HOME
>
BOOK
>
『働く/働かない/フェミニズム――家事労働と賃労働の呪縛?!』
小倉 利丸・大橋 由香子 編 19910911 青弓社,クリティーク叢書 6,341p. ISBN: 4787230468 2575
※このファイルの作成:村上潔(立命館大学大学院先端総合学術研究科・2004入学)*/立岩真也
*
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/g/mk01.htm
■小倉 利丸・大橋 由香子 編 19910911 『働く/働かない/フェミニズム――家事労働と賃労働の呪縛?!』,青弓社,クリティーク叢書 6,341p. ISBN: 4787230468 2575 ※/千葉社5068
[boople]
/
[amazon]
※,
I
◇
小倉 利丸
19910911 「はじめに」
小倉・大橋編[1991:007-008]
◇
池田 祥子
19910911 「「女の経済的自立」「主婦」「母」,それぞれの思想をどう超えるか――人間の「自立」と「共同性」を共に志向しつつ」
小倉・大橋編[1991:011-031]
◇
金井 淑子
19910911 「”自立の迷走”からのフェミニズムの自立のために――自立論再考・「女性の身体性」をキーワードに」
小倉・大橋編[1991:032-055]
◇小倉 利丸 19910911 「身体搾取論の問題構成――対談に先立っての問題提起」
小倉・大橋編[1991:057-065]
◇
江原 由美子
・
小倉 利丸
19910911 「女性と労働のねじれた関係――フェミニズムと身体搾取論はどこで交差するか」(対談)
小倉・大橋編[1991:066-107]
◇小倉 利丸 19910911 「家事労働からの総撤退を――対談への補足として」
小倉・大橋編[1991:108-114]
◇江原 由美子 19910911 「家事労働を「強制」するメカニズム――補足に対してコメントする」
小倉・大橋編[1991:115-122]
II
◇
加納 実紀代
19910911 「労働の意味をとりもどしたい」(インタヴュー)
小倉・大橋編[1991:125-143]
◇金井 淑子・加納 実紀代・小倉 利丸 19910911 「自分にとってどっちがマシか――討論・それでも残る「総撤退論」への疑問をぶつける」
小倉・大橋編[1991:144-159]
◇小倉 利丸 19910911 「論争再録にあたって」
小倉・大橋編[1991:160-161]
◇
加納 実紀代
198511 「社縁社会からの総撤退を――具体的解放戦略を提起する」
『新地平』1985-11→小倉利丸・大橋由香子編[1991:162-185] *r
◇
加納 実紀代
199101 「私の「社縁総撤退論」その後」
『新しい家庭科 We』1991-01→小倉・大橋編[1991:254-260]
◇ますの きよし 198601 「生き方の選択肢を増やす「四時間労働」――加納提言に異議あり」
『新地平』1986-01→小倉・大橋編[1991:186-193]
◇相原 由美子・ふくもと のりこ 198606 「おもいおもいにしっかりと撤退しよう――まきこまれつつ、まきかえせ!」
『新地平』1986-06→小倉・大橋編[1991:194-202]
◇加納 実紀代 19861220 「なぜ「社縁社会からの総撤退」か」
『日本婦人問題懇話会会報』45→小倉利丸・大橋由香子編[1991:203-218]
◇中川 学現 19861220 「社縁社会からの総撤退は可能か?――加納解放戦略への疑問」
『日本婦人問題懇話会会報』45→小倉利丸・大橋由香子編[1991:219-228]
◇小倉 利丸 198805 「「マルクス主義フェミニズム」と「総撤退論」」
『新地平』1988-05,1988-06→小倉・大橋編[1991:229-253]
◇加納 実紀代 199101 「私の「社縁総撤退論」その後」
『新しい家庭科We』1991-01→小倉・大橋編[1991:254-260]*r
III
◇遠藤 良子 19910911 「活動専業・主婦のゆううつ」
小倉・大橋編[1991:263-276]
◇榊原 裕美 19910911 「「ワーキング・マザー」という戦略――私が生活クラブ生協で労働者している理由(わけ)」
小倉・大橋編[1991:277-286]
◇
堤 愛子
19910911 「のびやかな「自立生活」と「労働」をめざして――障害者が働くこと/障害者介助という労働」
小倉・大橋編[1991:287-297]
◇松永 るみ子 19910911 「企業システムの外で”働く”――デザイン・広告業界から」
小倉・大橋編[1991:298-308]
◇川合 真由美 19910911 「「男が先」を否定することでみえてくるもの――学校のなかの性差別と男女混合名簿」
小倉・大橋編[1991:309-332]
◇大橋 由香子 19910911 「おわりに」
小倉・大橋編[1991:333-341]
>TOP
■
池田 祥子
19910911 「「女の経済的自立」「主婦」「母」,それぞれの思想をどう超えるか――人間の「自立」と「共同性」を共に志向しつつ」
小倉・大橋編[1991:011-031]
・「女の経済的自立」論:
「モノの生産を優位に置く近代社会の価値意識や、経済的自立を不可欠の条件とする市民社会的「人間」像、あるいはまた、マルクスのなかにも根強く残り続けたといわれる個人主義的知的対象化行為としての「労働」観等々が、そのまま継承され前提とされている」(p.14)
→☆「したがって、「女の経済的自立」論として展開される“女も働くべき”という主張は、貧しさゆえにとにもかくにも“働かねばならなかった”女たちの、底辺の、非知性的な単純かつ低賃金労働などをも視野におさめるものではなかった。むしろ、それらの即自的な“働きぶり”はもともと
論外
だったのではないだろうか。「
生活
のために働か
ねばならない
」のではなく、どこまでも「
人間
として働く
べき
」という主張だったのである」(p.15)
石垣「〜第二職業論」:「女の経済的自立」論の典型
「しかし、皮肉なことに、「経済的自立」を獲得しようと“頑張る”女たちが陸続と後を継ぐどころか、多くの女たちが主婦の座にその場を求めはじめた時代、“自立的女の先駆者”石垣綾子をして憤らずにはいられなかったこの時代、まさしく「女の経済的自立」論の不十分さやその限界が正しく検証されるべき時だったのである。だが「経済的自立」論は論としての“正しさ”を堅持しつつ、女たちの現実批判の武器として用いられた」(p.16)
・武田京子:「「主婦」であることを
自己肯定
してしまう甘さ」
「「主婦」礼賛説のなかにある激しい資本への怒り、「生産」社会、産業社会への批判が同じように「女=主婦」とされてしまう社会への批判に繋げられなかったのはなぜなのだろうか。性別分業批判とは、「主婦」つまり「女」を批判しおとしめるものではなく、「女」を
内に
(家庭に)追いやってしまう社会のありようへの批判であったはずなのに……」(p.22) ――海野文子
☆「以上のように、「いま」という時点の有利さのうえでふり返るとき、「女の経済的自立」論が、知的な“職業婦人”による“専業主婦”批判という色合いを強くもち、結果としてそれへの反論でもあった様々な「主婦」擁護論が、残念なことに、最後まで「女=主婦」を問い返しえなかったことがみえてくる。[…]必要とされていたことは“「主婦」
解体
”、つまり「主婦」それ自身の相対化、対象化であったろう」(p.23)
武田の「労働」観(“半ば自由のため、半ば義務として”)を評価
「「女の経済的自立」論からはじまった「労働」観が、最後には、「主婦」の立場から大きく価値転換された、ということ。これだけでも、「いま」の私たちが手にしている理論的遺産は大きい」(p.25)
・国沢静子:「主婦的状況」「主婦性」批判 → 「反母性」「反家族」
*傍点部は原文の下線部を示す
>TOP
◆小倉 利丸 19910911 「身体搾取論の問題構成――対談に先立っての問題提起」
小倉・大橋編[1991:057-065]
「私は、資本主義のもとでは<労働力>再生産のサイクルに組み込まれる限りであらゆる行為は実は「労働」へと変容しているのだ、ということを強調してきた。賃労働だけが労働なわけでもなく、家事労働も余暇もレジャーも<労働力>再生産労働なのだ、というのが私の考え方である。」(小倉[1991:108])
>TOP
◆
江原 由美子
・
小倉 利丸
19910911 「女性と労働のねじれた関係――フェミニズムと身体搾取論はどこで交差するか」(対談)
小倉・大橋編[1991:066-107]
小倉「個人賃金制というのは、失業していようが、いわゆる労働ができない状態にあろうが、個人が生きていくうえで必要な所得を保障する制度です。つまり個人賃金制は現在の家族賃金制を否定するわけで、個人を単位として<労働力>再生産が可能な所得を得るということをベースに”賃金”を考える。」([73])
小倉「個人賃金制は、労働倫理が変るための制度的大前提です。失業者も障害者も平等に所得の保障を与えられることによって、労働と所得の特権的な結びつきを否定するということです。失業者は何もしていないのではないし、障害者も効率性に犠牲にされる必要はない。彼らは彼らなりの”生き方”をしている何か(「何か」に傍点)をしているわけで。<0074<その何かを、いわゆる労働を価値判断の尺度として評価することをやめること、少なくとも所得のうえではすべての人々に平等に生存の権利を保障するということです。」([74-75])
「江原 […]本当にだれもが同じ賃金にすることができた時には、努力しようとか、もっと苦労しようとかする人がいなくなっちゃうじゃないですか? だれも「働かない」んじゃないの?
小倉 資本主義的な意味で働かないということであって、何もしないということではないわけです。だからそれはそれでいいんじゃないかと思うわけね。一つの極限状態でいえば、そういう場合もあるんですよね。でもそれはも資本主義ではないだろうと思うけれども。」([76])
>TOP
◆江原 由美子 19910911 「家事労働を「強制」するメカニズム――補足に対してコメントする」
小倉・大橋編[1991:115-122]
「小倉さんは[…]「個人賃金制」をとれば問題は解決する。「労働の強制」をもらたす経済的要因は取り除かれた。だからそういう社会ではもはやだれも「労働の強制」を受けない。男性も女性も、賃労働も家事労働も「強制」されないのだ。だから解放されたのだという。
私は小倉さんの提起する「個人賃金制」の実現可能性はほとんどないと考える。また、それがもたらす生産力の低下や官僚機構の肥大化等、「意図せざる効果」は、非常に重大なものであると思う。しかしここではそのことはとりあげず、あくまでフェミニズムの立場から論じよう。[…]」(江原[1991:116])
>TOP
◆小倉 利丸 19910911 「家事労働からの総撤退を――対談への補足として」
小倉・大橋編[1991:108-114]
「個人賃金制の主張は、「消費生活に関して諸個人は平等である」ことを前提とする。したがって、性別や職業による賃金格差も認めないし、失業者であることや障害者であることによる所得格差もみとめないという前提をたてることになる。性に基づく賃金格差は、家族賃金制とそこでの男性中心の所得構造と結びついており、それが資本主義的な家父長制をささえるものとなっ<0112<ている。したがって、こうした男性に大きくシフトした所得分配を改めることが必要になる。」(小倉[1991b:112-113])
「個人賃金制という提起は具体的に考えれば、実現可能性を棚に上げてスキだらけである。いろいろな個別のケースを考えていくと無理な場面も出てくる。」([113])
>TOP
◆
加納 実紀代
19910911 「労働の意味をとりもどしたい」(インタヴュー)
小倉・大橋編[1991:125-143]
「一九六〇年に磯野富士子さんが提起した主婦家事労働の価値をめぐる論争を第二次主婦論争といいますが、これにはマルクス経済学者も加わって、結局、主婦の家事労働には使用価値はあるが交換価値はない、だから無価値であるという結論になったと理解していて、それにずっと納得しがたいものを感じていた。私は、その結論を逆転させたいんです。つまり、家事労働は交換価値はないが使用価値はある、だから価値がある。というふうに。」(加納[140])
>TOP
◆金井 淑子・加納 実紀代・小倉 利丸 19910911 「自分にとってどっちがマシか――討論・それでも残る「総撤退論」への疑問をぶつける」
小倉・大橋編[1991:144-159]
「たとえば地域で女のネットワークをつくるといっても、介護や再生産に関わることが多いですよね。女性の労働力が商品化されてても、多くは女の仕事と女性職に関わるところで、低コスト化されている現状がありますから、介護の地域ネットワーク化はそれにさらに輪をかける。」(金井淑子の発言、金井・加納・小倉[1991:149])
>TOP
◆
加納 実紀代
198511 「社縁社会からの総撤退を――具体的解放戦略を提起する」
『新地平』1985-11→小倉利丸・大橋由香子編[1991:162-185] ※ *r
「構造不況以後、資本の経営戦略の中心は「付加価値による差別化」である。つまり、商品の使用価値、基本的有用<0178<性とは無縁なデザインやファッンション性によって他の商品との差別化をはかり、「消費者の多様なニーズ」にこたえようというわけだ。それによって交換価値と使用価値の乖離はますます大きくなる。
労働における疎外の昂進は、ハイテク化といった技術革新の結果だけでなく、生産物そのものが使用価値のみえない付加価値的なものになりつつあることにも大きな原因がある。 したがって私の解放戦略は、まず女たちが社縁社会から総撤退することである。家庭に戻って火事・育児にいそしむためではもちろんない。マイホームの枠をこえた住縁・知縁のネットワークで、使用価値のある仕事を作り出すためだ。
男ではなく、まず女が撤退する理由は簡単だ。ダブル・インカムを前提にしたとき、いまの日本では妻の家計簿寄与率はまだまだ低いからだ。つまり男が撤退すればたちまちオマンマの食い上げになるが、稼ぎの少ない女の場合は、幸か不幸か生活の切り下げですむことが多い。
使用価値のある仕事をつくり出すといっても容易なことではないし、たとえつくり出せてもこの資本主義社会ではかなり厳しい状況を覚悟しなければならない。男たちには気の毒だが、いましばらく疎外に満ちた交換価値の世界で働いてもらって、女たちの仕事の下支えをしてもらおうというわけだ。」(加納[1985→1991:178-179])
>TOP
◆相原 由美子・ふくもと のりこ 198606 「おもいおもいにしっかりと撤退しよう――まきこまれつつ、まきかえせ!」
『新地平』1986-06→小倉・大橋編[1991:194-202]
「まず問題になるのは、総引き揚げからひとまずはずされた女たちだ。加納さんは「したがって、当然、シングル等家系を担っている女は総撤退からはずす」といとも簡単に書かれてしまうことの意味するところを、どのように考えておられるのだろうか。」(相原・ふくもと[1986→1991:195])
>TOP
◆小倉 利丸 198805 「「マルクス主義フェミニズム」と「総撤退論」」
『新地平』1988-05,1988-06→小倉・大橋編[1991:229-253]
■言及
◇立岩 真也 20060801 「 」,『現代思想』
資料
REV:..20060113,0703,08,10
◇
女性の労働・家事労働・性別分業
◇
フェミニズム
◇
BOOK
TOP
HOME (http://www.arsvi.com)
◇