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『民族とは何か』

川田 順造・福井 勝義 編 19881222 岩波書店,358p.


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■川田 順造・福井 勝義 編 19881222 『民族とは何か』,岩波書店,358p. ISBN-10:4000021842 ISBN-13:978-4000021845 \6846 [amazon][kinokuniya] er

■内容
しばしば悲劇的結末を迎える民族衝突は,民族とは何か,民族と国家の関係はいかにあるべきかの再検討を要請する.人類学,歴史学,政治学,言語学など14人の専門家による本格的な共同研究.民族問題の必読文献.

■編者紹介(本書執筆者紹介欄より)

川田 順造(かわだ・じゅんぞう)
1934年生まれ。文化人類学。東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授。国立民族学博物館併任教授。

福井 勝義(ふくい・かつよし)
1947年生まれ。文化人類学。国立民族学博物館助教授。

■目次

緒言 いまなぜ民族を問題にするのか(川田順造)

第T部 民族への視点
 人間、この感性的なるもの――人種の問題(香原志勢)
 ソシアビリテの歴史学と民族(二宮宏之)
 擬制としての国民国家――民族問題の政治的文脈(福田歓一)
 (補論)言語からみた民族と国家――中国的民族観をめぐって(橋本萬太郎)

第U部 民族の生成と動態
 日本単一民族論再考――柳田国男の沖縄認識を通して(福田アジオ)
 「種族」・「民族」・「国民」――ヨーロッパの事例に関するカズイスティーク(住谷一彦)
 「民族原理」に関する試論――アラブの場合(片倉もとこ)
 民族とカースト――南インドにおけるドラヴィダ運動を例として(辛島昇)
 現代の創世神話――新しい「民族」の生成(太田和子)
 文化イデオロギーと民族の生成――ボディ社会をめぐる戦いの事例から(福井勝義)

第V部 国民国家と民族
 東南アジアの民族論――国民国家とエスニシティの力学(綾部恒雄)
 民族と政治社会――西アフリカの事例を中心に(川田順造)
 ペルーのインディオと国民的アイデンティティ(友枝啓泰)
 部族本位制社会から国民社会へ――文化接触とアイデンティティの考察(日野舜也)

第W部 総合討論(論文執筆者+船曳健夫・関本照夫・李光一・土田滋)
 一 民族はいかなる意味で共同体か
 ニ 民族と国家
 三 現代世界におけるエスニシティ

あとがき


■引用
※原文のルビは当該単語の後に[ ]で示す
※原文の傍点は下線で示す

緒言 いまなぜ民族を問題にするのか(川田順造)

「 「民族」という、どこかまがまがしい響きを宿したことばが喚起するものは、日常生活や政治の世界だけでなく、いくつかの学問においても、いつのまにか払拭できない意味を帯びてしまっている。中でも、民族学、民俗学、文化人類学、自然人類学、言語学、歴史学、政治学等の学問領域は、「民族」が投げかける影をよけて通ることができない。それでいて、これまで「民族とは何か」という問いを、関連する学問領域の研究者が共同で、まともに取り上げようとしたことは一度もなかった。私たちの共同研究は、確たる見通しももてないままに、ただ「民族」の正体をつきとめたいという共通の熱意に支えられて実現、そのような学際的な試みの一つであり、この論集はその模索の跡の文字化である。」(p.2)

「 民族という集合の特質は、その形成、意識化に、きわめて感覚的な次元で、人間の潜在的な共感や反撥が動員されることだ。」(p.3)

「 共属意識は、政治的、意図的に、多くはヘゲモニー集団のイニシアティヴによって作られる。虚構をしばしば含み、神話をはじめとする象徴を操作し、宣伝、教育を通じて人々の心にしみこまされる。その結果、共通の祖先と、>0010>互いの血のつながりをもち、共通の歴史、信条、母語、身体特徴、衣食住の生活慣習によって結びあわされた運命共同体としての「民族」が、人々の情感に植えつけられる。状況的に作られるそのような人為的表層的な「共属意識」は、より自生的に深層で個人を拘束する「共属感覚」と相互関係をもちうる。その際、自然、文化二つのレベルで集合的に人間を拘束しているものが、まず問われることになるだろう。血のしがらみ、遺伝形質、風土、そして個人がその中で生れ、初次的人格形成を受けた習俗の全体が、選びとれないものとして、それを共有する人々を共属感覚で結ぶ働きもなしうる。
 だが、「選びとれない」と思われがちなもののいかに多くが、実は政治的な作為の産物であることか。選びとられた象徴が、共属意識を創出し、集合的拘束力を生むことは、いとも容易なようだ。人間はこの点でも感情の動物であり、象徴に支配される生物であるらしい。ある集団の危機的状況において、ヘゲモニー集団が「民族」感情に訴えることの政治的意味も、まさに共属意識を、選びとれない共属感覚と思いこませるところにあるのだから。他方、国民国家の擬制が、差別や強制を通じて、部分集団にとって桎梏となるとき、その成員の深層の共属感覚が、共属意識に転化することもある。現代のエスニシティ問題の多くも、そのような基盤をもっているといえるだろう。」(pp.10-11)

「 いうまでもなく、自由意志をもつ個人は、血のしがらみから習俗にいたる諸力に拘束されるとともに、それに生体的に働きかけ、それを超えることのできる存在でもある。「民族」の問題が、個人からの視点や変革への意志を没却した形で論じられるとすれば、それは集団と個人の、拘束と自由のダイナミズムを無視することになる。
 三年間の研究会のあとのこの論集を読みかえしてみて、多くの点で一致していない私たち参加者が共通に抱いていた何かを強いて探し出すとすれば、それは、人類が南北にも東西にも無関係では存在しえなくなった時代の、何十億分の一ずつの地球市民として、政治的擬制に対しても、共属意識の熱狂に対しても、ホモ・サピエンスの醒めた目をもちつづけたいという希求ではなかったか、と思うのである。」(p.11)


ソシアビリテの歴史学と民族(二宮宏之)

「伝統的な立場を念頭において大づかみに言うならば、歴史家が「民族」に対応するヨーロッパ語の表現として、まずもってnationなる語に思い到るのに対し、民族学者はethnosをもって民族と観念するのが一般的であったと言ってよいだろう。」(p.37)

「[……]こうした状況に触発されつつ、歴史学は、「民族」なるものを、より深く歴史の現実に根ざした社会的・文化的共同体として捉えなおすべく促されることとなった。
 このような新しい視点は、実は、歴史における、より広汎なパラダイムの転換と密接に結びついている。それは、歴史学が、政治史・外交史においてとりわけ顕著であった表層の事件史から、長期的な持続を重視する深層の歴史学へと向かいつつあったことと、深くかかわっているのである。こうして、歴史家の視点は、政治的枠組としての国家から、その基底にある社会的結合のあり方へと大きく移動し、また、運動の政治的局面から、その背後にあって運動を支える民衆の生活の日常態へと転位することとなった。
 このような歴史学の新しい視点が、民族学・文化人類学のそれと深く交錯することになるのは当然と言えよう。しかも、民族学自体が、かつてしばしば誤解されたような、「熱い社会」と「冷たい社会」、文明と未開との二項対立的な図式を脱し、「冷たい社会」のうちに変化の相を発見し、「熱い社会」のうちにも持続する「未開」の相をよみとる方向へと歩み始めた今日、両者の関係が密接になるのは至って自然の成行きであった。こうして1970年代より、歴史人類学あるいは民族=歴史学[エトノ・イストワール]と呼ばれる領野が成立する。このような動きの中で、歴史家の「民族」の捉え方も、〈nation〉から〈ethnos〉へと下向して行くことになろう。」(p.40)

「これまで、歴史学は、社会的結合関係を大きく「階級」と「民族」という二つの枠組によって捕捉しようとしてきた。しかし、このような大前提から出発したのでは、歴史的現実をもはや捉えきれないという自覚から発して、人間社会の根底にある人と人との結び合う絆のありようを、端初にまで立ち戻って捉えかえそうと企図しているのが、ソシアビリテ(社会的結合)の歴史学である。
 社会的結合を問題にするとはいえ、ここでは直ちに集団から出発することはできない。もし集団から出発するならば、論者はすでに、特定の絆を予めの前提として措定してしまうことになる。それでは、「階級」と「民族」から出発しそこへ回帰する視点と、異なるところはない。ソシアビリテの歴史学は、それゆえ、一見矛盾するかに見えるが、まず個々の人間――社会的関係を内包する存在として捉えることは言うまでもないが――を考えるところから出発しなければならない。そのようにして初めて、いかなる集団、いかなる社会的結合が現実的な意味を持ちえていたかを捉えることができるのである。
 そこで、出発点としての個々の人間であるが、それを、次の二つの側面、即ち、「からだ」と「こころ」という二つの参照系との関連において検討することから始めよう。[……]歴史学は長いこと、身体の問題を等閑に付して来た。それは歴史学にとっては「卑しい領域」であったと言ってもよい程である。しかし、歴史の現実は、歴史家の希いに反し、身体性と緊密に結び合って>0041>いる。このように見る時、まずもって、ヒトとしての人間が復権されねばならない。そうすることによって、人間を、もろもろの生物と共生している存在として捉えなおすことができる。そこでは、当然のこととして、形質人類学との深いかかわりが生まれる。また、色・香・匂い・味といった、感覚的要素が、人間の行動を律するものとして、見直されねばならないし、身振りの持つ意味作用、一般に身体技法のシステムが重視される。[……]
 ヒトとしての人間を重視することは、歴史学を動物行動学のテリトリーに押し込むことではない。「からだ」の問題から、私達は、第二の軸としての「こころ」に至らなくてはならない。しかし、この場合にも、人間の精神を理念や思想のレベルにおいてのみでなく、より直接的に身体とのかかわちのうちに捉えなおすことが課題となる。フランスの歴史学は、このような精神の日常態を、マンタリテ(心性)と呼ぶが、無意識の次元から出発し、知覚、感情、更には時間意識、空間意識、世界像に至る「こころ」のありようが問われねばならない。このマンタリテを如何にして捉えうるか。民衆は、自らの「こころ」を記録に留めることは稀であった。[……]それゆえ、手がかりとなるのは、むしろ彼らの行動様式comportementsの記録である。[……]
 このように、身体と心性の両面から人間を捉えることを通じて、それらの人々の間に、いかなる社会的結合の絆が生まれるかを、私たちは糸をたぐるように辿ってみることが可能となる。そこに織りなされる社会的紐帯を、フランスの歴史学はソシアビリテと呼んだのであった。[……]」(pp.41-43)

「 このように見てくる時、ソシアビリテの歴史学が追及しているものは、民族学者の対象とするエトノスと大きく重なり合うことになる。一方が、現時点におけるフィールド調査であり、他方が過去の社会に対する残された史料に基づく調査であるという違いはあるものの、問いかけの内容自体は、極めて近似的な性格を示している。しかし、敢えて言えば、ソシアビリテの歴史学は、エトノスの視点を更に一層つきつめたものと言うべきかもしれない。というのは、民族学者の対象とするエトノスは、多くの場合、すでにはっきりと区別され名称を持った、所与としての人間集団であるのに対し、ソシアビリテの視点は、まさにこの集団の形成のプロセスそのものを問題にし、一見アモルフな対象のなかから、眼に見えぬ社会的紐帯を識別することを任務としているからである。このことは、ソシアビリテの歴史学が、いわゆる文明社会を対象として生まれたこととも関連していよう。しかし、民族学の研究自体が、いわゆる「冷たい社会」にも変化の相があることに注目し、エトノスそのものが、状況のなかで形成され、状況のなかで編成されなおして行く過程を重視している現在、ソシアビリテの視点とエトノスを見る眼との隔たりは、むしろ小さくなっていると言ってよい。」(p.44)


擬制としての国民国家(福田歓一)

「 単なる用語として言えば、stateは元来神聖ローマ皇帝がドイツに引揚げて以後、統一的支配を失ったイタリアにおける地域的権力を示すstatoに由来するが、それが今日の意味の実質をもつようになったのは、アルプスの北方において中規模の政治社会の統一的支配を指すようになってからであって、これをうちたてたのが絶対主義と呼ばれる支配様式であり、その組織象徴こそ主権という新概念にほかならなかった。狭義の国家Sはこうして成立するのである。
 これに対して、セイバインがまずあげた都市国家、具体的には古代ギリシアのポリスや古代ローマのキヴィタスは、むしろ例外的な政治社会であった。しばしば同じく都市国家と呼ばれながら、中世末期イタリアのstatoが、権力、権力者ないしその支配機構と支配に即した観念であったのに対して、ポリスやキヴィタスはまず人的団体、自由民の共同体であった。[……]ポリスやキヴィタスの特質は、それが第一次集団としての共同体でありながら、しかも例外的に上位の権力に従属せず独立した政治社会であったことにある。stateとの実質的差異にもかかわらず、それがなお国家と呼ばれ得たのは、この独立autarcheiaを離れては考えられない。その限りでこれを国家Sに対して国家pcと表現することが許されるであろう。」(p.51)

「ゲルマン世界忠誠の政治秩序は、細分化された領主の土地支配を積み上げる封建制を基礎とする分権的多元性と、それにもかかわらずローマ帝国の遺産を引き継いだ普遍的統一性との共存にある。この統一は多分に観念的であって、帝国の支配領域はきわめて限られたものであり、普遍性を担保したものはむしろ西ヨーロッパ全体に組織をうちたてた教会であったと言ってよい。それによってはじめて政治生活の単位は普遍共同体であり得たのである。そこでは世俗の政治社会の意味でキヴィタスはなお用いられたけれども、その実質は国家pcとは似ても似つかぬものであった。国家Sの起源となったのは、諸地域における王権の伸張であって、徴税や裁判の新しい機構が領主権にとって代る過程がこれを示すであろう。国家pcが人的団体であったのに対して、それは領域国家に成長することでまぎれもなく国家Sを先取りする。領土の支配がそのまま住民の支配となるという封建制の遺産はこうして新しい実体に引き継がれ、そこにキヴィタスと並んで王国regnumがこの実体を示す用語として登場する。[……]それは世襲的な治者と被治者とをともに含む観念であって、この二元性の上に根本法や等族議会を生み出した立憲主義が成り立ったのである。その限りにおいて、これを国家Rと呼ぶことは、整理に便利であると言ってよい。」(p.53)

「 国家pcが人的団体、自由民の共同体であったのに対して、国家Sはそもそも権力機構であって、人民はその領域支配の対象にすぎなかった。けれども、政治理論が古典古代の遺産を受け継いでいる限り、単なる支配機構にとどまることはできず、被治者を含む政治社会を問わずにはすまない。[……]しかし絶対主義の支配様式によっては政治生活の新しい単位をつくり出したとしても、政治的共同体を作り出すことはできない。この共同体性を調達したのは、結局はnationという古典古代には無縁の観念であり、しかもこの新しい観念は後述のごとく絶対主義がつくり出した新しい単位としばしばきびしく対立する。それ以上に、そおそもnationという観念が政治的意味を確立すること自体、近代革命によったのであって、しかもこの革命に、支配機構に先立つ人的団体としての国家、人民が作るものとしての政治社会のイメイジを提供したものは、古典古代的な国家pcのモデルにほかならなかったのである。
 理論的にこの作業を果したのは、社会契約論者であって、[……]中でもロックは最も意図的にstateを用いるのを避け、主権をも使わないし、国家Sの特質としての領域性をほとんど理論的問題にしていない。けれども諸個人の合意によって成立した政治社会は、もはや国家pcのように共通の神話や慣習によって結ばれた共同体ではあり得ず、これに参加する個人も血縁、身分、言語、地縁を一切捨象した抽象的存在にならざるを得ない。」(p.55)

「 しかしながら、政治社会は所詮株式会社であることはできない。株主は持株を手放すことによって企業と絶縁できても、人民主権の理論でさえも国民の離脱権を認めようとはしない。ここに登場して近代国家に共同体性を調達したのは、ほかならぬnationの観念であった。ヘーゲルはその起源を「生まれ」nasciに求めているが、これは古典古代の観念ではない。中世において、全ヨーロッパから学生を集めた大学の、出身地による学生団を指したと言われる。それが普遍共同体解体後の中規模の政治社会に見合ったものとしての近代的用法を得るのはイングランドが早く、national benefit などと用いられるが、それは国家Sの権力機構にかかわるものではなく、まさに民衆にかかわる観念であった。フランス国民議会の名はそのままこの用法をひきつぐものであるが、そこではすでに国家Sを組み替えた共同体としての政治社会がはっきりと姿を現している。国家N、まさにnation stateの誕生である。
 それが中規模の政治社会であり、一切の特権団体を解体しながら、内になまなましい階級対立をもつかぎり、Nationの共同体性が多分に擬制的、観念的なものであったことは争いがたい。しかし、ハンス・コーンが、「過去>0056>における共通の栄光」、「現在における共通の利益」とならべて掲げた、「未来における共通の使命」の観念が近代革命を鼓舞したことも、またいちじるしい事実である。そして[……]ナポレオンがヨーロッパに帝国を作り、フランスによる異民族支配をうちたてようとしたとき、これに抵抗する運動を通じて、nationはそれ自体獲得すべき目標となり、国民主義は強力なイデオロギーとなった。[……]そして国民主義の創唱が、1802年フランス軍占領下のベルリンにおいてフィヒテの試みた通俗講演『ドイツ国民に告ぐ』によって果されたことは、改めていうまでもない。」(pp.56-57)

「 1870年のイタリア統一につづく、1871年のドイツ統一は、ヨーロッパにおける政治生活の基本単位としての国家Nと国際秩序としての国民国家体系nation state system の確立を示すものであった。」(p.57)

「 国民経済への要求が統一推進力の一つであったことは、政治統一に先立つ関税同盟の示す通りである。国家Sがただちに国家Nの外枠を作ったフランスの例では、ボダンの主権の最後の二つの属性は度量衡の制定権と貨幣の鋳造権とであって、明らかに統一市場形成への志向を示すものであった。下からのnation形成の先頭に立った英国の場合、1707年大ブリテン成立後も連合王国内に複数のnationを認めながら、まさに権力に先立つ分業体制として国民を描き出したスミスの『諸国民の富』では、大ブリテンがそのままnationにほかならなかった。これは経済学が政治生活の単位としての国家Nを認識の基本枠組みとする伝統を作ることにほかならない。」(p.58)

「帝国主義の時代、それは国民主義が盲目的愛国心に転化して、国家間の緊張を高め、国内の諸対立を蔽う時代を意味する。」(p.59)

「 国民主義の病理が文明の自己破壊をもたらす時代にも、帝国下の民族は解放を求める。第一次大戦による四帝国の崩壊は民族自決national self-determination を一挙にヨーロッパに実現した。敗戦の屈辱と階級対立をバネにナチスが民族を種族の自然概念にまで還元し、ドイツ民族の統一のみならず異民族支配の帝国を求めて敗れた第二次大戦は、アジア・アフリカの国民主義の大きな契機となって、植民地支配は世界から姿を消すことになった。かつての植民地帝国のあとに、新しい国家が興り、国家は今や人間の政治生活の単位として普遍化したと言ってよい。問題は170を数える現代の国家が、果して19世紀モデルの国家Nの実質をもつか、またもち得るかである。
 植民地解放を求める国民主義が国家Nを求めるものであったことはむしろ当然である。もともと新しい国家の領域は、たいてい植民地支配の単位をそのまま受けついだものであって、植民地化以前の政治社会の復活など求むべくもなかった。」(p.59)

「イラン・イラク戦>0061>争がいかに先進国の軍事産業を潤してきたかを見るまでもなく、南の国々が貧しい経済力に過大な軍事負担を負っていることは、まさに第三世界における国家主義の時代を象徴するものであって、そこでは国家Sの擬制が国家Nの実質の形成を阻害していると言ってよいであろう。国民形成のかつての高らかな旗は色褪せて、19世紀モデルの国家Nとは似もやらぬ現実が至るところに見られるのである。これを国民国家と言うのは、けだし現代における最大の擬制の一つである。」(pp.61-62)

「[……]西ヨーロッパ諸国にいちじるしい国内地域主義の噴出[……]最も印象的なのはone nation,one language,one state とい>0062>う19世紀国民国家のモデルとみられて来たフランスの場合であろう。[……]それぞれ要因は異なるにしても、そこには民族問題と言語問題とがからまっていることは共通であり、さしも強固な中央集権を掘り崩して、モデル神話の崩壊とともに、絶対主義による強権的統一と革命による言語の強制という作為fictionを思い出させたのである。西ヨーロッパにおいて連邦制をとらぬ諸国は多かれ少なかれこの種の問題をかかえており、北米カナダのケベックもまたその例にもれない。米国についてはここに改めて言うまでもない。しかも西ヨーロッパはその繁栄期に厖大な外国人労働者を雇用することによって、未経験の民族問題を抱え込み、その性質は米国型に近くなっている。フランスにはなお少数民族をnationと呼ぶ用語法が生きているとは言え、この種の問題が米国起源のethnicityのそれとして捉えられるようになったのは、第一次大戦当時の民族自決の運動が主権国家を要求したのに対して、現在の民族主義運動がほとんど国家N内の解決を求めていることによる、と思われる。これらの運動が人間のアイデンティティを改めて問うことにおいて、共同体としての国家Nの擬制性の自覚を迫り、国民国家を相対化したことは、改めて説くまでもないであろう。」(pp.62-63)


「種族」・「民族」・「国民」――ヨーロッパの事例に関するカズイスティーク(住谷一彦)

「ヴェーバーは、こうして方言にもせよ同じドイツ語を話すエルザス人が、何故プロイセンに強い嫌悪感をいだき、逆にフランス人には深い親近感を有するのかについて、感性的な文化の共有とならんで、政治的運命の共有という事情を指摘するのである。彼らにとってはフランスは自分たちを封建的圧制から救い出してくれた解放者であり、フランス人の文化は解放者の文化であった。フランス語は文化の担い手の言葉であり、自分たちのドイツ語は、日常使う方言にすぎなかった。ヴェーバーは、このような解放者の文化の言葉を話す者への強い愛着心を、共通の母語に基づいて生じる共属感情と同じではないが、それに酷似する生活感情を醸成する基盤となり得るものだと見ているのである。」(p.111)

「何人の眼にもはっきりと感じられるかたちでの食習慣の相違、食事の作法にあらわれる伝統的な生活態度の相違、それが居合わせた人々の間に「人種」の差異を心理的・生理的に意識させるのである。当面の文脈でいえば、食生活の相違という文化の伝統的際に起因するこの両国人の対質が、ゲルマン的な民族性(ナツィオナリテート)の差異として感得される点が興趣をそそるのだといえよう。そして、おそらくは民俗レヴェルにおける差異に起因すると思われるこのような事例のカズイスティークは、いくらでも挙示できることである。」(p.115)

「外面的な「姿かたち[ハービトゥス]」や「民俗[ジッテ]」の共通ないし相違がきっかけとなって、吸引しあう場合はその集団はお互いに血が同じか近い関係にあり、反撥しあう場合には逆に血が異なるか遠い関係にあるのだという主観的な信念発生の基盤が醸成されることになる。同郷の人が異国にあって互いに郷里を同じくすることを知ったときに感じる気持も、これと類似のカテゴリーに属するものである。[……]
 このようにみてくると、「血を同じくする」という共属感情の発生が「種族的」共属意識の形成にとって決定的に重要であることが分ってくる。ここでヴェーバーが重視するのは人間にとって原初的な、感情の吸引と反撥の源泉>0118>となっている「姿かたち[ハービトゥス]」である。それは第一次的には「人種所属」、すなわち、形質人類学上の遺伝によって受け継いだ、また受け継ぎ得る形質を、同種であるという主観的な信念にもとづいて共有する、という問題である。[……]問題は、このハービトゥスの違いが惹き起こす反撥が、形質人類学上共通の形質を有する者が、それの異なる者に対して示す反撥と全く同じであると言い切れるか、ということである。私たちの経験は、単純にそれを同じであるとは見なし得ないことを示している。」(pp.118-119)

「 これまでに述べてきたことから言えるのは、或る社会現象を「種族的[エトニッシュ]」と呼びたく思う場合、そうした感情を喚び醒ます根底にあるものとして、私たちの心に卑近ではあるが極めて外見的なハービストゥス(姿かたち)の相違および日常の生活様式に現れるジッテ(民俗)の差異が、血のつながりの遠近感を意識させて吸引もしくは反撥の態度を生じさせたときである。もとよりハービトゥスとジッテとは現実には一体化していて、両者を明確に識別することは殆ど不可能に近い。したがって、どこまでが形質人類学上の遺伝形質にもとづくのか、あるいは民俗=文化の伝統に依るのかも、一義的には決めがたい。ただ、前者の要素の方が、その変化がより長期的にしか現象しないであろうというに過ぎない。さしあたってここでは血のつながりに収斂する「種族的」共属感情が、極めて主観的なハービトゥスやジッテの異同という外見的な印象に基礎を置いていることが重視されるべきであろう。そして、この異同が意識されるうえで言語の共通性および宗教的な祭祀儀礼の共通性が、巨きく、ときには決定的に作用する>0122>ことが止目されねばなるまい。というのは、この異同の意識は、結局ハービトゥスやジッテの相違が醸成する主観的な違和感の「意味[ジン]」Sinnを解読できるか否かに依る場合が多く、それはまた言語の共通ということの如何および祭祀儀礼の共同といった象徴[シンボル]機能の理解如何にもとづく場合が多いからである。外見的な日常生活における態度、挙措、あるいはハービトゥス(姿かたち)の相違、食生活や衣裳の違い、性別分業のスタイルなどに関する諒解関係の欠如が、「種族的」共属感情における吸引反撥を喚び起こす基盤となる。そして、これはしばしば「はしたない」、「みっともない」、「いやだ」、「嫌いだ」といった軽蔑感と差別感を外部に対して育成し、逆に内部に向っては同じハービトゥス、ジッテの担い手であるという仲間意識を培養することになる。[……]
 ところが、先述のエルザス人の場合は、[……]ハービトゥス、ジッテの面での共通性が、こうした「種族的」共属感情の醸成に指向しているであろうか。ヴェーバーからの引用でみるかぎり、言語的な、儀礼的な共通性は、そうした共属感情の強化へとはなっていない。それを押しとどめているのはフランス文化への親近感であり、さらにより強力なのは、フランスが彼らを政治的に封建的圧制から解放したという歴史への追憶感情である。これはハービトゥスやジッテの面での仲間意識が不十分な場合に、それを代位補充するものとして挙げられる移住もしくは植民という歴史事情に起因して生じる「郷土」=「本国」意識Heimatsgefuhとも異なるものである。それはむしろ「国民[ナツィオーン]」Nationとよばれる共属感情に近いものと言えるであろう。「国民」感情は、確かに言語、伝統文化の共通性、さらに根底に「種族的」共属感情が流れている場合には一層強力になるであろうが、それが「民族」感情の場合のように決定的なメルクマールではない。」(pp.122-123)

「言語共同体が形成されていることが「民族的」共属感情の形成に決定的なとなっているかといえば、[……]明らかにそうではないケースも存在するのである。[……]「民族的[フェルキッシュ]」共属感情が生じるのには、「種族的」共属干渉に加えて言語的、宗教的な共同体形成の要素が大きく、ときに決定的に作用することは確かであるが、それだけでは十分ではない。同時にこれら諸要素の共通性が文化の伝統を形成し、それが構成する人間集団の中に大衆的名誉Massenehreの観念を育成し得たとき、はじめて「民族的」共属意識が成立するのである。この「名誉[エーレ]」あるいは「誇り[シュトルツ]」の観念が「身分的名誉」のそれと異なるのは、民族文化の伝統を共有する者すべてが例外なく有資格者であることにあり、その点では「種族的」共属意識における「品位」感情と共通している。」(p.124)

「「種族的」共属感情レヴェルで血統意識による大衆的品位感情にもとづいて対外的連帯義務感が培養された場合が「部族[シュタム]」Stammであるとすれば、同じレヴェルで誇りとするに足る伝統文化への歴史への大衆的名誉観念にもとづいてそれが生じた場合が「民族[フォルク]」Volkであり、さらに、その伝統文化の保持が歴史への政治的な責任意識(=威信[プレスティーゲ]感情)となって現れた場合が「国民[ナツィオーン]」Nationであると言えないであろうか。[……]権力国家を断念し政治的中立を保持しようとする歴史への政治的な責任意識が、権力ではなく文化の威信感情にもとづく「国民」としてスイス人を作りあげ、逆に歴史の歯車に手をかけることを目指す歴史への政治的な責任意識が、権力の威信感情に立つドイツ「国民」を生んだと言えるのではなかろうか。ヴェーバーは、それを「二つの律法の間」という論文で見事に解明している」(p.125)

■書評・紹介

■言及



*作成:石田 智恵 
UP:20080902 REV:2081027
民族・エスニシティ・人種(race)  ◇身体×世界:関連書籍 1980'  ◇BOOK
 
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