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『スモン高裁判決は人権を断つ!! 1990.12.7スモン控訴審判決批判』

スモン訴訟の確定判決を求める会 編 19910331 スモン訴訟の確定判決を求める会,86p.

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last update:20200811

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■スモン訴訟の確定判決を求める会 編 19910331 『スモン高裁判決は人権を断つ!! 1990.12.7スモン控訴審判決批判』,スモン訴訟の確定判決を求める会,86p. d07. d07smon


■目次


■引用

声明文

 私は、全国でただ一人スモン控訴審を闘って来ました。
 被告 田辺製薬株式会社が、いまだにスモン・ウイルス説を主張し続けて来たからです。
……
 しかし、被告田辺製薬株式会社は、一審(東京地裁)において、一九七六年六月一〇日、製薬三社を代表してスモンとキノホルムとの因果関係を認め、責任を回避する意思のないことを明らかにして裁判所に対し、和解の斡旋を申し出たにもかかわらず、そのわずか四ヶ月後の一〇月二七日、突如としてスモン・ウイルス説を主張するや、現在まで実に一四年余にわたりスモン・ウイルス説を主張し続けているのです。……
 本日の判決は、全く予想だにしなかったものです。私が、執拗に繰り返された「田辺製薬がスモン=ウイルス説″を撤回しないまま」の和解勧告の圧力に屈しなかったことに対する高裁の私に対する報復判決だと受けとめています。私は、この不当判決に屈することなく、これからも命をかけて田辺製薬株式会社と闘い続けます。
一九九〇年一二月七日 古賀照男
声明文1頁


判決報告(1) 会報32号 古賀照男

 弁護士が判決文を手にして来ました。
 判決は、私の負けでした。
 
 内容はエマホルムの相当量の服用は認めながら、私の症状は類似疾患と識別診断が不十分で、スモンであるとの証明が不十分で、スモンであるとの証明が不十分であり、原告の本件請求は棄却する″と書いてあります。
報告1頁

 私を支援・支持された関西支援グループ、スモン訴訟東京地裁原告団、厚生省交渉実行委員会、キノホルム薬害被害者を支援する会、宮城県スモン患者同盟、仙台スモン研、土呂久被害者を支援する会、神奈川県いのちとくらしを守る共同行動委員会、旧松尾鉱山被害者を支援する会等に、個人で支援された人々に、対する挑戦です。
報告2頁


高裁への意見書(1982年) 古賀照男

 四十五年九月に、因果関係が発表され、十一月に、神奈川スモンの会が結成され、副会長として会員と接し始めました。会員と接触しているうちに、スモンは百%近くキノホルム薬によるものだと、会員一人一人が確信を持ち始め、四十六年十一月、東京地裁に、我々の被害のけじめをつけるべく提訴しました。
高裁への意見書5頁


判決批判――古賀氏の臨床診断 高橋晄正

 古賀照男氏は、昭和五十七年頃から平成二年三月までのあいだに三回にわたって、……医師の診断を受け、診断書を高裁に提出している。
 ……医師は、多数のスモン患者診察の経験を有し、スモン訴訟においては東京地裁に証人として出廷している神経学の専門医である。
 本件は、発病以来二十三年目にして初めて神経病学の専門医の診察を受け、その診断書を得ることができたのである。
臨床診断12頁


医学会総会への要請文 スモン訴訟の確定判決を求める会

 控訴審の過程で、高裁は度々和解を勧告してきました。その中で私は、
 「田辺製薬が、スモン=ウィルス説を撤回するなら、和解してもよい」と表明致しました。……の主張した“スモン=ウィルス”説は、発表以来21年を経過し、科学的にも医学的にも実証されていません。
 ところが、田辺製薬は、学問的にまったく根拠のないウィルス説に固執し、和解を拒否してきました。
 また高裁も、そのような田辺製薬に積極的に働きかけることなく、私にのみ和解を迫りました。
 私としては、多くの仲間を自殺や自殺未遂に追いやり、今尚、当時の惨劇の傷の癒えない被害を引き起こしたスモン=ウィルス説を放置したまま和解することはできませんでした。
 この結果、私への和解強要に失敗した高裁が出してきたのが、
   “古賀はスモンであるかどうか疑わしい”
   “他の神経疾患も考えられる”
という医学的に全く理不尽なものであり、一審判決時の……氏外一四名の共同鑑定人の鑑定結果・主治医をはじめとする医師の診断書の否定という暴挙でした。
要求1頁


判決批判――古賀氏の臨床診断 高橋晄正

 この判決の著しい特色は、全ての医師の診断書を却下し、全く医学の系統的教育を受けていない医学の素人である裁判官が書証として提出されている文献(時には、書証として提出されていないものもある!!)を操って、自己流の医学論を展開するとどのようになるかという社会実験をおこなってみせてくれたという意味において、画期的なものである。
批判1頁


運動の歩み 1982年集会での基調報告 古賀照男

 一九七〇年、難病団体として全国スモンの会が結成され、私も参加しました。
 その後、七一年十一月に、横浜市立大学医学部講堂において神奈川スモンの会が結成されました。その結成には、東京大学の井形助教授を招き、講演会が開かれました。
 私は、剖検スライドと説明で、スモンはキノホルム薬被害であることを初めて確信したのです。
 七一年春、全国スモンの会会長の……と大阪の……が突然東京地裁にスモン訴訟を提起しました。(私はこの夏に、カルテの写しと投薬証明を取得していました。)
 私自身この提起は、因果関係を社会的に明らかにし、責任を法的に確立することだと思いました。私も、十一月の第三次マンモス訴訟に参加しました。
 提訴後、……会長は、スモン原告協議会を結成し会長になり、会の運営を側近でかため独裁化しました。会の方針は裁判中心主義で、わずか三人の弁護団で裁判を維持していこうとしたのです。
 このような状況に反発したのが兵庫スモンの会の……と大阪スモンの会の……です。このようなマンモス薬害裁判に運動がないのではいけない。運動するには各地で裁判を提起し運動をしなけ(改頁 引用者)ればならないと意見を述べたのです。
 ……会長は、……両氏の除名を策謀し、総会で除名しました。これが第一の分裂です。

 その後に、「スモンの会の姿勢を正す会」が生まれました。
 その影響は神奈川スモンの会にもあらわれ、会員の……氏が理事会で……会長の裁判方針と会の運営に疑問をあらわし、当会(神奈川)の方針変更をせまりました。私は、……氏に会を混乱させないようにと、個人として会い、説得しようとしました。しかし、「正す会」の意志を説明され、……スモンの会の状況と全国のスモンの会の現状、今後の展開を説明され、とりあえず「正す会」に出席し、いろいろと話を聞き、これは本物だと感じました。
 それからは、「正す会」の行動に自主的に参加しました。
 これが第二次分裂です。

 この分裂で、各地域で訴訟が提起され、裁判を柱に運動が展開されました。
 神奈川スモンの会は、「正す会」の余波を受け、分裂の危機にさらされました。話し合いで、お互いの考え方が正しいかどうかで一年間会を凍結し、その後第三次分裂が起こり、やっと神奈川スモンの会は一本化されました。

 「正す会」の運動は、全国各県単位で地域闘争を定着させることにありました。これも、兵庫スモンの会の……が主張した分散統一訴訟が定着してきたのです。
 このほか「正す会」が残したものは、スモンの会全国連絡協議会スモンの会関東ブロック・関西ブロックと一人一人の自主独立です。
歩み4-5頁

 一九六九年、全国スモンの会が結成され、原因判明後一九七一年五月、東京地裁にスモン訴訟第一次として……氏と……氏が提訴しました。全国スモンの会……会長より、支援訴訟として東京地裁に提訴するように呼びかけられ、全国より東京地裁に集中提訴されました。……
 このように、薬害の続発と医療被害の発生に告発運動が盛んになり、スモンも、全国スモンの会の訴訟中心の代理人に(ママ)まかせに、兵庫と大阪の会が反発し、地域運動として地元提訴を行い、これに追従して、全国各地で地元提訴が行われたのです。スモン運動発祥の地として、兵庫と大阪が先端を切ったのです。
 かくて、全国各地で点在的ながらも地元提訴がはじまり、地元での企業攻撃と薬害告発としての情宣が活発化してきました。
歩み6頁

 スモン被害者の闘いは全国にわたり、十一の勝訴判決を勝ち取ったのです。……
 しかし司法権力は、一九七六年九月九日東京地裁民事三四部可部恒雄裁判長による、職権和解を出してきました。
 翌年一月十七日には、和解案を具体的に金額を示し、介護料・一家の柱・主婦・年齢加算等で被害者を分断し、和解攻勢をかけてきたのです。和解ですぐ得られるが、判決では高裁・最高裁と五年から七年かかるかもしれないとささやかれました。
 そして、一九七七年三月三日和解を援護する政治判断による金沢判決が出されたのです。
 それでも、東京をはじめ各地で和解をけって国民の薬害根絶の願いをこめた支援を受け、十の勝訴判決を勝ち取りました。被害者・国民の薬害根絶をこめた勝訴判決に対し挑戦するように、国・製薬企業はすべて控訴したのです。田辺製薬は控訴理由にウイルス説を出しています。……
 国・製薬企業は、被害者の状況を見て、被害者の分断をはかり、わずかな涙金で責任をうやむやにしようと必死になって、原告に対していちゃもんをつけ、和解拒否をしています。それは、滞在被害者の切り捨てを考えているからです。
 また、医師は、直接の『加害者』にさせられ、治(改頁 引用者)療で利益を得ているのに、被害者に対しては非協力的で、現状は投薬証明・診断書も書こうとしません。一部には協力する医師もいますが、それは当然のことではないでしょうか。
歩み7-8頁

 スモン訴訟に参加した原点は、私のスモンの因果関係・責任を明らかにし、法の中に確定させることです。
 これが私のスモンの人権の回復になるものと考え(改頁 引用者)て思います。
 私は残り少ない人生でスモンを抱え、法の中にスモンは薬害であることを確定させたいのです。
歩み8-9頁


■書評・紹介


■言及



*作成:安田 智博
UP:20200811 REV:
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