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『水俣が映す世界』

原田 正純 19890601 『水俣が映す世界』,日本評論社,321p


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原田 正純 19890601 『水俣が映す世界』,日本評論社,321p. ISBN-10: 4535577978 ISBN-13: 978-4535577978 3570 [amazon] ※ b m34

■内容(「BOOK」データベースより)
本書は、水俣病の根源に存在するもの“それは差別である”という仮説を、水俣病以外の事例や外国、とくにアジアの国々との関係において学際的に研究することによって明らかにしようと試みたものである。権力と庶民、中央と地方、都市と農村、資本と労働者、健者と病者、そして先進国と途上国といった構図と環境問題や健康問題との関係を追ってみた。

■目次

第1部 水俣病差別の構造―水俣病症候群
 水俣病事件における差別―水俣病の真の原因
 水俣病刑事事件の意義―胎児の人としての復権
 裁判における水俣病病像論―医学にとって認定とはなにか
 ひとのいのちの値段―この痛苦に軽重があるか
 水俣工場労働者の健康障害―地獄の工場うちそと
第2部 棄民の構造―人間疎外の状況
 九州の公害・労災の背景―水俣、三池、土呂久、カネミ油症事件
 弱者に集中する被害―毒ガス後遺症とじん肺患者
 28年めの訪問―石黄工場廃液による砒素中毒事件のその後
 傷だらけの海に生きる―金武湾の開発と環境汚染
 精神医療を想う―環境社会学の視点から
第3部 環境汚染を追う―世界のあちこちで
 公害の流れ―中毒の社会発生病理
 社会病なるがゆえの難病―カナダ・インディアンの水銀汚染事件
 カリブ海とマンタロウ川で―南米の環境汚染を追って
 胎児からのメッセージ―臍帯保存のルーツを追って
 住民大量死の現場―ノーヒロシマ、ノーボパール
 韓国のイタイイタイ病―温山工業団地の環境問題

■引用
序論 水俣から見えた世界

p.3
アメリカの若い政治学者は、"水俣病には現代の一つの法則性があり、これは水俣症候群と呼ぼう"と提案したことがあった。水俣病をめぐる企業や行政の対応、さらに研究者からマスコミ、市民にいたるまで、一定の法則性(パターン)があることを指摘したのであった。宇井純(沖縄大学)も水俣病事件には一定のパターンがあることを指摘して"公害の政治学"と呼んだ。また、宮本憲一(大阪市大)、庄司光(京大名誉教授)は公害の構造の特徴として「社会的災害」「不可逆性」「企業と行政の癒着」をあげた。

p.3-4
私にとって、水俣病をつうじてみた世界は、人間の社会のなかに巣くっている抜きさしならぬ亀裂、差別の構造であった。…その差別の構造のなかで、みずからがどこに身を置いているのかもみえた。…水俣病をおこした真の原因は、その人を人と思わない状況(差別)であり、被害を拡大し、いまだにその救済を怠っているのも、人を人と思わない人間差別にあることがみえてきた。

p.4
水俣病以外のさまざまな事件に目を転じてみると、各地の開発をめぐる問題や紛争、公害事件、職業病、労災にもまったく同様の構造をみることができる。また、世界的規模でみたとき、先進工業国と発展途上国のあいだの関係、貧困、人種問題、地域紛争のなかにも、同様にその構造をみることができる。

第T章 水俣病事件における差別――水俣病の真の原因
水俣病の原因


p.8
水俣病事件全体を再度検討してみると、主な三つの責任があることがわかる。…第一は"水俣病を発生させた責任"である。チッソ・行政は水俣病の発生を阻止する責任があった。…第二の責任は、…"その被害を最小限にくいとめる責任、被害拡大防止責任"があった。…第三の責任は"救済の責任"である。…かくもみごとにこれらの責任を放棄したその姿勢にこそ、水俣病最大の原因がある。そして、それこそ"人を人と思わない人間疎外"にほかならない。

チッソの経営体質

p.13-4
チッソ(当時の日窒)は、昭和にはいるや大陸の植民地経営にのりだす。…それは、わが国の植民地支配をすすめるための工業化政策に率先してのったもので、総督府や軍部と一体になったものであった。…用地買収には警察官や憲兵も立ち会ったと記録されており、…きわめて強制的なものであったと思われる(注4)

(注4)『日本窒素肥料事業大観』1937年。

第U章 水俣病刑事事件の意義――胎児の人としての復権
事件の発端


p.29
水俣病のような公害の場合、起訴することの意味は、第一に再発の抑止効果であり、第二に被害の拡大防止、第三に責任を明確にすることによって被害者への償いを正当にさせることにある。

第V章 裁判における水俣病病像論――医学にとって認定とはなにか
認定制度の成り立ち


p.39
水俣病を語るとき、たとえ、それがきわめて限られた医学上の問題であっても、現状では"認定"という問題はどうしても避けてとおれないのである。…それは医学的とはいうものの、…社会的・政治的な意味をもっていた(からである)

p.42
もともと認定制度は極端な表現をすれば保証金(見舞金)支払いに該当するかどうかの判断が主なる役目であって、医学的な調査委員会ではない

p.43
認定制度が本人申請の上に成り立っている以上、それはきわめて限られたものしか対象にはなりえず、およそ医学的実態とはかけはなれたものであった。

水俣病は環境汚染による有機水銀中毒

p.46
医学がその実態を科学的に明らかにすることを目的とするならば、新潟でおこなわれたような住民の一斉健康調査がおこなわれなければならなかった。とくに水俣病の発生のメカニズムが特異であればあるほど、人体にどのような影響をあたえるか未知の部分のほうがはるかに大きかったはずである。しかし、…そのような調査はまったくなされなかった。同じものを食べた重症典型患者の家族さえもきちんとした調査がなされたことはなかったのである。

第W章 ひとのいのちの値段――この痛苦に軽重があるか
見舞金契約


p.65
1973年3月20日の水俣第一次訴訟で…当時の労働者の給与や家族の生活、交通事故やその他の災害時の保証などと比較して、見舞金契約の金額は当時としても極端に低額であると認定した。さらに、水俣病の原因が内部の実験によってほぼみずからの責任であることを知りつつ、そのことを隠して、患者の窮乏と契約上の無知につけこみ締結したことを、公序良俗に反する根拠とした。

p.66
人を人と認めないような契約の推進役にはつねに行政がからんでいる。

p.67
1968年9月26日、政府が正式に水俣病の原因を工場排水によるメチル(有機)水銀中毒と断定した

p.67
なぜ、この時点まで正式の公害認定をやらなかったか…チッソ水俣工場では問題のアセトアルデヒド工場が稼動していた…この年、日本中からすべてのアセトアルデヒド工場が姿を消した…日本中の同様工場が操業を停止するまで、公害認定をおこなわなかったのである。(注3)政府の公害認定は、再発防止・汚染予防の意味があるのであるが、これではまったく無意味であった。

注3:原田 正純「現在の水俣病の問題点――その背景と歴史」『公害研究』6巻3号、1977年。

調停か裁判か

p.67
1968年、政府は…公害病認定をおこなった…9月28日から29日、チッソの江頭社長は初めて患者家族を詫びてまわった。…"患者遺族に改めてお詫びし補償は誠意をもって話し合う"と表明した。…チッソは、"補償金の基準がないので国に目安を依頼している""第三者機関で基準をつくってもらう"と補償額を提示せず交渉は進展しなかった。

p.67-8
チッソは県知事に第三者機関の設置を依頼したが断られ、厚生省に補償基準をつくる委員会を設置するよう要望していく。患者互助会もこの時点では、県知事や厚生省にたいして第三者機関の設置を要望しており、チッソと同様なうごきを示した。

p.68
厚生省は第三者機関を設置する条件として"委員の人選は厚生省に一任すること、結論には異議無く従う"という確約書を提出するように要請した。

p.68
確約書提出をめぐり互助会は激論、ついで厚生省に斡旋以来の"一任派"と、自主交渉をつらぬき、応ぜぬときは訴訟も辞さずという"自主交渉派"のちの"訴訟派"に分裂してしまう。…患者の分裂の原因をつくったのは、なんと厚生省であった。そして、裁判をおこすように仕向けたのも厚生省である。

第一次訴訟判決

p.71
1973年3月20日、熊本地裁で水俣裁判(一次)の判決が下った。…原告の全面勝訴であった。…チッソの企業責任が法廷で明らかにされた。

p.71
慰謝料について、死亡者は1090万円から1800万円と幅がある。…物価の変動、逸失利益を含む個々の事情を考えたものといわれている。生存者については1600万円から1800万円とほぼ請求学どおりで、患者の症状によるランク付けをせず格差を最小限にした点は画期的といえる。それは、水俣病事件が一般に共通する身体的障害にくわえて、精神的苦痛、さらに社会的差別のなかでの迫害から生活・家庭・地域破壊といった公害病のもつ構造的な被害の重畳を裁判所が一部認めた結果といえる。…その一方でまさに構造的被害の被害者である家族の慰謝料は極端に削減されてしまった。重症生存者の配偶者600万円を最高に、親で最高450万円、子で最高200万円であった。これは、家庭破壊を認めながら、近親者の慰謝料請求を極度におさえたわが国の裁判の慣例にしたがったものだという。

p.78
1987年3月30日、(第三次訴訟の第一陣について)判決がだされた。…熊本地方裁判所は…はじめて水俣病にたいする国・県の責任を認めた。…国民の生命・健康にたいする重大な具体的危険が切迫しており、行政庁が右危険を知っており、規制権限を行使しなければ結果発生を防止しえないことが予想され、国民がそれを期待し、行政庁が規制権限を行使すれば容易に結果発生が防止できたとき、それを行使しなかった場合違法になるとしてもので、"国民の生命・健康を積極的に法律に行使して守りなさい"というもので、まことに心強く、"国民の常識に合致した認識"ということができる。(注12)

ボーダーライン救済

p.79
水俣病認定を申請してから数年、ひどい人で十余年もかかることに業をにやした申請中の患者410人が1974年12月13日に、"認定業務の遅れは行政の怠慢"と、不作為確認の訴訟をおこした。1976年12月、判決は「認定業務の遅れは行政の怠慢」と確認したうえで、処分に必要な期間を遅くとも二年とした。

p.79
水俣病の歴史は行政の放置(不作為)の歴史であった。発生予防の拡大防止も救済促進にも、行政はまったく有効な手をうたずにきた歴史がある。そこには、国民の生命・健康を守るといった意思は感じることはできない。ただ行政の面子と企業擁護の姿勢のみであった。

p.82
いろいろの障害が存在するのであるから、幅広く救済するためにボーダーラインを設置することは、基本的には私たちのいう原爆手帳方式の"汚染者全員を被害者と行政的に確定すること"に通じるものであった、そのこと自体に反対はしない。しかし、それには必要・絶対的な前提がいる。それは、現時点で医学的判断で救済できるものをすべて救済するという前提である。疫学条件を重視し、症状を注意深く拾いあげていけば、水俣病と医学的に診断のつくものが多いということであり、それをボーダーライン層にしてしまうことがあってはならない。(注12)

注12:富樫貞夫「第三次訴訟判決解説」上、中、下、『水俣』1987年5月5日号、同11月5日号、同12月5日号。

第二部 棄民の構造――人間疎外の状況
第Y章 九州の公害・労災の背景――水俣、三池、土呂久、カネミ油症事件
なぜ九州なのか


p.107
九州では、…水俣病(1956年)…三池炭塵爆発事件(1963年)…カネミ油症事件(1963年)…土呂久鉱毒事件(1971年)…松尾鉱毒事件(1971年)…慢性二硫化炭素中毒事件…森永砒素ミルク中毒事件(1955年)がみられる。また、全国的な規模でみられた"振動病""じん肺"などの職業病や、"スモン""大腿四頭筋萎縮症""サリドマイド児"などの薬害も、また九州に例外なく多発している。このような公害・労災・薬害が九州地方に集中的に、しかも象徴的に多発した背景は偶然とはいえないものがある。戦後、植民地をうしなったわが国の資本が、九州をその代替地として、戦後の高度成長を支える基盤としたとみるのは偏見であろうか。

大規模労働災害の典型――三池一酸化炭素中毒

p.117
日本の炭鉱では、死亡100人以上の事故は、これまでに19回(中国での日本経営を含む)あったが18回までが炭塵爆発といわれている。…大爆発当時、生産量の増加、運搬量の増加、保安要員の削減などの条件にくわえて、岩粉散布、散水、清掃など、その対策がなされず放置されていた。もちろん、火がなければ爆発はおこらないのであるが、…高圧ケーブルが幾条にもはりめぐらされており、つぎつぎと走る炭車の脱線、スパークが危険であることは前例がすでに報告されていることから、予見は可能であった。…専門家のなかでは常識とされており、その対策も散水と炭塵除去というきわめて容易なものであった。

p.124
三池CO中毒の医療で特徴的なことは、最初から生産再開が最重点課題で、後遺症の軽視、それに応じたきめ細かい治療・対策が不十分で、現行労災法に機械的に強引にあてはめた結果として、実態が無視され、患者の健康破壊ばかりか経済的破綻・家庭崩壊をもたらした。ここでも医学は、政治にひきずりまわされ、切り捨ての役目を負わされ、医学者は患者の不信をかい、加害企業はみごとに再建された

化学物質による典型的食中毒事件――カネミ油症(PCB中毒)

p.135
カネミ油症は、正式に公害病の指定をうけていない。したがって、公害被害者救済法などという認定制度は存在しない。九州大学医学部油症研究班の診断がいわゆる認定に相当するものである。これは考えてみると奇妙なことである。県の資金援助によって成立した研究班は医学研究班である。そこの診断が唯一カネミの医療費支払いの対象であったり、裁判の原告になる資格になったりしているのである。どうも、わが国では被害者の認定には、どうしても"権威ある"医師団にそれを独占させずにはおれないようだ。…その権威ある医師団(専門家)は専門家なるがゆえに既存の狭い概念でとらえ、しばしば目の前の新しい事実を切り捨てる役割を果たすことがある。

p.135
職業性の皮膚症状をを中心としたPCB中毒は、この事件以前に知られていたのであるが、PCBを実際に大量に食べさせられた例は世界中になく、人類が始めて経験した事件であった。…患者のもつ実際の症状こそが事実で、ほかに参考にする教科書はない。しかし、それらの新しい症状は因果関係が立証できていないという理由で切り捨てられていくことがある。救済のためには"説明可能な因果関係の蓋然性があれば十分である"としてカネミ訴訟の判決は、医学的に十分な因果関係と救済に必要な措置とは異なるものであって、その混同が事実をみうしない、被害者救済の道を狭く閉ざしてしまうことを指摘した点で重要であった(水俣、三池、土呂久も同じ)。

第Z章 弱者に集中する被害――毒ガス後遺症とじん肺患者
古くて新しい問題


p.141
昭和40年代におこった日本の公害病反対運動のたかまりは、行政や企業にそれないの対策をとらせて一定の成果をあげてきたといえる。しかし、環境汚染問題がすべて解決したわけではない。高濃度局所性汚染からさらに比較的低濃度広汎性汚染へ、また汚染源も鉱山や工場、事業所から、自動車や一般家庭さらに農漁業などもその原因者としてくわわるようになり、複雑化してきた。そのことは対策をたてるうえでも、技術的に因果関係を明らかにするうえでも問題を複雑化し、困難にしている。そのなかで、比較的低濃度汚染の場合、従来の、すでに知られているような健康被害、典型的公害病はでにくいものと考えられる。昭和60年代の環境問題はもともと病気をもつもの、老人、胎児や幼児などの弱者にたいする問題としてとらえなおさなければならないだろう。

竹原火力発電所と住民の健康

p.143
住民を無視するような企業や行政の行動のパターン…大型開発事業の誘致…は、ある日突然に住民の頭越しに話がもちあがる。…その直後に環境調査申入れがおこなわれる。そして、たいてい「賛成、反対はべつとして、とにかく環境調査をやってみようではないか。その結果で賛成か反対か決めたらよい」という調査と建設を分離した論議で調査を許すことになる。しかし、…環境調査は開発を前提としたものであり、手続きの一つでしかなく、環境調査の結果は予定の通りであり、反対住民の意見が反映されることはない。すべてが一つの予定の儀式である。

p.144
このような調査は、一見学問的にみえるように、多くの学者がたくさんの調査費をもらって参加するが、たいていその結果は、"環境に影響ない"である。本来の科学的立場からすれば、その影響のメリットとデメリットを明らかにし、その選択を住民にまかせるのが正しい。

p.144-5
どのような巨大な開発が計画されようが"影響はほとんどない"では、まったく科学の名が泣くし、信用できるわけがない。残念ながらそのような非科学的な結論に、しばしば公明な学者の名前が使われる。これは調査費の無駄遣いである。そして、その後、どのような悪い結果がでて、その調査が誤りでひどいものであるかわかっても、彼らはそれについて責任をとることはない。

p.145
環境影響調査書がでそろうと、あとは縦覧・説明会をすませ、建設申入れをおこない、地方自治体の長および県知事の同意をえれば、電源開発調整審議会で認可されるというベルトコンベヤー式に一連の儀式にすぎないのである。

第XI章 公害の流れ――中毒の社会発生病理
世界の水銀汚染と水俣とのかかわり


p.212
水俣病はアセトアルデヒド生産工程から直接副生したメチル水銀中毒であることが明らかになった。そのために苛性ソーダ工場やその他の水銀を使用する工場、水銀鉱山などから排出される無機水銀が自然界で有機化する問題は核心をややさらされてしまった。水俣病は最初、セレン、マンガン、タリウムなどの複合汚染による中毒が疑われたものの、その問題も原因が究明されると同様にかすんでしまった。このように無機水銀の有機化、複合汚染の問題などは水俣で一度、先鞭がつけられながら、その後放置され、最近になって再び重要な問題になったものばかりである。

p.212
水俣は期せずしてマイナスの効果を果たしている面もみずごせない。それは水俣病病像をめぐる問題ある。水俣病は猫の狂死と急性劇症といわれるはげしい重篤な症状をもった患者の多発によって発見された(注1)そして、われわれはそのはげしさに驚き、このような重篤な症状をそろえたものだけを水俣病と限定して水俣病の概念を形成してしまった。そして、その病像が世界中に悪い意味で定着してしまった。カナダでも水俣の初期のような教科書的・典型患者がみいだされたかったということで、人間の健康にかんする影響のすべてが否定されてしまったし(注12)、フィンランド(注10)でもスウェーデン(注9)でも中国(注19)でも、症状がそろっていない、たとえば運動失調がないとか視野狭窄がないということで水俣病(有機水銀の人体の影響)は、最初否定されてしまった(注11・12)。…こうなると重症例でくみたてれらた水俣病病像は有害ですらある。そのような反論の余地のない重症患者が発見されてからではどうしようもなく手遅れで、とりかえしかがつかないことを水俣はよく示している。

注1:原田 正純『水俣病』岩波新書、1972年。
注9:Skerfving, S. et al: Methyl mercury exposure, mercury levels in blood and air, and health status in Swedes consuming contaminated fish. Toxicology, 2,3 (1974).
注10:都留重人編『世界の公害地図(上)』「水俣病を追って」岩波新書、1977年。
注11:原田 正純『水俣病にまなぶ旅』日本評論者、1985年。
注12:原田 正純「世界の水銀による環境汚染事件」『公害研究』11巻4号、1982年。
注19:潘雲舟ほか「松花江畔甲基工水中毒問題研究」『中国環境科学』2巻、1982年。

*作成:立岩 真也  追加者:森下 直紀金城 美幸
UP: 20071028 REV:20081110, 20090703,0727
原田 正純  ◇水俣病  ◇身体×世界:関連書籍  ◇BOOK
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