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『老人医療の現場――明日の高齢者福祉を考える』

和田 努 19910901 東林出版社,288p.


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和田 努 19910901 『老人医療の現場――明日の高齢者福祉を考える』,東林出版社,288p. ISBN-10: 4795235627 ISBN-13: 978-4795235625 1800 [amazon] ※

■内容(「MARC」データベースより)
現在の日本は老いを生きる場としては、ふさわしくない。全国各地を歩き回った著者が、老いを生きる場をよりよいものにしようと、英知を傾け、努力を惜しまない人やグループの知恵や実践を現場から報告。自治体・医療機関・医療従事者、必読の本。

■目次

北海道からの報告
大和医療福祉センター
老人医療とニューメディア
医療を限りなく生活の場に
手づくりの生活ケアを――三好春樹の思想と実践
臨床の感性から臨生の感性へ
生命を大切にする町―寝たきりゼロをめざして
失われたことばを取り戻す
共に生き合うシルバータウン――ノーマライゼーションをめざして
老人にやさしい住まいとは――林玉子さんに聞く
地域の中で全人的医療を
デンマークの高齢者福祉に学ぶ――日本人は自己決定すべきとき
新しい老人観で“手づくりの福祉”を―岡光序治氏との対談



デンマークの高齢者福祉に学ぶ――日本人は自己決定すべきとき 237
 高齢者の尊厳、権利を認める福祉施設 238
 ホームヘルパー、配食サービスの連携で在宅ケアを推進 242
 一人ひとりに適した補助器具を 248
 一〇年前にはデンマークでも日本と同じ状況が 250
 今こそ、日本人が自己決定すべきときではないか 254

デンマークの高齢者福祉に学ぶ――日本人は自己決定すべきとき 237
 高齢者の尊厳、権利を認める福祉施設 238
 「私はこの市のプライエム、在宅ケアの現場を多く見せてもらったが、寝たきり老人――伊東氏流に言えば、「寝かせきり老人」を一人も見ることはなかった。」([和田:1991:246])
 一〇年前にはデンマークでも日本と同じ状況が 250
 「高齢者も身体的な障害はどんなに重くても在宅ケアで支えられることを実証し、費用の最も多くかかるプライエムは減らしていこうというのがデンマークの最近の政策である。ネストベッズ市の場合も現在のプライエムは漸次縮小していき、一九九五年までには閉鎖する計画である。痴呆のような自立できない人だけが施設ケアの対象になるようだ。」(和田[1991:246?])
 「一九八〇年前後にデンマークで社会的入院があったということは驚きである。高齢者福祉が整備されたのは比較的最近であったことに気づくのである。
 一九七八年、超党派の「高齢者問題委員会」がつくられ、この委員会は長期的な高齢者福祉医療政策の理念と方法を追求して報告書を政府に答申した。この報告書は高齢者医療福祉政策の三原則を打ち出した。
 「継続性の尊重」――生活をなるべく変えないで高齢者を支援する。
 「自己決定の尊重」――自分自身の方向性は高齢者自身が決定し、周囲はそれを尊重する。
 「残存能力の活用」――残された能力を維持し、それを最大限に活用する。」(和田[1991:246?])
 cf.社会的入院

■引用

 以下、「新しい老人観で“手づくりの福祉”を――岡光序治氏との対談」の一部。

「岡光序治氏(おかみつ・のぶはる)
昭和十四年生、呉市出身。東京大学法学部卒業。昭和三八年厚生省に入り、五四年社会局施設課長、五九年保険局企画課長、六二年大臣官房総務課長、六三年大臣官房審議官(医療保険担当)を経て、平成元年老人保健福祉部長に就任」(和田 1991:257)

「死の問題を日常に取り戻す」
 和田 私事にわたって恐縮ですが、二年前に私の父は八六歳で亡くなりました。死の直前まで自宅ですごしましたが、終末ぎりぎりになって入院させました。そうしたら主治医が私を呼んで「あなたのお父さんは腎不全になりそうだから人工透析をしたらどうですか」と勧めるわけです。「私の父は八六歳まで生きさせていただきました。天寿をまっとうできたと思っています。いまさら人工透析をする必要はありません」と断わりますと、その主治医は言うわけです。「人工透析をしたら多少は延命できると思うのですが、それを断るというのは息子さんとしては冷たいんじゃ<275<ありませんか。ほかのごきょうだいと相談された結果なんですか」と。さらに父が昏睡状態におちいり、あと数時間の生命だという時にヽ「人工呼吸器を装着しますか」というようなことを医師が言うわけです。私は断わりました。八六歳の老人のわずかな時間の延命のために多くの費用と技術がつかわれることになるのですが、私の父の生命の質がこれらによって高まるわけではありません。「もっと自然な寿命というものを受けいれるべきではないか」とつくづく考えさせられましたね。
 岡光 考えさせられますね。こういう一面があるんですね。ベッドを占拠されてて、大した医療を行わないと病院は赤字になるんですね。終末期において相当集中的な医療を行って赤字部分を埋め直しているという側面を否定できないと思いますが、経営のことを考えれば、ある意味では当然おこるべきことかもしれません。そして診療報酬が悪いんだ、といわれるかもしれません。
ですから平成二年(1991年/引用者補足)、から特例許可老人病院入院医療管理料を新設して、定額制を導入したわけですが、そういう仕組みにして、介護にかかる人件費に充ててその他の経費はできるだけ圧縮したらどうですか、というやり方を提案したわけです。
 和田 私自身は定額制の導入はすごく高く評価しています。
 岡光 経営的な要素と、もうひとつは今までは医師は生かすことしか考えていない。死の問題はいやな問題ですからね。特に老人の医療ということになると終着点は死なんだから死にどうやってたどり着くかという話は避けてしまっていると思います。<276<
 和田 しかし医療において、とりわけ老人医療においては死は絶対に避けてはいけない問題なんですね。
 岡光 そうなんです。特に最近は死を真正面に見つめていこうという考え方が出始めてきたと思いますね。個人レベルでも「私の終末はどうしたらよいのか」と大きな課題になってきている。
 和田 現代人は死を間近に見るということが少なくなって、死のことを忘れてしまってるきらいがありますよね。昔と違って死のイメージが非常に希薄になっている。そういう意味では死を日常に取り戻すということは大切なことじやないかと思うんです。
 岡光 聖隷福祉事業団の長谷川保先生が、子供とか若者に死に立ち合わせろ、とおっしゃっていますが、それは大切なことなんですね。そ<277<ういう意味で最近死の問題が出てきたことはいいと思うんですが、死というものに対して日本人の覚悟は実はできていないと思うんです。ヨーロッパの発想はどこまでが本当かよく分かりませんが、本などで読みますと、自分のロから食べられなくなったらおしまいだ、という発想があるらしくて、中心静脈とか気管切開をするなんてことはヨーロッパでは考えられない。やはり食べられなくなったら終りとか、生命の限界というふうに考えているようです。それに対して、日本人は日本人の死生観をなくしているんじゃないだろうかと思うんです。
 和田 「天がしかるべき時に死を与える」というような表現を読んだことがありますが、自然な寿命というものを私たちは受容すべきじやないかと思いますね。
 岡光 いまホスピスの動きが出ていますよね。がんの終末期が対象になっていますが、私はがん以外の病気のホスピスがあってもいいんじやないかと思います。
 和田 大賛成です。生の医療と並んで、死の医療も必要だと思うんです。ホスピス・ケアは高齢化社会において、すべての老人の天寿をまっとうさせてあげるために在るべきだとうんです。
 岡光 そうだと思います。ですから、終の住家というか、死に場所というか、「それはどこなんだ」というのを、それはもちろん複数でいいんですが、解答を出さなきゃいけないんだと思います。
 和田 それはとても重い問題ですけど、解答を迫られていますよね。死にゆく者の、あるいは死者を送る者の願望からいえば、終の住家は住み慣れた家、地域社会でありたいと思う。しかし、<278<昔だったら、広島で生まれたら、広島の地域社会で死ぬのは当たり前だった。ところが現代はそれはむずかしいことなんですね。私は広島市に生まれましたけど、首都圏に核家族をつくって住んでいる。私の母親は広島市に独居老人として住んでいます。母にとって終の住家は広島市の長年住みなれた自宅なんだろうか……。できれば広島市の自宅を終の住家にしてやりたい。息子である私は首都圏に住み、母は広島市に住む。ここに社会福祉が必要なところだと思うんですね。家族福祉とか地域福祉を超えた問題だと思います。
 岡光 そうなんですね。社会福祉、社会保障の現在の社会の位置づけはやっぱりそういうことだと思うんですね。個人レベルではどうしようもないレベルがある。それを社会全体で何とかしてあげようということだろうと思います。それがこれからの高齢者の社会福祉だと思いますね。

生活の介護を通して生きる意欲を引き出す
 和田 死を視野に入れた医療が必要じやないか、という話が出ましたが、医療の世界の中には、絶対的延命主義というか、一分でも長く延命させるのが善であるという考え方が根強くあるわけですが、自然な寿命を受容するというか、人間の老いとか死を受容するという哲学を再確認する必要があるのではないかと私は考えています。その考え方の延長線上にあると思いますが、老人医療というものは治療から看護に転換されなくては絶対にいけないと思っているのですが……。<279<
 岡光 老人医療を考えると、疾病を管理するという点からも、老人医療というのは特異で非常に変っているということを基本的に認識する必要があるのではないか。むしろ極端な言い方をするドクターがいらっしゃいます。「粗診粗療のほうが元気になるよ」と。
 和田 分かります。お粗末な医療というふうに誤解されては困るけど(笑い)
 岡光 あまり薬を与えたり、いろいろな治療をするよりも日常生活の世話をする、介護をするほうが、お年寄りは元気になるというような経験にもとづく発言もあるんです。
 和田 なるほど。
 岡光 最近、老人保健施設がどんどん作られています。タイプとしては病院と併設というのが多いんです。病院に入院していて病状が安定すると老人保健施設に移されます。老健施設で何をやっているかといえば、実は定型的な、表現は適切ではないかも分かりませんが、軽い医療しか行われていません。
 和田 「軽い医療」というのはおもしろい表現ですね。つまりケアということですよね。
 岡光 そうです。日常の世話、介護ですね。それでお年寄りは老健施設に移されると元気になるんです。看護婦さんはそういうのを見て、病院で一生懸命治療をしていた時の状態と、老健施設に移って、毎日の生活、食事の世話とか、風呂に入れるとか、トイレに連れて行くとか、ちょっとした運動、作業をするとか、みんなでレクリエーションをするとかやっていたら病院の時より元気になるのを見て、「今まで自分たちは一体何をしていたんだろう?」と。そんな声が現場か<280<ら少しずつあがってきているんです。
 和田 これまでの入院治療に対する常識とか専門性というものが問われているんですね。
 岡光 そういうことなんですね。
 和田 先はども少し出ましたが、昨年四月の特例許可老人病院入院医療管理科の新設と定額性(ママ)導入はそういう意味で評価したいと思うんです。
 岡光 ご存知のように一般診療報酬の場合は出来高払いですが、特例許可老人病院のうち特に介護に重点を置いているような老人病院については、介護というのは人件費ですからいろんな経費を包括払いにしてしまおうじやないか。いねば全体の診療報酬の九〇%程度を一括払いにする定額払いに近い診療報酬にする。そういう診療報酬が自分の病院としてはふさわしいと思えばそれを採用していただいて結構です、という仕組みにしました。
 和田 医学的処置よりも生活面のケアを必要としているお年寄りを収容している場合、定額払いに近い診療報酬は病院にとっても、お年寄りにとっても良いと思いますよ。
 岡光 採用した病院ではずいぶん変化が出てきました。ある病院のケースですが、診療収入は今までと比べて大体同じくらい。そうダウンしていないそうです。特色として出ているのは極端に薬の使い方が減ったことです。従来、全体の支出に占める医薬品の割合が二二%くらいあったそうですが、新しい包括制の診療報酬を採用して一一%になったそうです。半分になったんです。収入が大体同じで、人も同じくらいいて、経費の中で薬代が半分に減ったわけですから利益とし<281<ては上がったわけです。病院も経営的には非常に良くなった。
 和田 それはいいですねぇ。
 岡光 それから点滴をやめたそうです。点滴の中でも特に抗生物質の使用量が極端に減ったんです。またボケ防止というか、脳循環を良くするという抗痴呆薬の類の薬も使わなくなったそうです。
 和田 もともと不必要な点滴、抗痴呆薬だった、という気もいたしますね。
 岡光 表現が適切かどうか分かりませんが、どうも抗生物質を使い過ぎていたんだし、脳循環を改善する薬なんか、おそらく使わなくていいということなんでしょうね。
 和田 老人医療の現場を取材していて、何種類もの薬を飲まされて腹いっぱいになって食欲がないというケースもありますからね。
 岡光 そういえば、点滴をやめたらお年寄りはお腹がすきはじめたんでご飯を食べるようになったというんです。ご飯を食べ出したら元気になっちゃった。
 和田 まさに病院がつくっていた医原病という気がいたしますね。私の知っている特別養護老人ホームでは、病院から退院してきた老人の、病院でつくられた褥瘡を治し、病院でつくった点滴による食欲不振から治していくといいます。
 岡光 それから看護婦さんは点滴注射のセットをしなくていいものだから、投薬に関する業務量が断然減って、日常生活の介護に重点を置けるようになった。事務の人や先生方は診療報酬に<282<関する請求事務が包括払いになったものだから、これも事務量が激減してしまった。請求に頭を悩ませることもなくなった。
 和田 それは画期的なことですね。
 岡光 それで医師は患者のほうを向き出した。看護婦は日常生活の介護に力が入る。患者自身はご飯を食べて元気になっちゃった、というわけで、実は包括払いは、私たちが見ても、望ましい方向に進みつつある現象が起こっています。ですから繰り返しになりますが、どうもお年寄りの医療というのは、いわゆる治療よりも生活の介護を中心に行なうのがふさわしいのではないか、という感じが最近しているのです。」(和田 1991:275-283)

■言及

◆立岩 真也 20080201 「(連載・2)」,『現代思想』
 「私はこの市のプライエム、在宅ケアの現場を多く見せてもらったが、寝たきり老人――伊東氏流に言えば、「寝かせきり老人」を一人も見ることはなかった。」([和田:1991:246])
◆立岩 真也 2008 『…』,筑摩書房 文献表

*増補:北村健太郎 *情報提供:天田城介
UP:20061230 REV:20080213
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