『フェミニズムと権力作用』
江原 由美子 19880820 勁草書房,224p.
◇江原 由美子 19880820 『フェミニズムと権力作用』,勁草書房,224p. ISBN-10: 432665094 ISBN-13: 9784326650941 1900[amazon] ※ f03/s
■目次
■引用
フェミニズムと権力作用
「女性運動を支配しているもっとも強力な支配装置は、男性諸個人の支配意思や女性に対する抑圧の意図に基づく行為には還元できない。ゆがめられた「問い」の内部で女性運動が立ち往生してしまうとしても、男性をそれを仕組んだ張本人として指摘することはできない事態を正確に観察すれば、行為主体として、積極的に支配装置に関与しているのはむしろ女性である。女性たちは積極的・自発的に「問い」を生産しその「問い」に対する答えを女性内部の差異化の根拠としているように見える。」(p.30)
「作用した痕跡を消す権力。すなわち行為者の自発的な行為を巻き込む権力。それは社会構造自体にはらまれた権力であり、特定の個人の意図には還元できない権力作用である。われわれはそれをこそ、家父長制と呼んでいる。制度を問題にするとは、当然にもそういうことなのだ。」(p.32)
差別問題の構造――言説の空洞化をめぐって――
私は、「差別問題」の構造的特質が、「差別論」の空洞化を生じさせていると考えている。逆に言えば「差別問題」が固有の問題として成立することの根拠は、この「差別」をめぐる言説の空洞化なのである。(p.97)
「差別」についての論争が裕子には成立しないことは、「差別告発」を行う上ではむしろ志向すべき目標のように思われるかもしれない。相手の反論可能性を全面的に奪うことこそ、「差別糾弾」の目標のように考える方もいるかもしれない。しかし、私はそれは両刃の剣であると言いたい。結果的にそうした戦略は、「差別」という用語の適切な使用条件を欠いた、いかなる問題や体験に対しても「差別」という言葉の使用を可能にし、言葉のインフレ的使用をひきおこし、本当に重要な問題提起の効力を弱体化させてしまうことになるからである。「差別」という言葉への過剰な依<98<存は、この言葉の一人歩きを許してしまい、結果的に本当に問題にすべきことを考える機会を奪ってしまうのである。(pp.98-99)
@前近代的な身分・地位に対する旧態依然とした意識を保持することに起因する、という差別構造の説明 → 部落解放運動
A近代的意識に含まれた価値観である能力主義に起因する、という差別構造の説明 → 障害者解放運動
Bこの複合 → 女性解放運動
〔江原〕すべての差別はBのように複合差別である。@は差別が悪であるのは自明であるという主張を帰結させてしまい、Aは能力主義が提供するあらゆるカテゴリー・尺度・評価・区別を差別として含みこませてしまう。この二つの同時併存が、小さな区別を立てること自体を差別とさせてしまう。だが、「出会いにおいて他者との関係のとり方」を規定するのは、「当該社会のカテゴリー装置」である。→ 「それゆえ、あらゆるカテゴリー分け、区別だて、差異化をすべて「差別」であるとし、絶対的に悪いと非難するような判断は、力を持たない」(p.106)
「はっきり言って、近代社会固有の規範としての平等や人権という理念をつらぬく普遍主義は、現実に社会構造の構成原理として作動しうるために不可欠の、人々を排除・選別・配列する差異化装置を必然的に伴っていた。規範的同質性の理念が確立するためには、業績主義や能力主義によるカテゴリー装置が、人々を十分差異化し、評価・選別・配列・排除することが可能である必要があった。従来の前近代的な、差異化装置(身分)の効力の停止は、これら近代的な、差異化装置の作動のゆえに生じえたことを確認する必要がある。
〔中略〕例えば、あるポストへの参入資格として一定の言語能力や教育を要求することは、普遍主義、業績主義の論理にかなっている。しかし、仮にその地域に複数の言語を母語とする住民が存在する場合においては、どの言語の能力を要求するかということは、それぞれの住民にとってまったく異なる意味を持つことになる。」(pp.110)
「ところで、普遍主義的理念が成立しえたのは、社会を公・私の二領域に分離し、その私生活部分には関与しないゆえであるのだが、逆に言えば、この公的領域の自立化は、家族や親族、友人、知人関係など私生活領域の「私化」傾向を強める作用を及ぼした。家族や親族、友人、知人関係は、かつてはそれ自体が社会編成上の中心的な位置にあったため、社会規範の強力な作用下にあったが、<111<それが私化傾向を強めると、そもそも社会規範の範域外の個人の全くの恣意の領域であるという認識が強まってくる。……社会的責任を免れたゆえに自由な、遊び半分の、個人の自由な主観性という領域における差異化装置はこの時逆に全面開花する可能性を与えられたのである。」(pp.111-112)
■書評・紹介
■言及
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*作成:高橋 慎一