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『日本の教育と企業社会――一元的能力主義と現代の教育=社会構造』

乾 彰夫 19900223 大月書店,260p.


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乾 彰夫 19900223 『日本の教育と企業社会――一元的能力主義と現代の教育=社会構造』,大月書店,260p. ISBN-10: 4272410407 ISBN-13: 978-4272410408 \2730 [amazon][kinokuniya] p0206

■内容
現代の日本は異常な競争社会である。
その中でも最も激しい場になっているのが、学校と企業である。
しかも,この両者における競争には同質のものがある。
いま教育が,とどまるところを知らない偏差値競争から抜け出すためにも、この競争の社会的根源を正面から把握する必要があるのではないか。

■目次
序章 教育における1960年代の再検討
第1章 人的能力開発政策の視野と構造
第2章 多元的能力主義化の停滞と一元的能力主義への転換
第3章 70年代前半期の「教育と社会」の構造と論理
終章 「教育的価値」と教育学の社会的パースペクティブ
補論1 1970年代後半以降の青年の進路状況について
補論2 学校と労働市場をめぐる1980年代的矛盾

■引用
「六〇年代教育政策は一般に、「能力主義的多様化政策」と特徴づけられる。これは、この時期の能力主義教育政策の内容上の特徴を、中央教育審議会六六年答申「後期中等教育の拡充整備について」に典型的な「後期中等教育の多様化」に代表させるとらえかたである。しかし同時に、多様化は「多様化」と括弧つきで用いられることが多い。それは、あとでもくわしく述べるように、この「後期中等教育の多様化」政策が結果としてもたらしたものは、高校教育の内容上の多様化よりはむしろ、「偏差値」に象徴される。学科間の内容上の相違を捨象した高校間の一元的序列化であったからである。」(p.6-7)

「六〇年代当初、労働力をめぐっては次のような諸問題がよこたわっていた。
 まず第一に量的な問題である。たとえば「国民所得倍増計画」は、計画期間中の非第一次産業雇用者の需要増を一九六九万人と見込み、新規学卒者による充足だけでは二六六万人の不足が生ずるとした。さらに、戦後ベビーブーム世代による新規学卒増がピークをこす六五年以降は全般的な若年労働力不足に見舞われるであろうと予測した。この点、たとえば一九五七年の「新長期経済計画」が、農村に滞留する多数の潜在的失業人口の問題を背景に、計画策定の第一の意義の「生産年齢人口の高い増加率に対応した雇用機会の増加をはかること」としていた状況認識からは大きく変化している。
 第二には質的問題である。一九五〇年代後半以降の技術革新の流れは、それ以前の経験的熟練に頼った生産方式を一変させ、機械化オートメーション化に対応する技術労働・半熟練労働への需要を大きく生みだした。その結果、企業内部では、新しい技術・技能に柔軟に対応できる若年層を中心とした労働力需要を著しく増大させつつ、他方で旧技能労働力(中高年層)が過剰になるという労働力構成の質的アンバランス問題を抱えることとなった。さらに、このような労働力構成の質的転換をはかるための養成訓練については、新しい技術そのものが輸入技術であることや、戦前以来技能養成・訓練の体系的制度が社会的に未確立であったことなどから、明確な見通しを欠いていた。
 さらに第三に、労務管理秩序・経営秩序の問題である。技術革新にともなう労働力構成の質的転換は、経験的熟練という生産技術・技能やこれまた経験にもとづく作業管理能力という生産方面での役割を土台に形成・維持されてきた年功的職場秩序や、これを基礎につくられていた企業の労務管理秩序・経営秩序を、大きく脅かす可能性を秘めていた。したがって、技術革新にともなって、労務管理秩序・経営秩序をどのように再編するかは、各企業にとっては、一・二に劣らず重大な問題だった。」(p.41-42)

「以上、三回の日経連労務管理諸制度の結果からは、おおよそ次のことを読みとることができる。
 まず第一に、職工身分制度の消滅に代表されるように、戦前から一九五〇年代初めまで支配的であった労務制度は解体され、能力的資格制度や定期異動・定期昇進などの諸制度、定型的教育訓練が普及・定着するなど、労務管理諸制度の、ある種の近代化といえるような、大幅な改革・整備が進んでいる。
 しかし第二に、こうした改革・整備は、経済審六三年答申が描いた「経営秩序近代化論」の筋道とは、かなり大きくずれている。その最大の点は職務給制度の停滞・衰退と職能給制度の普及であるが、これは後に詳しく検討するとして、そのほかの問題をあげれば、たとえば技能者養成訓練では、認定訓練など社会的に制度化されたものはほとんど普及せず、各企業独自の訓練制度・システムが企業ごとに確立・普及した。技術者教育についても同様であった。採用については、企業間・産業間の労働力流動化と中途採用の増加という見通しとは裏腹に、六〇年代中盤、各企業の中途採用はかえって減少した。また、企業外の社会的公共的諸制度によって今後肩代わりされるであろうと見通された福利厚生についても、住宅問題などを含めて企業内福利厚生がそのより多くを受け持つこととなった。教育訓練や福利厚生等についての経済審六三年答申の方向が、これらの主要な部分を企業外の社会的制度へと開いていく、いわば“社会化”であったとすれば、現実のとった方向は“企業内化”であったといってよかろう。
 それでは第三に、こうした“企業内化”はなぜ生じたのだろうか。その制度的イデオロギー的側面の検討は次節以下にまかせるとして、報告書の中から直接読みとれることは、この時期の労働力事情である。たとえば賃金体系のところで「勤続および経験給」が予想に反して伸びている事情や、福利厚生の拡充している理由について、すでに見たように報告書は、労働力不足問題、とりわけ労働力の定着化のためと説明している。これはどういうことだろうか。この時期、需要の大幅な増加にともなう労働力不足は、経済審六三年答申の予想どおり、あるいは予想をも越えて進行した。そして答申は、この事態に対応するためにも横断的労働市場を形成し労働力流動化をはかるべきと提言したわけである。だがむしろ各企業の対応は、不足すればするほど、一度獲得した労働力を長期にわたって定着させる方向をとった。したがって、労務管理の現実の進行も、定着管理という方向へと向かっていった。それがここから読み取れる点であろう。」(p.83-84)

「このように、職務給化への以降に際しては、従来の年功的体系・秩序との間の折り合いをどうつけるかが、大きな問題となった。そうした中で職能給制度が、一九六〇年前後より、まずは、年功給体系から職務給体系への「移行形態の一つ*」として注目されはじめる。職務給がアメリカをモデルとしたものであったのに対して、職能給はほかにモデルがなく、「日本特有のもの」といわれている。
 *日経連は一九六〇年賃金白書において、職務給への漸進的移行形態として六つのモデルを示している。そのうちの四つは「仕事中心に職務の分析評価を行なうもの」すなわち職務給形態で、その中になんらかのかたちで年功的原理を組み込んだものであるが、残りの二つは「職務遂行能力中心に能力考課を行なうもの」すなわち職能給形態であった。なおそれ以前の日経連モデルには、職能給形態は含まれておらず、職能給形態が移行モデルとして登場したのはこの年が初めてである。」(p.101)

「現在の職務においては顕在化されずとも、過去の職務において証明された能力や、将来発揮されるかもしれない潜在的能力、直接生産過程において業績として顕在化されずとも労務管理部面で企業に貢献する忠誠心など、具体的限定的には評価しきれないものが、その主要な構成要素に含まれることになる。そして、「能力」の範囲が不明確であればあるほど、「姿勢態度」や「人柄」「人格」といった、客観的能力以外の価値的主観的なものがそこには入り込むことになるわけである。」(p.108)

 「たとえば中高年層の流動化と若年層の定着化という点では、六五年の一時的景気後退期に、日経連などは「日本的レイオフ制度」の提案を行なうが、その際これが「日本的」と名づけられたことの意味は、アメリカの制度が先任権制にもとづき若年者から解雇を始めるのに対して、相対的低賃金でかつ適応力の高い若年層は残し中高年層から先に解雇できるような制度を、ということであった。これは総資本的立場からの提案であるが、ここでも、中高年層と若年層との関係についての配慮が強く働いていたことがわかる。
 しかも問題は、流動化政策を推進したとき、そのような動きが実際にまず始まったのは、企業の期待する中高年層からではなく、若年層からであった。これは当然の結果といえる。年功的秩序になれ親しんだうえ、生活を抱え、しかも求人状況も悪い中高年にとって、容易に流動化を受け入れることはできない。逆に、需要も大きく、しかも身軽な若年層にとっては、会社が気に食わなければほとんどリスクを負うことなく転職することができた。そのため新卒採用者の定着率は六〇年代を通して、ほぼ一貫して急速に低下していった*。
 *たとえば労働省労働市場センターの中卒者調査では、一九六五年三月卒業者の卒業後三年間の離職率は合計五二・二五パーセントである。したがって、各企業の態度が流動化に傾くか、それとも定着化に傾くかは、中高年層の輩出と若年層の定着確保との、どちらの圧力が高くなるかで、容易に逆転する状況にあったといえる。そして六〇年代半ば頃にはすでに、定着化を必要とする現場の圧力は相当に高まっていた。
(…)
 また、新入社員の職場定着化のため、採用後一定期間、公私にわたりマンツーマンで世話・指導する職場指導員制度や世話係制度などが、各企業に普及した。たとえば、住友金属和歌山製鉄所の世話係制度は次のようになっていた。世話係に任命されるのは、二五〜三〇歳程度の現場の先輩格で、任命されるとまず、現場教育に必要な安全知識から政治、経済までの分野の特別教育を二週間ほど受ける。その後教育課での五〜八日程度の入門教育を受けた新入社員を引き継ぎ、三か月間にわたり、マンツーマンで指導をおこなう。そして指導機関終了後に指導報告を担当上司に提出する。この制度の目的は、@新入社員の気持ちを安定させ、 A職業意欲を持たせ、B正しい企業イメージを与えて、C将来への基礎をつくることとされている。(…)そしてこの制度の効果として、@会社、仕事に早くなれる、A職場での連帯感が強まる、B企業意識が強くなり、責任感がわいて労働意欲が向上する、などがあげられている。
(…)
 こうして、定着化が労務管理の切迫した要求となったとき、勤続年数の長さそれ自体を評価する処遇制度である年功制・終身雇用制的システムの再評価が起こってくるのも必然であった。職能給制度が、職務給化への過渡的形態という位置づけを離れて、独自の原理として承認されるに至った有力な物質的根拠がここにあったといってよい。」(p.116-119)

「採用については、新規学卒採用を原則とし、そのうえで、「企業内教育の可能性と教育投資との採算」の中で可能な職種については中途採用も導入するとされた。そして、新卒採用の場合も含め、今後はこれまでのような「全人的採用」ではなく、予定する職務をあらかじめ決め適正等を重視することが必要、とした。また、現業職の新規学卒採用については、労働市場の状況からも「高卒中心となろう」と、その見通しを述べている。
(…)
 しかし、年功制・終身雇用制という大枠の維持が基本方向として出された以上、新卒採用をほぼ無条件に原則とする「要約」の表現のほうが、論理的にも整合的であったし、またその後の事態の推移もこの方向に進んだのは周知のとおりである。
 さらにいえば、「要約」が提起していた「職務採用」も実際にはそれほど進まなかったが、これも終身雇用制の枠による制限のせいであったといってよい。」(p.127-129)

「この制度の特徴は、第一に、一般職業紹介と新規学卒職業紹介とを明確にわけ、後者をすべて事実上学校経由による紹介としたことである。このことは、学生生徒にとっては、公的職業紹介を受けようとすれば、すべて学校における進路指導を経由しなければならぬこととした。
 第二に、とりわけ職業安定法第二五条三および第三三条二をとる学校においては、学校が個別企業からの求人票を直接受け付けることにより、個々の学校と個々の企業とを直接結びつけることとなった。したがって、企業は求人にあたって、学校を選定することができ、また、特定の学校から毎年一定数を恒常的に採用することで事実上の指定校制度的なものを形成することを可能にした。逆に、学生生徒にとっては、提供される求人情報は主としてその学校に直接出された求人に限定されることとなった。なお、高校についてみれば、一九七〇年時点で、全国五八八一校中二五条三をとる学校が三四六〇校(五八・八パーセント)、三三条二をとる学校が二二四二校(三八・一パーセント)となっており、この二つの方法が少なくとも高校においては完全に支配的であった。
 しかし、この体制が社会的に普及・定着するのは、戦後ただちにではない。まず第一に、この制度はいうまでもなく自営就業者については適用されない。したがって、農業など自営就業者が就職者の多数をしめた五〇年代半ば頃までの時期は、この制度が実際に適用される対象は、就職者全体の一部にすぎなかった。しかも第二に、この時期までは、自営以外の就職希望者に限ってみても、この制度は十全には機能していなかった。それはまず、この制度を通して紹介される求人数の絶対的不足である。」(p.151-152)

「このように八幡製鉄の場合、五〇年代前半の不況による採用停止時期をはさんで、五〇年代後半の高度成長と技術革新の同時進行の中で、ブルーカラー労働者の採用が高卒に切り替えられることとはほぼ並行して新規学卒定期採用方式が成立していった。そして六〇年代前半の労働力需給の逼迫が、とにかく新卒時(四月一日)に「取りあえず優秀な人材を大量に確保する」というかたちでその傾向を促進し、六〇年代後半には田中の定式化したような新規学卒定期採用方式が確立・定着したといえる。
 その際注目すべきことは、ブルーカラー労働者採用の中卒か高卒への切り替えは、全体的には六〇年代半ばといわれている中で、八幡製鉄(技術的条件からいってこれは八幡だけでなく日本の鉄鋼産業全体であろうが)が五〇年代半ばすぎにはすでに切り替えを行っていたこと、そして、新規学卒採用の方式が、それとほぼ同時に始まっていることである。「日本的雇用」の中での新規学卒定期採用慣行は、いうまでもなく終身雇用制を前提とした採用方式である。しかし、六〇年代を通して中卒者の職場への定着率は非常に低下している。この期間、高卒者の離職率はもちろん上昇しているが、中卒者のそれは高卒者を数倍も上回るものであった。そのことを考えれば、ブルーカラー労働者をも含めた終身雇用制を前提とした新規学卒定期採用方式が確立・定着することと、採用対象をある程度の職場定着の見込まれる高卒者以上に切り替えることとは、少なからぬ関係があったと思われる。
 さらに、そこで個別具体的な職業資格・能力を重視しないということが、その反面で一般的学力重視という形態を生み出すこととなったことも、重要なポイントであろう。」(p.160-161)

■紹介・言及

苅谷 剛彦 199106 『学校・職業・選抜の社会学――高卒就職の日本的メカニズム』,東京大学出版会,252p. ISBN-10: 4130560913 ISBN-13: 978-4130560917 [amazon][kinokuniya]

◇橋口 昌治 200908 「格差・貧困に関する本の紹介」, 立岩 真也編『税を直す――付:税率変更歳入試算+格差貧困文献解説』,青土社


UP:20090812 REV:
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