物語の引き金としての逸脱性
最初に、むしろ存在を立証するものとして、ごく幼い子どもにおいてさえ、物語の引き金となるのは、規範をはずれたできごとの力であることを示しておきたい。(p.114)
Joan Lucarielloによる実験、Peggy Millerの研究
Judy Dunnの"The Beggining of Social Understanding"を論じて↓
むしろ、彼女の言いたいのは、社会的理解は、たとえ結果的にどれ程に抽象的になろうとも、その子が主役――行動主体、犠牲者、共犯者――である特定の文脈下での実行行為として、常に始まるということである。子どもは、告げたり、正当化したり、言いわけすることが求められるようになる前に、まず日常の家族「ドラマ」での役割の演じ方を学ぶのである。何が許され、何が許されないのか、どういうことがどういう結果につながるのか、これらを最初に行為の中で学ぶのである。そのような行動としての知識を言語に変換するのは、後になってはじめて行われる。