■Mary O'Hagan 1991 Stopovers: On My Way Home from Mars=199910 長野英子訳,『精神医療ユーザーのめざすもの――欧米のセルフヘルプ活動』,解放出版社,245p. 4-7684-0054-X 1890 ※ [amazon]/[kinokuniya] ※ d m.
*以下、駒澤真由美(立命館大学大学院先端総合学術研究科)による引用。
pp. 3-5
【日本の皆さんへ】一般労働市場で仕事を見付けることが出来ない精神医療ユーザー・サバイバーもたくさんいます。彼らは作業所でわずかな手当で単純な作業をやらされています。また、地域社会に貢献する機会も与えられずに居間やデイセンターでいたずらに毎日を送っている人たちもいます。世界中で精神医療サバイバーは耐えられない何重ものストレスに苦しめられています。それは貧困、失業、絶望、不適切な住居、孤立そして搾取です。しかしこうしたことはあってはならないのです(p.3)。精神保健サービスを使っている人が、自分たちの望む治療、介護、援助を受け、そして自分たちの仲間の市民と同等の平等な機会を保障されている世界であれば、こうしたストレスによる苦痛は決して起きないでしょう(p.3-4)。わたしたちは、強制ではなく自分たちの意思に基づいたサービスを求めます(p.5)。
p. 22
【サバイバー運動】1987年、わたしはオークランド市のグループ、サイキアトリック・サバイバーズをつくりました。ニュージーランドではこの種のセルフヘルプ・グループとしては最初のものでした。そこでは、支援グループ、たまり場、宿舎を運営しています。わたしたちはサバイバーのための情報を整理して、パンフレットを制作し配っています。また、この地方の精神保健政策にも一定の役割を持っています。
pp. 73-74
【サバイバー運動】公民権運動や反精神医学、女性運動、先住民の運動を生み出した雰囲気の中で、サバイバー運動は1970年代初頭に活発となりました。これらの運動の出発点は自己決定を求めている点でつながっています。サバイバー運動はこの20数年間で変わってきました。小さく、資金もなく、純粋で過激な廃絶派の運動から、より大きく、より多様でかつセルフヘルプ・オルタナティブと精神保健体制の改良に焦点を置いた実践的な運動に成長しました。
pp. 75-78
【サバイバー運動】わたしはアメリカの運動の変化を見てきた人たち数人と話しました。ジェニー(マサチューセッツ):「70年代後半になって2つの相反する運動が現れ始めました。つまり、「体制と共働しよう」という運動と、「体制とは共働しないでおこう」という運動です。精神保健体制をまず抑圧の体制として見る人々と、精神保健体制を少し手直しすれば役に立つ体制だと見る人々との違いです。体制と共に働くことをもいとわない保守的なグループは、いくらかの資金を得るようになりました。これらのグループの多くは体制によって、そして体制の金によって誕生したのです。彼らは本当のセルフヘルプ・グループではなかったのです。なぜなら彼らは、いろいろな問題についてどうすべきか命令され続け、監督されていたのです。」(p.75-76) スージー(カルフォルニア):わたしが運動の中で活動するようになった1970年代の半ばに、突然、仲間と連帯しているという感覚をもちました。……運動がわたしには人生の目的のすべてであり、非常に明確な意識を与えてくれました。その意識とは、わたしの悲惨な体験を決して他者に繰り返させてはいけないと考え、そのためにわたしは人生で大切なことをしようという意識です。当時わたしたちの運動の中では、オルタナティブやサービスは絶対に認められませんでした。主要な力点は政治活動にあり、座り込みとかそういったことでした。運動はアメリカにおいてより大衆的になりました。しかし主流になってしまうと、言ってきたことの真髄をいくらか失う可能性もあります。……わたしにとっては強制医療を信じることなど運動ではありません。わたしたちの運動は、全面的に自分の人生を自分で選択するという概念を基盤としていたのですから。」(p.76-77)。「他方、ヘンリー(カルフォルニア):「80年代初頭まで、運動は、ひどく狭量で政治的主張に重点を置いており、政府から金を取らず、もっぱら病院での虐待に焦点を当てていました。わたしは運動から疎外感を感じていました。なぜなら私は、生き抜くための事柄に非常に関心があったからです。わたしはホームレスで福祉で生きていたからです。運動はいまや、病院を出た後に起きることに多くの関心を寄せています。いまや運動は政治的主張に重きを置かなくなりました。クライアントの運営するセルフヘルプ活動という概念はついに受け入れられました。わたしたちが何年間にもわたって言ってきたことが正しいと、研究者たちも結論を出しました。そしていまや意義に見合う金額が入ってくるようになりました。わたしたちの支援センターは15人を雇っています。わたしたちは1日当たり120人以上にサービスを提供しています。10年前には耳にすることさえなかったでしょう。」(p.77-78)
pp. 79-83
【サバイバー運動】アメリカとヨーロッパでは運動に少し違いがあります。オランダと英国のサバイバーは、セルフヘルプ・オルタナティブを供給することより、精神保健体制を改良することにはるかに大きなエネルギーを注いでいます。〔中略〕わたしが話した英国のサバイバーはR・Dレインなどから大きく触発されていました(p.79)。英国のサバイバーは、サッチャー政権下でオルタナティブ事業の資金をえるのがだんだん厳しくなっていると言っている。驚くべきことに英国では、精神保健体制の中でも、セルフヘルプ・オルタナティブの提供のためにも、実際雇われているサバイバーはほとんどいない。時間も資源もないボランティアの身に頼っている場合が多ければ、組織を聴きに陥れる危険性がある(p.80)。アメリカでグループができ始めてすぐにも乱打でサバイバーが組織化されました。エド(オランダ):わたしたちは70年代そして80年代初めまでは到達すべき理想郷を持っていましたが、もはやそうではないと思います。わたしたちのキャンペーンの多く、つまりよりより施設、地域での医療、カルテを見る権利等々は正式に精神医療に受け入れられました。いまや精神医療体制自身がこれらのスローガンを主張しています。……彼らはいまや、「あなた方のいう事を聞きましょう」と言っています。これこそ彼らが20年前には言わなかったことです。サバイバーの運動には3つの分岐があります。精神保健体制の廃絶、精神保健体制の改良、そしてセルフヘルプ・オルタナティブです。それぞれの強調点は国により時代により変化するのですが、それぞれの運動には異なる点より共通点がはるかに多いことに気付きました(p.83)。
p. 86, 92
【精神保健体制との関係】精神保健の専門家は、サバイバーの運動からの挑戦を受け、サバイバーとの関係を、押しつけがましい干渉という関係から対等な関係へと変えていくことが求められています。多くの専門家はわたしたちを教師として見ることを困難だと感じています。しかし一方では、専門家はこの隔たりを超えて同僚としてわたしたちと関係をもつことにより、わたしたちが異なった立場にいることまで否定することもあります(p.86)。旅行中にわたしは精神保健の専門家でもある数人のサバイバーと話しました。その中にはサバイバーであるため専門家の同僚から拒絶され、また精神保健の専門家であるためにほかのサバイバーから疑いの目で見られるという、難しい立場に置かれている人もいました(p.92)。
pp. 94-96
【家族会との関係】わたしたちの一番厄介な関係は「精神病者」の家族会との関係です。サバイバーの多くは自分たちの苦悩は家族が原因であると信じているのに、家族は自分たちの罪悪感を「精神病」に関する遺伝学や生科学的理論を支持することで軽減する傾向があります(p.94-95)。ヘンリー(カルフォルニア)は、家族会にいは肯定的な面もいくらかあると見ています。「わたしたちは家族の全国組織と面白い関係にあります。彼らは強制収容を拡大する法律を推進してきました。そして私たちほとんどすべての段階で彼らに反対してきました。ところが一方では、所得問題、住宅問題、あるいは差別問題に関しては家族会とわたしたちの考えは全く一致します。そして家族会はセルフヘルプ活動についても大いに支援してくれます。」(p.96)。
pp. 132-134
【セルフヘルプ・オルタナティブ】いくつかのセルフヘルプの定義を、伝統的な精神保健サービスと対照させてみました。セルフヘルプ・オルタナティブは紙の上では素晴らしく見えるでしょうが、セルフヘルプ・オルタナティブを達成するのは非常に難しいということが、この旅でわたしが学んだ最も重要なことの一つです。まず肯定的な事柄について共有したいと思います(p.132-133)。ブレンダンは、精神保健体制の干渉するやり方と、これに反してセルフヘルプ・グループでの仲間が互いを受け入れ合うやり方を対照させて話してくれました。「専門家は来所した人を変えるために存在しているのです。一方セルフヘルプ・グループでは、変わらなければならないという強制は一切ありません。セルフヘルプ・グループは、支えてくれ力を与えてくれるという感覚をもたせてくれます(p.134)。自殺したいときに深夜友だちに電話することと危機介入チームに電話することは、全く違った体験です。友だちは自殺したい気分の間、あなたの話を聞き支えてくれるでしょう。しかし危機介入チームなら、あなたを病院に押し込めることがよくあります(p.135)。」
pp. 140-141
【セルフヘルプの多様性】アルコホリックス・アノニマス(Alchoholic Anonymous: AA)、これはセルフヘルプ・オルタナティブの起源であるという人もいますが、現代のセルフヘルプの精神とは少し違います(p.140)。それはあまりに個人に焦点を当てており外的なストレス要因、たとえば貧しい人間関係、貧困、失業等々といったものを無視しているというものだ。自分たちの苦悩の原因を自らの内にあるものとして見るように勧められ、そうすることで、外の要因が自分のために変わってくれることに頼らず自分自身を「改善」することが可能となるという。わたしはある程度はこれに賛成する。しかし、自己中心的とか自我が強すぎるという言葉で自分自身をおとしめて話す語り手も何人かいることが、わたしの印象に深く残った。わたしはこれが不快だった。
pp. 140-141
【支援者も入れるか、支援者は入れないか】英国人は精神保健体制の改良に関心が強く専門家との接触がずっと多いので、サバイバーのグループが専門家を「支援者」として会員に迎えることはよくある。専門家に乗っ取られたグループもあるし、また専門家が参加することを望んでいるサバイバーのグループもある。わたしはどんな人であれ、サバイバー以外の人を会員にするのは反対である(p.170)。サバイバー・グループの後ろ盾がなければ、個々のサバイバーはサバイバー以外の人たちにのみ込まれてしまう(p.171)。
pp. 176-180
【有給の職員】スージー(カルフォルニア):「サバイバーは、精神保健体制から金を取るべきではありません。なぜなら経済的支援を盾に、精神保健体制は管理してくるだろうし、実際そうしたことはいろいろな形で起きました。」(p.176) 自分たちのやっていることに対して報酬が支払われるべきだとサバイバーは期待し始めています。アメリカでわたしが会った多くのサバイバーが、自分たちの仕事に対して報酬を得ていました。しかし、イギリスとオランダとでは、ボランティアがいまだに主流です。【日記:仕事への報酬について】リザ(ロンドン)はサバイバーが主導権を持ついくつかのグループに参加した。これらは政治活動を主としたグループだったが、既につぶれていた。参加した人々はすべて無給で、グループのために使う十分な時間が取れなかったとのことだ。会員は自信がなくグループを運営する経験にも乏しかった。また、政治活動ではなくて支え合いを求めてやってくるサバイバーもあり、こうした人々が自分自身の問題について話したい欲求をもっていたことも、事がうまく運ばなかった原因である(p.177)。リザの言葉を聞いて、サイキアトリック・サバイバーズの初期の頃を思い出しました。賃金をもらっていない会員はほとんどすべての仕事をこなすことをわたしに期待するので、有給の職員であることが原因でいくつかの問題が生じた。この賃金のせいで、わたしは心地よく思うどころか、専門家の役割に近いところに置かれてしまった(p.178)。サイキアトリック・サバイバースでは、有給の職員及び少しの報酬で実質的にどんな仕事でもする職員と、実質的には何もしない残りの会員との間に明白な区別がある。一方クライアント組合では、参加の程度は、いろいろな形態をもってもっと平等に広がっている(p.179)。有給の職員が存在することは、他のサバイバーにとって自分たちの余暇を使って積極的に参加することをより困難にするし、サービスを利用している人と職員との間に越え難い壁を作ってしまう。職員が存在するということは、必然的に他の会員以上に専門的知識と責任を持つことを伴う。職員は職員という階級をつくる危険性がある(p.179-180)。
pp. 180-181
【資金】アメリカの運動の初期には資金を得ることは、とりわけ精神保健体制から資金を得ることは賛成されなかったのですが、今では変化してきました。保守的なレーガン政権の下で、連邦政府から資金を得やすくなりました。その理由は、セルフヘルプは国家への依存を減らすので、結果的に安上がりであると見られたからだそうです。イギリスではサッチャー政権下で、セルフヘルプ・オルタナティブが資金を得るのは難しくなってきています。オランダでは相対的に豊かな福祉制度がありますが、セルフヘルプ・オルタナティブはアメリカのいくつかの地域でみられるほど盛んではありません。
pp. 184-185, 193
【精神保健体制に組み込まれる】セルフヘルプ・オルタナティブは、どんなときに伝統的な精神保健サービスをまねるのか(p.184)。わたしが旅で得た最大の教訓は、セルフヘルプ・オルタナティブは容易に伝統的なサービスに堕落しうるということです(p.185)。急速に発展しサービスを提供するために資金を得ているセルフヘルプ・グループは、特に顕著に精神保健体制に取り込まれています(p.193)。
pp. 196-200
【支え合いと押し付けの区別】わたしが最初に訪れたのはアメリカの支援センターでした。このセンターは非常に高く評価されていました(p.196)。こういう(説教じみた)職員とクライアントの間の力関係はわたしのよく知っているものだったが、この支援センターのように「セルフヘルプ」とか「クライアントによる運営」と自称する団体ではこうしたことは避けられると、思い込んでいた。支援センターは都市貧困地域のホームレスの元精神科患者に、たまり場と生活技術のプログラムを提供している(p.198)。会員資格はホームレスで元精神科患者であることだが、そのうえ彼らの多くは薬物依存やアルコール依存だった。そこにいるのは非常に打ちのめされた多くの人々である(p.199)。宿泊所の管理人は「支援センターは元クライアントを雇いたがっている」と言った。(説教をしていた/支援センターを案内してくれた)ビクターは、初めのうち彼はクライアントであったことはないと言い、後でクライアントだったと言った。彼は、「クライアントと話してください。彼らこそ専門家です」とさえ言った。しかし、出たり入ったりする男性を抑圧したやり方を思うと、わたしはまた悲しくなる(p.200)。
pp. 201-207
【官僚制の中で失われるセルフヘルプ】団体は約60人のサバイバーを雇っており、彼らは11か12のプログラム、住宅サービスから、権利擁護、職業訓練、支援グループ、たまり場、コンシューマー・ケースマネジメント、州から国の段階までのサバイバーへの技術的支援に至るまでのことを行っている(p.201−202)。わたしはリーダーシップと指導者がどの程度権力を持っているのかについてもっと知りたかった。誰もが十分な発言権をもっているのか。異なったそれぞれのプログラムはどのようにして自主的に運営されているのか。……これらの質問に対し、ここの人たちから満足できる回答が得られるとはわたしには思えなかった。時には、団体に対して少し防衛的だと感じることもあった。また、彼らはこれらの問題についてあまり考えていないようにも思えた。このことで、彼らの団体の意思決定とグループの力学が、オルタナティブのやり方ではなく伝統的な形態に従っているとわたしは思った(p.203−204)。この団体は精神保健協会の傘下にある。この団体それ自体が法人化しているという事実にもかかわらず、団体のすべての資金は精神保健協会を通して調達と管理が行われる。プログラムの一つがセルフヘルプの精神から逸脱したら何が起こるのかと一人の職員に尋ねてみた。最終決定は誰がするのか。彼の回答は、「精神保健協会の管理者に最終的発言権があるだろう」というものだった。つまりそれは、真のセルフヘルプとは何かという理念が不明確であることを表しているのだ(p.205−206)。この同じサバイバー団体により運営されている18人以上の、その多くはホームレスだった元患者のための住宅を訪問した。それは居心地のよい所で、設備の整った所だった。台所のドアにはある張り紙には、こんなことが書いてあった。「クライアントは職員の付き添いがなければ台所に入ることは許されない」。事務所の隣に「職員用トイレ 立入禁止」の張り紙のあるドアを見つけた(p.206−207)。
pp. 216-217
【経験と思想と実践の織物】どんな運動でも最初の仕事は、「わたしたちが何者であり、自分にとって自分の経験は何を意味するのか」をとらえ直すことです。〔中略〕わたしたちが自分の経験を自分の思想と結び付けられなかったり、自分の思想を自分の実践と結び付けられなかったら、もはや変革への強い力を持つことはできなくなります。それどころかわたしたちの運動は、自分たちの人間性を奪った体制の模倣をしてしまうことすらあります。運動は最初は過激で思想的にも強いのですが、成長すると穏健になり明確さを失っていく傾向がよくあります。