏足だ。大人の足にもかかわらず、わずか一〇センチほどしかないその足は、まるで虚空をつかむように親指以外の四本の指が強力な力によって足の裏へと折り曲げられていた。
 人間は何千年も昔から、自分の身体がより高い「価値」を持つようにと、加工を繰り返してきた。過去の身体加工術と、現代の美容整形と、その動機はとても似ている。
 しかし、明らかに違う点もある。例えば中国の纏足は美人の条件であり、結婚の条件であり、一般家庭では三〜四歳で幼女の足を縛り始めるのが当たり前だった。幼女は最低二年間は腫れ、化膿、出血などからくる激痛をこらえねばならなかった。わずか一〇センチの小足こそ、「私」の価値を高める最高の装飾だったから。
 では、現代の美容整形はどうだろう? 美しく変身して、幸せな結婚をして、という一見平凡な欲望の根っこを掘り進んでいくと、今の「私」そのものを投げ棄てて、新しい「私」になりかわりたい、という再生願望につき当たる。飾りたてるべき「私」という支柱そのものが、ぐらぐら揺らいでいる。
 一般的に私たちの社会では、洋服を着替えるように身体を加工することはタブーだし、生まれ落ちた時の顔や形を運命として、死ぬまで引き受けることになっている。だからこそ、身体加工という不可逆の冒険は、スリリングなのだ。肉体にメスを入れた時、ある人はそれ以前の古い「私」を、記憶を含めて消し去る(=死)だろう。そして新しい「私」の誕生を祝うだろう。もはや手術で外見的に美しく変化したかどうかは問題ではない。身体加工の行為そのものが、"再生"のステップなのだ。
 万が一、手術がマイナスの結果を生んだ場合、再生は訪れず、暗くて長いトンネルの道がどこまでも続く。大量に消費されながら、美容整形は流行というたわむれの軽やかさをどこか失った商品なのだ。
 経済システムの中で当然のことのように、その「重さ」を隠すための広告が作られていく。
 「ふだんのメイクを平面と考えるなら、横顔を美しくする美容外科手術は立体メイクと考えてください」「お化粧感覚でできる手術です」
 そして手術は着々と消費されていく。転生願望と手術の商品化と―これらの現象をじっとみつめると、私たちの生きている社会の特色が見えてくる。


*作成:植村 要
UP:20090126 REV:20091225
山下 柚実  ◇身体  ◇身体×世界:関連書籍 1990'  ◇BOOK