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『この国は恐ろしい国――もう一つの老後(人間選書)』

関 千枝子 198810 農山漁村文化協会,202p. ISBN-10: 4540880713


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■関 千枝子 198810 『この国は恐ろしい国――もう一つの老後(人間選書)』,農山漁村文化協会,202p. ISBN-10: 4540880713 ISBN-13: 978-4540880711 1366 [amazon] [kinokuniya]

【内容(「BOOK」データベースより)】
生存するのも危ういほどの賃金しかもらえず、その低賃金のために、平均をはるかに下回る年金しかなく、もちろん貯金もない女性たちは、どんな老後をおくれるのでしょうか。私は、まじめに働きつづけてきた人間が、年をとってから生きて行くのが不可能な年金制度で平然としている国はどう考えてもおかしいと思います。その国が世界一のお金持ちというから、いよいよ話はわからなくなります。この国は―恐ろしい国ですね。日本エッセイストクラブ賞受賞(『広島第2県女2年西組―原爆で死んだ級友たち』)の著者による渾身のルポ―。

【目次】
“豊かな国”の底辺を行く
第1章 もう1つの老後
 底辺の所得層=未婚・離別の母子世帯
 ある母子家庭の暮らし――家計簿から
第2章 “子殺し”に母親を追いつめた低賃金長時間労働(宇都宮)
 “親のエゴ”でかたづける“普通の人々”
 この国に“貧困”は存在しないか?
 “枠組み”からはみだしたことのない”負い目”
 “負い目”を共有する立場から
第3章 母親を“餓死”させる“豊かな国”の福祉(札幌)
 “母子世帯”をみる歪んだ目
 暮らしを閉ざした末に
 「役所はこわいところ」
 売春を示唆する福祉事務所
 “豊か”幻想のなかで子どもらは
第4章 見えない老後――この国は恐ろしい国(広島)
 “老後”どころではない
 地方はもはや壊滅している
対談 “買う福祉”を買える人々・買えない人々(久場嬉子氏と)
 家族が担う福祉と買う福祉
 貧困の女性化
 福祉に占める「公」の役割
 貧困の再生産――母子家庭の場合
 「弱者」に「弱者」をささえさす構造
 老後にとって豊かさとは何か
 福祉の民活路線は何をもたらすのか
あとがき

■引用

「児童扶養手当は、年金の“補完措置”としてつくられた。つまり、父親が死んだ場合、彼が厚生年金加入者なら遺族年金が、国民年金加入者なら母子年金が支給される。ところが、国民年金加入者でも保険料の払えない(払っていない)ケースがあるのでこのために「母子福祉年金」が制定された。このとき、同じように父を失いながら、何の年金ももらえないケースがあるということが問題となり、“父と生計を共にしていない”離別や未婚の子を対象とした児童扶養手当が生まれたのだった。まさに、児童について――「児童の福祉の増進を図ることを目的とする」(旧・児童扶養手当法第一章)と、児童憲章の理念と精神にのっとったものだったのである。その趣旨により所得制限は母子福祉年金の制限額と同一とされた。
 児童扶養手当の改悪案が出、当事者たちの反対運動が起こったころ、この所得制限自体を取り払うべきだとの意見があり、要求にもなった。つまり年金の補完措置なのだから所得制限があるのはおかしい。遺族年金も母子年金も、母の収入や資産に関係なく出るのではないかという意見である。私は理論としてはわかるが、抵抗を覚えたものである。私自身の経験では、所得制限以上の所得があり、こんな手当てなどもらわなくて暮らせたら、どんなにせいせいするかと思った。なんであっても、金をもらうことは、いやなことなのである。
 だから、母子家庭の母たちは、収入が低くむしろ生活保護を申請したほうがいいと思われる場合でも、それだけはイヤだと、夜も昼も働く。児童扶養手当は“子どもの健やかな成長のためのもの”な<73<のだ。胸を張って、もらっていいのだ、といい聞かせる。
 (注=児童扶養手当法は改悪され、手当ての目的そのものが「……父と生活を同じくしていない児童が育成される家庭の生活の安定と自立の促進に寄与するため……」と、“家庭”が対象となり、年金の補完から福祉となり、母子福祉年金とは異なる所得制限となった)」(関 1988:73-74)

「「弱者」に「弱者」をささえさす構造
久場 これは今日ぜひお話したかったことなんですが、母子家庭の高齢化、老人問題などをみていると、これからの問題として弱者が弱者を支えなきゃいけないような構造というか、支えさせられていくような構造がつくられつつあるような気がするんです。(中略)<186<
 子どもを抱えた人が八万円とか十万円とかの給料で、大切な老人たちの身のまわりの世話をさせられるわけでしょう。そこにこれからの高齢化社会の、もっとも警戒すべき縮図が表されている、とわたしは思うんです。
 「弱者」といったら悪いけれども、とにかくそういう立場に置かれている人たちが、「弱者」にさせられている老人たちの世話をさせられる。それは、母子家庭のお母さんにとっても死活問題ですが、老人の人権問題からいっても、そこで受けるサービスが安かろう悪かろうですまされてはたまったものではないですね。それを考えるなら、このことは母子家庭の問題というということを超えて、それこそ高齢化社会をどう考えるかという問題になってくる。しかもいまはそこにアジアの女性たちを入れるということさえ話題にされている。そうなると、アジアからの若い女の子たちが来るというので、「あなたたちおばさんはいらない」と言われて賃金を叩かれることになるでしょう。
 しかも日本では、いま、この問題について言えば、アジアの女性たちを入れるのはやむをえないだろうという考え方がけっこうスンナリと通っていくのですね。というのは、日本の女性はそういうダーティーワークをしたがらない、老人の世話をしたがらないからだと考えられている。冗談じゃない、<187<その方面で職業としての訓練を受け、経済的に自立を計りたい、真剣に働きたいという意思のある人たちを受け付けないで、ダーティーワーク化させておいて、日本の女性がいやがるからとアジアの女性たちを連れてくるという論法はまことに無茶ですね。
関 たとえば、東京の美濃部都政が赤字財政をつくったと批判されますが、いまだに残っている大きな遺産のひとつに「介護料」というものがある。お年寄りが本当にダメになって、家庭で面倒みきれなくなったとき、東京だと一日一万円近くの付き添いさんの介護料全額が補助されるから経済的負担はほんどなしですむんです。それだとちゃんといいヘルパーさんもつけられると思うんです。
久場 美濃部都政の、他とくらべて突出したもう一つの遺産に、家庭で老人を介護している人への介護手当てというものがありますよね。他の市町村ではそれを出すところがあるにしても、せうぜい二千円というような「涙金」的なおカネなわけです。ところが東京では、月三万二千円いくらかの額なんですね。横浜が今度ふやして年に九万なにがし、つまり月五千円程度です。それでわたしは東京都というのはたいしたもんだと思っていたら、つい先日ノルウェーについて聞いた話なんですが、「家庭で老人の面倒をみている女性にきちんと介護手当てを払え」という主張があって、その運動があるというんですね。なんとその手当ての額を聞いて驚いたのですが、「看護婦さんの賃金と同じ額」というんです。
 家庭で面倒みようが外でみようが、老人の面倒をみる仕事というものはきちんと手当てされなくてはいけないという考え方で、これはもう日本の二千円、三千円というのとそもそも精神が違うんです<188<ね。
 ですからわたしは、やはり先に言った「弱者が弱者を支える構造」というのが日本では貫徹しつつあると思う。かたや有料老人ホームだ、いや億ションの老人マンションだと民活がすさまじい勢いで進行しつつありますが、その下の階層、底辺ではどういうことになっているかというと、なけなしのおカネを私立の老人病院に払って、介護にしてもケチられ、満足に受けられない状態にある。そして、厳密な意味での専門職ではないにしても、きちんとそれなりの訓練を受けた女性たちが働きたいといっても、相応の扱いをせず、アジアの女性たちに取って替えかねないような風潮さえある。
 それは、世話を受ける老人たちの人権問題でもある。働く人の人権と面倒をみられる人の人権をどう考えているのかという大変な問題ですね。」(関 1988:186-189)

「本文の一章、二章、四章は、第三次「辺境」(井上光晴氏編集)二号〜四号に掲載したものです。「辺境」が再刊されるという報道を知り、井上光晴氏が“すべての面で辺境“の存在、たとえば、老後の問題にも力を入れたいといっておられるのを聞き、もっとも“辺境”の位置にいる母子家庭の老後の問題を書きたいと手紙を書きました。折り返し井上さんからすぐ書きなさい、と電話がきました。(以下略)」(関 1988:200)


*作成:北村健太郎 *情報提供:天田城介
UP:20060124 REV:
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