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Justice and the politics of difference

Young, Iris Marion 1990 Princeton University Press,286p.


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Young, Iris Marion  1990 Justice and the politics of difference,Princeton University Press,286p. ISBN-10: 0691078327 $39,50 [amazon][kinokuniya] ※

先端総合学術研究科データベースでの文献紹介

■引用

アイリス・マリオン・ヤング「第7章 アファーマティヴ・アクションと業績神話」『正義と差異の政治』

■序
◇「不正義」 = 「分配ではなくて抑圧と支配の概念から第一義的に定義する」(192)
◇「人種主義・性差別」 = 抑圧の主要な形態 → 機会を公平にするためのアファーマティヴ・アクション(積極的差別是正措置・「機会の平等」)
・アファーマティヴ・アクション = 「非差別の原則、人はすべからく個人として扱われるべきであり、集団の一構成員として扱われるべきではないという信」に挑んでいる。
◇「アファーマティヴ・アクション」と「機会の平等」 → アファーマティヴ・アクションは「機会の平等」の議論の一部として論議されるが、この扱いは人種・ジェンダーの不正義を狭く捉えている。「アファーマティヴ・アクションは、正義の分配パラダイムの応用編であると論じていく。これは、諸集団の中でも、とくに利権を受けるべき立場の人々に対しておこなわれる分配によって、人種・ジェンダーの平等を打ち立てるものである。だが、アファーマティヴ・アクションでは、政府組織(institutional organization)や政策決定権力の問題を問い損ねてしまう」(193)。

◇是正されるべき二つの思い込み(assumptions)
(1)所与の不正な労働の階層性(高額所得、権力、名声を与えられるトップと、より利権少ない底辺)
(2)業績に従ってこれらの地位は分配されるべきである(公平な競争の結果、勝ち残った者が名声を得る)
⇔「業績を測定する、公平で、価値中立的で、科学的な尺度が存在しない以上、正義の主要問題とは、所与の地位に適切とされる評価を与えられるのは誰なのか、諸個人がその尺度をもちうるにせよもてないにせよ、いかにしてそれを主張しうるのかということである。」(193)
⇒ 仕事(works, tasks)の専門性と非専門性の区分、ある人を別の人に従属させるにいたるこの区分を批判する。抑圧をひっくり返す仕事の定義をどのように行って、知識、自律、協働を再構築するか。

■「アファーマティヴ・アクションと非差別の原則」
◇アファーマティヴ・アクションは、社会正義の分配パラダイムを念頭においていて、平等な取扱いという原則を侵害する。
◇積極的差別是正施策の正当化 
・正当化理由@「司法によって過去の差別的な取扱いに対する補償という観点から正当化されている」(194)。人種、性別によって区分された職種に就業せざるをえない人々を対象にした救済措置の意味合い。
→ この黒人、女性に対する社会的差別の歴史から正当化しようという試みは、弱い。「後に論じるように、差別概念の捉え方があまりにも曖昧だから」(194)。
・正当化理由A「積極的差別是正施策は、政策決定者のバイアスや偏見を除去する。」(194)
→ だが、すでに法制度にはあからさまな差別がほとんどないのだが、女性、黒人は無意識のステレオタイプにさらされ、白人で男性である政策決定者によって蚊帳の外にされ続けている。
⇔ 積極的差別是正施策は、女性や黒人への思い込みや偏見を前提にするという点で、不利益取扱いを放置することも差別だが、等しく取り扱わない是正措置も【差別】であるというジレンマがある(Robert Fullinwider)。A.【排除】ある集団の構成員であるが故に向けられる、無意識のバイアス、偏見、思い込み。B.【優遇】ある集団の構成員であるが故に向けられる、意識的な優遇。
⇒ このジレンマを解消するには、非差別を正義の至上命題とするのを止めること、人種的・性的不正義を差別概念で考えることを止める必要がある。
→ この集団に相関した不正義を「抑圧oppression」と名づける。差別的政策は抑圧を強化する場合もある(上記A.)。「抑圧」とは、集団の優遇や排除とは関係が薄い範囲の行為、振る舞い、構造などを範囲とするものである。

(コメント)差別 ⇔ 平等 = 非差別な取扱い ⇒ 集団の優遇の否定 → 抑圧概念の導入=集団の優遇の肯定。是正措置は差別をどうこうしようとしているのではなくて、抑圧をどうにかしようとしている。だが、抑圧の解消も平等の規範を基盤にしているのではないだろうか。「差別(積極的差別是正)」は抑圧を解消する場合があるというのである。この抑圧の解消は、平等規範からではなくて、別のものから導かれているのだろうか。被害構造の分析にはなっていても、是正規範を提示して、是正措置を正当化する作業にはなっていないのではないだろうか。

◇差別の見え難さと差別の定義
・差別とは、「利益分配において、ある集団に属する人が明らかに排除されること、あるいは優遇されることである」(196)。
・非差別の明文化 =「逆説的なことに、この意味での差別が非合法化され、社会的に容認されなくなるにつれて、差別が起こっていることを証明し難くなっている」(196)。
・最高裁判所1971年Griggs判例は、差別の定義を、意図・意識の証明に置かずに、結果の証明いかんに置いた。(ヤング)差別は、意図・意識の有無によって定義されるべきである。

◇抑圧概念の採用
・この意味での差別(意識・意図)に焦点を当てると、不正義の構造的側面が見過ごされてしまうことになる。被差別集団に対する機会の平等の促進、社会的包摂は、抑圧の構造的過程への介入である(198)。
⇒ 「したがって、積極的差別是正の至上目的は、過去の補償のためでもなく、形式的に排除される集団をなくすことでもない。それは、制度や政策決定者の偏見や盲目性がもたらす影響を緩和させるのである」(198)。

■「アファーマティヴ・アクションに関する議論と分配パラダイム」
◇分配的正義の陥落
⇒ 分配的正義は、分配が始まる背景にある条件、制度的諸関係を問題にしない。(積極的差別是正を分配的正義のモデルで考える論者(Richard Wasserstrom))
⇔ 現実の差別是正措置施策は、制度的諸関係に対して小さな影響しか与えていない。人種・性別の階層化を全面的に変化させるには、経済構造、職業を割り振る過程、労働の社会的分業の性格、教育や訓練へのアクセスを変化させなくてはならない。「人種・性別の抑圧とは、階級の抑圧である」(199)。
→ 業績主義によって、社会的ポジションは分配されており、それは正当だとみなされている(200)。

■「業績の神話」
◇業績神話/「私たちの社会で広く信じられている正義の原則は、地位や名声を個人業績に従って配分するというものである。」(200)
= 民主主義社会における労働分業と格差を正当化する原理
→「既存の労働分業と階層化を前提にして、業績原理では、生まれながらのか正義に適ったものなのか、あるいは人種、エスニシティ、性等の恣意的な特性で集団が特権化されない場合に、労働分業は正当であると考える」(200)

◇業績原理をめぐる諸議論
・ロールズ、サンデル/「地位の分配に生まれながらの才能を基準にするのは、人種や性によってそうするのと同じくらい恣意的である。人は自分の才能に対して、人種や性と同じように、ほとんど責任を負っていないからである」(201)
・ニールセン/「したがって、努力や成果が主要な業績基準になる」(201)
・Sterba、ニールセン、ガルストン/「業績基準による分配は、すべての人に備わる基本的ニーズが満たされた後に初めて、適用されるべきである」(201)
・ダニエルズ/「業績原理は道徳的な力をもつのか、成果や生産性という発想は権利主張を支えるどころか捨て去らせるのではないか」(201)
・James Fishkin/業績原理は人の地位を評価する「手続きの公正さ」を与えてくれる。「公平な競争」というモデル。個人評価は、統計的推定ではなくて、過去なり現在なりに実際に行っている仕事のパフォーマンスによって行われるべきである。
⇒ 社会的分業における階層化や、職業訓練的要素をもつ教育制度内の振り分けは、いくつかの条件を満たした場合にだけ、公正である。
(1)評価は、価値や文化から離れて、単純に技術や能力(特定の成果を生産するための能力)によって決められるべきである
(2)技術や能力による評価は、あくまで仕事に関係していなくてはならない。
⇒ 要するに、価値や文化から独立した職務評価だけが、個人をランク付けする評価としては正当化される。

◇業績基準への批判/「信じたくないことではあるが事実として、規範的・文化的なものとは関係なく個人のパフォーマンスを測る尺度は、ほとんどの仕事においてありえない」(202)
@多くの仕事は複雑に絡み合っていて解きほぐしがたく、仕事のパフォーマンスの水準を測ることが難しい。(データ入力業務だけの仕事には適用できるかもしれないが、例えば旅行代理店窓口業務にはいろんな職務内容が絡み合っている)
A複雑にからまりあった産業、オフィスでの成果を、どこからどこまで特定の個人の業績にするかは極めて困難である。あるチームの成果を測ることができたとしても、そのチームに属するメンバーの成果を選り分けるのは難しい。
Bある職務の作業工程で個人が要求されるのは、どうしたら作業状況を悪化させないで円滑に進められるかという消極的な配慮である場合が多い。その個人がこの消極的配慮によって、どれだけの損害を与え、どれだけの利益を保ったかということを測るのは難しい。
C中世ギルドの手仕事ならば、作業工程が連続しているので単純に技術の比較によって仕事の優劣・階層も付けやすいが、現代の複雑な産業では、作業工程が不連続なので優劣・階層を付け難い。単純な技術力の比較ではなく、労働者の態度、規則尊守、自己表現、協調性等が評価対象になる。
→ これらのような評価の難しさが、階層の上位を占める専門性の高い仕事の評価にも深く関わっている
⇒ 実際の職務評価が単純に職務内容の評価から導かれるのではなくて、特定の文化、規範、価値(コミュニケーション能力、協同能力等)から導かれる限りにおいては、階層的な労働分業は正当化されない
= 職務評価は客観的成果からの評価ではなく、評価者(及びその評価者が属している特定の集団文化)の主観的価値評価に依存している
⇒ 「私たちの社会で特権階級を固定する階層化は、明らかに人種、ジェンダー、あるいは他の集団的差異によって形成されており、さらには、その評価者は白人異性愛者の健全者男性なのである」(205)

◇集団従属の二つの形式/@評価者が、生活様式、行動方法などを判断する基準は、特権的な集団の経験を反映したものになる。A日々行われる判断や交流には、女性、有色人種、ゲイ男性、レズビアン女性、障害者、高齢者に対する、無意識の価値の引き下げが組み込まれている。

(コメント)障害者や高齢者(「障害者」全般ではないにしても)は、純粋な業績基準が適用できる場合でも、例えば肢体不自由などがあるため、同じ時間で達成できる成果が少なくなり、その結果、価値の引き下げが正当化される事例になるのではないか。ヤングの議論は、序列化の基準が基準として機能しないということを内在的に批判しているが、生産者になれない人たちの生存を保障する論理には届いていないのではないか。

■「教育と試験」
◇教育と機会均等/「リベラルな民主主義社会において、教育は、機会均等をすべての集団に与えられていることを証明する手段として理解されている。」(206)
⇔ だが、教育が平等を実現する確証はない上に、教育システムが階級、人種、ジェンダーといった階層を強化する場合もある。
◇教育における人種的隔離/学校は、生徒が習熟水準を満たすことができない場合、その生徒と親に責任を負わせて、異なる学習ニーズを考慮しようとしない。その結果、合衆国の多くの地域の学校では、人種的隔離が継続している。貧困世帯は、中産階級や上流階級よりも水準の低い学校に行き、かりに試験に通っても、お金を払えずに、特権的地位を得るためのコースには乗れない。
Cf.中高の科学・数学に関するデータ(Eleanor Orr)
◇教育と就業/「教育課程と職務遂行能力には相関性がある」(Randall Collins)(207)。学校が教えるのは、職業上の技術ではなくて、権威への敬意・服従といった文化的価値や社会規範である。
◇教育と試験/標準化された試験(Standardized testing)は、仕事のパフォーマンスを測り、教育システムがより上位の段階に生徒を進ませる際の指標になっている。この指標は業績原理と補完関係にある。すべての人を等しく競争させ、すべての人を公正にランク付けするものとして。
→ 第二次大戦、1950年代、60年代を通じて、使用者はこの試験を労働者に対して用い続けた。この試験が人種・性差別を生み出すのではないかという一連の裁判を受けて、Equal Employment Opportunity Commisionが、手続きの公正さ、職務に適した試験内容であるかの判断等を加えることになる。しかし、いまだ一般的能力の選別のために、同様の試験は政府によってさえ行われている。
⇒ 科学者や使用者は、特定の職務内容だけに準じた試験を作成しようとしてきたが、それは非常に難しい。「標準化された試験は、不可避に価値的選択や文化的意味を反映するものである」(209)。= 標準化・規範化(フーコーほか)

■「評価の政治」
◇集団と政治/「制度構造、公共的決定、社会的実践・慣習、文化的意味などは、集団をめぐる議論・政策決定を、潜在的にせよ主題化しているかぎりにおいて政治的である」(211)
→ 「とくに、仕事や生きる糧を与える集団的制度に多くの人々が依存しているような社会では、評価を決めたり適用したりする規則・政策は、避けがたく政治的になる。」(211)
⇒ 「アファーマティヴ・アクションと機会均等は、私たちの社会――マネージャー、管理人、社会科学者、その道の専門家が評価基準を決めるべきであり、誰が評価されるかを決めるべきであると命令する――でおこなわれている現在の正義の実践にめったに疑問を抱きはしない」(211)。「業績神話によると、「良い」医者は他の医師よりも優れて、良いパフォーマンスを決めたり認めたりする技術的競争力をもっているのだから、彼が良い医療行為とは何か、誰がその基準に適うかを決めるべきであるということになる」(211)。
= 「彼ら専門家は、パフォーマンスや潜在的パフォーマンスを測るために客観的・不偏的に標準化された基準を他に適用させる術を知っている」(211)。

◇民主的手続き/
(1)評価基準は、その評価の価値や目的にてらしたときに、明白であり公共的でなければならない。
(2)基準は、明らかであれ隠れてであれ、地位を考慮するときにいかなる社会集団も排除してはならない。
(3)その地位に納まるすべての候補者は、公に知らされた公式的手続きにそって、考慮されなければならない。
(4)特定の集団的親縁性、社会的位置、個人の態度をもつ人々が優遇されることもあるかもしれないが、そのようなことは抑圧を解消し不利益を補償するためだけに行われるのであり、特権を強化するためではない。

■「抑圧と社会的労働分業」

■「民主的な労働分業」
◇職場の民主化/「職場の民主主義には少なくとも二つの条件がある。」(223)
(a)企業の使用者は、企業全体の基本的設定(職務内容、賃金など)に参与するべきである
(b)使用者は、直接関わる労働条件にかかわる特殊な決定に参与するべきである


*作成:高橋 慎一 
UP:20081106 REV: 20090727
Young, Iris Marion  ◇分配/贈与  ◇アファーマティブ・アクション  ◇哲学・倫理学  ◇身体×世界:関連書籍 1990'  ◇BOOK
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