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>HOME >BOOK 山田 徳子 19890915 静山社,157p. 1000 □山田 徳子 19890915 『ラストチャンスを私に――神経難病との闘い』,静山社,157p. 1000 ※ ・198607 症状を自覚 ・19870605 「川口武久氏著『しんぼう』を読みふけった。筆者は私と同じアミトロ患者。読んでいるうちに、涙と共に戦慄さえ覚えた。明日はわが身よりも、川口さんの生き方、考え方に魂を奪われてしまい、しばらく茫然としていた。」(17) ・19870609 「『続しんぼう』に没頭する。信仰によって心が穏やかに、ただ奉仕することに心の平安と喜びと感謝を覚え、私たち同病者や身障者のために働き続ける作者に、感動のあまり涙が流れる。」(18) ・1987 ・1988 『奇跡のがん療法』という本を読み横浜サトウクリニックの院長・佐藤一英に手紙を出す。 ・19880309 「今夕、先生自らお電話をいただいた。「効くから、できるだけ早く来るように」とのこと。/私にとってのラストチャンスに賭けてみたい。[…]「寝たきり」でなく、二本の脚で立ち、「人」として生きるためのラストチャンスなのだ。」(58) 名古屋から横浜に通って、「免疫療法」を受け始める。 ・19880323 「精製されたリンパ球が一〇〇ccほど注射された」(59) ・19880601 「二回目のリンパ球を受けてから、体調があまりよくない。かえって病気を進めたようにさえ感じる。暗中模索、未踏の第一歩を踏みこんだから、いろいろなことが起こって当たり前だろう。」(75) ・19880713 「第三回目のリンパ球を受けに、横浜へ。今回はすみちゃんが付き添ってくれた。 第二回目の苦しかった脱力も、「免疫療法の通る途だから」と先生に言われた。この療法がどこまで効果があるのか、今のところ誰にもわからない未知の世界だと思う。初めから、駄目でもともとと思って、自分のALSに対する考え方を試してみたかったのだ。たとえこの療法を手がけたことにより、生きる時間が短縮したとしても、消極的に死を待つよりはるかに意義深いことであり、充実している。」(84) ・19880916 「横浜へ行く。今回は連絡が思わなくなく、リンパ球体が間に合わなかった。代わりにグロブリン製剤を注射していただいた。先生の自信に満ちたお話は勇気づけられた。」(99) ・19881005 「四回目の免疫療法の後、脱力の度合いはいつものように軽くなった。機能の方は容赦なく減退していく。」(102) ・19881130 五回目(121) ・九十年一月三〇日、六回目(141) ・三月三十日、七回目。「今日は記念すべき日である。免疫療法で、学問的には治療の効果が実証された、と先生が言われた。自分の体が今一つはっきりせず、明らかな進行の停止が認めらないため、両手をあげて”万歳三唱”と喜ぶわけにはいかないが、朗報には違いない。何年も不治という名の下に甘んじてきたのだから。変性した神経細胞は再生が困難というより、不可能とされている。だが、生体の限りない神秘を経験している今、これも可能な範囲だと考えられる。」(山田[1989:156-157]) UP:20040524 REV:0526 ◇ALS ◇身体×世界:関連書籍 ◇BOOK TOP(http://www.arsvi.com/b1900/8909yt.htm) HOME(http://www.arsvi.com)◇ |