『複眼でみる90年代の医療』
二木 立 19910720 勁草書房,231p. ASIN: 4326798734 2520
■二木 立 19910720 『複眼でみる90年代の医療』,勁草書房,231p. ASIN: 4326798734 2520 [amazon]/[boople] ※, b m/e01
内容(「BOOK」データベースより)
複眼的視点を貫きつつ90年代の日本医療を具体的・包括的に予測。同時に厚生省の政策批判や医療関係者・団体の主張の批判的検討を行い、90年代医療をめぐる論争の「総決算」をめざす。
目次
序章 将来予測のスタンス―「原理からではなく事実から出発」
1章 90年代の国民医療費と診療報酬
2章 90年代の医療保障制度
3章 90年代の医療供給制度
4章 90年代の医療マンパワー
終章 ハードヘッド&ソフトハート
補論 医療経済学の国際的動向―第2回世界医療経済学会に参加して
3章 90年代の医療供給制度
五 高齢者保健福祉推進十ヵ年戦略(ゴールドプラン)は「みせかけ」か?
[…]
寝たきり老人ゼロ作戦は「寝たきり」と「寝かせきり」とを混同
最後に、ゴールドプランの問題点で、一般にはほとんど見落とされている点を指摘したい。それは、<0136<ゴールドプランの「目玉」とされている「寝たきり老人ゼロ作戦」における、「寝たきり」と「寝かせきり」との混同である。これは、私が医師として専門としていたリハビリテーション医学の視点からの検討である。
私は障害を持った老人の能力は複眼的に評価する必要があると思っている。
一つは、「自立度」という概念である。これは、他人の介助、監視、あるいは促し、励ましを得ずに、自力でどこまでいろいろな動作ができるかということである。この視点から見ると、たとえ早期からリハビリテーションを徹底して行っても、歩行が自立する老人、つまり狭義の「寝たきり」状態を脱する老人は三分の一しか減らせないというのが、冷厳な事実である<(20)五九頁,(42)二三四頁>
しかし、これだけにとどまっていると重度の障害老人の切り捨てになる。それを避けるためのもう一つの評価の視点は、他人の介助を受ければ、最大限どこまでの動作ができるかということである。そして、自力では起きられない、あるいは歩けない老人、狭義の「寝たきり老人」のうち、介助をすれば起きられる、歩ける老人が大半なのである。
私自身の脳卒中早期リハビリテーションの経験でも、発症後早期の「寝たきり老人」のうち約九割は介助をすれば起こしたり、座らせたり、歩かせることができる。それに対して、重篤な心臓疾患や肺疾患などがあり、全身状態が不安定なために医学的な理由から絶対安静を必要とする老人は、一割にすぎない。<0137<
『寝たきりゼロをめざして』という、厚生省の特別研究の報国書の中でも、老人医療で有名な東京の青梅慶友病院の実践例として、自力では起きたり、歩けない慢性疾患・障害老人のうち、介助をすれば起きたり、歩ける老人が九割だと報国されている<(43)四九頁>。
大熊由紀子(朝日新聞)が先駆的に明らかにしてきたように、北欧諸国には、「介護の必要なお年寄り」はいるが、「寝たきり老人」がほとんどいないというのは、この意味においてなのである<(38)>。そのため、私は「寝たきり老人ゼロ作戦」というのは不正確な表現で、「寝かせきり老人ゼロ作戦」と言い替えるべきだと思っている。
早期リハビリテーションを徹底して行うと同時に、慢性期に入った障害老人に維持的・継続的なリハビリテーションを行い、早期リハビリテーションによって達成した「自立度」を維持することは非常に重要である。しかし、先述したように、その効果は限られている。
そのために、自力では起きたり、歩けない、という意味での「寝たきり老人」を「寝たきり老人」にしないためには、これらの老人を介助によって起こしたり、歩かせるという援助が不可欠である。そして、これを徹底的に行うためには、大量のマンパワーの投入が不可欠で、ゴールドプランとは桁違いの費用がかかる。」(pp.136-138)
(43)厚生省大臣官房老人保健福祉部老人保健課 1989 『寝たきりゼロをめざして――寝たきり老人の現状分析並びに諸外国との比較に関する研究』,中央法規出版
(38)大熊 由紀子 19900920 『「寝たきり老人」のいる国いない国――真の豊かさへの挑戦』,ぶどう社,171p. ASIN: 4892400955 1500 [amazon]/[boople] ※, b a01