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『精神医療ユーザーのめざすもの――欧米のセルフヘルプ活動』

メアリー・オーヘイガン(O'Hagan, Mary)
中田智恵海監訳
長野英子
解放出版社 四六版 248ページ 1800+税=1890円
kaiho-shoten@jca.apc.org
原題:Stopovers: On My Way Home From Mars


このHP経由で購入すると寄付されます

Mary O'Hagan 1991 Stopovers: On My Way Home from Mars=199910 長野英子訳,『精神医療ユーザーのめざすもの――欧米のセルフヘルプ活動』,解放出版社,245p. 4-7684-0054-X 1890 ※ [amazon][kinokuniya] ※ d m.

◆内容説明[bk1]
精神医療ユーザーの運動とグループ運営について、精神医療ユーザーの立場から論じる。実践家としての日々の活動体験から、その運動に関するさまざまな問題点を摘出する。〈ソフトカバー〉
◆著者紹介[bk1] 〈オーヘイガン〉1986年にニュージーランドで初めての精神医療ユーザーによるセルフヘルプ活動と権利擁護活動を始める。世界の精神医療ユーザー運動の中心的存在のひとり。


◆山本真理さんより

 著者のメアリーは精神医療サバイバーでニュージーランドで初めてのセルフヘルプグループを作った方です。この本は1990年に彼女がアメリカ、英国、オランダのセルフヘルプ活動を回った旅の報告書です。
 多くの方にお読みいただければ幸いです。

 以下のメールにご住所をお知らせいただければ、送料無料でお送りいたします。
 発送時に郵便振替用紙を同封いたしますので、郵便局で1890円をお振り込み下さいませ。
 山本真理 [略]

◆翻訳者あとがき  長野英子

 本書は精神医療サバイバーの運動と組織について、サバイバーの独自性に添って論じたものであり、既刊の『精神病者自らの手で』と共に、欧米のサバイバー運動の中で広く読まれているものです。
 この本の魅力はなんといっても著者の率直さでしょう。日本においてはサバイバー運動独自の自覚的な組織論運動論は見られず、無自覚なままで既成の組織論運動論をなぞっている場合が多いのではないでしょうか。しかし著者の言うように私たち「精神病」者解放運動には一切お手本がありません。したがって既成の社会運動の組織論や運動論そしてその思想は一切役に立ちません。あらかじめある何らかの思想信条からものを見るのではなく、サバイバーの現実から出発した実践的な探求こそが求められています。そしてそこにこそ本書の価値があると思います。実践家として日々の活動体験からの疑問、問題意識、そしてサバイバーの解放へのイメージとつながる理念、この二つのはざまで、苦しみ、悩み、そしてある時は混乱する、そうしたことをありのままに告白している著者の姿勢に共感する仲間は多いことと思います。
 この本はサバイバー運動についてさまざまな問題点を摘出していますが、それぞれ私自身が全国「精神病」者集団の会員として日々考え、そして悩んでいる点でもあります。「私たち『精神病』者は何者か」「わたしたちの狂気の意味は」「わたしたちの組織をいかに運営していくのか」「中心的活動家は専門家と同様の権力を持ってしまうのではないか」「政治活動と支え合いの統合はいかに可能か」など、精神医療サバイバー運動に携わるだれもが日々悩んでいるところではないでしょうか。
 著者は「狂気の意味」そして「組織の運営管理」を問い直すことを勧めています。わたしの問題意識ではこの問いかけは二つの歴史的な意義があり、これによってこそサバイバー運動は人類史に貢献できると考えています。この意味で本書は単にサバイバー運動に携わる人たちだけでなく、人間とは何か、人間の解放とは何かを考える人々にとっても刺激ある本であると思います。
 反差別の運動は歴史的に「人間とは何か」の定義拡大の闘争でもありました。「奴隷も人間である」、「女も人間である」、「障害者も人間である」というように。「人間とは何か」のイメージを豊かにしていくこと、それこそが反差別闘争の中心にある目的ではないでしょうか。サバイバーはその存在そのものが市民社会の秩序やルールからはみ出した「カオス(混沌)」そのものです。その意味で「精神病」とレッテルを貼られた人間の経験について、肯定的な側面を見つけていくことは、近代西欧市民社会で創作された「市民像」、「主体的で自立した自由な人間が人間である」という「人間像」を打ち破る「人間像」を創出していくものです。
 既成の精神保健体制を否定するサバイバーにとっては、階層制度を完全に撤廃した組織、平等な参加を保障する組織をめざすことは中心的な問題意識の一つとなります。歴史的にはサバイバーの組織も含め、どんな組織もこうした構造を創出した実例は存在しないといってよいでしょう。しかしおそらくこうした問題意識を自覚的にそして日常的に持ち続けることをその組織目的の一つとしうるのはサバイバーの組織だけではないでしょうか。その意味でもサバイバーの運動は人間解放への闘いに大きな貢献ができるのです。
 著者が問題提起している精神保健体制に取り込まれることもこの二つの問題意識によって解決可能なことですが、日本のサバイバー運動も自覚すべき問題でしょう。幸か不幸か日本においては長年サバイバーに対しては排除のみが強調され、わたしたちの運動のそれに対する告発闘争でした。しかし欧米に遅れること遙かですが、この10年ほどの間に精神保健専門家たちも、そして行政も「当事者の参加」「当時者組織の結成」などと発言するようになってきました。
 本書にアメリカの「偽のオールタナティブ」をめぐる発言がありますが、専門家が強制医療をふるう権力を隠蔽するために「患者会」を使うことは当然考えられます。いわゆる「悪徳病院」では、病院当局が入院患者の中から患者ボスを選び、その患者ボスたちを使って入院患者を暴力支配をしている実態があります。この構造のよりスマートで「民主的」な形式として、患者会を使い「患者に患者を支配させる」構造を考え出す専門家がいてもおかしくありません。行政も自分たちのやりたいことを正当化するために「委員会に当事者を入れた」という形式を取ることもありえます。さらには精神医療審査会に当事者組織代表を入れて、当事者をほかの仲間の強制入院正当化に利用していくことも考えられます。
 現在日本のサバイバー運動もこうした危険な段階に来ているのではないでしょうか。その意味でも本書は有益な示唆を与えてくれるものだと思います。
 本書を貫く著者の精神保健体制の実態暴露と批判は多くの日本のサバイバー仲間が体験しそして批判している点です。まさに会ったことすらない人たちでありながら、サバイバーの仲間は精神医療の中で国際的に共通の体験をしています。本書ではこうした体験から、「医学モデル」の否定とオールタナティブ創設の主張がなされております。しかし著者の言うように、狂気の体験は精神医療の介入なしでもやはり苦痛を伴っています。この苦痛をいやすものとしての医療までも全否定、拒否すべきなのか、あるいはできるのか、という疑問があります。セルフヘルプ活動だけではこの苦痛は解決できないのではないでしょうか。日本でもこの点をめぐる議論はサバイバー運動の中で繰り返されてきましたが、今後も議論を続けなければならない点だと思います。もちろん既成の精神保健体制に代わるものとして具体的な「苦痛をいやすオールタナティブ」の試みが欧米には存在します。
 たとえば薬の問題があります。抗精神病薬はじめすべての向精神薬を否定するサバイバーであっても、「すぐに薬をゴミ箱に捨てること」をすすめているわけではありません。抗精神病薬や向精神薬をやめた際の症状は多様でありかつ苦痛に満ちており、生命の危険すら伴います。ドイツのサバイバーであるP・レーマンは「向精神薬の中断に伴う離脱症状」という文章の中で、医療的な体調監視の下で、慎重に少しずつ薬を減らすこと、そして鍼やマッサージ、ヨガなどの代替医療、環境調整や援助者の必要性を強調しています("Deprived of our humanity --the case against neuroleptic drugs" 「人間性の剥奪――反抗精神病薬の症例(邦訳なし)」より)。日本ではわたしの知る限り、薬からの離脱を助ける専門家もあるいは運動体、援助システムも存在していません。それゆえ薬の問題を実践的かつ建設的に議論し解決する前提が欠けているのが実態であると思います。この点は今後日本のサバイバーが欧米のサバイバー運動から学んでいかなければならない点でしょう。
 わたしたちは決して孤立していないことを確認し、そして日常の活動を少し醒めた目で点検するために本書が多くの仲間に読まれることを願っております。
 最後に日本語版出版にこころよく応じ、度重なる質問にていねいに答えて下さった著者のメアリー・オーヘイガン氏、分かりにくい翻訳を訂正する討論に熱心に応じて下さった監訳者の中田智恵海先生と編集の尾上年秀さんに感謝の念を表します。

◆引用

 「もっといいやり方があるに違いありません。わたしは自分が何を探しているかについてさえ全く知らずに、図書館で調べ始めました。そしてそれはあったのです。"On Our Own" Judi Chamberlin という一冊の本です。この本全部が、従来の精神保健体制に代わる活動を自分たち自身でつくり上げた元患者について取り上げています。この本を読んでわたしは、精神医療のサバイバーの運動をたどる旅を始めたのです。」(pp.21-22)

■言及・紹介

◆立岩 真也 20000115 「一九九九年読書アンケート」『みすず』42-1(2000-1)
 「メアリー・オーヘイガン『精神医療ユーザーのめざすもの――欧米のセルフヘルプ活動』(解放出版社)。訳者でありサバイバー=この仕組みの中で/に抗して生き延びる人である長野英子が「偽のオールタナティブ」、「薬」、「苦痛」、「サバイバー運動独自の自覚的な組織論運動論」…について記す「あとがき」から入られるのもよいだろう。」
◆立岩 真也 20021125 「サバイバーの本の続き・1」(医療と社会ブックガイド・21),『看護教育』43-10(2002-11):268-277



*以下、松枝亜希子(立命館大学大学院先端総合学術研究科)作成。

◆「薬の使用」に該当する箇所の抜き書き

【狂気をどうとらえるか】
1精神保健体制の中のサバイバー
○価値をおとしめる精神保健体制
<向精神薬と電気ショック>
「わたしの話した多くのサバイバーは、精神科での薬物使用を支持しませんし、電気ショックにいたってはもちろん反対です。この二十年間で生物学的精神医学が勢いをもってきてい<0043<ることを懸念する人もいました。薬は安価で早く作用し、普通は鎮静効果があります。だから、金は足りないが過剰に管理しようとする精神保健体制では薬は第一の選択手段です。「薬は内部的な拘束衣である」「薬は重要な学習経験を奪う」「いくつかの種類の薬は飲んだ人間を衰弱させる副作用がある」などと訴えるサバイバーもいます。」 (Mary O'Hagan[1991=1999:43-44])

 「現在薬がとても乱用されています。有害な薬が広範囲にわたり強制的に使われています。(中略)アメリカ精神医学会でさえ、一般に精神科の患者に使われる向精神薬が、実は中枢神経系に不可逆的な破壊をもたらすことを認めています。とくに、向精神薬は遅発性ジスキネジアという病気を引き起こすことをアメリカ精神医学会は認めています。医者たちの概算によれば、世界中で五千万人が遅発性ジスキネジアに侵されています。政府が巨大で偽善的な麻薬との戦争を上演しているまさにその時に、一方では国家の保護の下に巨額な利益を上げる強制的な市場が向精神薬を販売するために用意されているのです。」(Mary O'Hagan[1991=1999:45])

【翻訳者あとがき】
p234
例えば薬の問題があります。向精神病薬をはじめすべての向精神薬を否定する精神医療ユーザーであっても、「すぐに薬をゴミ箱に捨てること」を勧めているわけではありません。向精神病薬をや向精神薬をやめた際の症状は多様でありかつ苦痛に満ちており、生命の危険すら伴います。ドイツの精神医療ユーザーであるP・レーマンは「向精神薬の中断に伴う離脱症状」という文章の中で、医療的な体調監視の下で、慎重に少しずつ薬を減らすこと、そして鍼やマッサージ、ヨガなどの代替医療、環境調整や援助者の必要性を強調しています。日本ではわたしの知る限り、薬からの離脱を助ける専門家も、あるいは運動体、援助システムも存在していません。それゆえ、薬の問題を実践的かつ建設的に議論し解決する前提が欠けているのが実態であると思います。この点は今後、日本の精神医療ユーザーが欧米の運動から学んでいかなければならない点でしょう。

◆「精神障害者がグループを形成する時の困難な点」に該当する箇所の引用

【狂気をどうとらえるか】
1精神保健体制の中のサバイバー
○価値をおとしめる精神保健体制
<強制医療>
p46
八〇年代にサバイバーの新世代が運動に参加してきた時、彼らは強制医療もいいではないかと主張しました。近年この問題は運動を分裂させる最大のものです。

【どのように運動を進めるか】
3サバイバー運動
○アメリカ
p75
近年、運動の中に亀裂が生まれてきました。保守的なコンシューマーは、精神保健体制にもそして強制医療についてさえもっともな理由があると信じています。一九七〇年代に運動に参加した過激な人々は、強制医療に対するこうした見方を忌まわしいものとして、一言で言えば解放という運動の目的自体を否定するものと感じています。

七〇年代後半になって二つの相反する運動が現れ始めました。つまり「体制と協働しよう」という運動と「体制とは協働しないでおこう」という運動です。精神保健体制

p76
をまず抑圧の体制として見る人々と、精神保健体制を少し手直しすれば役に立つ体制だと見る人々との違いです。体制と共に働くことをもいとわない保守的なグループは、いくらかの資金を得るようになりました。これらのグループの多くは体制によって、そして体制の金によって誕生したのです。彼らは本当のセルフヘルプ・グループではなかったのです。なぜなら彼らは、いろいろな問題についてどうすべきか命令され続け、監督されていたのです。

5政治活動
○精神保健サービスへのサバイバーの参加
<サバイバーの未開発の潜在能力>
p115
しかしわたしが学んだ最大のことは、給料をもらっているサバイバーや運動経験を積んだサバイバーが、仲間の参加を妨害したり、少なくともより力を奪われた仲間の参加を手助けできないことがあり得る、ということでした。

p116
精神保健サービスと自分たちの生活を改善できる自分自身の潜在脳力を悟っているユーザーはだれもいなかった。潜在能力を認識せずに効果的な活動グループになることはあり得ないだろうということが、わたしにははっきり分かった。

専門家が進んでこれらの仕事を引き受けたわけではないが、ユーザーはだれもこの仕事を買って出なかった。専門家はユーザーの参加を進めようとしているにもかかわらず、専門家が会議に参加しているというだけで、ユーザーは自分たちが無用な存在であるという気持ちが強められた。

6セルフヘルプ活動
○セルフヘルプ・オルタナティヴと伝統的サービス
p132
セルフヘルプ・オルタナティヴは紙の上では素晴らしく見えるでしょうが、セルフヘルプ・オルタナティヴを達成するのは非常に難しいということが、この旅でわたしが学んだもっとも重要なことの一つです。

【どのように運営するか】
7セルフヘルプ・グループ
p146
○運営
わたしのグループでは、ずさんな運営のため、伝言がどこかにいってしまったり、会計検査役が怒りのあまり髪をかきむしったり、他の人が賛成しないことをある職員がやり続けたりすることがありました。

p147
<運営への二つの取り組み>
人集め、職員の啓発、財政の強化、そういった課題にわたしたちはとても苦労しています。

p148
多くのコンシューマーは資金を得ても、運営能力がないので台無しにしてしまいます。彼らにこれ以上の金を出そうとはだれも思いません。彼らは小さいままでいるかつぶれるかです。非常に無政府主義的なやり方で組織問題に取り組んでいるグループをわたしはよく見かけます。

p149
ジョンの団体は伝統的組織にあまりに似すぎていますが、しかし一方でローラのネットワークのあいまいな運営にもわたしはいくらかの疑念をもちます。

p150
規約ではこの理事は三十人まで認められている。わたしはこれは多すぎると思う。

これに加えて、実際には理事たちは決して会うことがなく、電話の会議を通して意思決定をするのだ。

p151
運営とか財務に熟練していることは理事会にとって重要とは見なされず、理事会はネットワークの運営にはほとんど興味のない政治好きの人物でいっぱいになるのだ。違った派閥を近づけ一緒にさせようとする賢明な指導者はネットワークにはいないようである。特定の補助金をうける要件である役員名簿やきちんとした帳簿制度がないから、ネットワークは多額の補助金を新たに獲得できない。

p154
○意志決定
しかし、社会的に認知された伝統的な団体の習慣を無意識に真似してしまったり、団体が成長するにつれ能率や体裁の必要を感じたりすると、意思決定過程への参加という原則が曲げられることがよくあります。

p155
わたしたちのたまり場では、自分たちで会議をして難しい決定をしなければならないので、それが非常に苦痛なことがあります。例えばだれかが規則を継続的に破っていると、自分たちで対処しなければなりません。多くの権威主義的な構造の内部にいると、これらの難しい決定をだれかがしてくれることが多いので、ずっと楽です。

p156
<多数決原理>
だれもが満足する意思決定をするには意見の違いが大き過ぎました。

p159
<階層制度>
いま会員は、わたしたちのグループの意思決定過程に非常に不満を抱いています。悲しいことです。彼らはもっと権威主義的な構造を求めています。厄介な行動をする少数の人がいるので、直接民主主義の方法で意思決定をすることが難しくなってきたからです。本質的には階層的な世界の中では、対等に参加できる仕組みをつくるのは難しいことだけは明らかです。

p160
○公式な意思決定、非公式な意思決定
奇妙なことに、サイキアトリック・サバイバーズにおいて、わたしたちは公式の意思決定過程を民主主義の喪失と考えていました。突然わたしは自分たちの取り組みの危険性に気付きました。

p161
職員が運営を行っているが、現段階ではサイキアトリック・サバイバーズの意思決定についてわたしたちは何ら現実的な心配はしていない。なぜなら、職員で構成する世話人グループが常に他の会員から意見を聞ける道を開いているから。しかし、もしこの道を閉じてしまったら、世話人グループは独裁者となってしまうだろうとわたしは心配する。

これは、サイキアトリック・サバイバーズの中で全く違う二つのグループ、つまり職員のグループと職員以外の会員のグループとが出来てきたために起きた組織的なゆがみである。

p162
残念なことに、職員だけが団体で積極的な役割を担えるかのような暗黙のメッセージを後から参加する会員は受け取った。その間に職員は、知識、技術、そして地位を得た。そうしたことにより、他の会員を職員の後ろに置き去りにする傾向があった。会員の多くはどんどん無力化させられた。

p163
○リーダーシップ
リーダーシップはセルフヘルプ・オルタナティブ、特に全員一致と直接民主主義で運営されているものにとっては困難な問題です。わたしたちの多くにとってリーダーシップは権力を、そして権力は抑圧を伴います。以下の日記はこれらの関係についてわたしが苦労していることを抜き出したものです。

p165
より保守的な改良派のリーダーの一人は非常にカリスマ的で、一般のメンバーは彼を「仰ぎ見て」いる傾向があった。しかしこうしたリーダーシップは、一般のメンバーが自分自身の潜在能力を認識したり活用することを妨げる場合があるので、わたしは不快だった。

p165
彼らのリーダーシップのあり方が他の形より、より見えない形で巧妙にメンバーを操作していることもありうるだろう。

p169
つまり、影響を及ぼすことは支持されなければならないのに反して、権威的であることは押し付けることにつながるのです。

p170
○会員
わたしは、どんな人であれ、サバイバー以外の人を会員にするのは反対である。

p171
サバイバー・グループの後ろ盾がなければ、個々のサバイバーはサバイバー以外の人たちにのみ込まれてしまう。

こういった団体では、役員はすべてユーザーであるべきだし、役員は団体から人を排除できるべきだとわたしは考える。これは特に支配をたくらむ専門家の排除を目的にしている。しかし現実によくありがちなことは、支配的な専門家が、団体を権限のない無意味なものにすることによって、ユーザーを団体から追い出すことである。

p173
政治的な働きをしようとするユーザーと専門家との連合に、わたしは何の反対もしてこなかった。しかし、ユーザー・グループに参加していない人がこうした連合組織に参加すると現実的な問題が起きると考える。

p175
<少数民族>
白人に比べてかなり多くの少数民族や先住民が、精神保健体制の対象となっています。にもかかわらず、わたしの訪れたサバイバー団体の多くは圧倒的に白人が多かったのです。
わたしと話した多くのサバイバーが、少数民族が運動の中で十分活躍していないことを認識していました。しかし彼らはこのことについて何をすべきか全く分かっていませんでした。わたしも彼らと同じようにジレンマに悩んでいる。

○有給の職員
p177
リザはサバイバーが主導権をもついくつかのグループに参加した。これらは政治活動を主としたグループだったが、既につぶれていた。これらのグループでは何がうまくいかなかったのかと彼女に尋ねた。彼女によると、参加した人々はすべて無給で、グループのために使う十分な時間を取れなかったとのことだ。会員は自信がなくグループを運営する経験も乏しかった。また、政治活動ではなくて支え合いを求めてやって来るサバイバーもあり、こうした人々が自分自身の問題について話したい欲求をもっていたことも、事がうまく運ばなかった原因である。

p178
賃金をもらっていない会員はほとんどすべての仕事をこなすことをわたしに期待するので、有給の職員であることが原因でいくつかの問題が生じた。この賃金のせいで、わたしは心地よく思うどころか、専門家の役割に近いところに置かれてしまった。

p179
有給の職員が存在することは、他のサバイバーにとって自分たちの余暇を使って積極的に参加することをより困難にするし、サービスを利用している人と職員との間に越え難い壁をつくってしまう。有給の職員は非常に忙しくて意思決定のために会議に行ってしまう一方で、たまり場にいる人々は疎外されていると感じるだろう。職員が存在するということは、必然的に他の会員以上に専門的知識と責任を持つことを伴う。職員は職員という階級をつくる危険性がある。

<最後に>
p183
セルフヘルプ・グループの運営に失敗するとすれば、その主な原因は精神保健体制に組み込まれることです。つまり、サバイバーが精神保健体制などサバイバーを抑圧する構造を無意識にまねるときです。

8精神保健体制に組み込まれる
p185
○違いを知る
わたしが旅で得た最大の教訓は、セルフヘルプ・オルタナティヴは容易に伝統的サービスに堕落しうるということです。

p187
もしあなたに事務所があり、あなたが大きな手帳を手にした権利擁護者であるなら、サバイバーはあなたには援助できる特別の力があると考えます。つまり、たとえあなたがサバイバーであったとしても、サバイバーたちは即座に無力になり依存的になります。

p191
○精神保健体制からの分離
ヘンリーは精神保健体制から自分自身を切り離すのに何の困難も感じませんでした。しかしそれに困難を感じる人たちは、自分たちのセルフヘルプ活動を、精神保健体制の一部としてしまうか、その管理下においてしまうでしょう。そして彼らの活動は、抑圧的な精神保健体制に代わるセルフヘルプ活動として発展することはないでしょう。

p192
しかし問題はそれにとどまりません。完全に自主的な意思決定権を持っているセルフヘルプ・グループでさえ、自覚のないままに自分たちのよく知っている階層的な構造をモデルにしてしまうという危険を冒してしまいます。

しかし、必ずしもわたしたちが望んだ方向へと成長しているわけではありません。患者の運営するあるプログラムの給料は、経営責任者には三万ドル、たまり場の職員には一万五千ドルと大きな差が付いています。これは大企業の階層制度そのものです。

p193
わたしたちが認められるようになればなるほど、精神保健体制に取り込まれる可能性が大きくなります。精神保健体制に取り込まれる最も容易な方法は、資金を通してだと思います。そしてそれは常に起こることで、どんな運動にとってもこれは脅威です。

p194
今までの旅で見聞きしたことに基づくと、サービスの提供者という役割をサバイバーが引き受けることに関して、わたしは不安になってきた。

もちろん、サバイバーによるサービスは伝統的なサービスに比べればましだが、それでもこれらの中に伝統的なサービス提供者の行動形態が忍び込んでいるのを見ると、そうなるのは驚くべきことではないけれども、わたしは気に掛かる。

p195
援助の役割を引き受けるとき、サバイバーが冒す危険については運動の中で十分に調査されてこなかった。結局、問題は、サバイバーによるサービスが、自分たちを抑圧したもののようにならないで済むことをいかに保障するかということだ。

運動に参加するとき、サバイバーとしての経験だけではなく、他のサバイバーを抑圧するために知らないうちに使ってしまう権威主義的で階層的なたくさんの体験を引きずって、サバイバーは運動に参加するのだ。

p196
わたしの訪れた二つの場所で、サバイバーによる無意識の抑圧がわたしの目に最も明らかになりました。

○支え合いと押し付けの区別
p197
その直後、一人の男性がドアから出て行こうと歩き始めた。ビクターは彼を止め、厳しい父親のような言い方で「中に戻るか、さもなければ帰ってくるな。おまえはわたしに出たり入ったりうろつかないと約束したじゃないか」と言った。こういう、職員とクライアントとの間の力関係はわたしのよく知っているものだったが、この支援センターのように「セルフヘルプ」とか「クライアントによる運営」と自称する団体ではこうしたことは避けられると、わたしは今日まで思い込んでいた。

p200
今日訪ねたセンターについて、わたしは悲しい思いをし続けている。もしかしたらビクターの説教じみた言い方は黒人同士では問題ないのかもしれないが、彼が、わたしにあのように話しかけたとしたら、わたしは恩着せがましいと感じただろう。

p208
仲間だったらお互いに悪いことをしているのを見付け、言いつけあったりしない。仲間だったら規則違反行為に対する職員の対応の決まりを、扉の閉まった事務所の内側に秘密に書いて張ったりしない。もし仲間がそういうことをしたとしたら、それはあまりに精神保健サービスに浸りきってしまって、お互いにいい影響を与え合うやり方を知らないためである。

p210
<最後に>
精神保健体制に組み込まれることや伝統的サービスをまねしてしまうことは、今日のサバイバー運動を阻害する最も見えにくく油断のならない要因です。

*以下、駒澤真由美(立命館大学大学院先端総合学術研究科)による引用。
pp. 3-5
 【日本の皆さんへ】一般労働市場で仕事を見付けることが出来ない精神医療ユーザー・サバイバーもたくさんいます。彼らは作業所でわずかな手当で単純な作業をやらされています。また、地域社会に貢献する機会も与えられずに居間やデイセンターでいたずらに毎日を送っている人たちもいます。世界中で精神医療サバイバーは耐えられない何重ものストレスに苦しめられています。それは貧困、失業、絶望、不適切な住居、孤立そして搾取です。しかしこうしたことはあってはならないのです(p.3)。精神保健サービスを使っている人が、自分たちの望む治療、介護、援助を受け、そして自分たちの仲間の市民と同等の平等な機会を保障されている世界であれば、こうしたストレスによる苦痛は決して起きないでしょう(p.3-4)。わたしたちは、強制ではなく自分たちの意思に基づいたサービスを求めます(p.5)。

p. 22
 【サバイバー運動】1987年、わたしはオークランド市のグループ、サイキアトリック・サバイバーズをつくりました。ニュージーランドではこの種のセルフヘルプ・グループとしては最初のものでした。そこでは、支援グループ、たまり場、宿舎を運営しています。わたしたちはサバイバーのための情報を整理して、パンフレットを制作し配っています。また、この地方の精神保健政策にも一定の役割を持っています。

pp. 73-74
 【サバイバー運動】公民権運動や反精神医学、女性運動、先住民の運動を生み出した雰囲気の中で、サバイバー運動は1970年代初頭に活発となりました。これらの運動の出発点は自己決定を求めている点でつながっています。サバイバー運動はこの20数年間で変わってきました。小さく、資金もなく、純粋で過激な廃絶派の運動から、より大きく、より多様でかつセルフヘルプ・オルタナティブと精神保健体制の改良に焦点を置いた実践的な運動に成長しました。

pp. 75-78
 【サバイバー運動】わたしはアメリカの運動の変化を見てきた人たち数人と話しました。ジェニー(マサチューセッツ):「70年代後半になって2つの相反する運動が現れ始めました。つまり、「体制と共働しよう」という運動と、「体制とは共働しないでおこう」という運動です。精神保健体制をまず抑圧の体制として見る人々と、精神保健体制を少し手直しすれば役に立つ体制だと見る人々との違いです。体制と共に働くことをもいとわない保守的なグループは、いくらかの資金を得るようになりました。これらのグループの多くは体制によって、そして体制の金によって誕生したのです。彼らは本当のセルフヘルプ・グループではなかったのです。なぜなら彼らは、いろいろな問題についてどうすべきか命令され続け、監督されていたのです。」(p.75-76) スージー(カルフォルニア):わたしが運動の中で活動するようになった1970年代の半ばに、突然、仲間と連帯しているという感覚をもちました。……運動がわたしには人生の目的のすべてであり、非常に明確な意識を与えてくれました。その意識とは、わたしの悲惨な体験を決して他者に繰り返させてはいけないと考え、そのためにわたしは人生で大切なことをしようという意識です。当時わたしたちの運動の中では、オルタナティブやサービスは絶対に認められませんでした。主要な力点は政治活動にあり、座り込みとかそういったことでした。運動はアメリカにおいてより大衆的になりました。しかし主流になってしまうと、言ってきたことの真髄をいくらか失う可能性もあります。……わたしにとっては強制医療を信じることなど運動ではありません。わたしたちの運動は、全面的に自分の人生を自分で選択するという概念を基盤としていたのですから。」(p.76-77)。「他方、ヘンリー(カルフォルニア):「80年代初頭まで、運動は、ひどく狭量で政治的主張に重点を置いており、政府から金を取らず、もっぱら病院での虐待に焦点を当てていました。わたしは運動から疎外感を感じていました。なぜなら私は、生き抜くための事柄に非常に関心があったからです。わたしはホームレスで福祉で生きていたからです。運動はいまや、病院を出た後に起きることに多くの関心を寄せています。いまや運動は政治的主張に重きを置かなくなりました。クライアントの運営するセルフヘルプ活動という概念はついに受け入れられました。わたしたちが何年間にもわたって言ってきたことが正しいと、研究者たちも結論を出しました。そしていまや意義に見合う金額が入ってくるようになりました。わたしたちの支援センターは15人を雇っています。わたしたちは1日当たり120人以上にサービスを提供しています。10年前には耳にすることさえなかったでしょう。」(p.77-78)

pp. 79-83
 【サバイバー運動】アメリカとヨーロッパでは運動に少し違いがあります。オランダと英国のサバイバーは、セルフヘルプ・オルタナティブを供給することより、精神保健体制を改良することにはるかに大きなエネルギーを注いでいます。〔中略〕わたしが話した英国のサバイバーはR・Dレインなどから大きく触発されていました(p.79)。英国のサバイバーは、サッチャー政権下でオルタナティブ事業の資金をえるのがだんだん厳しくなっていると言っている。驚くべきことに英国では、精神保健体制の中でも、セルフヘルプ・オルタナティブの提供のためにも、実際雇われているサバイバーはほとんどいない。時間も資源もないボランティアの身に頼っている場合が多ければ、組織を聴きに陥れる危険性がある(p.80)。アメリカでグループができ始めてすぐにも乱打でサバイバーが組織化されました。エド(オランダ):わたしたちは70年代そして80年代初めまでは到達すべき理想郷を持っていましたが、もはやそうではないと思います。わたしたちのキャンペーンの多く、つまりよりより施設、地域での医療、カルテを見る権利等々は正式に精神医療に受け入れられました。いまや精神医療体制自身がこれらのスローガンを主張しています。……彼らはいまや、「あなた方のいう事を聞きましょう」と言っています。これこそ彼らが20年前には言わなかったことです。サバイバーの運動には3つの分岐があります。精神保健体制の廃絶、精神保健体制の改良、そしてセルフヘルプ・オルタナティブです。それぞれの強調点は国により時代により変化するのですが、それぞれの運動には異なる点より共通点がはるかに多いことに気付きました(p.83)。

p. 86, 92
 【精神保健体制との関係】精神保健の専門家は、サバイバーの運動からの挑戦を受け、サバイバーとの関係を、押しつけがましい干渉という関係から対等な関係へと変えていくことが求められています。多くの専門家はわたしたちを教師として見ることを困難だと感じています。しかし一方では、専門家はこの隔たりを超えて同僚としてわたしたちと関係をもつことにより、わたしたちが異なった立場にいることまで否定することもあります(p.86)。旅行中にわたしは精神保健の専門家でもある数人のサバイバーと話しました。その中にはサバイバーであるため専門家の同僚から拒絶され、また精神保健の専門家であるためにほかのサバイバーから疑いの目で見られるという、難しい立場に置かれている人もいました(p.92)。

pp. 94-96
【家族会との関係】わたしたちの一番厄介な関係は「精神病者」の家族会との関係です。サバイバーの多くは自分たちの苦悩は家族が原因であると信じているのに、家族は自分たちの罪悪感を「精神病」に関する遺伝学や生科学的理論を支持することで軽減する傾向があります(p.94-95)。ヘンリー(カルフォルニア)は、家族会にいは肯定的な面もいくらかあると見ています。「わたしたちは家族の全国組織と面白い関係にあります。彼らは強制収容を拡大する法律を推進してきました。そして私たちほとんどすべての段階で彼らに反対してきました。ところが一方では、所得問題、住宅問題、あるいは差別問題に関しては家族会とわたしたちの考えは全く一致します。そして家族会はセルフヘルプ活動についても大いに支援してくれます。」(p.96)。

pp. 132-134
 【セルフヘルプ・オルタナティブ】いくつかのセルフヘルプの定義を、伝統的な精神保健サービスと対照させてみました。セルフヘルプ・オルタナティブは紙の上では素晴らしく見えるでしょうが、セルフヘルプ・オルタナティブを達成するのは非常に難しいということが、この旅でわたしが学んだ最も重要なことの一つです。まず肯定的な事柄について共有したいと思います(p.132-133)。ブレンダンは、精神保健体制の干渉するやり方と、これに反してセルフヘルプ・グループでの仲間が互いを受け入れ合うやり方を対照させて話してくれました。「専門家は来所した人を変えるために存在しているのです。一方セルフヘルプ・グループでは、変わらなければならないという強制は一切ありません。セルフヘルプ・グループは、支えてくれ力を与えてくれるという感覚をもたせてくれます(p.134)。自殺したいときに深夜友だちに電話することと危機介入チームに電話することは、全く違った体験です。友だちは自殺したい気分の間、あなたの話を聞き支えてくれるでしょう。しかし危機介入チームなら、あなたを病院に押し込めることがよくあります(p.135)。」

pp. 140-141
 【セルフヘルプの多様性】アルコホリックス・アノニマス(Alchoholic Anonymous: AA)、これはセルフヘルプ・オルタナティブの起源であるという人もいますが、現代のセルフヘルプの精神とは少し違います(p.140)。それはあまりに個人に焦点を当てており外的なストレス要因、たとえば貧しい人間関係、貧困、失業等々といったものを無視しているというものだ。自分たちの苦悩の原因を自らの内にあるものとして見るように勧められ、そうすることで、外の要因が自分のために変わってくれることに頼らず自分自身を「改善」することが可能となるという。わたしはある程度はこれに賛成する。しかし、自己中心的とか自我が強すぎるという言葉で自分自身をおとしめて話す語り手も何人かいることが、わたしの印象に深く残った。わたしはこれが不快だった。

pp. 140-141
 【支援者も入れるか、支援者は入れないか】英国人は精神保健体制の改良に関心が強く専門家との接触がずっと多いので、サバイバーのグループが専門家を「支援者」として会員に迎えることはよくある。専門家に乗っ取られたグループもあるし、また専門家が参加することを望んでいるサバイバーのグループもある。わたしはどんな人であれ、サバイバー以外の人を会員にするのは反対である(p.170)。サバイバー・グループの後ろ盾がなければ、個々のサバイバーはサバイバー以外の人たちにのみ込まれてしまう(p.171)。

pp. 176-180
 【有給の職員】スージー(カルフォルニア):「サバイバーは、精神保健体制から金を取るべきではありません。なぜなら経済的支援を盾に、精神保健体制は管理してくるだろうし、実際そうしたことはいろいろな形で起きました。」(p.176) 自分たちのやっていることに対して報酬が支払われるべきだとサバイバーは期待し始めています。アメリカでわたしが会った多くのサバイバーが、自分たちの仕事に対して報酬を得ていました。しかし、イギリスとオランダとでは、ボランティアがいまだに主流です。【日記:仕事への報酬について】リザ(ロンドン)はサバイバーが主導権を持ついくつかのグループに参加した。これらは政治活動を主としたグループだったが、既につぶれていた。参加した人々はすべて無給で、グループのために使う十分な時間が取れなかったとのことだ。会員は自信がなくグループを運営する経験にも乏しかった。また、政治活動ではなくて支え合いを求めてやってくるサバイバーもあり、こうした人々が自分自身の問題について話したい欲求をもっていたことも、事がうまく運ばなかった原因である(p.177)。リザの言葉を聞いて、サイキアトリック・サバイバーズの初期の頃を思い出しました。賃金をもらっていない会員はほとんどすべての仕事をこなすことをわたしに期待するので、有給の職員であることが原因でいくつかの問題が生じた。この賃金のせいで、わたしは心地よく思うどころか、専門家の役割に近いところに置かれてしまった(p.178)。サイキアトリック・サバイバースでは、有給の職員及び少しの報酬で実質的にどんな仕事でもする職員と、実質的には何もしない残りの会員との間に明白な区別がある。一方クライアント組合では、参加の程度は、いろいろな形態をもってもっと平等に広がっている(p.179)。有給の職員が存在することは、他のサバイバーにとって自分たちの余暇を使って積極的に参加することをより困難にするし、サービスを利用している人と職員との間に越え難い壁を作ってしまう。職員が存在するということは、必然的に他の会員以上に専門的知識と責任を持つことを伴う。職員は職員という階級をつくる危険性がある(p.179-180)。

pp. 180-181
 【資金】アメリカの運動の初期には資金を得ることは、とりわけ精神保健体制から資金を得ることは賛成されなかったのですが、今では変化してきました。保守的なレーガン政権の下で、連邦政府から資金を得やすくなりました。その理由は、セルフヘルプは国家への依存を減らすので、結果的に安上がりであると見られたからだそうです。イギリスではサッチャー政権下で、セルフヘルプ・オルタナティブが資金を得るのは難しくなってきています。オランダでは相対的に豊かな福祉制度がありますが、セルフヘルプ・オルタナティブはアメリカのいくつかの地域でみられるほど盛んではありません。

pp. 184-185, 193
 【精神保健体制に組み込まれる】セルフヘルプ・オルタナティブは、どんなときに伝統的な精神保健サービスをまねるのか(p.184)。わたしが旅で得た最大の教訓は、セルフヘルプ・オルタナティブは容易に伝統的なサービスに堕落しうるということです(p.185)。急速に発展しサービスを提供するために資金を得ているセルフヘルプ・グループは、特に顕著に精神保健体制に取り込まれています(p.193)。

pp. 196-200
 【支え合いと押し付けの区別】わたしが最初に訪れたのはアメリカの支援センターでした。このセンターは非常に高く評価されていました(p.196)。こういう(説教じみた)職員とクライアントの間の力関係はわたしのよく知っているものだったが、この支援センターのように「セルフヘルプ」とか「クライアントによる運営」と自称する団体ではこうしたことは避けられると、思い込んでいた。支援センターは都市貧困地域のホームレスの元精神科患者に、たまり場と生活技術のプログラムを提供している(p.198)。会員資格はホームレスで元精神科患者であることだが、そのうえ彼らの多くは薬物依存やアルコール依存だった。そこにいるのは非常に打ちのめされた多くの人々である(p.199)。宿泊所の管理人は「支援センターは元クライアントを雇いたがっている」と言った。(説教をしていた/支援センターを案内してくれた)ビクターは、初めのうち彼はクライアントであったことはないと言い、後でクライアントだったと言った。彼は、「クライアントと話してください。彼らこそ専門家です」とさえ言った。しかし、出たり入ったりする男性を抑圧したやり方を思うと、わたしはまた悲しくなる(p.200)。

pp. 201-207
 【官僚制の中で失われるセルフヘルプ】団体は約60人のサバイバーを雇っており、彼らは11か12のプログラム、住宅サービスから、権利擁護、職業訓練、支援グループ、たまり場、コンシューマー・ケースマネジメント、州から国の段階までのサバイバーへの技術的支援に至るまでのことを行っている(p.201−202)。わたしはリーダーシップと指導者がどの程度権力を持っているのかについてもっと知りたかった。誰もが十分な発言権をもっているのか。異なったそれぞれのプログラムはどのようにして自主的に運営されているのか。……これらの質問に対し、ここの人たちから満足できる回答が得られるとはわたしには思えなかった。時には、団体に対して少し防衛的だと感じることもあった。また、彼らはこれらの問題についてあまり考えていないようにも思えた。このことで、彼らの団体の意思決定とグループの力学が、オルタナティブのやり方ではなく伝統的な形態に従っているとわたしは思った(p.203−204)。この団体は精神保健協会の傘下にある。この団体それ自体が法人化しているという事実にもかかわらず、団体のすべての資金は精神保健協会を通して調達と管理が行われる。プログラムの一つがセルフヘルプの精神から逸脱したら何が起こるのかと一人の職員に尋ねてみた。最終決定は誰がするのか。彼の回答は、「精神保健協会の管理者に最終的発言権があるだろう」というものだった。つまりそれは、真のセルフヘルプとは何かという理念が不明確であることを表しているのだ(p.205−206)。この同じサバイバー団体により運営されている18人以上の、その多くはホームレスだった元患者のための住宅を訪問した。それは居心地のよい所で、設備の整った所だった。台所のドアにはある張り紙には、こんなことが書いてあった。「クライアントは職員の付き添いがなければ台所に入ることは許されない」。事務所の隣に「職員用トイレ 立入禁止」の張り紙のあるドアを見つけた(p.206−207)。

pp. 216-217
 【経験と思想と実践の織物】どんな運動でも最初の仕事は、「わたしたちが何者であり、自分にとって自分の経験は何を意味するのか」をとらえ直すことです。〔中略〕わたしたちが自分の経験を自分の思想と結び付けられなかったり、自分の思想を自分の実践と結び付けられなかったら、もはや変革への強い力を持つことはできなくなります。それどころかわたしたちの運動は、自分たちの人間性を奪った体制の模倣をしてしまうことすらあります。運動は最初は過激で思想的にも強いのですが、成長すると穏健になり明確さを失っていく傾向がよくあります。

*更新:伊東香純
REV 20020912 .. 20070427,0717, 20210124
メアリー・オーヘイガン(O'Hagan, Mary)  ◇精神障害 
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