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『搾取される身体性――労働神話からの離脱』

小倉 利丸 19900130 青弓社,233p. ISBN: 478723028X 2100


■小倉 利丸 19900130 『搾取される身体性――労働神話からの離脱』,青弓社,233p. ISBN: 478723028X 2100 [boople][amazon] ※


出版社/著者からの内容紹介
 余暇やセックスすらもはや「労働」と化している! 身体をはじめ、生活過程のすみずみまでを労働力の再生産過程として包摂する現代資本主義。その支配力に対する批判力の再構築のために、マルクスなどの旧来の労働論を大胆に読み替える。

1 マルクス労働論の二つの道――『資本論』の場合
 (1)「労働過程論」の構造
 (2)「労働過程論」への疑義
 (3)労働する身体の歴史的形成

2 資本の文明化作用と労働の「野蛮」――『経済学批判要綱』の場合
 (1)“労働となる”過程としての資本と労働の交換
 (2)労働へのネガティヴな視座
 (3)“労働の拒否”とプロレタリアートの解放
 [補論]ポール・ラファルグ『怠ける権利』とラブレー主義的コミュニズム

3 逸脱する身体の戦略
 (1)労働・性・資本主義/フロイト文化論のマルクス主義的読み換え
 (2)逸脱する身体/廣松渉「物象化論」の諸問題
 [補論]カテゴリーの解体か、カテゴリーの革新か/今村労働論への疑問

4 労働カテゴリー解体のためのキーワード
 (1)労働力から〈労働力〉へ
 (2)身体搾取の理論/「搾取」の意味転換
 (3)構造としての階級/属人概念としての階級論の限界
 (4)物を対象とする労働から人を対象とする労働へ
[補論]アンドレ・ゴルツの労働論をめぐって

あとがき

■引用

 「消費仮定も<労働力>再生産という視座からみれば明らかに労働過程であった。消費過程とは労働の隠された構造なのである。家事・育児は女性の天職という外観を与えられた「労働」、つまり歴史的に拘束されたカテゴリーに配分された行為なのである。また、賃労働者の「自由時間」もそれが翌日の労働を予定した「レクリエーション」である限りにおいて、それは<労働力>の自己再生産行為でしかない。資本主義では、自由や快楽も労働に繋ぎ止められているかぎりにおいて許容されるのである。」(小倉[1990:79])

[補論]アンドレ・ゴルツの労働論をめぐって

 「そもそも、家族賃金制という理念が、同時に、資本主義における賃労働そのものの安定的な基礎を形成していた。ところが、<労働力>再生産を支える仕掛けとしての家族賃金制を解体し、「個人が自らの生存に必要な所得」として「社会的賃金」を受け取るとすれば、家族の扶養分もふくめて基準化されていた成人男性の賃金水準は大きく削られねばならない。このことは、貨幣的権力によって支えられている資本主義的な家父長制と資本主義<0228<的な家族制度を根底から揺るがすことになるだろう。」(小倉[1990:228-229])


UP:20060708,10
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